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毎年恒例?!のこの時期の家族旅行ですが、今年は息子の卒業記念旅行にもなるしとちょっと奮発してもいいかなと少し前から色々行き先を考えていたのですが。。娘の卒業記念旅行の時に行ったところhttp://plaza.rakuten.co.jp/yuihiromu/diary/200903300000/がよかったので、またそこにしてもいいかなと思ったり、他、ネットで調べてよさそうな宿も色々あったのですが、義父母・妹と一緒に行くとなると、子ども達も成長したため、ワゴン車でも狭くて(後部の3人がけのところが)長距離の移動はしんどいからと言われてしまい、車で行かなくてはいけなところはあきらめることになったのです(×_×;)そして、義妹からの勧め?で旅行社のパンフレットの中から、和歌山までのJR料金込みのプランを選ぶことに。それも、土日しか休めない義妹に合わせて、土曜出発になったのですが、土曜に娘の吹奏楽の春季研究発表会を遠方の会場でしてから出発するというハードスケジュールとなってしまいました。(遠方なので電車で行くことにすると早朝に出ないといけないため、車で送ってあげることになって・・そのまま出番まで待機して終わり次第早退させてもらう娘を載せて帰るという感じになって)JRを使っての旅行になったのも、息子が子ども料金が最後ということで小学校の卒業記念旅行にはふさわしい?旅行になったかもと思っていたのですが、行きも帰りも全員電車で爆睡となりました(^◇^;)(だんなが前日夜に急に腹痛で苦しむことになり(嘔吐下痢あり)旅行の決行事態が危ぶまれるところだったのですが、その点でも電車の旅行にして車の運転をしなくてよかったのは幸いだったかもと思うこともできたのですが)娘はこの日に合わせてウォークマンに嵐の曲を(CDレンタルしまくりで)いっぱい入れて電車中で音楽も満喫してたようでした。(聴きながら途中からは寝てましたが)和歌山に到着後も補助席も使っての送迎バスで宿まで移動ということになったり、翌日もバスを使って遊びに行かないといけなかったので、時間にしばられる感もあったのが、自家用車での旅行ではない経験だったかもしれません。旅行の一番の楽しみ?の食事でのバイキングがある宿を選択していたため、宿自体はちょっと古びた感じだったのが(まだ寒かったのでトイレが暖房便座じゃないのがつらかったです)残念でしたが、メインの食事は焼きたてステーキ(お代わり自由)もあったり、お刺身もあったので、娘も息子も満足だったようでした。温泉もまあまあよかったですしね。翌日はどうやって過ごそうかあまり決めてなかったのですが(サファリパークに行くことにしてもゆっくりできないかなと思ったり、子ども達もそんなに興味がなさそうだったので・・・もっと子ども達が小さい頃連れて行ったことはあったので私達ももう一度という感じでもなかったですし)旅行社でもらった簡易「るるぶ」に載っていた「白浜エネルギーランド」http://www.energyland.jp/に行ってみることに。ちょっとしたアトラクションもあるようで(4Dを駆使したような)子ども達も興味を示していたのですが、日曜ということもあって、混雑していて、パラレルワールドやトリックアートのところでは、落ち着いて写真撮影ができればすごくおもしろいものになる感じだったのが、あまりできなかったのが残念でした。あと、体力測定と体力年齢測定のできる「エネルギッシュの森」にもチャレンジしたりしてたのですが(ここも全部できなかったものの)そこで以前から「私が今でも逆上がりができるかどうか」というのが家族内(特にだんな)で議論されていて、逆上がりはコツだから一度(昔)できたら「できる」と言い張る私と体重が増えてるので昔できても今は「できない」と言い切るだんなだったのですが、なかなか鉄棒が身近になく(あってもなかなかすることができず)実践できずじまいだったのですが、ここに鉄棒もどき(ちゃんとした鉄棒ではなかったのですが)があったことで、やってみせることになったのですが。。結果は見事に惨敗でした(;^_^A アセアセ数年前にする機会があった時はたしかにできたのに(これは息子はできたのを見てたようなのですが、だんなは記憶にないと言うので議論に)とあきらめきれない私に年とってからの数年は身体に大きな違いがでるからなと言われてしまうことに。。腕力はそんなに落ちてないと思うものの、やっぱり体重が増えすぎているのかも(下半身がかなり重くなってる)という現実をつきつけられてしまいました。賭けもしてしまってたので、だんなは大喜びだったんですけれどね(^◇^;)このせいかどうか、旅行から帰ってから数日間、腕が筋肉痛(腕力も落ちてたということですね;)になって、仕事するのもつらい日々だったというおまけつきでした(×_×;)
2011年03月27日
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泣いても笑っても小学校はこれで最後の卒業式でした。それでも、運動会、音楽会などで早朝から並んで場所(席)取りしてきただんなも、今回は気合が入らなかったようで、会場時間より30分前くらいに行くことになりました。私はバスで向かおうとしたのですが、いい時間のバスがなく、早足で歩いて行くことに;なんとか3列目くらいの席に座ることができて、ほっとできたものの、ビデオ撮影も私がすることになってしまい、撮影することに気を取られ、あまり感動することができず、残念でした。お別れ会で号泣?してたママ友のご主人は、ビデオ撮影しながらでもやはり号泣?してたみたいだったんですけれど(笑)そして、卒業式が終わってから、クラスの子で15時にもう一度学校に集合して長縄跳び(お別れ会でした)をする・・ということになったので、ピアノにも行かないといけなかったのですが、時間を変更してもらうことにして、卒業式後早めに実家に連れて行かないといけなかったので、卒業式後に写真を撮ったりしてる間に、一旦私だけ歩いて家に戻って、車で学校まで迎えに行くことになったりもして、大忙しの一日となってしまいました。(見事に靴擦れもできてしまった;)でも、夕食に息子の希望で焼肉の食べ放題(小学生料金は最後ということで)に行くことになり、私もラッキーという感じだったんですけれどね(^^ゞ校長が書いたイラスト(かえるがニックネームなので)校歌の文章を引用したもの↓学年行事の時の写真と、自分の中学に向けての決意表明と先生からと親からのメッセージ↓先生からは「行事や毎日の生活の中で自分のやるべき事に真面目に力いっぱいにやりとげる君の姿をたくさん見せてもらいました。そんな誠実さのある君はたくさんの可能性をもっています。いつでも自分らしく、色んなことにチャレンジしていってね。君の活躍を心から応援しています。」PTA広報誌に載った自画像と将来の夢(夢のない「夢」でちょっとがっかり(^◇^;))↓卒業文集の文章
2011年03月23日
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3月3日に息子の小学校最後の学年行事の「お別れ会」があり、だんなも仕事の休みをもらって参加することに。上の娘の時も恒例で6年生の時には「お別れ会」があり、その時は校内スタンプラリーをしてから、スライドショー(入学時の写真と親からのメッセージを紹介)があったのですが、今回は5年の学年行事の「大縄跳び」が新型インフルエンザの影響で中止になったこともあってか、スタンプラリーの代わりに「大縄跳び」をすることになっていたのです。それが、全員で一緒に飛ぶものだと思っていたら、1人ずつ順番に入って飛ぶものだったので失敗がかなり目立つので、どうしようかと思っていたら、申し込み時にはだんなが出席できるか分からなくて、一人で申し込んでいたため、だんなだけの参加でよくなってほっとすることに(-。-;)そのだんなもちょっと足をひっぱる形(だんなの前に飛ぶ子が下手だったからと言い訳してましたが(笑))になったようだったんですけれどね(^◇^;)そして、スライドショーは、娘の時と同じ役員のお母さん(ちょうど私の子どもと同じ学年にお子さんがおられて、パソコンに詳しい人)が作成してくださったようなのですが、娘の時より進化した形になっていて、すごくよかったのです。娘の時は写真だけの紹介で(赤ちゃん時と入学時の2枚でしたが)親からのメッセージは読みあげる形だったため、子ども達が写真を見て盛り上がっているとメッセージが聞き取れなかったりしてたのですが、今回はメッセージもスライドの中で紹介されていたり、バックミュージックで音楽会の合唱や演奏や選曲センスのある音楽が流れたりして、感動的な、見ごたえのある内容になっていたのです。入学時の写真では誰なのか分からないほど成長した子がいたり(うちの息子含(;^_^A この頃はほんとにかわいかったのに)あまり変わってない子もいたりして、子ども達も盛り上がってましたしね。ママ友のだんなさんも参加されていたのですが、泣いていたようでした。私もうるうるはしてたんですけれど。。うちのだんなも泣けたんじゃないかと思っていたら、最後にクラスごとに児童名が流れるように紹介されていた(ドラマの金八先生のエンディングのように)のですが、息子の名前(苗字の大が木になってた)が間違っていたらしく、その間違いが普段から一番許せない間違いだったため、一気にテンションが下がってしまったようでした A^^;息子だけじゃなく、他にも間違った漢字になってた子もいたようなのですが、せっかくいい企画だったのに、最後の詰めが甘くなってしまったようで、残念でした。(お疲れだったのかもですが)そして、子ども達自身が企画して、卒業式に先生方に「いきものがかり」の「ありがとう」の歌をプレゼントしようと考えて、練習もしてきたようなのですが、校長から卒業式にするのは難しいと言われたらしく、今回、それを披露することにもなり、休み時間や放課後を使って先生に内緒で作成した「のぼり」もあったりと、卒業式にできたらもっと盛り上がったんじゃないかと思うほど、ほんとに感動的なお別れ会でした。3月6日にはソフトのお別れ会があったのですが、監督から(本当の監督は途中で辞めてしまったので、コーチだった方からですが)修了証書や寄せ書き、記念品(名前入りスポーツタオル)などもいただいたり、コーチと1人のお母さんの漫才や、子どもから親へのメッセージ(事前に書くようになってた手紙)の披露など、笑いあり、涙ありのものでした。(1人の子のお父さんが号泣してたもして・・私ももらい泣きしそうだったのですが・・だんなは笑いを取るほうを選んだようでした(;^_^A )お別れ会の後は、親子試合(途中から雨が降ってきてしまって早めに終わることになってしまったのが残念でしたが)などもあって、私もバッティングしなくちゃいけなかったりしていたのですが、見事に凡打でした(手を抜いてくれたボールだったので、当てることはできたのですが、息子は当てることができるとも思ってなかったみたいでした(^ー^;)お父さん、お母さん、チームのみなさんへ今までありがとうございました。ぼくがソフトに入る前は、ルールもあまりしらず、たまに、お父さんとキャッチボールをしたり、バッティングセンターに行くくらいでした。また、学校のスポーツテストはソフトボール投げは、四年の時20m足らずしか投げれず、50m走は五年の時9秒も切れない位おそかったです。でも、ソフトに入って、ルールもだいたい分かり、四年の時の倍くらい遠くに投げれたり速く走れる用(原文のまま・・・(^◇^;))にもなりました。こんな事ができるのもみなさんのおかげだと思っています。ルールを分かりやすく教えてくれたチームのみんな、お父さん。またバットのふり方がおかしい時、あかせコーチや大江コーチが熱心におしえて下さった時もありました。ある時はキャッチボールではじめのころぼくがぼうとうをほりまくっていた時いとうコーチを走りまわさせた時も思い出します。また、朝早くからお弁当を作ってくれたお母さん。そばで見守って下さったりかげでチームのために頑張ってくれたお母さん方、みんな、みんな、感謝の気持ちでいっぱいです。ぼくは、このチームで本当に良かったです本当にありがとうございました。
2011年03月06日
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