『狂魔密儀』 メイヘム 「De Mysteriis Dom Sathanas」Mayhem(94) BURZUMのCount GrishnackhによるMAYHEMを率いていたEuronymousの殺害事件を背景にリリースされた1stフル・アルバム。Euronymousのノイジーで殺傷性の高いリフ、Hellhammerの怒涛のドラムス、Attilaの呻く様な特異なヴォーカル、そしてベースで参加したCountの狂気が封じ込められた狂気溢れる作品。これぞブラック・メタルと呼ぶに相応しい衝撃作。
CD 1. Funeral Fog 2. Freezing Moon
4. Pagan Fears 5. Life Eternal 6. From the Dark Past 7. Buried by Time and Dust 8. De Mysteriis Dom Sathanas ノルウェーのブラックメタル・バンドであるメイヘム(Mayhem)が94年にリリースした1stアルバム「De Mysteriis Dom Sathanas」の直輸入盤に、日本語解説と帯を付けて国内仕様で販売した際に付いた邦題が「狂魔密儀」だ。曲名は原語のまま、カタカナタイトルすら付いていない。
メイヘムは84年にg&voのデストラクター(Destructor。後にユーロニモスネクロブッチャー(Necrobutcher)、dsのマンハイム(Kjetil Manheim)の3人で結成された。 その後幾度かのメンバーチェンジがあって88年にdsのヘルハマー(Hellhammer)とスウェーデン出身のvo.デッド(Dead)が加入。デッドはコープスペイント(白黒化粧)を施し、自傷行為を行ったりと死への執着を見せており、ユーロニモスは彼に自殺を勧め、同じノルウェーのブラックメタル・プロジェクトバンドであるバーズムカウント・グリシュナック(Count Grishnackh)は91年初頭にデッドが所有するショットガンの弾丸数発をデッドに送ったという。 そして91年4月にデッドはナイフで手首と首を切り裂き、ショットガンで頭を撃ち抜いて自殺した。遺体を発見したユーロニモスは警察に通報する前に遺体を撮影、その写真はメイヘムのブートレグライヴアルバム「ドーン・オブ・ザ・ブラック・ハーツ(The Dawn of the Black Hearts)」のジャケット写真になっている。 デッドの自殺後にネクロブッチャーが脱退。87、8年頃から既に曲を書き始めていた「狂魔密儀」のレコーディングにはハンガリーのブラックメタル・バンドであるトーメンター(Tormentor)のvo.アッティラ・シハー(Attila Csihar)と、デッドに弾丸を送ったカウントがサポート・メンバーを務めた。 93年8月、ユーロニモスがアパートメントでカウントによって刺殺される。ユーロニモスの遺体はアパートの外で23箇所の切り傷を負った状態で発見されたのだとか。カウントは逮捕され、殺人と教会放火の両方でノルウェーで最高刑となる懲役21年の判決を受けたが09年に釈放された。 …とまぁ色々とゴタゴタしたものの94年に何とか発売さた「狂魔密儀」はブラックメタル史に名を刻む大傑作と言われ、多くのブラックメタルバンドに多大な影響を与えたのであった。 アルバムリリースに合わせてユーロニモスとカウントはトロンハイムのニーダロス大聖堂を爆破する計画を企てていたという。「狂魔密儀」のジャケットに写っているのがその大聖堂である。 幸いなことに(!?)アルバムは94年5月24日にリリースされたが、ユーロニモスは既にこの世にはおらず、カウントの裁判は94年5月2日から始まったのだった。