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20代の若さで、外交経験皆無だった池田筑後守(可軒さん)の心身を疲労困憊させた、7回(もしくは9回)に亘る折衝は幕を閉じた。条約違反を重々承知のうえでの、失敗前提の交渉だったにもかかわらず、可軒さんは執拗に食い下がって全力を尽くした。しかし使命の達成はおろか、仏国海軍との共同軍事行動まで約束した「パリ約定(Convension de Paris)」に調印までしてしまったのだった。 とはいえ、可軒さんはこの頃にはすっかり開国派になっており、“かえって意気揚々として得意のさまがあったのである” (田辺太一著「幕末外交談」より)。パリ約定の全文は以下のとおり。 巴 里 約 定 西暦千八六十四年六月廿日 皇紀元治元年五月十七日 佛蘭西、日本兩國間に定めたる箇條、 佛蘭西皇帝殿下と 日本大君殿下と互之信義を表して、兩國和親の交誼を厚くし、又、貿易を盛んならしめん事を希望し、文久二年即西洋千八百六十二年以來政府の間に生ぜし難澁を、互に一致し格別之法に而所置すべき事を決定し、 佛蘭西皇帝殿下の外國事務ミニストル兼セケレタリードワンデロイスと、日本大君殿下之使節池田筑後守、河津伊豆守、河田相模守と正しく上件之旨を以て、左の箇條を決定せり。 第 一 條 文久三年五月即西洋千八百六十三年七月 佛蘭西皇帝殿下之軍艦ケウシヤングに對し、長門國に於て發砲せる敵對の所置を改むるため 日本大君殿下之使節、江戸に歸着する之後三ヶ月にして、 佛蘭西皇帝殿下のミニストルに償金としてメキシコドルラル拾四萬枚を渡すへし。但其内拾萬枚は政府より出し、四萬枚は長門之領主より出すへし。 第 二 條 日本政府は又 日本大君殿下の使節歸國の後三ヶ月之内、佛蘭西之船、下の關を通行するに方り、今ある所の障碍を除き常に此通路をして自在ならしめんか爲め、時宜に應て威力を用ひ、又佛蘭西海軍隊の指揮官と共に處置する事もあるへし。 第 三 條 兩國政府にて左件を決定せり。則佛蘭西と日本との貿易をして盛ならしめんが爲めに、安政五年九月三日 即西洋千八百五十八年十月九日 江戸において結ひたる條約の行はるゝ間は、先般 大君殿下之政府外國貿易之爲め許せし減税法を、佛蘭西産物或は佛蘭西船輸入品利益之ため保存すへし、 故に此條約の存する間は、日本運上所にて製茶梱苞に用ゆへき鉛葉、ソルデールスル、はんだろふの類 筵、藤油 晝具用、青黛、ギブス 石炭之類、鍋、釜、小籠を無税になし、酒類、白砂糖、鉄、ブリツキ、器械、織麻、時計、袖表並鎖、硝子細工、藥種は五分税とし、鏡、陶器、衣服之飾、香具、石鹸、武器、小刀類、書物、紙、繪は六分税を取るへし。 第 四 條 右之決議は安政五年九月三日 即西洋千八百五十八年十月九日 佛蘭西と日本と取結ひたる條約を全くするの箇條として、 兩國君主の調印におよはす施行すへし。此を以て上に記せる全權の人々、此決議を本紙弐通に認め、双方名を記し印を押し、巴里府に於て爲取替もの也。 文久四年子五月十七日佛蘭西外國事務ミニストル兼セケレタリードワンデロイス(Drouyn de Lhuys)日本全權委任使節 池田筑後守 花印河津伊豆守 花印河田相模守 花印 調印を済ませた可軒さん等一行は予定されていた英国他諸国への訪問を中断し、その日の21時にパリを去り、マルセイユから英船・オンクセントに乗船、スエズで英船・ラングーンに乗換えたりしながら、元治元年(1864年)7月18日午前8時にピー・オー会社所属・ガンジス号で横浜に到着したのであった。可軒さん、本当にお疲れ様でした。 ――と言いたいところだが、2、3年は欧州にいるはずの可軒さん等が半年かそこらで帰ってきたことにより、使節団を出して朝廷に攘夷アピールの真っ最中だった幕府は驚愕。外国奉行や目付などを相次いで横浜に遣わし、香港なり上海なりに暫く身を潜めよという訓令を出し、遂には若年寄の立花出雲守までもが自ら横浜に急行して可軒さんの江戸入りを止めようとするも、開国の情熱に燃える可軒さんはそれくらいでは屈せず、馬を飛ばして東上した。途中の生麦村で竹本隼人正、栗本安芸守(「ふらんすお政」に登場する栗本鋤雲)が阻止しようと待ち受けていたが、可軒さんの心に灯る炎は誰にも消せなかった。…とはいえ、登城を見合わせることには成功し、ひとまず可軒さん宅に落ち着いて差出すべき建白書の内容などについて話しあった。 可軒さんが何を仕出かすか計り知れないので、幕府はその当夜、可軒さんを免職処分としたうえで知行半減、隠居、自宅謹慎(蟄居)の懲戒処分を下した。また23日には河津伊豆守、河田相模守や田辺さんまでもが免職のうえ逼塞または閉門の罰に処せられたのであった。 参考文献・明治文化研究会 [編]『明治文化研究 第2集』(日本評論社)昭和43年 高橋邦太郎『悲劇の大使――池田筑後守事蹟考』・田辺太一『幕末外交談』(冨山房)明治31年・小林久麿雄『幕末外交使節池田筑後守』(恒心社)昭和9年
2024.06.23
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前回、4月9日から談判が始まったと書いたものの、どうも正式な会談は5月7日から7回に亘って行われたらしい(9回説も有)。4月9日は忘れてください 外務省で行われた会談の出席者はというと、日本側は正使・池田筑後守(可軒さん)、副使・河津伊豆守、目付・河田相模守の三代表に外国奉行支配組頭・田辺太一に通訳官のブレッキマン(F. Blekman)。仏国側は外務大臣のド・リュイス(Édouard Drouyn de Lhuys)と書記官1名であった。 第1回:5月7日15時~17時。文久3年(1963年)9月2日に起った井土ヶ谷事件(攘夷派浪士によるフランス人士官殺傷事件)の被害者となったカミュ少尉(J. J. Henri Camus)に対する賠償、生糸輸出禁止に関する件など。対長州策についても仏国側から援助の話があった模様。 第2回:5月11日15時~17時。可軒さん「大君が庶政を司り、兵馬の権を握っているが、外国と違い政事を助言する天皇がいて、国政の可否を詔諭し、その下の大名に米国との条約締結に異議を唱える者がいて、これを抑制すれば内乱の恐れがある。幕府は万難を排して条約を締結したが、天皇はそれを嫌い、外国人を国外追放せよとの命令を将軍に下した。大君は二度も京都に行って天皇の意志を和らげようと努力したが、反対勢力は天皇側について生麦事件等、数々の事件を起こした。これを放置したなら、この上いかなる事態を生じないとも計り知れない。この際どうしても、一時横浜鎖港を行って攘夷主張の鋒先を逸らしたい、それが今回の遣欧使節の使命である」。しかしド・リュイスは鎖港には絶対に応じ難いことを断言し、1862年条約(※1)不履行の賠償として大阪、兵庫(神戸)の2港の開港を要求。 第3回:5月17日13時25分~14時15分。ド・リュイスは横浜鎖港絶対反対、横浜、大阪、兵庫(神戸)を自由港にすることを提議。可軒さん「その件は即答致しかねる」。ド・リュイス「1858年の条約(※2)の履行が延びている以上、この違約に対して3港の自由港化を仏国は武力に訴えても履行させなければならない」可軒さん「自由港にすれば政府の収入が皆無になる故、一時にそうすれば各国と貿易をしても利益がないから、これは承引できない。そこで関税の引下げを現に行っているのである」話題は下関問題に移り、ド・リュイスは長州候が単独で行ったにせよ大君にも責任がある、と幕府に10万ドル、長州候に4万ドルの賠償金を要求。 会談が暗礁に乗り上げた形となり、可軒さんは打開策に腐心した。と、そこへひょっこりシーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)が現れた。使節団の仏国来着を新聞で知り、汽車で駆けつけたのだった。親日・知日家で、ド・リュイスと別懇の間柄であるシーボルトは使節の苦境を聞いて大いに同情し、ド・リュイスと私的に会って日本のために種々と弁護の老を獲ってくれたうえ、可軒さんに種々の局面打開策を授けてくれた。可軒さんは鎖港の不成功を知りながらもシーボルトの意見を容れて次の会談に臨んだ。 第4回:5月28日14時~16時30分。カミュ少尉の賠償、仏国へ留学生を送る件等(シーボルトから授かった案)は両国の意見が一致するも、鎖港については前回と同じ。可軒さんが秘密会談を提案し、そこで下関問題について話し合われて前回の要求額の支払を承諾。ド・リュイス「下関海峡に関しては、仏国政府は自国海軍をもって航路開行を確保する。大君にはこの難局を惹起した一大名に御自ら命令に服従させることを重要と見做されるならば、この挙に御援助を賜りたい」可軒さんらはこのために約定を結び、これに調印し、賠償についても取極めを行うと答えた。 第5回:5月28日14時30分~16時15分。あれッ!? 前回と同じ日!? 出典元の書籍にそう書かれているので、そのまま書き写しておく。日本側「日本の当面する騒然たる物情を沈静させるために大君はきわめて慎重な考慮をもって、横浜を一時的に閉鎖し、その代償として長崎、函館両港では既結条約の通り仏国に対して関税撤廃を行い、商館の移転費用は幕府で弁償する。その代わり横浜鎖港を認めてほしい」。ド・リュイス「要求する三港の関税撤廃は過去に蒙った損害の補償であって、新しい租界と同価値のものではない。恐らく他国もこれには同意しまい」。日本側はこの考えの正当であることを力説し、「この交換条件が受諾されなければ日本に起る騒乱を防げない。もしこれが容れられたら仏国の好意に対して、我等が信ずるが如く世論は容易に信認するだろう」と言い、確かにこの要求は条約違反であると陳謝しつつも、「敢えてこれを懇願しなければならないのは、ただただ仏国の懇情に縋る他はない、日本の危急存亡は一つにここにかかっているからである」と訴えた。しかしド・リュイスは日本側の懇情を斥けた。なおも日本側は鎖港について迫ったが、膠も無く拒絶された上、留学生を送ってくれば厚遇すること、日本の必要とする武器の譲渡と購入希望軍艦選定のためのリスト作成等を提言してきた。 可軒さんらが使命が達せられないで帰国することの切なさを訴えると、ド・リュイスは卿らの失敗は幕府の要求がそもそも不可能なことにあるのに、度々の会談で誠に全力を尽くした。長い外交官生活の間、幾多の老練な外交官が自国の利益を擁護するため巧妙な手腕を弄し、死力を尽くすのを見てきたが、若き大使・可軒さんが、それらと優るとも劣らない才幹、固執をもって主張をまげなかったと賞揚した。 第6回:6月10日13時30分~。可軒さん「横浜鎖港が成らない以上、他国を訪問することは無益と信ずるので、このたびの使節としての使命は終わったものとして帰国する決心をした」。パリに於ける交渉によって生じた「パリ約定」の各項目について、相互に逐条検討した。 第7回:6月20日14時~。「パリ約定」の日・仏・蘭語の条約文にそれぞれ調印。可軒さんはド・リュイスに明日パリを出発して帰国する旨を告げ、滞在中の好意を感謝し、別れの挨拶をした。ド・リュイスは会談を重ねるうち、この青年使節に次第に好感をもってきたらしい。愚直なまでにひたむきで純情な可軒さんが、この残酷な使命を帯びて健闘したことを思いやりながら堅く握手して談判は終了した。 うんうん、本当によく頑張ったよ可軒さん… それにしても「いらすとや」さんにシーボルトのイラストまであることに驚いた。充実度が凄い。ちなみにシーボルトはこの時68歳、故郷のヴュルツブルクに隠棲していたが新聞で見てわざわざ掛け付けてくれたのだとか。 ※1、2に関しては、万が一、興味を持たれた方のためWikiさんにリンクを貼っておくので参考にしてくだされ。 ※1. 両都両港開市開港延期問題、パリ覚書(Link先はロンドン覚書) ※2. 日米修好通商条約 参考文献・明治文化研究会 [編]『明治文化研究 第2集』(日本評論社)昭和43年 高橋邦太郎『悲劇の大使――池田筑後守事蹟考』・田辺太一『幕末外交談』(冨山房)明治31年・小林久麿雄『幕末外交使節池田筑後守』(恒心社)昭和9年
2024.06.23
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話は少し前に遡る。池田可軒(長發)さん率いる横浜鎖港談判使節団は文久3年12月29日(1864年2月6日)に仏国軍艦に乗り込んで出発したのだが、その2日前の27日に横浜表へ向かっている。同日、徳川家茂が乗船した軍艦・翔鶴丸も京に向かって品川を出発していた。 前年に続き2度目の上洛を果たした家茂に対し、孝明天皇は文久4年1月27日に次のような宸翰を下賜された。家茂の奉答書と合わせて書き写しておく。 「朕不肖の身を以て、夙に天位を踐み、忝くも萬世無缺の金甌を受け、恒に寡德の先皇と百姓とに背ん事を恐る、就中嘉永六年以來、洋夷頻に猖獗來港し、國体殆どいふべからず、諸價沸騰し、生民塗炭に苦む、天地鬼神其れ朕を何とか云ん、嗚呼、是誰の過ぞや、夙夜是を思て止む事能はず、嘗て列京卿武將と是を議せしむ、如何せん昇平二百有餘年、威武を以て外寇を制壓するに足らざることを、若し妄に膺懲の典を擧んとせば、却て國家不測の禍に陥ん事を恐る、幕府斷然朕が意を擴充し、十余世の舊典を改め、外には諸大名の參覲を弛め、妻子を國に歸し、各藩に武備充實の令を傳へ、内には諸役の冗員を省き、入費を減じ、大に砲艦の備を設けり、實に是朕が幸のみに非らず、宗廟生民の幸也、且去春上洛の廢典を再興せし事、尤嘉賞すべし、豈料んや藤原實美(※1)等、鄙野匹夫の暴説を信用し、宇内の形勢を察せず、國家の危殆を思はず、朕が命を矯て、輕卒に攘夷の令を布告し、妄に討幕の師を興さんとし、長門宰相の暴臣の如き、其主を暴弄し、故なきに夷舶を砲撃し、幕使を暗殺し、私に實美を其本國に誘引す、如此狂暴の輩、必罰せずんばある可らず、然と雖も、是朕が不德の致す所にして、實に悔慙に堪ず、朕又惟ふ、我所謂砲艦は、彼が所謂砲艦に比れば、未慢夷の膽を呑に足ず、國威を海外に顯すに、(此處脱誤あるがごとし、未だ校正に暇あらず、)頻に願ふ、入ては天下の全力を以て、攝海の要津に備へ、上は山陵を安じ奉り、下は生民を保ち、又列藩の力を以て、各其要港に備へ、出ては數艘の軍艦を整へ、無飫の醜夷を征討し、先皇膺懲の典を大にせよ、夫去年は將軍久く在京し、今春も亦上洛せり、諸大名も亦東西奔走し、或は妻子を其國に返らしむ、宜也、費用の武備に及ばざること、今よりは決して然るべからず、勉て太平因循の雑費を減省し、力を同し、心を專にし、征討の備を精鋭にし、武臣の職掌を盡し、永く家名を辱る事勿れ、嗚呼、汝將軍、及各國の大小名、皆朕が赤子なり、今の天下の事、朕と共に一新せんことを欲す、民財を耗す事なく、姑息の奢をなすことなく、膺懲の備を嚴にし、祖先の家業を盡せよ、もし怠惰せば、特に朕が意に背くのみに非ず、皇神の靈に叛くなり、祖先の心に違ふなり、天地鬼神も、亦汝等を何とかいはん」 これに対する家茂の答奉「宸翰の叡旨、御即位已來、皇國の禍禍を、悉く聖躬の上に御反求被爲在候勅諭にて、誠以恐惶感泣の至奉存候、偖勅諭にて、幕府從前の過失を自反仕候得ば、多罪の至奉存候、臣家茂、不肖の身を以て、徒に重任を辱め、紀綱不振、内外の事、宸襟を奉煩候而已ならず、去春上洛の節、攘夷の勅を奉ずといへども、事實遂に難被行、横濱鎖港の談判すら、未成功の期限も難量、折柄、再命に依て上洛仕候上は、極而逆鱗に觸れ、嚴譴を可相蒙と、素より覺悟仕候處、意外の宸賞を奉蒙候而已ならず、至仁の恩諭を以て、臣家茂並大小名を赤子のごとく御親愛、將來を御戒飭被爲在候條、臣家茂一身の上に取、海岳の鴻恩、實以可奉報答さ樣も無之、自今以後、萬事の舊弊を革め、諸侯と兄弟の思をを成し、心力を合せ、臣子の道を盡し、太平因循の冗費を省き、武備を嚴に内政を整へ、生民を蘇息致し、攝海防禦は勿論、諸國兵備を充實仕、洋夷の輕侮を絶ち、砲艦を嚴整して、遂に膺懲の大典を興起し、御國威を海外に輝すべきの條件、彌々以勉勵仕、乍恐宸衷を奉休度奉存候事に御座候、乍併膺懲妄擧は仕間敷との叡慮の趣は、堅く遵奉仕、必勝の大策相立候樣可仕奉存候、尤横濱鎖港の義は、既に外國へも使節差出候儀に御座候間、何分にも成功仕度奉存候得共、夷情も難計候得ば、沿海の武備に於ては、益々以奮發勉勵、武臣の職掌を固守仕、大計大議は悉く國是を定め、宸斷を奉仰、皇國の衰運を挽回して、外は慢夷の膽を呑、内は生靈を保ち、奉安叡慮、上は皇神の靈に奉報、下は祖先の遺志を繼述仕度奉存候」 孝明天皇「勅答書の趣、横濱鎖港の一條、御請振不分明に付一橋中納言(※2)御諷問候、尤鎖港の成功は、是非共可奏條、更以書取言上の旨被聞食候、猶又御別紙被仰出候通、盡力勉勵可有之、御沙汰候事」 別紙 「横濱鎖港の儀、精々可遂成功、且又諸國兵備致充實、洋夷の輕侮を絶との趣、達叡聞候處、此上は惣國の守禦緊要の事にて、差當り攝海の要港急務の上は、神速其功蹟相顯れ、人心安堵、不經數年、征夷の實相行、奉安叡慮候樣、御沙汰候事」 家茂の答奉「勅答書之内、横濱鎖港の一條、御請振不分明被思召、慶喜へ内々御沙汰の趣承知仕候、然る處、彌々鎖港仕候見込にて外國へ使節差立候儀に御座候間、是非成功仕候心得に御座候、尤も再度蒙聖諭候、無謀の攘夷仕間敷との趣、奉畏候、就ては彌々以沿海の武備充實候樣可仕と奉存候」 ※1.藤原實美 急進的な尊王攘夷派の公家・三条実美。文久3年8月18日に起った八月十八日の政変で失脚し、京都から追放された。慶応3年(1867年)10月に大政奉還が成立し、12月8日に赦免されて復位。 ※2.一橋中納言 将軍後見職にあった徳川慶喜。攘夷拒否を主張する幕閣を押し切り、攘夷の実行方策として横浜港の鎖港方針を確定させた。元治元年(1864年)からは禁裏御守衛総督、摂海防禦指揮となり、慶応2年(1867年)12月に江戸幕府第15代将軍となった。 可軒さん達が小便壺で手を洗ったり、スフィンクスをバックに記念撮影をしていた頃、日本では天皇と将軍の間でこのような書翰が交わされていた。 攘夷を即日実行出来なかった言い訳に、孝明天皇からは一切言及のなかった横浜鎖港の一件を何故かいきなり提起する家茂。天皇に阿(おもね)って書いたというが、端から横浜鎖港は不可能だって分かりきっていたはずなのに…。 注目の鎖港談判、果たしてどうなる!? 参考文献・田辺太一『幕末外交談』(冨山房)明治31年・小林久麿雄『幕末外交使節池田筑後守』(恒心社)昭和9年 Thanks, illustrations by 「いらすとや」さん
2024.06.22
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池田可軒(長發)さん率いる横浜鎖港談判使節団一行34人は文久3年12月29日(1864年2月6日)に仏国軍艦ル・モンジュ号で日本を出発した。軍艦の甲板には好意のつもりで日本人用に畳を敷いて廐のようなものを造ってくれていたようだが、これはこれで大変だったらしい。 また食事にも困ったようで、パンは何やら気味が悪いし、牛肉は臭気がどうも…と洋食が合わず暫く絶食状態であった。そんな中、雑役の青木さんが持参していた好物の餅を食べ終えて船上に出たところへ可軒さんが一人、青ざめてひょろひょろと、まるで幽霊のように現れて「せめて粥にても欲しく思えども我が家来とても死人の如く物の役には立たず、そちの働にて空腹をしのがせてくれ」と声を掛けた。「委細かしこまり候」と日本から持参した囲い米を少し取ってきた。そして体を縄で帆柱に括り付けて海水を釣瓶で汲み上げて粥を作り、可軒さんを始め皆に振舞ったところ乞食の如くがっついて食べたという。 この使節団、通訳のブレッキマン(F. Blekman)を除いた日本人全員が海外初体験であった。 翌年1月6日上海着。ここでも、食事の際に使節の一人がフォークとナイフを手に持って鼻の所に手が来ると、どうも臭う。そこで仏語の通訳官として随行していた塩田さんに “どうも自分の手が臭いんだけど、どういうこと!?” と聞いた。「御前は食事の前に何方にいらっしゃったか」「うむ、雪隠に行った。それから手を洗ったのだが、どうも此処に来てから臭くてならぬ」塩田さんがその手を嗅いでみると、正しく小便の臭いがする。「何処でお洗いなさった」「手水場で洗った」日本人の習慣として雪隠に行けば手を洗うに決まっているので、どこか手を洗う所がないかと見ると棚の上に壺があったので、両手を挿し込んで手拭で拭いていたのだが、その壺はまさかの小便壺であった。それが分かって大笑い大騒ぎとなったものの、悲しい哉、御奉行始めいずれも小便壺で手を洗っていたことが判明したのであった。 また従者の一人が廊下で詩を吟じたところ、宿屋の主人に支那人の乞食が来たと勘違いされて、大声で追い払われそうになったという。 1月13日に仏国郵船ヘータスツ号に乗込み、翌14日出帆。17日香港着、アルベートル号に乗換。船中の浴室では自動で湯が出て水温調節可能なことにビックリ!こんな便利なモノを体験しちゃったら、いかに攘夷派の可軒さんでも開国したくなっちゃうよ…。 香港を出てからは次第に暑くなってきたので、荷物倉を開いて夏物の衣類を出していたところ、行方不明になっていた可軒さんの酒樽を発見。夜食時に皆で日本酒とデザートのアイスクリームを楽しんだのであった。 23日西貢(ベトナム)着、初めて馬車に乗る。26日新嘉坡(シンガポール)着港、27日出帆。 2月3日錫羅島(スリランカ・セイロン島)着。ここが彼の天竺かぁ~と我も我もと上陸し、「生きながら西方浄土へ入たる心地にて感涙袖をぬらしけり」と有難がる人もいれば、多くの廃寺や粗悪な仏像などを目にして失望する者もいたという。その帰りに乗ったカノー(丸木舟)の水夫が金を要求して本船へ着けようとしなかったため、大喝一声、抜刀して棒を切ってみせたところ、水夫は驚いて舟を本船に着けたのだとか。 5日仏船エルショウに乗り換えて紅海へ。この頃にはすっかり船旅にも慣れ、船中で闘詩句会を開催。田辺さん、杉浦さん(杉浦 譲。後に郵便制度の基盤を整備した)、相模守、可軒さん佳句多し――とのこと。13日亜丁(アデン)着、上陸してみたものの土地の悪しきと人気の狡猾さに閉口。 19日蘇士(エジプト・スエズ)上陸、初めて汽車に乗ったときのこと。4時間で47、8里(1里=約3.9km)進む汽車は、途中にトイレ休憩があったのだが、そのことを知らなかった或る者は車中で大便を山盛りにしてしまったそうな。夜半にカイロに着き、国王の別宮泊。23日に使節並びに調役連は国王に謁見。それから市中の浴場へ。その後、葬式や婚礼も見て、パナニ(バナナ)を初めて食す。西瓜と梨子とを一つになしたる如くなり風味至ってよろし。28日にはピラミッドを見物。更にスフィンクスをバックに記念撮影。 3月1日には国王より祝宴が開かれ、客間の明るさに驚きを隠せず。3日に出発して22時にアレキサンドリア着。4日14時半に出発し、仏汽船ペルリン号に乗り込んだ。 3月10日15時仏国マルセイユ着。その美麗宏壮なのには千感万嘆ただもう呆れるばかり。船から見えただけで感極まって泣いている。やっと我に返って、同じ人間でありながらどうしてこの返の有様と我が日本とはこうも違うのかと憤慨悲憤するのであった。 マルセイユ市長が訪れ、陸上には歓迎の兵隊がおよそ15,000人。いずれも剣を抜き持ち、騎兵も多人数で待ちもうけたる有様に驚く。上陸後、歓迎委員が帽子を脱いで挨拶するので、見習って挨拶しようも陣笠の紐が解けず大弱り。用意された馬車10輌に分乗し、ホテルに到着してまたまた宏壮さにビックリ!博物館や公園、芝居も見物。夜には市中の明るさに驚きを隠せない。そんな中、使節団の一員である横山さんが体調不良でマルセイユに残ることに(エジプトで黄熱病に罹り、1864年4月26日にマルセイユで死去)。 15日にマルセイユを出発、途中でトンネルを通って驚いたりしながら夜にリオンで休憩を挟み、16日朝やっと巴里(パリ)到着。何処の停車場で飯を食うと言うと、停車場に着いた時分にちゃんと仕度が出来て待っていることに驚く一行。電信のあることなど知らなかったのだ。パリ・グランドホテルの宏壮さはマルセイユの比ではなく、水洗トイレに不思議がり、寝室が立派過ぎて寝られなかった。 3月20日に外務省で外相を訪問し、列国外交団を歴訪。その時に可軒さんは紋章の入った仏和両文の名刺を作成している。 “Ambassadeur de L. M,taicoun du Japan(大君の使節 池田筑後守)” その後(28日?)、皇帝ナポレオン3世(Napoléon III)に謁見し、国書を捧呈。具足、大和錦、太刀、蒔絵の箪笥等を贈り、その他の官吏に縮緬などを贈って非常に珍しがられたという。 劇場に招待されたり、遊所(廓)に出掛けたり、動物園で獅子やら河馬やらに驚いたり。可軒さんと河津伊豆守は造船所見物にも出掛けている。 そしていよいよ4月9日から談判が始まった。どうなる可軒さん!? 参考文献・小林久麿雄『幕末外交使節池田筑後守』(恒心社)昭和9年・田辺太一『幕末外交談』(冨山房)明治31年・尾佐竹猛『幕末遣外使節物語――夷狄の国へ――』(岩波文庫)平成28年・榎本 秋『世界を見た幕臣たち』(洋泉社)平成29年
2024.06.21
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幕末のイケメン侍、またはスフィンクスと記念撮影した侍として人気のある池田可軒(長發)さんは、27歳にして横浜鎖港談判使節団の正使を務めた英俊としても知られている。この使節団の目的は、開港場だった横浜を再度閉鎖する交渉を行うという到底実現不可能なもので、幕府としても無理を承知のうえで朝廷(や世間)に対して時間稼ぎのために送り出した使節団であった。 そんな過酷で悲惨な役目を何故可軒さんが負うことになったのか、今回はその経緯をざっくりと記したうえで、渡欧に先立って奉じた上申書を御紹介。 嘉永7年(1854年)の日米和親条約により下田と箱館が、そして安政5年(1858年)の日米修好通商条約(安政五カ国条約)により、神奈川(横浜)・長崎・新潟・兵庫(神戸)を開港・開市することとなり(神奈川開港6か月後に下田は閉鎖)、各開港地に外国人居留地を設置することが決められた。(他にも領事裁判権の規定、関税自主権の欠如といった不平等条約であった) しかし日米修好通商条約調印に際して孝明天皇は強く反対し、幕府が勅許を待たずに調印。これが後に安政の大獄や桜田門外の変へと繋がっていくのだが、文久2年(1862年)11月に急進的攘夷論者の勅使・三条実美が将軍・徳川家茂に「醜夷を拒絶すべし」と破約攘夷の実行を求める勅書を手渡し、家茂は勅書を受け入れて来春に京都に上り攘夷の詳細を説明するという回答書を提出。文久3年(1863年)3月、上洛した家茂(将軍の上洛は寛永11年(1634年)の徳川家光以来229年ぶり)に「君臣の名分を正し、人心の帰嚮を一にして攘夷の成功を期せしむ」と勅諭を述べた孝明天皇は、後日行幸して攘夷を祈願。4月20日、家茂は攘夷の実行を5月10日と決した。これを受けて翌日、天皇から諸大名に「軍政相整え、醜夷掃攘これ有るべく」とする命令が出される一方、同日家茂からは「五月十日拒絶に及ぶべき段、御達し相成り候」(5月10日から条約破棄交渉を実施する)とした上で「(外国の)襲来候節は掃攘致し候様、致さるべく候」とあくまで先方からの実力行使があった場合だけ応戦するようにとする命令がやはり諸大名に下されていた。 そして迎えた5月10日。「譬皇国一端黒土成候共開港交易ハ決而不好候(国土が焦土になっても開港交易は認めない)」とする宸翰が発せられ、長州藩は関門海峡を通過した米国船に砲撃を加え、その後も外国船への砲撃を実施。7月には英国の軍艦が薩摩藩に対して生麦事件(文久2年8月に生麦村で薩摩藩士が英国人を殺傷した事件)の犯人引き渡しと賠償金を求めて鹿児島に来港し、渉決裂に伴って薩英戦争が勃発した。 その後も攘夷実行や破約を求める勅書が諸大名に発せられたが、孝明天皇は自身の意思と無関係に急進的な勅書が出ることを憂慮して、急進的攘夷論の公家を朝廷の中枢から追放(八月十八日の政変)。これらのごちゃごちゃにより事実上攘夷勅命は無効化したものの、攘夷自体は放棄しておらず、ここにきて幕府は横浜鎖港談判の使節派遣を決めるのである。(以上、ざっくりとWikiさんより) 万が一にも談判が成功して鎖港できれば奉勅の一端として幕府の尊王が実証出来るし、不成功だったにしても各国を歴説して回るのに1、2年は掛かるだろうから、その間に世間の事情も変わるだろうという当座凌ぎの策を取ることにしたのだ。 当初は若年寄の秋月左京亮や、罷免された前老中の小笠原図書頭を使節に任命しようとしたそうだが、結局正使を務めることになったのが池田筑後守、我らが可軒さんであった。そして副使にはベテランの河津伊豆守、目付に河田相模守が選ばれた。 上 申 書 今般、私共、佛英其外國々へ、鎖港之儀に付爲御使罷越候に付而は豫め被爲施御處置之次第、(長州處分之事、尤其内のヶ條たり、)申置候趣も有之、近々御執行の運に相成候處、一体御用筋、御條約面に相觸れ候儀、及談判候事にて固より正大公明の議論を以て、執爭折服致兼候儀に御座候間、彼方氣受尤肝要に候處、各國へ被爲對、此迄の處、殺傷等引續有之、御殿山公使舘も、折角經營候處、燒失致し、然も暴徒の放火にかゝり候との風聞も相聞え、夫是交際上不都合の事共差重なり、長州發砲の始末におよび、事勢切迫、御懸念不少に付而は、各國公使はじめ、江戸表出府も御差止相成、先は横濱へ御閉置被成候も同樣の御待遇、其上京師の御模樣も自然外國人承り込罷在、當夏中御條約に全違背相成候鎖攘の御書簡、圖書頭殿御在職中被遣、其儀各國公使より銘々本國政府へ申遣候は勿論の事可有之、尤も先般右書簡は御取戻しにて御取消の趣被仰遣候得共、彼是議論申立候儀も有之、右等の廉により推考仕候えば、如何樣御懇親の旨、言辭を以て説得仕候とも、各國政府にては、其廉事實に不相露候上は、此等事情の委曲摸通り不申、定而御交際之御義理に相外れ、御懇親の御情合無之事と而已、一概に存取り、詰り鎖國の舊に可被爲復御目論見に可有之樣、猜疑の念差含候は必定にて、既に長州發砲の儀に付而も、政府の御處分を手ぬるく存取、直に各國より、軍艦差向け候趣も相聞え候、其兵機を未發に収め候儀も、僅に今般御使の談判賴有之候間、いづれにも先頃軍艦練所において、御手前樣方、亞蘭兩國公使に御談判被爲在候通り、御和親の御義理、御懇篤の御意味を押立、御國内の形勢、無餘儀事情委曲説明および、一時人心鎭靜方の方畧等談判いたし候趣を以ッて、自然鎖港の儀に相渉り候心得にて御座候間、彼方氣受不取失、横濱貿易筋、各國公使御接待振等、事實に御懇親の廉相見え候樣御仕向、公使共より政府へ非難申立候口實無之樣被成遣不申候ては、談判の御趣意相貫兼可申而已ならず、多少の行違相生じ、今般御使被遣候御趣意を以、敵意被爲任候樣存取、却て兵機を促し御條約御違背の名義に被相唱候て、各國連衡軍艦差向け、手詰の議論等に及間敷とも難申候、左候節は、私共一命固より覺悟候事には候得共、事の曲直、理の順逆、悉とく御趣意の筋とは相反し、却て一時疎暴過激の輩、自己の憤意相霽し可申ため、無謀の浪戰におよび可申端緒を啓き、御國事を誤り、兵禍の結ぶところ、慘毒百萬の生靈に及び、追て御國是御据り候後にいたり候も、取戻し不相成、無上の御失擧、天下永世の訾詬可受儀と尤も以心配仕候間、私共出帆仕候後、彼方談判筋は、私共舌頭にて相纏り可申ものと思召されず、前斷申上之通り、横濱貿易も衰頽不致、(此時桑を植えるを禁じ、種紙の出港を制限する等の議あるを以てなり、)公使御待遇向も、尚更御懇親被爲盡、中外相照應候而、不都合の事出來不申樣御處置御座候樣仕度奉存候、依之此段申上候 「私共一命固より覺悟候」と死を賭して悲壮な覚悟で渡欧した可軒さんなのであった。 参考文献・田辺太一『幕末外交談』(冨山房)明治31年・田辺太一著 坂田精一[訳・校注]『幕末外交談』2(平凡社東洋文庫)昭和41年・小林久麿雄『幕末外交使節池田筑後守』(恒心社)昭和9年
2024.06.19
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27歳にして遣欧使節団の正使を務めた幕末のイケメン侍、池田可軒(長發)さん。その可軒さんがちょこっと登場する小説、村松梢風著「ふらんすお政」は昭和8年(1933年)に汎文社から出版された。 前々回、前回に引き続き、可軒さんの登場シーンを中心に話を紹介しよう。 使節一行を軍艦で見送ったモンブランであるが、今回の使節派遣の一件はモンブランが打った芝居に過ぎなかった。使節の成功、不成功は彼にとってそれほど重要ではなく、これだけの大仕事を成し遂げたことにより本国・仏国に与える印象――その印象を利用して更に大きな仕事が出来ると確信していた。 モンブランは領事館へ行き、総領事レオン・ロセス(Léon Roches)、小栗、栗本、既に仏国から招聘している技師ウェルニー(François Léonce Verny)と製鉄所(実は造船所)問題について種々協議した。それまで臨時雇だったウェルニーは横須賀製鉄所首長を任命することになり、モンブランは製鉄所関連の用品や原料を仏国から仕入れる一切の権利を与えてほしいと要求し、認められた。 ウェルニーと一緒に領事館を出たモンブランは、彼にこれから羅紗緬のお浅の所に帰るのかと話し掛けた。お浅はウェルニーの子を身ごもっていた。しかしウェルニーはもう彼女には興味が無いと言い放った。その頃、お浅が生まれてくる赤子の着物を縫っている所へ父親が訪ねてきた。ウェルニーから手切金を受け取ったし、眼色毛色の変わった餓鬼を生んだら世間に顔向けできないから生まれる前に始末を付けろ、とのことだった。 翌朝、お浅の身投の知らせを聞いたお政とモンブランは驚きつつも、お浅の引取を拒否したウェルニーに代わって自宅に寝かせて通夜をし、翌日に埋葬した。徹頭徹尾顔を出さないウェルニーに対してお政は敵意を持ち、ウェルニーの方からもモンブランやお政に対して感情的な隔たりが出来た。 フランス・クラブでモンブランとカトリック布教士メルモッチ僧正(Eugène-Emmanuel Mermet-Cachon)に対する送別の夜会が行われた。そこでウェルニーから踊りを申し込まれたお政は、哀れなお浅の最期を思い出して彼を激しく非難した。モンブランもお政に同意したため、ウェルニーは決闘を申し込んだが、ロセスに別室に連れて行かれた。それから2、3日後にモンブランは上海行きの汽船に乗った。 使節一行がパリに行ってからモンブランに対する待遇がまるで変わって、邪魔者扱いをし始めたという。日仏同盟の画策者である彼の信用が急転直下に失墜するとは、モンブラン自身にもお政にも意外であった。 江ノ島辨財天の祭礼に来ていた英国軍人2人が何者かに斬り殺された。斬ったのは間宮で、逃げる途中に見つけた洋館に忍び込んだものの、そこには赤ん坊が6人も寝ており、何と偶然にもお政の家だった。江ノ島の事件を既に知っていたお政は、間宮に暫くここにいて身を隠すよう勧めた。お政は羅紗緬が生み捨てた混血児達を拾って育てることにしたのだという。これはお浅の事件があった時から考えていたことだった。その夜は間宮も疲れていたので洋館で休んだものの、翌朝にお政が寝室を覗くと既にもぬけの殻だった。 モンブランが大山師だという評判が日本でも、仏国でも同時に立てられた。横須賀製鉄所の材料請負の権利を一旦モンブランに与えておきながら、幕府は更にその後から、製鉄所の主任に命じたウェルニーに対して材料購買の権利をも一任したのだった。 モンブランは非常に憤慨してパリに滞在中の池田筑後守に面会して抗議を申し込んだが、筑後守は言を左右にして応じなかったばかりか、最後にはモンブランに対して絶交状を送って今後幕府との関係を断つことを宣告した。モンブランは激怒した。「自分は、幕府から重大な任務を受けているのみならず、幕府の御用商たる特許をも握っている。貴下は幕府の一属僚に過ぎないので、自分が老中から直接大任を受けている事を知らぬのである。貴下が勝手に絶交されても、自分は貴下に束縛せられる者ではないから、自分は依然として幕府の高等政策に参与し、且つこれを運動する重要な任務を帯びているのである」 漸く筑後守は「貴下と幕府との関係を断つことは自分の一存ではなく、幕府からの新しい指令に基づくものである」と答えて、その後は何と言っても応じなかった。 その後モンブランが煩悶懊悩の日々を送っているところに、一人の薩摩人がやって来た。藩の内命を帯びて政治と軍備を研究する名目で、10人程で欧州に来ているという。この男の口から出る熱烈な議論に心を動かされた彼は、薩摩藩に協力することにした。 モンブランは新しい立場に立って活動を開始した。それは嘗て彼が幕府のために献策したあらゆる計画を片っ端から破壊し、幕仏同盟の進行をも妨害した。 モンブランの暗中飛躍は物凄く、出来そうに見えた幕仏同盟は間際になってナポレオン三世が『同盟は、幕府――日本は仏国の保護を受け、保護国たるに満足すること』という条件を明確に条文に記載すべしと外務当局に厳命を発したので、交渉は急に頓挫してしまった。 鎖港談判は表面の名目で、鎖港は到底出来難いことは来ない前から知れていたことで、その代わりに幕府同盟を首尾よく締結して帰るというのが筑後守の唯一の任務だった。然るにその後は一向談判が進行せず、到頭何もかも不得要領のままで池田筑後守は帰国することになった。 筑後守が横浜へ到着した時の状況は真に悲惨を極めた。幕府は彼に対して、鎖港談判の使命を遂げなかったことを表面の理由として、上陸禁止を命じたのだった。 筑後守は呆然となったが、憤激のあまり、命令に服従せず敢然として上陸してしまった。すると幕府では狼狽して、今度は台命と称して筑後守の江戸入りを禁じ、外国奉行の職を解き、永の蟄居を申し付けたのだった。 モンブランは筑後守より一船遅れて何食わぬ顔をして帰国し、お政の待つ洋館には再び明るい橙火と笑い声が満ちた。 徳川慶喜の顧問を務める砲兵少佐ブレナンは、滞在中の金沢で薩長討伐の軍略と地図を書き終えて眠りに付いたが、何者かに盗まれてしまった。盗んだのは盗賊の八左衛門で、彼はそれをお政に届けた。意味も分からずそれを受け取ったお政がモンブランに見せると、彼は躍り上がって喜んだ。モンブランに和訳された草稿は、薩摩の隠密の手に渡った。 仏国総領事だったロセスの昇進祝賀会が公使館で開催され、大勢の来賓が集まった。そこへ関東赤心隊の浪人3人があちこちに火を放った。事前に遊郭の羅紗緬たちにも協力を依頼しており、火事のドサクサに紛れて大挙して押し寄せ、異人の首を一人残らず取る計画だ。強風に煽られて広がり続ける火事はたちまち居留地を含む横浜を炎で包んだ。 モンブランとお政は何とか逃げ出していたが、ウェルニーが血まみれで倒れているのを見つけたモンブランは彼を抱き起こそうとした。しかしウェルニーの手には拳銃が握られており、モンブランは腹部を撃たれて倒れた。ウェルニーを斬ったのは間宮だったが、彼も駆けつけた軍隊に見つかり、一斉射撃を受けて倒れたのだった。 お政は混血児を多く収容していることで知られる、ささやかな孤児院を運営していた。そして二坪ばかりの墓地を購入し、モンブランと間宮の石碑を建てていた。 お政が墓参りに訪れると、新しい花が上げられ、線香の灰がなま新しくこぼれていた。寺男に尋ねると、50余りの旦那だと言う。誰だろう…?ふと思い当たったお政は顔に傷のある男だったかと尋ねると、そうだと答える。やはり八左衛門であった。お政は二つの墓をゆっくり拝んで、夕日の中を家路に着くのであった。 ――可軒さんの登場シーン以外は端折りまくっているので話の内容はぐちゃぐちゃだが、まぁざっとこんな物語だ。 正直、可軒さんはそれほどいい役ではないのだけれど、登場する小説は珍しいので(知らないだけでいっぱいあるのかも!?)3回に亘って取り上げてみた次第。可軒さんの研究はまだまだ続く。
2024.06.16
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27歳にして遣欧使節団の正使を務めた幕末のイケメン侍、池田可軒(長發)さん。その可軒さんがちらっと登場する村松梢風の小説「ふらんすお政」は、昭和8年(1933年)に汎文社から出版された。 前回では物語の前半をざっと紹介したので、今回はその続きから。約90年前に書かれた遣欧使節団に関する記述が興味を引いたので、少し(少し…!?)引用させていただく。 間宮から寂れた古寺に呼び出されたお政は、2年ぶりに間宮と再会した。互いの近況等を話しながらも、お政は相手がどういう気持ちで呼び出したのかを早く知りたいと思い、一方の間宮は自分の冷静な態度が段々壊されて、異人に対する憤慨よりも女の誘惑の方を強く感じだしていた。間宮はモンブランがどういうことを画策しているか話してほしい、間者になってほしいと言ってきた。お政がその頼みをきっぱり断ると、間宮の仲間である尊皇攘夷派の浪人が4、5人やって来てお政を斬り捨てようとしたが、浪人組を牛耳っている男はお政を解放した。 文久3年(1863年)12月29日の横浜港は大変な騒ぎだった。それは幕府が鎖港談判の使節として仏国に派遣する池田筑後守の一行が出発の日だった。 幕府が海外へ使節を派遣するのはこれが3度目だった。第1回は万延元年(1860年)の新見豊前守一行の遣米使節、第2回は文久2年(1862年)の竹内下野守一行の遣欧6ヶ国への使節、第3回が即ち今回の遣仏使節である。 前2回の使節は条約批准交換、国書奉呈等の目的を持って派遣されたものだが、今回の鎖港談判使節なるものはそもそも何のために行くのだか、その目的が甚だ曖昧であるというので、当時においても、後世でも疑問とされているのだ。幕府は欧米諸国と条約を締結したが国論はそれと反対に傾いて、文久3年には朝廷は期日を定めて攘夷を断行すべき厳命を幕府に対して降した。徳川幕府が内外の政局において最大の危機に直面したのがこの年だった。幕府はやむを得ず横浜で鎖港談判を開こうとしたが、外国側は受け付ける道理がなかった。その結果、ナポレオン三世(Napoléon III)へ直接使節を派遣して鎖港の交渉を行わせるというのが今回の使節派遣の口実であって、使節出発と同日を以って将軍家茂が再度の上京をして攘夷鎖港の延期を朝廷に奏請することになった。然し横浜においてすら全然可能性のない鎖港談判が、日本の国情をより理解せざる欧州の地において成立する見込がないことは火を見るよりも明らかだ。しかも条約は諸外国と締結してあるのに、仏国一国だけへ使節するというのがそもそも意味をなさない話だ。だから京都でもこの点について大いに疑議を発し、島津久光等は大反対で、使節を上海から呼び戻すべしと論じたくらいだが、幕府方は承き入れなかった。 疑えば疑える節はいくらでもあるのだった。それより先9月2日に、3名の仏国人が横浜から戸塚へ遠乗りをしようとして井戸ヶ谷村へ差し掛かったとき、突然数名の浪士に襲われて、その内の一人、公使館付士官カミュウルなる者が惨殺された事件があった。当時横浜の居留民全体は非常に激昂して、外人の遊歩区域内においてかかる惨劇を発生せしめたことは許し難い手落ちだから激烈なる手段を以って幕府に当たるべしとの輿論であった。ところが仏国の出先当局は意外に温和な態度で幕府に対し平和的解決を要求したのだった。それで幕府は被害者の遺族に対して2万ドルの見舞金を贈ることになってこの事件は落着し、今度使節がパリへ行ったとき、カミュウル遺族を訪問して弔意を表し、その見舞金を交付することも含まれている用件の一つだった。 要するに、鎖港談判とは表面上の名目に過ぎなくて、使節派遣の目的が他にあることだけは想像するに難くないのだ。 それはともかく、この日、正使池田筑後守、副使河津伊豆守、目付河田相模守等一行34人は、東波止場から多数の官民の見送りを受けて小舟に乗り、更に碇泊している仏国の軍艦モンジュル号に乗り込んだのだった。 幕府の目付で、鎖港談判の委員として去る9月以来横浜詰を命ぜられていた栗本鋤雲は、使節の一行を見送った後、特に用もないので帰路についていると、後ろから外国奉行の小栗上野介に声を掛けられた。 二人は外国奉行役宅へやって来て、小栗は外人接見室に栗本を導き入れた。二人は最初遣仏使節について語り合った。「鎖港などは出来るはずがない。その出来もしない談判に遣られた池田は実際気の毒だよ」と小栗は渋いような顔をして笑った。政局の真の枢機に與っていない鋤雲にはまだ解しかねる点があった。「何のために池田を遣ったんです?」「早く言えば謝罪使さ。仏国の士官を殺したんだから先方へ謝るのが当然だ。しかしそれだけじゃない。一応謝ったうえで、他のことは宜しくお頼み申しますというのが池田の使命ですよ。英国が長州を助ける以上は、こちらは仏国を頼むより外はありませんからね」「それでは帰ってくる時には一体どう言って帰ってくるのです」「それは鎖港が出来なかったと言ってくるでしょう。また、そう言ってもらわねば困る。だから実を言うと、行かぬ先から役目不首尾の罰則まで決まっているようなものだから、およそ今日出掛けた使節ほど馬鹿げた役目はありませんよ」「しかし、もう一つの用件の方は?」「それは無論上手くいくでしょう。しかし上手くいってもこれは秘密だから池田の手柄にしてやることは出来ない」「池田さんはそれを承知で出掛けたのですか」「いや、彼は人がいいからそこまでは考えていないだろう。だから気の毒です」 ――横浜鎖港談判使節団の話は知れば知るほど悲しくなる。可軒さんがあまりに気の毒すぎる。鎖港談判使節についてはこの頃からこういう認識だったのね。本当に可軒さんはよく頑張ったと思う。脳梅毒だか知らないけどそりゃ精神も病んじゃうよ…
2024.06.15
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文久3年(1863年)に27歳にして遣欧使節団の正使を務め、スフィンクスの前で記念撮影したイケメン侍として知られる池田可軒(長發)さん。 昭和8年(1933年)に汎文社から出版された村松梢風著「ふらんすお政」には、その可軒さんがちらっと登場する。 この小説は東京・大阪朝日新聞に掲載されていたものだそうで、渡辺邦男監督によって映画にもなっているらしい。(日活HP参照) 「ふらんすお政」は羅紗緬(らしゃめん)のお政の物語で、羅紗緬とは幕末から明治にかけて日本在住の西洋人を相手に取っていた洋妾に対する蔑称であった。 幕府の大目付を務める3,500石の旗本・土岐丹波守の妾であるお政が、芝居帰りに異国人の暗殺現場を通り掛かるところから物語が始まる。殺されていたのは駐日米国総領事館の通訳・ヒュースケン(Henry Heusken。万延元年(1861年)1月14日に攘夷派の薩摩藩士に腹部を深く斬られて絶命)だった。翌日、丹波守に役者買いがバレたお政は納屋に閉じ込められるも何とか逃げ出し、尊王倒幕派の浪人・間宮 一に助けられる。間宮はヒュースケンを斬った犯人であった。お政は盗賊の八左衛門に預けられるが、(八左衛門に)捕手が来た際に自分を捕まえに来たと勘違いして逃げ出し、知人の伝手で横浜に辿り着いた。 横浜に滞在していた仏国人・モンブラン伯爵(Count Charles Ferdinand Camille Ghislain Descantons de Montblanc, Baron d'Ingelmunster)は美人で教養のある羅紗緬を探してくるよう頼んでいたが、毎日フラフラしているお政に目を付けた蓬莱屋の主人が彼女に声を掛け、お政はモンブランの羅紗緬となった。モンブランと共に生活しているうちに日本髪をやめ、大胆な風俗を取り入れたお政は人々から “ふらんすお政” と呼ばれるように。 そんなある日、モンブランは外国奉行の池田筑後守(可軒さん)を自宅に招待した。モンブランは幕府と仏国の間に同盟を締結し、仏国の援助で陸海軍の拡張を図って軍備が整った暁には、国内を統一して新文明国を建設する計画を立てていたのだ。 池田筑後守は5,000石の旗本だったが、ほぼ大名の格式があった。しかし今日は微行だから別段供揃は立てず、外国方の役人・通役等を2、3名つれてやって来たに過ぎなかった。彼は大官らしく極めて鷹揚に、しかし如才なく振舞った。女達に対しては特別の注意を払っている風が見えた。就中(なかんずく)お政に対しては、外国の貴婦人に対するように礼儀正しかった。食堂に案内したお政は主賓筑後守を正席に着かせ、自分がその隣に腰掛けた。 食卓では様々な話題が出て、筑後守はモンブランに向かって仏国の郡県制度の状態について質問した。モンブランは常々、日本は諸侯を廃して郡県制度を実行しなければ到底平和は望み得られない、それにはまず薩長二藩を滅ぼし、然る後諸侯を廃する他ないと主張しているからだった。 モンブランが仏国の州郡制度の歴史と現状を詳しく話したところで、「徳川幕府の力で薩長を滅ぼすことが出来るかどうか」ということが問題になった。筑後守はそれは自信がないと正直に答えた。そこで今度は英国対島津(薩摩藩)の関係が話題に上り、モンブランは先頃幕府の老中3名と英公使ニール(John Neale)、東洋艦隊司令官クーパー(Augustus Leopold Kuper)が生麦事件の解決交渉について会見密議したときの内容を話した。 話が終わって、筑後守はお政に向かって言った。「わしは2、3日前、丹波守殿に会いましたよ」 お政はニッコリ笑って「あの方は、何と仰っていらっしゃいました?」「どうも、そなたのことが未だに忘れられぬらしい口振りでした、はっはっは」 と筑後守は笑った。お政も相手の顔を見て「ホホホホ…」 と笑った。お政は丹波守のことを言い出されても何とも感じなかったが、筑後守が来る前に受け取っていた間宮からの手紙の方は、思い出すと彼女の胸を騒がせるのであった。 ここまでが全体の約半分なので、一旦ここで休憩。 作中の可軒さんはこの頃20代半ばなのだが、一人称が “わし” なのね。まぁ当時の男性の一人称についてはよく知らないけど。江戸で生まれ育った可軒さんには関係ないが、彼の知行地であった井原がある岡山県では、子供でも結構自分のことを “わし” と言っていた。岡山出身の千鳥・大悟さんも “わし” を使っているし、だんなさんもそうだ。だが息子達は幼い頃から “俺” だったので、今時はもうおじさんしか使ってないのかも。
2024.06.14
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『太陽の王子 ―― 虹の果ての黄金伝説 ――』 フループ 「The Prince of Heaven's Eyes」 Fruupp (74) ビューティフルでファンタスティックなひとときを今、あなたに…。フループのファンタジー・ロック・オペラ、ここに完成!A面 1. 旅の始まり - It's All Up Now 2. 魔王との出会い - Prince of Darkness 3. 二輪馬車に乗って - Jaunting Car 4. アニーの歌 - Annie Austere B面 1. 君を知ってから - Knowing You 2. 鏡の湖 - Crystal Brook 3. かもめよ、かもめ - Seaward Sunset 4. 旅の終り~新しい明日に向って - The Perfect Wish 昭和のおっちゃんおばちゃんは年齢を重ねると演歌を好んだようだが、令和のおばはんはこの頃70年代のプログレ(Progressive rock)に惹かれつつある。 今回取り上げたフループ(Fruupp)も70年代に活躍した北アイルランドのプログレロック・バンドなのだが、活動期間は71年~76年と短く、その間にリリースしたアルバムはたったの4枚しかない。しかしこの4枚ともに良い邦題が付いており、どれを取り上げようか迷ったが74年にリリースされた3rdアルバム「太陽の王子 虹の果ての黄金伝説(The Prince of Heaven's Eyes)」にした。 このアルバムは09年にリマスターエディションが発売されて収録曲が2曲増えており、その時にだかは分からないけど少しだけ邦題が変わっている。そのままでもよかった気がするけど、原題に近づけたかったのかな?現在の邦題は以下のとおり。『天の瞳を持つ王子 ―― 虹の果ての黄金伝説』 The Prince of Heaven's EyesCD 1. 旅立ち - It's All Up Now 2. 暗闇の王子 - Prince of Darkness 3. 二輪馬車 - Jaunting Car 4. アニーの歌 - Annie Austere 5. 君を知りたくて - Knowing You 6. 透き通る小川 - Crystal Brook 7. 海に沈む夕日 - Seaward Sunset 8. 完全なる望み - The Perfect Wishbonus track 9. 天の瞳を持つ王子 - Prince of Heaven10. 二輪馬車 - Jaunting Car(single version) 確かにアルバムタイトルは改題後の方がいい。このアルバムはポール・チャールズ(Paul Charles)による、虹の果てを探しに行く男の童話に基づくコンセプトアルバムだそうで、小説のブックレットが付いているらしい。 ポール・チャールズ氏は北アイルランドの小説家、マネージャー、プロモーター等を手掛けた方で、フループのマネージャー、エージェント、作詞家、ローディーを務めていたそうな。 フループのメンバーはというと、g&voのヴィンセント・マッカースカー(Vincent McCusker)、リードvo&bのピーター・ファレリー(Peter Farrelly)、key&オーボエのスティーヴン・ヒューストン(Stephen Houston)、dsのマーティン・フォイ(Martin Foye)の4人。 71年初頭にヴィンセントによって結成されて活動していたが、75年にスティーヴンが脱退。後任が加入したものの、パンク/ニューウェーブの台頭とともにレコードの売上不振により76年に解散したとのこと。 スティーヴンは脱退後に牧師になったという。フループとは全く関係ないが、日本のプログレロック・バンドの草分けとも言われるゴダイゴ(Godiego)のb、スティーヴ・フォックス(Steve Fox)も脱退して牧師になったっけ。似たような名前だったので、ふと思い出した。 さて、この「太陽の王子」はプログレっぽい小難しさ(完全に私感です)があまり無くて、とても聴きやすい。というかすごく良い。プログレとシンフォニック・ロック(symphonic rock)の違いが分からないが、このアルバムはどちらかというと後者のような気もする。美しい旋律とロックが見事に調和していて、思わず最後まで聴き惚れてしまった。嗚呼、小説のブックレットを読みたい… こんなに素晴らしい音楽を奏でるバンドが売上不振で解散してしまったとは、なんと勿体無い!まぁ楽曲の大半を手掛けていたのはスティーヴンだったそうなので、脱退後にどうなっちゃったのかは知らないけど。 とにかくめっちゃ良いアルバムである 途中でダレることもなく、最初から最後まで聴き応えがある。解散から45年以上が経過した現在でも本国では未だ根強い人気を誇っており、何とこのたび未発表ライヴを収録したDVD+CDのコレクターズボックス「A Twilight Adventure」が発売されるようだ。 “今回、フィルム作家のリチャード・ホールが、新たに制作した映像素材と2022年に発掘リリースされたライヴ盤「Masquerading With Dawn」収録の4曲とをシンクロさせて作り上げたビジュアル作品「On A Clear Day」をDVDに収録し、またカセットテープから発見された未発表ライヴ音源をレストアして収録のCD「A Twilight Adventure」を格納したボックスセットが全世界500セット限定でリリースされる” とのこと。(HMV&BOOKS onlineより。24年6月26日発売予定) そんなフループに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ 勿論、全曲お楽しみくだされ♪ 太陽の王子 虹の果ての黄金伝説(Full Album)
2024.06.12
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昔のドラマやアニメには魔法を使える女性がよく登場した。 魔女モノの代表といえば、64年~72年に米国で254話も放送されたコメディドラマ「奥さまは魔女(Bewitched)」だろう。 「奥さまの名前はサマンサ。そして、ダンナさまの名前はダーリン。ごく普通の二人はごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。でもただ一つ違っていたのは――奥さまは魔女だったのです」という中村 正さんのOPナレーションを未だに覚えているくらい好きだった。 魔女のサマンサ(Samantha)と、広告代理店勤務の真面目な夫であるダーリン・スティーブンス(Darrin Stephens)の新婚生活を描くコメディで、更にサマンサの母で同じく魔女のエンドラ(Endora)や、サマンサとダーリンの第一子でやっぱり魔法が使えるタバサ(Tabitha)の登場でハチャメチャに。そういえば日本に “サマンサタバサ” というブランドがあるが、「奥さまは魔女」から取られた訳ではないらしい。 子供の頃、サマンサが魔法を使うときに口を左右に動かすのを何度も真似しようとしたが、どうしても無理だったことをふと思い出した。 また、65年~70年まで米国で139話放送された「かわいい魔女ジニー(I Dream of Jeannie)」も好きだった。 「宇宙飛行士のトニーくんは、どうしたことか宇宙ならぬ南海の孤島に辿り着いて、摩訶不思議な壺を見つけた。その壺から美しい煙とともに現れたのが、なんと可愛らしい魔女のジニー。 あなたのそばならどこまでも――と、とうとうトニーくんの家まで付いてきてしまった。何せ魔女のこと、ちょっと可愛いウインクするだけで何でもかんでもお望み次第。さてさて、どんなことに相成りますことやら」 サマンサが人妻(ちょっと響きがいやらしい)だったのに比べ、ジニー(Jeannie)は小悪魔的でキュートだった。NASAの宇宙飛行士であるトニー(Anthony "Tony" Nelson)が2,000年間も封印されていた壺からジニーを解き放ったことで、トニーに一目惚れしたジニーはフロリダのトニーの自宅まで着いて行いって騒動を起こす、というコメディだ。 原案・企画ならびにプロデューサー(途中で交代)は、脚本家・小説家であるシドニー・シェルダン(Sidney Sheldon)が務めていた。英語教材「イングリッシュ・アドベンチャー」の人だ。 この2大魔女ドラマは日本でも大人気で、60年~80年代頃までは魔法少女アニメが多く制作された。代表的な作品を挙げてみると…。()内はアニメ放送期間。 ・魔法使いサリー(66年~68年) ・ひみつのアッコちゃん(69年~70年)何度もリメイクされて放送されている。 ・魔女っ子メグちゃん(74年~75年) ・魔法のプリンセス ミンキーモモ(82年~83年) ・美少女戦士セーラームーン(92年~97年)等々。 あ、おじさんだけどハクション大魔王(69年~70年)もあったなぁ。あと、私がおばはんだから知らないだけで、現代でも魔法少女モノってたくさんあるみたい。 映画でもジュリー・アンドリュース(Julie Andrews)がアカデミー主演女優賞を獲得した「メリー・ポピンズ(Mary Poppins)」(64年)とか、「ハリー・ポッター(Harry Potter)」シリーズとか色々あったりして。 やっぱり全人類の夢だよね、魔法使いは。嗚呼、私も魔法が使えたら就職先探しが楽になるのだけれど。魔法学校、近くにないかしらん…
2024.06.11
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54歳の私がまだ小学生だった頃、「ザ・モンキーズ・ショー(The Monkees)」というモンキーズ(The Monkees)のコメディ番組が大好きだった。 日本では67年(昭和42年)10月~69年(昭和44年)1月まで放送されたということなので、見ていたのは勿論再放送であった。 朝7時半ぐらいから見ていたように記憶しているが、記憶違いかな? ――と思っていたら、どうやら79年~86年までテレビ東京系列の「おはスタ(おはようスタジオ)」でモンキーズを多く取り上げていたとのこと。岡山県はなぜか地方唯一のテレビ東京系列局であるテレビせとうちがあるので、テレ東が視聴可能なのである。それって「ザ・モンキーズ」も流していたのかなぁ?と色々とWikiさんで調べてみると、テレビせとうちの開局が85年(昭和60年)とのことで、その頃は既に高校生だったのでどうやら違うらしい。単に田舎だから変な時間の再放送だったのかもしれない。 それはともかく、当時は「人気家族パートリッジ(ゆかいな音楽一家)(The Partridge Family)」なども楽しく見ていたし、結構小学生の頃から洋楽に親しむ機会が多かった。 「ザ・モンキーズ・ショー」は米国では66年9月~1968年3月に放送されていたが、モンキーズは元々この番組のために作られた架空のバンドであった。 オーディションで集められた4人はというと、voのデイビー・ジョーンズ(Davy Jones)、dsのミッキー・ドレンツ(Micky Dolenz)、gのマイク・ネスミス(Mike Nesmith)そしてb&Keyのピーター・トーク(Peter Tork)。 バンドメンバーを演じるために集められた4人は、劇中にモンキーズ名義で流れる音楽を演奏するのに楽器を割り当てられたそうで、唯一ドラムが演奏できたデイビーは小柄だったためヴォーカルに、そしてギターしか弾けなかったミッキーがドラムを叩くことに。マイクよりギター経験が豊富だったピーターがベースに、ベースの練習をしていたマイクがギターになったという。 66年8月、番組放送に先駆けてリリースしたデビューシングル “恋の終列車(Last Train to Clarksville)” が全米1位を獲得。10月には番組のOPで流れる “モンキーズのテーマ((Theme From) The Monkees)” や “恋の終列車” が収録されたデビューアルバム「恋の終列車(The Monkees)」がリリースされ、米国を始め英国やカナダでも1位を獲得。続く2ndシングル “アイム・ア・ビリーバー(I'm a Believer)” も米国を始め各国で1位に輝き、モンキーズは作られたアイドルとして絶大な人気を誇った。「Do you know how debilitating it is to sit up and have to duplicate somebody else's records? Tell the world we don't record our own music.」(座って他人のレコードをコピーしなければならないことがどれだけ疲れるか知っていますか?僕らは僕らの音楽を録音していないと世界に伝えてください」 67年1月28日付Saturday Evening Postに音楽制作のプロセスに対するマイクの非難が引用された。モンキーズは本気でアーティストとしての存在意義を求め始めていた。やがて音楽監督と衝突し、彼を解任。モンキーズはアーティストとしての道を歩み始める。 68年3月に番組が終了。その年の暮れにピーターが脱退、翌年にはマイクも脱退。70年にモンキーズは解散した。解散後もリバイバルブームが起って再結成したりもしたが、現在はミッキーだけが存命で3人は既に鬼籍に入っている。 「ザ・モンキーズ・ショー」が大好きだったということは覚えているのだが、内容は残念ながらほとんど覚えていない。時折YouTubeに上がっている映像を視聴しては懐かしさを噛み締めるが、英語能力ゼロなので理解して楽しめないのが悲しい。 今までモンキーズについて書いてなかったなぁ…と今回取り上げてみたが、そういえばマイクが亡くなった21年12月にモンキーズについてちらっと綴っていた。彼らの代表的な曲をいくつか紹介したが、既にリンクを貼った動画が削除済になっているものもあるので再度貼っておこう。 作られたアイドルだったにしても、彼らのキャラクターと同様に、いやそれ以上に彼らの音楽が好きだった。今でもモンキーズの曲はよく聴いている。もう一度、吹替で見たいなぁ…。 (Theme From) The Monkees Last Train To Clarksville The Girl I Knew Somewhere I'm a Believer You Just May Be the One Daydream Believer
2024.06.10
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11年にローリングストーン誌(Rolling Stone)が『The 100 Greatest Guitarists』を発表したが、私の最も愛するギタリストは入っていなかった。まぁ当然かな…とは思ったけど。 23年10月には150人増やした『The 250 Greatest Guitarists of All Time(史上最高のギタリスト250人)』を発表。サイトには250位から掲載されており、悲しいような嬉しいような、わりとすぐに見つかった。 247 Ricky Wilson When the B-52s played live, Ricky Wilson often seemed to exist happily in the background amidst the manic exuberance of lead singer Fred Schneider and the beehive hair and campy dance moves of Kate Pierson and Cindy Wilson. But his mix of downhome chicken scratch, angular post-punk, rockabilly, and surf rock on classics like “52 Girls,” “Strobe Light,” and “Private Idaho” made him one of the most inventive players of the New Wave era. Wilson often used only four or five strings on his blue Mosrite guitar and odd tunings to get a strange, spartan sound. “I just tune the strings till I hear something I like,” he once said. With his death in 1985, the indie-rock scene lost an unassuming radical. (The B-52'sのライヴでは、リッキー・ウィルソンはリードシンガーのフレッド・シュナイダーの熱狂と、ケイト・ピアソン&シンディ・ウィルソンのビーハイブヘアと派手なダンスの後ろで楽しそうにしているように見えた。しかし、“52 Girls”、“Strobe Light”、“Private Idaho” などの名曲で彼がミックスした田舎風のチキンスクラッチ、とがったポストパンク、ロカビリー、サーフロックで、ニューウェーブ時代の最も独創的なプレイヤーの一人となった。リッキーは奇妙で質素なサウンドを得るために、青いモズライトギターの弦を4本か5本だけ使い、奇妙なチューニングをすることが多かった。「気に入った音が鳴るまで、ただ弦をチューニングするだけだ」と彼はかつて言った。1985年に彼が亡くなったことで、インディーロック界は控えめな急進派を失った。) The B-52sの創設メンバーで、85年に逝去したリッキー・ウィルソンが247位に!あの奇妙奇天烈なギターサウンドが認められていて嬉しい。欲を言えばもうちょっと上の順位でも良くない!? とはいえポリス(The Police)のアンディ・サマーズ(Andy Summers)が250位で、元サイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)のポール・サイモン(Paul Simon)が246位だったりするので、基準がよく分からない。 ポール・マッカートニー(Paul McCartney)が173位かぁ。ま、ポールはベーシストのイメージがあるからね。一つ上の172位はプリテンダーズ(The Pretenders)のクリッシー・ハインド(Chrissie Hynde)だ。…あ、ジョン・レノン(John Lennon)が159位にいる。ジョンが亡くなった24年後の同月同日亡くなった元パンテラ(Pantera)のダイムバッグ・ダレル(Dimebag Darrell)は131位。 …ええッ!? スティーヴ・ヴァイ(Steve Vai)が127位!? どういう基準!? 100位内を見ていくと、ニルヴァーナ(Nirvana)のカート・コバーン(Kurt Cobain)が88位で、ザ・クランプス(The Cramps)のポイズン・アイビー(Poison Ivy)姐さんが87位とな!? 83位は何故かセットになっているアイアン・メイデン(Iron Maiden)のエイドリアン・スミス(Adrian Smith)&デイヴ・マーレイ(Dave Murray)。 おッ、76位がジョーン・ジェット(Joan Jett)姐さんで75位がリッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore)御大だ。 ギブソン・レスポールの生みの親であるレス・ポール(Les Paul)氏が68位。ギタリストとしての順位は半端だけど、ギブソン社初のソリッドギターであるレスポールの名は今度も語り継がれていくだろう。 51位にはテレヴィジョン(Television)のトム・ヴァーレイン(Tom Verlaine)が。B-52'sのリッキーが参加した唯一のバンド以外の曲が、トムの1stソロアルバムに収録されているのだ。 懐かし邦題で二度取り上げた邦題界の巨匠、フランク・ザッパ(Frank Zappa)が46位にランクイン。そして44位にはラモーンズ(Ramones)のジョニー・ラモーン(Johnny Ramone)。みんな大好き、ラモーンズ! 38位にはAC/DCのヤング兄弟、アンガス・ヤング(Angus Young)&マルコム・ヤング(Malcolm Young)。アンガスが38位かぁ…と思いきや、35位にはまさかのエリック・クラプトン(Eric Clapton)の名が。こんなに早く出てくるとは思っても見なかったのでビックリ!なななんで!? でもって33位がクイーン(Queen)のブライアン・メイ(Brian May)とは。ローリングストーンとはどうも意見が合わないみたい…。 31位はジョージ・ハリスン(George Harrison)だ。ジョージは好きだが、これは妥当な順位かな。しかし何故クラプトンの方が低いの? 14位で出てきたプリンス(Prince)、もうちょい上でもよかった気がするけど。 いよいよ TOP 10。 10位はオールマン・ブラザーズ・バンド(The Allman Brothers Band)のリーダー、デュアン・オールマン(Duane Allman)。クラプトンの傑作 “いとしのレイラ(Layla)” にも参加している実力派。 9位はジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)…うん、まぁ納得。8位は「Ambassador of the Blues(ブルース界の巨人)」B.B.キング(B.B. King)で、7位はプロデューサーとしても有名なナイル・ロジャース(Nile Rodgers)。 6位のシスター・ロゼッタ・サープ(Sister Rosetta Tharpe)は30~40年代に活躍された方らしい。Wikiさんによると「ロックンロールの母」「ソウルシスターの元祖」。 5位がジェフ・ベック(Jeff Beck)、4位がエディ・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen)、3位はジミー・ペイジ(Jimmy Page)、2位がチャック・ベリー(Chuck Berry)。この辺りは説明不要だわな。 そして栄えある第1位は…やっぱりジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)。ここが変わることはないだろう。 日本では神と崇められたマイケル・シェンカー(Michael Schenker)や王者のイングヴェイ・マルムスティーン(Yngwie Malmsteen)が入っていなかったのはちと寂しい。 私にはギタリストの技量の差なんてさっぱり分からないけど、愛しのリッキーが250人に選出されただけでも嬉しいかぎり♪ ありがとう、ローリングストーン
2024.06.09
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数ある時代劇の中で最も好きな時代劇といえば「ぶらり信兵衛-道場破り-」である。 その「ぶらり信兵衛」が先月から東映時代劇YouTubeの公式チャンネルで配信されており、毎週木曜日に更新されているのだ。ありがとう東映さん。 「ぶらり信兵衛 道場破り」については、16年前に時代劇チャンネルで朝夕再放送されていたときに一度取り上げたが、令和になってまさか無料で毎話視聴できるなんて!まぁ、Amazon Primeの東映オンデマンドに加入すればいつでも視聴可能なのだが、有料なので諦めていた。 十六店(じゅうろくだな)という裏長屋に暮らす浪人・松村信兵衛を中心に、長屋の連中がわちゃわちゃする一話完結の物語なのだが、とにかく十六店の連中が皆さんお人よしで気の良い連中ばかり。信兵衛は皆から少々頼りなく思われているが「先生」と慕われており、第2話で親に置いていかれた鶴之助の面倒も見ている。夜鳴き蕎麦屋・重助の孫娘であるおぶんはそんなお人よしで優しい信兵衛に惚れており、鶴之助の世話もよくしてくれているが妄想癖があって、毎話挿入されるおぶんの妄想の中では皆が滑稽に演じている。 しかし実は信兵衛は神道無念流の達人であり、長屋の連中に困りごとが起ったりすると連中には内緒で「取手呉兵衛(とってくれべえ)」と名乗って道場破りで金を工面してくるのである。道場破りとは言っても、大概は師範代までには圧倒的な強さで勝っておきながら道場主にはわざと負け、裏で道場主からこっそり金をもらうのである。 こうして十六店の平和は守られ、住人の平穏で騒がしい毎日が過ぎていく――という、お気楽な癒し時代劇なのだ。 信兵衛を演じている高橋英樹さんが素晴らしい。正統派二枚目ながらコミカルな演技も実に上手い。特におぶんちゃんの妄想の中でノリノリで滑稽に演じている高橋さんが大好き。 そのおぶんちゃんを演じているのは、後にスター・にしきのあきらさんの奥様になられた武原英子さん。武原さんはスケジュールの都合だかで途中から交代してしまうのだが、おぶんちゃんはやっぱり武原さんがよかったなぁ。 十六店の連中が集う飲み屋・まる源を営んでいる源次と、従業員の竜二役には東 京二・京太のお二人。 漫才協会会長の塙さん(ナイツ)がよく漫才協会の話を面白可笑しく語っているが、塙さんの初監督映画「漫才協会 THE MOVIE 舞台の上の懲りない面々」が今年公開された際に笑い話として協会所属芸人である「J・J京二・たかし」の話をしていた、その京二さんだったりする。今ではお年寄りエピソードを笑い話にされる京二さんだけど、50年前(「ぶらり信兵衛」は73~74年放送)は格好いい人だったのね。それを思うと高橋さんの変わらなさはスゴい! 十六店に暮らす駕籠かきの金太と銀太を演じているのは柳澤愼一さんと渡辺篤史さん。柳澤さんは懐かしの海外ドラマ「奥さまは魔女(Bewitched)」でダーリン(Darrin Stephens)役のディック・ヨーク(Dick York)の吹替をされていたと知ってビックリ!まさかダーリンの声の人だったとは! 貧乏子だくさんを地で行く大工の乙吉とおまさ夫婦役は小島三児さんと有崎由見子さん。小島さんは多くのTVドラマに出演されているが、個人的に一番印象深いのは「西遊記」の牛魔王役だったりする。「ぶらり信兵衛」が一番好きな時代劇なら、「西遊記」は一番好きなTVドラマだからだ。 そして、おまさ役の有崎さんは落語家・柳家金語楼さんの娘さんである。金語楼さんは二代目 三遊亭金馬さん率いる三遊亭金馬一座で初舞台を踏んだが、その一座の中には「堀江六人斬り」(1905年(明治38年)に大阪の堀江遊郭の貸座敷「山梅楼」で当主が内縁の妻の親族ら6人を刀剣で斬り付けて5人が死亡した事件)で両腕を切断されながらも唯一生き残った芸者・妻吉(後に得度し、大石順教となる)もいたという。…って有崎さんには全く関係ないけど。 信兵衛が実は剣の達人で、道場破りで生計を立てていることを知っている数少ない人物の内の一人が、芸者のこふね。実はこふねも信兵衛に惚れている。渋皮の剥けたいい女・こふね役には浜木綿子さん。二代目 市川猿翁さんと3年で離婚し、香川照之さんを女手一つで育て上げた方である。息子さんの不祥事もあったけど、昨年に元夫である二代目猿翁さんの弟・市川段四郎さんと奥さんが自死した件で、段四郎さんの長男・四代目 市川猿之助さんが自殺幇助の有罪判決(懲役3年・執行猶予5年)を受けた事件が思い出される。…ってこれも浜さん、ほとんど関係ないけど。 昨日は第5話が公開された。公開期間は1週間である。第1話と第2話はずっと公開されているので、心が癒されたい方にお勧めしたい。 50話全部公開してくれるのかなぁ。東映さん、是非とも全話公開を何卒お願いいたします。
2024.06.07
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『666 - アフロディテス・チャイルドの不思議な世界』 アフロディテス・チャイルド 「666 (The Apocalypse of John, 13/18) 」 Aphrodite's Child (72) ヴァンゲリス、デミスと世界的なビッグ・スターを生んだ伝説のグループ、A.チャイルドが、壮大なスケールで綴るサウンド・ドラマ!! 感性への刺激がイメージ世界を拡げる!A面 1. システム - The System 2. バビロン - Babylon 3. ラウド・ラウド・ラウド - Loud, Loud, Loud 4. 4人の騎手 - The Four Horsemen 5. 子羊 - The Lamb 6. 第7の封印 - The Seventh SealB面 1. エーゲ海 - Aegian Sea 2. 7つの球 - Seven Bowls 3. 獣の目覚め - The Wakening Beast 4. かなしみ - Lament 5. 獣の行進 - The Marching Beast 6. イナゴの戦い - The Battle of the Locusts 7. やっつけろ - Do It 8. 苦難 - Tribulation 9. 獣 - The Beast10. OFIS - OfisC面 1. 7つのトランペット - Seven Trumpets 2. アルタモント - Altamont 3. 子羊の結婚 - The Wedding of the Lamb 4. 猛獣狩り - The Capture of the Beast 5. ∞ - ∞ 6. HIC ET NUNC - Hic et NuncD面 1. 満員 - All the Seats Were Occupied 2. ブレイク - Break 今日は令和6年6月6日――666といえば、新約聖書のヨハネ黙示録13章18節に出てくる獣の数字である。 “Here is wisdom. Let him that hath understanding count the number of the beast: for it is the number of a man; and his number is six hundred and sixty-six.”(ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。) 666といえば、アイアン・メイデン(Iron Maiden)が82年にリリースした3rdアルバム「魔力の刻印(The Number of the Beast)」が真っ先に思い浮かんだが残念ながら既に紹介済なので、今回はタイトル自体は原題のままだがサブタイトルや曲名に邦題が付けられている「666 - アフロディテス・チャイルドの不思議な世界(666(The Apocalypse of John, 13/18))」を取り上げてみた。 アフロディテス・チャイルド(Aphrodite's Child)はkeyのエヴァンゲロス・パパタナシュー(Evangelos Papathanassiou。ヴァンゲリス(Vangelis)として知られる)、vo&bのデミス・ルソス(Demis Roussos)、gのアナギロス・クルリス(Anargyros "Silver" Koulouris)、dsのルカス・シデラス(Loukas Sideras)の4人により67年に結成されたギリシャのロック&ポップ・バンドだ。 68年に兵役中だったクルリスを除く3人は国際的な活躍の場を求めて英国に向かうが、労働ビザの関係で仏国に居留する事になったという。3人は68年にデビューアルバムをリリースし、翌69年には2ndアルバムをリリース。 70年後半に「666」のレコーディングを開始し、クルリスも任務を終えてバンドに復帰。しかしヴァンゲリスが作ったサイケでプログレ寄りの曲を、ポップ路線を継続したい他のメンバーは受け入れられず、メンバー間の関係は悪化。72年6月に「666」がリリースされたときには既に解散していたそうな。 この「666」は2枚組のコンセプトアルバムで、中心となるコンセプトはヨハネの黙示録のカウンターカルチャー的解釈であり、黙示録に基づいたサーカスショーが観客の前で上演されると同時にサーカステントの外で実際の黙示録が起こり、最後に2つが1つに融合するというもの。…何だか難しいなぁ。ビートルズ(The Beatles)が67年に「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」を発表して以降、多くのバンドがコンセプトアルバムを制作したが、このアルバムもやはり「サージェント・ペパーズ」に影響を受けたものだと「666」プロジェクトで作詞を担当したフェリス(Costas Ferris)が語っている。 “バビロン(Babylon)” の歌詞はヨハネの黙示録第18章の大いなるバビロンの崩壊に言及しており、“4人の騎手(The Four Horsemen)” や “第7の封印(The Seventh Seal)” にはヨハネの黙示録第6章が用いられているらしい。曲を聴いてるだけではさっぱり分からないけど。 “∞” はギリシャの女優であるイレーネ・パパス(Irene Papas)が、「I was, I am, I am to come」と歌いながら段々激しい喘ぎ声になっていくという何とも生々しいもの。 ずいぶん前にジョン・レノン(John Lennon)&ヨーコ・オノ(Yoko Ono)の「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」に収録されているオノさんの “キス・キス・キス(Kiss Kiss Kiss)” という曲を聴いて以来、この手の喘ぎ曲は大の苦手だ。オノさんは前からだったけど、ジョン・レノンまでも一気に苦手になったぐらい吐きそうな楽曲であった。まぁオノさんの「もっともっと」はキツかったけど、 “∞” はまだ英語だからギリギリ許容できるかな…。 喘ぎ曲を除けば、やっぱりプログレアルバムの傑作の一つだと思う。未聴の方は是非聴いてみるべきだ。今はYouTubeで簡単にFull Albumが聴ける恵まれた時代なので、少しでも興味が湧いたら視聴してみてほしい。新たなお気に入りジャンルが見つかるかも!? さて、ヴァンゲリスといえば81年に公開された「炎のランナー(Chariots of Fire)」のテーマ曲が全米1位を獲得し、アカデミー賞で作曲賞を受賞。82年公開の「ブレードランナー(Blade Runner)」でも音楽を担当して様々な賞にノミネートされたので、映画好きの方にはお馴染みかも。嗚呼、久々に “炎のランナー” の美しい旋律を聴きたくなってきた。 ヴァンゲリスは22年に新型コロナウイルス感染症により仏国で逝去した。イレーネ・パパスも同年、93歳で亡くなったとのこと。 そんなアフロディテス・チャイルドに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ バビロン 第7の封印 ∞ おまけ 炎のランナー
2024.06.06
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『狂魔密儀』 メイヘム 「De Mysteriis Dom Sathanas」 Mayhem (94) BURZUMのCount GrishnackhによるMAYHEMを率いていたEuronymousの殺害事件を背景にリリースされた1stフル・アルバム。Euronymousのノイジーで殺傷性の高いリフ、Hellhammerの怒涛のドラムス、Attilaの呻く様な特異なヴォーカル、そしてベースで参加したCountの狂気が封じ込められた狂気溢れる作品。これぞブラック・メタルと呼ぶに相応しい衝撃作。CD 1. Funeral Fog 2. Freezing Moon 3. Cursed in Eternity 4. Pagan Fears 5. Life Eternal 6. From the Dark Past 7. Buried by Time and Dust 8. De Mysteriis Dom Sathanas ノルウェーのブラックメタル・バンドであるメイヘム(Mayhem)が94年にリリースした1stアルバム「De Mysteriis Dom Sathanas」の直輸入盤に、日本語解説と帯を付けて国内仕様で販売した際に付いた邦題が「狂魔密儀」だ。曲名は原語のまま、カタカナタイトルすら付いていない。 メイヘムは84年にg&voのデストラクター(Destructor。後にユーロニモス(Euronymous)と改名)、bのネクロブッチャー(Necrobutcher)、dsのマンハイム(Kjetil Manheim)の3人で結成された。 その後幾度かのメンバーチェンジがあって88年にdsのヘルハマー(Hellhammer)とスウェーデン出身のvo.デッド(Dead)が加入。デッドはコープスペイント(白黒化粧)を施し、自傷行為を行ったりと死への執着を見せており、ユーロニモスは彼に自殺を勧め、同じノルウェーのブラックメタル・プロジェクトバンドであるバーズム(Burzum)のb.カウント・グリシュナック(Count Grishnackh)は91年初頭にデッドが所有するショットガンの弾丸数発をデッドに送ったという。 そして91年4月にデッドはナイフで手首と首を切り裂き、ショットガンで頭を撃ち抜いて自殺した。遺体を発見したユーロニモスは警察に通報する前に遺体を撮影、その写真はメイヘムのブートレグライヴアルバム「ドーン・オブ・ザ・ブラック・ハーツ(The Dawn of the Black Hearts)」のジャケット写真になっている。 デッドの自殺後にネクロブッチャーが脱退。87、8年頃から既に曲を書き始めていた「狂魔密儀」のレコーディングにはハンガリーのブラックメタル・バンドであるトーメンター(Tormentor)のvo.アッティラ・シハー(Attila Csihar)と、デッドに弾丸を送ったカウントがサポート・メンバーを務めた。 93年8月、ユーロニモスがアパートメントでカウントによって刺殺される。ユーロニモスの遺体はアパートの外で23箇所の切り傷を負った状態で発見されたのだとか。カウントは逮捕され、殺人と教会放火の両方でノルウェーで最高刑となる懲役21年の判決を受けたが09年に釈放された。 …とまぁ色々とゴタゴタしたものの94年に何とか発売さた「狂魔密儀」はブラックメタル史に名を刻む大傑作と言われ、多くのブラックメタルバンドに多大な影響を与えたのであった。 アルバムリリースに合わせてユーロニモスとカウントはトロンハイムのニーダロス大聖堂を爆破する計画を企てていたという。「狂魔密儀」のジャケットに写っているのがその大聖堂である。幸いなことに(!?)アルバムは94年5月24日にリリースされたが、ユーロニモスは既にこの世にはおらず、カウントの裁判は94年5月2日から始まったのだった。 何とも血なまぐさいアルバムではあるが、名盤であることは間違いない。文句なしに良い!今までブラックメタルに縁がなかったという方に是非ともお勧めしたい。 ユーロニモスの遺族はベースパートの差替えを申し出たが、結局カウントのベースのままで発売されているという。うーん…御遺族感情を考えると手放しで褒め称えるのも良くないのかも。 ちなみにユーロニモスの死後にバンドは一旦解散するも、94年に再結成。アッティラ・シハー、ヘルハマー、ネクロブッチャーと新メンバー2人を加えた5人組でメイヘムは現在も活動中。 そんなメイヘムに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ Funeral Fog Pagan Fears De Mysteriis Dom Sathanas
2024.06.05
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声優・増山江威子さんの訃報にショックを受けた昭和アニメファンは多いだろう。私もその一人である。色っぽいながらも優しく、時にはキリッとした増山さんのお声が大好きだった。 増山さんが演じられた数々のキャラクターを思い浮かべつつ、今宵は増山さんを偲びたい。 増山さんは日本の連続テレビアニメの創成期から活躍されている大ベテランだが、私が初めて増山さんの声に出会ったのは、71年に放送された「アンデルセン物語」のキャンティだったと思う。勿論、再放送だったけど。 山田康雄さん演じるズッコと二人でアンデルセン童話の世界に入って何かいいことをしようとする話だった。 「天才バカボン」でのママ役はとてもハマリ役だった。 原作者である赤塚不二夫先生の要望で「元祖天才バカボン」「平成天才バカボン」「レレレの天才バカボン」でもママ役は増山さんが続投したというのも納得。 優しくて美人で芯のある母親を演じられる唯一無二の声優さんだった。 先頃YouTubeで1~6話までが公式配信されて驚いた「ジャングル黒べえ」でも、しし男の母親役を演じている。 増山さんは様々なキャラクターを演じてらっしゃるが、やっぱり母親の役が一番しっくりくるような気がする。 …とはいえ、「キューティーハニー」の如月ハニーもやっぱり増山さんの声じゃなきゃ! お色気には全く興味のなかった小学生時代、ハニーちゃんの格好良さにシビれた。アニメも主題歌もめっちゃ大好きだった。当時は空中元素固定装置の意味が分からなかったけど。 女性が憧れる格好いい女といえば、「ルパン三世」の峰不二子役もそう。声の色気も半端ない。 個人的には正直なところ、不二子ちゃんのような平気で裏切るタイプはあまり好きではないのだが、劇場版「カリオストロの城」の不二子ちゃんは好き。 不二子ちゃんの3サイズは90・60・90だと何故かずっと思い込んでいたが、今回Wikiさんを見て99.9・55.5・88.8だと知った。ナイスバディ 私にとって増山さんの代表作といえば、やっぱり「一休さん」を挙げたい。 この作品では一休さんの母上さま・伊予の局と、新右衛門さんと実は相思相愛である末姫様、そしてナレーションも務めている。 母上さまの慈愛に満ちた凛としたお声が本当に素晴らしい。 女性声優の中では増山さんのお声が一番好きだった。二番目は「銀河鉄道999」でメーテル役を演じた池田昌子さんかな。 増山さんの訃報を受けて、2代目ルパン(栗田貫一さん)や安国寺の哲斉さん(井上和彦さん)等がコメントされているのを見て、昭和の偉大な声優さんがまた一人いなくなったことを実感して寂しくなった。 昭和のルパン、次元、五ェ門、銭形のとっつぁん、一休さん、秀念さん、黙念さんに外観和尚、初代のバカボンパパ、レレレのおじさん、本官さん、黒べえもパオパオもしし男の父親も、皆さん鬼籍に入られており、昭和も遠くなったなぁ…としみじみ感じる今回の訃報であった。 増山さん、どうぞ安らかに…。
2024.06.04
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『首切り役人の美しい娘』 インクレディブル・ストリング・バンド 「The Hangman's Beautiful Daughter」 The Incredible String Band (68)A面 1. コエオアディ・ゼア - Koeeoaddi There 2. ミノトールの歌 - The Minotaur's Song 3. 魔女の帽子 - Witches Hat 4. すきまだらけの歌 - A Very Cellular SongB面 1. マーシィー・アイ・クライ・シティ - Mercy I Cry City 2. 新月のワルツ - Waltz of the New Moon 3. 水の歌 - The Water Song 4. 緑の冠 - Three Is a Green Crown 5. 風のように - Swift As the Wind 6. たそがれ - Nightfall 英国のサイケデリック・フォークバンドであるインクレディブル・ストリング・バンド(The Incredible String Band)が68年にリリースした3rdアルバム「首切り役人の美しい娘(The Hangman's Beautiful Daughter)」。原題直訳ながらインパクトのある邦題だったが、今は「ザ・ハングマンズ・ビューティフル・ドーター」となっており、曲名邦題も消えてしまった。 サイケデリック・フォーク(アシッド・フォークとも)というのは、サイケデリックなトリップ感を醸し出すフォーク・ミュージックのことだそうで、確かにこのアルバムを聴いていると不思議な感覚に陥りそうになる。 マルチトラックやオーバーダビングを活用したサイケなフォークに世界中の様々な楽器が加わり、何とも幻想的でトリップ感溢れるこの不思議なアルバムは全英で5位を記録し、グラミー賞にノミネートされたという。 使用されている楽器は一般的なギターやピアノ、ハーモニカ以外にもビートルズ(The Beatles)の楽曲にも取り入れられたインドの弦楽器・シタールや管楽器のシェナイ、北アフリカのモロッコあたりの民族楽器・ゲンブリ、中東からモロッコやギリシャで使われる撥弦楽器・ウード、鍵盤楽器のチェンバロ、木管楽器のパンパイプ(パンフルート)、元はアフリカの楽器で黒人奴隷によって米国にもたらされたというカズー、他にもティン・ホイッスル、口琴(マウスピース)、ウォーターフォン、打弦楽器のハンマー・ダルシマー、パイプオルガンやフィンガーシンバル等々、実に多彩である。 インクレディブル・ストリング・バンドはクライヴ・パーマー(Clive Palmer)、ロビン・ウィリアムソン(Robin Williamson)、マイク・ヘロン(Mike Heron)の3人により66年に結成されたが、クライヴが早々に抜けてロビンとマイクのデュオになる。「首切り役人の美しい娘」も2人の作品だ。その後はメンバーを増やして活動していたが74年に解散。99年再結成したそうだが以前ほどの高評価は得られなかったうえ03年にはロビンが脱退、結局06年にフェスで行ったコンサートが最後になったそうな。 ロビン曰く “ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」(67)を、ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)が「サタニック・マジェスティーズ(Their Satanic Majesties Request)」(67)を録音する前に自分達の演奏を聴いていたのだから、インクレディブル・ストリング・バンドがこれらのアルバムに影響を与えたんだ” とのこと。 真偽の程は定かではないけど私は民族音楽系がわりと好きな方なので、このアルバムは結構好みだったりする。 「首切り役人の美しい娘」ではちょっとグロテスクな感じがして敬遠されるかもしれないが、「ザ・ハングマンズ・ビューティフル・ドーター」にしても気を引くタイトルではない。んー、勿体無いなぁ…いいアルバムなのに。 そんなインクレディブル・ストリング・バンドに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ コエオアディ・ゼア すきまだらけの歌 たそがれ
2024.06.03
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『烏と案山子とアイスクリーム』 キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド 「Ice Cream for Crow」 Captain Beefheart and the Magic Band (82) 吠える唸りの詠い吐く手にモハビの砂漠が狼狽したのです。A面 1. 烏と案山子とアイスクリーム - Ice Cream for Crow 2. 幽霊の主人はステキな殉教者 - The Host the Ghost the Most Holy-O 3. セミ・マルチカラーのコーカシア人 - Semi-Multicoloured Caucasian 4. ガーランド氏のツィード・コート - Hey Garland, I Dig Your Tweed Coat 5. 晩鐘 - Evening Bell 6. ボール紙のキリヌキ夕陽 [モハビの砂漠にて] - Cardboard Cutout SundownB面 1. 覗き穴から緊張した過去が見えるよ - The Past Sure Is Tense 2. インク算術思考法 - Ink Mathematics 3. 妖術師ライフの存命 - The Witch Doctor Life 4. 81年版プープ・ハッチあるいはアヌストイズム - '81 Poop Hatch 5. 千と十日目の聖人トーテム・ポール - The Thousandth and Tenth Day of the Human Totem Pole 6. やったネ、シャレコーベ氏 - Skeleton Makes Good 「烏と案山子とアイスクリーム(Ice Cream for Crow)」はキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド(Captain Beefheart and the Magic Band)が82年にリリースした12thにして最後のアルバムである。 キャプテン・ビーフハートことドン・ヴァン・ヴリート(Don Van Vliet)が通っていた高校にフランク・ザッパ(Frank Zappa)が転校してきて親しくなり、ザッパが「Captain Beefheart vs. The Grunt People」という映画の台本を書いて、ヴァン・ヴリートが魔力を発揮するキャプテン・ビーフハートというマジック・マンを演じる計画だったことからこの名を名乗るようになったとのこと。 このビーフハートという言葉の由来は、彼の恋人に自分のナニを見せる癖があったという叔父がバスルームのドアを開けたまま排尿していて、彼女が通りかかると自身のナニについて "Ahh, what a beauty! It looks just like a big, fine beef heart" とつぶやいたからだとか(Wikiさん参照)。 まぁナニの話は置いといて、曲名の邦題がどことなくザッパっぽくて好ましいものの、帯文句が分からなさすぎて買うのを躊躇してしまいそう… 幼少の頃は絵画と彫刻に夢中で、子供彫刻コンクールで優勝したりTV番組で取り上げられたりしていたビーフハートだったが、10代前半頃から音楽にも目覚め、64年にザ・マジック・バンド(The Magic Band)を結成。このときビーフハートは単にバンドのリードシンガーに過ぎなかったのだが、いつしかキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド(Captain Beefheart and his Magic Band)となり、72年からはキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドになった。しかし74年にはビーフハートによる長年の虐待、報酬の不足、方向性の違いなどからほとんどのバンドメンバーが脱退。一時音楽活動を停止するも翌年からは若いミュージシャンを起用して活動を再開。 しかし82年にリリースしたこの「烏と案山子とアイスクリーム」を最後にビーフハートは音楽界を引退。その後は公の場に姿を現すことはほとんどなかったが画家として活躍し、10年に病没した。 キャプテン・ビーフハートの音楽は、リズム・アンド・ブルースとアヴァンギャルド・ジャズの融合だとかジャズ、ブルース、サイケデリック・ロックの融合だとかいわれ、ローリングストーン誌曰く「キャプテン・ビーフハートのキャリアにおける決定的な問題は、彼をありのままに受け入れる人がほとんどいなかったことだ」とのこと。 ジャンルにとらわれない自由な演奏にダミ声のおっさんの歌声が乗ったこの音楽は、残念ながらチャートを賑わせることはなかったが、様々なミュージシャンに影響を与えたそうな。 私は岡山県民なのでこの言葉を使わせてもらうと、クセがすげぇんじゃ。勿論、いい意味で。 そんなキャプテン・ビーフハートに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ 烏と案山子とアイスクリーム 覗き穴から緊張した過去が見えるよ やったネ、シャレコーベ氏
2024.06.02
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『くたばれキャベツ野郎』 セルジュ・ゲンスブール 「L'Homme à tête de chou」 Serge Gainsbourg (76) 東京映画祭外国審査員で二度目の来日。映画、レコードでその才能を発揮しているゲーンズブールの注目すべき強力アルバム!A面 1. くたばれキャベツ野郎 - L'Homme à tête de chou 2. マックスの理髪店 - Chez Max coiffeur pour hommes 3. マリルーとレゲエ - Marilou Reggae 4. マリルー - Transit à Marilou 5. フラッシュ・フォワード - Flash Forward 6. 複葉飛行機 - Aéroplanes 7. 初期症状 - Premiers symptômes B面 1. 俺のマリルー - Ma Lou Marilou 2. マリルーのヴァリエーション - Variations sur Marilou 3. 消火器殺人事件 - Meurtre à l'extincteur 4. 雪の下のマリルー - Marilou sous la neige 5. 月の精神病院 - Lunatic Asylum 仏国人音楽家で俳優・監督としても活躍したセルジュ・ゲンスブール(Serge Gainsbourg)が76年にリリースしたコンセプト・アルバム「くたばれキャベツ野郎(L'Homme à tête de chou)」を取り上げてみた。73年リリースの「ゲンスブール版女性飼育論(Vu de l'extérieur)」とどちらにしようか迷ったが、女性を飼育ですって!? キーッ!! とお叱りを受けるのも嫌なので、キャベツ野郎の方にした次第である。 このアルバムはゲンズブールが購入してジャケットにも使用されている、クロード・ラランヌ(Claude Lalanne)によるキャベツ頭の男性の彫刻にインスピレーションを得て制作されたとのこと。分かりづらいのでキャベツ頭の男の画像を貼っておく。こんな感じだ。んー、芸術はよく分からない。 この「くたばれキャベツ野郎」は、かなり自由な考えを持つシャンプーガールに恋する40代男性の物語らしい。 「キャベツ頭の男」と呼ばれる語り手は、“マックスの理髪店”(Chez Max coiffeur pour hommes)にて理髪店のシャンプー係として働いている若い女性・マリルーと出会い、“俺のマリルー(Ma Lou Marilou)” にて彼女をデートに誘って情事を始め、“マリルーのヴァリエーション(Variations sur Marilou)” にて彼女の独りでのエロティックな遊び、“消火器殺人事件(Meurtre à l'extincteur)” “雪の下のマリルー(Marilou sous la neige)” において語り手は、彼女が2人のロッカーとベッドにいるのを見て嫉妬してマリルーを殺害、“月の精神病院(Lunatic Asylum)” にて最後に彼が狂気に陥るというような内容とのこと。(Merci beaucoup, Wikiさん、Google翻訳さん) …流石「エマニエル夫人(Emmanuelle)」(74) が制作された国の人だ。米国のノー天気なエロ、伊国の陽気なエロに対して、仏国はぐじゅぐじゅしたエロのイメージがある。(ちなみに日本はロリエロ大国)。 人妻だったブリジット・バルドー(Brigitte Bardot)と親密になったり、ジェーン・バーキン(Jane Birkin)と長らく事実婚状態だったりと浮名を流したゲンズブールは91年に62歳でこの世を去った。 当時のミッテラン大統領は「彼は私たちのボードレールであり、アポリネールでした。…彼は歌を芸術のレベルにまで高めました」と述べて追悼の意を表したという。 ゲンズブールはモンパルナス墓地(Cimetière du Montparnasse)に埋葬されたが、ここには著名人が多く埋葬されており、哲学者・作家のジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)とシモーヌ・ド・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir)、作曲家のサン=サーンス(Camille Saint-Saëns)、作家のギ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant)やモーリス・ルブラン(Maurice Leblanc)、ジャック・シラク(Jacques René Chirac)元仏国大統領等も眠っている。 邦題に興味を持ち、初めて仏語歌曲を聴いてみ…いや、初めてではないかな。ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff)の “シェリーに口づけ(Tout, tout pour ma chérie)” とかあったわ。とはいえあまり馴染みの無い仏語の響きに耳がもぞもぞするも、音楽自体は思っていたより聴きやすい。歌詞を知ったらより楽しめそう。 英語圏外の楽曲には親しみやすいように邦題が付いている場合が多く、ゲンズブールの曲にも面白邦題が結構あるので、いつの日かそれらも紹介したい。 そんなゲンズブールに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ くたばれキャベツ野郎 マリルーのヴァリエーション 月の精神病院
2024.06.01
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『スーパースターはブロンドがお好き』 ロッド・スチュワート 「Blondes Have More Fun」 Rod Stewart (78) 真似のできない並はずれたファッション・センス。華麗に、セクシーに、スーパースターは気どり屋さん。人気最高頂No.1ヴォーカリストが放つ世紀のビッグ・セラー!!A面 1. アイム・セクシー - Da Ya Think I'm Sexy? 2. ダーティ・ウィークエンド - Dirty Weekend 3. あばずれ女のバラード - Ain't Love a Bitch 4. 青春の思い出 - The Best Days of My Life 5. 愛の代償 - Is That the Thanks I Get? B面 1. 求む、いい女 - Attractive Female Wanted 2. スーパースターはブロンドがお好き - Blondes (Have More Fun) 3. ラスト・サマー - Last Summer 4. シャドウズ・オブ・ラヴ - Standin' in the Shadows of Love 5. うちひしがれて - Scarred and Scared 英国人シンガー・ロッド・スチュワート(Rod Stewart)が78年にリリースした9thアルバムには「スーパースターはブロンドがお好き(Blondes Have More Fun)」という、セクシーでプレイボーイなロッドにピッタリの邦題が付いている。 “まず前作の『明日へのキック・オフ(Foot loose & Fancy Free)』で日本でも人気が急上昇中でしたから何としてもスーパースターにしたかったというのがひとつ、そこにマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)の映画のタイトル『紳士は金髪がお好き(Gentlemen Prefer Blondes)』が重なり、『スーパースターはブロンドがお好き』となった次第” と、このアルバム邦題の名付け親であるワーナーの担当者さんが「Guitar Magazine LaidBack・It's only Japanese title, but we like it.(たかが邦題、されど邦題)」で語っており、捻りがあるようでないような気もするがそこそこインパクトもあって素晴らしい邦題だ。 “アイム・セクシー(Da Ya Think I'm Sexy?)” だとか “あばずれ女のバラード(Ain't Love a Bitch)”、“求む、いい女(Attractive Female Wanted)” なんていう邦題もロッドだからこそしっくりくる。まぁフェイセズ(Faces)時代の「馬の耳に念仏(A Nod Is as Good as a Wink... to a Blind Horse)」には勝てないけど。 今年3月20日に東京・有明アリーナで「Live in Concert, One Last Time」という一夜限りのライヴを行ったロッドは現在79歳。その模様がYouTubeに上がっていたので視聴してみたが、80歳目前とは思えぬ若々しさ! そのライヴで1曲目に歌っていた “Infatuation” は、84年にリリースされた13thアルバム「カムフラージュ(Camouflage)」からの先行シングルで、洋楽番組を観まくっていた青春時代をふと思い出した。 そう、私の洋楽記憶の大半は80年代のものなので、70年代の――セクシー番長を張っていた頃のロッドは正直よく知らなかったりする。ちなみに80年代のセクシー番長といえば俳優のバート・レイノルズ(Burt Reynolds)とヴァン・ヘイレン(Van Halen)のデイヴィッド・リー・ロス(David Lee Roth)が思い浮かんだが、記憶違いかもしれない。 70年代の洋楽はほぼリアルタイムで知らないながらも、“アイム・セクシー” は余程流行ったのか聴き覚えがあった。全米・全英1位を記録し、日本でもオリコン12位だったらしい。 改めてセクシー番長時代のロッドのPVを見てみると、金髪ハスキーボイスの色気がたまらない。このロッドの系譜に女性ではキム・カーンズ(Kim Carnes)がいたが、男性では誰かいたっけ?すっと思い浮かばないあたり、ロッドが唯一無二のシンガーだといえるのかもしれない。いやまぁ、沢山いるとは思うけど…。森進一さんとかもんたよしのりさんとか葛城ユキさんとかは金髪じゃないから除外ね。(葛城さんは一昨年6月に、もんたさんは昨年10月に亡くなられた。) いつの日か邦題に絶滅の危機が訪れるとしても、このアルバム邦題は最後の最後まで粘るのではないかと思っている。こんなにイメージぴったりの邦題はなかなかない。ワーナーの担当者さんはいい仕事をしましたね。←上からで失礼 そんなロッドに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ アイム・セクシー あばずれ女のバラード スーパースターはブロンドがお好き
2024.05.31
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3月におよそ1年半ぶりの新刊(21巻)が出た中村 光さんの「聖☆おにいさん」。 世紀末を無事乗り越えたブッダとイエスが、有休をとって下界でのバカンスを満喫しようと、日本の東京都立川の安アパート「松田ハイツ」の一室で「聖」(せい)という名字でルームシェアして暮らすという設定で描かれる日常コメディ(Wikiさん丸写し)なのだが、仏教・キリスト経・ギリシャ神話・北欧神話等の様々な神々が出てくるので、歴史好きにはとても嬉しいやら楽しいやら。 数年前に実写ドラマ化したのは知っていたが、ちょっとイメージと違っていたので見ていない。ところがどうやら今度は映画化されるらしく、「聖☆おにいさん THE MOVIE〜ホーリーメン VS 悪魔軍団〜」が今年12月20日に公開予定とのこと。 うーん…見たいような見たくないような…。監督は「今日から俺は!!」と同じ方だそうで。あ、それで梵天さん役が「今日俺」で三橋貴志クン役を演じた役者さんなのか。まぁ「今日俺」も原作が好きなので、実写版は見なかった。面白かったそうだけど、デカくない今井勝俊クンは違う気がする。帝釈天さんを演じる勝地涼さんの方が梵天さんに向いてそうだけどなぁ。 勝地さんは山田裕貴くんが志村さんを演じた「志村けんとドリフの大爆笑物語」で初めて知ったが、加藤茶さん役を上手く演じていたし、梵天さんの目力も合いそう。 「聖☆おにいさん」の好きなキャラBEST 5はというと 1・ルシファー 元天使長だったが天界大戦争(ミカエルとの兄弟喧嘩)で敗北し、いまは堕天使の長。面倒見の言い兄貴っぷりが格好いい。 2・ウリエル 神の炎を司る天使で、イエス曰く「破壊天使」。大体無表情で場の空気も破壊する。 3・ペトロ イエスの一番弟子にして十二使徒のリーダーで、初代ローマ法王。漫画では明るい兄ちゃん。 4・帝釈天 雷を司る軍神。下界で着用しているスーツはアルマーニという、お洒落さん。 5・十一面観音 頭部に11の顔を持つ菩薩。「あー麺」というHNでレビュー系ブロガーとして活動しており、下界では有名。「いえっさ」のHNでテレビドラマ感想ブログを綴っているイエスもあー麺の大ファン。 神々が登場する漫画ではあるが内容はほっこり系なので、暇なときには読み返してほわほわしている。うーん、実写映画化かぁ…。 ジョニー・デップ(Johnny Depp)に似ているといわれるイエスを松山ケンイチさんが演じていることより、ブッダの実写化の方がちょっとキツいような。役者さんは頑張っているとは思うが。それより映画では天使長・ミカエルを日本人が演じることに無理がありすぎる。演じる岩田剛典さんに罪はないけど。あ、この方はEXILE系の「HiGH&LOW」シリーズで主演してたっけ。 いつの日かAmazon Primeで視聴可能になれば見るかもしれない。
2024.05.29
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『特別料理』 ローウェル・ジョージ 「Thanks, I'll Eat It Here」 Lowell George (79) リトル・フィートの中心人物、ローウェル・ジョージが超メガトン級の巨体をぶつけて創り上げたソロ傑作第一弾!ファンキー&タイト、とてつもなくポップなアメリカン・ロックの金字塔がここに築かれた!!A面 1. あの娘に何をさせたいの - What Do You Want the Girl to Do 2. オネスト・マン - Honest Man 3. ふたつの列車 - Two Trains 4. キャント・スタンド・ザ・レイン - I Can't Stand the Rain B面 1. チーク・トゥ・チーク - Cheek to Cheek 2. イージー・マネー - Easy Money 3. 僕のすべてを君に - Twenty Million Things 4. 川を探して - Find a River 5. ヒムラーズ・リング - Himmler's Ring ローウェル・ジョージ(Lowell George)が79年にリリースした唯一のソロアルバム「特別料理(Thanks, I'll Eat It Here)」。これも今では「特別料理 イート・イット・ヒア」だの「イート・イット・ヒア(特別料理)」だのとカタカナタイトルと併記されており、曲名も “あの娘に何をさせたいの(What Do You Want the Girl to Do)” 以外の邦題は消えてカタカナタイトルになってしまっている。寂しいなぁ。 アルバム邦題が絶滅してしまう前に1枚でも多くの邦題を書き残しておかねば!と勝手に使命を負った気になっているが、一部の面白邦題以外は誰もそこまで興味がない気もする… 面白邦題の王といえば何と言ってもフランク・ザッパ(Frank Zappa)である。「フランク・ザッパの○△□(Ship Arriving Too Late to Save a Drowning Witch。現在は「たどり着くのが遅すぎて溺れる魔女を救えなかった船」に改題されている)」(82)や「ハエ・ハエ・カ・カ・カ・ザッパ・パ!(The Man from Utopia)」(83)といった邦題史に残る傑作を多く残したザッパは、60年代半ばから約10年間マザーズ・オブ・インヴェンション(The Mothers of Invention。MOI)というバンドを率いていた。 ローウェル・ジョージは68年からこのMOIでギタリストとして活動したが、薬物摂取を理由に半年ほどで解雇された模様。69年にMOIは解散し(翌年再結成)、ローウェル・ジョージはMOIのオリジナルメンバーだったベーシストのロイ・エストラーダ(Roy Estrada)とリトル・フィート(Little Feat)を結成した。 ザッパのバンドにいた二人が結成したバンドのアルバムには嘸(さぞ)素晴らしい邦題が付いているに違いないと思いきや、カタカナタイトルばかりでちょっとガッカリ。 ロイ・エストラーダはキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド(Captain Beefheart and The Magic Band)に加入するため72年にリトル・フィートを脱退。でもってローウェル・ジョージは70年代後半から薬物中毒に陥りながらも、79年3月に初のソロアルバム「特別料理」をリリース。おッ、これはこの先面白邦題作品を続々と発表してくれるかも!? という日本のファンの淡い期待に沿ってくれることなく、同年6月に34歳の若さでドラッグのオーバードーズによる心不全で死去。バンドも79年に解散した。 エストラーダの方はというと、12年に児童性的虐待で仮釈放なし懲役25年の有罪判決を受けて現在服役中とのこと。 このアルバムにはリトル・フィートのdrであるリッチー・ヘイワード(Ritchie Hayward)とkeyのビル・ペイン(Bill Payne)が参加。他にも参加者リストにはTOTOのデヴィッド・ペイチ(David Paich)やジェフ・ポーカロ(Jeff Porcaro)、ビートルズ(The Beatles)メンバーのソロアルバムなどに参加しているセッションドラマーのジム・ケルトナー(Jim Keltner)やキーボーディストのニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins)などの名も。 カテゴリー的にはルーツ・ロック(Roots rock)、サザン・ロック(Southern rock)とかに分類され、フォーク、ブルース、カントリーミュージックに起源を持つロックミュージックだそうな。米国の片田舎を想起させるような音楽とでも言えばよいのか、どことなく土臭い音楽とでもいうのかな。勿論、演奏技術は一級だけど。ちなみにオリジナル曲は3曲だけで、残り6曲は全て誰かのカヴァーだったりする。 そんなローウェル・ジョージに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ あの娘に何をさせたいの ふたつの列車 イージー・マネー
2024.05.28
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『あいつにノック・アウト』 ポーラ・アブドゥル 「Forever Your Girl」 Paula Abdul (88) ヘビー級のステップで君をハートブレイク! ジャネット・ジャクソンからZZトップまで、彼女はダンスのインストラクター。 大ヒット “あいつにノック・アウト” A面 1. 恋するままに - (It's Just) The Way That You Love Me 2. あいつにノック・アウト - Knocked Out 3. 甘い誘惑 - Opposites Attract 4. ステイト・オブ・アトラクション - State of Attraction 5. アイ・ニード・ユー - I Need YouB面 1. フォーエバー・ユア・ガール - Forever Your Girl 2. ストレイト・アップ - Straight Up 3. ネクスト・トゥ・ユー - Next to You 4. 冷たいハート - Cold Hearted 5. 恋のかけひき - One or the Other 以前、ブランドX(Brand X)の「だ・れ・だ?!(Is There Anything About?)」を取り上げた際にフィル・コリンズ(Phil Collins)と寺尾聰さんが80年代の2大謎需要と書いたが、もう一人謎の需要で大ヒットを連発した人を忘れていた。 MTV全盛期に振付師(choreographer)として活躍し、88年にデビューアルバム「あいつにノック・アウト(Forever Your Girl)」をリリースするや見事全米1位に輝き、シングルカットされた6曲のうち4曲がこれまた連続で全米1位を獲得したポーラ・アブドゥル(Paula Abdul)だ。 彼女が振付を担当したPVにはジャネット・ジャクソン(Janet Jackson)の “Nasty” や “Control”、インエクセス(INXS)の “Devil Inside”、デュラン・デュラン(Duran Duran)の “Notorious”、ZZトップ(ZZ Top)の “Velcro Fly” などがある。ZZトップのPVは良かったなぁ…髭おじさん達のぎこちないダンスが微笑ましくて。ジャネットのPVだとやはり “Rhythm Nation” のダンスが最も印象に残っているが、この曲はポーラが振付を担当したのではないのね。 さて、いきなり全米1位を獲得した「あいつにノック・アウト」だが、6枚のシングルはリリース順に “あいつにノック・アウト(Knocked Out)”、“恋するままに((It's Just) The Way That You Love Me)”、“ストレイト・アップ(Straight Up)”、“フォーエバー・ユア・ガール(Forever Your Girl)”、“冷たいハート(Cold Hearted)”、“甘い誘惑(Opposites Attract)”。3rdシングルの “ストレイト・アップ” が初のチャート1位になってからは6thまでの4曲が連続1位を記録。デビューアルバムから4曲のNo.1ヒットが出たのは史上初のことだった。 決して悪いアルバムではないけど、当時は何であんなに売れたんだろう?彼女のPVでぼんやり覚えているのは “甘い誘惑” ぐらい。アニメと実写の融合PVは良かったなぁ。 久々に彼女やジャネットのダンスPVを色々見たが、いい意味で80年代の香りがキツかった。随分前に日本のどこぞの高校のダンス部がバブリーダンスとかいうので話題になったことがあったが、確かに80年代のダンスって今見ると面白いモノかもしれない。大好きだったジャネットの “Rhythm Nation” も確かに格好いいけど、格好いいというより何だか甘酸っぱい気分になった。ZZトップのダンスは相変わらず微笑ましかったけど。彼女たちの肩パット姿に青春時代を思い出した。 ポーラは92年にエミリオ・エステベス(Emilio Estevez)と結婚。「アウトサイダー(The Outsiders)」や「レポマン(Repo Man)」、「ブレックファスト・クラブ(The Breakfast Club)」に「セント・エルモス・ファイアー(St. Elmo's Fire)」、そして “The Mighty Ducks” というカテゴリーを設けるほど愛してやまない「飛べないアヒル」シリーズなど、エミリオが出演した青春映画は結構好きだったので、この二人の結婚には正直驚いた。しかしたった2年で破局した。 90年代は低迷していたものの、21世紀に入ってからは人気オーディション番組「アメリカン・アイドル(American Idol)」や「Xファクター(The X Factor)」の審査員を務めて人気復活。何や昨年末に「アメリカン・アイドル」のプロデューサーを性的暴行で告訴したらしいけど…。 そんなポーラ・アブドゥルと80年代ダンスに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ ストレイト・アップ あいつにノック・アウト 冷たいハート 甘い誘惑
2024.05.27
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『僕はゴキゲン』 ジャクソンズ 「The Jacksons」 The Jacksons (76) モータウン・サウンドとフィラデルフィア・サウンドの華麗なる融合! ジャクソン・ファイブからジャクソンズへ。鬼才ギャンブル・ハフのプロデュースで一段とイメージ・アップしたジャクソンズ。大きく成長したマイケルを中心に●●●なニュー・アルバム、エピックから登場!A面 1. 僕はゴキゲン - Enjoy Yourself 2. ふたりはハッピー - Think Happy 3. 愛のひととき - Good Times 4. キープ・オン・ダンシング - Keep on Dancing 5. ブルース・アウェイ - Blues AwayB面 1. 愛ある世界へ - Show You the Way to Go 2. いつもふたりで - Living Together 3. くよくよしないで - Strength of One Man 4. 今日も夢みる - Dreamer 5. スタイル・オブ・ライフ - Style of Life ジャクソン兄弟の11thアルバムにして、モータウン・レコードからエピック・レコードへ移籍しグループ名をジャクソン5(The Jackson 5)からジャクソンズ(The Jacksons)に変更しての初アルバムでもある「僕はゴキゲン(The Jacksons)」。 改名後初アルバムということで原題はセルフタイトルなのだが、邦題は残念ながら先行シングル “僕はゴキゲン(Enjoy Yourself)” がアルバムタイトルになってしまった。今は「ザ・ジャクソンズ・ファースト〜僕はゴキゲン」と改題され、曲名も全てカタカナタイトルになっている。 帯文句で●●●と書いた箇所は、単に画像から読み取れなかったため。黒地に緑字は見にくいことこの上ない。万が一興味がある方は自力で画像を探して確かめるか、アルバムを購入するかしてください…すみません。 ジャクソンズはジャクソン家の兄弟からなり、69年にジャクソン5でデビュー。デビューシングル “帰ってほしいの(I Want You Back)” がいきなりBillboard Hot 100とR&Bチャートの両方で1位を記録したうえ、その後も4曲連続で両チャートの1位に輝くほどの爆発的人気を獲得した。 75年にレコード会社を移籍したものの、モータウンは「ジャクソン5」の商標を手放さなかったため新たに「ジャクソンズ」と名乗ることに。名前関係のゴタゴタといえば日本でも新加勢大周(坂本一生)さん問題とかあったなぁ。 この頃のジャクソンズのメンバーはvoのジャッキー(Jackie Jackson)、リードg&voのティト(Tito Jackson)、voのマーロン(Marlon Jackson)、リードvoのマイケル(Michael Jackson)、key&voのランディ(Randy Jackson)の5人。ジャクソン家は10人兄弟(姉も妹もいる)で、ジャッキーは長男、ティトは次男、マーロンは四男、マイケルが六男でランディは七男だ。三男・ジャーメイン(Jermaine Jackson)は元々ジャクソン5のメンバーだったがレコード会社移籍の際に脱退し、モータウンに残った。長女・リビー(Rebbie Jackson)、次女・ラトーヤ(La Toya Jackson)、三女で末っ子のジャネット(Janet Jackson)もそれぞれソロシンガーとして活躍した。(五男は夭逝している) 「僕はゴキゲン」は全米36位とまずまずの成績で、その後も何枚かアルバムをリリース。82年に「スリラー(Thriller)」でメガヒットを記録したマイケルは84年にジャクソンズを脱退。“King of Pop” の称号を得るも、09年に50歳の若さで急逝してしまった。 マイケル脱退後のジャクソンズは89年にアルバム「2300ジャクソン・ストリート(2300 Jackson Street)」をリリースしたものの90年に解散。2000年代に入ってから何度か再結成しているらしい。 R&Bとかソウルとかファンクとかには全く興味がないので音楽的なことには言及しないが、普通に聴きやすいアルバムだとは思う。マイケルはこの当時16歳ぐらい、伸びやかな歌声が耳に心地いいというか、飽きずに聴いていられる。本当に天才だったんだなぁ、マイケル。 そんなジャクソンズに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ 僕はゴキゲン ふたりはハッピー いつもふたりで
2024.05.26
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『黄金伝説』 シンプル・マインズ 「New Gold Dream (81–82–83–84)」 Simple Minds (82) 全英アルバム・チャート第3位に輝くシンプル・マインズ初のビッグ・ヒット・アルバム。永年の “黄金の夢” を現実のものとした彼らはロック・シーンの最前線に躍り出た。A面 1. さらば夏の日 - Someone Somewhere in Summertime 2. カラーズ・フライ・アンド・キャサリン・ホイール - Colours Fly and Catherine Wheel 3. 奇跡を信じて - Promised You a Miracle 4. 安息のとき - Big Sleep 5. 至上の愛 - Somebody Up There Likes You (Instrumental)B面 1. 黄金伝説 - New Gold Dream (81–82–83–84) 2. グリッタリング・プライズ - Glittering Prize 3. 狩人の詩 - Hunter and the Hunted 4. キング・イズ・ホワイト - King is White and in the Crowd スコットランド出身のシンプル・マインズ(Simple Minds)が82年にリリースした5thアルバム「黄金伝説(New Gold Dream (81–82–83–84))」を取り上げてみた。 まぁ普通の邦題なのだが、「黄金伝説」というとどうしてもココリコの番組を思い浮かべてしまう。田中さんが中国で中華料理検定取得を目指す伝説や、チュートリアルが一週間を獲った貝だけ食べて過ごす伝説、麒麟の二人が凍った湖の上で極寒生活をしながら釣った魚だけで一週間過ごす伝説、くりぃむしちゅーの二人が一週間でクリームシチュー500杯食べきる伝説とかを覚えている。無人島0円生活でのよゐこのちねり米や、1ヶ月1万円節約生活でのオードリー・春日さんのダクト飯も懐かしい…(牛丼を3回ぐらいに分けて食したり、水の入ったボトルに飴を入れてジュースにして飲む姿には衝撃を受けた)。 いやいや、バラエティ番組の方ではなくて、シンプル・マインズについてである。 このアルバムが全英3位に輝き、続く6thアルバム「スパークル・イン・ザ・レイン(Sparkle in the Rain)」(84)で初の全英1位を獲得。でもってシンプル・マインズの名を世界中に知らしめたのは、85年2月にリリースしたシングル “Don't You (Forget About Me)”。80年代青春映画の傑作「ブレックファスト・クラブ (The Breakfast Club)」の主題歌であるこの曲で見事全米1位(全英7位)となり、7thアルバム「ワンス・アポン・ア・タイム(Once Upon a Time)」(85)からシングルカットされた “アライヴ・アンド・キッキング(Alive and Kicking)” も全米3位(全英7位)を記録した。 ♪ど~んちゅ~ ふぉげらばみ~ ど~んど~んど~んど~んというジム・カー(Jim Kerr)のもっさりヴォーカルから当時は勝手におじさんだと思っていたが、“Don't You” 当時でまだ25、6歳だったことに驚いた。デュラン・デュラン(Duran Duran)のサイモン・ル・ボン(Simon Le Bon)が58年生まれでジム・カーが59年生まれだったとは! ジム・カーといえばプリテンダーズ(The Pretenders)のクリッシー・ハインド(Chrissie Hynde)と84年に結婚したが(90年離婚)、姐さんが51年生まれということは8歳下だったのか…。ジム・カーは92年にエイス・ワンダー(Eighth Wonder)のパッツィ・ケンジット(Patsy Kensit)と再婚したが(96年離婚)、パッツィは68年生まれなので次は9歳差婚であった。20代の頃は頼れる姉御に惹かれて、30代になって小悪魔的ロリっ子ちゃんに参っちゃったのかなぁ。 シンプル・マインズは現在も活動中だが意外とメンバーはちょくちょく代わっていて、創設メンバーで今も残っているのはvo.のジム・カーとgのチャーリー・バーチル(Charlie Burchill)の二人だけだ。「黄金伝説」の頃のメンバーはジム、チャーリー、そしてbのデレク・フォーブス(Derek Forbes)、dsのマイク・オーグルトリー(Mike Ogletree)、keyのマイケル・マクニール(Michael MacNeil)だった。制作時はdsの交代時期だったようで、マイク以外にメル・ゲイナー(Mel Gaynor)とケニー・ヒスロップ(Kenny Hyslop)が叩いている曲もあるみたい。 おばはんになってからシンプル・マインズの曲を聴くと何だか気持ちが落ち着くような感じがして、ずっと聴いていられる。HR/HMやプログレもいいけど、こういうほわ~ん、もわ~んとしたロックもいいよね(感じ方には個人差があります)。 そんなシンプル・マインズに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ さらば夏の日 奇跡を信じて 黄金伝説
2024.05.22
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『スリだー』 アル・ヤンコビック 「Eat It」 "Weird Al" Yankovic (84) 模倣と創造のランデブー、事情通にバカ受けのイミテーション・ワールド 今世紀最大のロック・パロディスト『へんてこりん』なアル・ヤンコビックのデビュー・アルバム遂に完成。全米大ヒット曲のパロディーを集中させて世界を騒がす未曾有のケッ作。A面 1. 今夜もEAT IT - Eat It 2. ロッキーXIII主題歌「ライ・オア・ザ・カイザー」 - The Rye or The Kaiser(Theme from Rocky XIII) 3. アイ・ラヴ・ロッキー・ロード - I Love Rocky Road 4. キング・オブ・スエード - King of Suede 5. クイズ・ジェパーディ - I Lost on Jeopardy 6. マイ・ボローニャ - My BolognaB面 1. リッキー - Ricky 2. ブレイディ・バンチ - The Brady Bunch 3. 嘆きの点数 - Stop Draggin' My Car Around 4. 遅刻へ道づれ - Another One Rides the Bus 5. ポルカズ・オン・45 - Polkas on 45 みんな大好き!パロディ音楽の第一人者であるアル・ヤンコビック("Weird Al" Yankovic)のこのアルバムは、全米でリリースされている2枚のアルバム(「"Weird Al" Yankovic」(83)、「"Weird Al" Yankovic in 3-D」(84))からパロディ・ソングのみを収録した日本限定盤だ。これを邦題アルバムと言ってよいのか怪しいところだが、素晴らしいタイトルなので取り上げておこう。 アル・ヤンコビックの代表作といえば、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の “今夜はビート・イット(Beat It)” の替え歌 “今夜もイート・イット(Eat It)” と、同じくマイケルの “BAD(Bad)” の替え歌 “FAT(Fat)” だろう。このアルバムの英題は「Eat It」ながら邦題(日本限定盤だけど)はマイケルが82年にリリースした大ヒットアルバム「スリラー(Thriller)」から取られており、ジャケットも本家のパロディである。 念のため、このアルバムに収録されている各曲の元ネタを記しておくとA面 1. 今夜はビート・イット - Beat It(Michael Jackson) 2. ロッキーIII主題歌「アイ・オブ・ザ・タイガー」 - Eye of the Tiger(Theme from Rocky III)(Survivor) 3. アイ・ラヴ・ロックン・ロール - I Love Rock 'n' Roll(Joan Jett and the Blackhearts) 4. キング・オブ・ペイン - King of Pain(The Police) 5. ジェパーディ(危険がいっぱい) - Jeopardy(The Greg Kihn Band) 6. マイ・シャローナ - My Sharona(The Knack)B面 1. Mickey - Mickey(Toni Basil) 2. セーフティ・ダンス - The Safety Dance(Men Without Hats) 3. 嘆きの天使 - Stop Draggin' My Heart Around( Stevie Nicks and Tom Petty and the Heartbreakers) 4. 地獄へ道づれ - Another One Bites the Dust(Queen) 5. スターズ・オン45 - Stars on 45(「Stars on 45」は当時流行っていた人気アーティストのメドレーソング) アル・ヤンコビックの愛すべきバカバカしさは、完成度の高い替え歌&本家そっくりのパロディPVを見て、聴いて理解していただくしかない。 ただ、パロディは元を知っていないと面白くも何ともないので、洋楽に馴染みの無い方は楽しめないのが残念なところ。 替え歌のみならず、88年に第1作目の「裸の銃を持つ男(The Naked Gun: From the Files of Police Squad!)」が公開され、後に続編が2本作られたこのシリーズ全作にチョイ役でアルも出演しているのだが、一瞬の出番にもかかわらず実に絶妙なキャスティングで笑ってしまった。 22年には何と!アルの自伝的映画「こいつで、今夜もイート・イット アル・ヤンコビック物語(Weird: The Al Yankovic Story)」がRoku Channelで放映され、数々の賞を手にした。ちなみにアルを演じたのはダニエル・ラドクリフ(Daniel Radcliffe)であった。 「スリだー」以降も、マドンナ(Madonna)の “ライク・ア・ヴァージン(Like a Virgin)” の替え歌 “Like A Surgeon”、ニルヴァーナ(Nirvana)の “スメルズ・ライク・ティーン・スピリット(Smells Like Teen Spirit)” の替え歌 “Smells Like Nirvana” 等々面白替え歌ソングを次々と発表し、ささくれ立った私たちの心を和ませてくれている。 そんなアル・ヤンコビックに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ 今夜もEAT IT リッキー アイ・ラヴ・ロッキー・ロード おまけ Like A Surgeon Smells Like Nirvana FAT
2024.05.19
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『だ・れ・だ?!』 ブランドX 「Is There Anything About?」 Brand X (82) 特異な存在で音楽シーンに次代を指示するスーパー・プロジェクト、ブランドX。ジャズ、フュージョンを越えて新世代のジャンル「X」をクリエイトする。A面 1. イパネミア - Ipanaemia 2. 長い4月 - A Longer April 3. モダーン、ノイジー&イフェクティヴ - Modern, Noisy and Effective B面 1. スワン・ソング - Swan Song 2. だ・れ・だ?! - Is There Anything About? 3. ATGA - TMIU-ATGA 英国のジャズ・フュージョン(ジャズ・ロック)バンドであるブランドX(Brand X)が82年にリリースした6thアルバム「だ・れ・だ?!(Is There Anything About?)」。流石にこの邦題は恥ずかしいと気付いたのか、現在では「イズ・ゼア・エニシング・アバウト?」という何の変哲も無いカタカナタイトルになっている。 おそらく私だけだろうけど、ブランドXとジェネレーションX(Generation X)がごっちゃになってしまう ゼンゼンチャウヤンケー!! ビリー・アイドル(Billy Idol)がいたパンク・ロックバンドがジェネレーションXで、フィル・コリンズ(Phil Collins)がいたジャズ・フュージョンバンドがブランドXである。ちなみにブランドXの結成が75年で、ジェネレーションXの結成は76年だ…ってどうでもいいけど。 ジェネシス(Genesis)のドラマー兼ヴォーカルだったフィル・コリンズ、80年代にはソロでも大ヒットを連発し、当時は “世界で一番忙しい男” と言われていた。確かにソロとして共に全米1位に輝いた “One More Night”(84) や “Sussudio”(85)はいい曲だったし、ジェネシスが86年にリリースした13thアルバム「インヴィジブル・タッチ(Invisible Touch)」は捨て曲なしの名盤で未だに大好きなアルバムではあるものの、80年代におけるフィル・コリンズの異常人気は何だったんだろう? 85年7月13日に開催された「ライヴエイド(LIVE AID)」で彼は英国の会場で演奏した後にコンコルドで米国の会場に移動し、両会場に出演した唯一のミュージシャンとなったが、何故そこまで需要があったのだろう?81年に “ルビーの指輪” で空前の大ヒットを飛ばした寺尾聰さんと並び、80年代の2大謎需要であった。 さて、「だ・れ・だ?!」リリース時のブランドXのメンバーはというと、keyのロビン・ラムリー(Robin Lumley)とJ・ピーター・ロビンソン(J. Peter Robinson)、gのジョン・グッドソール(John Goodsall)、bのジョン・ギブリン(John Giblin)とパーシー・ジョーンズ(Percy Jones)、そしてdsのフィル・コリンズ。 80年~92年までの休止期間はあったものの99年までバンドの活動は続いていたらしい。16年にジョン・グッドソールとパーシーを中心に再結成(フィルは不参加)するも、20年にパーシーが脱退。ジョン・グッドソールが21年11月に、ロビンは23年3月に亡くなっている。 昔からジャズは苦手なのだが、いざ聴いてみると案外すんなり聴けた。ジャズ・ロックということでロック色が強めだからかな。耳も感性も未熟なので、残念ながらこういう大人の音楽を楽しめる心の余裕が備わってないのである。いいアルバムだとは思うけど。 そんなブランドXに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪フルアルバムを貼っておくので、お暇な方は是非ご一聴あれ。 だ・れ・だ?!(Full Album)
2024.05.18
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「探偵!ナイトスクープ」で永らく最高顧問を務められていたキダ・タローさんが今月14日に亡くなられた。93歳だったそうだが、先月も出演されていたことに驚いた。御冥福をお祈りいたします。 初代局長の上岡龍太郎さん、初代最高顧問の横山ノックさん、そして2代目最高顧問のキダタローさんまで鬼籍に入られてもなお番組が継続しているのは素晴らしいが、もう久しく見ていない。 近頃は麒麟の田村 裕探偵とスリムクラブの真栄田 賢探偵、そして昨年新たに入局したカベポスターの永見大吾探偵の調査だけをYouTubeで視聴するくらいだ。 以前、「探偵!ナイトスクープ ~全国アホ・バカ分布図~」と題した駄記事を書いた。90年(平成2年)1月に放送された「東京からどこまでが『バカ』で、どこからが『アホ』なのか調べてください」という、アホとバカの境界線を探す依頼の調査結果について綴ったが、そういえばこの放送回の顧問もキダ先生だった。北野 誠探偵の中途半端な調査をよくキダ先生が貶していたが、この回もそうだったように思う。それが面白かったなぁ。 「探偵!ナイトスクープ」のDVDはVol.1~14と25周年記念DVD 百田尚樹セレクション(Vol.15、16)&キダ・タローセレクション(Vol.17、18)の計18枚出ているようだ。 私が持っているのはVol.1~6とVol.14の7枚。個人的には上岡局長時代のナイトスクープが好きだった。2代目の西田局長時代も悪くはなかったのだが、いつの間にか見なくなってしまった。3代目の松本局長になってからは一度も見たことがない。 秘書もやっぱり岡部まりさんが良かったし、探偵の面々も以前の方が好きだった。嘉門達夫探偵とか越前屋俵太探偵、前述の北野探偵とか長原成樹探偵とか。桂小枝探偵の小ネタ集もバカバカしくて面白かったなぁ。 記憶に残っている依頼は、先程の「アホとバカの境界線」の他には、有名な「謎の爆発卵」や「タケモトピアノCMの謎」、笑い転げた「大和川ボート通勤」や「巨大シジミ」、調査中止となった「謎のビニール紐」等々。 久々にDVDを見返してキダ最高顧問を偲びたい。笑っちゃうだろうけど、しんみり偲ぶよりはキダ先生も喜んでくださることだろう。 昔の「探偵!ナイトスクープ」は本当に面白かったなぁ。局長や探偵達は元より、依頼者もアホ(褒めてます)で最高に面白かった。 キダ最高顧問も今頃は上岡局長とナイトスクープの思い出話に花を咲かせているかしらん…。
2024.05.17
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ジョージ・ハリスン(George Harrison)のちょうど一周忌に当たる02年11月29日、英国のロイヤル・アルバート・ホール(Royal Albert Hall)で追悼公演「Concert for George」が開催された。 親友のエリック・クラプトン(Eric Clapton)が主催し、音楽監督とホスト役を務めたこのコンサートには、ジョージと親交のあったミュージシャン達が勢揃いした。 ビートルズ(The Beatles)仲間だったポール・マッカートニー(Paul McCartney)とリンゴ・スター(Ringo Starr)を始め、ビートルズのゲット・バック・セッションに参加したビリー・プレストン(Billy Preston)、ドイツ・ハンブルグ時代の友人で「リボルバー(Revolver)」のジャケットデザインを手掛けたクラウス・フォアマン(Klaus Voormann)。トラヴェリング・ウィルベリーズ(Traveling Wilburys)仲間のジェフ・リン(Jeff Lynne)やトム・ペティ(Tom Petty & The Heartbreakers)、ジョージの敬愛するジョー・ブラウン(Joe Brown)。更にはジョージのシタールの師であったラヴィ・シャンカール(Ravi Shankar)&娘のアヌーシュカ・シャンカール(Anoushka Shankar)、ジョージが大好きだったモンティ・パイソン(Monty Python)等。そして勿論、ジョージの一人息子であるダーニ(ダニー)・ハリスン(Dhani Harrison)も加わり、心温まる最高のコンサートであった。 それから時は流れて14年9月28日、米国ロサンゼルスのフォンダ・シアター(Fonda Theatre)で「George Fest」が開催された。副題は「A Night to Celebrate the Music of George Harrison(ジョージ・ハリスンの音楽を祝う夕べ)」。そして16年2月26日(ジョージが73歳の誕生日を迎えるはずだった日の翌日)には2CD+DVD(Blu-Ray)の限定デラックス・エディション(普通に2CDのみも有)が発売された。 プロデュースを手掛けたダーニ曰く、「僕と同世代のミュージシャンが、小さなクラブで父のキャリアの中でもディープな楽曲を自由に演奏するショウを今までずっと思い描いていたんだ。そして、今回はまったく新しく鮮やかな形で、自分が一番大切に思ってきた音楽界のヒーローたちと再びステージを共にし、僕の人生で一番馴染みのある曲を演奏する自分がいた。…皆さんにもこの録音を僕と同じように楽しんでもらえますように。父の曲に、今までできると思いもよらなかった最高の解釈が施されています」(Sony Music Group HPより) ということで、以前の「Concert for George」と比べると「George Fest」に参加しているミュージシャンは馴染みの無い方もチラホラ。おばはんが知っているのはザ・ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)のブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)、ハート(Heart)のアン・ウィルソン(Ann Wilson)、そして何故かアル・ヤンコビック("Weird Al" Yankovic)!いや、嬉しいけど…。そして「Concert for George」に出演していたラヴィ・シャンカールの娘でアヌーシュカの異母姉であるノラ・ジョーンズ(Norah Jones)とダーニくらい。 他にはスプーン(Spoon)のブリット・ダニエル(Britt Daniel)、ザ・キラーズ(The Killers)のブランドン・フラワーズ(Brandon Flowers)、ザ・カルト(The Cult)のイアン・アストベリー(Ian Astbury)、ザ・ストロークス(The Strokes)のニック・ヴァレンシ(Nick Valensi)、ザ・フレーミング・リップス(The Flaming Lips)の皆さん等々。あ、ザ・カルトぐらいは知ってるかな。 “Savoy Truffle” や “It's All Too Much” といったビートルズ時代のややマイナーな曲や、“Ballad of Sir Frankie Crisp (Let It Roll)” のようなソロ時代の目立たなかった曲も含まれている点は素晴らしい。ノラ・ジョーンズが歌う “Something” も素晴らしいが、個人的に一推しなのは “What is Life” by アル・ヤンコビック。アルも好きだし、この曲も大好きなので嬉しい。嗚呼、美しき人生哉。あとはザ・フレーミング・リップスの “It's All Too Much” が良くて、意外とライヴ演奏もアリだなぁと思ったりして。 一方、大定番の “While My Guitar Gently Weeps” は今回入っていない。やっぱりエリック・クラプトンがいてこその “While My Guitar…” なのかしらん!? ライヴの各演奏はジョージの公式YouTubeにあがっているので、いくつか貼っておこう。ダーニ世代のミュージシャン達が楽しそうに演奏しているのを見ていると、何だか心が和む。ジョージの曲はいい曲が多いので、子の代、孫の代まで引き継がれるといいなぁ♪ Old Brown Shoe - Conan O'Brien Ballad of Sir Frankie Crisp (Let It Roll) - Jonathan Bates, Dhani Harrison Beware of Darkness - Ann Wilson Something - Norah Jones It's All Too Much - The Flaming Lips What Is Life - "Weird Al" Yankovic
2024.05.16
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『夜ごとに太る女のために』 キャラヴァン 「For Girls Who Grow Plump in the Night」Caravan (73) プログレッシヴ・ロックにこの名盤あり!!「ロッキン・コンチェルト」と双璧をなすキャラヴァン、1973年の不朽の名作! A面 1. メモリー・レイン・ヒュー - Memory Lain, Hugh 2. ヘッドロス - Headloss 3. ホーダウン - Hoedown 4. サープライズ・サープライズ - Surprise, Surprise 5. シースルースルー - C'thlu ThluB面 1. ドッグ・ドッグ - The Dog, The Dog / He's at It Again 2. ビー・オール・ライト / チャンス・オブ・ア・ライフタイム - Be All Right / Chance of a Lifetime 3. いのししの館 / 狩へ行こう / ペンゴラ / バックワーズ / 狩へ行こう(反復) - L'Auberge du Sanglier / "A Hunting We Shall Go / Pengola / Backwards / A Hunting We Shall Go (reprise) 英国のカンタベリー・シーン(Canterbury scene)を代表するバンドの一つであるキャラヴァン(Caravan)が73年にリリースした5thアルバム「夜ごとに太る女のために(For Girls Who Grow Plump in the Night)」。ほぼ原題直訳の邦題だが、夜ごとに太る女って…私のこと!? 何だかチョコザップ(chocoZAP)やらカーブス(Curves)やらの誘い文句にありそうなタイトルは面白いけど、曲名の邦題が手抜きでよろしくない。ザッパ(Frank Zappa)やカーカス(Carcass)、コルピクラーニ(Korpiklaani。フィンランド出身のフォーク・メタルバンド)あたりだと、“目盛0(レイ)、ヒューッ!”(ザッパ風)、“獄門打首頭顱喪失(カーカス風)”、“歌えや踊れやドンジャラホイ”(コルピ風)てな感じになって楽しめただろう。 さて、カンタベリー・シーン(日本ではカンタベリー・ロック)というジャンルであるが、これは英国南東部のケント州カンタベリー出身者を中心とするプログレッシブ・ロック系のバンドやミュージシャンによる音楽を指す。64年にカンタベリーで結成されたワイルド・フラワーズ(The Wilde Flowers)からカンタベリー・ロックを代表するソフト・マシーン(Soft Machine)とキャラヴァンが生まれ、メンバーの離合集散とともに人脈がさらに広がり、ジャンルとしてくくられるほどの存在感を示すようになったとのこと(Wikiさんより)。 以前、ケヴィン・エアーズ(Kevin Ayers)の「夢博士の告白(The Confessions of Dr. Dream and Other Stories)」を取り上げたが、彼もワイルド・フラワーズのメンバーだった。ワイルド・フラワーズが67年に解散した際、メンバーはソフト・マシーンとキャラヴァンの2派に分裂したらしく、ケヴィンら4人はソフト・マシーンを、他の4人はキャラヴァンを結成した。 キャラヴァンの創設メンバーはg&voのパイ・ヘイスティングス(Pye Hastings)、bのリチャード・シンクレア(Richard Sinclair)、keyのデイヴ・シンクレア(Dave Sinclair)、drのリチャード・コフラン(Richard Coughlan)。その後ちょこっとメンバー交代があり、このアルバム作成時にはbがリチャードからジョン・G・ペリー(John G. Perry)に交代、そして新たにgやviola等を担当するジェフリー・リチャードソン(Geoffrey Richardson)が加わって5人組になっている。パイとジェフリーは現在もキャラヴァンで活動中のようだ。 73年10月リリースということは50年前のアルバムになるのだが、そこまで古臭さも感じさせなくて聴きやすい。結構キャラヴァン、いいかも。他のカンタベリー系も聴いてみようかな。……あ、「夢博士の告白」で音楽的にはちょっと好みじゃないって書いたっけ。カンタベリー系というよりキャラヴァンがいいだけかも。というかキャラヴァンというよりこのアルバムがたまたま良いだけかも!? 機会があったら他にも色々聴いてみようっと。 そんなキャラヴァンに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ メモリー・レイン・ヒュー / ヘッドロス ホーダウン シースルースルー
2024.05.14
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「鬼滅の刃」の柱稽古編がついに始まった。おばはんは一日千秋の思いでこの日を待っていたのである。 嗚呼、蛇柱・伊黒さんと風柱・不死川さんのアニオリ共闘シーンを家でじっくりと鑑賞出来て嬉しい 伊黒さんの技のエフェクトを最初に映画館で見たときは正直、少しガッカリしたのだが(思てたんと違う!)、改めて見るとまぁそこまで悪くはないような…。私の脳内ではもっと透き通った半透明の美しい蛇の姿を勝手に思い描きながら読んでいたので、こういう荒々しい白塗り蛇のエフェクトになるとは。だけど伊黒さんの格好良さ、美しさが堪能出来れば、蛇の姿など別にどうでもいい。 伊黒さんの活躍を存分に堪能でき、且つ幼少期の痛ましくて幼気な姿が見れるのは最終決戦なのだが、やはり映画になるのかなぁ?というか、柱稽古編ってどこまで進むのだろう?柱稽古から最終決戦って結構スムーズに繋がっているよね!? それにしてもやっぱり伊黒さんかっこよ 「一休さん」の蜷川新右衛門さん、「ガンバの冒険」のイカサマ、そして「鬼滅の刃」の伊黒小芭内さんが私の大好きキャラTOP 3である。我ながらどういう趣味なんでしょ どうかどうか、最終決戦での伊黒さんの動く雄姿が見られる日まで南海トラフが発生しませんように。戦争に巻き込まれませんように。健康でいられますように。ufotableさんがなるべく早くアニメ化してくださいますように。そこまで手間隙掛けて凝りに凝った作画でなくても、動いて鈴村健一さんが喋ってくだされば満足ですので、早めにアニメ化されますように――とはいっても、作画のハイパークオリティが鬼滅の良さでもあるのよね。 柱稽古編での伊黒さんの処刑場稽古が楽しみ♪
2024.05.13
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『刺青 ~神秘のロック野郎~』 タトゥー 「Tattoo」 Tattoo (76) 明日のポップス・シーンはこれだ!! あの「ラズベリーズ」のウォーリー・ブライソンがクリエイトする “タトゥー”。メロディアスでストレートなサウンドが爆発する神秘な世界!!A面 1. ホワット・ディド・ヒー・ドゥ - What Did He Do 2. ギブ・イット・トゥ・ヤ・イージー - Give It To Ya Easy 3. 君にあげよう - Send A Ship 4. おまえが欲しい - I Still Want You 5. 完璧な愛 - Absolutely LoveB面 1. 冷たい初恋 - It's Cold Outside 2. ヤー・スティール - Yer Stale 3. ひとりぼっちの土曜の夜 - Lonely Saturday Night 4. おまえの街 - This Is Your City 5. ハイウェイが呼んでいる - The Highway Calls My Name 今回取り上げるのはタトゥー(Tattoo。カタカナで書くと何だか間抜けっぽい)が76年にリリースしたセルフタイトルアルバム「刺青 ~神秘のロック野郎~(Tattoo)」。このバンドがリリースした唯一のアルバムである。 タトゥーといえば、20年ほど前に来日してTV番組「ミュージックステーション」でドタキャン騒動を起こしたロシアの女の子デュオ・t.A.T.u.の方がまだ知られているかもしれない。 しかしこちらのタトゥーは米国の男性5人グループだ。なので邦題もサブタイトルに “ロック野郎” と付いている。 グランド・ファンク・レイルロード(Grand Funk Railroad)が74年にリリースした「ハード・ロック野郎(世界の女は御用心)(All the Girls in the World Beware!!!)」を取り上げた際にも書いたが、この時代は巷に野郎が溢れていた。白バイ野郎、特攻野郎、冒険野郎、トラック野郎、ヒコーキ野郎など、海外のドラマや映画び邦題には “野郎” が付くものが多かったし、日本でも「トラック野郎」シリーズなんていう映画もあったぐらい、野郎が満ちていた。なのでなかなか時代を反映したサブタイトルと言えよう。 近年はあまり野郎を見なくなったもんなぁ。数年前に元SMAPの3人(新しい地図)主演の映画「クソ野郎と美しき世界」で見かけたくらいだ。 今はポリコレ(political correctness)に厳しい時代なので、野郎邦題は付けにくいかも。 さて、このタトゥーというバンドはエリック・カルメン(Eric Carmen)と共にラズベリーズ(Raspberries)を率いたウォーリー・ブライソン(Wally Bryson)が、故郷であるオハイオ州クリーブランド出身のミュージシャン仲間らと結成したバンドであったらしい。 メンバーはg&voのウォーリー・ブライソンの他に、gのデヴィッド・アレン・トーマス(David Allen Thomas)、bのダン・クレイウォン(Dan Klawon)、drのトム・ムーニー(Thom Mooney)、Pianoのジェフ・ハットン(Jeff Hutton)。 タトゥーとは関係ないがラズベリーズが75年に解散して以降、エリック・カルメンはソロとして75年にリリースした1stソロアルバム「エリック・カルメン(Eric Carmen)」からのシングル “オール・バイ・マイセルフ(All by Myself)” が全米2位の大ヒット!その後は低迷していたが、84年公開の「フットルース(Footloose)」の挿入歌 “パラダイス~愛のテーマ(Almost Paradise)” の作曲を手掛け、87年公開の「ダーティ・ダンシング(Dirty Dancing)」の挿入歌で自身が歌った “ハングリー・アイズ(Hungry Eyes)” は全米4位を記録して復活を遂げた。しかし今年3月にエリックは74歳で亡くなった。 話をタトゥーに戻すと、このアルバムは『disaster』と評された。ディザスターというのは災害や大惨事、大失敗とかいう意味だけど、そんなに酷い!? このジャケットが若干不気味で悪趣味だったかも。白塗りで着物姿の女性が内腿に彫ってある刺青(ライオン?何かの獣)を見せているような写真なのだが、背景が真っ黒なのでちょっと怖い。まるで団鬼六の世界のような… そんなタトゥーに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ ギブ・イット・トゥ・ヤ・イージー おまえが欲しい
2024.05.12
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『ヒッチハイクの賛否両論』 ロジャー・ウォーターズ 「The Pros and Cons of Hitch Hiking」 Roger Waters (84) ピンク・フロイドの “頭脳” ロジャー・ウォーターズの私的なインナートリップ。初のソロ作となったコンセプトアルバム。A面 1. 4:30AM トラベリング・アブロード - 4:30AM (Apparently They Were Travelling Abroad) 2. 4:33AM ランニング・シューズ - 4:33AM (Running Shoes) 3. 4:37AM ナイフを持ったアラブ人と西ドイツの空 - 4:37AM (Arabs with Knives and West German Skies) 4. 4:39AM 初めての出来事 パート2 - 4:39AM (For the First Time Today, Part 2) 5. 4:41AM セックス革命 - 4:41AM (Sexual Revolution) 6. 4:47AM 愛の香り - 4:47AM (The Remains of Our Love)B面 1. 4:50AM フィッシング - 4:50AM (Go Fishing) 2. 4:56AM 初めての出来事 パート1 - 4:56AM (For the First Time Today, Part 1) 3. 4:58AM さすらう事そして生きる事をやめる - 4:58AM (Dunroamin, Duncarin, Dunlivin) 4. 5:01AM 心のヒッチハイキング - 5:01AM (The Pros and Cons of Hitch Hiking, Part 10) 5. 5:06AM ストレンジャーの瞳 - 5:06AM (Every Stranger's Eyes) 6. 5:11AM 透明なひととき - 5:11AM (The Moment of Clarity) ピンク・フロイド(Pink Floyd)のベーシストであるロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)が84年にリリースした初ソロアルバム「ヒッチハイクの賛否両論(The Pros and Cons of Hitch Hiking)」。邦題は原題直訳なので取り立てるほどではないが、何故か素っ裸のお姉さんがヒッチハイクをしているジャケットが目を引いたので取り上げてみた。 当時はネット通販がなかったので、青少年がこのアルバムをレジに持っていくには勇気が必要だっただろうなぁ…と思ったら、お尻を隠して売られていた所もあったようだ。 赤パンツを履かせてみたり、■で隠してみたり。更に■に加えて帯で半分隠したりして。 外人さんはスタイルがいいので、素っ裸ヒッチハイク姿もエロさより格好良さが勝っている…なんて思うのは私がおばはんだからかな。 85年に出版された「ロック名盤・レコード&ビデオ・ガイド」という本には「ザ・プロス・アンド・コンス・オブ・ヒッチハイキング」というカタカナタイトルで記載されているので、途中から邦題に変更されたのかも。だとしたらちょっと珍しい。 さて、このアルバムは神経症を患った主人公が見ている夢を、聴き手が同時進行で追っていくというコンセプトアルバムで、中年の危機に直面した主人公の男がカリフォルニアをロードトリップし、途中で拾ったヒッチハイカーと不倫し、荒野に移住して妻と和解しようとし、最終的には孤独になるがより深い洞察力を得るという夢の旅物語らしい。 物語は午前4時30分から午前5時13分までの43分間に起こる断続的な夢としてリアルタイムで構成されており(収録時間も43分)、夢の終わりに男は孤独で悔い改めながら目覚め、おそらく危機を乗り越えたのか本当の妻に慰めを求る――というものだそうな。 YouTubeでフルアルバムを聴いただけなので、そのあたりの物語は分からない。まぁ女性の喘ぎ声が入っていたりするけど。ただ、このアルバムにはエリック・クラプトン(Eric Clapton)が参加しており、彼のスライドギターを聴くことができる。 「ヒッチハイクの賛否両論」をリリースした翌85年にロジャーはピンク・フロイドを脱退し、87年に2ndソロアルバム「RADIO K.A.O.S. 〜混乱の周波数〜(Radio K.A.O.S.)」をリリースした。これも架空のラジオ局「Radio KAOS」を舞台としたコンセプトアルバムなのだとか。 残念なことに今の邦題はただの「RADIO K.A.O.S.」になっている。 A面 1. ラジオ・ウェイヴ - Radio Waves 2. 誰がそんな情報を必要としてるんだい? - Who Needs Information 3. 彼か、もしくは私が… - Me or Him 4. 予知能力 - The Powers That BeB面 1. サンセット通りにて - Sunset Strip 2. ホーム〜誰にでも国は存在する〜 - Home 3. 4分間のシミュレーション・ゲーム - Four Minutes 4. 流れが変わる時〜ライブ・エイドが終わって〜 - The Tide Is Turning (After Live Aid) “流れが変わる時〜ライブ・エイドが終わって〜(The Tide Is Turning (After Live Aid))” というのは、85年7月13日に開催されたアフリカ難民救済を目的としたチャリティコンサート「Live Aid」にロジャーは参加を申し込んだものの、主催者のボブ・ゲルドフ(Bob Geldof)に断られたらしい。しかしそのイベントがこの曲を書くきっかけになったそうな。 まぁ確かにこんな難解なアルバム曲で観客と盛り上がるのは難しいわな。残念だったけど。 そんな素っ裸ヒッチハイク ロジャー・ウォーターズに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪これは是非フルアルバムをご堪能くだされ。 ヒッチハイクの賛否両論(Full Album)
2024.05.11
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『放射能』 クラフトワーク 「Radio-Activity(Radio-Aktivität)」 Kraftwerk (75) ナチス・ドイツの魂を継承して、アメリカに侵略を敢行したジャーマン・プログレッシヴ・パワー、クラフトワーク、「アウトバーン」に続く待望の最新作! エレクトロニクス・エフェクトを駆使し、無限の可能性を視覚的に表現したクラフトワーク 快心の第2弾!!A面 1. ガイガー・カウンター(放射能測定器) - Geiger Counter(Geigerzähler) 2. 放射能 - Radioactivity(Radioaktivität) 3. ラジオランド - Radioland 4. エアウェーヴス - Airwaves(Ätherwellen) 5. 中断 - Intermission(Sendepause) 6. ニュース - News(Nachrichten)B面 1. エネルギーの声 - The Voice of Energy(Die Stimme der Energie) 2. アンテナ - Antenna(Antenne) 3. ラジオ・スターズ - Radio Stars(Radio Sterne) 4. ウラニウム - Uranium(Uran) 5. トランジスター - Transistor 6. オーム・スイート・オーム - Ohm Sweet Ohm ドイツの電子音楽?テクノ・ポップ?のバンド・クラフトワーク(Kraftwerk)が75年にリリースした5thアルバム「放射能(Radio-Activity・Radio-Aktivität)」。邦題というか原題を直訳しているだけなのだが、まぁ珍しいタイトルなので取り上げてみたい。 人類史上初、且つ世界で唯一核兵器が実戦使用された国で生まれ育った者として、放射線の怖さは心に刻まれている。日本に投下された原子爆弾は2発。一つは45年8月6日に広島市に投下されたガンバレル型ウラニウム活性実弾でコードネームはリトルボーイ(Little Boy)。もう一発は同年8月9日に長崎市に投下されたプルトニウムを用いたインプロージョン方式の原子爆弾・ファットマン(Fat Man)。大量の熱線と放射線を浴びて亡くなった方は両市で20万人にも上った。 私が16歳だった86年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所事故が起った。当時は連日報道されていたが、所詮異国の事故ということでわりと呑気にニュースを眺めていた。 放射線の恐ろしさに初めて震えたのは、99年9月30日に茨城県で起った東海村JCO臨界事故だ。施設内で核燃料を加工していた最中にウラン溶液が臨界に達して核分裂連鎖反応が発生、至近距離で多量の中性子線を浴びた作業員3名中2名が亡くなった。後年、その被爆から死に至るまでの状況をネットで知って、PC前で慄然とした。 11年3月11日には東日本大震災による福島第一原子力発電所事故が発生。チェルノブイリ原発事故と並ぶレベル7の深刻な事故だった。どこかのTV局ではプレゼント当選者として「怪しいお米 セシウムさん」などというとんでもないフリップを誤放送して大顰蹙を買ったっけ。東日本一帯が立入禁止の政府管理区域となり、新首都が「岡京」になるとの某タイムトラベラーさんの予言も懐かしい(岡山県民なので未だに覚えている) ちなみに放射線、放射能を光にたとえると、放射線は光で、放射能は光を出す能力のことだそうな(電気事業連合会HPより)。 さて、アルバム「放射能」であるが、当初のジャケットはナチス政権の宣伝省が1930年代後半に導入した国民ラジオのイラストだった。09年のリマスター盤からは放射性標識の三葉マーク(アルファ線、ベータ線、ガンマ線)が描かれているジャケットになっている。 Wikiさんによると、「放射能」は放射性崩壊(Radioactive decay)とラジオ(radio communication)をテーマに編成されたコンセプト アルバムらしい。 クラフトワークのこの頃のメンバーは、v&シンセその他のラルフ・ヒュッター(Ralf Hütter)とフローリアン・シュナイダー(Florian Schneider)、電子ドラムのカール・バルトス(Karl Bartos)とヴォルフガング・フリューア(Wolfgang Flür)の4人。このグループは現在も活動中だが、ちょくちょくメンバーが代わっており、この中で今も残っているのは創設メンバーでもあるラルフ・ヒュッターのみだ。同じ創設メンバーだったフローリアンは08年に脱退、20年に癌で亡くなった。 個人的にこういう無機質な音楽には興味をそそられないのだが、クラフトワークというグループ名を昔から知ってはいたので今回初めてアルバムを聴いてみて、世の中にはこういう音楽を受け入れられる人が大勢いるんだな…と感じた次第。勿論、悪くはないけど。 再びWikiさんによると、2012年7月7日に幕張メッセで行われた反原発ライブイベント「NO NUKES 2012」(YMOが “放射能(Radioactivity)” をカヴァーした)で このイベントに参加したクラフトワークは、同曲を福島の原発事故を明確に意識し反原発(反放射能汚染)を訴える坂本龍一さんの監修による日本語詞で歌唱し現在も世界中のライヴで歌い続けている――とのことらしい。 YouTubeにその “放射能” の福島バージョンが上がっていたので貼っておこう。反原発派だった坂本さんの詞も書いておく。原発の代替エネルギーが開発されればよいのだけれど。 放射能(Fukushima Version)←タイトル click 日本でも 放射能 きょうも いつまでも フクシマ 放射能 空気 水 すべて 日本でも 放射能 いますぐ やめろ そんなクラフトワークに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ ガイガー・カウンター(放射能測定器) ウラニウム オーム・スイート・オーム
2024.05.09
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『大狂乱スレイド一座』 スレイド 「Old New Borrowed and Blue」 Slade (74) ハード・ポップの王者スレイド、彼等のステージには聴かせて、見せて、楽しく、陽気で、という本来の姿がある。A面 1. ジャスト・ウォント・ア・リトル・ビット - Just Want a Little Bit 2. 明りが消える時 - When the Lights Are Out 3. ボクの町 - My Town 4. 虹を見つけよう - Find Yourself a Rainbow 5. マイルズ・アウト・トゥ・シー - Miles Out to Sea 6. 屋根に昇って - We're Really Gonna Raise the RoofB面 1. ドゥ・ウイ・スティル・ドゥ・イット - Do We Still Do It 2. ハウ・キャン・イット・ビー - How Can It Be 3. ドント・ブレイム・ミー - Don't Blame Me 4. マイ・フレンド・スタン - My Friend Stan 5. エヴリデイ - Everyday 6. グッド・タイム・ガールズ - Good Time Gals GWは存分に楽しめましたでしょうか?GW明け一発目は元気を出してスレイド(Slade)が74年にリリースした4thアルバム「大狂乱スレイド一座(Old New Borrowed and Blue)」を取り上げたい。 英国のロックバンドであるスレイドとの出会いは、83年にリリースされた彼等の11thアルバム「神風シンドローム(The Amazing Kamikaze Syndrome)」からシングルカットされた “ラン・ランナウェイ(Run Runaway)” のPVがMTVで流れたのを視聴したことによる。当時はMTVやらベストヒットUSAやらの洋楽番組はビデオ録画して繰り返し見ていたため、“ラン・ランナウェイ” も幾度となく見まくった。そのうちノー天気なPVとケルト調の音楽に魅了された次第である。 この「大狂乱スレイド一座」、何故こんな邦題が付けられたのかは分からないけど、まぁちょっと心の片隅には引っ掛かるタイトルだ。曲名の邦題が何の捻りもなくて勿体無いけど。 英国では70年代初頭のシングルチャートを独占していたそうで、71年~74年の間に12曲ものTOP 5シングル(内3曲が1位を記録)を出したのだとか。 勿論このアルバムも英国では1位に輝いた。芬蘭(Finland)2位、諾威(Norway)3位、豪州6位、独国20位とまずまずの成績だったが、米国では受け入れられずに168位に終わった。(ちなみに前述のシングル “ラン・ランナウェイ” は英国7位、米国でも20位) 原題は「Old New Borrowed and Blue」だが、米国では「Stomp Your Hands, Clap Your Feet」というタイトルに変更された。「大狂乱スレイド一座」はこっちの方がやや近いかも!? スレイドのメンバーはリードv&リズムgのノディ・ホルダー(Noddy Holder)、リードgのデイヴ・ヒル(Dave Hill)、bのジム・リー(Jim Lea)、dsのドン・パウエル(Don Powell)の4人。 70年代後半に一時人気が低迷したが80年代になると復活。69年のデビュー以来一度もメンバーチェンジすることなく頑張っていたが、92年にバンドの要であるノディとジムが揃って脱退。残ったデイヴとドンは新メンバーを入れてスレイドII(Slade II)として復活し、後にバンド名をスレイドに戻した。 69年生まれの私は、70年代のグラムロック(Glam rock)とかプログレ(Progressive rock)とかのジャンルにはちょっと取っ付き難いイメージを勝手に持っているのだが、そのグラムロックの中でスレイドはわりと取っ付きやすいというか聴きやすい方だと思う。このアルバムもノディの気取りの無いパワフルな歌唱に元気をもらえる。 そういえばスレイドの “クレイジー・ママ(Mama Weer All Crazee Now)” (72) や “カモン!!(Cum On Feel the Noize)” (73) はクワイエット・ライオット(Quiet Riot)がカヴァーして大ヒット!この曲が収録されたクワライの3rdアルバム「メタル・ヘルス〜ランディ・ローズに捧ぐ〜(Metal Health)」(83年リリース)は当時のHM/HRアルバムとしては珍しく全米1位に輝き、そのおかげでスレイドのリバイバル・ブームが起ったのであった。 そんなスレイドに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ ジャスト・ウォント・ア・リトル・ビット 明りが消える時 エヴリデイおまけ・1 個人的一推し曲 ラン・ランナウェイおまけ・2 クワイエット・ライオットver. “カモン!!” カモン・フィール・ザ・ノイズ by Quiet Riot
2024.05.07
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『フランク・ザッパの○△□』 フランク・ザッパ「Ship Arriving Too Late to Save a Drowning Witch」 Frank Zappa (82) ザッパは誰でもなく、また十万人。ガッシーッと楽曲主義でフランク畑でつかまえて。 船は進む、ザッパ海峡、今日もまた。アッパレ ザッパレ! 回を重ねるごとにエスカレートする超豪華解説書「マ●コ・カパックの友」(不定期刊行物)付き。A面 1. いまは納豆はいらない - No Not Now 2. えー、うっそぉ、ホントー? - Valley Girl 3. ア、いかん、風呂むせて脳わやや - I Come from NowhereB面 1. フランク・ザッパの○△□(マルサンカクシカク) - Drowning Witch 2. フランク・ザッパの▯(長方形) - Envelopes 3. 娘17売春盛り - Teen-Age Prostitute GW中は邦題界の王者たちを取り上げよう!ということで、今回はフランク・ザッパ(Frank Zappa)が82年にリリースした35thアルバム「フランク・ザッパの○△□(Ship Arriving Too Late to Save a Drowning Witch)」を取り上げたい。 ザッパといえば邦題!邦題といえばザッパ!というくらいに、日本の洋楽好きには広く知られていたザッパの面白邦題。以前取り上げた「ハエ・ハエ・カ・カ・カ・ザッパ・パ!(The Man from Utopia)」よりはマシかもしれないが、「○△□(マルサンカクシカク)」って…。やっぱり「ハエ・ハエ・カ・カ・カ…」同様、ジャケットのデザインから付けたんだろうなぁ。 しかし絶滅の危機迫る邦題界に押し寄せた原題尊重の波に飲まれたのかは知らないけど、ザッパの邦題の幾つかは原題直訳か、もしくはカタカナタイトルにしれっと変更されている。 現在このアルバムは「たどり着くのが遅すぎて溺れる魔女を救えなかった船」という原題直訳の長ったらしいタイトルとなっており、曲名の邦題も以下のとおり。A面 1. ノー・ノット・ナウ - No Not Now 2. ヴァリー・ガール - Valley Girl 3. アイ・カム・フロム・ノーウェア - I Come from NowhereB面 1. 溺れる魔女 - Drowning Witch 2. エンヴェロウプス - Envelopes 3. 十代の娼婦 - Teen-Age Prostitute “ア、いかん、風呂むせて脳わやや(I Come from Nowhere)” は誰もが一度は「あいかむふろむのーうぇあ」と声を出して邦題のバカバカしさを確認してみただろう。“いまは納豆はいらない(No Not Now)” は「のっとなう」を納豆に無理やりこじつけたセンスが素晴らしい。“娘17売春盛り(Teen-Age Prostitute)” は「娘十八 番茶も出花(正しくは鬼も十八 番茶も出花)」っぽくて語感がいいけど、まぁ今のご時世で売春盛りはよろしくないかな。 日本では邦題で語られることの多いザッパのアルバムだが、普通に楽曲もよいのである。 「○△□」は全米Billboardチャートで23位とまずまずの成功を収め、シングルカットされた“えー、うっそぉ、ホントー?(Valley Girl)” も32位に達した。この曲ではザッパの娘で当時14歳だった娘のムーン(Moon Zappa)がラップを担当。父ザッパは真夜中にムーンを起こしてスタジオに連れて行き、彼女が友人たちと交わした会話を再現させたという。その後、彼女は女優、歌手として活動しており、昨年8月には「Earth to Moon」という回想録を出版している。 ザッパ門下生であるスティーヴ・ヴァイ(Steve Vai)は、80年代前半にフランク・ザッパ・バンドのギタリストとしてザッパの演奏不可能なパートを受け持っていたようで、この「○△□」にも当然参加している。スティーヴ・ヴァイといえば、86年に公開された映画「クロスロード(Crossroads)」にも出演。十字路に現れる悪魔に魂を担保にブルースの極意を得るという契約を交わした「クロスロード伝説」をモチーフにした映画で、スティーヴが演じたのは十字路に現れた悪魔の手先であるギタリスト、ジャック・バトラー(Jack Butler)。ラルフ・マッチオ(Ralph Macchio)演じる主人公・ユジーン(Eugene Martone)とのギター対決ではユジーンが勝利するのだが、ラルフくんファンの私でも流石にいやいや、スティーヴには勝てんやろ…と心の中で思ったものだ。 ザッパは93年に前立腺癌により52歳で死去。変な邦題のおじさんとしか思っていなかったが、彼の音楽にもっと早くから触れておけばよかった。邦題からは想像が付かない格好良さがある。 最後に、帯文句にある「マ●コ・カパック(Manqu Qhapaq)」とはインカ神話によるクスコ王国の初代国王であるのだが、そのまま書いたらアップ不可だったため一字伏字にした。別にエロとは無関係なのに… そんなフランク・ザッパに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ えー、うっそぉ、ホントー? ア、いかん、風呂むせて脳わやや 娘17売春盛り
2024.05.06
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『原子心母』 ピンク・フロイド 「Atom Heart Mother」 Pink Floyd (70) ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり!A面 1. 原子心母 - Atom Heart Mother 1. 父の叫び - Father's Shout 2. ミルクたっぷりの乳房 - Breast Milky 3. マザー・フォア - Mother Fore 4. むかつくばかりのこやし - Funky Dung 5. 喉に気をつけて - Mind Your Throats Please 6. 再現 - RemergenceB面 1. もしも - If 2. サマー '68 - Summer '68 3. デブでよろよろの太陽 - Fat Old Sun 4. アランのサイケデリック・ブレックファスト - Alan's Psychedelic Breakfast 1. ライズ・アンド・シャイン - Rise and Shine 2. サニー・サイド・アップ - Sunny Side Up 3. モーニング・グローリー - Morning Glory GW中は邦題界の王者たちを取り上げよう!ということで、今回は英国が誇るプログレ(Progressive rock)の先駆者であるピンク・フロイド(Pink Floyd)が70年にリリースした5thアルバム「原子心母(Atom Heart Mother)」を取り上げたい。 古の中国で作られた四字熟語のような「原子心母」という邦題は単に原題直訳で、Atom=原子、Heart=心、Mother=母ということから付けられたとのこと。発売から50余年、この言葉に何か意味を持たせてもいいのではないかと思うくらい馴染んでしまっている。 この不思議なタイトル、元々無題だったがBBCラジオでコンサート放送を流すにあたりタイトルが必要となり、たまたま持っていたタブロイド紙のコピーから見つけようということで、プルトニウム238を動力源とするペースメーカーの埋め込みに成功した女性についての記事の見出し “atom heart mother named” が目に留まったことから付けられたという。 邦題もだが、このジャケットの牛もインパクトが大きい。タイトルやバンド名の記載はなくて、ただ牛がデーンと写っているだけという斬新なデザインを担当したのは、英国のデザイングループであるヒプノシス(Hipgnosis)。彼等はピンク・フロイド以外にもロイ・ハーパー(Roy Harper)の「精神本部(HQ)」やナザレス(Nazareth)の「競獅子(Rampant)」等、数多くのカバーデザインを手掛けた。ちなみにこのアルバムジャケットの牛さん、ルルベル3世(Lulubelle III)という洒落た名前だそうな 65年に結成されたピンク・フロイドの創設メンバーは、g&voのシド・バレット(Syd Barrett)、bのロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)、keyのリチャード・ライト(Richard Wright) 、そしてdrのニック・メイスン(Nick Mason)の4人だった。 67年に「夜明けの口笛吹き(The Piper at the Gates of Dawn)」という素晴らしい邦題のデビューアルバムをリリース。当初の邦題は「サイケデリックの新鋭」だったらしい(Wikiさんより)。しかしシドがこの頃から既に過剰なドラッグ摂取で正常な状態ではなかったようで、翌年には新たなgとしてデヴィッド・ギルモア(David Gilmour)が加入してシドは脱退。79年にリチャードが首宣告されるまでは(後に復帰)暫くこの4人体制で、「原子心母」制作時もこの4人のメンバーだった。 ドラッグ中毒などで精神を病んだシドは70年に「帽子が笑う…不気味に(The Madcap Laughs)」というイカした(死語)邦題でソロアルバムをリリース。同年に2ndアルバム「その名はバレット(Barrett)」を出したのを最後にシドは表舞台から去り、06年に60歳でこの世を去った。リチャードも08年に癌により65歳で他界している。 一方、ギルモアさんは先月24日に5thソロアルバム「Luck and Strange」を9月6日にリリースすると発表、10月からツアーを行う予定だという。またロジャーも昨年、ピンク・フロイドが73年にリリースした8thアルバム「狂気(The Dark Side of the Moon)」の発売50周年記念盤「The Dark Side of the Moon Redux」を新たにレコーディングしてリリースした。この二人の対立(というかロジャーの独裁化)がバンド崩壊を招いて85年にロジャーが脱退。そこからは色々とゴタゴタしたようだが、05年7月に開催されたLIVE 8では20年ぶりにメンバー4人が揃って演奏した。 実は「原子心母」を通して聴いたのは今回が初めてだったが、当時は若者達もこのアルバムを聴いて衝撃を受けたのだろうか。A面に丸々収録されている “原子心母(Atom Heart Mother)” は20分超で5つのパートからなるクラシック調の大作だ。おばはんになってからのんびり聴く分にはいいが、若い頃だとおそらく聴いていられなかった気がする。 このアルバムは英国で1位を獲得したが、米国では55位止まりだった。ノー天気な米国人(褒め言葉)にはこういう作品は合わなかったのだろう。まぁしかし「狂気」で初の全米1位に輝いて以降は出すアルバム全てが世界中で大ヒットするのだけれど。 そんなピンク・フロイドに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ 今回はフルアルバムをお楽しみくだされ。 原子心母(Full Album)
2024.05.05
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『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』 ビートルズ 「A Hard Day's Night」 The Beatles (64) 映画は音楽を変え、音楽は映画を変える。“視” と “聴” を初めて密着させたビートルズのサントラ傑作A面 1. ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(ハード・デイズ・ナイト) - A Hard Day's Night 2. 恋する二人 - I Should Have Known Better 3. 恋におちたら - If I Fell 4. すてきなダンス - I'm Happy Just to Dance with You 5. アンド・アイ・ラヴ・ハー - And I Love Her 6. テル・ミー・ホワイ - Tell Me Why 7. キャント・バイ・ミー・ラヴ - Can't Buy Me LoveB面 1. エニータイム・アット・オール - Any Time at All 2. ぼくが泣く - I'll Cry Instead 3. 今日の誓い - Things We Said Today 4. 家に帰れば - When I Get Home 5. ユー・キャント・ドゥ・ザット - You Can't Do That 6. アイル・ビー・バック - I'll Be Back GW中は邦題界の王者たちを取り上げようと思い、まずはビートルズ(The Beatles)が64年にリリースした3rdアルバム「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(A Hard Day's Night)」について。 このアルバムは64年に公開されたビートルズの初主演映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(A Hard Day's Night)」のサントラ盤なので、元々は映画評論家の水野晴郎さんが日本ユナイト映画の宣伝部長(だか宣伝総支配人だか)だった頃に付けた邦題だ。なかなかインパクトのある邦題だったものの普通に「ヤァヤァヤァ」と呼んでいたのだが、00年に映画が再上映された際に「ハード・デイズ・ナイト」とカタカナタイトルに改められ、このアルバムのタイトルも同じくカタカナタイトルに改められてしまった。そしてA-1のタイトルソングも “ア・ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day's Night)” になっているそうだ。 私が姉の影響でビートルズを聴くようになったのはちょうど中学に上がる12~3歳の頃(82年)で、中高生時代はビートルズ・シネ・クラブ(BCC)というファンクラブに入っていた。ビートルズ映画の上映会が活動の中心だったようだが、田舎の学生だった私は毎月送られる会報誌だけが楽しみだった。そういえばジョン・レノン(John Lennon)ファンだった姉はHOHNER製のハーモニカを通販で購入していたっけ。 高1ぐらいの時に地元の市民文化ホールでBCC主催の上映会があり、ビートルズ初のアニメ映画「イエロー・サブマリン(Yellow Submarine)」(68年公開)を観た。ビートルズに全く興味のなかった当時の彼氏にお願いして一緒に鑑賞したが、今にして思えば相当キツかっただろうなぁ。ファン以外の10代の男の子が楽しめる作品ではなかったように思う。 さて「ヤァヤァヤァ」に話を戻すと、A面が映画のサウンドトラックでB面が新たにレコーディングされた曲だ。私はジョージ・ハリスン(George Harrison)のファンだったが、ジョージのヴォーカル曲は “すてきなダンス(I'm Happy Just to Dance with You)” のみで作詞作曲は全てジョンとポール・マッカートニー(Paul McCartney)によるもの。でもってリンゴ・スター(Ringo Starr)のヴォーカル曲は今作ではなし。 このアルバムの中で個人的に好きなのは “恋におちたら(If I Fell)” と “今日の誓い(Things We Said Today)”。 “恋におちたら” はジョンの曲でヴォーカルはジョン&ポールが取っており、“今日の誓い” はポールの曲でヴォーカルも彼が務めている。 この映画にビートルズファンの女学生役で出演したパティ・ボイド(Pattie Boyd)は66年にジョージと結婚。“ヤァ!ヤァ!ヤァ!” の曲をバックにメンバーが群がるファンから逃れるために走っているシーンで派手にすっ転んだジョージに母性本能がキュンッと擽られたのかしらん。しかし74年に離婚し、79年にはジョージの友人であるエリック・クラプトン(Eric Clapton)と再婚したものの89年に離婚した。ジョージの代表作の一つである“サムシング(Something)” 、そしてクラプトンのこれまた代表作の一つである “いとしのレイラ(Layla)” にもパティはインスピレーションを与えている。また、ジョンもローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)のミック・ジャガー(Mick Jagger)もパティに惹かれていたとのこと。若い頃のパティは本当にキュートで可愛いから納得。 …おっと、話がそれてしまった。このアルバムは当然ながら英米はじめ各国で1位を記録。とはいっても北米盤は少し収録曲が違っているけど。 発売から60年経った現在でも飽きることなく聴き続けているビートルズ。80年にはジョン、01年にはジョージが鬼籍に入ってしまったが、ポールとリンゴにはまだまだ長生きしていただきたい。 そんなビートルズに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! キャント・バイ・ミー・ラヴ すてきなダンス 恋におちたら
2024.05.04
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『血染めの鉄鎚(ハンマー)』 メタリカ 「Kill 'Em All」 Metallica (83) 俺たちはN.Y.で最も毒のあるメタル・バンドさ!!A面 1. ヒット・ザ・ライツ - Hit The Lights 2. 電撃の騎士 - The Four Horsemen 3. モーターブレス - Motorbreath 4. 炎のジャンプ - Jump In The Fire 5. プリング・ティース - (Anesthesia) Pulling Teeth 6. 鞭 - WhiplashB面 1. ファントム・ロード - Phantom Lord 2. 懺悔無用 - No Remorse 3. 見つけて壊せ - Seek And Destroy 4. メタル軍団 - Metal Militia 「『100 Best Debut Albums of All Time』の懐かし邦題」という駄記事を10日前に綴った際にも触れたが、メタリカ(Metallica)が83年にリリースしたデビューアルバムには「血染めの鉄鎚(ハンマー)(Kill 'Em All)」という如何にもな邦題が付いていた。それが今では「キル・エム・オール」という平凡なカタカナタイトルに改められたうえ、曲名の邦題までもが全て消え去っている。…まぁそれが元々のタイトルではあるのだけど。とはいえ「血染めの鉄鎚(ハンマー)」ってジャケットを見たまますぎて、捻りが足りなかったわな。 このデビューアルバムは全米66位とまずまずであったが、91年にリリースした5thアルバム「メタリカ(Metallica)」が初のBillboardチャート1位に輝き、以降はアルバムをリリースする度に1位を獲得していた。残念ながら昨年4月にリリースした11thアルバム「72シーズンズ(72 Seasons)」は全米チャートだと2位止まりだったみたいだが、英・独・豪など世界各国では相変わらず1位に輝いたようだ。 「血染めの鉄鎚(ハンマー)」を聴きながらこれを書いているが、デビューアルバムながら完成度は高い。“後にスラッシュメタルの先駆けとして再評価された作品” とのこと(Wikiさん参照)。 83年といえば英国のNWOBHM(New Wave of British Heavy Metal)や米国西海岸発のLAメタル等に代表されるHR/HMブームに差し掛かった頃だった。当時はアイアン・メイデン(Iron Maiden)やハノイ・ロックス(Hanoi Rocks)、モトリー・クルー(Mötley Crüe)等を好んで聴いていたが、メタリカが数年早く大ヒットしていたら間違いなく好きになっていただろう。 さて、このアルバム収録時のメタリカのメンバーはというと、vo&gのジェイムズ・ヘットフィールド(James Hetfield)、gのカーク・ハメット(Kirk Hammett)、bのクリフ・バートン(Cliff Burton)にdrのラーズ・ウルリッヒ(Lars Ulrich)の4人。 カークの前にリードgを務めていたのがデイヴ・ムステイン(Dave Mustaine)。アルバム収録のため向かった先のNYで解雇を宣告されたという。失意のデイヴはその後メガデス(Megadeth)を結成。メタリカと共に “スラッシュメタルBIG4” と評され、グラミー賞に12回もノミネートされるまでに。メガデスといえば、ギタリストだったマーティ・フリードマン(Marty Friedman)が脱退後は何故か日本で活動していてちょっとビックリ。 メタリカに話を戻すと、86年にリリースされた3rdアルバム「メタル・マスター(Master of Puppets)」ぐらいしかちゃんと聴いたことはなかったのだが、このメタル・マスターっていうのも地味に妙な邦題だよね。それはともかく、個人的には3rdよりこの「血染めの鉄鎚(ハンマー)」の方が好みかも。デビューアルバム特有の荒っぽさがいい感じに攻撃的で格好いい。最近のメタルは知らないけど、ギターの速弾きが80年代っぽくていいよね。 今更だけどいいなぁ、メタリカ。50歳を過ぎたら演歌とかに興味が向くかと思っていたけど、やっぱりロックが最高だ!BBAになってもやっぱりHR/HMが好きだ! そんなメタリカに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ 電撃の騎士 鞭 見つけて壊せ
2024.05.01
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この駄Blogを綴り始めたばかりの07年11月に「ジャングル黒べえ」について綴った際に、“「ちびくろサンボ」の絶版回収騒動の際に起こった「オバケのQ太郎」の差別表現に対する抗議のあおりを受け、黒べえも放送を自粛するハメになってしまった” と書いたが、何と今月12日からYouTubeで1~6話までが公式配信されているではないか! 【視聴者の皆様へ】 一部の作品におきましては、今日の人権意識から見ると不適切と思われる表現が含まれている個所がございます。しかし、作品が発表された当時の時代背景と作品の歴史的価値を尊重し、また差別的な意図をまったく持っていないことなどを踏まえ、できる限り改変を加えず、当時のまま配信することにいたしました。何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。 ――という断り書きが添えられているが、まさか再び見られる日が来ようとは!調べてみると今年1月には藤子・F・不二雄先生生誕90周年を記念してDVD Collectionも発売されているようだ。DVD(定価税込16,500円)を購入するほどの熱意はないが、無料で見られるのは本当に嬉しい。 演出:出崎 統さん&作画監督:椛島義夫さんといえば、私の愛してやまない「ガンバの冒険」も手掛けた黄金コンビだ。久々に黒べえを見ると、EDの背景画の技法がガンバの作画に繋がっているような気がする。ちなみに黒べえの放送は73年で、ガンバは75年だった。 黒べえ役の声優は肝付兼太さん。黒べえを助けたことで仲良くなるしし男くん役は杉山佳寿子さん。このお二人はガンバにも出てたなあ。あ、ガンバといえばイカサマ役の堀絢子さんも「ドラえもん」のスネ夫系ポジションであるオカラ役を演じている。でもって、しし男くんのお母さん・鳥子役は増山江威子さん(※)。ガンバでもヒロイン・潮路を演じているが、ガンバと並び愛してやまない「一休さん」でも一休さんの母上・伊予の局と蜷川新右衛門が想いを寄せる大内家の姫君・末姫の二役(&ナレーター)を務めている。黒べえは好きな声優さんばかりだ。…というか昔の声優さんは皆さん好き。 ※増山さんは第3話でちょこっと潮路を演じているだけで、終盤でノロイ島が舞台になってからは弥永和子さんが潮路の声を務めている。 ♪ウラウラタムタム ウラウラタムタム ウラーッ! タムタムウラウラ タムタムウラウラ ウラーッ! ヤッホヤッホー オレ ジャングル黒べえ 槍だ魔法だ 不思議な力だ~ 嗚呼、何十年ぶりに聴いただろう…。OP曲もスラスラ歌える(T T)ありがとう、TMSエンターテイメント(旧・東京ムービー)さん。期間限定配信となっているので、未見の方は今のうちにですぜ。興味がある方は下のタイトルをポチッ! 【初配信】ジャングル黒べえ 第1~3回(1回が2話分)
2024.04.28
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4年ほど前に「マスキングテープ にほんの人物」と題した駄記事にて、日本の各都道府県を代表する偉人が可愛く描かれたカモ井加工紙製マスキングテープを取り上げた。 その後も「にほんの名所」や「家紋」のマスキングテープをいただいたのは非常に有難いものの使いどころがなく、未開封のまま現在に至っている。それは流石にくださった方に失礼かと思い、4年も放置しておいて今更ではあるが、ここで紹介させていただくことにする。 写真が下手すぎて見難いがこういうものだ。このテープはどういう時に使えばよいのだろう? 描かれている家紋は10個。家紋にはそれほど興味が無いので幾つかの戦国武将の家紋しか知らない。島津家の丸に十字、豊臣家の桐紋、徳川家の三ツ葉葵、明智家の桔梗、石田家の大一大万大吉、大谷家の対い蝶、真田家の六連銭…等々。どうでもいいけど私の実家も桐紋だった。 さて、このテープには何やら小さく英語で説明文が書かれている。「Kamon is a coat of arms that has been used to cxpress his own family lines since ancient times. It is one of Japan's unique culture that is still used today.」(家紋とは、古来より自分の家系を表すために用いられてきた紋章のことです。 現代でも受け継がれている日本独自の文化の一つです。)説明文の上には丸に「カモ井」の文字が家紋っぽく書かれている。本当にあるのか、シャレなのかすら分からないけど。 左端は少し切れているので次から順に見てみよう。 結び雁金 六連銭で知られる真田家はこちらも使用していた 橘 「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」の山中鹿之助(幸盛) 丸に並び切竹 違い釘抜 丸に長門三ツ星 長門三ツ星といえば毛利家だけど、丸が付いたら…? 丸に山の字 右波の丸 抱き茗荷 堀尾吉晴が使っていたそうな 上り藤 安藤重信が使っていたというが… 五三の桐 豊臣秀吉でお馴染み 調べてみたら家紋は面白いうえに色々と勉強になった。昔の方のデザインセンスの素晴らしさよ!また暇な時に戦国武将家紋一覧とか書くかもしれない。 ※「丸に長門三つ星」紋の画像は家紋ドットネットさんより拝借いたしました。
2024.04.28
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今回はRolling Stone誌が選出した「100 Best Debut Albums of All Time(史上最高のデビュー・アルバム100)内の邦題アルバムタイトルのみを100位から順(右端の数字が順位)につらつら挙げてみた。98 「頽廃的美学論」「Q: Are We Not Men? We Are Devo!」Devo(78)91 「リバティーンズ宣言」「Up the Bracket」The Libertines(02)89 「そよ風の贈りもの」「Whitney Houston」Whitney Houston(85)87 「N.Y.ダンステリア」「She's So Unusual」Cyndi Lauper(83)83 「血染めの鉄鎚(ハンマー)」「Kill 'Em All」Metallica(83)73 「夜明けの口笛吹き」「The Piper at the Gates of Dawn」Pink Floyd(67)69 「黒い安息日」「Black Sabbath」Black Sabbath(70)65 「オアシス」「Definitely Maybe」Oasis(02)57 「エルヴィス・プレスリー登場!」「Elvis Presley」Elvis Presley(56)47 「ハートに火をつけて」「The Doors」The Doors(67)44 「レナード・コーエンの唄」「Songs of Leonard Cohen」Leonard Cohen(67)43 「警告! THE B-52'S来襲」「The B-52's」The B-52's(79)40 「炎の導火線」「Van Halen」Van Halen(78)30 「錯乱のドライヴ/カーズ登場」「The Cars」The Cars(78)24 「愛しのキッズ」「Pretenders」The Pretenders(80) 23 「勝手にしやがれ!!」「Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols」The Sex Pistols(77)17 「平等の権利」「Handsworth Revolution」Steel Pulse(78)16 「バーニング・アップ」「Madonna」Madonna(83) 9 「白い暴動」「The Clash」The Clash(79) 4 「燃えよウータン」「Enter the Wu-Tang (36 Chambers)」Wu-Tang Clan(93) 1 「ラモーンズの激情」「Ramones」Ramones(76) 邦題付アルバム21枚のうち既に紹介済のアルバムにはLINKを貼ってみたが、まだ3枚しか取り上げてないことに愕然 さて、その21枚の中でセルフタイトルのアルバムが約半分の11枚。大体デビューアルバムはセルフタイトルのものが多いように感じていたが、意外とそうでもないような。 そんな中でオアシス(Oasis)はちゃんと「Definitely Maybe」というタイトルが付いているのに、邦題が「オアシス」って…。 米国のHip Hopグループであるウータン・クラン(Wu-Tang Clan)、ウータン(Wu-Tang)という名前は83年に公開された香港映画「少林寺武者房(または「少林拳対武当拳」)」(少林與武當/ Shaolin and Wu Tang)に登場する武当派から取られたとのこと(Wikiさん参照)。彼等のアルバムタイトル「Enter the Wu-Tang (36 Chambers)」は、リュー・チャーフィー(劉家輝)主演「少林寺三十六房(The 36th Chamber of Shaolin)」と、ブルース・リー(李小龍)主演「燃えよドラゴン(Enter the Dragon)」から付けられたそうで、なので邦題もちゃんと「燃えよウータン」となっているらしい。おおッ、ナイス邦題! 一方でメタリカ(Metallica)の「血染めの鉄鎚(ハンマー)」なんて、今では「キル・エム・オール」と原題(Kill 'Em All)のカタカナ表記タイトルに変わってしまってインパクトなし。まぁメタリカぐらいビッグになったら変な邦題は不要だろうけど。完全に忘れ去られる前に、早いとこ紹介しておこうっと
2024.04.21
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先日、重野なおきさんの「殺っちゃえ!! 宇喜多さん」を取り上げるにあたり続巻が出ているか確かめようとAmazonを覗いた際、同じ作者さんの「雑兵めし物語」という漫画の帯文句にがふと目に留まった。 “腹が減っては戦に出向く!? 天下取りより今日のメシ!! 戦国の世を食べて生き抜け!” 早速既刊2冊をKindle版で購入して読んで見たところ、これがすこぶる面白く、雑兵の過酷な食生活を含めた生き様がゆる~いタッチで描かれているうえ所々に淡い恋愛要素もあって、どハマリしてしまった。 主人公は信濃国・小笠原長時軍の雑兵・作兵衛。 天下の事などどうでもよく、立身出世を目指すでもない、今日明日の飯の事だけを考えて生きる雑兵の作兵衛は料理好きの25歳。13年前に両親を敵方に殺され、飯目当てで雑兵となって何とか生き延びてきた。弟分の豆助も山に捨てられていたという。二人は天文17年(1548年)の塩尻峠の戦い(武田信玄の信濃攻略の一環)に参加して逃げている途中で、武田軍に家族を殺されて逃げていた武家の娘・つると出会う。諏訪の田中家の姫・つるは才女として有名でありながらドジで不器用で食い意地が張ってる変な姫と言われていた。お腹がすかせたつるに味噌汁(落武者の死骸から、里芋の茎を味噌汁で煮詰めて乾かして作った縄を奪い、それを刻んで煮て戻したもの)を振る舞う作兵衛。家も身寄りもなくなったつるを村の寺に預けようと連れ帰るも、寺は夜盗に燃やされていた。 他に置いてくれそうな所は…と思案する作兵衛に、つるは作兵衛の家に使用人として置いて欲しいと言い出した。こうして雑兵と落ちぶれ姫との共同生活が始まったが――。 つるちゃんは零落しても食べ物さえあれば幸せという素直で明るい、ちょっと天然な15歳の女の子。美人なのだがとにかくよく食べ、隙あれば何でも食べようとする。 今日を生きるのが精一杯という底辺暮らしの作兵衛だったが、つるちゃんと暮らすようになってからは、自分の作った料理を美味しそうに食べてくれ、家に帰ると「ただいま」と迎えてくれる存在が出来た事に幸せを感じるようになる。しかしつるちゃんとの生活を幸せだと思いながらも、つるちゃんには元の裕福な生活に戻って幸せに暮らして欲しいという思いもある。 作兵衛がとにかく格好いいうえ、つるちゃんも可愛いくて、過酷な暮らしながら何だか二人とも幸せそうで、絵柄の好き嫌いはありそうだが非常に面白い作品だと思う。特に二人が互いを想い合っている描写が好きだ。 「鬼滅の刃」の蛇柱・伊黒小芭内さんといい、この作品の作兵衛といい、よく食べる女性に惹かれる男性が好きなのかもしれない…。 とはいっても両作品ともそこまで恋愛メインの話ではないので、恋愛モノが苦手の私でも胸がほわ~んとする程度の恋話なので、そこは安心して読める。 ホント、歴史に興味のある方、特に戦国時代に興味のある方にはおすすめの漫画だ。いつ3巻が出るのだろう、今から楽しみ♪
2024.04.20
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『悩殺爆弾〜禁断のロックン・ロール・クイーン』 ザ・ランナウェイズ 「The Runaways」 The Runaways (76) 男たちよ受けてみよ! 全ての常識に対し叩きつけられた五人のロッキン・ガールズの挑戦状を!!A面 1. 悩殺爆弾(チェリー・ボム) - Cherry Bomb 2. あなたに夢中 - You Drive Me Wild 3. 錯乱する頭脳 - Is It Day or Night? 4. 恋の稲妻 - Thunder 5. ロックン・ロール - Rock and RollB面 1. ラヴァーズ - Lovers 2. アメリカン・ナイツ - American Nights 3. ブラックメイル - Blackmail 4. シークレッツ - Secrets 5. 行きづまりの正義 - Dead End Justice 女性ロックバンドの祖ともいえるザ・ランナウェイズ(The Runaways)。ランナウェイズ以前にも女性バンドはいたが、彼女達の出現によりその後の女性ロックバンドの型が決まったような気がする。今回はそんな彼女達のデビュー・アルバム「悩殺爆弾〜禁断のロックン・ロール・クイーン(The Runaways)」を取り上げる。 この邦題は今も使われているが、“Cherry Bomb” を “悩殺爆弾” と訳したセンスが素晴らしい。これを書くにあたり久々に“悩殺爆弾(Cherry Bomb)” のPVを視聴したが、今見るとヴォーカルがコルセット&ガーターベルトという過激な衣装で歌っていてもエロさを感じないのは、当時の彼女はまだ16歳だったから。伊代はまだ16だから~♪と歌っていた日本人歌手を思えば、大人ぶってる感じでむしろ微笑ましい。 ランナウェイズのメンバーはというと、ほぼ下着姿で歌うvoのシェリー・カーリー (Cherie Currie) 、リードgのリタ・フォード(Lita Ford)にリズムg&voのジョーン・ジェット(Joan Jett)、bのジャッキー・フォックス(Jackie Fox)、drのサンディ・ウェスト(Sandy West)の5人。 バンドの初代ベーシストだったミッキ・スティール(Micki Steele)は後にマイケル・スティール(Michael Steele)の名でバングルス(The Bangles)に加入。残念ながら05年に脱退しちゃったけど。 ランナウェイズはアルバムを4枚リリースして79年に解散。その際、パンク・ロック的なアプローチを主張したジョーンと、ハードロックを追求したいリタ&サンディの意見の不一致もあったとのことだが、解散後リタはHR/HMの道へ進んだ。90年代初めに元W.A.S.P.のgだったクリス・ホルムス(Chris Holmes)と結婚したが短期間で離婚したという。90年代半ばから10年間ほど活動を休止していたが、08年に活動を再開して現在に至っている。 ジョーンもジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ(Joan Jett and the Blackhearts)として81年にリリースした3rdアルバム「アイ・ラヴ・ロックン・ロール(I Love Rock 'n' Roll)」が大ヒット!15年には見事ロックの殿堂( Rock and Roll Hall of Fame)入りを果たした。 シェリーは解散前にバンドを脱退しており、その後は女優としても活動。私の愛してやまないおバカ映画の傑作「フライングハイ(Airplane!)」で主人公の元戦闘機パイロット、テッド・ストライカー(Ted Striker)役を演じたロバート・ヘイズ(Robert Hays)と結婚して一人息子を授かるも離婚してしたとのこと。 ジョーンとともにランナウェイズの創設メンバーでもあったサンディは、解散後は音楽業界で生計を立てることは難しかったらしい。06年に47歳の若さで亡くなった。 個人的には77年リリースの2nd「クイーンズ・オブ・ノイズ(Queens Of Noise)」の方が好みだが、「悩殺爆弾」の荒っぽさも初々しくていいかもしれない。 A-5の “ロックン・ロール(Rock and Roll)” は ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(The Velvet Underground)のカヴァーだが、原曲と聴き比べると彼女達の溌剌さがより際立って感じる。若さっていいよね~。 そんなランナウェイズに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ 悩殺爆弾 ロックン・ロール 錯乱する頭脳
2024.04.17
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『極美』 アダム・ボム 「Fatal Attraction」 Adam Bomb (84) 雄大なスケールとその限りなきロマンティシズムの世界!! 今、アメリカン・ヘヴィ・ロック・シーンの新星! シアトルからデビュー!!A面 1. テイク・ミー・イン - Take Me In 2. ネバー・ノウ - You'll Never Know 3. シェイプ・オブ・ザ・ワールド - Shape of The World 4. 乱舞 - Fatal Attraction 5. イスラエル - Israël B面 1. マイ・ヘビー・メタル - I Want My Heavy Metal 2. ロシアン・ルーレット - Russian Roulette 3. イッツ・ア・バスト - It's A Bust 4. プライム・イーブル - Prime Evil 84年にリリースされたアダム・ボム(Adam Bomb)のデビュー・アルバム「極美(Fatal Attraction)」。音楽的には可もなく不可もなく、邦題もインパクトに欠けるのだが、ジャケットでアダムの着ている呪文のような怪しい漢字シャツだけが何故かすごく印象に残っているので今回取り上げてみた。 この呪文服ジャケットは日本盤だけのようで、他国盤は普通にライダースジャケット&ジーンズのロックな兄ちゃん姿である。 でもまぁこの呪文服のおかげで発売から40年の歳月を経てなお、私の記憶の片隅にこびり付いている。 バンドのメンバーはvo&gのアダム、そしてgに元エアロスミス(Aerosmith)のジミー・クレスポ(Jimmy Crespo)、bのフィル・フェイト(Phil Feit)、drのグレッグ・ガーソン(Gregg Gerson)。フィルとグレッグはビリー・アイドル(Billy Idol)のバンドメンバーだった。そして “マイ・ヘビー・メタル(I Want My Heavy Metal)” にはAC/DCのb.クリフ・ウィリアムズ(Cliff Williams)が参加している。 アダムは63年生まれなので、レコーディング時は20歳そこそこだったはず。それを思うとなかなか堂々たるミュージシャンっぷりだ。あ、だけど85年に「ピクチャーズ・フォー・プレジャー(Pictures for Pleasure)」でデビューした “チャリ坊” ことチャーリー・セクストン(Charlie Sexton)は16、7歳だったっけ。…負けたか!? いやいや早熟さではアダムも負けてない。80年にはTKOに加入しており、以前ご紹介したTKOの2ndアルバム「顔に唾をかけろ!(In Your Face)」に本名のアダム・ブレナー(Adam Brenner)で参加している。82年に脱退し、「極美」で見事にソロデビューを飾ったのであった。 しかしこのアルバムも決して悪くはないのだが、何というか全く記憶に残らないのである…日本盤ジャケット写真以外は。聴いたそばからす~っと抜けていくような感じ。楽曲はそこそこ聴きやすいんだけどね。 自身の2ndアルバムは5年後の89年にリリースされているが、85年にはブラック・アンド・ブルー(Black 'N Blue)の2nd「ウィズアウト・ラヴ(Without Love)」に参加している。ブラック・アンド・ブルーの、また後にKISSの5代目gとなったトミー・セイヤー(Tommy Thayer)は一時ご近所さんで親交があったらしい。 また、アダムは79年にクイーンズライチ(Queensrÿche)のvoだったジェフ・テイト(Geoff Tate)と初めてカバーバンド・Tyranを組んだという。アダムと仲良くなると何かしら御利益があるのかも!? もしやあの呪文シャツは御真言か何かだったりして!? そんなアダム・ボムに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ シェイプ・オブ・ザ・ワールド マイ・ヘビー・メタル ロシアン・ルーレット
2024.04.15
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『ごはんですよ!』 サムラ・ママス・マンナ 「Måltid」 Samla Mammas Manna (73) パーカッションのヘンリックが脱退し、ギターのコステ・アペトレアが加入した'73年作。民族音楽と変拍子の融合というサムラ独自のカラーが打ち出され、驚異的な演奏力を発揮する。A面 1. 歓喜の轟き - Dundrets Fröjder 2. 不意の出産 - Oförutsedd Förlossning 3. 甦った旋律 - Den Återupplivade Låten B面 1. 朝食のための民謡 - Folkvisa I Morse 2. シスター・システム - Syster System 3. サイコロ - Tärningen 4. 逆行の正規 - Svackorpoängen 5. 尖塔の光 - Minareten 6. 不動産の価格 - Værelseds Tilbud 満を持して今回取り上げるのは、サムラ・ママス・マンナ(Samla Mammas Manna)が73年にリリースした2ndアルバム「ごはんですよ!(Måltid)」。サムラ・ママス・マンナ(以下サムラ)はスウェーデンのプログレッシブ・ロック・バンドで、主に70年代に活躍していたバンドだ。 「ごはんですよ!」といえば、「ごはんですよは桃屋ですよ」のCMでお馴染みの海苔佃煮の商品名だが、原題であるスウェーデン語の「Måltid」を日本語に訳すと、“食事” とか “ごはんよ!” とかいう意味らしいので、結構直訳に近い邦題なのであった。 英語圏外のバンドは原題だと理解できる人が少ないせいか邦題が付いていることが多く、サムラのアルバムのほとんどにも「資本主義をぶっ壊せ! -踊る鳥人間-(Klossa Knapitatet)」(74)だの「洟垂れ小僧のシンフォニー(Snorungarnas symfoni)」(76)だのといった魅力的な邦題が付いている。 「ごはんですよ!」発売時のサムラのメンバーはkeyのラーシュ・ホルメル(Lars Hollmer)、bのラーシュ・クランツ(Lars Krantz)、drのハッセ・ブリュニウソン(Hasse Bruniusson)にgのコステ・アペトレア(Coste Apetrea)。 ホルメルさんは08年のクリスマスに60歳で癌により亡くなっている。 サムラの音楽はプログレ(Progressive rock)の中でもRIO(Rock in Opposition)を含むアヴァン・プログ(Avant-prog、avant-garde progressive rock)と呼ばれる、読んで字の如くアバンギャルド(前衛的)な音楽である。 残念なことに私が洋楽を聴き始めた80年代初頭は既にニューロマンティック(New Romantic)が全盛だったため、音楽性より外見勝負のアーティストが多く、その価値観(音楽はルックスとノリ)のままおばはんになってしまったので、こういう技巧派プログレにはよく分からないけど圧倒されてしまう。 知らずに邦題だけ見たらコミック・バンドかな?と思ってしまいそうだが、帯文句どおり演奏力は本当に高い。ただ、所々入るヴォーカルが個人的にはちょっと苦手かも。 そんなサムラ・ママス・マンナに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ 今回はフルアルバムのリンクを貼っておくので、聴いてみてくだされ。おすすめはコステさんの技巧炸裂の1曲目 “歓喜の轟き(Dundrets Fröjder)” かな。 ごはんですよ!(Full Album)
2024.04.14
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松永久秀・斎藤道三・宇喜多直家は、戦国三大梟雄といわれている。 三大梟雄とは小瀬甫庵著「太閤記」で、三人の悪人を指して使われたという。 松永さんは室町幕府13代将軍足利義輝暗殺や東大寺焼き討ちという悪行が有名。織田信長に離反し、最期は平蜘蛛の釜を叩き割って天守に火をかけ自害した。奇しくも東大寺大仏殿が焼き払われた日と同月同日だったという。 「美濃のマムシ」の異名を持つ斎藤さんはといえば、僧侶から油売りとなって美濃の長井家に出入りしていたところを武士として取り立てられ、その後長井氏を不行跡のかどで殺害し長井家を乗っ取った。さらに美濃守護代の斎藤利良が病死すると、その名跡を継いで斎藤姓を名乗り、毒殺などの手段を混じえながら美濃国主を追放し、ついには自らが国主の座に着いた。しかし家臣達により強制的に引退させられ、最期は長男・義龍軍に敗れて戦死した。 そして戦国随一の暗殺大名(ダークヒーロー)である宇喜多さん。 祖父の復讐を果たすため島村盛実を暗殺。舅である中山勝政を暗殺。龍ノ口城主穝所職経が男色好みなのを知っていたため、美少年の小姓を刺客として送り込んで暗殺。姻戚関係にあった金川城主の松田元輝・元賢親子を殺害(元賢の正室であった直家さんの娘も自害)。さらに石山城(のちの岡山城)主金光宗高を謀殺。直家さんに擁立されて9歳で当主となった浦上久松丸(直宗)までも毒殺したという。一体どこまでが本当かは分からないけど。 そんな暗殺マニアともいえる宇喜多さんだったが、“尻はす” という出血を伴う悪性の腫瘍にて岡山城で逝去。 乙子城は岡山市南東部の吉井川河口にあった城で、宇喜多さんが主君だった(のち離反)浦上宗景より最初に任された城であるといわれている。 実家が対岸の川沿いにあるため、家を出るまでの23年間、毎日乙子城跡丘陵を目にしていたのだが、その頃は今ほど戦国武将に興味が無かったので気にも留めなかった。後になって実家に戻った際にはあの丘陵に宇喜多さんがいたのね…と勝手に親近感を抱いて眺めるようになった。 昨年、そんな宇喜多さんが主人公の漫画「殺っちゃえ!! 宇喜多さん」が発売された。作者は重野なおきさん。なかなかダークでヘビィな宇喜多さんの生き様を軽~いタッチで描いていて面白かった。2巻発売を心待ちにしているのだが、いつ出るんだろう? 宇喜多さんといえば、木下昌輝さんの「宇喜多の捨て嫁」もよかった。こちらはシリアスな小説だが、サクサクッと読めつつ読み応えがあった。 今後も宇喜多さんが主人公の作品が増えると嬉しいけど、暗殺場面のオンパレードだとちょっと難しいかな。 「悪霊島」や「悪魔の手毬唄」といった横溝正史作品とか津山三十人殺しとか暗殺大名・宇喜多さんとか、岡山はどうしてこうドロドロしているのだろう。 結構ええ所なんじゃけどなぁ、季候温暖で。まぁ季候は良くても人間性に難があるかもしれんけど…
2024.04.13
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『精神本部』 ロイ・ハーパー 「HQ」 Roy Harper (75) この男 ロイ・ハーパーこそ、ピンク・フロイドの「炎」に主役で登場する陰の大物なのだ!! デイヴ・ギルマー(ピンク・フロイド)、ジョン・ポール・ジョーンズ(レッド・ツェッペリン)、ビル・ブラフォード(元キング・クリムゾン)等のスーパー・スターに囲まれたブリティッシュ・フォークの巨人、ロイ・ハーパーの野心作!!A面 1. ザ・ゲーム - The Game (Parts 1–5) 2. 生命は果てしなく - The Spirit Lives 3. 大人は間抜けなガキと同じ - Grown Ups Are Just Silly Children B面 1. 国民投票 - Referendum (Legend) 2. 忘れないで - Forget Me Not 3. まぼろしの灯り - Hallucinating Light 4. クリケットのお話 - When an Old Cricketer Leaves the Crease 今回はロイ・ハーパー(Roy Harper)の8thアルバム「精神本部(HQ)」を取り上げてみよう。残念ながらこの邦題は既に消え去り、95年にCD化された際のタイトルは「HQ」になっていた。 その「HQ」のライナーノーツにはこう書かれている。 ロイ・ハーパー ―― 必ずこの人が語られる際に出てくる常套文句を、まずは挙げてみる。「ジミー・ペイジ、ポール・マッカートニー、デイヴ・ギルモア、ロジャー・ウォーターズ、ケイト・ブッシュ、故キース・ムーンといった純粋大英帝国構成アーティスト達が皆信奉していた、伝説のシンガー・ソング・ライター」。 他にもレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)が70年にリリースした3rdアルバム「Led Zeppelin III」には “Hats off to (Roy) Harper” というハーパーに捧げた曲があるだとか、ピンク・フロイド(Pink Floyd)が75年にリリースした9thアルバム「炎(Wish You Were Here)」に収録されている “葉巻はいかが(Have A Cigar)” ではちょうど隣のスタジオでレコーディングしていたハーパーが請われてリード・ヴォーカルをとっただとか書かれている。 ロイ・ハーパーは良く知らないけど、お友達の豪華さで語られる人なのだ…気の毒に。 帯にも書かれてあるとおり、このアルバムにはピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモア(David Gilmour)、レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズ(John Paul Jones)、元キング・クリムゾン(King Crimson)のビル・ブルーフォード(Bill Bruford)、それにギタリストのクリス・スペディング(Chris Spedding)や作曲家のデヴィッド・ベッドフォード(David Bedford)等が参加しており、本人よりもバックのメンバー達に惹かれて購入された方も多いのではないだろうか。個人的にプログレには然程興味がないので、この面子の豪華さが今ひとつピンとこないのだけれど。 とはいえこのアルバムは聴いてよかった。特にギルモアさんのギター&ジョーンズさんのベースが奏でる1曲目の “ザ・ゲーム(The Game (Parts 1–5))” が好みかな。ちと長いけど格好いい。“大人は間抜けなガキと同じ(Grown Ups Are Just Silly Children)” もおすすめ。 最初にタイトルの邦題は消滅したと書いたが、曲名の邦題も若干変わっている。 1. ザ・ゲーム (Parts 1–5) - The Game (Parts 1–5) 2. ザ・スピリット・リヴス - The Spirit Lives 3. 大人とは愚かな子供にすぎない - Grown Ups Are Just Silly Children 4. レファレンダム - Referendum (Legend) 5. 忘れないで - Forget Me Not 6. 幻想の光 - Hallucinating Light 7. オールド・クリケッター - When an Old Cricketer Leaves the Crease そんなロイ・ハーパーに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ ザ・ゲーム 大人は間抜けなガキと同じ 国民投票
2024.04.12
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『黄昏のレンガ路』 エルトン・ジョン 「Goodbye Yellow Brick Road」 Elton John (73) 天才エルトンが感性豊かに創り上げたファッショナブルな初の2枚組傑作アルバム!!A面 1. 葬送〜血まみれの恋はおしまい(メドレー) - Funeral for a Friend/Love Lies Bleeding 2. 風の中の火のように (孤独な歌手、ノーマ・ジーン) - Candle in the Wind 3. ベニーとジェッツ (やつらの演奏は最高) - Bennie and the JetsB面 1. グッバイ・イエロー・ブリック・ロード - Goodbye Yellow Brick Road 2. こんな歌にタイトルはいらない - This Song Has No Title 3. グレイ・シール - Grey Seal 4. 碧の海、ジャマイカにおいで - Jamaica Jerk-Off 5. 僕もあの映画をみている - I've Seen That Movie TooC面 1. スウィート・ペインテッド・レディ - Sweet Painted Lady 2. ダニー・ベイリーのバラード(ケンタッキーの英雄の死) - The Ballad of Danny Bailey (1909–34) 3. ダーティ・リトル・ガール - Dirty Little Girl 4. 女の子、みんなアリスに首ったけ - All the Girls Love AliceD面 1. ツイストは踊れない - Your Sister Can't Twist (but She Can Rock 'n Roll) 2. 土曜の夜は僕の生きがい - Saturday Night's Alright for Fighting 3. 歌うカウボーイ、ロイ・ロジャース - Roy Rogers 4. こんな僕こそ病気の典型 - Social Disease 5. ハーモニー - Harmony 今回は英国が誇るエルトン・ジョン(Sir Elton Hercules John CH CBE)の最高傑作とも評される、73年にリリースされた10thアルバム「黄昏のレンガ路(Goodbye Yellow Brick Road)」を取り上げてみた。アルバムタイトルのみならず、曲名にもなかなか良い邦題が付いている。 “Sir Elton Hercules John CH CBE” のCHはコンパニオン・オブ・オナー勲章(Order of the Companions of Honour)の略で英連邦王国の勲章(オーダー)のこと。英連邦王国(Commonwealth realm)とは英国の君主(王)を自国の君主としてとして戴く、独立した主権国家のことで、英・豪・加など15ヶ国が加盟している。そしてCBEは言わずと知れた大英帝国勲章(Order of the British Empire)の5つのランクの内の3番目であるコマンダー(Commander of the Most Excellent Order of the British Empire)の略だ。 ちなみに “ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家” としてギネス記録に掲載されているというポール・マッカートニー(Sir James Paul McCartney CH MBE)のMBEは大英帝国勲章の5番目のランクでメンバー(Member of the Most Excellent Order of the British Empire)である。 やはりエルトンにはグラミー賞5回受賞(34回ノミネート)という輝かしい実績があるから? まぁ実績も確かだけど、1997年9月6日に行われたダイアナ妃(Diana, Princess of Wales)の葬儀でエルトンが “Candle in the Wind” を歌ったこともあるのかな。 このアルバムに収録されている “Candle in the Wind” は邦題の “風の中の火のように (孤独な歌手、ノーマ・ジーン)” からも分かるとおり、元々はマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)に捧げた曲だったが、ダイアナ妃が亡くなった直後から英国内のラジオ局が追悼の意味を込めてこの曲を流していたらしい。葬儀では新たにダイアナ妃に捧げる歌詞に書き直して歌ったそうな。この新たなバージョンは後にシングルリリースされ、世界中で大ヒットした。日本でもオリコン総合シングルチャートで見事1位を獲得したという。 アルバムのタイトルソング “グッバイ・イエロー・ブリック・ロード(Goodbye Yellow Brick Road)” も日本ではMAZDA センティアのCMソングとして聞き覚えのある方は多いのではなかろうか…とはいえ20年以上も前の話だけど。 帯文句にもあるように今作はエルトンの初2枚組アルバムであるが、“土曜の夜は僕の生きがい(Saturday Night's Alright for Fighting)” や “ツイストは踊れない(Your Sister Can't Twist (but She Can Rock 'n Roll))” のようなノリノリの曲もあって最後まで全く飽きさせない。 04年に発売30周年記念デラックス・エディション(オリジナルに4曲追加)が、14年には発売40周年記念スーパー・デラックス・エディション(4枚組CD+DVD)が発売されている。今年(24年)は発売50周年記念のハイパー・ウルトラデラックス・エディションが発売されるかもしれない…って知らんけど そんなエルトン・ジョンに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ 葬送〜血まみれの恋はおしまい(メドレー) 風の中の火のように (孤独な歌手、ノーマ・ジーン) グッバイ・イエロー・ブリック・ロード
2024.04.11
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『タカ派とハト派』 ニール・ヤング 「Hawks & Doves」 Neil Young (80) ベスト・ライヴ「ライヴ・ラスト」で自らの、'70年代を総括したニール・ヤング、待望の'80年代第1弾!! 新たなスタートにかけるニールの意欲を生々しく伝える傑作アルバム!!A面 1. 小さな翼 - Little Wing 2. オールド・ホームステッド - The Old Homestead 3. ロスト・イン・スペース - Lost in Space 4. キャプテン・ケネディ - Captain KennedyB面 1. 秘めたる力 - Stayin' Power 2. コーストライン - Coastline 3. ユニオン・マン - Union Man 4. エヴリ・ネイル - Comin' Apart at Every Nail 5. タカ派とハト派 - Hawks & Doves ブログ右側のFree Spaceに「懐かし邦題アルバム 一覧」を載せた。この駄Blogで紹介済の、昭和時代の懐かしい邦題アルバムのタイトルが一目で分かるようにした。全タイトルを駄記事にリンクしているので、邦題に興味のある方は覗いてみてくだされ。おかしな邦題は徐々に消えつつあるので、忘れ去られる前にしっかり残しておきたい。アーティスト本人がお気に召さなくて消えた(という噂の)邦題もあるようだけど… さて、今回取り上げた「タカ派とハト派(Hawks & Doves)」は80年にリリースされた、ニール・ヤング(Neil Young)の11thアルバムである。 個人的にフォークやカントリーには一切興味が無いので、ニール・ヤングのことは名前ぐらいしか知らない。なので今回、何となく印象的な邦題タイトルに惹かれてこのアルバムを取り上げるにあたりYou Tubeで一応全曲聴いてみたものの…。嗚呼、フォーク(だかカントリーだか)だなぁという感想しか出ないのであった。印象的な邦題とはいっても原題のままなんだけど。 そういえば30年前の94年4月5日に27歳で亡くなったニルヴァーナ(Nirvana)のvo.カート・コバーン(Kurt Cobain)の遺書に、ニール・ヤングが79年にリリースした10thアルバム「ラスト・ネヴァー・スリープス(Rust Never Sleeps)」からのシングル “マイ・マイ、ヘイ・ヘイ (アウト・オブ・ザ・ブルー)(My My, Hey Hey (Out of the Blue))” の歌詞の一節が引用されていたとかで話題になったっけ。 "it's better to burn out than to fade away" ――だんだん消えていくよりも燃え尽きる方がいい――。 まぁカートのことは置いといて、ニール・ヤングはカナダ出身のフォーク、カントリー・ロックのシンガーソングライターで、78歳の現在でも現役で頑張ってらっしゃるようで、昨年暮れには45枚目のアルバムをリリース。いやぁ達者で何より。 クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(Crosby, Stills, Nash & Young)やバッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)のメンバーとしても活躍したそうで、69年にソロデビュー。95年にはロックの殿堂入りを果たしたそうな。 ニュー・ウェイヴ(New Wave)やHR/HMを好んで聴きまくっていた私は、フォークやらカントリーやらの良さが理解出来ぬままおばはんになってしまった。勿論、演歌の魅力も分からない。60代になったらちょっと聴いてみようかしらん…。 そんなニール・ヤングに興味を持たれた方は、こちらをどうぞ♪ 小さな翼 ロスト・イン・スペース タカ派とハト派
2024.04.09
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