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いよいよ鹿児島最終日。2日間お世話になったホテルアービック鹿児島でチェックアウトを済まし、鹿児島中央駅のコインロッカーに余分な荷物を詰め込んでから向かった先は、鹿児島本線で20分足らずのところにある伊集院駅。駅を降り立つと関ヶ原の敵中突破をイメージしたと言われる島津義弘の銅像が出迎えてくれる。おおッ、格好いい!御年65歳とは思えぬ雄姿! 伊集院駅のある日置市は戦国島津ゆかりの地としても知られ、義弘は天文4年7月23日(1535年8月21日)、島津家第15代当主・島津貴久の次男として日置市にあった伊作城で誕生した…が、遠いので行けない。駅から歩いて向かったのは義弘の菩提寺である妙円寺。自分の菩提寺に妙円寺を指定した義弘は、生前に京都より仏師・康厳を招いて自らの姿を彫刻させ、その木像を生きている義弘と思い弔うよう指示して妙円寺に500石を与えたという。妙円寺に電話で確認を入れると御住職がいらっしゃるとのことなので、急ぎ足で向かった。 本堂に上がらせていただき、御朱印をいただいたうえ丁寧にお寺の説明までしていただき、有難き幸せに存じ奉り候。戦国島津位牌堂には島津4兄弟(貴久の4人の息子。長男の島津家第16代当主・義久、次男・義弘、三男・歳久、四男・家久)と、家久の長男で関ヶ原の戦いにおける島津の退き口で捨て奸(すてがまり。退却する途中で小部隊を留め置き、追ってくる敵と死ぬまで戦って足止めして本隊を逃がすという、壮絶すぎる戦法)となって討死した島津豊久の位牌が並んでいたが、これらの位牌は義弘公没後400年祭の時だったかに作られたものだそうで(うろ覚え)、それらとは別に義弘だけは流石菩提寺だけあって「元和五年七月廿一日薨去 妙圓寺殿松齢自貞庵主 義弘公尊位 享年八十五」と記された当時の位牌も祀られていた。 鹿児島の有名な行事に妙円寺詣りというものがある。かつての鹿児島城の城下町である鹿児島市から島津義弘が祀られている徳重神社を詣でる行事だそうで、江戸時代から続いているという。関ヶ原の戦いで敵中突破して奇跡的な生還を遂げた義弘を偲び、泰平の世に士気を鼓舞して心身の鍛錬をするため、鹿児島城下の武士たち(庶民は明治以降)は関ヶ原の合戦前夜の9月14日(旧暦)、往復40kmの道のりを鎧・兜に身を固め、夜を徹して義弘の菩提寺である妙円寺に参拝し始めたのが始まりなのだとか。何故現在は妙円寺ではなく徳重神社を詣でるかというと、明治2年(1869年)の廃仏毀釈により妙円寺は廃寺となり、当時の住職は義弘の位牌などの宝物を持って避難。その跡地へ明治4年(1871年)に創祀された神社が徳重神社なのであった。妙円寺は明治13年(1880年)に以前の寺地の近隣に再興されたものの、かつて義弘が自分だと思って弔うようにと仏師・康厳に彫らせた木像は徳重神社に御神体として祀られたままになっているそうな。 そんな徳重神社は妙円寺のすぐ近くにあり、こちらも参拝させていただいた。御祭神は勿論、精矛厳健雄命(義弘の神号)。境内西側には島津義弘公殉死者13名地蔵塔が並んでおり、当時は薩摩藩で禁止されていたにもかかわらず義弘を慕う家臣たちが殉死してしまったため、哀れんだ忠恒(家久。島津家第18代当主にして薩摩藩初代藩主)が寛永9年(1632年)に建立したものらしい。拝殿の横には弓道場があり、妙円寺詣りの行事として行われる大会でも使用されるとのこと。御朱印をいただきたく呼鈴を鳴らすと、離れた場所にある社務所からわざわざ書置きを持ってきてくださった。有難うでごわす。 更に歩いてこの近くにあるという義久・義弘・歳久の生母・雪窓夫人の菩提寺があった雪窓院跡にも寄ってみた。雪窓夫人の三十回忌に義久、義弘、歳久が連名で建立したという。 筑前・豊後の一部を除く九州の大半を手中に収めていた島津家であったが、天正14年(1586年)豊臣秀吉による九州征伐が行われ、圧倒的な兵力差によって島津軍は敗北。翌天正15年(1587年)5月、当主・義久は雪窓院で剃髪して名を「龍伯」と改め、秀吉のもとを訪れて降伏したとのこと。義久は雪窓院の境内にあった座禅石の上で剃髪したそうで、その座禅石や雪窓院にあったと思われる仁王像頭部などが道路脇の歩道に置かれてあった。何という大らかな展示…。 伊集院駅で義弘の銅像に別れを告げて鹿児島本線で中央駅に戻り、前日も乗車した日豊本線に再び乗り込んで帖佐駅へと向かう。昨日行った加治木駅の二つ手前の駅なので一緒に見て回ればよかったのだが、歩きすぎて足が痛かったので別日にした次第。 帖佐にも島津義弘居館跡(帖佐御屋地跡)があり、文禄4年(1595年)末から慶長11年(1606年)まで居館を置いたそうで、慶長5年(1600年)9月に起こった関ヶ原の戦いから奇跡的に生還した義弘は、この地に帰ってきたのである。 帖佐駅からタクシーで居館跡に向かう。今は稲荷神社となっているため行先をそう告げると運転手さんは若干怪訝そうな顔をされ、スマホを見せると地元では宇都神社と呼ばれているとのことだった。成程、姶良市デジタルミュージアムには確かに帖佐宇都御屋地跡石垣と出ていた。 歴史を感じる石垣や大手門跡、「惟新公邸址之碑」と刻まれた立派な石碑などがあった。義弘は朝鮮からの帰国後、剃髪して惟新斎と号したため惟新公との敬称でも呼ばれていたという。この石碑も大正7年(1918年)の島津義弘公三百年祭に際して有志により建立されたものだそうな。地元の方々の義弘に対する敬愛っぷりが至る所でひしひしと感じられ、鹿児島は本当に素晴らしい。 ちなみに「帖佐御屋地跡」とあるのは、義弘が帖佐から平松、そして加治木に移ったあと、帖佐の館には義弘の娘・千鶴(御屋地様)が住んだためとのこと。 帖佐駅から日豊本線で鹿児島中央駅に戻ってきたのが14時前。帰りの便までまだかなり時間があったので、鹿児島に到着した当初から気になっていたアレを目指し、意を決してアミュプラザへ。アミュプラザ鹿児島のシンボル的存在でもあり、建物の上にあるというビジュアルも印象的な、直径約60m、最大高91mの大観覧車・アミュランに乗ってみた。年をとってすっかり高所が苦手になったものの、どうしても鹿児島の景色を一望したかったのだ。2泊3日の短い鹿児島滞在中、ずっと目にしていた桜島の雄姿を最後に目に焼き付けたかった。 一回転約14分半。あっという間に楽しい観覧タイムは終わってしまった。それでもまだ時間に余裕があったので、もう一度、今度は明るい時間に桜島を見ようと再度鹿児島港に向かう市バスを待っていると、鹿児島老マダムにいきなり首の辺りを触られてビックリ!どうやら首に湿布をしているように見えたらしく、首だか肩だかが悪いのならここを押すとよいと腕をグリグリ押してくださった。…いや、首も肩も全く悪くありませんけど… 老マダムは見間違いを詫びてくださったが、まぁ善意からのことなので無問題。鹿児島ってフレンドリーな方が多い土地柄? この旅2度目の桜島渡航。今となってはそれほど時間があったのならもっと他の観光名所に行けばよかったなぁと思うのだが、どういうわけかあの時はすっかり桜島に引き寄せられていた。長渕 剛さんの生霊にでも憑依されていたのかしらん…。 今回は島津義弘公・重年公の旧址を訪ねる旅ということで鹿児島市、姶良市、日置市、そして霧島市ぐらいしか足を運ばなかったが、見て回りたい場所はまだまだあった。鹿児島がこんなに見所の多い、栄えた地だったとは!何度でも行きたいなぁ。 伊集院駅 義弘公銅像 法智山 妙円寺 義弘公御位牌 新ver 義弘公御位牌 旧ver 向かって一番右側が義弘公の当時からの御位牌。中央の新しい御位牌は義弘夫人である実窓夫人のもの。その左側の御位牌は長州太守 大内家第10代当主・大内義弘の息女のもので、妙円寺という寺号はこの御位牌にある法智妙圓霊位から。何と室町時代のものらしい。 徳重神社 島津義弘居館跡(帖佐御屋地跡) 大手門跡(帖佐御屋地跡) アミュランから見た鹿児島市の風景
2025.11.26
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鹿児島2日目。まず向かったのは天照大御神の孫・瓊瓊杵尊が葦原中国を統治するため高天原から天降った、いわゆる天孫降臨の地・高千穂峰の麓に6世紀中頃創建されたという霧島神宮。最初は高千穂峰と火常峰(御鉢)の間にある背門丘に建てられたものの霧島山の噴火による消失と再建を繰り返し、文明16年(1484年)に再興されたのが現在の霧島神宮とのこと。しかし社殿はその後も幾度も炎上し、現在の社殿は正徳5年(1715年)、島津家第21代当主で薩摩藩第4代藩主・島津吉貴の奉納により再建した物とのこと。歴代島津家の尊崇も篤かったという。 鹿児島中央駅から特急きりしま(真っ黒な車体が格好いい!)に揺られること1時間弱で霧島神宮駅に到着。駅からはタクシーで向かった。平日の午前9時前ということもあって参拝客もまばらだったため、落ち着いて参拝できた。本殿・幣殿・拝殿は令和4年に国宝指定されたそうで、朱塗りの柱と極彩色の装飾が周りの緑に映えてそれはそれは美しかった。島津重年(島津家第24代当主で薩摩藩第7代藩主)もこの景色をきっと目にしたことだろう。 重年といえば、同じ霧島市にあって山幸彦(彦火火出見尊。瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子)を祀る鹿児島神宮も島津家の尊崇を受けたとされ、宝暦5年(1755年)に重年の寄進により起工、翌年、島津重豪(島津家第25代当主で薩摩藩第8代藩主)の代に竣工されたとあり、鹿児島神宮のHPにも『現社殿は桃園天皇の宝暦6年(1756年)島津重年公(24代)の造営になるものである』と記されている。残念ながら重年は宝暦5年6月に江戸の芝藩邸で卒去されたため、現在の社殿を目にすることは出来なかった。ということで私も涙を呑んで参拝は見送った次第である。 霧島神宮駅から今度は日豊本線で戻り、途中の加治木駅で下車。駅から徒歩で向かった先は島津義弘(島津家第17代当主という説は賛否両論)を祀る精矛神社(くわしほこじんじゃ)。御祭神である精矛厳健雄命というのは義弘の神号で、そこから精矛神社と命名されたのだとか。 ここ加治木は義弘が晩年を過ごした地で、元和5年(1619年)に義弘が薨去すると加治木本誓寺に霊屋が造営されるも廃仏毀釈により廃寺となり、明治2年(1869年)に加治木屋形内に社殿を造営して精矛神社と称したそうな。大正7年(1918年)に義弘の300年祭にあたって加治木島津家が別荘「扇和園」を神社に寄進、新たに社殿を造営して移転遷座したのが現在の精矛神社とのこと。 良くいえば質朴剛健といった雰囲気の神社で、この飾り気のなさが義弘の気風に合っているような気がしないでもない。境内には文禄の役に陣僧として義弘に従軍した鳳山和尚が朝鮮から持ち帰ったという石臼と手洗鉢や、義弘が厚く信奉していた御稲荷様を祀る神社があったりもした。 宮司さんが在中している神社ではないので、御朱印等は事前に連絡するなり祭事があるときに参拝するなりすればいただけるのかもしれない。 島津忠恒(家久。島津家第18代当主にして薩摩藩初代藩主)の三男・忠朗が寛永8年(1631年)に祖父・島津義弘の遺領大隅国姶良郡加治木1万石と義弘付き家臣の加治木衆317家を拝領して興したのが加治木島津家で、この加治木島津家第4代当主・島津久門というのが重年だったりする。 享保14年(1729年)2月に島津家第22代当主で薩摩藩第5代藩主である島津継豊の次男として鹿児島城で生誕した久門は、同年11月に分家筆頭の加治木島津家第3代当主・島津久季の養子となり、享保17年(1732年)に加治木島津家第4代当主となった。しかし寛延2年(1749年)7月に兄であり島津家第23代当主で薩摩藩第6代藩主でもあった島津宗信が22歳の若さで卒去したため本家に復帰、その跡を継いで藩主となり、9代将軍・徳川家重より偏諱を授かって久門から重年に改名したのであった。晩年の義弘、そして若き日の重年が過ごした加治木。 続いて向かうは慶長12年(1607年)に義弘が造営した加治木屋形跡で、元和5年(1619年)7月21日に義弘はそこで薨去したという。 精矛神社から徒歩で向かう道中に小っちゃな神社が見えたので寄ってみた。諏訪神社とのことで、元和2年(1616年)に義弘が再興したものだとか。そこから更に15分ほど歩いて加治木屋形跡に到着。歴史を今に残す石垣はいつの時代のものなのだろう?敷地内にある加治木護國神社に参拝してから辺りを見て回ると、慶長11年(1606年)に屋形の南堀に架設された際の青銅製の擬宝珠を使用して再建された石造橋の一部(欄干橋)や義弘公薨去地碑(これまた義弘公没後三百年祭に関連して建てられたものらしい)などがあった。 義弘や重年がここにいたのかと思いを馳せるだけで胸がいっぱいになる。他にも歴代島津家当主が社殿の改築などに関わっているという春日神社にも行ってみたかったが、流石に徒歩では無理そうなので諦めて加治木駅に戻り、日豊本線で鹿児島中央駅へ。 ホテルで暫し休憩し、歩き疲れた足を休めてから再び中央駅に行って市バスに乗車。水族館前で下車した先にあるのは鹿児島港フェリーターミナル。鹿児島に来たからにはやっぱ桜島に行かないとね。桜島フェリーに乗船し、心地よい潮風を浴びるスカイデッキで夕陽を眺めながらぼ~っと揺られること約15分、あっという間に桜島に到着。 関ヶ原の戦いの後、何とか薩摩に帰還できた義弘は徳川家に恭順の意を表すため2ヶ月ほど桜島・藤野の藤崎家に蟄居した。その藤崎家の武家屋敷門が今なお残っていることは知っていたが、既に辺りは暗く、今更行っても…と逡巡しつつフェリーターミナルの辺りを散策しているとタクシーが目に留まり、結局義弘の蟄居跡に行ってみることに。 運転手さんがとても気さくな方で、歴史話に花を咲かせているうちに10分ほどで蟄居跡に到着。普通に住宅がぽつぽつ立ち並ぶ、坂になっている細い路地の途中に蟄居跡の門が残っていた。親切にも運転手さんが門に向けてヘッドライトを照らしてくださり、更には懐中電灯まで使って細かい所まで見せてくださった。せっかくなのでスマホで撮影してみたところ、すっかり闇の中だったにもかかわらず門だと分かる画像が残せた。…って、どうしてこんな時間に来ちゃったんだろう? 同じく関ヶ原の戦いで敗れた備前岡山城主・宇喜多秀家は義弘を頼って薩摩へ落ち延び、2年ほど大隅牛根(鹿児島県垂水市)に匿われていたという。その秀家の潜居地跡は義弘蟄居跡から桜島を挟んだ反対側にあるそうで、秀家は毎日約3km離れた神社に参拝されていたのだとか。 桜島港に戻ってきても運転手さんの話は続き、車内で暫く聞いていた。楽しくて有益な歴史話を有難う。桜島の良い思い出となった。 桜島港フェリーターミナルで3種類の御船印(御朱印の船バージョン)&鹿児島市船舶事業90周年記念御船印を購入し、またしてもスカイデッキで対岸の夜景をぼ~っと眺めながら15分の船旅を楽しんで鹿児島港に到着。帰りは観光地循環バスのカゴシマシティビューで鹿児島中央駅に戻り、駅直結の商業施設アミュプラザ地下1Fのスーパーで夕飯を買い込んでから西口のホテルへ。この日の歩数は前日より800歩ほど多い24,093歩。加治木でよく歩いたからなぁ。 平日朝の霧島神宮 霧島神宮 精矛神社 諏訪神社 加治木屋形跡 桜島フェリー 義弘公蟄居跡 辺りが真っ暗でもここまで映るとは…。スマホの撮影技術ってスゴい。ちなみに蟄居跡は門だけで、奥の家は無関係。
2025.11.25
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慶長3年(1598年)に起こった朝鮮・慶長の役における泗川の戦いでの圧倒的大勝利、はたまた慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでの “島津の退き口” と呼ばれるまさかの敵中突破&前進退却で知られる、鹿児島が誇る戦国武将・島津義弘。島津家第17代当主であり(近年この説は否定されつつある)、島津家第18代当主にして薩摩藩初代藩主となった島津忠恒(家久)の父でもある。 時代は下がって宝暦3年(1753年)、幕命により木曾三川の治水工事(宝暦治水)を命じられ、完成の翌月に病弱のうえ心労も重なったのか享年27歳という若さで卒去した島津家第24代当主で薩摩藩第7代藩主の島津重年。 このお二方が生まれ育った薩摩の風景を是非ともこの目で見、肌で感じてみたく、山陽・九州新幹線の最速達列車「みずほ」で鹿児島へ向かったのであった。 6:51に岡山を出発して9:46には鹿児島中央駅到着。みずほ速ッ! まず最初に向かった先は前々から是非とも行ってみたいと切望していた、歴代島津家の墓所である福昌寺跡。福昌寺は島津家代々の菩提寺だったが明治2年(1869年)の廃仏毀釈により廃寺となり、現在は島津家歴代(6~28代)の墓地として保存されている。早速義弘の墓前で手を合わせる。画像から想像していたより小ぶりな印象を受けた。近くには本来であれば島津家第18代当主となるはずだったが朝鮮・文禄の役に参陣し21歳にして現地で病死した、義弘の次男・久保の墓もあった。そして念願だった重年の墓に向かおうとするも、まさかの立入禁止 重年の墓だけでなく、重年の長男で “高輪下馬将軍” と称されるほど権勢を振るった島津家第25代当主で薩摩藩第8代藩主の島津重豪の墓やら忠恒の墓やら、そこらかしこが立入禁止に。万が一崩れたりでもしたら危ないから仕方がないのだけれど。もっと早くに訪れていれば自由に展墓出来たかと思うとちょっと…いや正直かなり悔しかった。けどまぁしゃーない。 気持ちを切り替え、続いては慶長6年(1601年)に薩摩藩初代藩主となった忠恒(家久。通称 “悪久”)により築城された鹿児島城へと向かう。父・義弘は海岸に近いこの地は防御に問題があるため城を築くのに適さないとし、最後まで築城に反対していたとか。 福昌寺跡から歩くこと暫し、途中、西郷隆盛終焉の地(明治10年(1877年)に西南戦争で自害)という看板があったが幕末の薩摩藩には興味がないのでそのまま通り過ぎ、へろへろになりつつ歩き続けていると、宝暦治水で犠牲となった薩摩藩士を弔う薩摩義士碑が建っていた。幕吏や地域住民との対立、 悪疫の流行などで88名の犠牲者を出し、およそ40万両(通説)もの莫大な費用を負担する羽目になった宝暦治水。総奉行を務めた家老・平田靱負は工事終了後、幕府目付による検分報告を国元に認めた翌朝に自害(病死説も)。しかしそんな彼らの偉業も幕府に遠慮してか地元では知られておらず、大正10年(1921年)になってようやく慰霊碑が建ったという。慰霊碑の線香台(っていうの?)には木曽川、長良川、揖斐川とそれぞれに彫られた3つの石が置いてあった。 慰霊碑から水堀に沿って進むと鹿児島城御楼門に到着。鶴丸城ともいうが、明治以降に呼ばれるようになった通称とのこと。御楼門を潜ると中は鹿児島県歴史・美術センター黎明館という資料館が建っており、島津家に関する資料(書状とか)もあった。 歩きすぎて足が痛くなったので帰りのバスを待っていると、地元のおばあさんから何やら尋ねられた。バスがいつ来るかというようなことだったと思うのだが、鹿児島弁なので正直ほぼ分からず。分からないなりに会話は進み、暫し談笑していると鹿児島市内の観光地循環バス・カゴシマシティビューがやって来たので乗車。そのまま終点の鹿児島中央駅に向かうつもりだったが、ふと思い立って有名観光地である仙巌園(磯庭園)で下車してみた。 仙巌園は万治元年(1658)に忠恒の次男で島津家第19代当主にして薩摩藩第2代藩主・島津光久が築いた別邸で、桜島や錦江湾を庭の景色に取り入れた借景庭園は「仙巌園附花倉御仮屋庭園」として国の名勝に指定されているそうな。また園内の旧集成館反射炉跡は世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産にもなっているらしいが、まぁそれらは結構どうでもいい。ここに来た目当ては尚古集成館所有の島津家に関する資料のみである。 うわッ!見つけた時に思わず声が出そうになったのが「島津重年書状」。宝暦3年(1753年)12月に幕府から仰せつけられた濃州・尾州・勢州川々御普請に対し、重年が御礼を述べた書状だ。宛先は幕府の若年寄・松平宮内少輔。おおッ、嬉しいかな釈文付!有難いことに撮影OK(展示物の一部は撮影不可)とのことなので、スマホでパシャリ。まさかここで重年の書状に出会えるとは。…もしや重年公、呼んでくださいました? 園内にある鶴嶺神社は明治2年(1869年)の創建で、島津家の歴代当主とその家族、及び分家の玉里島津家歴代当主とその家族が祀られており、中でも島津家第16代当主・島津義久(義弘の兄)の三女で久保の室、久保の死後は久保の弟である忠恒の室となった亀寿を祀る神社として知られているそうな。亀寿と忠恒の不仲は有名で、福昌寺跡の墓所でもこの夫婦の墓だけ離れた所にあったりして。 美しい錦江湾と雄大な桜島をカゴシマシティビューの車窓から眺めつつ鹿児島中央駅に戻り、駅西口すぐのビジホにチェックイン。腕時計を外す際、ふと目にした歩数計は23,279歩となっていた。初日から張り切りすぎだって。 福昌寺跡 島津義弘公墓(宝篋印塔) 島津重年公、重豪公墓所 薩摩義士碑 鹿児島城 御楼門 仙巌園 鶴嶺神社 島津重年書状
2025.11.23
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もう30年以上も昔の話ではあるが学生時代は日本近世史を専攻し、中学・高校の社会科教諭一種免許まで取得した歴史好きの端くれながら、何故か今まで然程興味のなかった薩摩藩。 唯一、宝暦治水事件(宝暦3年(1753年)に幕府から木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の手伝普請を命じられた薩摩藩が、多大な犠牲者と膨大な借財を抱えることとなった事件)には興味があり、この時の島津家第24代当主にして薩摩藩第7代藩主・島津重年公だけは以前から好ましく思っていた。心優しき青年藩主・重年公の身も心も苦しめた宝暦治水の地を自分の目で見てみたいと思い、岐阜県海津市まで足を運んだのが5年前のこと。その際に大垣城にも寄ったのだが、関ヶ原の戦いにおいて西軍の主力部隊が入城して根拠地となった城だということで、おらが殿様・宇喜多秀家や石田三成やらが420年前にここにいたのかと感動した。 関ヶ原には17年も前に一度行ったきりだが、大谷吉継の陣跡や墓所、垂井城主・平塚為広の碑などに感動したものだった。 そして現在。歴史関連のYouTubeをぼんやり視聴しているうちに突如 “鬼島津” こと島津義弘公ブームがやって来たのである。関ヶ原でも大垣でも義弘公は全く意識していなかった――何と勿体ないことを! というわけで来月末に義弘公史跡巡りを敢行すべく、鹿児島に行ってみることにした。 前々から是非とも行ってみたいと切望していたのは島津家墓所の福昌寺跡。元々重年公のお墓参りがしたかったのだが、近頃夢中の義弘公と、義弘公の三男にして薩摩藩初代藩主である “悪久くん” こと島津家久(忠恒)公のお墓にも参りたい。何度お墓の画像を眺めたことか。嗚呼、実際にこの目で見れる日が来るとは夢のよう。…いやまぁ、新幹線だと直通だし3時間ぐらいで行けるんだけど、 貧乏なもんで往復43,000円払う勇気がなかなか出なくて そういえば、おらが殿様(宇喜多秀家)も関ヶ原で敗れた後、薩摩に逃亡して2年ほど悪久くんに匿ってもらったんだよね。やっぱり縁があるなぁ、薩摩とは←無理ありすぎ。 鹿児島の地図を眺めては義弘公と重年公に思いを巡らす今日この頃なのであった。 85年10月12日、The B-52'sのギタリストだったリッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)はAIDSによる合併症により32歳の若さで亡くなった。今年は41回忌にあたる。リッキーがこの世で過ごした年月よりも、いなくなってからの方が遥かに長くなった。 しかしどういうわけかWikipedia日本版でリッキーの来歴が詳しく書かれたのは、ここ数年のことだ。嬉しいことにリッキーに興味を持つ人が増えたのかしらん。 リッキーの命日に駄Blogを更新しようと思ったものの、リッキー物語(全20+2回)やリッキーフェス(全28+1夜)でリッキーに関することは全て書ききってしまった。 リッキーのお墓参りにも行きたいけど、米国ジョージア州はあまりにも遠すぎる…
2025.10.14
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8月29日公開の「ベスト・キッド:レジェンズ(Karate Kid: Legends)」を見てきた。 上映時間94分のうち、最初の5分は本家の「ベスト・キッド(The Karate Kid)」というか「ベスト・キッド2(The Karate Kid Part II)」、最後の4分は2018年~2025年までYouTube Red(YouTube Premium)→ Netflixに移行して配信されたTVシリーズ「コブラ会(Cobra Kai)」、さらにその内10分はなぜかボクシングに費やされ、残り75分が2010年公開のリメイク版「ベスト・キッド(The Karate Kid)」の延長といった感じ。まぁリメイク版は見たことないけど いきなり冒頭で何やら見覚えのあるシーンが。「2」でミヤギ(主人公・ダニエルの空手の師)が故郷の沖縄へダニエルを連れて戻った際、道場に飾られている人物画が誰か尋ねたダニエルに、初めて沖縄に空手を伝えたミヤギ・シンポー先生だと答えるシーンだ。ミヤギ曰く漁師で酒好きだったミヤギ・シンポーは1625年の或る日、不漁だったため船で酒を飲んで眠り込んでしまって起きたら中国だったそうだが、その10年後に中国人妻と子供2人を連れ空手の奥義を窮めて戻ってきたとのことだった。しかし今作の冒頭で初めてその続きが判明!何とその時シンポーはハン家の世話になってカンフーを教わり、沖縄に戻ってそのカンフーを基にミヤギ道空手を発展させたのだという。ハン家…。見ちゃいないが、リメイク版でジャッキー・チェン(成龍)が演じたカンフーの師範がミスター・ハン…。強引に繋げたなぁ。 ということで今作の主人公はそのミスター・ハンの弟子にして姪孫(姪の息子)でもある高校生のリー・フォン。医師である母親(ミスター・ハンの姪)の転勤で北京から米国ニューヨークに移住したリーは、ピザ店を営む元ボクシングチャンピオンのヴィクター・リパーニの娘で店を手伝っている娘・ミアと仲良くなる。しかしミアの元カレで地元の空手チャンピオンでもあるコナー・デイに目を付けられ、いじめられる羽目に。ある日コナーと対峙したリーは亡き兄から教わった技を繰り出すもあっさり敗北してしまう。 何やかんやあって空手の大会(コナーが前回のチャンピオン)に出場することになったリー。北京から来た師範のミスター・ハンはロサンゼルスのダニエルに助力を求める。ダニエルとミスター・ハンの指導で空手の技を身に着けたリーは大会を順調に勝ち進み、ついに決勝で再びコナンと対峙する――というストーリー。 正直、ストーリーはどうでもいいのである。最後の4分こそ本家「ベスト・キッド」(と「コブラ会」)ファンにとって待ちに待ったお楽しみシーンであった。 主人公リー・フォンを演じたベン・ウォン(Ben Wang、王班)のアクションがとにかくキレッキレ!まぁほぼカンフーなんだけど…。セイディ・スタンリー(Sadie Stanley)演じるミアといい仲になっていくのだが、割とあっさりしてていい感じ。 そのミアの父で元ボクシングチャンピオンで現在はピザ屋を営むヴィクターを演じているのがジョシュア・ジャクソン(Joshua Jackson)。「飛べないアヒル(The Mighty Ducks)」シリーズのチャーリーだ。借金返済のため再びリングに立つことになるのだが、果たしてどうなることやら。 でもって最後の4分に登場するのがダニエルの永遠のライバルにして盟友のあの御方!このラストシーンだけは「コブラ会」を視聴してなければ楽しめないかも。 本家とリメイク版の世界の融合かぁ。私は本家ファンなので、融合してほしくなかった。ジャッキーのカンフー映画は大好きだが、Karate Kidにカンフー要素はいらない。カンフーが入るとアクロバティックになりすぎてしまう。そのぶん見応えは確かにあるけど。 今後シリーズが続くとしても、カンフー混合路線になっちゃうのか…うーん、複雑。
2025.09.02
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戦後80年という節目を迎えた8月15日、地上波で7年ぶりに「火垂るの墓」が放送されたとのこと。「火垂るの墓」は野坂昭如さんの短編小説をスタジオジブリの高畑勲さん監督で昭和63年(1988年)に公開されたアニメ映画なのだが、見てみたい…というか見ておかねば、という思いはあるものの、やはり戦争モノは怖くて悲しいので未だ未見であった。 一応原作の方は既読で、15年前の駄記事には “アニメの方はどのようなものか知りませんが、原作は意外と淡々と綴られており、戦争に対する恐怖は感じませんでした。もうただただ切なかったです。これが野坂さんの実体験に基づいた話だということに胸を締め付けられました” なんて綴っていたりもする。 7月5日の大災難や何かが起こると言われていた8月15日も無事に生き延びることが出来たのは(両日とも何もなかったけど)、偏に「火垂るの墓」を見ずして生を終えるなかれという天からの啓示だと勝手に解釈した私は、勇気を振り絞って先月から国内配信が開始されたNetflixでこの作品を鑑賞すべく、タオルと箱ティッシュを用意して再生トライアングルをポチったのであった。「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ――」 昭和20年の神戸・三ノ宮駅構内。駅舎の柱にもたれて衰弱死した14歳の清太のポケットに入っていた錆びたドロップ缶を見つけた駅員は、無造作に草むらに投げ捨てた。ドロップ缶から出てきたのは小さな骨。骨はひと月前に衰弱死した清太の4歳の妹・節子のものだった。 太平洋戦争末期、神戸に住んでいた清太と節子は6月5日の神戸大空襲で母も家も失い、西宮の叔母宅へ身を寄せる。戦争が進むにつれて二人を邪魔者扱いする叔母との諍いが絶えなくなり、居心地が悪くなった清太は節子を連れて家を出て防空壕の中で暮らし始める。母の遺した貯金はあるものの世間と断絶し、情報も知恵も持たない兄妹は食料調達が困難となり、畑の野菜を盗んだり火事場泥棒を働いて何とかしのいでいたものの、節子は徐々に衰弱していく。節子に栄養のあるものを与えようと清太が銀行から貯金を下ろした際に日本の降伏と敗戦を知り、海軍大尉である父の所属する連合艦隊も壊滅したと知って愕然とする。やっと手に入れた食料を持ち帰って節子に与えるも、終戦7日後の8月22日に節子は衰弱死してしまう。節子を火葬して荼毘に付した翌朝、節子の骨をドロップ缶に納めて山を下り、壕へは戻らなかった――。 冒頭、赤味がかった映像で戦時中の格好(国民服姿)をして正面を見据えた清太が現れて「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」と告げる。清太がふと目線を下げると柱脇手前に設置されている灰皿が一瞬映し出されるもすぐに消え、柱の向こうには天然色のボロボロで衰弱しきった清太の姿が。そのまま清太は息を引き取り、その後駅員がポケットにあったドロップ缶を放り投げると、弾みで蓋の開いた缶から骨が出てきて、再び赤味がかった防空頭巾を被ったモンペ姿の節子も現れる。節子は倒れているボロボロの清太の姿を見て駆け寄ろうとするも国民服を身に纏っている清太に止められてしまう。戦時中姿の二人は電車に乗り、節子が大事そうに持っていたサクマドロップス缶を開けて仲良く一つづつ頬張りながら、車窓に映る無数の爆撃機から投下される焼夷弾に目をやっている。それらは再び天然色となって6月5日の神戸大空襲の場面へとつながっていく。 そして映画の最後、節子を荼毘に付した清太は再び赤味がかった国民服姿となり、モンペ姿で無邪気に駆け寄ってきた節子に「もう遅いからおやすみ」と優しく言い、清太の膝を枕にしてドロップ缶を抱いて眠る節子の傍らで今の神戸の街並みをただじっと見つめるシーンで幕を閉じる。 視聴前に用意していたタオルも箱ティッシュも不要であった(いや、1枚だけティッシュを使ったけど)。お涙頂戴の悲しい物語かと思っていたが、ただただ胸が締め付けられる切ない話であった。原作読了時に綴った “意外と淡々と綴られており、戦争に対する恐怖は感じませんでした。もうただただ切なかったです” という感想そのままであった。 赤味がかった国民服姿の清太とモンペ姿の節子は幽霊であり、二人は昭和20年6月5日の神戸大空襲から同年9月21日に清太が死を迎えるまでの108日間の生き様に繰り返し(かどうか分からないけど)目を向けなければならないのである。清太や節子が力尽きるシーンの悲しさより、死してなお現世に留まって苦しみと悲しみに向き合っていることが何とも痛ましすぎる。1枚だけ使ったティッシュは未だ煉獄から抜け出せない兄妹(兄だけかも)の霊魂に涙したものだった。 昭和20年から24年後の昭和44年8月に私はこの世に生を受けた。24年しか経っていなかったというのに物心がついた頃には既に戦争の面影など微塵もなく、戦争は遠い過去の歴史としか思っていない。たったの24年で。 高畑監督曰く「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない」とのこと。私もこの作品は確かに戦時中の庶民の悲哀が描かれているけれども、反戦がテーマというのは違うような気がする。戦争反対なんて訴えてないしね。監督は心中物として描いたとのこと。成程、清太は何と心中したのだろう…節子?誇り? 「火垂るの墓」は悲しいだけの映画かと今日見るまではずっと勘違いしていた。ただただ切なく、考えさせられる作品だった。戦後40余年間(公開時)に清太が何度も目にした14歳の少年の懸命な生き様を、私も繰り返し視聴して目に焼き付けておきたい。 今年で戦後80年、清太と節子がもう神戸にはいないことを願う。天国だか極楽だかで家族4人、幸せな日々を送っていますように。
2025.08.17
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先月ぼんやりとYouTubeを見ていたら何故かおすすめに「ルパン三世」2ndシリーズ第112話「五右ヱ門危機一髪」があがっていたので、何の気なしに見てみた。「ルパン三世」2ndシリーズは昭和52年(1977年)から昭和55年(1980年)まで放送されていたそうで、当時小学2~5年生だった私はリアルタイムで視聴したうえ再放送も見ており、確かに面白くはあったがそれほど夢中にはならなかった。 ルパンシリーズで見た記憶があるものはTVの第1、第2シリーズと昭和53年(1978年)公開の劇場版「ルパンVS複製人間」、翌昭和54年(1979年)公開の「カリオストロの城」、昭和62年(1987年)発表のOVA「風魔一族の陰謀」、それと平成元年(1988年)から毎年放送されていたTVスペシャルの第1作「バイバイ・リバティー・危機一発!」~平成6年(1994年)放送の第6作「燃えよ斬鉄剣」までぐらいだったように思う。 今回約30年ぶりに見てルパンの面白さ――正確には石川五ェ門の魅力にすっかり開眼してしまったのである。 そこで改めてTVの第1~第6シーズンを見てみて驚いた。五ェ門がこんなキャラになっていたとは!クールな侍だったはずの五ェ門が、何というかちょっぴりお茶目な末っ子キャラに変貌を遂げていたことにビックリ。 そう、私の知っている五ェ門はこういう、大人の色気のある色白侍であった。それが昭和59年(1984年)放送の第3シーズンになると右画像のような姿になってしまい(原作に近いらしいが)ガッカリ。小麦色でケツあごの五ェ門なんて見たくない… …と思っていたら30年後の平成27年(2015年)に放送された第4シリーズ以降の五ェ門は元の色白侍に可愛さがプラス。何だかすっかり愛らしいキャラになっちゃって 最後に見たのが「燃えよ斬鉄剣」だったこともあり、ルパンの声は山田康雄さん、次元大介は小林清志さん、峰不二子は増山江威子さん(第1シリーズは二階堂有希子さん)、銭形警部は納谷悟朗さん、そして五ェ門は井上真樹夫さん(第1シリーズは大塚周夫さん)で慣れ親しんでいたが、今回初めて今の声優さん(栗田貫一さん、大塚明夫さん、沢城みゆきさん、山寺宏一さん、浪川大輔さん)verを見た。声が変わってもルパンの世界観は変わらずひと安心。その中でも大塚さんの次元と浪川さんの五ェ門は全く違和感なし! 平成29年(2017年)に発表されたLUPIN THE IIIRDシリーズ(原作に漂う危険な世界を引き継いだ原点回帰のスピンオフ作品シリーズ)第2作「血煙の石川五ェ門」は、五ェ門が剣豪になるまでの成長を描いた作品で、時系列上はTV第1シリーズ第5話「十三代五ヱ門登場」直後あたりとのこと。 第4シリーズ以降の愛らしさはすっかり消え、陰惨というか惨烈な細マッチョ侍になった五ェ門の壮絶な修行シーンに息を呑んだ。戦闘シーン(50人斬り、“肉を切らせて骨を断つ” ホークとの死闘)はグロテスクでちょっと苦手だが、まぁ刀で戦うってそういうことだわな。五ェ門のあまりの格好良さについAmazonでBlu-rayをポチってしまった。 以前、「一休さん」に登場する新右衛門さんこと蜷川新右衛門さんについて熱く綴ったことがあるが、元々武士やら侍やらが好きなのであるからして五ェ門に惹かれるのも必然であった。ありがとう、TMSアニメYouTube公式チャンネル。この出会いがなければ、五ェ門の魅力に気付かぬまま生涯を終えるところだった。 TVシリーズやTVスペシャル、OVA作品に劇場公開作品までも有難いことに今はいつでもネットで視聴できるので(有料だけど)、このところルパンばかり視聴している。 さて、五ェ門に目覚めるきっかけになった「五右ヱ門危機一髪」(石川五ェ門 ピュアハートセレクション)をもう一度見ようっと。 ♪あ それ わ~いえむしえぃ わ~いえむしえぃ
2025.08.10
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『罪と罰』 オジー・オズボーン 「The Ultimate Sin」 Ozzy Osbourne (86)オジーのロック美学が今、昇華する。ジェイクとオジーの絶妙なコンビ・プレイ。伏して聴け!A面 1. 罪と罰 - The Ultimate Sin 2. シークレット・ルーザー - Secret Loser 3. ネバー・ノウ・ホワイ - Never Know Why 4. サンク・ゴッド - Thank God for the Bomb 5. ネバー - NeverB面 1. ライトニング・ストライクス - Lightning Strikes 2. キラー・オブ・ジャイアンツ - Killer of Giants 3. フール・ライク・ユー - Fool Like You 4. 暗闇にドッキリ! - Shot in the Dark 7月22日にオジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)が死去したとのことで、急遽オジーの邦題アルバムの中で個人的に最も親しみのある86年リリースの4thアルバム「罪と罰(The Ultimate Sin)」を取り上げてみた次第。 アルコールに溺れ、ドラッグに溺れ、鳩やコウモリの頭を嚙みちぎっても、76歳まで生きられたのはスゴい。亡くなった悲しみより、よく今まで生きてたなぁという思いが勝ってしまう。オジーのバンドの初代ギタリストだったランディ・ローズ(Randy Rhoads)と43年ぶりに再会して、あの世で酒を酌み交わしながら思い出話に花を咲かせているだろう。 オジーは68年にブラック・サバス(Black Sabbath)を結成し、70年にデビューアルバム「黒い安息日(Black Sabbath)」をリリース。その後も順調にヒットしていたものの70年代後半には衰退し、77年にオジーが脱退するもすぐに復帰。しかし79年には薬物やアルコール漬けになっていたオジーは解雇されてしまい、ソロ活動を開始することに。 ソロ1作目は80年発売の「ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説(Blizzard of Ozz)」。gに元クワイエット・ライオット(Quiet Riot)のランディ・ローズ、bには一時レインボー(Rainbow)に在籍していたボブ・デイズリー(Bob Daisley)、dsには元ユーライア・ヒープ(Uriah Heep)のリー・カースレイク(Lee Kerslake)を迎え、元々はバンド名が “The Blizzard of Ozz” のはずだったのだが、リリースされたアルバムのジャケットにはオジーの名前がバンド名より大きく書かれており、ブリザード・オブ・オズというタイトルのオジーのソロアルバムのようになってしまったのであった。 81年に2ndアルバム「ダイアリー・オブ・ア・マッドマン(Diary of a Madman)」をリリース。レコーディング終了後、ボブとリーは当時のオジーのマネージャーで後にオジーの妻となるシャロン(Sharon Osbourne)により突然解雇されてしまう。この件やらオジーの常習的な薬物とアルコールへの依存やら何やらが重なって、ランディとオジーの関係が悪化。ランディはレコード会社との契約終了後にバンドを脱退するつもりだったが、82年3月に墜落事故により25歳という若さで突然他界してしまった。 83年には3rdアルバム「月に吠える(Bark at the Moon)」をリリース。原題直訳ながらいい邦題だよね。bのボブが復帰し、dsにトミー・アルドリッジ(Tommy Aldridge)、gはジェイク・E・リー(Jake E. Lee)が今作から参加。よッ、待ってました!しかし、このアルバムは作詞作曲が全曲オジー単独になっているが、ジェイク曰く楽曲のかなりの部分は自分が作曲したものの、マネージャーのシャロンに作詞・作曲・出版の権利を奪われたとのこと。アルバムに関する作詞・作曲や出版の権利を一切主張しないという契約書を提示され、拒否した場合は解雇して別のギタリストに自分のパートを録音させ直すと脅されたため契約書に署名したのだとか。うーん、あのババァならそんな悪辣なことも平気で言いそうな気がする。 そして86年にリリースされたのが4thアルバム「罪と罰」。gのジェイクは前作からの続投だが、bはフィル・スーザン(Phil Soussan)、dsはランディ・カスティロ(Randy Castillo)。前作で痛い目を見たジェイク、今回は作詞・作曲権と出版権を保証する契約書を目の前にするまで、楽曲提供を拒否したという。いいぞ、やったれジェイク! このアルバムで特筆すべきは、ラストを飾るにふさわしい邦題 “暗闇にドッキリ!(Shot in the Dark)”。まさかオジーの曲にこんな可愛い邦題が付いていようとは。 だがしかーし翌87年、アルバムのツアー終了後にジェイクはババァシャロンから突然解雇されてしまった。理由は不明。 オノ・ヨーコさんが苦手過ぎてジョン・レノン(John Lennon)までも苦手になったのと同じく、シャロンが苦手なのでオジーもどうかと思っていたのだが、昨年10月にジェイクが何者かに銃撃を受けた際、「ジェイク・E・リーと離れてから37年になるが、今日彼に起きたことを聞いた衝撃は今も消えていない。また銃による無意味な犯罪が起きた。彼と彼の可愛い娘のジェイドに思いを送りたい。彼が大丈夫であることをただただ願っている」とTMZ(ニュースサイト)に語ったとの記事を見て、ちょっと嬉しかったりして。ごめんよオジー、やっぱりオジーはいいおじさんだったよ。 日本が大災難の話題でもちきりだった7月5日、ブラック・サバス(97年にオリジナルメンバーで再結成していた)は英国バーミンガム・アストンでお別れチャリティコンサート「Back to the Beginning」を開催した。元々パーキンソン病を公表していたオジーは歩行不能となっているため玉座に座って歌い、メタリカ(Metallica)やスレイヤー(Slayer)、ガンズ・アンド・ローゼズ(Guns N' Roses)などのバンドに加えてジェイクやルディ・サーゾ(Rudy Sarzo)等の元オジーバンドメンバーも参加して大成功の大盛況だったらしい。そのラストコンサートから僅か17日後、オジーは自宅で家族に囲まれながら静かに人生の幕を閉じた。R.I.P. Ozzy そんなオジーに哀悼の意を表しつつ、こちらをどうぞ♪ 罪と罰 暗闇にドッキリ! 87年にリリースされたライヴアルバム「トリビュート〜ランディ・ローズに捧ぐ(Tribute)」より クレイジー・トレイン(Crazy Train)
2025.07.24
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84年に公開されて大ヒットした「ベスト・キッド(The Karate Kid)」は「ロッキー(Rocky)」シリーズで知られるジョン・G・アヴィルドセン(John G. Avildsen)が監督を務め、ラルフ・マッチオ(Ralph Macchio)演じるダニエルが引っ越し先で不良グループからいじめられるも、ノリユキ・“パット”・モリタ(Noriyuki “Pat” Morita)演じる空手の達人・ミヤギに空手を教わり、少年空手選手権でウィリアム・ザブカ(William Zabka)演じる不良グループのリーダー・ジョニーを下して優勝するという物語で、86年には続編「ベスト・キッド2(THE KARATE KID, PART II)」、89年にはシリーズ3作目「ベスト・キッド3 最後の挑戦(THE KARATE KID, PART III)」が公開された。 同じ89年にNBCで放送されたアニメ「The Karate Kid」や94年公開のシリーズ4作目「ベスト・キッド4(The Next Karate Kid)」、10年公開のリメイク版「ベスト・キッド(The Karate Kid)」は置いといて、18年には「ベスト・キッド」の公式な続編として製作された「コブラ会(Cobra Kai)」がYouTube Red(YouTube Premium)で配信されるや再び人気を博し、シーズン3からはNetflixに移行して完結編となるシーズン6まで続いた。 ちなみに「コブラ会」というのはジョニー達不良グループが所属していた空手道場で、マーティン・コーヴ(Martin Kove)演じる先生・クリーズは手段を選ばない冷酷非道な男であった。 数年前、「コブラ会」の配信を知って楽しみにちょこっと見てみたのだが、ちょっと思っていたのとは違ったのですぐに見るのをやめた。しかし今回、15年ぶりに「ベスト・キッド:レジェンズ(Karate Kid: Legends)」が公開されるとのことなので再び「コブラ会」を見てみたのだが、これがめちゃめちゃ面白かったのである。どうしてこれをつまらないと思ったのか、以前の自分に問い質したいくらい最高に面白かった。シリーズ3作目までに出演したキャストも多数登場し、お馴染みの場所、懐かしいBGMもふんだんに出てきて、懐かしさで胸がいっぱいになり、とにかく嬉しすぎて配信シリーズ全話65本を一気に見た。 「コブラ会」というタイトルどおり、この配信シリーズの主人公は34年前に少年空手選手権決勝でダニエルに敗れたジョニーだ。酒に溺れ、零落していたジョニーが隣に越してきたショロ・マリデュエニャ(Xolo Maridueña)演じる少年・ミゲルのいじめ現場にたまたま出くわして助けたことから空手を教えて欲しいと懇願され、コブラ会を再興することに。 もう一方の主人公・ダニエルは高級車ディーラー、ラルーソ・オートの経営者として満ち足りた生活を送っていたが、あの悪辣非道なコブラ会が再興したと知って空手への情熱が再燃。コブラ会撲滅のため、ミヤギ道を立ち上げる。そこにクリーズが現れて…というストーリー。 ラルフが好きで見始めたものの、ダメ男のジョニーを演じるウィリアム・ザブカが愛おしすぎて中盤からは良い子のダニエルに何度もイラついてしまった。ジョニーの一番弟子・ミゲルもこれまた愛すべき少年であり、格好よすぎる。 そして更に愛おしいキャラといえば、映画2作目で憎々しい敵役だったユウジ・オクモト演じる渡口チョウゼン!まさかあのチョウゼンがこんなに愛すべきキャラに生まれ変わるとは! 他にもかつてのコブラ会メンバーでジョニーの不良仲間だった面々、映画3作目の敵役だったショーン・キャナン(Sean Kanan)演じるマイク・バーンズやトーマス・イアン・グリフィス(Thomas Ian Griffith)演じるテリー・シルバーなども登場。不良仲間の一人で「Get him a body bag, yeah!」という台詞が印象的だったトミーは19年4月に配信されたシーズン2の1エピソードに出演するも作中で没してしまったが、演じたロブ・ギャリソン(Rob Garrison)も実際に19年9月に59歳で亡くなられたため、これが最後の出演となった。同じく不良仲間だったダッチ役のチャド・マックイーン(Chad McQueen)の姿がなくて残念に思っていたら、昨年11月配信のシーズン6 Part2の6話の最後に追悼メッセージが出てビックリ。体調が優れなくて不参加だったのかしらん…。 また、元はジョニーの恋人だったがダニエルとくっついたアリ役のエリザベス・シュー(Elisabeth Shue)やら、2作目の舞台となった沖縄でダニエルと仲良くなったクミコ役のタムリン・トミタ(Tamlyn Tomita)やらダニエルの歴代GFたちもこぞって登場しており、元気そうで何より。 「コブラ会」については書きたいことが山のようにあるのだが、それにはまず映画を知らないと楽しめないので、いつかの機会にカラテ・キッド祭りでもひっそりと開催することにしよう。 何度見ても面白い、面白すぎる「コブラ会」。Cobra Kai Never Dies !! …しかし「コブラ会」があまりに面白過ぎるので、ひと月前はあんなに楽しみにしていた「ベスト・キッド:レジェンズ」が邪道に思えてくる今日この頃なのであった 7/19追記 深夜のテンションで書き上げた当初、クリーズ先生(Sensei Kreese)をずっとグリース先生と書いておりました。翌朝見返して間違いに気付き、慌てて訂正いたしました。すみません。
2025.07.19
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大災難が危惧されていた7月5日はやはり何も起こらなかった。ノストラダムスの大予言や2000年問題で懲りているはずなのに、心の片隅ではちょっとグレートリセットを期待していたりもした。まぁ何事もなかったおかげでGeoGuessrでゼロゲッサー目指してGoogle ストリートビューとにらめっこする平穏な日々を送れているのだけれど。 その7月5日はザ・ドリフターズのメンバーであった仲本工事さんの誕生日で御存命であれば84歳を迎えられたのだが、残念ながら3年前に他界されてしまった。 子供の頃から大好きなドリフの中では可愛くて面白い加藤茶さんが一押しだったのだが、今更ながら仲本さんの魅力にハマってしまい、過去のコントや映画、音楽映像を見返している。 学習院大学卒で運動神経抜群、ギターも弾けて歌も上手く、めっちゃ有能でありながら決して我を出さずに3番手に徹している姿に惹かれるようになった。子供の頃から加トちゃんと志村けんさんにばかり目が向いていたが、改めて見ると仲本さんが実にいい仕事をしていたのである。 自分が年齢を重ねたせいなのか、ちょっと控えめながらキラリと光る人に魅力を感じるようになった気がする。元々仲本さんのTwitter(X)をフォローしていたけど、ツイートからも優しい人柄が感じられていた。志村さんも生前「優しいのは仲本さん」と語っていたようだし。 仲本さんといえばマックロード(NationalのVHSビデオデッキ)の「コ・マ・オ・ク・リ・モ・デ・キ・マ・ス・ヨ」というCMがおぼろげに記憶に残っているけど、覚えている方は50代以上かしらん…。 ドリフのズンドコ節 ばか兄集 アドリブ集 National マックロードSS CM 20年3月に来日公演が決定していたもののコロナ禍により2度の延期の末に公演中止となったA-ha。22年に拙記事で “再びモートンの生歌を聴く機会が生きてる間にあるのだろうか…” と綴ったのだが、先月、voのモートン・ハルケット(Morten Harket)がパーキンソン病を患っていることが公表された。生命に係る病気ではないにしても心配だ。モートンは心配しないでと言っているけど…。再び生歌を聴く機会はおそらくなくなっただろうが、そんなことよりモートンが心穏やかに日々を送れることを願う。とはいえ音楽活動を止めてしまったわけではないので、今後の音楽制作を心から応援したい。 AHA THE FINAL CONCERT full 今年の夏も相変わらずの猛暑続きで外出する気にもならない。瀬戸内観音霊場巡りも秋というか初冬頃まではおあずけだ。GeoGuessrで時折映し出される寺社をPC画面越しに眺めて我慢しよう。 だがこの猛暑の中、7月18日に公開される『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 』第一章 猗窩座再来』と、8月29日公開の『ベスト・キッド:レジェンズ(Karate Kid: Legends)』は観に行かねば! 嗚呼、なんでTVで放送してくれないんだろう、無限城編。伊黒さんの活躍が観たいだけなのに。伊黒さん大活躍の対無惨戦は何としてもTV放送を望む。何年先になるのか分からないけど。 ベスト・キッド(元々の原題は「The Moment of Truth」だったので、こんなヘンな邦題が付いちゃったのかな?)の方は予習として3年前に出版されたダニエル役を演じているラルフ・マッチオ(Ralph Macchio)の自伝「Waxing On: The Karate Kid and Me」を購入し、現在格闘中。 「Waxing On(ワックスがけ)」という妙なタイトルは、84年公開の第1作「ベスト・キッド(The Karate Kid)」での有名なシーン「Wax on →、Wax Off ←、Paint up ↑、Paint down ↓」から。ダニエルに空手を教えるミヤギがまずは空手の基礎防御の構えを体に叩き込むため、ワックスがけやペンキ塗りといった雑用を命じるシーンだ。 この修行方法はジャッキー・チェン(成龍)の「酔拳」に通じるような…と当時から思っていたが、まさか40年後に共演するなんて!! 7月5日限定ではなく7月中という説もある大災難。果たしてどうなることやら。どうせなら伊東市長の卒業証書(とされるもの)公開までは何事も起こりませんように。学歴詐称は些少なことで、問題は証書の真偽だ。まぁ他市民からしたら偽でも何でもいいのだけれど、ちょっと今後の展開が気になるところ。どうやら同学年のようだけど(平成4年卒)、あの時代ってバブルの余韻もあってみんな遊んでたからなぁ。さぁ本物の卒業証書は出てくるのだろうか、それとも…!?
2025.07.13
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米国では5月30日に公開され、日本では8月29日公開予定の「Karate Kid: Legends(邦題は「ベスト・キッド:レジェンズ」」が楽しみで仕方がない。7月5日に起こると噂の大災難が9月以降にずれ込むことを祈るばかりである…ってまぁ何も起こらないに越したことはないけど。 17年前の08年2月に綴った「ベスト・キッド」で愛してやまない映画5本の内の1本として挙げたくらい、ラルフ・マッチオ(Ralph Macchio)演じるダニエルと、ノリユキ・パット・モリタさん演じる空手の先生・ミヤギの親子のような師弟愛溢れる青春空手ストーリーが大好きだ。84年に公開されて大ヒットを記録し、その後シリーズ化されて計4本製作されたものの、回を重ねるごとに見るも無残なものに…。 そして10年にはリメイク版「ベスト・キッド(The Karate Kid)」が公開されたが、なぜかジャッキー・チェン(成龍/Jackie Chan)がカンフーを教える話に。空手はどこ行った…。 リメイク版は一旦忘れて、18年からはネットドラマ「コブラ会(Cobra Kai)」の配信がスタート!コブラ会というのは、84年公開の「ベスト・キッド」でダニエルくんをイジメていた不良グループのリーダーで少年空手選手権の元チャンピオンだったジョニーが習っていた空手道場の名前で、このドラマの主人公はそのジョニーだ。「ベスト・キッド」の最後でダニエルに敗れてから34年後のジョニーである。ダニエルは勿論、映画版に登場した面々も結構出てきて、結局シーズン6まで続いたのであった。 でもって日本では今夏公開される「Karate Kid: Legends」、本家とリメイク版が(コブラ会もちょっぴり)融合しているという。ということは、そう、「Karate Kid」でありながら空手とカンフーを教えるようなのだ。子供の頃からジャッキーの拳モノは確かに大好きだったけど…ラルフとジャッキーの共演は確かに嬉しいけど…ジャッキーのは空手じゃない ま、それは置いといて更に楽しみなのは、今作にはジョシュア・ジャクソン(Joshua Jackson)も出演しているのである。これまた愛してやまない「飛べないアヒル(The Mighty Ducks)」シリーズのチャーリーだ!嗚呼、何という夢の共演♪ 15歳の時に劇場で「ベスト・キッド」を観た時は確かにめっちゃ感動はしたけど、まさか40年後まで続くとは思ってもみなかった。当時のミヤギさんの年齢を越しちゃったもんなぁ。そのミヤギさんを演じたパット・モリタさんは20年前に亡くなられてしまったけれど、ダニエル役のラルフは60代とは思えぬ若さを保っていて嬉しい。 あまり期待値を上げ過ぎると残念だった時のガッカリ度も爆上がりするけど、それでもやっぱり期待せずにはいられない。とにかく楽しみ。どうか無事でありますように。
2025.06.21
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横溝正史シリーズ 第3作『三つ首塔』 放送日:昭和52年(1977年)5月28日~6月18日(全4回) 第1作が信州・那須で第2作が岡山・高瀬。どちらも架空の田舎町で起こったおどろおどろしい事件であったが、今作の舞台は東京。前2作とは打って変わってお色気シーン(というか何というか…)もたっぷりだ。 ドイツ文学者である上杉誠也教授の還暦祝賀パーティーには、上杉教授が我が子のように可愛がっている姪(亡き妻の妹の娘で、両親亡き後上杉家で暮らしている)の宮本音禰や、音禰の叔父である佐竹建彦らに混じって探偵・岩下三五郎も出席していた。会場にいる岩下探偵に同業の金田一耕助から電話が入る。今日中に事務所の家賃を支払わないと追い出されてしまうという援助の依頼であったが、岩下探偵は快諾。何でも二人の依頼者から同一人物の調査を頼まれており、今日お金が入るとのことで早速金田一探偵も会場に駆け付ける。会場では建彦が連れてきたエロダンサー姉妹のエロダンスが披露されていたが、目のやり場に困り会場を出て地下を歩いていた音禰は怪しい濃い男と出会い、動揺して髪飾りを落として立ち去る。その頃、エロダンサー姉妹の妹・笠原操が何者かに毒殺された。 事件の調査を担当するのは警視庁捜査一課の日和警部。前作「本陣殺人事件」では岡山県警勤務だったが栄転したとのこと。久々の再会を喜ぶ金田一探偵と日和警部であったが、地下でも男の毒殺死体が発見される。死体のそばに音禰の髪飾りが落ちていたことから警察は音禰を疑うも、腕に彫られたおとねとしゅんさくの相合傘を見た建彦が男は高頭俊作だといい、高頭俊作であるならば音禰が犯人であるばずがないと言う。何故なら俊作と音禰は結婚することを条件に、音禰の曾祖父にあたる人の弟である佐竹玄蔵の10億円の遺産を相続することになっていた。ただ建彦も上杉教授も高頭俊作については名前だけしか知らなかったため各々岩下探偵に俊作の捜索を依頼していたのだが、その岩下探偵も地下で死体となって発見される。一方その頃、ショックで横になっていた音禰の元に謎の濃い男が再び現れ、音禰と無理やり関係を持つ。そして濃い男は俊作の従兄弟の高頭五郎だと名乗り、こう告げる。「お前は俺と二人きりの秘密を持った。もう俺から逃れられない。俺はお前を離さない。俺はいつでもお前のそばにいる、影みたいにな」 後日、米国から玄蔵が遺言状を公開するよう言ってきたため、関係のある人々が一同に集まった。関係者の調査に尽力した金田一探偵と調査員の堀井敬三も同席するが、音禰は堀井を一目見て驚く。殺人事件のあった日に抱かれた高頭五郎だったのだ。しかし堀井こと五郎は素知らぬ顔であった。 遺言状の第1の条項は、佐竹玄蔵の遺産280万ドル(1ドル360円として10億円)を全て宮本音禰に送る。但し高頭俊作と結婚することが条件だが、高頭俊作は先日死亡した。第2の条項として、第1の条項が不可能な場合、10億円は血縁の7人に等分に分ける。玄蔵が亡くなるまでにその人数が減ったら、残った人数で等分に分ける。一人でも減ると分配される遺産は多くなる――というものであった。 その7人は宮本音禰、ヤミ屋の佐竹建彦、エロダンサー姉妹の姉・笠原薫と妹・笠原操(操は先日死亡)。バーのマダム・島原明美、金粉ショーダンサー(?)姉妹の根岸蝶子と根岸花子、SMダンサー(?)の佐竹由香利という、音禰以外は揃いも揃って怪しい連中ばかり。世間知らずの箱入り娘である音禰に彼女たちの本性を見せるべく五郎が音禰を連れ出して彼女たちが働くいかがわしい店に出入りするうち、音禰の回りで次々と相続に関わる人達が殺されていく。 この連続殺人は三つ首塔に起因していた。70年前、玄蔵は武内大弐という男を殺し、玄蔵の殺人の罪を着せられて打ち首になったのが高頭俊作の祖父・高頭省三だった。三つ首塔は玄蔵、大弐、省三の3人の首像を祀った塔であった。 何やかんやあり、殺された島原明美のツバメだった古坂史郎が持っていた三つ首塔の古写真裏には播州邑鹿郡と記されていた。音禰と五郎は早速兵庫県にある三つ首塔へ向かうも、意外な人物が待ち受けていた。そして上杉教授(と後を付けていた金田一探偵)も三つ首塔へと向かった――。 前作「本陣殺人事件」の最後で日和警部が金田一探偵に瀬戸内でとれた美味しいイイダコを手渡していたが、今作で再会した際に金田一探偵が開口一番「あん時土産にいただいたイイダコ、美味かったぁ」と御礼を言うシーンにほっこり。舞台が東京に移ろうとも相変わらず日和警部の岡山弁が聞けて嬉しい。 清楚で可憐な箱入り娘・音禰を演じている真野響子さんは置いといて、他のキャストは濃ゆいメンツがズラリ。 謎の濃い男・高頭五郎(実は…)役は黒沢年雄さん。顔も胸毛も濃すぎる。佐竹建彦役を飄々と演じている米倉斉加年さんや、根岸蝶子と花子の愛人にして支配人の志賀雷蔵を演じた小松方正さんのクセのある演技が素晴らしい。でもって蝶子と花子の金粉ショーも時代を感じさせてくれる。同様に建彦が連れてきたエロダンサー姉妹のエロダンスがこれまた昭和の香りがプンプン。エロダンサー姉妹の姉・笠原薫役の丘ナオミさん(当時の芸名は岡尚美さん)はそれまで日活ロマンポルノに数多く出演されていたようだ。 更に佐竹由香利の養父でありながら由香利とデキている鬼頭庄七役には小池朝雄さん。小池さんといえば何といっても「刑事コロンボ(Columbo)」でコロンボ役を演じたピーター・フォーク(Peter Falk)の吹替でお馴染み。その小池さんにSMショーで生乳を揉まれる由香利役の大関優子さんとは、佳那晃子さんの旧芸名だ。昭和56年(1981年)公開の「魔界転生」で佳那さんが演じた細川ガラシャ夫人はエロかったなぁ。 …と、ここまでのキャストが濃ゆすぎて古坂史郎役を演じたピーターさんの影が薄い。結構重要な役どころなんだけどね。
2025.06.17
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横溝正史シリーズ 第2作『本陣殺人事件』 放送日:昭和52年(1977年)5月7日~5月21日(全3回) 横溝先生の戦後最初の長編推理作品であり、日本家屋には不向きとされていた密室殺人を初めて描いた作品として知られる。また、探偵・金田一耕助の初登場作品でもある。 本陣とは江戸時代以降、街道の宿場町におかれた大名や公家、幕府役人の宿泊や休憩の場として利用された建物のこと。 昭和23年初春。舞台は岡山県。 備中高瀬駅で下車した怪しげな3本指の男が駅前の店で水を飲み、一柳賢蔵を乗せた車とすれ違う所からドラマが始まる。 薩摩の島津家や長州の毛利家も宿泊したという旧本陣の末裔にして由緒ある一柳家の屋敷で、長男・賢蔵と久保克子の婚礼が内輪のみでしめやかに執り行われていた。一柳家からは賢蔵の母・糸子、弟・三郎、妹・鈴子、叔父・伊兵衛が、久保家からは両親を亡くした克子を父親代わりに育てた叔父の銀造と、その銀造が金を出して大学にやり、克子は妹みたいな存在だという金田一探偵が出席。酒に酔った伊兵衛が「ここは一柳家じゃ。13代続いた本陣にお前ら小作人の姪っ子が嫁にくるなんてとんでもない!」と銀造に絡む一幕もあったが、何とか滞りなく式は終了。一同お開きとなり、降りしきる雪の中、新郎新婦は離れ家に移動した。 一柳家の一室で眠る銀造の横で読書に耽っていた金田一探偵が眠気に襲われて懐中時計を見ると、午前4時15分を指していた。次の瞬間、離れの方から琴やら何やら妙な音が聞こえてきた。妙な音を不審に感じた一同が離れに向かうも、門や雨戸は中からかぎが掛かっており、庭には日本刀が地面に刺さっていた。雨戸を壊して中に入ってみると、賢蔵と克子は布団の上で血まみれになって折り重なるように死んでいた。金田一探偵はすぐさま離れをくまなく確認したが犯人の痕跡等は玄関の靴跡と金屏風に血で付けられた3本の線ぐらいで、離れは完全なる密室であるうえ、降り積もった雪の上には犯人の逃走した形跡も見られなかった――。 横溝先生は太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)春から約3年半の間、岡山県吉備郡岡田村(現・倉敷市真備町岡田)で疎開生活を送っており、本作はその疎開宅で執筆されたそうな。疎開宅の近くには一柳家のモデルとなった家もあったそうで、その屋敷は元々川辺村で本陣を構えていたが明治になって川辺村を引き払い、その子孫の一家が岡田村に移り住んでいたのだとか。 ドラマでは3本指の男が備中高瀬駅で下車していたり、高瀬警察署が登場したりするが実際には高瀬という地名はなく、原作で金田一探偵が初登場の際に降り立ったという「清―駅」は岡山県総社市の清音駅だ。原作には他にも「高—川」「川—村」「岡—村」といった伏字の地名が出てくるようで、いずれも「高梁川」「川辺村」「岡田村」というように疎開宅付近に実在する地名である。 この事件を担当した岡山県警の日和(ひより)警部を演じているのは倉敷市出身の長門 勇さん。なので台詞の岡山弁に全く違和感がない。だが日和警部は原作には登場しない、ドラマだけのオリジナルキャラだそうな。 でもって県警本部長役はまさかの “スガカン” こと菅貫太郎さん。時代劇好きにはお馴染みの非常にクセのある役者さんで、今作でも登場シーンは少ないながらもやけに印象に残っている。 本部長と金田一探偵とは以前から面識があるらしく、本部長が前年までいた大阪で迷宮入りした難事件を次々と解決して自分たち警察の者を大いに啓発してくれたということで、今回の事件も協力を仰いだようだ。 第1回の終盤、警察の会議の席で金田一探偵は3本指の男の実在に疑問を投げかける。そこへ新たに3本指の男がまた現れたとの知らせが入り、驚いて顔を見合わせる金田一探偵とスガカン本部長。 ちなみに本部長は京大出身とのこと。殺された一柳賢蔵の弟・三郎が京大大学院に在学中で、賢蔵も大阪の大学で週に1回哲学の講義をしているというインテリ兄弟である。このインテリ兄弟を演じているのが佐藤 慶さんと荻島真一さん。本当にいいキャスティングだなぁ。あと、どうでもいいけど久保銀造と金田一探偵が「耕さん」「おじさん」と呼び合うのもちょっとほっこり。 日和警部と同じくドラマだけのオリジナルキャラといえば、金田一探偵事務所に勤めているおばちゃん・かねさん。第1作から登場している。今作でも金田一探偵のお供で来たものの、一晩だけ一柳家に泊まって翌朝早く帰京した。その野村昭子さん演じるかねさんが金田一探偵を知らない地元連中(一柳家の元小作人)に言い放つ。「岡山なんか田舎なんですね!金田一先生、御存知ないんだから。東京じゃ有名なんですよ、あの先生は。新聞にも載るしラジオにもお出になるし。尤も皆さん、ラジオをお持ちかどうか知りませんけど。あははは…」 おっしゃるとおり、岡山なんか田舎です。なので岡山が舞台の作品が多いというだけで横溝正史シリーズが大好きなのです。あと古谷さんの魅力とね。
2025.06.09
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横溝正史シリーズ 第1作『犬神家の一族』 放送日:昭和52年(1977年)4月2日~4月30日(全5回) 古谷一行さんが初めて金田一耕助を演じた記念すべき作品。のっけから金田一耕助探偵事務所が入っているビルの屋上で逆立ち歩きする、当時30代前半だった古谷さんが若々しくて格好いい! 昭和22年。舞台は信州・那須。 「信州財閥の巨頭・犬神佐兵衛が波乱にとんだ81年の生涯を終えるところから犬神家の恐ろしい運命が幕を開ける。犬神佐兵衛は17歳の時にこの地に流れ着き、裸一貫から数十億の犬神財閥を築き上げたが、何故か生涯正式に妻を娶らず、ここに集まった一族も3人の妾の娘たちとその婿や孫たちである」 というおどろおどろしいナレーションとともに映し出されるのは、死に瀕している犬神佐兵衛の枕元を囲む、3人の妾が各々産んだ娘である未亡人の長女・松子、次女・竹子と婿の寅之助並びに息子の佐武(すけたけ)と娘の小夜子、三女・梅子と婿の幸吉並びに息子の佐智(すけとも)の姿で、彼らは皆佐兵衛の口から発せられる遺言を待っているのであった。遺言状を預かっていると告げる古舘弁護士に早く発表するよう娘たちが促すも、佐兵衛の意思により松子の一人息子・佐清(すけきよ)が復員してから開封・発表されるとのこと。同じく佐兵衛の意思により犬神家の財産目録をこの場で発表するよう仰せ付かった古舘弁護士が長々と財産目録を読み上げる中、佐兵衛は恩人の孫ながら若くして両親を亡くして犬神家に引き取られた野々宮珠世を呼び寄せる。「斧(よき)、琴、菊…」との呟きを最後に佐兵衛は息を引き取る。 古舘弁護士の助手であり、佐兵衛の遺言を公開前に知り得た若林さんから「近くこの犬神家の一族に容易ならざる事態が、佐兵衛翁の遺言を巡って一族の血みどろの争いが起こるやもしれず…」との手紙を受け取って那須にやって来た金田一探偵であったが、依頼者である若林さんは金田一探偵の宿泊先のホテルで毒殺された。同日、佐清復員の知らせを犬神家から受けていた古舘弁護士は改めて金田一探偵に依頼し、遺言状発表の場に同席するよう求めた。 そして遺言状の発表当日、松子と共に現れた頭巾姿の佐清に対して息を呑む一同。本人確認のため頭巾を取るよう要求された佐清の、能面のような異様な白仮面顔にも驚愕。更に仮面の下の戦争で焼け爛れた素顔には誰もが慄きを隠せなかった。 一同の前で古舘弁護士が読み上げた佐兵衛の遺言はというと「一、犬神家の全財産並びに全事業の相続権を意味する犬神家の三種の家宝 “斧、琴、菊” は次の条件の下に野々宮珠世に譲られるものとす。 一、野々宮珠世はその配偶者を犬神佐兵衛の3人の孫、佐清、佐武、佐智の中より選ばざるべからず。その選択は野々宮珠世の自由なるも、もし珠世にして3人のうち何人とも結婚することを希望せず、他に配偶者を選ぶ場合は珠世は “斧、琴、菊” の相続権を喪失するものとす。 一、野々宮珠世はこの遺言状が公表されたる日から数えて3ヶ月以内に配偶者を選ぶこと。もし相手が結婚を拒否する場合には、その者は犬神家の相続に関するあらゆる権利を放棄せしものと認む。したがって3人が3人とも珠世との結婚を希望せざる場合、或いは3人が3人共死亡せる場合においては、珠世は第3項の義務より開放され、何人と結婚するとも自由とす。 一、もし野々宮珠世が相続権を失うか、或いはまたこの遺言状を公表以前に死亡せる場合には、犬神家の全事業は佐清によって相続され、犬神家の全財産は公平に5等分され、その1/5ずつを佐清、佐武、佐智に与え、残りの2/5を青沼菊乃の遺子・青沼静馬に与えるものとす。但し、その際分与を受けたる者は各自の分与額の2割ずつを犬神ほうこう(奉公?)会に寄付すること」 相続権が他人の珠世に渡ること、そして佐兵衛の愛人だった青沼菊乃の息子・静馬にも相続が及ぶと知った3姉妹の憎悪と怒りは頂点に達する。そんな中、佐武が惨殺されて生首を菊人形として晒され、絞殺された佐智の首には琴糸が巻き付けられていた。そして後日湖から二本足をにょきっと出した姿で発見された佐清らしき遺体にはスケキヨ(ヨキケス)との文字が書かれていた――。 この放送の半年前に公開されて大ヒットした映画版「犬神家の一族」は市川 崑さんが監督と脚本を務め、金田一耕助役の石坂浩二さんや松子役の高峰三枝子さん、佐兵衛役の三國連太郎さん等の豪華出演者に加え、原作者の横溝正史さんも特別出演していたりと、とにかく豪勢な作品だったが、ドラマ版も決して負けてはいない。 古谷さんの温かみのある演技が抜群なのは言うに及ばず、松子役の京マチ子さんの凛とした佇まいや、古舘弁護士役の西村晃さんのどこか飄々とした感じだとか、見応え十分である。 横溝さんも原作に忠実で構成もしっかりして映画に劣らぬ豪華キャストのドラマ版にすっかり満足されたという。約2時間半の映画に比べてドラマは1時間×5回分と長い時間を取っている分、丹念に描かれていると思われる。原作未読なので詳しくは知らないけど。 この事件を担当する那須警察署の橘署長を演じているのはハナ肇さん。ハナさんが出演した「横溝正史シリーズ」は今作だけだが、昭和58年(1983年)から放送された「名探偵・金田一耕助シリーズ」では再び古谷さん演じる金田一探偵の良き相棒としてハナさんが亡くなった平成5年(1993年)まで出演している。 個人的には佐智を演じた松橋 登さんの出演が嬉しい。元々TVドラマにもちょくちょく出演されているのだが、松橋さんといえば昭和57年(1982年)10月から約1年半NHKで放送された人形劇「三国志」で孫権や孫策、趙雲などの声を担当したり、「ラストエンペラー(The Last Emperor)」で清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀役を演じたジョン・ローン(John Lone)や、「愛人/ラマン(L' Amant)」「楽園の瑕(東邪西毒)」などでのレオン・カーフェイ(梁家輝)の吹替でお馴染み。 この「犬神家の一族」での松橋さん…いや佐智は従妹の小夜子とデキていながら珠世を薬で眠らせて手篭めにしようとするも謎の復員兵が現れて失敗、挙句の果てに何者かに殺されて “斧、琴、菊” の見立て殺人の “琴” に絡めて琴糸を首に巻き付けられた状態で発見されるという気の毒な青年である。佐武が菊畑に晒された生首となって発見された際にはほんの数秒映ったぐらいであったが、佐智の死体は松橋さん自身が演じてらっしゃるので結構長く映っており、結構美形な方なので半裸死体も美しい。金に目の眩んだ底意地の悪い女である梅子役を好演している小山明子さんの美しさも相まってついついうっとりと見てしまう。 横溝正史シリーズで忘れられないのが、茶木みやこさんの主題歌「まぼろしの人」だ。曲も歌声も何だか地味っぽくてドラマと合っている気はしないのだが、妙に記憶に残る歌なのである。あの人は幻だったのでしょうか~♪ まぼろしの人 - 茶木みやこ(タイトルclickでYouTubeへGo!) 「犬神家の一族」は横溝作品としては最も映像化回数が多い作品らしい。何といっても佐清マスクと湖から突き出た足のインパクトが強すぎる!とはいえ斧で頭を割られて湖に頭から突っ込まれて無残で滑稽な死体を晒される羽目になったのは、物語の全容を知れば何度見ても溜飲が下がる。 でもって横溝作品といえば犯人の切なくも美しい最期なのだが、この作品の犯人もそれはそれは悲しく美しいのである。金田一探偵に謎を解き明かされた犯人は「あなたが心の優しい探偵さんなので本当に助かりました。お礼を言います」と最後に告げ、橘署長に支度をしてまいりますと言って自室に籠るや紅を引き、着物に香を焚きこめ、毒入り煙草を燻らせて人生の幕を引いた。
2025.06.07
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前回「横溝正史シリーズ」と題して古谷一行さんが名探偵・金田一耕助を演じたTVドラマについて書いたが、より詳しく取り上げたいと思い直し、前回の記事を「古谷一行さんの横溝正史シリーズ」と改題し、新たに「古谷一行さん(横溝正史シリーズ)」というカテゴリーを設けた次第。 岡山県民としては美しくも陰惨な連続殺人事件であったとしても地元が舞台の話はやはり嬉しいものであり、劇中で行き交う岡山弁には心が和んだりもする。 横溝作品は映画のおどろおどろしさもいいが、やはりTVシリーズの方が格段に好きだ。TVシリーズ最大の魅力は人間味溢れる金田一耕助役を演じた古谷一行さんによるもので、古谷さんが演じた金田一耕助があまりにも素晴らしすぎて、他のどの役者が金田一役を演じても違和感を覚えてしまう。 そんな魅力的な古谷さんも3年前に他界されてしまった。奇しくも古谷さんの命日である8月23日は悲しいかな私の誕生日でもあるため、一つ年齢を重ねる度に古谷さんを偲んでいる。 さて、古谷さんが金田一探偵を演じたのは昭和52年(1977年)4月~10月に放送されたTVドラマ「横溝正史シリーズ(6作品)」、昭和53年(1978年)4月~10月放送の「横溝正史シリーズII(9作品)」、そして昭和58年(1983年)2月~平成17年(2005年)7月に放送された「名探偵・金田一耕助シリーズ(32作品)」の47作品と、昭和54年(1979年)公開の角川映画「金田一耕助の冒険」の計48作品。 「横溝正史シリーズ」の15作品は当時30代前半だった古谷さんが溌溂と演じた金田一探偵が大好きで、再放送を何度も見た。有難いことにアマプラ(Amazon Prime Video)でシリーズ全15話が視聴できるので(一部は有料のKADOKAWAチャンネル)、復習もバッチリだ。次回からはこの15作品を順に取り上げていきたい。
2025.05.31
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横溝正史さんの小説に登場する名探偵・金田一耕助役は今まで数々の役者さんが演じてきたが、断トツで古谷一行さんの演じる金田一探偵がイメージにピッタリで大好きだ。横溝先生もやはり古谷さんを気に入っていたという。 古谷さんが金田一探偵を演じたのは昭和52年(1977年)4月~10月に放送されたTVドラマ「横溝正史シリーズ(6作品)」、昭和53年(1978年)4月~10月放送の「横溝正史シリーズII(9作品)」、そして昭和58年(1983年)2月~平成17年(2005年)7月に放送された「名探偵・金田一耕助シリーズ(32作品)」。中でも「横溝正史シリーズ」は昔から再放送される度に見ていたし、大人になってからも時折ネットで視聴するくらい大好きなのである。 「横溝正史シリーズ」第1作は「犬神家の一族」。 古谷さんが初めて金田一探偵を演じた作品で、初放映時の最高視聴率は40.2%だったそうな。 那須湖畔を舞台に、莫大な遺産相続をめぐって家宝の「斧(よき)、琴(こと)、菊(きく)」による見立て殺人が起こる。 第2作は「本陣殺人事件」。 横溝先生の戦後最初の長編推理作品で、金田一耕助シリーズの第1作目でもある。 岡山県の旧本陣の末裔・一柳家の屋敷で起こった密室殺人事件で、日本家屋での密室殺人を描いた初めての作品といわれる。 「横溝正史シリーズ」のラスト第6作が「悪魔の手毬唄」。 岡山と兵庫の県境にある鬼首村で、“桝ではかって漏斗で飲んで~♪” という手毬唄の歌詞に沿って起こる殺人事件。 鬼首村の地形上のモデルは、横溝先生が3年間疎開していた岡山県吉備郡岡田村の桜集落であるらしい。 「横溝正史シリーズII」の第1作は「八つ墓村」。 数奇な運命に生まれた青年が400年に亘る怨念が息づく生地・八つ墓村を訪れ、続発する血腥い殺人事件にまきこまれる。 冒頭の「村人32人殺し」は昭和13年(1938年)に岡山県で起こった「津山三十人殺し」を元にしている。 第2作は「真珠郎」。 真珠郎はどこにいる。 目もあやに飛び交う無数の蛍火に包まれた絶世の美青年、真珠郎。その真珠郎が女のような真っ白な手を血に染めて恐るべき惨劇を繰り返す。(アマプラより) 原作に金田一探偵は登場しない。真珠郎がとにかく印象的。 第4作が「不死蝶」。 「本陣殺人事件」や「八つ墓村」、この「不死蝶」の画像で古谷さんの金田一探偵と一緒に写っているのは長門勇さん演じる日和(ひより)警部。ドラマのオリジナルキャラで、岡山以外で起こった事件でも何故か登場する。 07年12月の「横溝正史」という駄記事で、“「病院坂の首縊りの家」は何となくタイトルがこおおて(怖くて)映画を見たことも原作を読んだこともねえ” と書いたが、金田一耕助最後の事件であり、単に古谷さん見たさもあって「名探偵・金田一耕助シリーズ」第16作を恐る恐る見てみたら…意外とというかやっぱりというか怖くなかった。 横溝作品の映画はちょっとおどろおどろしいけど、ドラマだとどんなにグロテスクな殺人事件でも不思議と怖さはないのよね。古谷さんの魅力が怖さを中和してくれるのかしらん。
2025.05.24
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『ギター殺人者の凱旋』 ジェフ・ベック 「Blow by Blow」 Jeff Beck (75) ☆唸る。泣く。炸裂する。三たびベック・イズ・バック! BBA解散する事早や2年。ピッキング、フィンガリング スライディングにビブラート。ジェフのギターが唸りをあげる ロックギター史上燦然と輝く最高傑作完成!!A面 1. 分かってくれるかい - You Know What I Mean 2. シーズ・ア・ウーマン - She's A Woman 3. コンスティペイテッド・ダック - Constipated Duck 4. エアー・ブロワー - Air Blower 5. スキャッターブレイン - ScatterbrainB面 1. 哀しみの恋人達 - Cause We've Ended as Lovers 2. セロニアス - Thelonius 3. フリーウェイ・ジャム - Freeway Jam 4. ダイヤモンド・ダスト - Diamond Dust 23年にRolling Stone誌が発表した「The 250 Greatest Guitarists of All Time」で5位に選ばれた英国のギタリスト、ジェフ・ベック(Jeff Beck)。彼が75年にリリースした初めてのソロアルバムの邦題が「ギター殺人者の凱旋(Blow by Blow)」である。…ん?ギター殺人者? ギター殺人といえばAC/DCの「ギター殺人事件 AC/DC流血ライブ(If You Want Blood You've Got It)」が思い浮かぶが、も…もしかしてアンガス(Angus Young)の土手っ腹にギターで風穴を開けたのはジェフ・ベックだったりして!? 殺人事件はさておき、「ギター殺人者の凱旋」は原題にも曲名にも一切それらしい言葉はなく、謎に満ちた邦題で強烈なインパクトを与えてくれたのだが既に邦題は闇に消え去り、今は原題どおり「ブロウ・バイ・ブロウ」となっている。この邦題はどうやら宣伝用ポスターだかに書かれていた「The Return of Axe Murderer」を直訳したものらしい。axeはスラングでギターの意味もあるのだとか。 ジェフは65年に知己であるジミー・ペイジ(Jimmy Page)の紹介でエリック・クラプトン(Eric Clapton)の後任としてヤードバーズ(The Yardbirds)に加入。翌66年にはジミーも加入してツイン・リード編成となるも12月にジェフが脱退。 67年にジェフ・ベック・グループ(The Jeff Beck Group)を結成し、69年に一度解散するも70年に再結成。しかし72年に再び解散して今度はベック・ボガート & アピス (Beck, Bogert & Appice。BBA)を結成。スタジオアルバムとライヴアルバムを1枚ずつ出したものの、2枚目のスタジオアルバム完成前の74年に解散してしまった。 そして75年にリリースされたジェフの初ソロアルバム「ギター殺人者の凱旋」は全てインスト(インストゥルメンタル)ながら、米国のBillboardチャートで4位を記録する大ヒットとなった。 このアルバムをプロデュースしたのはビートルズ(The Beatles)のプロデューサーとしてよく知られるジョージ・マーティン(Sir George Martin)。A-2に収録されている “シーズ・ア・ウーマン(She's A Woman)” はビートルズが64年にリリースしたシングル “アイ・フィール・ファイン(I Feel Fine)” のB面曲で、B面ながらBillboardチャートで4位になったのだとか。 “哀しみの恋人達(Cause We've Ended as Lovers)” と “セロニアス(Thelonius)” の2曲を提供しているのはスティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)で、“セロニアス” ではノンクレジットながらクラビネットを演奏しているそうな。 既に葬られた邦題ながら、邦題界では未だ語り継がれる「ギター殺人者の凱旋」。一応全曲聴いてはみたが、個人的にインスト曲はあまり好みではないので特に可もなく不可もなくといったところ。勿論ギターの腕は一級で素晴らしいアルバムなのだけど、もうちょっと賑やかな音楽の方が好みかな。 そんなジェフ・ベックに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ シーズ・ア・ウーマン 哀しみの恋人達 セロニアス
2025.05.03
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重野なおきさんの新刊漫画「真田魂」5巻と「軍師 黒田官兵衛伝」7巻が4月28日に同時発売された。どちらもKindle版で全巻購入している。 3ヶ月前に「雑兵めし物語」3巻と「殺っちゃえ!! 宇喜多さん」2巻、「信長の忍び」22巻が同時発売された時にも書いたが、今回の「真田魂」「軍師 黒田官兵衛伝」、そして「殺っちゃえ!! 宇喜多さん」や大好きな「明智光秀放浪記」など、重野さんの作品はどれも「信長の忍び」の延長線上にある作品群なのである。 ということを知ってはいたが、実は「信長の忍び」だけ未読で、ちょっぴり興味はそそられるものの今から22巻読むのは金銭的にもキツい――。 と思っていたら、403話(1~21巻全話+22巻の1話目まで)を無料で公開していた。知ったのが4月29日で、公開は5月1日11:59までとのこと。4月30日も5月1日も仕事なので、29日のうちに何とか無料公開403話を読むことができた。 嗚呼、やっぱり重野作品の根幹をなしている「信長の忍び」は面白い。アニメ化も納得。とはいえ正直、主人公の忍びの女の子はどうでもいい。架空のキャラクターはいらない。…あ、でも最も好きな作品である「雑兵めし物語」の主人公・作兵衛も架空のキャラだわ… 重野さんの作品に登場するキャラクターの、個人的お気に入りTOP3はというと1位 滝川一益 織田四天王の一人で、関東管領に任じられた(かどうかは定かではない)有能な武将。「進むも退くも滝川」と言われるほど戦においても有能。「真田魂」とかではそこそこよく描かれているが、「信長の忍び」では “忍びアレルギー” を発症して見せ場は少なかった。2位 明智光秀 これまた織田四天王の一人で有能な武将なのだが、何といっても本能寺で主君・織田信長を討ち、長男・信忠をも自刃に追いやったことで知られる。「信長の忍び」では主にツッコミ担当だが、「明智光秀放浪記」の光秀は優しくてまっすぐで、ちょっとおとぼけでもあって本当に愛おしい。ねこぢるさんを彷彿させるクリクリお目目も不気味でかわいい。3位 竹中半兵衛 美濃の斎藤義龍・龍興に仕えていたが、のちに羽柴秀吉の参謀として活躍。体が弱く、“その容貌、婦人の如し” との記録がある。「軍師 黒田官兵衛伝」や「信長の忍び」でもいつも血を吐いていたり、ちょっとのことですぐ骨折したりする。何かで見たアニメ「信長の忍び」の人気投票では2回連続で首位だった。納得。 他にも鉄砲傭兵集団である雑賀衆の雑賀孫市(若干絵柄が滝川さんに似てる)や、光秀の友人で歌道の古今伝授を受けた当代随一の教養人・細川藤孝(口調が全て歌になっている)などもキャラクター的にはお気に入り。ストーリーとしては「真田魂」で描かれている小田原北条氏5代目・北条氏直や武田氏第17代当主・武田勝頼の切ない最期が印象に残っている。 重野さんの作品はキャラクターがみんな可愛くて楽しいうえで、物語の本筋はきちんと史実に沿っているから歴史好きには本当に嬉しい。どのキャラクターにも作者の愛情が感じられて、嫌なヤツもいないし。 403話も無料公開してくれて本当に有難かったが、そこまで読んだら当然続きも読みたくなるわけで。というか、やっぱり全巻購入していつでも読みたくなってしまうわけで。うーん、敵もさる者引っ掻くものよのぉ。うきーッ! ま、しばらくはネットに転がっているアニメ版「信長の忍び」でも見ていよう。一益さん役は諏訪部順一さん、声が予想以上に格好いい♪ 声がいいといえば、孫市さん役はまさかの津田健次郎さんだ。他にもエロじじい・松永久秀役の井上和彦さんだとか、“攻めの三左” こと森 可成役に関 智一さんだとか無駄に豪華だったりして。更に、塚原卜伝に剣や兵法を学んだ剣豪にして伊勢国司北畠家の第8代当主・北畠具教のおデブな息子・具房役は落合福嗣くん。福嗣くんは具房以外にも今川義元の嫡男のアホぼん・氏真役やら三好三人衆の一人である三好政康役、美濃三人衆の一人・安藤守就役など様々なキャラの声を担当していてビックリ! …いや、福嗣くんのことは置いといて、とにかく重野さんの一連の戦国ギャグ漫画にすっかり夢中の今日この頃だったりする。まさか今頃になって滝川一益について調べまくる日が来るとは思わなかった。一益さんの生誕は大永5年(1525年)だそうで、今年は奇しくも生誕500年の記念すべき年だったりする。 一益さんの三男だか五男だかの辰政は始め織田信包に仕えたが、その後浅野長政、石田三成、小早川秀秋に仕えて最終的には姫路藩主・池田輝政に仕えたそうだが、岡山藩池田家の番頭を代々務めた備前滝川家の初代でもあるらしい。どういういきさつかは分からないけど。まぁ一益さん自身とは縁も所縁もないが、一益さんの血が岡山でも脈々と流れていたというのはちょっぴり嬉しい。 現在連載中の「信長の忍び」、今は本能寺の変あたりらしい。あのお茶目な光秀がどうなっているのかめっちゃ気になる…。ちなみに信長亡き後、織田家の後継者問題を決める清須会議に出席できなかった一益さんは、ここから一気に坂道を転げ落ちるかの如く悲惨な晩年を送ることになるのであった。
2025.05.01
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『偏頭痛のための11のダンス療法』 アクサク・マブール 「Onze Danses Pour Combattre la Migraine」 Aksak Maboul (77) マーク・オランデル率いるベルギーのチェンバー・ロック・バンド、アクサク・マブールの1977年発表のデビュー作。エリック・サティやZNR等に通じる、アコースティック楽器とエレクトロニクスが不思議に融合する摩訶不思議な空間。今、チェンバー界の古典として歴史に残る名盤。紙ジャケット、SHM-CD、最新リマスター、ボーナス・トラック3曲収録の決定版的内容!CD01. 水曜日の朝 - Mercredi Matin02. キュウリでジャングルからおびき出されるの巻 - (Mit 1) Saure Gurke (Aus 1 Urwald Gelockt)03. 包帯を巻かれた動物たち - Animaux Velpeau04. ミラノでの場合 - Milano per Caso05. ファウスト・コッピ 到着! - Fausto Coppi Arrive!06. 歌は健康に良し - Chanter est Sain07. あほの息子 - Son of l'Idiot08. ダブル・バインド・ベイビー - DBB (Double Bind Baby)09. クイーク・ステップ - Cuic Steppe10. 外にあるものはなんでも - Tout les Trucs qu'il y a là dehors11. 羊飼い - Ciobane12. ザ・ムーチ - The Mooche13. ヴァポナ、接着剤じゃないよ - Vapona, Not Glue14. 一瞥 - Glympz15. 3つの癲癇的フォーク・ダンス - Three Epileptic Folk Dances16. キメて最高! - キメて1年後(ライヴ) - Mastoul Alakefak - Mastoul, One Year Later (Live)17. 我々が言ったように - Comme on a ditBonus Track18. 宇宙の親指ピアノ (カリンバ) - Likembes In Space19. 牧神パンもどき - Quasi Bou Jeloud20. キメて最高!即興 - Mastoul Alakefak Improv 「偏頭痛のための11のダンス療法(Onze Danses Pour Combattre la Migraine)」は1977年にマーク・オランデル(Marc Hollander)とヴィンセント・ケニス(Vincent Kenis)によって結成されたベルギーのアヴァン・ロック・バンド、アクサク・マブール(Aksak Maboul)が同年リリースしたデビューアルバムで、結構インパクトのある邦題はほぼ原題直訳だったりする。 アヴァン・ロック(Avant-rock)はエクスペリメンタル・ロック(Experimental rock)ともいうロックのサブジャンルで、一般的な作曲と演奏のテクニックの限界を押し広げたり、ジャンルの基本的な要素を元に実験を行ったりするものなのだとか。一方で帯にはチェンバー・ロック・バンドと書かれており、チェンバー・ロック(Chamber rock)というのはロック以外のジャンルと結びつきが強いプログレッシブ・ロック(Progressive rock)のなかでも、とりわけ室内楽(チェンバー・ミュージック)的なアプローチを大きく打ち出した音楽ジャンルらしい。ロックのジャンルは細分化しすぎてもう何が何だか…。とりあえずはクラシックっぽいが実験的で、技巧派のバンドということなのだろう、知らんけど 今まで当駄BLOGの懐かし邦題アルバムでは帯文句や曲目はなるべくオリジナル盤を紹介してきたのだが、今回は曲邦題に惹かれて19年に発売されたリイシュー盤を取り上げてみた。 このアルバムは元々77年にベルギーのインディーズレーベルであるカミカゼ・レコード(Kamikaze Records)からリリースされ、81年にはマーク自身のレーベルであるCrammed Discsから再販。その際、“キメて1年後(Mastoul, One Year Later (Live))” が追加トラックとして収録され、ジャケットも右写真のものに変更された。03年にはCDでリリースされ、15年にはジャケットを元に戻してライナーノーツを改訂、トラックリストもちょこっと変更したうえ3曲のボーナストラックを加えた新エディションがビニールLPでリリースされたらしい。日本では19年にリイシュー盤CDがリリースされたとのこと。 ベルギーのチェンバー・ロック・バンドといえば、以前ジュルヴェルヌ(Julverne)の「伝書鳩飼育家(Coulonneux)」を取り上げたことがあったけど、Wikiさんを見てみると他にもユニヴェル・ゼロ(Univers Zero)やプレザン(Present)、アラニス(Aranis)といったバンドがいるようで、調べてみたらこれまた素敵なアルバム邦題を発見!英語圏以外の国のアルバムは邦題が付いてないとさっぱり分からないからね。まぁ邦題が付いていても「偏頭痛のための11のダンス療法」ってやっぱり意味が分からないけど。 アクサク・マブールは今回取り上げるにあたって初めて聴いてみたが、何というか、確かにチェンバーでアヴァンなプログレというか…一言で言い表すのが難しい。とにかく多彩で、マーク・オランデルの多才さに圧倒される。かといって決して難解な音楽という感じでもなく、意外とすんなり聴けてなかなか興味深いアルバムだった。 そういえば “ヴァポナ、接着剤じゃないよ(Vapona, Not Glue)” という邦題の曲があるが(これも原題直訳)、バポナといえば強い殺虫剤で購入するのに印鑑が必要だったような記憶がある。買ったことはないけど。でもってバポナといえば、何故かふとナボナを思い出してしまった。「ナボナはお菓子のホームラン王です」とかいうCMは中国地方では流れてなかったので、馴染みは全くないし、おそらく食べたこともないのだが、何となく響きが似ているのでついでに思い出した次第。どうでもええわな。あ、一応確認したところ今はバポナ購入に印鑑はいらないらしい。平成24年(2012年)に劇薬指定が解除されたことにより、署名・捺印は不要になったとのこと。 何だかアクサク・マブールには全く関係のない話で終わってしまった。 まぁそんなアクサク・マブールに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ キュウリでジャングルからおびき出されるの巻 あほの息子 ヴァポナ、接着剤じゃないよ
2025.04.19
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先週末、ふらりと島根に行ってきた。一泊二日の弾丸御朱印巡り旅だったにもかかわらず、島根の魅力にどっぷりハマってしまった。島根は今までに何度か訪れたことはあったのだが、今回初めて幾つか寺社を巡って歴史に触れ、改めて島根の素晴らしさに深く感じ入った次第である。松江に移住したいとすら思ったぐらいに。行程はざっと以下のとおりだ。・岡山→出雲市駅(JR特急やくも)…隣接する電鉄出雲市駅(一畑電車)へ・電鉄出雲市駅→出雲大社前駅(一畑電車)出雲大社参拝・出雲大社前駅→電鉄出雲市駅(一畑電車)・駅からタクシー往復で神門寺参拝【中国観音霊場第23番札所】・電鉄出雲市駅→雲州平田駅(一畑電車)・雲州平田駅→鰐淵寺駐車場(平田生活バス鰐淵線)往復で鰐淵寺参拝【同第25番札所】・雲州平田駅→松江しんじ湖温泉駅(一畑電車)・松江しんじ湖温泉駅→松江駅(市営バス) 松江で一泊・松江駅→国宝松江城県庁前(市営バス)松江城、松江神社へ・県民会館前→八重垣神社(市営バス)八重垣神社参拝・八重垣神社→松江駅(市営バス)→安来駅(JR山陰本線)・駅からタクシーで雲樹寺参拝【中国観音霊場第27番札所】・更にタクシーで清水寺参拝【中国観音霊場第28番札所】→タクシーで安来駅に戻る・安来駅→松江駅(JR山陰本線)・松江駅→松江しんじ湖温泉駅(市営バス)・松江しんじ湖温泉駅→一畑口駅(一畑電車)・駅からタクシー往復で一畑寺(一畑薬師)参拝【中国観音霊場第26番札所】・一畑口駅→電鉄出雲市駅(一畑電車)・隣接する出雲市駅→岡山(JR特急やくも) 島根滞在中はずっと一畑電車(ばたでん)の時刻表ばかり見ていたような気がする。乗車中、車窓から見える宍道湖の眺めは本当に素晴らしかったし、何ともノスタルジックな風景でもあった。 10年に公開された「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」という映画は、東京の大手家電メーカーの経営企画室長だった49歳の主人公が故郷・島根に暮らす母親の病を機に帰郷し、子供の頃の夢だった「ばたでん(一畑電車)の運転士になる」ことを実現すべく一畑電車に転職するというストーリー。一畑電車や一畑電気鉄道、京王電鉄(当時の一畑電車の運転士養成の委託先)の全面的な協力、そして島根県、松江市、出雲市など沿線の自治体・団体の支援を得てロケが実施されたとのこと。 映画に出てくる雲州平田駅や一畑口駅を見るだけで楽しかった島根旅が思い出され、再訪したくなった。 島根県は日本で唯一人口が大正時代を下回ったそうだが、確かに若者にとっては退屈な町かもしれない。私も今まで何度か島根を訪れたことがあるが、若いうちは楽しいとは思わなかった。それが55歳の今になって、島根の魅力に気付かされたのである。歴史といえば奈良・京都だと思い込んでいたが、島根の歴史は厚みというか重みが違った。まぁどちらも素晴らしいのだけども。 参拝したい寺社はまだまだたくさんあるので、またいつか必ず島根を再訪しようっと。 風情ある出雲市駅 出雲大社拝殿 鰐淵寺 八重垣神社 松江城
2025.04.08
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平成27年(2015年)4月に京都の東寺(教王護国寺)で初めて御朱印帖を購入し、緊張しながら御朱印をいただいたのを昨日のことのように覚えているが、あれから早くも10年の歳月が流れた。 当初はこのBLOGでもちょくちょく御朱印記事を書いていたものの、御朱印巡り備忘録BLOGを別に立ち上げたこともあって徐々に書かなくなってしまった。それでも細々と御朱印巡りは続けていたのだが、外転神経麻痺で車の運転を控えるようになったことに加え、コロナ禍でしばらく不要不急の外出を控えているうちに御朱印熱がしゅうぅぅ…と萎んでしまった。 当BLOGの御朱印記事に貼っていた画像がいつの間にか見にくくなっていることにも気付いてはいたが、放置しっぱなしの有様であった。 しかし本日、やっと画像を修復しようと思い立って先程作業を終えたのだが、同時に御朱印熱も蘇ってきた。 今までいただいた200枚ほど(10年やってる割には少ない)の御朱印全てに思い出が詰まっており、眺めるだけで幸せな気分になれる。嗚呼、この嬉し楽しさを何故忘れていたのだろう。 10年前、兵庫県西部(播磨)・岡山県(備前・備中)・広島県(備後)の観音菩薩を祀る寺院三十三箇所を巡る霊場巡拝、瀬戸内三十三観音霊場を巡り始めた時には、頑張れば何とか回れるような気がする――なんて軽々しく書いたが、10年経って参拝した寺院は33箇所中16箇所と半分も満たしていないという… 10周年を迎える4月26日までにはせめて県内の寺院は全て回っておきたい。これを当面の目標にしよう。残り6箇所、車がないと厳しい所ばかりだけど、何とか頑張るべ。 ホント、御朱印巡りって田舎モンは車の運転ができないと結構厳しいのだ。バスがあっても土日運休で1日3本しか便がないだとか、最寄りのバス停から徒歩30分だとか。事前にしっかり計画を立てておかないといけないというのが、行き当たりばったり主義のものぐさオバハンには辛い。 その点、歴史の中心・京都なんかだと公共交通機関を利用すれば大概の寺社に辿り着けるので、御朱印巡りも非常に楽しい。但し今は外国人観光客の増加で大変らしいけど。JTBによると2025年の訪日外国人旅行者数は4,020万人に達する見込みなのだとか。インバウンドが落ち着いたらまた京都で御朱印巡りしたいなぁ…なんて思っているけど、当分無理そう。暫くは近場を巡ろうかな。 御朱印(令和になっていただいたものの一部) 厳島神社…令和になって初めていただいた御朱印。 海蔵寺…桑名市にある宝暦治水に関する寺院。 大垣城…初めていただいた御城印。いつの間にか御城印も一般的に。 嫁いらず観音院…一昨年秋、瀬戸内三十三観音霊場では約6年ぶりに、岡山県内の寺院では約7年ぶりにいただいた御朱印。サボりすぎにもほどがある!
2025.03.23
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文久3年(1863年)から元治元年(1864年)にかけて27歳にして遣欧使節団(横浜鎖港談判使節団)の正使を務め、スフィンクスの前で記念撮影したイケメン侍として知られる池田可軒(長發)さん。 少年時代は昌平黌に学び、成績は抜群に優秀だった――とWikiさんでも紹介されているが、可軒さんは「人間は萬巻の書を讀まなければならない」と他人に勧めているほど大変な読書家であった。 そんな可軒さんが渡欧中に購入した書物は以下のとおりである。 ・日本鹿兒島測量圖 (1864年巴里出版 一葉) ・日本下田鹿兒島測量圖 (1860年巴里出版 一葉) ・日本江戸測量圖 (1861年巴里出版 一葉) ・日本箱舘測量圖 (1860年巴里出版 一葉) ・日本長崎測量圖 (1860年巴里出版 一葉) ・佛國度量衡圖説 (一册) ・動植物アルバム (二十九葉) ・支那探檢地圖 (1860年巴里出版 一册) ・アッシュデュホール氏近古世界圖 (1865年巴里出版 一册) ・オーヅー博士解剖生理學初歩 (一册) ・ローパン・ジュウェー氏冒檢譚 (一册) ・醸造論 (1862年巴里出版 一册) ・工藝概説 (1850年巴里出版 一册) ・ドンケルクルチウス氏日本文法論 (1861年巴里出版 一册) ・プウエーケルチェー氏紡績事業 (1863年巴里出版 一册) ・佛譯四書 (道光27年出版 一册) ・政治的軍事的方面より見たる那翁の生涯 (一册) まずは鹿児島、下田鹿児島、江戸、函館、長崎の各1枚ものの測量図。測量図といえば文政4年(1821年)に伊能忠敬が中心となって作製した「大日本沿󠄀海󠄀輿地全󠄁圖」(伊能図)が完成していたが幕府が秘蔵したため、慶応3年(1867年)になって「大日本国沿海略図」(幕府から伊能図(の小図で縮尺1/432,000)の写しを入手した英国が、その写しを元に1863年に「日本と朝鮮近傍の沿海図」として刊行し、それが日本に逆輸入されて勝海舟が木版刊行したもの)や、幕府開成所が同じく伊能小図を元にした「官板実測日本地図」を出版したことにより、ようやく一般の目に供されるようになったぐらいなので当時地図はとても貴重だったと思われる。しかし日本人のごく一部しか知らなかった測量図が外国で簡単に入手できたのもおかしな話である。 続いては仏国の度量衡図説。江戸時代の日本は尺貫法が使われていたので、この本に興味を惹かれたのも分かる気がする。ちなみにメートル法は18世紀末の仏国において、世界で共通に使える統一された単位制度の確立を目指して制定されたものらしい。1799年に仏国でメートル法が公布された際のスローガンは「全ての時代に、全ての人々に(À tous les temps, à tous les peuples.)」だったそうな。日本がメートル条約に加盟したのは明治18年(1885年)のことだった。 探検地図や冒険譚など少年っぽさを感じさせる本もあるにはあるが、解剖生理学、工芸概論、醸造論といった専門書っぽいタイトルが並んでいる。醸造ってことはワイン作りでも始めたかったのかしらん。他には外国人の日本文法論だとか紡績事業の本だとか、那翁(ナポレオン)の伝記本だとか。ナポレオン3世(Napoléon III)に謁見して感じるところがあったのかも。 「佛譯四書」は道光27年出版ということは中国の本なのね。上海で購入したのかな。そういえば可軒さんの蔵書には四書(「論語」「大学」「中庸」「孟子」)に関する書物が多かった気がする。岡山大学付属図書館所蔵の池田家文庫中に所在する可軒さんの蔵書目録のうち、昭和43年発行「書誌学(11-13)」に載っている岡田祐子著「池田可軒の舊藏書(1-3)」に列記されている「池田可軒蔵書目録」と「歳寒書屋珍収蔵書目録」所載の漢籍、準漢籍の合計は400点、4,400冊余という膨大な量であった。その内四書(特に中庸)関連は約100点(冊数は書かれていない)。昌平黌で抜群の成績だったというのも頷ける。 「人間は萬巻の書を讀まなければならない」――可軒さんはまさに有言実行の人であった。 参考文献・小林久麿雄『幕末外交使節池田筑後守』(恒心社)昭和9年・岸 加四郎『鶴遺老:池田筑後守長発伝』(井原市教育委員会)昭和44年・日本書誌学会 [編]『書誌学』11-13(日本書誌学会)昭和43年 岡田裕子『池田可軒の舊藏書(1-3)』
2025.03.21
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『天井桟敷の吟遊詩人』 ジェスロ・タル 「Minstrel in the Gallery」 Jethro Tull (75) イアン・アンダーソンの愉快なミュージック・レトリック ――あるいは、その優雅で、まじめで、奇妙で、悪意にみちた、淫らがましい、婉曲なおかしさとメタファーの攪乱術について――A面 1. 天井桟敷の吟遊詩人 - Minstrel in the Gallery 2. ヴァルハラへの冷たい風 - Cold Wind to Valhalla 3. 黒衣の踊り子 - Black Satin Dancer 4. レクイエム - RequiemB面 1. 一羽の白アヒル/0¹º=無 - One White Duck / 0¹º = Nothing At All 2. ベイカー・ストリートの女神 - Baker St. Muse インクルーディング - including ピッグ・ミー・アンド・ザ・ホー - Pig-Me and the Whore ナイス・リトル・チューン - Nice Little Tune クラッシュ・バリアー・ワルツ - Crash-Barrier Waltzer マザー・イングランドの幻想 - Mother England Reverie 3. グレース - Grace ジェスロ・タル(Jethro Tull)は67年に英国で結成されたプログレッシヴ・ロック・バンドで、ロックにフルートを持ち込んだバンドとして名を残しているそうだが、まぁそんなモノを持ち込もうと考えるヤツもそうそういないだろう。 68年にリリースしたデビューアルバム「日曜日の印象(This Was)」が全英10位となり、69年リリースの2ndアルバム「スタンド・アップ(Stand Up)」で見事全英1位に輝いた。その後も70年代には毎年アルバムをリリースしてヒットを続け、72年の5th「ジェラルドの汚れなき世界(Thick as a Brick)」と73年の6th「パッション・プレイ(A Passion Play)」は全米でも1位を獲得するなど当時の人気の高さが伺えるのだが、日本では売上と知名度が今ひとつ比例していない…。 とはいえバンドの知名度は低かろうが、この「天井桟敷の吟遊詩人(Minstrel in the Gallery)」という小洒落たアルバム邦題に見覚え(或いは聞き覚え)がある方はそこそこいるのではないだろうか。ほぼ直訳しただけなのに、妙にオシャレ感が漂っている素敵な邦題だ。ちょっと難解な帯文句はどうかと思うけど。 このアルバムはジェスロ・タルの8thスタジオアルバムで、当時のメンバーはというと、voとフルート、アコギ担当で全ての曲を作っているイアン・アンダーソン(Ian Anderson)、gのマーティン・バー(Martin Barre)、bのジェフリー・ハモンド(Jeffrey Hammond)、dsのバリモア・バーロウ(Barriemore Barlow)とピアノ、オルガンのジョン・エヴァン(John Evan)の5人。 創設メンバーはこの時点で既にイアン一人であり、17年に再結成した今も残っているのはイアンのみである。 80年代の洋楽好きがジェスロ・タルを知るきっかけとなったのは、89年のグラミー賞で最優秀ハードロック/メタルパフォーマンス部門(Grammy Award for Best Hard Rock/Metal Performance Vocal or Instrumental)が新設され、何故かジェスロ・タルが栄えある第1回目の受賞者になったことだろう。メタリカ(Metallica)の「メタル・ジャスティス(...And Justice for All)」を始めAC/DCやイギー・ポップ(Iggy Pop)などがノミネートされており、誰もがメタリカが受賞すると思っていたものの、まさかのHRでもHMでもないジェスロ・タルの「クレスト・オブ・ア・ネイヴ(Crest of a Knave)」が選ばれたことに批判が殺到。翌90年にはジャンルを分離してハードロックとメタルのカテゴリーをそれぞれ新たに設定したのだった。 あ、どうでもいいけど90年のグラミー賞といえば、最優秀新人賞を受賞したミリ・ヴァニリ(Milli Vanilli)が実は口パクだったことが後に発覚し、賞を剥奪された――なんてことがあったっけ。 「天井桟敷の吟遊詩人」という邦題に負けず劣らずアルバムのジャケットもかなり好みだ。天井桟敷にいる5人の吟遊詩人…メンバー(の中でvoのイアン)を吟遊詩人に見立てているそうな。タイトルとジャケットアートと楽曲が妙に合っていて、トータルでこのアルバムの魅力を感じてほしい。 80年代から洋楽を聴き始めたものだからか、70年代のアルバムって逆に洗練されているように感じる。大人の鑑賞に十分耐え得るものが多いというか。いや、駄作は淘汰されて良作だけが残っているせいかもしれないけど。それでもやっぱり70年代のアルバムは素晴らしい!ジェスロ・タル、一聴の価値あり。 そんなジェスロ・タルに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ 天井桟敷の吟遊詩人 黒衣の踊り子 一羽の白アヒル/0¹º=無このジャケットアートのちょっぴり可愛いながらも不気味な感じが実に良い。
2025.03.15
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『白い暴動』 ザ・クラッシュ 「The Clash」 The Clash (77) ロンドンは燃えている!遂に姿を現わしたバイオレス・パンクの王者、ザ・クラッシュ。ロンドン・スラムの怒れる若者たちがひたすらアナーキーにロックンロール、ロックンロール、ロックンロール……ギ、ギ、ギャオーッ!A面 1. ジェニー・ジョーンズ - Janie Jones 2. リモート・コントロール - Remote Control 3. 反アメリカ - I'm So Bored with the USA 4. 白い暴動 - White Riot 5. 憎悪・戦争 - Hate and War 6. ワッツ・マイ・ネイム - What's My Name? 7. 否定 - Deny 8. ロンドンは燃えている! - London's BurningB面 1. 出世のチャンス - Career Opportunities 2. ペテン - Cheat 3. 反逆ブルー - Protex Blue 4. ポリスとコソ泥 - Police and Thieves 5. 48時間 - 48 Hours 6. ガレージランド - Garageland 1月にセックス・ピストルズ(Sex Pistols)の「勝手にしやがれ!!(Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols)」、2月にはダムド(The Damned)の「地獄に堕ちた野郎ども(Damned Damned Damned)」を紹介したので、今月はロンドン・パンクにおける三大パンク・バンドの残り一組となったザ・クラッシュ(The Clash)が77年にリリースしたデビューアルバム「白い暴動(The Clash)」を取り上げたい。 以前ブロンディ(Blondie)が76年にリリースしたデビューアルバム「妖女ブロンディ(Blondie)」を取り上げた際に少し書いたが、クラッシュの「白い暴動」は元々セルフタイトルアルバムなのに、アルバムリリースの3週間前に発売されたデビューシングル “白い暴動(White Riot)” の邦題をそのままアルバム邦題にしている。まぁ1枚目はこういう付け方の邦題が多いよね。 クラッシュの結成は76年。ミック・ジョーンズ(Mick Jones)は元々LONDON SSのギタリストだったが76年初頭にバンドが解散。同年2月にセックス・ピストルズの初公演を見て衝撃を受けたミックは、LONDON SS時代からのマネージャーであるバーニー・ローズ(Bernard Rhodes)と共に新たなバンド結成に動き出す。バーニーの勧めでポール・シムノン(Paul Simonon)に声を掛けたもののポールは楽器が弾けず、当初ミックはギターを教えようとしたものの難しいと判断されてベースを教わることに。ミック、ポール、gのキース・レヴィン(Keith Levene。セックス・ピストルズのvoだったジョニー・ロットン(Johnny Rotten)ことジョン・ライドン(John Lydon)がピストルズ解散後に結成したパブリック・イメージ・リミテッド(Public Image Ltd。PIL)のメンバーとして知られる)、dsのテリー・チャイムズ(Terry Chimes。テリーの前のdsは省略)、voにはThe 101ersのジョー・ストラマー(Joe Strummer)を迎え入れてザ・クラッシュが誕生した。 77年1月にCBSレコードと契約するもキースは76年9月に脱退しており、4月にリリースされたデビューアルバム「白い暴動」のA-6 “ワッツ・マイ・ネイム(What's My Name?)” に共同作曲者としてクレジットに名を残しているのみである。また、dsのテリーも既に脱退していたがレコーディングのために呼び戻されている。79年にリリースされた米国盤では収録曲が何曲か差替えられており、追加トラックでドラムを叩いているのはテリーの後任として加入したトッパー・ヒードン(Topper Headon)。ジャケットに3人しか写っていないのは、テリーが撮影時には既に脱退を決意していたからなのだとか。 このアルバムは曲名にも直訳とはいえそこそこ邦題が付いていて好ましく思うものの、B-3の “反逆ブルー(Protex Blue)” に関してはWikiさん曰く「"Protex Blue" は、1970年代のコンドームのブランドである」とのこと。何だかちょっぴり微笑ましい邦題だ。 クラッシュといえば歌詞に溢れるラジカルなメッセージについて語られることも多いが、音楽の評価基準がノリとルックスという私はそちら方面に疎いため、純粋にノリだけで評価させてもらうとしても良いアルバムである。とはいえやっぱりパンクは…、いやパンクに限らず音楽というものはその時代の空気と密接に関わっているため、当時小学生だった私にはクラッシュの真の魅力を理解することは不可能なのだ、残念ながら。パンク音楽のノリは大好きなんだけどね。 それにしても77年は音楽界革新年間といってもいいくらい凄い年である。2月にダムドが英国パンク・ロック・シーンにおける初のアルバムをリリース。次いで4月にはクラッシュ、10月にはセックス・ピストルズが満を持して1stアルバムをリリース。米国ではトーキング・ヘッズ(Talking Heads)の1stアルバム「サイコ・キラー'77(Talking Heads: 77)」がリリースされている。ちなみにこの「サイコ・キラー'77」という不思議な邦題も「白い暴動」と同じくシングル曲 “サイコ・キラー(Psycho Killer)” から付けられている。 79年にリリースされた3rdアルバム「ロンドン・コーリング(London Calling)」で大成功を収めたクラッシュだったが、何やかんやで85年に解散。02年11月にはめでたくロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame, RRHOF)入りが発表され、授賞式での再結成が検討されていた矢先の12月にジョーが未診断の先天性心疾患による心臓発作で亡くなってしまう。まだ50歳という若さで、亡くなる前の晩にはクラッシュの殿堂入りに合わせて発売されたベスト・アルバム「エッセンシャル・クラッシュ(The Essential Clash)」の収録用選曲作業をしていたという。ジョー自身もまさかこのタイミングで世を去るとは微塵も思っていなかったに違いない。翌03年3月に行われた授賞式にはミック、ポール、テリーが出席したとのこと。 そんなクラッシュに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ 白い暴動 反逆ブルー ロンドンは燃えている!
2025.03.09
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08年11月の駄記事『「ガキの使い」と「内P」』で恥ずかしながらもカミングアウトしたように、私は山崎邦正さん(13年に改名して現在は月亭方正さんなのだが、今回は慣れ親しんだ “山ちゃん” と呼ばせていただく)のファンである。 昨日2月15日は山ちゃんの誕生日であった。そこで誕生日を祝し、山ちゃんの代表作(?)の一つともいえる「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」での伝説の企画「山崎VSモリマン」について長々と詳細を記しておきたい。 「ガキ使」に興味のない方には何のことだか全く分からないとは思うけど、この駄Blogは “今更誰も興味がないことをダラダラ綴る” がモットーでして…「今日は怒っとんねん。気合入っとんねん。芸能界っていうとこはほんまに怖いとこ。もう下剋上があり、ケツ取ったり取られたりやから。結局上に行くにはソイツのケツを見なアカンのですよ。ソイツのケツを見たらボクは勝てますから」 ということで96年11月に『第1回 山崎邦正ケツ公開スパーリング!!』(パンツの取り合い)を行ったものの、アメフト軍団、5人のおばさんに負け、続いてチャンピオンのモリマン(のホルスタイン・モリ夫さん)との対戦でも2戦とも惨敗してしまった。 96年12月には山ちゃん達ての希望で「第2回 山崎邦正ケツリベンジ KETSU-1グランプリ!!」が行われ、またも惨敗に終わった。 でもって98年6月には「第3回 芸能界因縁のリベンジマッチ! 山崎VSモリマン エンドレスバトル!!」が行われ、完敗続きの山ちゃんに有利なものがあるかもしれないということで30種類の対決方法が用意された。その中から顔面パンスト脱がし対決、スリッパしばき合い対決、ローキック対決、熱々あんかけ対決、水タオルしばき合い対決が行われたが、いずれも山ちゃんの惨敗。ちなみに入場曲(山ちゃんは “ヤマザキ一番”、モリマンは “We Will Rock You”)が流れたり、山ちゃんのセコンドにココリコ&モリ夫さんのセコンドに相方の種馬マンさんが付くようになったり、試合前に遠藤さんによる “ほほほい”が始まったのもこの回からである。 4回目からは格闘技の聖地・後楽園ホールにて観客の前で対決を行うようになり、対決前の様子(山ちゃん専属トレーナーによる声掛け)や今井良晴さん(全日本女子プロレスリングアナウンサー)によるリングアナウンス、近しい人からの花束贈呈、遠藤斉唱(パンイチでほほほい)等のお約束が生まれた。ダウンタウンはコミッショナーという立場だ(K-1対決では浜田さんがレフェリーになったりもする)。④ 98年8月「炎のファイナルリベンジマッチ IN 後楽園ホール!!」 無敵のチャンピオン VS 永遠の挑戦者 西宮が生んだ世紀末ファイター トレーナーからの声掛け:「いいぞ天才芸人」 花束贈呈:小学校からの親友・長位さん、昔の芸人仲間・藤田さん、森下さん 対決:フランスパンしばき合い対決、熱々あんかけ対決、ビンタ対決、K-1対決、水タオルしばき合い対決 /18 対決前の記者会見で意気込みを聞かれた山ちゃんは「古の昔から女が家を守り、男が狩りをする。それが僕の信念ですから!」と熱く語ったが、結果は全て山ちゃんの惨敗であった。⑤ 98年12月「嵐のラストファイナルリベンジマッチ IN 後楽園ホール!!」 完全無欠のチャンピオン 殺人エンジェル VS 永遠の挑戦者 西宮が生んだ落ちこぼれ世紀末ファイター トレーナーからの声掛け:「いいぞ天才芸人」「モリマン怖いよ」 花束贈呈:以前の相方・藤田さん、NSC時代の同期・森下さん 対決:パンスト脱がし合い対決、ビール瓶割り合い対決、ゴボウしばき合い対決、熱々の八宝菜対決、チーズフォンデュ対決、ハチミツ入りバケツ頭突っ込み対決、K-1対決 /18 この回で初めてゴボウでしばき合った山ちゃんは「木やコレ!」とゴボウの硬さに驚愕し、「アバラが折れた」と逃走した。山ちゃんが突き指のため試合不能ということで惨敗に終わる。⑥ 00年7月「今世紀最後のスーパーファイナルリベンジマッチ in 後楽園ホール!!」 過去5戦連勝 霊長類最強のチャンピオン VS 過去5戦連敗 永遠の挑戦者 西宮が生んだ落ちこぼれとっつぁん坊や トレーナーからの声掛け:「山崎勝てるよ」「モリマン怖いよ」 花束贈呈:実家の近所の幼馴染・長位さん 対決:カラーバットしばき合い対決、洗濯機ホースしばき合い対決、ケチャップとマスタード対決、Tシャツ小籠包対決、アメフト頭突き対決、小玉スイカ対決、納豆かけ合い対決、熱々あんかけ対決 /18 これまた全て山ちゃんの惨敗で、最後に菅プロデューサーが登場して山ちゃんが泣いている旨を伝えて終了。以降、最後に菅Pが出てくるのもお約束に。⑦ 02年2月「今世紀初! ラストファイナルリベンジマッチ in 後楽園ホール!!」 北海のつぶし屋 雪国が生んだビューティープリンセス VS 永遠のベビーフェイス 西宮が生んだお笑い音痴 トレーナーからの声掛け:「モリマン怖いよ」「アヤちゃんかわいいね」 花束贈呈:元マネージャー・一二三さん 対決:ゴルフクラブしばき合い対決、豆板醤ぬり合い対決、シャンパンケツキャッチ対決、もう着ない服対決、何が出るかな?対決、ママチャリ対決 /18 対決前に「今まで何度も対決しましたけどね、今までの対決は僕一人で戦ってたんですよ。でも今日の対決はね、嫁とジュニアがいるということで僕に背負うもんが出来てね、すごく3対1で戦えるっていう…」と語っていた山ちゃんだが、モリ夫さんから「新婚の分際でヘルス3日連続行ってんじゃねぇ!」とリング上でバラされた。今回は3本撮の長丁場になる予定だったものの、ママチャリ対決で山ちゃんが腰を痛めて(ヘタレからくるぎっくり腰)途中退場し、今回も全戦惨敗で対決終了。モリマンにアフリカ中央テレビの密着取材があったり、山ちゃんのお父さん(秋男さん)からの電話があったりもした。⑧ 03年6月「因縁のファイナルリベンジドリームマッチ in 後楽園ホール!!」 北海のリーサルウェポン 道産子ビューティー VS 永遠のとっつぁん坊や 西宮が生んだお笑い落第生 トレーナーからの声掛け:「モリマン強いよ」「邦正スベる気しないよ」 花束贈呈:東京に出てきて初めて住んだ共同のアパートの大家・田口さん 対決:恒例ゴボウしばき合い対決、寝袋対決、永ちゃんタオルしばき合い対決、ブタ脂肪ぬり合い対決、ガチンコ大喜利対決、口くわえバレーボール対決、宙づりしばき合い対決、熱々あんかけ対決 /18 対決前、「この一年でね、僕には背負うものがたくさん出来たんですよ。あや、そして娘の百桃(もも)、そして今あやのお腹にいる赤ちゃん。男はね、背負っているものがあればあるほど強くなれるんですよ」と熱く意気込みを語った山ちゃん。最も苦手とする恒例ゴボウしばき合い対決では「ゴボウはただの木なんですよ」という名言を生んだものの、結果は山ちゃんの惨敗に終わった。今回もモリマンにはアフリカ中央テレビの密着取材が付いていた。⑨ 05年2月「魂のスーパーファイナルリベンジマッチ in ディファ有明」 北海のつぶし屋 道産子クイーン VS お笑い視力0.01 西宮が生んだポンコツ芸人 トレーナーからの声掛け:「ララちゃん生まれたよ」「カリスマ出てるよ」 花束贈呈:準ミス有明(おばちゃん3号) 対決:サスペンダー引っ張り合い対決、顔面ビンタマシーン対決、熱々蒸しタオル対決、全身梱包対決、万国旗出されたら負けよ対決、小豆ふくんでビンタ対決、熱々あんかけ対決 /18 熱々蒸しタオル対決で敗れた山ちゃんがリングから逃走した後の場繋ぎで、ココリコ・田中さんによる “Rizière Centre”(山ちゃんプロデュース第1弾より)の歌唱やダイナマイト四国VSエスカルゴマンのリベンジマッチが行われた。結果は相変わらず山ちゃんの完敗。しかし菅P的には尺が稼げたのでOKとのこと。⑩ 06年8月「伝説のスーパーファイナルリベンジマッチ in 後楽園ホール!!」 北海が生んだリアルブタゴリラ VS 笑いの翼が折れたエンジェル トレーナーからの声掛け:「3人目早く作りなよ」「いいぞ天才芸人」 花束贈呈:山ちゃんが月に2度はお世話になっている五反田駅西口の現役風俗嬢・マリさん、カナダから来た入れ歯万引きGメン(ピカデリー梅田さん) 対決:ハチミツ対決、キャビンアテンダント対決、巨大風船対決、夏の風物詩対決、エア獅子舞対決、シャンプーハット対決、熱々あんかけ対決、ゴボウしばき合い対決 /18 山ちゃんの回復を待つ間、ダウンタウン・松本さん&ココリコ・田中さんのデュエット曲 “Those days”(山ちゃんプロデュース第2弾より)の歌唱やダイナマイト四国VSタコス兄弟の緊急スペシャルマッチが行われた。結果はまたしても山ちゃんの惨敗に終わる。⑪ 07年10月「奇跡のスーパーファイナル引退リベンジマッチ in 後楽園ホール!!」 ヒグマも道を空ける 北海が生んだ肉ダルマ VS 笑いのアンテナが折れた壊れかけのRadio トレーナーからの声掛け:「あやちゃんスゴイよ」「あやちゃん…」 花束贈呈:山ちゃんの奥さんであるあやさんに好意を寄せている、あやさん行きつけのパチンコホールGAIA目黒店の店長さん、カナダから来日した入れ歯霊媒師(ピカデリー梅田さん) 対決:高速回転ぐるぐるしばき合い対決、こんぺい糖ばら撒き対決、イビキ対決、空中浮遊イリュージョン対決、みたらし団子タレ対決 /18 山ちゃんが一週間禁酒して挑んだというこの回では、イビキ対決において初のドローとなったものの他は山ちゃんの惨敗。みたらし団子タレ対決終了後、山ちゃんが2回戦を拒絶したため、ダイナマイト四国VSコロナ3兄弟の緊急スペシャルマッチが行われ、更に緊急スペシャル歌謡ショーとしてダウンタウン・浜田さん&八代亜紀さんのデュエット “恋の沈丁花” と、松本さん、田中さん&由紀さおりさんによる “宇宙(そら)の子守唄”(どちらも山ちゃんプロデュース第3弾より)が披露されたが、チャンピオンのモリ夫さんに古傷の痛みが出たためそのまま試合終了。山ちゃんが逃げ出して終わらなかった唯一の回となった。⑫ 08年12月31日「大メイン クライマックス2008 炎のファイナルリベンジマッチ」 北海生まれの殺人炙りサーモン VS 笑いの翼の折れたエンジェル 花束贈呈:小池栄子さん 対決: スリッパしばき合い対決、恐怖ボイス対決、エレクトリカルファンタジー対決、エマニエルイス取り対決、水タオルしばき合い対決、熱々あんかけ対決、誰が出るかな?助っ人対決、フォークダンス対決、タルタルソース対決、胴体切断イリュージョン対決、ハチミツ対決、キングサイズベッド対決、小玉スイカ対決、ゴボウしばき合い対決 /24 最後の対決となったこの回はガキ使の大晦日年越しスペシャル 第一部として放送されたこともあって、色々と変更された。第4回からずっとリングアナウンスを務めていた今井良晴さんが村上ショージさんに代わり、遠藤斉唱がなくなって水木一郎さんによる替え歌応援歌斉唱に。山ちゃん専属トレーナーだった黒人さん二人もおらず、芸人さん達による応援軍団に変わった。花束贈呈も当初は山ちゃんに近しい素人さんだったのだが、やはり大晦日の放送なので華が必要だったのかな。他にも菅総統によるスガッスル(ハッスルのパロディ)も行われ、ダイナマイト四国が窮地に陥ったところにキューティー元四国(遠藤さんの元嫁・千秋さん)が現れ、危機を救う場面も。勝敗がつかなかった恐怖ボイス対決以外で山ちゃんは惨敗し、最後は山ちゃんが会場の外に逃げて12年にも及んだ山ちゃんとモリマンによる男と女の真剣勝負は幕を閉じたのであった。(ここに挙げた以外にもゴボウしばきあい対決はちょいちょい行われているが割愛) 個人的に好きな対決TOP3を選ぶとすれば1位 キングサイズベッド対決(ベッドでピロートークをして、ゴングが鳴ったらパンツを取り合う。山ちゃんのピロートークが魅力炸裂で最高)2位 フォークダンス対決(フォークダンスを踊り、曲が止まったと同時に戦う。ダンス中の笑顔がやたら可愛い)3位 空中浮遊イリュージョン対決(空中浮遊しながら戦う。ただただイリュージョンが可笑しい)かな。次点で巨大風船対決、万国旗出されたら負けよ対決あたり。痛そうだったり苦しそうだったりする対決はバラエティとはいえ胸が痛む。 文春オンラインでのモリ夫さんのインタビュー記事(20年11月15日)によると、対戦後に山ちゃんへ挨拶しに行くと腫れた顔で「ありがとうな」と言ってくれたそうで、モリ夫さんは辛くて目を合わせられなかったのだとか。山ちゃんのことは本当に尊敬していて、大好きな先輩だと語っていた。二人とも優しい人なのだろう。 ④~⑨までの対戦は「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」DVD6巻に、⑩~⑫は14巻に収録されており、どんなに辛い時でもこのDVDを見れば元気が出る。ありがとう、山ちゃん。 4月には山ちゃん…もとい月亭方正さんの独演会と、林家たい平さんとの二人会のチケットを取っているので今から楽しみ♪ どうか健康に留意して、いつまでも私たちを楽しませてくださいまし。
2025.02.16
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『ヘビの頭をくねらせろ』 フェルト 「Let the Snakes Crinkle Their Heads to Death」 Felt (86)A面 1. ウイリアム・S・ハーベイの歌 - Song for William S. Harvey 2. ぼくは古代の街に住んでいた - Ancient City Where I Lived 3. 17世紀 - The Seventeenth Century 4. 宮殿 - The Palace 5. インド教典 - Indian ScripturesB面 1. ナスカ平原 - The Nazca Plain 2. 宝石の夜空 - Jewel Sky 3. バイキング装束 - Viking Dress 4. 光への航海 - Voyage to Illumination 5. サファイヤ御殿 - Sapphire Mansions 今年は巳年ということで新年一発目にこのアルバム邦題を取り上げるべきだったが、このアルバムはおろか演奏しているバンドすら先日偶然ネットで知ったばかりで、急遽取り上げてみた次第。 英国のジャングル・ポップだかオルタナだかのバンドであるフェルト(Felt)が86年にリリースした5thアルバム「ヘビの頭をくねらせろ(Let the Snakes Crinkle Their Heads to Death)」は全曲インストでトータルで20分にも満たないという、サクサクっと聴けるアルバムだ。 残念ながらこのアルバムタイトルは既に消滅しており、18年にリマスター&リイシューした際に当初予定されていたタイトル「セヴンティース・センチュリー(The Seventeenth Century)」に改題したのだそうな。改題に伴い当然邦題も消滅してしまった。せめて曲名の邦題だけは生き残っていてほしいが…どうなっているのだろう? 「ヘビの頭をくねらせろ」リリース時のメンバーはvo&gのローレンス(Lawrence)、keyのマーティン・ダフィ(Martin Duffy)、bのマルコ・トーマス(Marco Thomas)、dsのゲイリー・エンジ(Gary Ainge)。…すみません、全く知らなくて。 フェルトは79年に結成し、89年に解散。バンドのソングライターでフロントマンのローレンスは10年間で10枚のシングルと10枚のアルバムをリリースすることがずっと自分の意図だったと宣言し、それを達成した上でフェルトの解散を発表したとのこと。 Wikiさんを見てみると、フェルトのアルバムは「ヘビの頭をくねらせろ」以外にも何作か邦題が消えているようで、86年リリースの6th「微睡みの果てに(Forever Breathes the Lonely Word)」が「フォーエヴァー・ブリーズ・ザ・ロンリー・ワード」に、続く87年リリースの7th「川の詩(Poem of the River)」が「ポエム・オブ・ザ・リヴァー」、88年リリースの9th「街を越えて列車は走る(Train Above the City)」が「トレイン・アバヴ・ザ・シティ」になっているらしい。ええっ、何でなん!? どれもいい邦題なのに勿体ない。 前述のとおり、このアルバムの収録曲は全て短いインスト曲で、最も長い曲が “バイキング装束(Viking Dress)” で2分50秒、最短曲の “宝石の夜空(Jewel Sky)” は1分ほどしかない。まぁ良くも悪くも飽きずに聴ける、というか短すぎてながら聴きには若干不向きかな。気付いたらアルバムを聴き終えているので、集中力が必要かも。 インストアルバムは苦手な方だが、このアルバムは割と聴きやすかった。マーティン・ダフィのオルガンが耳に心地よく、フェルトの他のアルバムも聴いてみたくなった。 そんなフェルトに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ 全曲サクサクっと聴いてみてくだされ。 ヘビの頭をくねらせろ(Full Album)
2025.02.08
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『地獄に堕ちた野郎ども』 ダムド 「Damned Damned Damned」 The Damned (77) ~セックス・ピストルズなにするものぞ!“悪(ワル)” の権化ダムド遂に日本上陸!!(スティッフ・レコード第1弾)「現在最もホットなグループ」~メロディー・メイカー誌A面 1. ニート・ニート・ニート - Neat Neat Neat 2. ファン・クラブ - Fan Club 3. アイ・フォール - I Fall 4. ボーン・トゥ・キル - Born to Kill 5. スタッブ・ユア・バック - Stab Yor Back 6. フィール・ザ・ペイン - Feel the PainB面 1. ニュー・ローズ - New Rose 2. フィッシュ - Fish 3. シー・ハー・トゥナイト - See Her Tonite 4. ワン・オブ・ザ・ツー - 1 of the 2 5. ソー・メスト・アップ - So Messed Up 6. アイ・フィール・オールライト - I Feel Alright 先日セックス・ピストルズ(Sex Pistols)の「勝手にしやがれ!!(Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols)」を取り上げたからには、このアルバムも出さないわけにはいかないだろう。セックス・ピストルズと並ぶロンドン・パンクの雄といわれたダムド(The Damned)が77年にリリースしたデビューアルバム「地獄に堕ちた野郎ども(Damned Damned Damned)」だ。 こんなに素晴らしいアルバム邦題なのに何故今までスルーしていたのかというと、曲名が全てカタカナタイトルで一つも邦題が付いていないからで、日本で今一つ馴染みが薄い(と思っているのは私だけ?)のも、やはり親しみやすい邦題曲がなかったからかもしれない。 ダムドのデビューシングル “ニュー・ローズ(New Rose)” はピストルズ1stシングル “アナーキー・イン・ザ・U.K.(Anarchy in the U.K.)” より5週間早い76年10月に発売されたため英国初のパンク・バンドによるシングルリリースとなり、この「地獄に堕ちた野郎ども」も「勝手にしやがれ!!」より8ヶ月早い77年2月(※)発売ということで英国初のパンク・バンドによるスタジオアルバムとなった。レコーディング期間はたったの10日間だったとか。(※訂正 3/9にザ・クラッシュ(The Clash)の記事を書くにあたり何気なく見返していて間違い発見!ダムドの1stアルバムは78年2月ではなく、77年2月18日のリリースです。すみません) あ、2ndシングル “ニート・ニート・ニート(Neat Neat Neat)” は何故か “嵐のロックン・ロール” という邦題付きでリリースされたんだっけ。 ダムドのオリジナルメンバーは、voのデイヴ・ヴァニアン(Dave Vanian)、gのブライアン・ジェイムス(Brian James)、bのキャプテン・センシブル(Captain Sensible)にdsのラット・スキャビーズ(Rat Scabies)の4人。 ブライアンを除く3人はMasters of the Backsideというバンドのメンバーだったが、このバンドを結成したのは後にセックス・ピストルズのマネージャーとなったマルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)で、当初のギタリストは後にプリテンダーズ( The Pretenders)を結成して成功を収めるクリッシー・ハインド(Chrissie Hynde)であった。クリッシーはマルコムとヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)が経営するブティック「SEX」に勤めていたそうな。 London SSのドラマーオーディションに落ちたラットはメンバーだったブライアンと知り合い、新たなバンドを結成することに。その際に行われたヴォーカルオーディションには後にセックス・ピストルズに加入するシド・ヴィシャス(Sid Vicious)とデイヴ・ヴァニアンを招待したものの、シドが現れなかったためデイヴが加入したとのこと。 ダムドは76年のデビュー以来現在に至る息の長いバンドである。メンバーは流動的であるが唯一デイヴだけは結成以来ずっと在籍しており、オリジナルメンバーの残り3人は出たり入ったりしながらもブライアンを除く2人は現在も在籍中のようだ。カルチャー・クラブ(Culture Club)の元dsであるジョン・モス(Jon Moss)も一時メンバーであった。 15年にはウェス・オーショスキー(Wes Orshoski)監督よるバンドのドキュメンタリー映画「地獄に堕ちた野郎ども(The Damned: Don't You Wish That We Were Dead)」が公開された。 さて、アルバム邦題に話を戻すが「地獄に堕ちた野郎ども」という邦題はダムド繋がりということで、69年公開の伊・西独・瑞(スイス)合作映画「地獄に堕ちた勇者ども(The Damned (Götterdämmerung))」に由来しているのだとか。 いつぞやグランド・ファンク・レイルロード(Grand Funk Railroad)の「ハード・ロック野郎(世界の女は御用心)(All the Girls in the World Beware!!!)」やTattooの「刺青 ~神秘のロック野郎~(Tattoo)」を取り上げた時にも書いたが、“野郎” という言葉にはどことなく昭和の香りがして好きだ。 肝心の音楽にしても粗削りで攻撃的、圧倒的なスピード感が結構好みのアルバムである。全英チャートでは34位止まりだったけど、個人的にはこの頃のロンドン・パンク・バンドの中では一押しだ。このアルバムには収録されていないが、1stシングル “ニュー・ローズ” のB面はビートルズ(The Beatles)の “Help” のカヴァーで、これまたダムドっぽい荒々しさが好ましい。 そんなダムドに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ ニュー・ローズ ニート・ニート・ニート シー・ハー・トゥナイト
2025.02.02
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重野なおきさんの新刊漫画3冊、「雑兵めし物語」3巻と「殺っちゃえ!! 宇喜多さん」2巻、「信長の忍び」22巻が1月29日に同時発売された。この3冊は前回も同時発売されており、1年7ヶ月ぶりの新刊である(「信長の忍び」だけはこの間に1冊出てるけど)。 「雑兵めし物語」が好きすぎて単行本の発売が待ちきれず、ここ半年ぐらいは連載されている「まんがライフオリジナル」を毎月購入して読んでいるが、やっぱり単行本は無駄がなくていい。元は8Pの4コマ漫画だから14~5話収録の単行本を出すには1年半ぐらい掛かるのも已む無しではあるのだが。 1年7ヶ月もの間、首を長くして待ち続けた甲斐があって「雑兵めし物語」も「殺っちゃえ!! 宇喜多さん」もやっぱり面白かった。 重野さんの作品で単行本を購入しているのは「雑兵めし物語」「殺っちゃえ!! 宇喜多さん」「石田三成の妻は大変」の3作品。Kindle版だと「雑兵めし物語」「殺っちゃえ!! 宇喜多さん」「真田魂」「軍師 黒田官兵衛伝」「明智光秀放浪記」を購入している。重野さんの代表作ともいえ、アニメ化もされている「信長の忍び」は読んだことがないのだけれど、この作品の主人公である忍びの女の子が架空のキャラクターなので今ひとつ読む気が起こらなかったりして。とはいえWikiさん曰く「真田魂」「軍師 黒田官兵衛伝」「明智光秀放浪記」は「信長の忍び」の延長線上にある作品群らしいので、ちょっぴり興味はそそられるものの、今から22巻読むのはキツい 嗚呼、次は26年秋ぐらいになるのかなぁ…。25年7月に何も起こらなければよいのだけれど。
2025.01.29
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『勝手にしやがれ!!』 セックス・ピストルズ 「Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols」 Sex Pistols (77) 『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』『プリティ・ヴェイカント』そして幻の話題作『アナーキー・イン・ザ・U.K.』を含む全ロック・ファン待望の処女アルバムA面 1. さらばベルリンの陽 - Holidays in the Sun 2. ライアー - Liar 3. 分かってたまるか - No Feeling 4. ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン - God Save the Queen 5. 怒りの日 - ProblemsB面 1. セヴンティーン - Seventeen 2. アナーキー・イン・ザ・U.K. - Anarchy in the U.K. 3. お前は売女 - Bodies 4. プリティ・ヴェイカント - Pretty Vacant 5. ニューヨーク - New York 6. 拝啓EMI殿 - E.M.I. 2週間ほど前にPCがクラッシュして買換えたため、今更ながら今回の駄記事がWindows11での初投稿となる。まぁどうでもいいわな、勝手にしやがれ! ということで今回は英国のパンクバンド、セックス・ピストルズ(Sex Pistols)のデビューアルバムにして唯一のスタジオアルバムとなった「勝手にしやがれ!!(Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols)」を取り上げる。 原題の「Never Mind the Bollocks」は “くだらないことは気にしない” というような意味で、Bollocksは英国の俗語で “くそっ” とか “なんでやねん” といった俗語だそうだが(睾丸の意味もあるらしい)、「勝手にしやがれ」というのは60年に公開された仏映画「À bout de souffle」の邦題を拝借したものと思われる。販売元である日本コロムビアさんの単なる手抜きかもしれないが、このアルバムに相応しい邦題だ。 セックス・ピストルズのオリジナルメンバーはvoのジョニー・ロットン(Johnny Rotten)、gのスティーヴ・ジョーンズ(Steve Jones)、bのグレン・マトロック(Glen Matlock)、dsのポール・クック(Paul Cook)の4人であった。 72年にスティーヴ(当時はvo)とポール、gのウォーリー・ナイチンゲール(Wally Nightingale)の3人はストランド(The Strand)というバンドを結成し、盗んだ楽器を演奏していたという。バンドはロンドンのキングス・ロードにあったマルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)とヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)が経営するブティック「Too Fast to Live, Too Young to Die」によく出入りしていた。このブティックは「Let It Rock」という名で71年に開店したが73年の改装時に改名、更にその翌年には再改装して「SEX」という店名になった。その店で働いていたグレンがストランドに加入。 マルコムは74年に渡米してニューヨーク・ドールズ(New York Dolls)のマネージメントを一時手掛けていたが翌年帰国。スティーヴはマルコムにバンドのマネージメントを依頼、承諾したマルコムは早速ウォーリーを解雇し、スティーヴがgに転向することに。そしてvoにはオーディションでジョニーが決定。 75年にライヴデビューを飾り、76年にはEMIと契約してシングル “アナーキー・イン・ザ・U.K.(Anarchy in the U.K.)” をリリース。12月に出演したテレビ番組のインタビュー(生放送!)でのよろしくない言動で一夜にして有名になってしまう。その後も何やかんやあってEMIとは契約破棄に。 77年2月、バンドの楽曲の大半を作曲し、唯一演奏能力が高くて常識人でもあったグレンが脱退。後任ベーシストとしてジョニーの友人で演奏能力のないシド・ヴィシャス(Sid Vicious)が加入した。 翌年3月にA&Mレコードと契約するも、これまた何やかんやあって契約破棄に。プレスされていた “ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン(God Save the Queen)” のプレス済シングルもほぼ全てが破棄された。5月にはヴァージン・レコードと契約してエリザベス女王即位25周年記念祝賀行事に合わせて “ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン” をリリースしたものの、タブロイド紙から強く非難を浴びたうえ、いくつかの大手チェーン店はこの曲を販売中止にし、BBCラジオとテレビ、そしてすべての独立系ラジオ局で放送禁止となった。 77年10月にデビューアルバム「勝手にしやがれ!!(Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols)」をリリース。独立テレビ会社協会(Independent Television Companies Association)と独立ラジオ契約者協会(Association of Independent Radio Contractors)がアルバムの広告を禁止したり、ウールワース(Woolworths)やWHスミス(WH Smith)等の小売店も販売を禁止したりしたものの、見事全英1位を記録した。 しかし78年1月の全米ツアーは当初9公演の予定が7公演で打ち切られ、バンドはあっさりと解散したのであった。 アルバム1枚を残して花火のように儚く消えたバンドかと思いきや、96年にオリジナルメンバーで再結成して以降、何度か再結成を繰り返している。何だかパンクっぽくないような気がしないでもない。 その点、2代目ベーシストのシドは79年2月2日、21歳にしてオーバードーズで世を去った。“そのカリスマ性と過激なパフォーマンスに人々は魅了され、波乱に満ちた生涯がパンク・ムーブメントの伝説として語り継がれた” とWikiさんに紹介されており、86年にはシドと彼の恋人だったナンシー・スパンゲン(Nancy Spungen)の自伝映画「シド・アンド・ナンシー(Sid And Nancy)」が公開された。 セックス・ピストルズに関してはもっと色々と書きたかったのだが、ざっくりした経歴しか紹介出来ず残念。とはいえ彼らの活動をリアルタイムで知っているわけでもなく、このアルバム(の中古CD)を購入したのも随分後になってからなので、そこまでの思い入れもないのでまぁいっか… 最後に邦題について一つだけ。“お前は売女(Bodies)” という邦題は残念ながら消滅しており、今は “ボディーズ” となっている。面白味のない時代になったものだ。 そんなセックス・ピストルズに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン アナーキー・イン・ザ・U.K. お前は売女
2025.01.26
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恭喜發財!明けましておめでとうございます。 当へっぽこBLOGをリスタートして18回目の新年となる今年は巳年である。巳(蛇)にちなんだ歌といえば、デュラン・デュラン(Duran Duran)の “Union of the Snake” が真っ先に…というか、それぐらいしか思い浮かばない。 “Union of the Snake” は83年リリースの3rdアルバム「Seven and the Ragged Tiger」から最初にシングルリリース(リードシングル)され、英米で3位を記録した大ヒット曲である。 81年8月1日に米国でMTV(Music Television)が開局してMV(Music Video。以前はPV(Promotion Video)と言っていたが、いつの頃からかMVと言うようになっていた)が24時間楽しめる時代となった。デュラン・デュランはいち早くMV制作に力を入れて人気を上げ、MTVの申し子と呼ばれる(内の一組に)までになったのであるが――。 デュラン・デュランのMVは確かに凝ってはいるものの、何か変だった。 82年にリリースされた2ndアルバム「Rio」からのリードシングル “Hungry Like the Wolf” がMTVでヘビーローテーションされたことにより、Billboardチャート3位という米国での初ヒットとなった。 スリランカで撮影されたMVは84年のグラミー賞でBest Short Form Music Video(ミュージックビデオ賞)を受賞するほど凝った作品ではあるのだが、ジャングルでサイモン(Simon Le Bon)が追いかけっこ(?)をしている変な女性が登場する。何故かサイモンも女性も顔にペイントしていて、女性はサイモンに一撃を加えるものの、揉み合ってるんだかいちゃいちゃしているんだかよく分からないまま終わる謎MVであった。この女性は四つんばいになっていたりサイモンの首筋に引っかき傷をつけたりしているので、虎女と思われる。何だ、虎女って!? Hungry Like the Wolf 虎女 「Rio」からの3rdシングルでアルバムのタイトルソングでもある “Rio” のMVは、クリスタルブルーのカリブ海を疾走するヨットの上で歌ったり遊んだりするというコンセプトだが、“Hungry Like the Wolf” のヒットを意識したのかこれにも変な女性が登場する。何故かメンバーと同じヨットに乗船している全身ペイントの女性は、ひょこひょこと妙な動きでヨット上を移動し、時にメンバーをからかったりして意味が分からない。おそらく意味などないのだろうが。このペイントねーちゃんはカメレオンっぽいなと勝手に思っているので、カメレオン女としよう。ちなみにこのMVの監督はラッセル・マルケイ(Russell Mulcahy)で、“Hungry Like the Wolf” も彼に手による。 Rio カメレオン女 そして翌83年リリースの3rdアルバムからのリードシングル “Union of the Snake” であるが、MVにのっけから登場するのはイグアナ(?)男である。虎女やカメレオン女はかなり人間っぽさが残っていたが、このイグアナ男は体こそ人間なものの動きは完全に爬虫類である。舞台が砂漠っぽいので進化が止まったのかもしれない。カメレオン女とは遠縁か何かだと睨んでいるのだが…。 この訳の分からんMVの監督はサイモン・ミルン(Simon Milne)。マルケイ監督の意味不明・謎生物登場系統をきちんと継承している点は評価したい。 Union of the Snake イグアナ男 “Union of the Snake” というタイトルながらMVに肝心の蛇は全く出てこないのであった。せっかくの巳年一発目だというのに。ま、まぁ蛇のことを歌っている訳じゃないしね(蛇の結合というタイトルながら歌詞は男女の結合のことだと思われる)。 巳年の蛇は脱皮を繰り返して成長するため再生や復活のシンボルとされ、新しい自分に生まれ変わる、幸せな未来をつかむという意味があるそうな。まぁ今回取り上げた3本のMVを見たら意味が分からなさ過ぎて笑っちゃうわな。笑う門には福来る、幸せを呼び込んでくれるかも!? 今年も無意味で誰も今更興味がないことを綴っていきますので、宜しくお願いいたします。
2025.01.05
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昭和45年(1970年)生まれの女性向け年齢限定マガジン「昭和45年女」という雑誌が一時期出版されていた。私は昭和44年生まれなのでおそらくこの雑誌を読んでも懐かしさは込上がるだろうが、60年代生まれか70年代生まれかという意識の差があるような気がする。 この「昭和45年女」創刊の前年に「昭和44年生まれ わが世代 YaYaあの頃を忘れられない」という44年女にどんぴしゃの単行本が出版されていたことを、今回これを書くにあたり色々とググってみて初めて知った。買っちゃおうかなぁ…。 さて、人生の折り返し地点はとっくに過ぎ、残りの人生を穏やかに楽しく過ごせることを願っているのだが、2025年7月5日には何やらヤバいことが起こるかも!? という予言を時折目にする。まぁ55年間も生きてきたのだからこのあたりで終わってもそこまで悔いはないけれど、災害や戦争で命を落とすのは正直怖い、怖すぎる 来年何が起るか分からないので、自分がこの世にいた間の出来事を振り返っておこう。何年に生まれようが皆さん同じことを思っているかもしれないが、昭和44年に生まれて本当によかった。様々な面白いことをそこそこいいタイミングで享受できた世代じゃないかな。年個 人 的 出 来 事 世 の 中 の 出 来 事 昭和44年 8月生誕アポロ11号が人類初有人月面着陸昭和45年 すくすく育つ大坂万博(Expo'70)開催昭和47年 のびのび育つあさま山荘事件 / 山陽新幹線開通昭和50年 小学校入学給与の銀行振込解禁 / 第1回コミケ開催昭和54年 ゴダイゴ好き4年生ソニー「ウォークマン」発売昭和55年 たのきん大好き5年生任天堂「ゲーム&ウオッチ」発売昭和57年 中学校入学 / 祖母他界500円硬貨発行 / テレホンカード発売昭和58年 洋楽にどっぷりハマる♪この頃は洋楽番組がいくつかあったし、CMでもよく流れていた任天堂「ファミリーコンピュータ」発売 /東京ディズニーランド開園 / 「おしん」ブーム / 戸塚ヨットスクール校長逮捕昭和60年 高校入学 / 入学祝にアイワのミニコンポを買ってもらうLIVE AID開催 / 日航機墜落事故 / 第二電電発足 /民営化で電電公社→NTT、専売公社→JTに昭和61年 A-ha初来日公演鑑賞(倉敷市民会館)チェルノブイリ原子力発電所事故 / ハレー彗星大接近昭和62年 平凡な高校生活を送る国鉄分割民営化→JR / 世界人口50億人突破昭和63年 大学入学 / 瀬戸大橋博'88でアルバイト / TMネットワークのコンサートに行き、邦楽(バンドブーム)にも興味を持つ青函トンネル開業 /瀬戸大橋開通 /東京ドーム開場 昭和64年 平成元年 中2から付き合っていた彼氏にフラれて号泣(新元号発表時)しかしその後の世界の激動っぷりに小さなことはどうでもよくなる昭和天皇崩御・平成スタート / 天安門事件 /東欧民主化 / ベルリンの壁崩壊 /ルーマニア革命(チャウシェスク政権崩壊)/ マルタ会談(東西冷戦終結)/任天堂「ゲームボーイ」発売 / 消費税導入(3%)平成2年 成人式出席&同日夜、ディスコで同窓会←豹柄ボディコンで参加し大顰蹙 /「喋血雙雄(狼 男たちの挽歌・最終章)」を劇場で鑑賞、香港映画にハマるドイツ再統一 / ソ連・初代大統領就任 /イラクがクウェートに侵攻(湾岸戦争の発端)/ バブル景気崩壊 /任天堂「スーパーファミコン」発売 /平成3年 就職活動はギリギリ売り手市場内定先企業は東京DL近くのホテルで芸能人をゲストにパーティー開催 バブルの残滓にありつくソビエト連邦崩壊 / 海上自衛隊が初海外派遣 / 湾岸戦争での多国籍軍の空爆の様子がまるでゲームのようで、Nintendo Warと呼ばれる /マツダ787Bがル・マン総合優勝 平成4年 大学卒業 / 就職 / 結婚ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 /前年から一転、就職氷河期に突入平成5年 第一子誕生皇太子御結婚 / 北朝鮮ノドン1号発射平成6年 第二子誕生松本サリン事件発生 / ソニー「Play Station」発売平成7年 1月17日に起った阪神淡路大震災の恐怖から、マンション購入阪神・淡路大震災発生マイクロソフト「Microsoft Windows 95」発売 / Amazon.comがサービス開始平成9年 仕事と育児の両立にてんやわんや香港返還 / 山一證券自主廃業平成10年 食中毒(カンピロバクター)で入院Google開設 / BBC地上初デジタル放送開始 / 和歌山カレー事件平成11年 終末に備えて香港ふらり旅するも、7の月に何も起こらず(ノストラダムスの大予言は空振)/ 劉徳華(アンディ・ラウ)と対面(FCの集い「心只有Andy東京の聚會」にて)EU(欧州連合)新通貨・ユーロ(€)導入東海村JCO臨海事故 / 第一勧銀・富士・日本興行銀行合併発表→みずほ /住友銀行・さくら銀行合併発表→三井住友年末はPCの2000年問題に怯えつつ年越し平成12年 2000年問題は杞憂に終わり一安心 /長男小学校入学 / オフ会in香港12月31日に20世紀終了 /世界初同性結婚法成立(オランダ)平成13年 次男小学校入学21世紀突入 / アメリカ同時多発テロ / ウィキペディア発足(大変御世話になっております)平成19年 前年の長男に続き次男中学校入学 /当駄BLOGをリスタート初代「iPhone」発売 / 「Android」発表 /年金記録問題・未統合5000万件発覚平成20年 父他界四川大地震 / 中国毒ギョーザ /松下電器が「パナソニック」に社名変更平成23年 一時はトリプルワーカーに東日本大震災発生(含福島第一原子力発電所事故)平成25年 前年の長男に続き次男高校卒業により、子育て終了第265代ローマ教皇が辞任→266代就任(「ファティマ第3の秘密」でヨハネ・パウロ2世の次の次の教皇の時代に何かが起こるって書いてなかったっけ?)平成27年 御朱印巡りにハマるSDGs(持続可能な開発目標)が国連で採択される平成31年 令和元年 この世に生を受けて半世紀経過第125代天皇が退位し、第126代天皇が即位 / 京アニ放火殺人事件 / 新型コロナウイルス初発症令和2年 だんなさん肺がんステージⅢBと診断される→放射線治療&薬物療法新型コロナ感染拡大で緊急事態宣言発令 /レジ袋有料化 / 「鬼滅の刃」映画大ヒット令和6年 3ヶ月の職業訓練後、事務職に再就職 /義父他界 / 心穏やかに年越し能登半島地震発生 / デジタル給与支給開始
2024.12.29
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今回で20回目を迎えたM-1グランプリ 2024は令和ロマンの二連覇で幕を閉じた。私の中ではバッテリィズが優勝だったけど。 エバースは期待通りの面白さだったが残念ながら4位に終わった。個人的に今回のM-1でのTOP 3はバッテリィズ、真空ジェシカ、エバースだったかな。 一年間待ちに待ったM-1であったが、私的にはちょっと寂しい結果であった。嗚呼、もう既に来年が待ち遠しい。真空ジェシカもエバースも来年また決勝で見たい。真空ジェシカはめっちゃ好きなので、15年目まで出続けて最後の年に優勝してほしい…なんて勝手に思っているけど、御本人たちにはかなりキツいわな。完全に笑い飯路線に行ってしまったねぇ。 エバースはやっぱり面白かった。佐々木さんの作るネタは本当にどれも秀逸で、町田さんの雑談風ツッコミも上手く、笑いと感心が同時に沸き起こる。喋りだけの漫才でこのハイクオリティ、個人的には断トツで1位なんだけど爆発力はなかったかな。最も推しているコンビなので、今後の更なる活躍を期待している。 今年のM-1でよかったのはバッテリィズを知ったことだった。見た目で勝手に苦手意識を持っていたので今回初めて彼らのネタをちゃんと見たが、ただただ面白かった。優勝でも良かったと思うけど、2本目のネタがちょっと弱かったのが惜しかった。 さぁ、決勝戦のあとは打ち上げだ! 昨年までは千鳥が進行役だったので楽しく見れたが、今年はマヂカルラブリーかぁ…。う~ん、ちょっと苦手だなぁ…。だけどエバースが見たいから視聴するけど。いつだったか一度かまいたちが進行役を務めたことがあったけど、翌年千鳥に戻ったんだよね。最下位経験のある千鳥(特に大悟さん)は残念ながら下位に終わった芸人さんに対しての優しさが滲み出ていて、見ていて温かい気持ちになれた。毎年、打ち上げを見てしみじみしながら一年の終わりを感じていたのだが、今年は何だかなぁ…。 (TVerで打ち上げを見つつ訂正。そういえばマヂカルラブリーも最下位になってたわ。記憶から消していたみたい。あと進行役じゃなくて幹事さんですね) (打ち上げをほぼ見終えて更に訂正、というかお詫び。マヂカルラブリーの幹事も意外と良かったっす) 来年のM-1までYouTube等でエバース(の佐々木さん)を見まくろうっと♪おッ、早速公式チャンネルで決勝ネタだった「桜の木の下」がアップされてる!やっぱりエバース大好き 桜の木の下
2024.12.22
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『背徳の掟』 ジューダス・プリースト 「Defenders of the Faith」 Judas Priest (84) たとえ生ける屍になろうと、最後の最後まで戦い続ける 結成以来、ひたすらに大英帝国の様式美を追及し、守り続けてきたジューダス・プリーストの信念の超大作A面 1. フリーホイール・バーニング - Freewheel Burning 2. ジョウブレイカー - Jawbreaker 3. 鋼鉄の魂 - Rock Hard Ride Free 4. 死の番人 - The SentinelB面 1. 誘惑の牙 - Love Bites 2. イート・ミー・アライヴ - Eat Me Alive 3. 叛旗の下に - Some Heads Are Gonna Roll 4. 夜が来たりて - Night Comes Down 5. ヘヴィ・デューティ - Heavy Duty 6. 神への誓い - Defenders of the Faith 今年3月にリリースした6年ぶりの新作アルバム「インヴィンシブル・シールド(Invincible Shield)」を引っ提げて、今月上旬に来日公演を行ったジューダス・プリースト(Judas Priest)。 前回、6年前にアルバムをリリースした際の全国ツアーに続き、今回も何故か岡山くんだりまで出向いてライヴを行ってくれたのだが、ひょっとして岡山に親戚でもいるのかしらん?←おらんて! そんなジューダスの結成は何と1969年だそうな。英国・バーミンガムで結成され、イミディエイト(Immediate)なるレーベルと3枚のアルバムのレコーディング契約を結ぶもアルバム録音前にレーベルは倒産、バンドも70年4月に解散してしまったという。 その年の10月、かつてジューダスのギタリストのオーディションを受けて落選したK・K・ダウニング(K. K. Downing)と同級生のベーシストであるイアン・ヒル(Ian Hill)、ドラマーのジョン・エリス(John Ellis)からなるフレイト(Freight)というバンドがヴォーカル不在でリハーサルしていたのを見つけた元ジューダスの創設者でヴォーカリストのアル・アトキンス(Al Atkins)がフレイトに加入。アルの提案でフレイトはアルの解散したバンドの名前を引き継いだ。しかしアルは73年に妻子を養うために貧乏バンドを脱退(ジョンはとっくに脱退済)。後任のヴォーカリストとして加入したのが、イアンのGFの兄で後に “メタル・ゴッド(Metal God)” と称されるようになるロブ・ハルフォード(Rob Halford)であった。 84年リリースの9thアルバム「背徳の掟(Defenders of the Faith)」の頃のメンバーはvoのロブ、gのKK、bのイアン・ヒルと、74年に加入したgのグレン・ティプトン(Glenn Tipton)、79年加入のdr・デイヴ・ホーランド(Dave Holland)の5人。 ジューダスを知ったのは83年に米国・カリフォルニア州サンバーナーディーノで開催されたUS Festivalに出演したシーンをTVで見たのが最初で、ステージにハーレーで登場したロブ は印象的だったが、その時に演奏した “You've Got Another Thing Comin'” の方は正直、あまり良いとも思わなかった。 あれから40年の時を経て、今回これを書くにあたりジューダスのフルアルバムを初めて聴いてみた。…あれっ!? めっちゃいいやん。ライヴではロブの高音が苦手ですらあったのだが、このアルバムでは全然気にならないし、メタル・ゴッドの称号も頷ける。KKとグレンのツインギターも冴えまくってる!嗚呼、これこそが80年代のヘヴィメタルだわ。 69年結成時のオリジナルメンバーは73年にアルが脱退した時点で全員いなくなったが、フレイト時代からの生き残りであるイアン、92年に一度脱退したものの03年に復帰したロブ、18年にパーキンソン病を患っていることを公表したグレンの3人は現在もジューダスで活動中(但しグレンは18年以降のツアーには不参加)。3人とも既に70代、お体には気を付けてくだされ。 今回は馴染みのある80年代のアルバムを取り上げたが、実は最も興味を惹かれる彼らの邦題アルバムは78年にリリースされた5thアルバム「殺人機械(Killing Machine)」だったりする。ただ原題直訳なのでちょっと捻りが足りないかな…と思ったりもして。 そんなジューダス・プリーストに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ フリーホイール・バーニング 誘惑の牙 叛旗の下に
2024.12.20
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『キ・ラ・メ・キ・トゥモロー』 オレンジ・ジュース 「Rip It Up」 Orange Juice (82) ちょっぴり甘くて、すっぱいオレンジ・ジュースのフレッシュでフルーティーなサウンド!! スコットランド出身の噂の4人組のデビュー・アルバムA面 1. リップ・イット・アップ - Rip It Up 2. ア・ミリオン・プリーディング・フェイシズ - A Million Pleading Faces 3. マッド・イン・ユア・アイ - Mud in Your Eye 4. ターン・アウェイ - Turn Away 5. ブレックファースト・タイム - Breakfast TimeB面 1. キ・ラ・メ・キ・トゥモロー - I Can't Help Myself 2. フレッシュ・オブ・マイ・フレッシュ - Flesh of My Flesh 3. ルイーズ・ルイーズ - Louise Louise 4. ホコヨ - Hokoyo 5. テンター・フック - Tenter Hook 「キ・ラ・メ・キ・トゥモロー(Rip It Up)」はオレンジ・ジュース(Orange Juice)が82年にリリースした2ndアルバムなのだが、残念ながら現在はこのイカした(死語)邦題ではなく原題そのまま「リップ・イット・アップ」となっている。 元々この「キ・ラ・メ・キ・トゥモロー」というのは “I Can't Help Myself” という曲の邦題で、アルバムのタイトルソングである “Rip It Up” の方は普通に “リップ・イット・アップ” なので、ちょいとややこしい。 オレンジ・ジュースというバンド名は何となく80年代にポッと出てきたノー天気アイドルバンドっぽい感じを受けるも、彼らは76年にスコットランドで結成されたポストパンク・バンドで、当初はThe Nu-Sonics(ニュー・ソニックス)というバンド名だったそうだが、79年にオレンジ・ジュースと改名。 82年2月にデビューアルバム「ユー・キャント・ハイド・ユア・ラヴ・フォーエヴァー(You Can't Hide Your Love Forever)」をリリース。その9ヶ月後に発売された2ndアルバム「キ・ラ・メ・キ・トゥモロー」からの2ndシングル “リップ・イット・アップ(Rip It Up)” が全英8位に達した。 「キ・ラ・メ・キ・トゥモロー」リリース時のメンバーはというと、バンドの中心人物でvo、gのエドウィン・コリンズ(Edwyn Collins)、gのマルコム・ロス(Malcolm Ross)にbのデヴィッド・マクライモント(David McClymont)、drのジーク・マニーカ(Zeke Manyika)の4人。 84年3月にEP「テキサス・フィーヴァー(Texas Fever)」を、更に同年11月には3rdアルバム「ザ・サード・アルバム(The Orange Juice)」をリリース。しかしこの頃にはオレンジ・ジュースはエドウィンとジークの2人だけになっており、85年1月にイギリスの炭鉱労働者のストライキのためのギグを最後に解散した。 ちなみに、彼らの3rdにしてラストアルバムとなった「ザ・サード・アルバム」も現在は原題どおりの「オレンジ・ジュース」になっている。 邦題は斯様に消滅の一途を辿っているのであるが、絶滅危惧のカテゴリーには絶滅危惧ⅠA類、ⅠB類、Ⅱ類(VU)、準絶滅危惧(NT)、情報不足(DD)、絶滅のおそれのある地域個体群(LP)があり、(LP)という文字だけ見たら洋盤邦題(LP)のことかと思っちゃうよね…って誰も思わねーよ! 閑話休題、オレンジ・ジュースなどというダサいバンド名(失礼!)で活動期間もそんなに長くはなかったものの音楽的な評価はそこそこ高いようで、英国のインディーポップやインディーロック界、日本のネオアコ(ネオ・アコースティック)界に多大な影響を与えたという。 正直、オレンジ・ジュースの音楽には全く興味がなく、ただエドウィン・コリンズと誕生日が同じということだけで記憶に留めている程度なのである。なので今回初めて「キ・ラ・メ・キ・トゥモロー」に収録されている全10曲を聴いてみたのだが、確かに80年代を感じさせる楽曲であった。個人的には70~80年代の英国音楽だとネオアコとは間逆とまではいかないまでも、ちょっと遠いニューロマ(New Romantic)やNWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)を好んで聴いていたので、若干穏やか過ぎるような…。勿論悪くはないのだけれど、まぁ音楽の好みは人それぞれということで。 そんなオレンジ・ジュースに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ リップ・イット・アップ ア・ミリオン・プリーディング・フェイシズ キ・ラ・メ・キ・トゥモロー
2024.12.16
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給湯器の不具合が始まったのは昨秋ぐらいのこと。シャワーの途中で水に変わってエラー表示が出るようになったため、給湯器パネルに書かれてある番号に電話して業者さんに見てもらったところ、もう寿命だと告げられた。買換工事の見積も提示されたが保留にし、一応まだ温水も完全に止まったわけではなかったので騙し騙し使っていたが、初夏の頃ついに温水が出なくなった。幸い今年の夏は暑かったので秋までは水シャワーでも大丈夫だったのだが、11月には冷水シャワーもキツくなり、遂に先頃新たな給湯器を設置した。 そんな12月初頭の極寒冷水シャワーを浴びていて、ふと脳裏を過ぎったのが「銭形金太郎」のビンボーさん達であった。 「銭形金太郎(以下「銭金」)」は02年(平成14年)から07年(平成19年)まで放送されていたバラエティ番組で、当初は大好きで楽しく見ていた。 この頃のテレビ朝日系列の23時台のバラエティはとても充実しており、月曜の「内村プロデュース」、水曜の「Matthew's Best Hit TV」、木曜の「銭金」、金曜はおらが町では「探偵!ナイトスクープ」という最高のラインナップであった。(水曜の「ぷっすま」は芸人さんの番組ではなかったので個人的にはあまり…) 現代社会で明るく生きている人たち… それは夢あるビンボーさん。 彼らの生活の知恵、逞しさ、生き様を学びましょう。 そして、彼らには番組から夢を掴むチャンスを! 「銭形金太郎」はそんな彼らをサポートする生活応援バラエティです。 というTARAKOさん(今年3月に急逝されてしまった)のナレーションで始まる「銭金」は、ネプチューンの名倉潤さんと原田泰造さん、渡辺満里奈さんの3人が進行役、そしてネプチューンの堀内健さんが審査委員長を務め、貧乏さん達のサポーターとしてくりぃむしちゅーの上田晋也さんと有田哲平さん、Take2の東 貴博さん(東MAX)、土田晃之さんなどが出ていた。名前の色は番組で着ていた衣装(つなぎ)の色である。 名倉さんと渡辺さんはこの番組での共演がきっかけでめでたく結婚。何となくそういう雰囲気は感じていたので、番組内で発表したときは微笑ましく、この後渡辺さんは寿降板した。 この番組に登場したビンボーさん達の中には台所のシンクでお風呂を済ます人もいたが、伊集院光さんがサポーターの回でスゴい家(築100年越え)を訪れた際にガスを引いてなくてお風呂が水だった方がいた。寒い群馬で水風呂に入らされた伊集院サポーターは「沸かせ!」と怒鳴り、その後に巨体で床板を踏み抜いてしまったのだった。まぁこの番組は後にやらせがあったとかつて出演したビンボーさんにバラされたので、どこまで本当かは分からないが、貧乏だったら水風呂は無理でも冷水シャワーぐらいなら何とか気合で乗り切れるものなのであーる。温暖な瀬戸内気候のおかげもあるけど。いや、でも流石に真冬は厳しいかな。私もこれ以上冷水シャワーを続けていたら死ぬかもしれないと思い、給湯器取換工事をお願いしたからなぁ…。 23時台に放送していた頃はビンボーさん達の慎ましくも逞しく、ちょっとおかしい生活っぷりとサポーターさん達のやりとりを楽しく見ていたのだが、20時台に移行してからはネタが尽きたのかパワーダウンしていき、いつの間にか見なくなり、気が付けば番組は終了していた。 「銭金」に登場したビンボーさん達は今頃どうしているのだろう。結構学生さんが多かったので、放送から20年も経った現在は社会人として普通の生活を送っているんだろうなぁ。ちゃんと温かい湯船に浸かれているかしらん…
2024.12.15
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12月5日にNEW PIER HALLで行われたM-1準決勝戦により、いよいよ9組の決勝進出が確定した。 私の一推しであるエバースもついに初の決勝進出を果たしたまぁ昨年の敗者復活戦で一気に知名度をあげて以来、エバースは人気も評判も高いので決勝に行けるだろうとは思っていたけど、やっぱり嬉しい。 決勝進出はエバースの他にママタルト、令和ロマン、ジョックロック、真空ジェシカ、トムブラウン、ダイタク、ヤーレンズ、バッテリィズの計9組。 昨年の決勝組(真空、令和ロマン、ヤーレンズ)は順当かな。ただ、カベポスターが入ってないのが寂しい。敗者復活で上がってきてほしいなぁ。ジョックロックは前評判が高かったのでやっぱりな、という感じ。トムブラウンもウケてるから、まぁ納得。ダイタクのお二人はずっとあと一歩のところで涙を呑んでいたから、最後に花を咲かせてほしい。 今から決勝戦が待ち遠しい♪ 審査員もどなたになるのか気になるところ。 準々決勝ネタが大ウケだったのはラパルフェ。YouTubeの視聴回数も彼らだけ桁違いだ。ミルクボーイがM-1史上最高得点を叩き出して優勝した2019年のM-1決勝戦で最下位だったニューヨークのネタの完コピが面白すぎる! その準々決勝組の中からワイルドカードで準決勝に進んだのはロングコートダディだったが、彼らのネタが当日に作った新ネタでいまひとつのウケだったこともあり、ただの人気投票じゃねぇか!と非難を受けるハメに。個人的にもロングコートダディよりはからし蓮根の方が面白かったけどね。からし蓮根、来年こそは決勝に返り咲いてほしい。新鮮さはないかもしれないが、今年はダイタクが決勝に進んだくらいだから、からし蓮根もチャンスは大アリだ。 今年は佐々木さん(近頃の一推し)と町田さんを決勝の舞台で見ることができて、めっちゃ嬉しい。何だか勝手にこちらが緊張してしまう。 決勝戦は22日(日)、楽しみすぎる♪
2024.12.06
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待ちに待ったM-1月がいよいよ到来した。今年で20周年を迎えるM-1グランプリの決勝が今から待ち遠しくて仕方がない♪ 今年のM-1には過去最多の10330組がエントリー(再エントリー含)したという。 3回選に進んだ407組のネタがYouTubeにあがっているので全て視聴した。個人的な感想としては、全体の2/3ぐらいは漫才として楽しく見れたが、残りの1/3は正直キツかった。違うコンビやグループで一人が複数回出ているのもどうかと思うが、まぁお祭りだからいいのだろう…個人的には不快ですらあったけど。 この中から準々決勝に駒を進めた94組、更に準決勝まで勝ち進んだ30組は既に発表されているが、3回戦で記憶に残った組を10組+1組あげてみたい。 ・エバース 私の大本命はエバースのお二人。昨年の「M-1グランプリ 2023」にて “敗者復活戦で印象的だったのはエバース” と綴ったが、ケンタウロスのネタが面白すぎてすっかりファンになり、YouTubeに上がっているエバース関連の動画はほぼ見尽くしている。町田さんのキャラもよいが、とにかく佐々木さんの書くネタが秀逸なうえ、野球姿も格好いい。今年は決勝までいくかも…いや、是非ともいってほしい。 ・家族チャーハン 期待せずに(失礼)視聴してみたら、結構面白くて印象に残っている。準決勝進出も納得。 ・コーツ これまた意外と面白かったけど、惜しくも準々決勝敗退。ネタは面白かったんだけど、ちょっと地味だったかな。 ・モグライダー ずっと犬(もしくは一平)に徹した芝さんが新鮮だった。ただ、彼らのネタをあまり知らないので、元々はこういうネタをやっていたのかもしれないけど。今年がラストイヤーとのこと、お疲れ様でした。 ・真空ジェシカ 決勝常連ですっかりお馴染み。やっぱり面白い。個人的にはすごく好きなのだが、笑い飯路線になりそうで心配。 ・そいつどいつ そろそろ上がってきてほしいのだが、今回はこれまた何とも微妙なネタを…。 ・どんちっち 「M-1グランプリ 2022」の3回戦を見て以来、秘かに応援している。 ・からし蓮根 毎年ネタに外れなし。今年もやっぱり面白かったのだが、何故準決勝に上がってないの?また決勝で見たいなぁ。 ・アオイサカナ 今年の3回戦で最も印象に残ったネタだった。笑いより感心が勝ったかな。来年からが楽しみ。 ・カベポスター 流石の決勝常連、めっちゃ面白かった。今年の3回戦では一番好きなネタ。 ・黒帯 彼らのネタもめっちゃ面白かったんだけど、まさかの準々決勝敗退だとは…。 12月22日の決勝が楽しみすぎる。上記11組中、準決勝進出が決まっているのは真空ジェシカ、カベポスター、家族チャーハン、そしてエバースの4組。決勝まで勝ち進んでくれると嬉しいけど。 嗚呼、決勝まで3週間もある。どうかエバースを決勝の舞台で見られますように。
2024.12.02
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先月、「世界の果てまでイッテQ!」に約4年ぶりの出演を果たして話題になった “孤高のアイドル” 手越祐也くん。 久しくイッテQは…、いやイッテQどころかTV自体を見なくなっているが、久々に手越くんの『テイッ!』を見たくなり、ネットで視聴した。相変わらず華があって面白かった。ジャニーズを辞めても孤高のアイドルは健在だった。 そういえば15年前に「'09年私が選ぶ ぱすぱら抱かれたい男ランキング」なる駄記事に於いて、手越くんを10位に挙げたことがあった。 10位 手越祐也さん (「イッテQ」のビッグマウス) 全くファンでも何でもないが、24時間TVのマラソンでイモトさんがゴールした際の頭なでなでが、何となくいい感じだったので。私もなでなでされた~い ――そう、ルックスも愛すべきキャラクターも確かに好きではあったが、当時は手越くん自身にはまるで興味がなく、“孤高のアイドル” と紹介されてはいたものの、ジャニーズのアイドルとしての手越くんは全く知らなかったし知りたいとも思わなかった。しかし今回久々にイッテQを見て、アイドルとしての手越くんを今更知りたくなった。 そこでYouTubeで手越くんが当時在籍していたアイドルグループ・NEWSを検索してみると、NEWSの公式チャンネルがMVを多く上げていたので見てみた。「チュムチュム」(←タイトルclickでYouTubeへGo!!) “チュムチュム” という謎のタイトルに惹かれてまず最初にこの曲を視聴してみたのだが…。一体何なんだろう、この歌は!? この意味不明というか意味など無さそうなこの歌を歌いこなせるのはまさしくアイドルだからだろう。とはいえNEWSというのは本当に正統派アイドルだったのだろうか?やっぱりお笑い系のアイドルだったのかな?と半信半疑になりつつ、他のMVも見てみることに。「チャンカパーナ」 またしても謎タイトルの曲を選んでみたのだが、こちらは正真正銘のアイドルMVで、意外と手越くんの歌唱力の高さに驚いた。ただ、歌詞は相変わらずよく分からないけど。美しい恋にするから約束するよ、チャンカパーナって…。 MVを視聴していてふと思い出した。いつだったかパーナさん事件というのがあって、当時(10年くらい前だったかな)2ちゃんのまとめサイトで事件の一連の流れを知り、そのアイドルファンの暴走っぷりに呆れたものだが、パーナさんのパーナってこの曲のタイトルからきたもので、あの事件のファンってNEWSのファンだったのか。やっぱり凄いアイドルだったのね。「KAGUYA」 タイトルどおりかぐや姫をモチーフにした歌で、♪今は昔かぐやの姫といふものありけり~という歌いだしに若干脱力したものの、このMV(監督は蜷川実花さん)の手越くんの妖艶さったら!完全にアイドル…いや、アイドル越えてるわ!何なん、この美しさは!? 顔も肌も仕草もとにかく美しいうえに可愛すぎる!私の中で何かの扉が開いてしまった 「生きろ」 普通のタイトルの普通に良い歌も歌っているようでひと安心。それにしても手越くん、普通に――いや、普通以上にかなり歌が上手い。手越くんはルックスよし、歌唱力よし、キャラよし、華ありという無敵のアイドルだったんだと今更ながら思い知らされた。 この後、数々のMVを見てみたが、当初は後方の端っこにいた素朴そうな手越少年がアイドルオーラ全開の金髪美青年に成長していく様は圧巻で、フリーになってからのMVもいくつか見てみたが、今こそまさに孤高のアイドルと呼ぶに相応しい気がする。 ついでに4年前の記者会見も今になって初めて見たが、存外(失礼!)賢い人だというのは分かった。自信過剰気味に大きなことを言うのは自分に言い聞かせているという部分もあるんだろうな、と良い方に解釈しておこう。円満退社と言ってはいたものの、まぁ色々あったんだろうなぁということを察せずにはいられない2時間の会見だった。こういうタイプの人は遠くから眺める分には眩しく見えるのだが、近くにいる人はちょっと大変かもしれない MVや記者会見に加え、過去の様々な映像やインタビュー記事にも目を通し、20年8月に出版されたフォトエッセイ「AVALANCHE 〜雪崩〜」までも読んだ。ライヴ後の号泣シーンには胸を打たれたし、いくつかのインタビュー記事で彼の摯実さを窺い知ることができた。一方で、暴露本のようなフォトエッセイについては正直どうかと思ったけど……ってあれッ!? めっちゃ手越くんのファンになってない!? ここまでジャニーズアイドルに興味を持ったのは、小学生の頃にマッチ(近藤真彦さん)に憧れて以来40数年ぶりだ。 NEWSはMVと幾つかのYouTube映像でしか知らないけど、大勢でわちゃわちゃしていた頃より4人組になってからの方が個人的には好ましい気がした。といってもNEWSのことはほとんど知らないけど。 そんな孤高のアイドル・手越くんは本日11月11日が誕生日だそうで。おめでとうございます~。イッテQではあんなに可愛かった手越くんも今年で37歳になるのね。アラフォー男性とは思えぬ美しさは努力の賜物なんだろうなぁ。今後の更なる活躍を願っておりまする。 更なる活躍といえば先日、何や日本テレビ系オーディション番組から誕生したXYとかいうグループへの電撃加入が発表されたそうだが、どうなるんだろう…。4年ぶりのイッテQ出演も、この電撃加入と関係があるとかないとか。まぁ、どんな結果になろうとも秘かに応援したい。テイッ! 嗚呼、それにしても「KAGUYA」MVの手越くんが眼福過ぎる。OPのうなじ~背中の至高シーンといい、♪風の噂に聞くほどの~の後のニンマリ横顔といい、♪SAGA SAGA~の鎖骨チラ見せシーンやら胸元はだけた濡れシーンやらといい、あまりの美しさに何度も繰り返し見てしまうでもって♪SAGA SAGA~のお尻ふりふりシーンは可愛いし、♪恋してるノンフィクション~でスクワットのように足を広げて腰を落とすシーンではちょっと男の子っぽさも感じられて、本当にこのMVの手越くんが好き過ぎる。何故当時(15年1月リリース)この魅力に気付けなかったのだろう…。
2024.11.11
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「探偵!ナイトスクープ」で2代目局長を19年間に亘って務められた西田敏行さんが17日に逝去された。数ヶ月前に同番組で永らく最高顧問を務められていたキダ・タローさんの訃報があったばかりだというのに。初代局長の上岡龍太郎さんに続いて西田局長までも既にこの世にいらっしゃらないとは、本当に寂しい限りだ。久々にナイトスクープのDVDを観て、笑いながら偲びたい。 …と思ったが、いやいや、西田さんといえばやっぱり「西遊記」の猪八戒役が一番思い出深い。今まで視聴した数々のドラマの中で最も好きな作品を選ぶなら迷わず「西遊記」を挙げるほど、放送から40数年経った今でも愛してやまない。やっぱり「西遊記」のDVDを見返すことにしよう。 三蔵法師役の夏目雅子さん、沙悟浄役の岸部シローさん、続いて八戒役だった西田さんまで鬼籍に入られたことで、孫悟空を演じた堺正章さんが発表した「猪八戒、沙悟浄、三蔵法師もみんな天竺へ旅立ちました。私もいずれその旅に参加します。心よりご冥福をお祈りします」との追悼コメントにしんみりした。 当へっぽこブログでも西田さんの出演作を度々取り上げている――というか、本当に様々な作品に出演していることに今更ながら驚嘆している。 79年に公開された、いしいひさいちさん原作のアニメ映画「がんばれ!!タブチくん!!」では、主人公のタブチくん(田淵幸一さん)の声優を務めており、ピッタリとハマっていた。 76年~78年に放送されていたバラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ !!」にも出演されていたようで。電線音頭としらけ鳥音頭のことぐらいしか記憶にないけど。 西田さんは時代劇にも数多く出演しており、NHK大河ドラマでも主役もしくは重要な役どころを多く演じている。西田さんの凄さが分かる5ちゃんねるのコピペが存在するくらいだ。1169 西田敏行、法住寺殿において出家、法皇となる。1180 西田敏行、父と共に源頼朝の挙兵に加わり、山木館を襲撃1561 西田敏行、武田信玄に啄木鳥戦法を献策するも謙信に見抜かれ討ち死に1584 西田敏行、西田敏行に小牧長久手の戦いで敗れる1598 西田敏行死去。遺児は後に西田敏行に滅ぼされる1600 西田敏行、真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける同年 西田敏行、石田三成を関ヶ原に破る1603 西田敏行、幕府を開き初代将軍になる1605 西田敏行、西田敏行に将軍職を譲り、後に駿府城に移る1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける1716 西田敏行、八代将軍になる1745 西田敏行、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る1860 西田敏行、会津藩の家老となる1861 西田敏行、愛加那との間に西田敏行を授かる(それをナレーションする西田敏行)1867 西田敏行、西田敏行に命じられて江戸薩摩藩邸を本拠として江戸市内を混乱させ、薩摩藩邸焼討事件を起こさせる(それをナレーションする西田敏行)1868 薩摩藩の西田敏行らと長州藩の西田敏行らが協力して幕府を倒す (それをナレーションする西田敏行)1869 西田敏行、五稜郭の戦いで新政府軍に敗れる1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍に西田敏行軍は鎮圧され、城山で自刃 (それをナレーションする西田敏行)1883 西田敏行、共立学校の初代校長となる1904 西田敏行、日銀副総裁として日露戦争の戦費を調達する1904 西田敏行、京都市長に就任し、父である西田敏行のことを、部下に語りだす1945 西田敏行、フィリピンの戦場で誤って兄に撃たれる 個人的に時代劇で強く印象に残っているのは86年の日本テレビ年末時代劇スペシャル「白虎隊」だ。戊辰戦争における会津藩の悲劇を描いた作品で、モリーこと風間杜夫さんが会津藩主・松平容保役を見事に演じ、新選組副長・土方歳三役の近藤正臣さんや沖田総司役の中川勝彦さん等を見て新選組に夢中になった。このドラマで西田さんは会津藩軍事奉行・萱野権兵衛を演じ、戊辰戦争敗戦の会津藩責任者として処刑されることとなったシーンが記憶に残っている。 その新選組の沖田さんを草刈正雄さんが演じた74年公開の映画「沖田総司」で、西田さんは二番隊組長・永倉新八役で出演している。とはいっても西田さんの出演シーンはほぼ記憶にないけど。 昭和の名優がまた一人いなくなってしまった。心より御冥福をお祈りいたします。
2024.10.20
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『禁断の惑星』 The B-52's 「Wild Planet」 The B-52's (80) ■“来襲” の衝撃を今なお鮮烈に残したまま、再び直面する新たなる衝撃! ■“禁断の惑星” に降りたったTHE B-52'S驚異のサウンドは輝きを増して強力にNEW WAVEしてる。A面 1. 月影のパーティー - Party Out of Bounds 2. ダーティ・バック・ロード - Dirty Back Road 3. ランニン・アラウンド - Runnin' Around 4. 恋のお願い - Give Me Back My Man 5. プライベート・アイダホ - Private Idaho B面 1. デヴィル・イン・マイ・カー - Devil in My Car 2. キッシュ・ロレイン - Quiche Lorraine 3. ストロボ・ライト - Strobe Light 4. ヴィーナス・西53マイル - 53 Miles West of Venus 10月12日はThe B-52'sのギタリストであったリッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の命日ということで、80年にリリースされた彼らの2nd「禁断の惑星(Wild Planet)」を取り上げたい。 79年発売のデビューアルバム「警告!THE B-52'S 来襲(The B-52's)」より邦題としては地味だが、個人的にB-52'sのアルバムの中ではこの2ndが一推しだと思う。 B-52'sについてはこれまでに散々書き尽くしたので、このアルバムについてより詳しく知りたい方はリッキー・フェス 第4夜もどうぞ。 B-52'sのメンバーはというと、怪しげな男性vo.フレッド・シュナイダー(Fred Schneider)に、バンド名の元になった奇抜なヘアスタイルが特徴的な二人の女性vo.ケイト・ピアソン(Kate Pierson)とシンディ・ウィルソン(Cindy Wilson)。そしてdsのキース・ストリックランド(Keith Strickland)とgのリッキーの5人組。リッキーとキースは学生時代からの親友で、シンディはリッキーの実妹である。 76年に結成され、78年には地元ジョージア州アセンズのDBレコードから、デビューシングルである “Rock Lobster” をリリース。そして79年にはワーナーと契約し、1stアルバム「警告!THE B-52'S 来襲(The B-52's)」を発表。しかし83年にリッキーがHIVに感染していることが分かり、85年10月12日に32歳の若さで逝去。翌86年にリリースされた4thアルバム「バウシング・オフ・ザ・サテライツ(Bouncing off the Satellites)」がリッキーの遺作となってしまった。 4人組となったB-52'sは89年に5thアルバム「コズミック・シング(Cosmic Thing)」をリリースしたところ、まさかの全米4位を記録。シングルカットされた “Love Shack” と “Roam” も全米3位の大ヒットとなり、The B-52'sは世界中から愛されるパーティーバンドとなったのであった。 今回、これを書くにあたり確認のためWikipediaを開いてビックリ!なぜかリッキー個人の日本語ページが出来ているではないか! 嬉しいけど、一体何故今更…いつの間に? このアルバムに話を戻してお勧めソングを挙げるならば、一番は “恋のお願い(Give Me Back My Man)”。シンディの単独voソングにはわりと名曲が多いのだが、中でもこの曲はちょっぴりしっとり系(B'sの中では)でシンディのヴォーカルが冴え渡り、おまけにリッキーのギターも格好よくて、ウィルソン兄妹の活躍が目立つ。 次いで “ストロボ・ライト(Strobe Light)” もこれまたノリノリで、リッキーのギター演奏をしっかり堪能できてお気に入り。 “プライベート・アイダホ(Private Idaho)” はB'sらしい曲としか言いようがないのだが(勿論褒め言葉)、このタイトルを拝借したというガス・ヴァン・サント(Gus Van Sant)監督の「マイ・プライベート・アイダホ(My Own Private Idaho)」はB'sのノー天気さは微塵もない作品であった。主演のリヴァー・フェニックス(River Phoenix)とキアヌ・リーブス(Keanu Reeves)は眼福であった。 映画といえば、このアルバム邦題は56年公開のSF映画「禁断の惑星(Forbidden Planet)」を拝借して付けられたのかなぁ?古すぎて見たことないけど。 元々は「Urgentisimo」(“緊急”という意味)というタイトルになる予定だったらしいが、何やかんやで「Wild Planet」になったのだとか。 そんなThe B-52'sに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ Ricky~ 恋のお願い プライベート・アイダホ ストロボ・ライト
2024.10.12
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転職して2ヶ月が過ぎた。ホワイトな職場での事務仕事は十数年ぶりという言い訳は通用しないが、ミスばかりで心苦しく思いつつも幸いなことに充実した日々を送っている。充実しすぎて駄BLOG更新を一月以上放置してしまった。 月曜は帰宅後にYouTubeで「まいにち大喜利」を、木曜には「ぶらり信兵衛-道場破り-」を視聴して疲れを癒している。 でもって近頃はリンダカラー∞のカリスマ・Denさんがお気に入りで、彼の至言に元気をもらっているのであーる。JOKER~。 先日、スマホを買い換えた。スマホで絶対に必要な機能は目覚ましとカメラ(寺社撮影用)、バスの運行案内ぐらいなので、初めて購入したXperiaを7~8年も使い続けてきたのだが、古すぎて対応不能のアプリがあったりして少々不便を感じ始めていた。そこへ婦人科検診で新たに診察を受けることになった病院がデジタル診察券というものを採用しており、万が一登録できなかったら困るな…と思っていたところ、たまたま病院帰りに立ち寄った普段は利用しないスーパーでスマホ屋さんに声を掛けられ、ちょうどいい機会なので1円スマホを購入した次第。 数独とニコニコ漫画(お気に入りの「雑兵めし物語」を読むためだけに登録。月刊誌「まんがライフオリジナル」も同作品を読むためだけに購入している。竹書房さん、早く新刊を出してくだされ)とPixiv(「鬼滅の刃」の伊黒さんの漫画を見るため)ぐらいしか使わないけど、近頃は何でもスマホで出来る…というかスマホでやらないといけないので、持っておかないといけないのよね。おばはんはデスクトップPCだけで十分なんだけど… 重野なおきさんの「雑兵めし物語」が好きすぎて、前回「ジオラマの誘惑」で書いたとおり、55歳の誕生日にいよいよジオラマデビューを果たしたのである。 「さんけい みにちゅあーと プチ 田舎家」というもので、“細部まで精密にレーザーカットされたカラー硬質紙を使用。塗装することなく精巧な模型をつくれる。質感や強度も紙と思えないくらい” とのこと。初心者でも簡単に作れて、小学生の頃の図工を思い出した。一つ作ると欲が出て、家の周りの木々や草なども置きたくなる。更には作兵衛とつるちゃんの家だけでなく、ヒゲダルマのお寺や、小菊ちゃんの田んぼ、領主のお城とかも作っていきたい。いやいや、その前にジオラマを置くスペース作りが先決かも。なんてあれこれ考えるだけでも楽しい♪ 男の子がプラレール好きな理由が分かった気がする。息子達にも子供の頃に買ってあげればよかったなぁ…今更だけど。 最後に、同じく8月23日に誕生日を迎えた方達の曲を挙げてお別れしたい。 まずはスコットランドのポストパンク・バンドであるオレンジ・ジュース(Orange Juice)が82年にリリースしたアルバムのタイトルソングである “Rip It Up”。このアルバムの旧邦題もなかなかイカしていたので、懐かしアルバム邦題でいつか取り上げたい。voのエドウィン・コリンズ(Edwyn Collins)は59年生まれで今年で65歳になった。05年に脳溢血になったが、無事復帰を果たしている。 もう一人は豪州出身のリック・スプリングフィールド(Rick Springfield)。彼は49年生まれで今年で何と75歳。おじいちゃんになってもまだまだ二枚目ぶりは健在だ。84年にリリースした「Hard to Hold」からの大ヒットシングル “Love Somebody” をどうぞ。 Rip It Up - Orange Juice Love Somebody - Rick Springfield
2024.09.07
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近頃は重野なおきさんの「雑兵めし物語」という漫画にドハマリしており、元々単行本派だったものの1年以上新刊が出ないため、遂には連載雑誌である「まんがライフオリジナル」を購入するまでになってしまった。 信濃に暮らす料理好きの雑兵・作兵衛と、元は諏訪の武家の娘でありながら甲斐の武田軍に滅ぼされ、作兵衛に助けられたことから使用人として同居することになった食いしん坊のつるの話なのだが、作兵衛は格好いいし、つるちゃんは可愛いしで毎日読み返しているくらい大好きだ。単行本もKindle版も購入している。万が一アニメ化してくれたらDVDも勿論買うのだが、残念ながらそれはないだろう。 せめて作兵衛のフィギュアでも作ってもらえないかしらん…って、それもないわな。じゃあ粘土か何かで自分で作兵衛像を作ってみようかというアホな考えも一瞬脳裏を掠めたが、流石にそれは気持ち悪い。だが次の瞬間、ふと思い付いたのである。 作兵衛とつるちゃんが暮らす家のジオラマを作るというのはどうだろう――。 すっかりその気になったものの今までジオラマに興味も関心もなかったため、とりあえずジオラマとはどうやって作るのか、必要な材料や道具が何なのかを知るためにYouTubeでジオラマ作成動画をいくつか見てみた。 動画を見ていて思い出したのだが、そういえば自分は図画工作が苦手で手先の不器用な人間であった。大人になってからは図工の能力が問われる機会がなかったので、すっかり忘れていた。作れるかしらん…!? とりあえず必要そうなものは土台と家の模型、塗料と接着剤、屋根に葺きつける何か(萱だか藁だかっぽいモノ)や、外に生えている草や木のパーツあたりかな。家の中も作ってみたいが、それだと家の外も手作りしないと無理だろう。 手際よくサクサク作る動画ばかり見ていると、何だか自分でも簡単に作れそうな錯覚に陥ってしまうのだが、当然ながらあんなに上手く出来るはずないわな。単行本の新刊が出るのが先か、作兵衛宅のジオラマ完成が先か。 今月迎える55歳の誕生日に、自分へのプレゼントとしてジオラマ作りの材料を買っていよいよジオラマデビューを果たそうと考えている今日この頃なのである。 TOMIX わらぶき農家。購入しようか思案中。
2024.08.05
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『燃えよブルース・ギター』 サヴォイ・ブラウン 「Wire Fire」 Savoy Brown (75) ブルース・ロックひとすじに10年!! 不死鳥キム・シモンズ率いるサヴォイ・ブラウン――旧友ポール・レイモンドを再び迎え入れ、また新たなる一歩を……A面 1. 共にのろうぜ! - Put Your Hands Together 2. ストレンジャー・ブルース - Stranger Blues 3. ヒア・カムズ・ザ・ミュージック - Here Comes The Music 4. いかしたフィーリング - Ooh What A FeelingB面 1. 0(ゼロ)の英雄(ヒーロー) - Hero To Zero 2. ディープ・ウォーター - Deep Water 3. キャント・ゲット・オン - Can't Get On 4. 都会に疲れて - Born Into Pain “燃えよ” だの “ブルース” だのというと、香港電影好きにはすぐさまブルース・リー(李小龍)が思い浮かんでしまうのだが、今回取り上げるのは英国のブルースロック・バンドであるサヴォイ・ブラウン(Savoy Brown)が75年にリリースした12thアルバム「燃えよブルース・ギター(Wire Fire)」。ブルース・リー主演の大ヒット映画「燃えよドラゴン(龍爭虎鬥)」の日本公開が73年12月なので、ひょっとしたらこのアルバムの邦題を付ける際に映画が脳裏を掠めたのかもしれない…知らんけど。 サヴォイ・ブラウンは65年に結成され、バンドの創設者にしてリーダーであり、ギタリスト、主要ソングライター、そして唯一の常連メンバーであったキム・シモンズ(Kim Simmonds)が22年に75歳で逝去するまで続いた。 三大ブルースロック・バンドの一組だったそうで、残る2組はチキン・シャック(Chicken Shack)とフリートウッド・マック(Fleetwood Mac)。3組のうちサヴォイ・ブラウンだけWikipediaの日本語ページがないので、日本での知名度は今ひとつなのかもしれない。恥ずかしながら私も全く知らない。そもそもブルースに全く興味がないのである。 80年に公開されたジョン・ランディス(John Landis)監督のコメディ映画「ブルース・ブラザース(The Blues Brothers)」は大好きでDVDを購入して何度も見ているし、彼らのCDも持っていて時折聴いているので多少の馴染みはあるのだが、80年代のニューウェイヴ(New wave music)やニューロマ(New Romantic)、HR/HM(Hard rock / Heavy metal music)に慣れ親しんで育ったミーハーおばはんにブルースやらR&Bといった魂を揺さぶるような音楽は、気軽に楽しむにはちょいと重いというか何というか…。 あ、全く関係ないしどうでもいいけど、ブルースといえばその昔、“スニーカーぶる~す” なんて曲があったっけ。あれもブルースだというのなら、そんなに身構えなくてもよいのかもしれない。♪じーぐざぐざぐじぐざぐじぐざぐ 一人きり~ 多少の休止期間を挟みつつも、50年以上活動していたサヴォイ・ブラウン。結構頻繁にメンバーが交代しており、「燃えよブルース・ギター」の頃のメンバーはというと、g&voのキム・シモンズの他にはbのアンディ・レイ(Andy Rae)、dsのデイブ・ビッドウェル(Dave Bidwell)にkey&gのポール・レイモンド(Paul Raymond)あたりらしい。 ポール・レイモンドといえば元UFOで一時マイケル・シェンカー・グループ(Michael Schenker Group)にも在籍していたので、日本での知名度はキム・シモンズより高いかも。 さて、この「燃えよブルース・ギター」であるが、ブルースロックの魅力を十分に堪能出来るアルバムだと思う。まぁブルースロックを全く知らないのだけれど。でも確かにブルースロックというのも悪くないな、と思わせてくれるアルバムだ。百見は一聴にしかず――是非とも御自身の耳と心で確かめてみてほしい。 そんなサヴォイ・ブラウンに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ。勿論フルアルバムで♪ 燃えよブルース・ギター(Full Album)
2024.07.21
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前回で「震える舌」を取り上げたあと、渡瀬恒彦さんが出演していた「セーラー服と機関銃」をまた見たくなり、Amazon Prime Videoで視聴した。やっぱり渡瀬さんがめちゃめちゃ格好よかった。 それからは東映オンデマンドやらKADOKAWAチャンネルやらで、渡瀬さんが出演した映画やTVドラマを見まくっている。どうして渡瀬さんがまだこの世にいた頃に、彼の魅力に気付かなかったのだろう。リアルタイムで視聴する機会はいくらでもあったのに…。本当に悔やみまくりである。 渡瀬さんは17年3月に癌で逝去されたが、存命であれば今月28日に80歳を迎えられる。傘寿祝いとして “恒さんまつり” を開催したいところだが、再就職したばかりで疲労困憊の毎日を送っているため、もう少し心の余裕が出来たらひっそりと祭りを行おうと思っている。 晩年に演じられた様々な刑事役も良いが、若い頃のアウトローな恒さんがとにかく格好いい。流石、芸能界喧嘩最強と言われ続ける伝説の男である。 「セーラー服と機関銃」で、ひょんなことからヤクザの組長になった目高組4代目組長・星泉(演じているのは薬師丸ひろ子ちゃん)を身を挺して守るシーンがある。組事務所にいきなり機関銃を撃ち込まれ、恒さん演じる佐久間さんが咄嗟に組長を抱き上げて銃撃から庇うシーンの格好よさったら。この作品は何度か見ているが、これまであまり恒さんを意識して見ていなかったので、こんなに男らしいシーンなのに気にも留めていなかった。嗚呼、恒さんの無駄遣い。この作品に恒さんは勿体無さすぎる。まぁ、ひろ子ちゃんも可愛いけど、大人になってから見ると恒さんの格好良さで成り立っている作品だと思う。 今後、ぼちぼちと渡瀬さんの魅力について語っていきたい。
2024.07.17
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前々から一度は見てみたかったが何だか怖そうで見れなかった映画が、たまたまYouTubeで2週間限定無料公開中(7月18日まで)とのこと。ありがとう、松竹シネマPLUSシアターさん。 というわけで、昭和55年(1980年)に公開された野村芳太郎監督の「震える舌」を見てみた。トラウマ必至だの、ホラー映画より怖いだのという評判を目にしていたので怖々と見てみたのだが、個人的には医療並びに医師の凄さに感銘を受け、主演の渡瀬恒彦さんの格好よさと、子役の女の子の演技力にただただ圧倒された作品であった。 ちなみに渡瀬さんは80年度のキネマ旬報主演男優賞を受賞している。 自宅マンション近くの水辺で遊んでいた女の子・三好昌子ちゃん(演じているのは若命真裕子ちゃん)は指先をちょこっと怪我してしまう。後日、昌子ちゃんは食事をあまり取らずにフォークを落としてしまい、父親の昭(渡瀬さん)が厳しく叱るも、母親の邦江(十朱幸代さん)は昌子ちゃんは風邪気味だからと庇う。医者には連れて行ったが、昌子ちゃんが口を開けたがらなかったから医者も診なかったとのこと。 また後日、昭と邦江は昌子ちゃんの歩き方の異変に気付く。その日も病院には行ったもののちゃんと診てもらえなかったという邦江に、昭は明日は自分が連れて行くと言っていたその夜、突如昌子ちゃんの叫び声が!昌子ちゃんは痙攣を起こし、舌を噛んで口中血まみれになっていた。大慌てで昌子ちゃんの口を開けさせ、救急車でかかりつけの病院へ向かうも「明日大病院で診察してもらった方がいい」と言われただけで帰されてしまう。帰宅後、何とか昭のツテで大学病院に行って診てもらうが、原因は心因性のもので心配ないと診断された。ただ念のため、翌日教授に見てもらったほうがいいと言われてとりあえず昭と邦江は一安心。 翌朝、再び大学病院へ診察に訪れるも、昌子ちゃんを診察した小児科医長(宇野重吉さん)はすぐに詳しい検査と入院を指示した。検査の結果、昌子ちゃんは破傷風と診断される。疑われていた脳腫瘍や髄膜炎ではなかったことにほっとする昭であったが、小児科医長から破傷風は非常に厄介で死亡率が高い病気だと告げられる。 光や音の刺激による痙攣を避けるため、昌子ちゃんの病室の窓や電気スタンドは真っ黒な布で覆われた。そしてここから壮絶な闘病生活が始まる。 数時間おきに強直性痙攣を起こしては体を反らし(後弓反張)、舌を噛んで口中血まみれになって唸る昌子ちゃん。昭と邦江はそんな昌子ちゃんから目が離せず、次第に疲労で精神的に追い込まれていく。 やがて主治医の能勢先生(中野良子さん。お綺麗でめっちゃ頼りになる先生)らの尽力もあって昌子ちゃんは一般病棟に移るまでに回復する――という話である。 原作者の三木 卓さんの娘さんが実際に破傷風菌に感染された時のことをモチーフに描かれているとのことで、今更ながら破傷風の恐ろしさを知った。 痙攣したときに舌を噛み切らないように、昌子ちゃんの前歯がまだ乳歯か確認した後、乳歯ならまた生えてくるからと麻酔なして歯を抜いていくシーンは確かに怖かった。怖かったといえば、昌子ちゃんを演じた子役の若命真裕子ちゃんの迫真の演技が怖いくらい凄かった。 昌子ちゃんの尋常ならざる苦しみを間近で支える母・邦江さんが精神的におかしくなっていくのも分かる気がする。気はするけど、見ていてちょっとイラッとしたのは、それだけ十朱さんの演技力が優れていたからだろう。 この作品では能勢先生を凛々しく演じた中野さんと、様々な葛藤や苦しみ、恐怖(自宅で痙攣を起こした昌子ちゃんの口を開けさせる際に指を噛まれて怪我したことから、自分も破傷風菌に感染したのではないかと怯えていた)を抱えながらも自分を見失わなかった昭さん役の渡瀬さんが素晴らしかった。 病状が落ち着き、酸素の管(っていうの?)が外れた昌子ちゃんが第一声で「チョコパン食べたい」「チョコパンだよぉ~」と言うと、能勢先生からジュースのお許しが出て、昭さんは大急ぎで自動販売機へ向かう。何本もの缶ジュースを手に走って病室へ戻る途中で躓いて転んでしまい、落ちて転がった缶ジュースを拾いながら一人涙する昭さん…というか渡瀬さんが実にいい。格好いい役者さんだったと心から思う。 最後に、これはすごくどうでもいいのだけど邦江さんの故郷は岡山らしく、お母さんが岡山から駆けつけて来たシーンがあって、渡瀬さんの口から岡山という単語が発せられただけでちょっと嬉しかったりして。この感覚は田舎モノしか分かるまい…悲しいなぁ
2024.07.08
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『不正療法』 ドクター・フィールグッド 「Malpractice」 Dr. Feelgood (75) ブリティッシュ・ロック界に突如現れた大型グループ、よみがえるロックン・ロールのエネルギーをたたきつけた話題作!!A面 1. アイ・キャン・テル - I Can Tell 2. ゴーイング・バック・ホーム - Going Back Home 3. バック・イン・ザ・ナイト - Back in the Night 4. アナザー・マン - Another Man 5. ローリング・アンド・タンブリング - Rolling and Tumbling 6. ドント・レット・ユア・ダディー・ノウ - Don't Let Your Daddy Know B面 1. ワッチ・ユア・ステップ - Watch Your Step 2. ドント・ユー・ジャスト・ノウ・イット - Don't You Just Know It 3. ライオット・イン・セル・ブロック No.9 - Riot in Cell Block No. 9 4. ビコーズ・ユーアー・マイン - Because You're Mine 5. ユー・シュドント・コール・ザ・ドクター - You Shouldn't Call the Doctor 6. ルート66 - Route 66 80年代に青春時代を過ごした私にはドクター・フィールグッド(Dr. Feelgood)というと、モトリー・クルー(Mötley Crüe)が89年にリリースして見事全米1位に輝いた5thアルバムタイトルが真っ先に思い浮かぶのだが、今回は71年に結成された英国のパブロック・バンドであるドクター・フィールグッドが75年にリリースした2ndアルバム「不正療法(Malpractice)」を取り上げたい。 邦題界(?)ではこの「不正療法」と、翌76年にリリースされて初にして唯一の全英1位に輝いたライブアルバム「殺人病棟(Stupidity)」はそこそこ名の知られたアルバムタイトルではあるが、どちらも曲名が全て原題カタカナ表記なのが惜しい。 “ドクター・フィールグッド” というのは快楽(Feelgood)先生(Dr.)ということで、薬物を過剰に処方する医者を指す俗語だそうな。なので邦題もちょっぴり医療系っぽくなっている。まぁこのアルバムの原題 “malpractice” は医療過誤だとか不正療法だとかの意味なのでそのままだけど、“Stupidity” は直訳すると愚かさや愚行といった意味なので「殺人病棟」という邦題のセンスは素晴らしい。 この「不正療法」は元々11曲収録されているが、日本盤には “ルート66(Route 66)” が追加されている。何故かは知らないけど。 パブロック(Pub rock)とは70年代に英国を中心に発生したロックの一ジャンルで、演奏場所が確保できないようなバンドが、シンプルな曲構成と演奏、労働者階級を意識した作詞を持ち味とし、パブで演奏し始めたのがパブロックのルーツだそうな。(Wikiさんより引用) ドクター・フィールグッドはR&B色の濃いパブロック・バンドといっていいのかな?大人の男性が好みそうな音楽ジャンルは普段聴くことがないので、正直よく分からないや とはいえ、こういう機会に聴いてみるとなかなか渋くてよいなぁ…と素直に感じるようになった。インダストリアル系以外は何となく良さが分かりつつあるので、伊達に年齢を重ねていないと思いたい。 このアルバムをリリースした頃のバンドメンバーは、リードvo、ハーモニカ&gのリー・ブリロー(Lee Brilleaux)、gのウィルコ・ジョンソン(Wilko Johnson)、bの “スパーコ(Sparko)” ことジョン・B・スパークス(John B. Sparks)にdsの “ザ・ビッグ・フィギュア(The Big Figure)” ことジョン・マーティン(John Martin)の4人。 バンドは今でも活動中ではあるが、上記のオリジナルメンバー4名は誰一人残っていない。リー・ブリローは94年に41歳の若さでリンパ種により他界しており、ウィルコ・ジョンソンも22年に75歳で癌により亡くなったそうな。 1曲目の “アイ・キャン・テル(I Can Tell)” からリー・ブリローの20代とは思えぬ迫力のヴォーカルといい、ウィルコ・ジョンソンのギターといい、なかなか格好いい。語彙力がなさすぎて上手く言葉に出来ないけど、ちょっと荒々しさもあってノリがいいので聴き飽きない。70年代のロックはストレートに心に響いてくる感じが、80年代の商業的で小洒落たロックに慣れ親しんだ身には却って新鮮でちょっとワクワクする。 そんなドクター・フィールグッドに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ バック・イン・ザ・ナイト ゴーイング・バック・ホーム ユー・シュドント・コール・ザ・ドクター
2024.06.30
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先日、自転車を漕いでいると急に強い香りに包まれた。お線香の香りだ。ここまで強く香るのは久しぶりだなぁと思いつつ家路を急いだのだが、何年かおきにこの不思議な現象が起る。 初めてお線香の香りに気が付いたのは、十数年前に新聞配達をしていた時だった。当時は『進ぬ!電波少年』の「アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク」を久々に見て、私の中で朋友(パンヤオ)のチューヤン(謝昭仁)ブームが到来しており、私も朋友のように苦労を経験したいと考えて、何故か方向違いの新聞配達を始めた頃だった。 真っ暗な中で急に強烈なお線香の香りが鼻を突いたので、最初は不思議に思ったが、数年前に他界した父が守ってくれているのかな…などと勝手にいいように解釈して配達を続けたのだった。それからは時折、急にお線香の香りを感じるようになった。 ネットで “急にお線香の香りがする” と検索すると、霊が近くにいるだとか、ご先祖様からのメッセージだとか、誰かが亡くなるもしくは誰かの命日が近いだとかが出てくる。残念なことに私は全く霊的なものに疎く、50年以上生きていて心霊現象にあったことすらない(それっぽいのはあったけど、ただの勘違いだったと思う)超鈍感体質なのである。 今回は父が就職祝いに来てくれたのか、或いはひょっとしたら先頃迄ここで池田長發(可軒)さんについて書き記していたので、一体どんな奴が書いていたのかと可軒さんが覗きに来られたのかもとか、勝手に想像したりして。まぁ悪い知らせかもしれないので、一応気を引き締めていよう。 もし何らかのメッセージがあるのだとしたら――読み取れなくて本当にすみません
2024.06.29
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一年間無職生活を満喫していたが、来月から再び社会人に復帰する。大丈夫かしらん。これ以上ずるずると無職生活を続けたら二度と社会人に戻れない気がしていたことだし、何より公共職業訓練を受けさせてもらったからには就職して雇用保険を納めて恩返ししなければならない。労働者の皆様ならびに事業主様、どうもありがとうございました。 前回で一区切りついた池田長發(可軒)さんに関する様々なことも、暇なうちに書き終えられてよかった。働いていたらなかなかのんびりと調べられないからね。今回無事に仕事が見つかったのも可軒さんのおかげだと勝手に思っている。難有仕合奉存候 m_ _m ←もう誰も使わんて。 毎週Amazon Prime Videoで楽しみにしていた「鬼滅の刃」柱稽古編も今月末が最終話なので、来月から気持ちを切り替えてぼちぼち頑張ろう。最終決戦はやっぱり映画になるのかなぁ。伊黒さんの活躍は繰り返し見たいからTVで放送してくれないかな…と貧乏おばはんは思うのであった。 もう昨日になってしまったけれど、26日12時頃からM-1グランプリ2024の開催記者会見をYouTubeのLive中継で視聴した。今回は記念すべき20回目らしい。漫才が大好きなので、M-1も勿論大好き。今年も真空ジェシカやカベポスターが決勝に残ってくれたら嬉しい。モグライダーは今年がラストイヤーだそうだけど、うーん…芝さんは好きなんだけど。そういえばロングコートダディもラストイヤーだっけ。今から年末が待ち遠しい! 暇なうちに鹿児島島津家墓所(福昌寺跡)に行ってみようと思っていたが、機を逸してしまった。関ヶ原の戦いで敵中突破した島津義弘さんと、宝暦治水で辛酸を嘗めた島津重年さんのお墓を参拝したい。岡山から鹿児島までは直通の新幹線があるのでいつでも行けると呑気に構えてたら、暇々期間がなくなっていた。まぁ無職が無駄遣いするのもどうか、という気持ちもあったけど。 暑さと虫が苦手なので、この時期は避けたい。観光地巡りはやはり晩秋~冬にかけてがベストだ。嗚呼、南海トラフが来る前に行っておかなくちゃ。霧島神宮とかも一度は参拝したいし。 …しまった!もう4時だ!無職になると生活リズムが完全に昼夜逆転してしまうのは何故だろう。って単にぐーたら怠惰な毎日を送っているからなのだが。来月までにちゃんと朝起夜寝の生活に戻せるかな。んじゃ、おやすみなさい。
2024.06.27
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文久3年(1863年)5月10日、長州藩は攘夷を実行すべく馬関海峡(関門海峡)を通過する外国船へ砲撃、報復として仏・米国軍艦が馬関海峡内に停泊中の長州軍艦を砲撃して長州海軍に壊滅的打撃を与えた。しかし長州は砲台を修復したうえ新たな砲台を築いて海峡封鎖を続行、翌元治元年(1864年)7月、前年からの海峡封鎖で多大な経済的損失を受けていた英国は長州に対して懲戒的報復措置をとることを決定。仏・蘭・米国の三国に参加を呼びかけて連合艦隊を編成。四国連合は20日以内に海峡封鎖が解かれなければ武力行使を実行する旨を幕府に通達、そこへ池田筑後守(可軒さん)率いる横浜鎖港談判使節団が開国論を引っさげて帰ってきたのだから、さぁ大変! 使節が仏国と取り交わしたパリ約定には下関を3ヶ月以内に通行可能にする条項が含まれていたのだ。駐日公使オールコック(Rutherford Alcock)は幕府がこの約定を批准することにより四国連合から仏国が脱落することを恐れたが、幕府は約定の内容を不満として批准は行わず、7月24日に約定の破棄を四国に宣言した。 ――とWikiさん(「横浜鎖港談判使節団」、「下関戦争」等)に上手くまとめられているとおり、可軒さんの努力も空しくパリ約定は破棄された。7月22日、可軒さんは徳川家茂に面謁して鎖港の非を辧疏し、大いに開国論を力説したのだが、翌23日には「其方儀外國へ爲御使被差候處、不取計之事共有之不埒之至に候、依之御役被召放、知行高之内六百石被召上、隠居被仰付蟄居可罷在候」(免職のうえ知行半減、隠居蟄居の懲戒処分)を下されてしまった。 前回の建議書も長文であるが、終盤で提案している建議5項目についてもそれぞれ詳述している。全文を写したらこれまた相当な長文になるので、タイトルだけ挙げておく。(括弧内は要約) 1. 歐洲各國へ辨理公使御差遣の儀に付申上候書付(欧米各国へ大公使を派遣して和親の実を挙げること) 2. 西洋各國並東洋國々と條約御取結の儀に付申上候書付(無条約国とも早く条約締結を進めること) 3. 佛國へ留學生御差置之義に付申上候書付(海陸二軍の建設充実はいうまでもなく、西洋文明の長所を摂取するため留学生を派遣すること) 4. 新聞紙社中へ御加入之義申上候書付(西洋諸州の新聞通信社に加盟し、彼我の情報を収集することの急務なること) 5. 御條約濟國々へ御國民共通商渡船御差許之義申上候書付(国民海外渡航の禁を解き、貿易はもちろん文化交流の実を挙げること) 結局この5項目は全て明治時代に実現されたというから、可軒さんの慧眼、恐るべし。 現在英国御滞在中の天皇皇后両陛下の馬車パレードの様子を、160年前に可軒さんもパリでこのような歓迎を受けたのかなぁと思いつつ、YouTubeのLive中継で見た。 元治元年(1864年)3月28日に皇帝ナポレオン3世(Napoléon III)に謁見する際、滞在先のホテルまで迎えに来た馬車(馬も紅装束着用)で向かっている。この時の行列順序は仏国騎兵先導、組頭調役通司塩田さん通弁フレッキマン一車、副使監察一車、正使一人当地役人付添一車、定役書物並同心一車、佐原さん等三人一車という順で、城門には剣銃の兵士が警固し、中門にもアフリカ兵数百人が並んでいたという。今回の天皇御一行パレードくらいの感じだったのかな…なんて勝手に想像したりして。(佐原さんは池田筑後守家来) この約2週間後の4月14日、観兵式に招待された一行は再び皇帝より差向けられた馬車に乗ってフォンテンブローの練兵場へと向かった。副使の河津伊豆守が鎧甲冑姿で馬に乗って皇帝の側に行って謁見し、皇帝を大いに満足させた。…まではよかったのだが、乗っていた馬が可軒さんの被っていた陣笠の裏の金地に驚いたのか、いきなり暴走。騎兵隊の中に突入してしまい、皇帝が大笑いして副官をやって馬を捕らえさせたという逸話も残っている。 ここまで色々と横浜鎖港談判使節団について綴ってきたが、もしも可軒さんが使節団の正使に選ばれてなかったら、もしくは可軒さんの意見に幕府や朝廷が耳を傾けてくれていれば、おそらく近代史に名を残す活躍をしたことだろうに、つくづく残念に思う。元々昌平黌で抜群に優秀な成績を修めた頭脳明晰な方なので、こんな幕府の生贄のような端から無理な役目がうまくいかなかったからといって、免職処分に隠居蟄居はあまりに酷い。ま、まぁ帰国後の暴走はあったにせよ。 慶応2年(1866年)に処罰が解かれ、翌慶応3年に軍艦奉行並にはなったが、その頃は既に健康を害していたため数カ月で職を辞して、その後はずっと岡山市で過ごした。こんな田舎でくすぶっていたなんて本当に勿体ない(現岡山市民としては嬉しいけれども)。 慶応2年3月15日に赦免され、11月16日に剃髪して名を可軒と改めた際の一首。 可軒と號せし時詠める うきしつむ身は浪花江の捨小舟 よしやあしやの中わけて行け 可軒さんはパリで撮影した写真の裏に、このような漢詩を遺している。 愧被功名誤一身 幽棲此日又逢春 春風芳草五州夢 涙酒当年舊写真 参考文献・小林久麿雄『幕末外交使節池田筑後守』(恒心社)昭和9年・岸 加四郎『鶴遺老:池田筑後守長発伝』(井原市教育委員会)昭和44年・岸 加四郎『池田筑後守長発とパリ』(岡山ユネスコ協会)昭和50年・明治文化研究会 [編]『明治文化研究 第2集』(日本評論社)昭和43年 高橋邦太郎『悲劇の大使――池田筑後守事蹟考』・田辺太一『幕末外交談』(冨山房)明治31年・尾佐竹猛『幕末遣外使節物語――夷狄の国へ――』(岩波文庫)平成28年・榎本 秋『世界を見た幕臣たち』(洋泉社)平成29年
2024.06.26
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帰国した池田筑後守(可軒さん)は使節団の副使・河津伊豆守、目付・河田相模守と連名で、建議書(佛國行帰府上申)を提出した。 この中にある建議5項目についても各項目ごとにそれぞれ詳しく記述してあるのだが、メインの建議書だけでも結構なボリュームなので、今回は建議5項目の詳細は割愛する。 可軒さんは一体どのような思いでこの建議書を書き上げたのだろうか…。 建 議 書 三名趣意柄申上候 佛國巴里府より、一と先、歸府仕候、趣意柄申上候、書付 私共義神奈川港鎖閉、其他、諸事談判の爲御條約濟各國へ、爲御使、被差遣候に付ては、佛國へ、最初、罷越候義は、道路、自然の順のみにも無之、井戸ヶ谷殺傷、長州發砲等、同國へ被爲對候ては、種々の事件、差重候間、自來、御不都合不相成樣、談判仕候義は勿論、鎖港の義も、御國在留、同國ミニストルには、英國荷蘭等、外國のもの共違ひ御都合可取計樣子も相見え、且、同國に於ては、全世界上にて、英國とも、並稱被候位の國柄、殊に、當時、國帝第三世ナポレオン事は、自今、歐洲各國、皇帝の内、口利にも御座候間、同國に於て、談判取纏り候得ば、外各國にて異議は有之間敷と存候、旁以て、同國を目當といたし、罷越、先づ井戸ヶ谷一條より、談判相始候、殺傷被致候、士官家族、扶助金として、金參萬五千弗、持越候御用金の内より相渡し、尚、長州の事件に押移り、兼て相伺候趣も御座候間、御處置可被及次第は、内談にて相我盡し、夫是談示仕候處、彼方にて下の關通航並に償金の義申立て、下關通航の義は、元より相當の所望に御座候間、夫々御處置の次第申約し候共、償金の廉は、尤之筋にも不相聞候間、シーボルトへ承合候處、最初、砲撃を請候後、態々、軍艦差遣し、國籍に對候丈之報告致候得共、所謂、争端をひらき候爲め、軍艦差遣候故、右入費も償候は、西洋各國の通法に有之、既に於ても先代ナポレオン各國へ兵を向候に付、近來迄、年賦償金差出居候、例も有之趣相聞き、強て無謂筋にも、相聞き、不申、就而、勘辨仕候處、鎖港の義、談判仕候に、彼方、氣配相損し、御國政府、御懇親の御趣意、徹底不仕候ては、迚も相纏り兼候義に可有之と存候間、曲而、差遣し可申積にて、談判仕候内、右員數相違いたし、前後不都合の事共御座候得共、後段の談判を、大切と心得候間、程能會釋、右所望通り約束仕り、追々、鎖港の談示に押移候處、先般、兩都御開事延期之義に就き、御使、被差遣候節約束三ヶ條、今以て御取引延引いたし御違約も同樣に相當り候間、其節、御談判申上候通、右談判引戻し、即今、軍艦差向け、兩都两港共、直樣御開被成候様御談判申上積に而、已に英蘭政府とも、打合相居候へば、右は御國御迷惑に可相成と存候間、當時、御開相成候、三港とも、其代りとして、無税の商賣、御許相成度段、意外の難題申懸け、一體、無税商賣と申候義は、西洋各國、何れにも其例無之、僅々獨逸連合洲中、軍堡等一兩國御座候得共、右は因よりフレースターテンと相唱え、國主も無之 國民寄合持の國柄に而、比例には相成不申、對待の國にては、何れも比例無之趣、御國においては、内地商民、運上無御座候上は、尚更御不都合之筋に有之、最も即今、御國、一廉の御都合をも、取計候筋に候はゞ、亦、格別の義に候へども、左も無之而は、右樣の次第に至り候事者、難得其意、筋に付、精々、談判を盡し罷在候内、既に手切にもおよび可申、勢も相見え、鎖港談判等は、中々に受取可申樣子無之候共、遠海の處、能々御使をも被遣、御和親御保續の爲め、一時御國内、人心鎭定の御趣意、首尾詳悉、御懇親の御意味合を主張し、極力、論辯及び候處、彼方に於ても、和親の御交誼に對し、懇親の意を以て、條約妨害致し候、凶徒御鎭定被成兼候はゞ、何樣にも國内の軍賦を以て、御加勢も可申上旨申立て、此方より申談候、御懇親の廉とは、意味行違候へども、話は同盟の結交の誼に對し、右加勢御受不被爲在候而は、矢張、御懇親の趣意に戻り候樣相成候義に而、彼方に於て、假令、野心を挾み、情實難計候共、言辭の處、無此上懇親の筋に相當り、世界列國へ聞得も有之、御趣の意不模通候とも、あながち彼方の國へも難申、且、井戸ヶ谷、長州一條とも己に熟談および、唯此事に至り不直の名義被爲請彌以御手切に相成候、而は一體の御趣意も、全く畫餠に歸可申は申迄も無之、却而彼方の股中に陥り、詰り、鎖港の義は扨置、兩都兩港開市の期限迄、彼方見込通相促し候も、同樣の勢に相成る可、且つ西洋各國の形勢、何れも御國に垂涎仕候、只管事端を尋ね、兵端相開度存寄は有之候共、遠海の地、萬里の懸軍、持久の計行屆兼候處、斟酌致し、且互に利を爭候上は、申合方行屆申間敷と、各懸念いたし居候樣子に、自然蘇士地狹堀割出來、歐洲各國の軍艦、喜望峯を不相廻、直接東洋罷達し候樣相成候はゞ、海路も三分の二を减じ候樣、可相成、將御國に於ても、各國えも爲對御信義相立兼候事共差重り、各國の忿怒を生じ候樣之、機會ためらひ居は其期に至り候はば、不期して、連衡合同致し可申候間、其節彌、東略の志を逞いたし度遠望有之哉之候義相見え候折柄、御國方今の御模樣、返顧仕候得者、公武合體の義、先頃御上洛の御一擧に而、彌以御首尾相懸候事と、被存候共、今以、人心折合にも至り兼、内地民心、一和不仕候上、海陸軍備も、未だ充實不相成候而、五洲萬國御敵に被爲、引受候事者碫卵の勢、全國の安危存亡、如何有之哉、乍恐、御無算の至りにも可有之被存候。右樣中外の形勢、參互勘辯仕候へば、唯今内何れとも萬國に相勝れ候、御目立の御工夫第一に、御盡力被爲在、御國内反復し者は、幾重にも御力勢御座候而、政府の御威權、確に相立、外國より可申上詞柄無之、將指すべき衅端無之樣、御仕向相成候而、懷綏の御趣意を以て、御條約の明文御違背無之、確固と御遵奉被爲在、海陸二軍共充實の御備早々相立候運に、相成候樣仕度、將西洋各國の動靜相探り候處、互に隙を伺ひ併合の慮有之、目今の樣にては、歐洲各國三五年を出でずして、可及大亂兆も相見え候間、御國内御鎭壓被爲、計内治御行屆に相成候上は、各國分裂の虚に乗じ、如何樣とも御畫策可有之、然る處今破約に陥入候へば、各國合同致し、却而歐洲は無異に歸し、御國の災害に罷成候義は、必然の勢有之、夫是の處、篤に勘辨熟慮仕候共、今更申上候は恐入候得共、一體御國内不折合より政府の思し召に無之候とも、不得己鎖港可被及との義は、無據御伺柄とは乍申、佛國に於て御國へ對し、懇親相立候廉、此方申談候處は、前申上通、意味行違居候處を以て、西洋各國の所見推考仕候へは、却而侮慢を長し、覬覦を來し可申筋合にて、強而此方より申談候は、結局御國政不行屆を露し候義に相當り、自威權を貶候筋にて、乍恐御國辱の端にも可有之、將右の義を以て、御條約御違背の廉に押据へ、何樣の難題可申立も難計、事體 無據塲合、手切に至り候はゞ、大切の國事を誤り候事と、苦心仕り、尚政府御誠實の趣を主といたし、折曲申聞候。無税貿易の議、強而及斷右鎖港談判承引仕り候議有之候共、請求の趣尚勘辨も可致旨申談候處、鎖港の義は幾應談判を遂げ候得共、兼而英國其外不承知の義に付、堅く及斷候共、御國政府御懇親の段は、御使にて了解、既に此程同皇帝にも於御國軍艦御入用の趣、被承及、御國へ對し、格別懇親の意を表し、得證として自國海軍隊の内より、軍艦譲渡可申旨同國帝意裏より出し趣申聞候。三港無税の談示も確との口上は無之候共、先此方鎖港の談判に、引分れの談判と相成、至極折合宜敷候間、右を汐と致し、談判取纏方、調印仕候事に有之、尤も各國とも、鎖港の御同意申上上候はゞ、其節再談可仕樣、申聞候共、右は全く、各國とも同意仕間敷を見込、程能く申上候事に而、固より以て、難信筋に有之、全體佛國の義は、前申上候通り、鎖港一條に付而は、稍手心義御座候處、既に右樣の次第に御座候上は、此上英國え罷越候とも、最初同國より御國え差越候、ミニストルアールコツクと、上海表に於いて、面會の砌、一と通趣意柄申聞候處、既に兩都兩港をも、模樣により直樣御開可相願仕之心組に御座候上は、御談の趣、迚も本國政府に於て、快くは存申間敷旨申聞、右等參勘仕候共、幾重に申談候共、承引仕間敷は、眼前の義に有之、佛英兩國、已に如此御座候上は、外國々とても、固より同樣の義に可有之、將一兩國御同意申上候者御座候共、兩強大國不承知の上は、御趣意通りは貫徹可仕樣も無之は申迄も無之義、加之、英國に於ては、當春、長崎表に於て、同國人に切懸候ものも有之、急速御詮議、御行屆不被爲仕候哉にも相聞、旁々佛國同樣御談判穏に、引分れ可申哉か難計、自然此方談判の廉を以て、御條約御違背などゝの名義に引附け、彼是差結び、彌兵機を以て相迫り候場合に至り候へば、無御據義とは乍申、私共談判不行屆より、双方之不都合引起候樣に而、如何にも恐入候義、將重御國書等も有之、一々右に對し、侮慢の振舞御座候節は、私共萬死、無償之罪は申迄も無之、御國體 に差響候事、是非共争端御開不相成候而は、難被差置時宜に至候はゞ、得失成敗の義は、前申上候通りの義にて候處、見す見す國家を陥入、加之、隠然背叛之輩、此擧に乗じ、奸計を相設候は必然の義と、深く恐入候間、再三評議を盡し、既に召連候支配向迄も、一同見込承糺し、筑後守、伊豆守内壹人は、本地より引分れ立戻り、一體之次第申し、壹人は、御使相勤候方にも可有之抔と迄、評議相盡候へ共、左候ては第一體裁も不宜、將御使相勤候方は、矢張是迄之御趣意、押立談判仕候義に付、其内案外、行違生可申哉も、難計義に而、是以恐入候筋に奉存候間、兼而奉伺置候通、一同一と先歸府仕、一體の事情逐一申上、鎖港之義を以て、戰爭の端を被爲開候は、無上之御失擧に可有之と存候、見込之處不包申立候方、御爲可然義と評決仕候、尤彌以、御條約御保守相成、交誼永續之御宸基相定候上は、右等之次第、尚亦、各國へ御布告の爲め、御使被差遣候樣、相成可申、其節は再度、可仕積申合、但御使命の趣有之候國々の内、亞米利加、荷蘭之三國者長州一條をも兼、談判可致筈に有之、英國には鹿兒島表之義事濟には候共、一應は申談候積、其爲御國書等も御座候事故、右之國へは別段私共より、政府宛書管差遣し、一と先歸國仕候趣意柄申述べ (本文之通申遣候處英國公使より本國事務大臣之命を受返書差越候處條約に相違いたし候義は女王と雖とも其詮なく若又之を論ずる共徒に空論に属する外無之旨申越候義に御座候)外孛漏生、魯西亞、葡萄芽へは、巴里在留之公使迄、斷返し之書差遣し、瑞西國者、御條約濟の廉を以て差遣候筋にて、外國々とは別樣には御座候共、緊急之談判向も差置 御廟議相伺候爲、一と先歸國仕候際に臨み、同國而己も可罷越、無謂も無之候間 是亦、同國巴里在留公使へ斷返しの書管差遣、當五月十七日、巴里引拂、同國馬塞里に於て飛脚便船待合、同二十五日英國飛脚船へ乗船、歸府仕候、一體御自立の御基本相立候には、御國内一和相成候は、尤以其根本に而海陸二軍の御備は勿論、各國御交際にも、格別御注意被爲仕、御信義相立候樣、御覺悟無之候而は、不相成、就而は、彼方事情、御探索相成候而も亦第一義に御座候。私義見込之處にては、第一、辨理公使歐洲各國へ被差置度、第二、歐洲而已に無之、外獨立の邦々は、何れも條約御取結相成、萬一之節伐謀伐交之御方略有之度、第三には海陸二軍之方法、西洋の長所を被爲取候爲め、留學生差遣に相成、修業爲仕度義、第四には、西洋諸洲、新聞社中に御加入相成、彼我之事情相通候仕度義、第五には、御國民、自在外國へ相越え、商賣は勿論、彼方事情も心得候樣仕度義、夫是之次第は、別紙申上候通りに御座候間、篤と御熟覧被下度、私共見込之通、鎖港の義は御見合せ相成、御自立の基本、御定相成方、専ら御從事被爲仕候はゞ、御國體を被爲重し、御國威を不被爲汚義に而、外國より、不信不義の所置御座候節は、何れも其罪を御糺し被遊候事、相叶候筋に付、假令鎖港不被爲仕候とも、尊王の御趣意に取候而は、此上も無之義に而、宸裏をも可被爲安御事と、乍恐奉存候間、京都へは、私共實地目撃の上申上候、前文之次第を以て、誠實に御奉上御座候はゞ、御氷解被爲可被爲在義と奉存候。依而私共佛國在留中、對話書、並に爲取替候約定書、扶助金請取書、原書、譯文、巴里引取之節、外國々在留公使へ差遣候書寫、同返書、並に英、亞、蘭外國事務大臣への書管寫、將私共進退に付、被是嫌疑の爲め播告爲仕候新聞紙案とも相添へ、此段申上候以上。 参考文献・『痴遊雑誌』第1巻第6号(話術倶楽部出版部)昭和10年 『不二文庫〔三〕幕使池田筑後守の建白書』・小林久麿雄『幕末外交使節池田筑後守』(恒心社)昭和9年・尾佐竹 猛『国際法より観たる幕末外交物語』(邦光堂)昭和5年・田辺太一『幕末外交談』(冨山房)明治31年・明治文化研究会 [編]『明治文化研究 第2集』(日本評論社)昭和43年 高橋邦太郎『悲劇の大使――池田筑後守事蹟考』
2024.06.24
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