1
先週のNHK「歴史探偵」は坂本龍馬の「龍馬の本当のスゴさとは」を3つのテーマを基に今までの龍馬像や歴史を少し覆すような内容でした。先日の日記で1つ目のテーマ「薩長同盟と寺田屋事件」を書いたので今日は2つ目のテーマ「いろは丸事件」です。 いろは丸事件については龍馬の商船と紀州藩の藩船の衝突事故が瀬戸内海上であり紀州藩から多額の賠償金を得たという事ぐらいしか知りませんでした。 左の小さな船が龍馬の商船 左下から上がっています。 番組の中では紀州藩と龍馬の主張が航海図を基に説明があり、船の先端の左右にある赤と緑のランプのうち相手側の赤のランプを先に見た方が衝突を避けるよう進路を変えるというルールがあったようで、紀州藩の主張では左下から進んで来た龍馬の船が進路を変更する義務があったという主張です。左上から下がっています。 一方、龍馬の主張は左上から進んでいるので赤のランプを先に見たのは紀州藩という事になります。これについては航海日誌を検証した結果後に紀州藩の主張が正しい事が立証されているようです。 そして紀州藩からの賠償金7万両(現代のお金で約30億円)の内訳として龍馬が船に積んでいた400挺の「ミニエー銃(フランス陸軍が開発)」の損失がその半分を占めているそうですが、実は銃は船に積んでいなかった事が実証されているようです(穏やかな瀬戸内海の海底からも未だ発見されず) 更に、賠償金の支払いを渋る紀州藩にとどめを刺すように龍馬がよさこい節に合わせて作った紀州藩を揶揄する歌を長崎で広め世論をしっかり味方に付け「金勘定に疎い武士」を逆手に取るように賠償金の支払いさせたようです(龍馬の実家は豪商で武士に多額のお金を貸していた実体験を生かして)『船を沈めたその償いは、金を盗らずに国を盗る♪よさこい よさこい♪国を盗って、蜜柑を食らう♪よさこい よさこい♪晩に来い♪(いろは丸を沈めた賠償金を紀州藩が払わないのなら、戦さをする) 白を黒と言い含め、無い物を有ると良い、現代のSNS以上の情報網で世論を味方に付けるその「策士振り」に龍馬の今までのイメージが崩れるという事は私には全く無く、嘘はいけないという事は百も承知でこれぐらいの交渉術を持つ策士が1人でも現代の日本にいたらいくつか解決出来る難問があるのではと思わされます。 因みに一昨年シンガポールで開催された「Life in EDO 浮世絵展」で江戸時代のお金(両)が現在の円でいくらぐらい?という展示もあって見直してみると馬一頭と刀一鞘が同じ25両(165万円)なので7万両という金額がいかに凄いものであるか実感します(注:馬と刀の円への換算だと7万両は46億円になります)
2023.04.25
閲覧総数 490
2
妻・須美子をモデルにした「休む赤衣の女」1929年頃 個人蔵 芸術新潮4月号にエコール・ド・パリの時代にパリで充実した制作活動をしていた2人の画家「板倉鼎・須美子」について紹介する記事がありました。 冒頭に「モデイリアーニ、パスキン、キスリング、藤田嗣治などが華やかに活躍した1920年代のパリで短くも充実した制作を行った板倉鼎、そしてその妻・須美子のことを知る人はどれほどいるだろうか?」とあり、私もこの2人の画家の名前を初めて知りました。 板倉鼎(1901-1929)は東京美術学校で西洋画を学び24歳で「帝展」に初入選、その年にロシア文学者「昇曙夢(のぼりしょむ)」の長女須美子(17歳)と結婚後、2人は1926年にパリを目指し横浜から船に乗ります。藤田嗣治が単身パリへ向かった13年後の事です。 当時パリでは数百人に上る日本人美術家たちが活動していたようで、中でも藤田嗣治は1919年には既に「サロン・ドートンヌ」に初入選を果たし1922年には日本画に用いる筆も使って描いた「寝室の裸婦キキ」がパリの話題をさらいエコール・ド・パリの旗手として名を馳せていました。 「休む赤衣の女」はパリでの暮らしが鼎に制作の上で大きな影響を与えモダンな画風に変遷し新境地が間近である事を物語る象徴的な1点と説明があります。私には藤田嗣治の影響も大いに受けた1点に見えます。サロン・ドートンヌ入選作の1点「ベル・ホノルル25」1928年頃 一方、日本では音楽を学んでいた妻の須美子は鼎の手ほどきで絵を描き始め、1927年にはサロン・ドートンヌに初入選し、その後も入選を繰り返し藤田嗣治からも称賛されるほど画家としての才能を開花させて行ったそうです。 共に将来を嘱望された2人が渡仏から3年後の1929年に何故帰国を考えたのかは何も書かれていませんが、歯の治療から敗血症を患い鼎は28歳の若さで帰国前に亡くなってしまいます。幼い長女を連れて帰国した須美子は再出発を期し「有島生馬」の元で絵画指導を受けるものの結核を患い25歳で他界してしまいます。 パリで華やかな活躍をした画家たちの陰で埋もれてしまっていた2人の作品や日本に送った多くの書簡が時を超えて2015年、17年に鼎の故郷の千葉県の松戸博物館の「回顧展」で展示され光が当てられたと記事の最後に書かれています。もしかしたら忘却から蘇るべき作品はもっとあるのかもと思いながら、エコール・ド・パリの作品を多く所蔵する「北海道近立代美術館」で「エコール・ド・パリの日本人画家展」を企画してくれたらなぁと思います。 余談ですが、先週の日曜日の「北海道立近代美術館」でのミュージアムトークは「パスキン」についてでした。エコール・ド・パリの時代ロシアや東欧からパリに逃れた来た多数のユダヤ系の1人であった「パスキン」の異郷にある喜びと孤独について学芸員から解説があり「自分のルーツがユダヤ人である事に葛藤し続けた生涯だったのかなぁ」という思いを強くしました。
2024.06.24
閲覧総数 26
3
「Loverary by Feiler」 在星時に日本からサプライズプレゼントを定期的に送ってくれた友人からのプレゼントが札幌にも届き、その1つが犬のデザインのハンカチでした。彼女が大の犬好きである事を思い出したものの付いていた商品説明を読まないまま大切にしまっていました。札幌も日中は暑くなって来てそろそろハンカチの出番と思い説明書を読むとドイツ生まれのブランド「FEILER(フェイラー)」のものでした。「シュニール(蚕などの芋虫の意味)織り」というプクプクとした柔らかで厚みのある質感、優れた吸水・乾燥性の逸品のようで、今日から使い始めようと思います。 ハンカチに並ぶ16匹の犬の顔はどれを見てもパッと名前が出てこないの「ドイツ原産の犬種」を調べると人気の14種類が出てきました。まずは脚の短い胴長の「ダックスフンド」でアメリカ発祥のホットドッグは本来ホットダックスフンドと名付けられたはずというのを思い出しました。球場でファンが熱いソーセージをパンに挟んで食べているのを見た漫画家がその食べ物に名前を付けようとしたけれどダックスフンドの綴りが分からず(Dachshundは確かに難しいです)ドッグで済ませてしまったという話です。他には「ジャーマン・シェパード」や有名な「ドーベルマン」等などですが、どうも写真を見てもハンカチの犬の顔と一致しません。この16匹の犬の名前がすぐ出てくる人は本当に「ドッグ・マスター」です。 フランス人の犬好きは有名ですが、それではドイツでは?と思いこれも調べると「ペット先進国のドイツでは動物は社会に欠かせない一員」と出て来てこれは日本も同じだと思いますが、「犬も社会性のある存在として認識されていて切符さえあれば電車やバスや船等のの公共交通機関を一緒に利用する事が可能(ケージに入れずに)」とあり規制の多い日本とはちょっと違うようです。そして「犬の権利を守るためにも飼育する人は犬税を払う必要がある」には驚きました。 犬の起源も気になって調べてみると「2022年の時では犬は絶滅した東アジアのハイイイロオオカミの集団から家畜化されたと考えられている」とありました。猫に比べても長く人間と共生している犬への愛情は国や状況が違っても計り知れないものがあるんだろうなぁと今日はいつも以上に散歩中の犬をじっと見てしまいそうです(ハンカチもチラッと🐶に見せて)(^^♪
2024.06.25
閲覧総数 16
4
「マリアージュ 神の雫 最終章」26巻目は昨年の12月発行なので、日本より半年ほど遅れて全冊70冊を読み終えました。手元にある「神の雫」の1巻目は2009年の第12冊発行なので、最初の発行から4年後に読み始め約10年間で読み終えたことになります。帰省の時に纏めて買ったり友人や家族にシンガポールまで送ってもらったり、それだけでも思い出があります。 改めてこんな凄いワインの本(教科書以上)をリアルタイムで読むことが出来たことに、原作者の亜樹直さん、作画のオキモト・シュウさん、講談社に感謝します。 神咲雫と遠峰一青との「12使徒対決」を描いた「神の雫(全44冊)」の42巻目から44巻目までを購入し応募した人に「裏使徒12本」について書いた「ライナーノーツ」を差し上げますというのを締め切り後に見つけ、ダメ元で「シンガポールに住んでいるため見るのが遅れて~」と理由を書いて「ライナーノーツ」を実家に送って欲しいとお願いの手紙を講談社に送りました。 諦めかけていたところ実家から届いていると連絡があり、郵便でシンガポールに送ってもらったという思い出もあります。 最終となる26巻目を読み終わった後、どんな気持ちになるだろうと正直ドキドキしながらページをめくっていきました。 一番衝撃だったのはやはり遠峰一青の「死」です。13本目となる「神の雫」をブルゴーニュで見つけ、神咲雫との表現対決で引き分けとなった後、全てを燃やし尽くしてしまったかのように・・・愛するローランが彼の子を宿していたこと、遺骨はブルゴーニュにというメッセージ、遺言として神咲雫に渡された手紙など、決してこれで完結ではなく「新たなワインへの旅」という未来に向けた遠峰一青の熱い熱いワインへの思いが伝わって来て、想像以上の素晴らしいエンディングでした。 しばらくはこの余韻に浸っていたい気持ちです。
2021.07.21
閲覧総数 6932
5
原田マハ著「リボルバー」でゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは弟のテオがパリで護身用に所持していた銃という設定です。ゴッホのかねてからのお願いでアルルで共同生活を送ることになった画家ゴーギャンにテオがゴッホと何か諍いが起きた時の護身用として(弾は装填せずに)送ったのが、実はゴッホの依頼で弾を一つだけ装填してゴーギャンに郵便で送られたという流れです。そしてゴーギャンはその銃をアルルを去った後タヒチにも持って行きます。 タヒチから一度フランスに戻って来たゴーギャンはゴッホから自殺をほのめかす手紙を受け取り、1890年7月27日ゴッホの終焉の地「オーヴェール・シュル・オワーズ」にゴッホの身を案じその銃を持って訪れます。リボルバーに弾は装填されていないと信じていたゴーギャンがゴッホとの言い争いで自殺を装うように銃を自らのこめかみに・・。そしてゴッホとの揉み合いからゴッホの脇腹に~というのは説得力がありました。 思い出したのが同著の「たゆたえども沈まず」でその中でもやはりリボルバーはテオがゴッホとの諍いがあった時にと所有していた物で、ゴッホがパリからアルルに移ってしまった後は鞄に入れていたのをすっかり忘れていました。その鞄をたまたまサン・レミからパリに戻りオーヴェール・シュル・オワーズに向かう朝にテオから借りる事になりゴッホはリボルバーの存在を知る事になります。その後鞄だけはパリでテオに返却するもののリボルバーはそのままゴッホが所持し悲劇へと繋がって行きます。 通説はリボルバーはゴッホが終焉の地で寝泊まりしていた「ラヴ―亭」の経営者が所持した物でそれをゴッホが持ち出し、数年経って農婦によって偶然発見され元々の所有者であるラヴ―亭に返却され店に一時展示されていたという事のようです。 原田マハ氏があくまでもリボルバーはテオの物であったという設定は、特にテオがゴッホの死から半年後に衰弱死する事などからも妙に納得させるものがあります。「ヴァエホの肖像」 小説「リボルバー」ではそのリボルバーとゴーギャンのタヒチでの最後の愛人だった「ヴァエホ」の肖像画がヴァエホの娘「エレナ」にそして孫の「サラ」に受け継がれて行くという展開です。ゴッホの死に直接関係する銃なのか確たる証拠がないなか、サラが出品してお金を得たいと思った理由は・・。 『ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは2019年6月19日、パリの競売会社オークション・アートによって競売にかけられ、約16万ユーロ(約2千万円)で落札された』で小説「リボルバー」は締めくくられています。 リボルバーや自殺か他殺かというのはゴッホに纏わる永遠のミステリーとしてもう解明される事はないのではと思いますが、だからこそ一層ゴッホの絵が永遠に輝き続けるのだと思います。【追記】2024年6月9日死の2か月前からゴッホが滞在していた「ラブー亭」3階の屋根裏部屋(芸術新潮から) 「芸術新潮」4月号の「原田マハのポスト印象派物語 ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ」をやっと読み始めました。ゴッホ最終の地「オーヴェール=シュル=オワーズにゴッホを訪ねる」に「7月初旬のパリでのテオとの口論やその後のガシェ医師との仲たがいが確認されてはいるものの、死の真相はいまだに謎のままである。21世紀に入ってからは他殺説も提唱され、2019年には自殺に使われたという拳銃がパリのオークションで落札された」とあります。個人的には原田マハ著「リボルバー」に描かれたゴッホの死の原因の大胆推理に信憑性がある気がします。
2023.10.16
閲覧総数 1688
6
明日の「ヴィノスやまざき」でのイタリアワインテイスティングのためにシンガポールで飲んだイタリアワインを州別に復習しました。【イタリア北東部「ロミオとジュリエット」の舞台の街ベローナがあるヴェノト州】①陰干し葡萄で造られる高級赤ワイン「AMARONE(アマローネ)」葡萄品種はコルヴィナ、ロンデイネッラ。 ②アマローネより手軽な値段で買える赤で発酵が終わり搾りかすの残るアマローネの樽に普通のワインを注ぎ、2~3週間ほど熟成させる製法「RIPASOO(リパッソ)」のワインで葡萄品種はコルヴィーナ、ロンデイネッラ、メルロー、カベルネソーヴィニヨン等。③ブルゴーニュのピノ・ノワールと同じ品種「ピノ・ネロ」100%で造るロゼは辛口ながらも程よい甘さが長く残るワイン。③シャンパンに次ぐ売り上げを上げるイタリアのスパークリング「PROSECCO(プロセッコ)」もこの州のワインでした。使用を許可されている葡萄品種はグレラ、ルンガ、ヴェルディゾ、シャルドネ、ピノ・ノワール等。 【赤の筆頭「バローロ」を産するイタリア北西部の「ピエモンテ州」】①バローロの葡萄品種はネッピオーロ100%、最低熟成は38ヵ月(リゼルヴァ表記は62ヶ月)で持ち寄りパーティーで数回しか飲んだ記憶がありません💦明日のテイスティングには必ず出てくる1杯である事を願って🍷②意外に秀逸な白ワインが多い州で葡萄品種コルテーゼ100%で造られる「GAVI」はフランスの白とは一味違う辛口すっきり感が特に気に入っていました。そして「ロミオとジュリエットのハッピーエンド版」が残る村の逸話もまたワインの美味しさを引き立てます。『フランク王国の王「クロドメール(6世紀頃)」の娘「GAVIA(ガヴィア)」は父親の警備係の男と恋に落ちます。身分の違いを理由に結婚の許しを得られず、2人は駆け落ちしアルプスの反対側にある小さな村に辿り着きます。泊った宿で美味しい白ワインを頂き、美酒に酔いしれた2人はこれまでのことを宿の主人に話します。ところが宿の主人は同情を見せながらもクロドメール王に2人の居所を教え、おまけに莫大な報奨金まで受け取ります。連れ戻された2人はそれでも陳情を続け、それに負けた王はついに2人の結婚を認め、お祝いに小さな村を2人に与え彼女の名前に因んでその村は「GAVI」と名付けられました。』 【番外編としてイタリアのブーツの踵に当たるプーリア州】 葡萄品種「Primitivo(プリミティーヴォ」はシンガポールで気に入っていたイタリアレストラン「CARUSO」でブラータチーズ、生ハム、水菜のピザに合わせてよく飲んだワインです。実はオーナー兼シェフがこの州の出身で後でこのワインを特に勧める理由が分かった次第です。 トスカーナやシチリア等など、銘醸ぞろいのイタリアワインで果たして明日は自分の予想とぴったり合うワインに出会えるかどうか日記の内容もしっかり頭に入れて参加予定です。
2024.05.08
閲覧総数 76
7
NHK札幌で9日まで開催の大河「光る君へ 全国巡回展」に昨日行って来ました。まひろ(紫式部)の実物の衣装(白地に鳳凰のデザイン)や鳳凰が描かれた扇の展示、撮影現場をVR体験できるコーナー等、興味深い物が多々ある中で特に目を引いたのはドラマの衣装デザイナー「諌山恵実」さんの紹介パネルや登場人物の衣装の画像コーナーでした。ブログにコメントを寄せてくれるアストロメリアさんが「十二単」が好きで人形用に手作りの十二単を作っているという事もあります。 清少納言 20歳 春 倫子 21歳 初夏定子 14歳 普段着 諌山恵美さんについてのパネルには「実際の仕事はカラーコーディネートで色目などを提案させて頂く仕事です。探り探りですが提案した色を衣装に反映して下さっているのを目の当たりにしてこの作品に関わらせて貰っていると実感し始めています」と試行錯誤の様子が伝わります。 そして「平安時代の色使いは果てしないというイメージがあります。ただ勉強していくと季節感を出す色合いとか決まり琴も結構ある事が分かり、それでは色が限られてしまうのでスタッフと相談の結果季節感は一旦忘れ、人物ごとにテーマカラーを決めるという方針になり自由度が増し助かっています」と続きます。 画像で説明のあった清少納言、倫子、定子の衣装をじっくり見てみると、袴の赤色は共通なので表着(うわぎ)や唐衣(からぎぬ)に人物のイメージを反映させているのだと思います。 色合いについては大体6色ほどで詳細に「極薄紅」「極々薄紅」「やや濃紅」など細かい色分けに色目に対する思い入れが伝わります。今まではストーリーを追う事や表情などの演技を見る事に夢中になっていて衣装をじっくり見る余裕が無かったので、これからは道長の娘「彰子中宮」の衣装も勿論しっかり目を凝らして見ようと思います。 ところでパネルの1枚「知っていますか?紫式部」に「百人一首」に選ばれた紫式部の和歌が紹介されtていました。紫式部と言えば「源氏物語」で、この和歌は見覚えがあっても紫式部の作とは知りませんでした。「めぐりあひて 見しやそれとも わからぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな(久しぶりに会ったのに、本当にあなたかどうかも見分けられないうちに、雲に隠れるよ夜更けの月のように去ってしまいましたね」「あなた」はやっぱり道長なのかなぁ・・。そうそう清少納言の和歌は百人一首にはないですよね?
2024.06.04
閲覧総数 69
8
今朝のネットのニュースで、村上春樹氏の作品が「AMAZON オーディブル(日本語では初)」によるオーディオブック制作が決定し、10作品のうち3作品が今日(6月1日)から配信というのを知りました。 「海辺のカフカ」 故「蜷川幸雄」氏 演出 作品1:「ねじまき鳥クロニクルー第2部 予言する鳥編」の朗読を「藤木直人」さんが担当とあり、2015年にシンガポールでも舞台公演された「Kafka on the Shore(海辺のカフカ)」を思い出しました。藤木直人さんは家出したカフカ少年が四国で辿り着いた図書館の司書「大島」さん役で、トランスジェンダーという難しい役を実に爽やかに演じていて今でも強く印象に残っています。村上春樹作品への思い入れも人一倍あると思うので、朗読にも大いに期待するところです。 作品2:「職業としての小説家」の朗読は私にはちょっと意外な「小澤征悦」さんです。コメントには「高校生の時からずっと村上春樹作品が大好きで、村上氏の声が詰まったこの本を朗読させてもらえることになって物事を突き詰める姿勢や行動力など改めて気づかされることがあった・・」とあります。私自身は2016年に読んでちょうどそろそろ読み返そうかと思っていた時でした。何故日本の文壇に属さずにここまで小説家として成功するに至ったかについても納得させられる一冊で、人生の指南書的なところもあります。 作品3:「蛍・納屋を焼く・その他の短編」の朗読は「松山ケンイチ」さんです。「納屋を焼く」は韓国の「イ・チャンドン」監督によって2019年に映画化されています。 以前に何かで村上春樹氏は「映画化されない(出来ない)ような作品を書いていきたい」とインタビューに答えていましたが、意に反してか今年は「短編集 女のいない男たち」の一篇「ドライブ・マイカー」が素晴らしい脚本と脚色でアカデミーの「国際長編映画賞」を受賞したり、さらに注目度が上がっている感があります。 ハルキストの端くれとしては、今年こそ村上氏自身は「特に欲しい賞ではない」と言っている「ノーベル文学賞」を受賞して欲しいなぁと勝手に期待が高まっています。
2022.06.01
閲覧総数 130
9
「週刊美術館 ゴッホ」を読み返していてゴッホの名前を日本に初めて雑誌で紹介したのが森鴎外(1862-1922)である事を知りました。1910年に「雑誌スバル」の中に「最近ヨーロッパで注目を集めている画家としてゴッホの人生には触れずにそっけない様子で・・」とあります。「舞姫」の著者で有名な森鴎外は東京大学医学部を卒業後、衛生学を収めるため政府からドイツ留学を命じられ1884年から1888年(ゴッホがアルルに移った年)までのドイツ滞在中にヨーロッパの絵画にも関心を持ち帰国後も情報を収集していたようです。 「芦屋のひまわり」1888年 1921年「中央美術」に掲載のゴッホの記事 そして鴎外の記事から半年後に雑誌「白樺」でゴッホが取り上げられ白樺派を代表する作家「武者小路実篤」を中心にゴッホの絵よりもその生きざまへの関心、共感、憧れが綴られ多くの青年たちの間で「ゴッホ熱」や「ゴッホ神話」が広まり、引いては「白樺派美術館館(実現せず)」建設構想まで持ち上がったようです。そして美術館建設の協力を依頼された白樺派のパトロン的存在であった大阪の実業家「山本顧彌太」が1919年に7万フラン(現在の価格で約2億円)で「5本のひまわり」購入へと繋がっていきます。美術館構想の挫折後、東京と大阪で3回展示され、その後は芦屋の山本顧彌太宅で保管されていたこの絵は第二次世界大戦中の芦屋空襲で焼失してしまいます。 焼失から42年後の1987年、当時バブル絶頂期だった日本で「安田火災 東郷青児美術館(現在はSOMPO美術館)」の入館数を増やす目的で約53億円で購入された「14本のひまわり」は贋作ではという疑惑も1999年にはアムステルダムのゴッホ美術館の学芸員からは真筆との実証を受け、日本にある数少ないゴッホの絵として安泰なのかと思っていましたが、この絵のウィキペデイアの説明の中に今年1月のネットの記事があり「ひまわりの返還を求めSOMPOを提訴」のタイトルに驚きました。記事の内容は第二次世界大戦中にこの絵の所有者であったドイツ在住のユダヤ人銀行家の遺族がアメリカの地裁に「ナチスドイツの迫害で強制的に売却させられた」と訴えSOMPOに対して絵画の返還と損害賠償金として約1000憶円の支払いを命じているという内容でした。当然SOMPO側はオークションで公式に購入した所有権を全面的に擁護していくと記事にありますが、アルルで描かれた7枚の「ひまわり」のうちの2枚にこんな物語があり、そして現在にも繋がる関心事になっている事を知ると感慨深いものがあります。
2023.05.27
閲覧総数 328
10
14日放送のNHK「ファミリー ヒストリー」は俳優の草刈正雄さん(1952年生まれ)で、父親が米軍の人だったという事は私も知っていました。生前に夫「ロバート・トーラー(1930年生まれ)」について「朝鮮戦争で亡くなった」事以外にほとんど語る事が無く、写真も全て焼いてしまったと言う母親のスエ子さんが亡くなった後、父親について知りたいという気持ちが募っていったそうです。苗字のトーラーも英語の綴りが分からず、やっと出身がアメリカのノースカロライナ州である事を探し当て、ニューヨークにある調査会社が半年間かけて10年前に亡くなっていたロバート・トーラーさんの姉「ジャニタさん(97歳)」と彼女の息子「ジェイさん」に手紙を送った事で草刈正雄さんのファミリー ヒストリーが始まりました。 軍人家族で育った父のロバートさんは18歳でアメリカ空軍に入隊し、福岡にある基地に配属となりスエ子さんと偶然の出会いから恋に落ちた経緯、実際に朝鮮戦争時(1950-1953)は朝鮮に行っているけれど無事日本に戻っていた事、その後でアメリカへ戻る決意をしたと説明がありました。 母親のスエ子さんが1人で正雄さんを出産後様々な困難があり、ジャニタさんや親族に宛てた救いを求める手紙も紹介され、それに対して母親と子供の無事を祈る事しか出来ずその思いをずっと胸に隠し持っていたジャニタさんの肩の荷が下りたような表情も印象的でした。父 ロバート・トーラーさん 特に目の辺りが完全に父親似で身長が193㎝というのも遺伝子がしっかり草刈正雄さんに受け継がれているようです。 番組を見ながら思い出したのはミュージカル「ミス・サイゴン」でベトナム戦争時のアメリカ兵とベトナム人女性の引き裂かれた運命をを描いた作品です。ニューヨークでこのミュージカルを見たのはもう27年前ですが、その時切なさで流れた涙の事は未だ忘れられません。英語があまり分からなくてもストーリーは分かりやすく、実物のヘリコプターが舞台に登場する豪快さにも度肝を抜かれました。「ミス・サイゴン」の結末はアメリカに帰ってしまった夫に子供を連れて会いに行き、そこで平和な温かい家庭を築いているかつての夫を見て結局は自殺をしてしまうのですが、スエ子さんのようにたくましく生き延びて欲しかったという思いが今更ながらに湧いてきました。 「ファミリー~」の最後ではロバートさんが日本に残してきた妻と我が子について回りの人達にほとんど語る事は無かったという事実に、草刈さん自身もジャニタさん達の招きに応じてアメリカに行く事に躊躇があったそうですが、訪問を決意して初めての対面の様子が続編として放送されるそうです。血の繋がりとか家族とかその周りの人達がずっと抱えて来た思いとか、余韻を残すファミリー ヒストリーでした。
2023.08.16
閲覧総数 626
11
今朝のNHK「日曜討論」は今日と明日韓国で開催される「日中韓首脳会議」がテーマでした。1999年小渕元首相の提案で始まったこの3か国の会議(会談とかサミット等の記載もあります)は前回の2019年から4年半振りの開催です。改めて4年半と言えば「米中の経済戦争」など世界情勢は大きく様変わりしています。 番組では首脳会議で議題となる3つの大きなテーマのうち「台湾問題」「経済協力」で大半の時間を割き、最後に「拉致問題を含む北朝鮮問題」について討論となりました。今や世界経済に多大な影響を与え北朝鮮に強い影響力を持つ中国をどのように動かすか岸田首相と政府ブレインの手腕が問われる時なのかと思います。 番組を見た後で過去の日中韓首脳会談について調べてみると第2回目の2001年から2004年までは小泉元首相が出席していました。それで思い出すのは2002年7月に金正日国防委員長との間で開催された第1回目の「日朝首脳会談」で、その会議上北朝鮮側に拉致が実際に行われた事を認めさせています。そしてその3か月後の10月には拉致被害者5名を帰国させるという対応の素早さでした。以前気になって当時の記事を検索しても小泉元首相の指揮による政府ブレインの周到な根回しの結果とだけで詳細については勿論書かれていませんでしたが、今日の日曜討論を見ていてふと日中韓首脳会議での小泉元首相の中国への効果的な働きかけのような事がなされたのかなと推測してしまいます。 中国も北朝鮮が他国の言う事に耳を貸す気が無い事に諦めムードがあるようですが、番組では中国からの穀物依存の高い北朝鮮に経済制裁のようなものを課す方法もあるのではという意見も出ました。今日、明日の会議で拉致問題が即解決へとはならなくても、少なくても2002年と2004年の2回だけ小泉元首相の元で行われた日朝首脳会談の3回目が岸田首相の元で年内に行われる「道筋」をつける事が出来るのか岸田首相と政府ブレインの手腕が大きく問われるのだと思います。 先月拉致被害者家族がアメリカを訪問し「政府と議会関係者に支援を求める」というニュースを見ました。被害者の「時間が無い。時間は味方しない」という言葉には胸つまるものがあります。未だ北朝鮮と国交がない日本とアメリカ・・。日本は大いに中国の力を利用するべきと痛感します。
2024.05.26
閲覧総数 82
12
1863年パリで開催されたサロン(官展)に出品した5000点のうち3000点が落選し、その落選した絵画の展示会「落選展」は「ナポレオン3世(1808-1873)」が画家達からのクレームを受けての企画でした。 叔父にあたる「ナポレオン1世(1769-1821)」の失脚によって亡命生活も送ったナポレオン3世は1848年には「第2共和政」の大統領に当選、1852年に「皇帝」に即位し1870年の普仏戦争で捕虜になるまではその座に君臨することになります。 このナポレオン3世の従妹の「マチルド・ボナパルト(1820-1904)の存在を原田マハ著「たゆたえども沈まず」で初めて知りました。「マチルド・ボナパルト」 ネットの画像から。 小説の中ではパリの自宅で盛大な「サロン」を開き、様々な国の豪商や著名人を招いていたとありますす。その招待客の中に当時パリで主に「浮世絵」を扱い活躍していた日本人画商「林忠正」がいました。フランス語を巧みに操り芸術に造詣が深い彼に対してマチルドは一目置いていたようです。そして林忠正が惹かれていた画家の一人が「ゴッホ」です。 マチルド・ボナパルトの人生を調べてみるとなかなか興味深い事実が出てきます。12歳年上のナポレオン3世(当時はルイ・ナポレオン)と会ってお互いに一目惚れをし婚約を交わしています。 ところが1836年、政治上の理由でルイ・ボナパルトが逮捕され婚約は破談、結局マチルドはロシアの大富豪と政略結婚をします。しかしその夫の暴力のため別居を決め慰謝料を含めた仲裁に入ったのが当時のロシア皇帝「ニコライ1世」です。ニコライ1世はマチルドの母の従妹にあたります。 ニコライ1世の仲裁で莫大な慰謝料を得たマチルドはパリに戻り、愛人と共に暮らし豪勢なサロンを開きながら生活を満喫していたようです。 そしてそのサロンでナポレオン3世はスペインの貴族の娘と出会い結婚することになります。マチルドは激怒したとあるのはやはりナポレオン3世への忘れがたい思い、女心なのかなと思います。ただ結婚するまではマチルドは公式の場で皇后の役割も果たしていて、一時ナポレオン3世の結婚で険悪な雰囲気が流れたとしても終生仲が良かったようです。 豪勢なサロンを開き美術界にも鋭いアンテナを張っていたであろうマチルドが当時は酷評されていた「印象派」の画家たちの絵を強くナポレオン3世にも薦めて「落選展」への開催に繋がったのかなと想像します。 マチルド自身はロシア人の夫(離婚はしていなかったようです)が亡くなった後、美術史家であり詩人の男性と再婚し、また「落選展」から名前を変えた「印象派展」の第1回目はナポレオン3世が亡くなった翌年の1874年に開催されています。
2021.05.20
閲覧総数 345
13
フリーペーパー「SingaLife」5月25日号に「シンガポールの出入国審査 2024年からパスポート不要に」の記事があり、2020年1月以降飛行機に乗っていないのでチャンギ空港でどのように出入国審査をしていたのか思い出すのに時間がかかりました。 シンガポール人と外国人在留者はともに有人カウンターではなく「自動レーン」と呼ばれるパスポートを読み取る機器にパスポートを置き、親指を別の機器に押し付け指紋で本人確認をしOKであればゲートが開き進むと空港スタッフがパスポートと航空券をチェックするというシステムで最速で1分以内だったと思います。 外国人旅行者はこの自動レーンは使用出来なかったのですが、JETROの記事によると昨年の5月から51ヶ国の国・地域からの渡航者はこのシステムが使用可能になっているので以前よりは行列があるのかもしれません。 そしてパスポート不要の新しいシステム「自動化国境管理システム(ABCS)」は2024年第1四半期(1月~3月)から約800基の導入予定で順次有人カウンターから置き換えて行くようです。顔や指紋などの生体情報に基づき本人確認する事で更なる効率性と高い安全性が可能になるそうです。 チャンギ空港の利便性については20年前に来星した時から既に実感していますが、世界中の主要な都市への直行便や便数が多い事、空港までの公共交通機関の充実やタクシー料金の安さもあります(重いスーツケースを持っている時には特に)同じくJETROの記事に今年度3月のチャンギ空港を利用した旅客数が463万人となり2019年3月の82%までに回復したとあります。ポストコロナで今後更なる旅客数の増加が見込まれるので空港での審査時間の短縮というのは世界各国の空港の大きな課題なのだと思います。空港はある意味その国の窓口で、以前に入国審査のあまりに長い行列に辟易したいくつかの国の記憶がありますが、これももうすぐ遠い昔話になるのかもしれません。 2024年の新しいシステム開始の時はちゃんと出来るかな?とかちょっと早い心配もありますがまずは年内中に飛行機に乗らなければと・・。どこの国も同じような状況と思いますが、毎日の生活の中でセルフレジがどんどん増え待ち時間が少なくなって良かったぁと思う反面、レジのスタッフは解雇されたのかなぁとか人が徐々に徐々に少なくなっていく事(キャッシュレス化も進み現金受け取りお断りの店も増えて来て)何だか一抹の寂しさも感じたりしています。
2023.06.04
閲覧総数 148
14
以前からずっと気になっていた「本の黄ばみ」の謎が昨日のNHK「チコちゃんに叱られる」で一気に解けました。時間が経つと本が黄ばむのは紙の原料となるパルプ(機械パルプ)を木をすりつぶして作っているからで、機械パルプにはセルロース(約50%)ヘミセルロース(約25%)とリグニン(約25%)が含まれ、この3つの成分のうちリグニンが黄ばみを発生させる物質だそうです。 このリグニンを化学物質を使って無くした紙が化学パルプと呼ばれノートやコピー用紙に使われているそうで、確かにコピー用紙が黄色や茶色に変色したのをあまり見ない事に気が付きました。 番組では「それでは本も化学パルプで作れば?」という疑問にたいして、出版業界が紙選定でかなり重要視する「紙の手触り感」を挙げていました。化学パルプで作った紙はつるつるしていて本をめくる時のあの絶妙な指感覚が出ないという説明でした。 漫画「神の雫 第1巻(2009年 第12刷発行)」はカバーはつるつるで全く変色がありませんが、中のページは茶色のしみや黄ばみがほぼ全ページにあります。 ちょうど本帰国前に日本に持ち帰らない本の処分と考えていて寄贈しようと思っているのですが、シンガポール日本人会からの本の寄贈に関するメモには下記のように書かれています。「受付できない本」*教科書*シミや黄ばみ、カビ等の汚れが付着している本*保存状態が悪く、茶色く変色している本 思い返せば日本でも本の変色はあったと思うのですが、高温・多湿のシンガポールだから変色するのかと以前定期的に陰干しもしましたが効果はなくどうしてだろう?と疑問に思っていたので謎が一気に解決した感じです。私も本の手触り感は重要だと思うので変色は本の運命と思って廃棄処分もしょうがないのだと納得です。
2023.10.21
閲覧総数 168
15
1854年8月2日(旧暦7月9日)は薩摩藩主「島津斉彬(1809-1858)」の進言によって外国の船と区別するための船舶旗の「日の丸」が江戸幕府の老中によって正式に布告された日だそうです。1854年と言えば前年に「黒船来航」があり「日米和親条約調印」によって下田と箱館の2港を開港して200年あまり続いた鎖国が終わった年でもあります。 名君と謳われた島津斉彬は鹿児島城から見た「桜島」から昇る太陽の美しさを見て「これを国旗にしたい」と言ったエピソードが「百田尚樹」著の「新版 日本国紀 下」に書かれています。「昇平丸」ネットの画像から。 島津斉彬と言えば2018年の大河「西郷どん」で渡辺謙さんが演じてあまりのはまり役に今でも強く印象に残っていますが、長州藩や佐賀藩等と競い合うように日本の近代化装備に力を入れ、佐賀藩に先がけ日本初の西洋式軍艦「昇平丸」を建造し(ジョン万次郎の助言も受けて)江戸幕府に献上する航海で「日の丸」が掲げられたそうです。平氏 源氏 ただ日本国旗の起源に関しては古代から太陽が神聖視されたことから日本書紀にも記録が残っている長い歴史のあるものですが、12世紀の源平合戦で使われた旗は源氏の「白地赤丸」と平氏の「赤地金丸」だったそうです。「源頼朝」を崇拝していた「徳川家康」によって公用旗として江戸時代に広く使われるようになったというのは容易に想像ができます。 話を近代化に戻して、大砲、兵器、船など多くの物は実は庶民(無学な仏壇職人も出てきます)が外国の図面を見ながら試行錯誤の上に造り上げた物が多くあるということを百田尚樹氏の本を読んで知り、16世紀の鉄砲伝来後にポルトガル人が舌を巻くほどの正確さで日本で鉄砲を造り上げて行ったというアジアでは類を見ない歴史に始まり、日本の物造りを支えた基盤、土壌や日本人の知力の底力には本当に驚かされます。
2022.08.02
閲覧総数 194
16
明後日の「ワールドカップ」日本対コスタリカ戦を控えて熱狂の中でもプロ野球関連で興味を引くネットの記事がいくつかありました。 左のグラフは「日本のプロ野球(赤線)」「サッカーの日本代表(青線)」「Jリーグ(緑線)」のファン人口の推移で2013年から2022年までのグラフです。赤線のプロ野球は少しずつ減少しながらも未だ国民のスポーツとしてしっかり定着している感があります。 右のグラフは「球団別プロ野球ファン人口のランク」で15歳から69歳までの年齢階層別のファン率x年齢階層別人口を算出し合算(令和4年の総務省の住民基本台帳に基づく)した結果で、1位は阪神、2位が巨人、3位が広島と既に昔の言葉と思っていた「人気のセ、実力のパ」を裏付ける結果でした。4位にソフトバンク、5位が「日ハム」というのが日ハムファンにとっては嬉しい限りです。 そして日ハムファンとしては今一番気になっているのは「近藤健介」選手の動向です. パリーグ5球団での争奪戦になっていますが、勿論新庄監督も「彼はチームをまとめる選手。例えばファイターズで6年契約をした時に将来は監督としてやれる人間だから、4年後に自分でプランを考えながら選手として勉強しながらプレーと一緒にやっていく人間、そういう意味でも残って欲しいということは伝えた」と残留を強く強く希望しています。そして「後はもうコンちゃんが一生懸命やって取ったFAというのをオレがいかないでくれとは言えない。自分の人生は自分で決めて欲しいということを話した。待ちましょう」と締めくくっています。 ここまで期待される野球人生・・凄いとしか言いようがありません。近藤選手自身は時間をかけて決めたいと言っているようで、どんな結果になっても近藤選手を応援する気持ちには変わりはなく、将来本当に日ハムに近藤監督が誕生する日を待ちます。 そしてスカパーJSATがワールドカップカタール大会前に実施した2022年「今年MVPだと思うスポーツ選手」10人の中に、1位大谷選手、2位村上選手の他にプロ野球選手が3名入っていて、やはり野球の根強い人気を実感します(3位が羽生結弦さん)来季も元気と感動をもらえる事を願って!
2022.11.25
閲覧総数 444
17
6月14日、エスコンでの巨人戦。3号ソロホームラン!(2対7で負けましたが💦) 今朝のテレビのニュースで日ハムの水谷瞬選手(23歳)が満場一致で交流戦のMVP(最優秀選手賞)を受賞した事を知り朝から気分が盛り上がりました。 日ハムファンとしては「良く打ってくれるなぁ」と思っていましたが、18試合中16試合で安打を打ち、打率が史上最高の4割3分8厘、安打数28、出塁率4割7分1厘は12球団で1位という結果の受賞です。 今年3年目の新庄監督の采配についても評判は上々で、特に若手選手の起用への評価が高いのは嬉しい限りで、最近の「躍動するインド」のニュースを見ると「躍動する日ハム」と結び付けてしまいます(どちらも若さがキーポイント!)今年ソフトバンクから日ハムに移籍した水谷瞬選手については野球中継中の解説で「ソフトバンクでプレーした昨季は8月以降は3割越えの打率を残しても1軍に昇格する事はなかった」というのを何度も聞き、自分を磨きアピールする力や監督を始め球団側の判断が想像もしなかった結果をもたらしてくれるのだとちょっとしみじみもします。 そして交流戦はサプライズとも言える「楽天」の優勝で、2005年に始まった交流戦の優勝経験球団は8球団となりました。ソフトバンクが断トツの8回優勝、巨人/オリックス/ロッテ/ヤクルトが2回、日ハム/DeNA/楽天が1回です。優勝経験のない残り4球団が来年の優勝を勝ち取るのか、気が早いですがこれも楽しみになってきました。 「活躍は交流戦だけだったと言われないように、リーグ戦再開からもチームに貢献出来るように全力で頑張ります」と受賞後の水谷瞬選手の言葉に大いに期待し、こちらも気持ちを切り替えて明日からのリーグ戦を熱烈応援です。現在日ハムは勝差ゼロでロッテに次ぎ3位、交流戦優勝で勢いに乗るであろう楽天とは勝差2ゲームです。今季は何とかCSへ進出して欲しいと心底願って🥎
2024.06.20
閲覧総数 37
18
今読んでいる原田マハ著「常設展示室」の第2章のタイトルは「A View of Delft(デルフトの眺望)」で、オランダのこの町の名前から画家「フェルメール(1632-1675)」と映画「真珠の耳飾りの少女」を思い出しました。 この絵に着想を得た「トレイシー・シュヴァリエ」の同名小説を映画化したもので2003年(イギリスとルクセンブルクの合作映画)に上映されました。この絵の人気の火付け役になったとも言われる映画を私は全く知らず、たまたま「真珠の耳飾りの少女」が絵画の中では特に好きという知人から4年ほど前に強く薦められYoutubeで見ました。 舞台は1665年フェルメール一家が住むオランダの町デルフトで、タイル絵師の父を持つ少女「グリート」がフェルメール家で下働きとして働き始めるところから物語は始まります。彼女が持つ陰影、色彩、構図の天分に気がついたフェルメールは彼女に遠近法や絵の具の調合を教え始めます。 レオナルド・ダヴィンチ(1452-1519)が絵を描いていた時代に半宝石のラピス・ラズリを使うため「青の絵の具」が一番高価だったようですが、この映画の中でも石を砕き青色の絵の具を作るシーンがあり「真珠の耳飾り」でもターバンに使われるこの色は一際強い印象を放っています。 そしてフェルメールは様々な思いから彼女をモデルにして絵を描くことを決心します。しかし彼女の耳に飾られた耳飾りがフェルメールの妻の物であったために・・思わぬ展開になりますが最後のシーンは心温まるものになっています。 原田マハ著「デルフトの眺望」の最後の部分は大手ギャラリーの営業を担当する主人公「なづき」が社用で訪れたオランダで空き時間を利用してずっと見たいと思っていた「真珠の耳飾りの少女」が展示してある「王立 マウリッツハイス美術館」に向かいます。ただなづきの心を捕らえた絵は「真珠~」よりも同画家の「デルフトの眺望」であったのは、彼女の父の最期の場所となる「介護施設」の大きな窓から見える空や雲や昭和の穏やかな風景を彷彿させるものがあったからのようです。 この絵の絵葉書を介護施設に寝泊まりして父を介護をする弟宛に「日本に帰ったら3人(父親も含めて)で思いっ切り話そう」と書いて送ります。結局はなづきが帰国する途中で訃報が届きそれは実現しなかったのですが、この絵が何となくギクシャクしていた弟と心の深いところで絆を結べる関係へと繋げる一作として物語の中で描かれています。
2022.01.28
閲覧総数 458
19
先日のNHK[あさイチ」でハーバード大学天文学科長を2020年まで務めたアヴィ・ローブ教授(1962-)が中心となって2021年から始動している「ガリレオ・プロジェクト」について紹介があり、私はこのプロジェクトを初めて知りました。 教授の名前も初耳で調べてみると2012年のタイム誌が選ぶ「宇宙で最も影響力のある25人」の1人にも選ばれていました。ガリレオ・プロジェクトは「異星文明の証拠探索」と説明があります。 あさイチの番組の中では教授の「UFOが何であるか確認するのは科学者としての義務です」という言葉がテロップで流れ未確認飛行物体として目撃された情報や映像は改めて調査を進める中、無人飛行機や気球である件数も多いようですが中には地球の常識ではあり得ない映像もあるようです。 「オウムアムア」葉巻型の形状で全長800m(岩石質か金属質) 番組の中での紹介ではなくガリレオ・プロジェクトを検索した記事に掲載されている写真で、天文観測史上初めて太陽系外から飛来した事が確認された「オウムアムア(2017年マウイ島の天体望遠鏡で発見)」で地球外生命体が作った宇宙船なのか?という記述もありました。内容は私にはかなり難解です。 ところで以前にNHK「チコちゃんに叱られる」でどうして宇宙人のイメージは頭が大きくて手足が細いタコのような姿?という質問があって、回答は「翻訳者」の勘違いということでした。最初に火星の表面の細い模様を19世紀に発見したイタリアの天文学者が模様を「Canali(溝)」と彼の著書に表し、それがフランス、アメリカの翻訳者がCanaliをCanal(運河)と勘違いして運河を造るほどの高度な文明が宇宙のどこかに存在していると思い大きな頭(頭脳)のイメージになったという事でした。宇宙人は果たして存在するのか?もし何かの拍子でオウムアムアのように飛来してくれたら・・。 実はあさイチの番組内で一番感動したのは教授の「人類はもっと謙虚になった方が良い」という言葉でした。宇宙に対して謙虚という意味なのかと思いますが、地球という恵まれた美しい惑星に「仮の住まい」のように生かせてもらっている人類は領土や資源などの身勝手な奪い合いのために更に地球環境に害を及ぼす事をやってはいけないなぁとしみじみ思いました。
2023.03.09
閲覧総数 1144
20
ディーン・フジオカさん演じる「天狗(坂本龍馬)」は登場が僅か2回でしたが強い印象を残す名演技と名台詞でした。そして幕末、現在の土佐清水市から乗り組んでいた漁船が難破しアメリカの捕鯨船に助けられ日本人として初めてアメリカに渡った中濱万次郎(当時14歳 捕鯨船ジョン・ハウランド号からジョン・マンと呼ばれる)が「らんまん」で藩校「教授館」の教授として登場するという記事を見て嬉しくなりました。 ジョン・万次郎(1827-1898) 何故嬉しくなったかと言うと百田尚樹著「日本国紀 上」の最後の章「幕末」の締めにジョン・万次郎の事が6ページに渡って書かれていて、その最後が「万次郎(ホイットフィールド家の養子になっている)の子孫である中濱家とホイットフィールド家の子孫の間では今でも交流が続いており、土佐清水市とマサチューセッツ州のフェアヘイブン市は姉妹都市の関係になっています」と締めくくられ、長い心の交流の歴史に感動した事にもあります。 寺子屋に通う事も出来ないほど貧しい家に育ち読み書きは一切出来なかった万次郎のアメリカ滞在は僅か9年、元々「知の力」が備わっていた人物だったためか学校では数学・測量・航海術・造船を学び主席で卒業しています。日本への帰国が許された後は薩摩藩の庇護を受けたり、江戸幕府から旗本の身分を与えられたり(スパイ容疑が浮かび日米修好通商条約の席には結局付けず)、幕末の偉人勝海舟や坂本龍馬等にも大いに影響を与えることになります。そして1860年には「遣米使節団」の一員として咸臨丸に乗り込んでいますが、明治の時代になり政府が彼のアメリカと対等に対峙出来る様々な能力を封印して東京大学の英語教授という役職に留めた事がその後の日本にとって大きな誤りだったのかとも思います。 中学校の英語の教科書にも簡単にジョン・万次郎の人生が載っていた事はしっかり記憶していますが、それだけでは語り切れない数々の彼の偉業をもっと知りたく、まずは「らんまん」でどのように描かれるのかとても楽しみです。
2023.04.10
閲覧総数 296
21
今週日曜の「NHKスペシャル」は「ヒューマンエイジ 人間の時代 戦争 なぜ殺し合うのか」というテーマで人間を戦争に駆り立てる原因や戦争被害を拡大させた発明品等についても取り上げていました。番組冒頭で「歴史上記録に残る戦争や紛争の数は1万回以上、総戦死者数は1憶5千万人にも上り、今も止む事がない戦火に対して人間は何故これほど戦争にとりつかれているのか」と疑問を投げかけています。 オキシトシン構造図 まず一因として以前は女性の出産や育児に必須のホルモンとして捉えられていた「オキシトシン」を取り上げていました。現在の研究で男女共に体内に持つホルモンらしく「愛情」や「絆」のホルモンと呼ばれる反面、仲間を守るために部外者や敵に対して攻撃的な行動を起こす事が分かって来たそうです。 繰り返される戦争に私も「これは人間としての性・宿命?」と漠然と思う事しかなかったのですが、具体的に「一例」を挙げてもらえると「人間」についての理解と歴史上の出来事に対して少し納得がいく気がします。 そして17世紀ドイツで起こった「30年戦争(元々はキリスト教のカソリックとプロテスタントの対立)」で死者数がそれまでの戦争に比べて圧倒的に増えた理由として「活版印刷の発明」を挙げていました。手書きで文章を紙に書いていたものが印刷術によって大量に人の目に触れさせる事で人心を操る所謂「プロパガンダ作戦」でそれが被害を拡大させた原因であったと説明しています。実際にドイツでは人口の20%を含む800万人が犠牲になったようで、今でも最大の宗教戦争と呼ばれているそうです。 そして奇しくも30年戦争が終わった1648年に「国境」を定める「ヴェストファーレン条約」が制定されています。国境が出来たせいで国同士はその領域を守ったり他国の領域を侵すための戦争へ突き進んで行ったとこれも納得の説明です。ジョン・レノンの「イマジン」をやはり思い出します。 「国なんて無いと想像してみて。そんなに難しい事ではないでしょう? 殺す理由も死ぬ理由も無く、ましてや宗教も無い。みんながただ平和に生きているって想像してみて・・」 最後は「飛ばす兵器」の開発です。どんどん速く、遠くへ飛ばす兵器が発明・開発された事によって初期の戦いで目に見える人を殺すよりも姿すら見えない人達を殺戮する事に「人間としての罪悪感や違和感が無くなっていく・・」という人間の本質にも言及しています。 ふと、話題の人口知能「AI」が国のトップや政治家になったら、当然人体が持つホルモンは持っていないと想像すると戦うという意識は発生しないのだろうかとサイエンス・フィクションのような事を考えます。 「英知を持つ人間」の存在を信じて本来人間が持つ遺伝子的性質を「英知や理性の賜物」である「言葉や対話の力」を使って平和な世界の実現をと望むだけです。
2023.06.21
閲覧総数 324
22
友人から「うっかり同じ本を買ってしまったので・・」とプレゼントしてもらった原田マハ著「<あの絵>のまえで」は6篇からなる短編小説でした。「アート小説の名手」が今回スポットを当てる絵は?と興味深々で読み始めました。 1篇目の「ハッピー・バースデー」は広島平和記念日の8月6日に広島市で生まれた「夏花」が主人公です。「夏の花」「広島」という大きなヒントが最初にあっても<あの絵>が「ひろしま美術館」が所蔵する「ドービニーの庭」である事に後半になってやっと気が付きました。 ゴッホの遺作である「ドービニーの庭」がひろしま美術館所蔵である事を知ったのは一昨年のNHK「あさイチ」で当館での「ナイト・ミュージアム」のイベントが紹介された時で、正直そんな凄い絵が日本に・・という驚きでした。 下記が気になって調べてその日に書いた日記の一部です。 2枚描かれた同じ構図(どちらも1890年7月中旬頃制作)の「ひろしま美術館」にある1枚は絵の左下の茶色の辺りに実は猫が描かれていたはずという(ナイト・ミュージアムでは)ミステリーで始まります。実際にスイスの「バーゼル市立美術館」にあるもう一枚には猫が描かれているそうです。ひろしま美術館が所蔵する絵はゴッホの死後ドービニー夫人に寄贈され、その後競売でドイツに渡った後「ナチスの台頭」に翻弄されたり1901年画家の「エミール・シェフネッケル」によって猫の部分が塗りつぶされた可能性があるということでした。さらに1940年のナチスのオランダ侵攻前に当時この絵の所有者だったユダヤ系の銀行家が絵と共にアメリカに亡命という歴史もあるようです。その後1974年に所有者だった銀行家の息子が競売にかけ「ドービニーの庭」は広島銀行が落札したという経緯だそうです。 肝心の「ハッピー・バースデー」は20年前の回想として夏花が就活に苦戦する様子、それを女手一つで育て上げた母親が娘を見守る姿、夏花の同級生で親友の亜紀が就活を応援するためにクリスマスプレゼントに贈った「ドービニーの庭」が表紙に描かれた手帳とエンディングへと線で繋がっていきます。時を経て8月6日の夏花の誕生日をお祝いするために親友の亜紀が訪れた場所は・・。原田マハ氏の小説はやっぱり心が温かくなります。
2024.04.06
閲覧総数 63
23
2月に知人のAさんから頂いた「サボテン」「宇宙の木」「金のなる木」は少しずつ成長している感じですが、先々週辺りにサボテンの横から葉っぱが出て来て今朝は上の大きな葉はサボテンに寄り添うようになっていました。 サボテンとはちょっと離れた所から出ている葉で調べてみると、土の中に混じっていた種の発芽ではという事でした。一度だけ外に出した時にどこからか種が舞い降りて来たのかもしれません。風の強い日でサボテンの花が咲きそうな蕾が飛んでしまったのでそれから外には出していません。調べてみると緑の葉っぱがサボテンの水分を取ってしまうので、切って捨てた方が良いというアドバイスでした。ただシンガポールにいた時も突然別の種が鉢に舞い降りて面白いコンビネーションを見せてくれた事が何度かあったので切り捨て難い気持ちと、もう少し様子を見てみたいという気もします。 「宇宙の木」も前面に小さな緑が見えたので葉っぱかなと思い良く見ると、これは宇宙の木の新しい芽でした。4ヶ月で初めての新芽です。頂いた時は不思議な名前の観葉植物だと思いましたが「宇宙にいそうな生物と連想できる」とか「葉の形が宇宙人のようである」とかの理由で名付けられたようです。陽当たりの良い窓辺に置いていましたが、これも調べると置き場所は「室内の風通しが良く、直射日光を避けて明るい場所がベスト」とあるので、そろそろ北海道も気温が上がって来たのでもっと新芽が出るようにと窓を開けた所に昨日から置いています。 新たにクレオメの新芽を置いて。 真ん中の背が高いのが「金のなる木」が育ててくれた1本。 そして「金のなる木」の鉢の片隅には2ヵ月ぐらいに「クレオメ」の種が1つ芽吹いて、他の鉢のクレオメよりも順調に大きくなり違う鉢に移しました。移植を嫌う花だそうですがそろそろ地植えしてもいいかなぁと思っています。その代わりにまた金のなる木に育ててもらおうとクレオメの芽を置いてみました。何と言っても初心者で「こんな事やって良いのかなぁ??」と試行錯誤の毎日がまた楽しいです🌵
2024.06.21
閲覧総数 34
24
朝ドラ「らんまん」で時代の先駆けとなる「石板印刷」の習得のため「大畑印刷所」で修行する万太郎に影響を与える人物として浮世絵師「歌川国芳(1798-1861)」の元で彫師をしていた経験とその腕で大畑社長に引き抜かれた「岩下さん」が登場しています。思い出したのが2021年8月開催の「ACM(アジア文明博物館)」の「Life in 江戸 浮世絵展」で、その時撮った写真を見てみると1枚だけ国芳の浮世絵がありました。 い「池の金魚とねこ」 1851年頃 解説には猫を抱いている左の女性は金魚に魅了されていると書かれ、ドラマの中で岩下さんが「猫」だけは国芳に誉められたという台詞を思い出しました。 「当世好物八契 里見八犬伝」1823年頃 そして「寿恵子」が愛読する「滝沢馬琴(1767-1848)の「南総里見八犬伝」の本も描かれた「渓斎英泉(1791-1848)の浮世絵もありました。解説には英泉がこの本のイラストを描いていてその宣伝のために左上に本を描いたとあります。 ウィキペデイアの滝沢馬琴を見ると「ほとんど原稿料のみで生計を営むことが出来た日本で最初の著述家」とあり、寿恵子が「滝沢先生、天才!」と叫ぶ気持ちがやっと分かりました。私自身は「南総~」のタイトルは知っていても内容はぼんやりで「八犬」とあるので「犬も活躍したのかな?」と思っていましたが💦内容をざっとネットで読んでみると「犬」が苗字につく8人の若き剣士が仁・義・礼等の文字のある玉をそれぞれ持ち「牡丹」の形の痣がある・・というところでやっとドラマで寿恵子のために万太郎が牡丹を描いた理由も理解出来ました。物語のテーマは「一切の物に親しみ情け深くあること、愛情を及ぼす事」だそうで「らんまん」の根底のテーマに深く繋がっているのかもしれません。 ドラマ「南総~」で検索すると映画化もされていますが、近々では2006年の滝沢秀明さん(犬塚役)と仲間由紀恵さん(里見家の伏姫役)が主人公の「里見八犬伝」が出てきました。TBS開局50周年記念のスペシャルドラマで配役を見るとそうそうたる役者さん達が登場しています。機会があれば是非見てみたいドラマで、これを見て「らんまん」の理解(寿恵子への理解)がもっと深まるのかなぁと思ったりします。
2023.06.10
閲覧総数 218
25
朝ドラ「らんまん」に「三菱財閥」を一代で築き上げた「岩崎弥太郎(1835-1885)」の実弟「弥之助」が登場するのを楽しみに待っていました。 弥太郎と言えば今でもしっかり記憶に残っているのは2010年の大河「龍馬伝」で「香川照之」さん演じた岩崎家(郷士の身分を売り地下浪人に)の貧しさをこれまでかと言わんばかりに強調したメイクと衣装と「怪演」で今までの岩崎弥太郎=三菱のイメージをいろんな意味で覆すものでした。実際に仕事でお世話になった三菱系の企業に長く勤めていた方が「あの姿にはショックを隠し切れない・・」と言うほどでした。 兄「弥太郎」に激似かと・・。 龍馬伝で弟の弥之助は登場していたのか気になって調べて見ると左の画像を1枚見つけました。前列の茶色の着物の男の子が弥之助で「須田直樹」さんが演じていました。台詞は無く顔を黒く塗られたと言うエピソードのみです。そして今朝登場の[皆川猿時」さん演じる弥之助は兄の弥太郎が既に亡くなっているので三菱財閥の2代目という設定で、炭鉱視察などエネルギッシュに仕事に励む姿には子供時代の貧しさは微塵も感じられません。 大実業家となっている弥之助が果たして同郷繋がりで万太郎の版元になってくれるのか、又は実業家ならではのアイデアで植物誌を売るヒントを与えてくれるのか今後の展開が大いに楽しみなところです。 ところでドラマの中で「果たしてこのシーンは明治何年?」という疑問に初代文部大臣「森有礼」暗殺(1889年)とか田邊教授のモデル「矢田部良吉」氏の溺死(1900年)とかヒントのように出てくるので事件や事故の年を調べながら「らんまん」を見るのも楽しみの1つです。因みに弥太郎が亡くなった9年後に「日清戦争」が起きていますが、田邊教授の溺死は日清戦争から5年後なのでドラマの中では戦争については描かないのかなと推測します。日清戦争から第二次世界大戦まで牧野富太郎氏の人生もまたどこか戦争に翻弄された部分があるのかなと想像したりします。 余談ですが以前に読んだ「城山三郎」著の「落日燃ゆ」に岩崎弥太郎の娘婿が総理大臣(第24代 加藤高明内閣)になっていたという箇所で経済界だけでなく政界にも並々ならぬ興味を持っていた人物である事に私は意外な気がしました。同時代を生き政界にはほとんど興味を示さず経済界に尽力した「渋沢栄一(1840-1931)」とどうしても比較してしまいますが、裕福な農家に育った人物と武士の身分とは言え貧しさを知り尽くした人生についてはちょっと考えさせられます。
2023.08.23
閲覧総数 446
26
シンガポールのEZ LINK CARDの使用は5月31日まで。その後は「Simply Go」へアップデート 3月中旬にシンガポール観光に行った大阪の知人に保管していた「EZ LINK カード」とチャージの仕方を書いたメモを郵送したところ、後日「EZ LINK~大活躍でした!」とお礼のメールがありました。 地下鉄、バス、タクシー(会社によって使用出来ないところもあります)、セントーサ島へのモノレールにも何でも使える万能ICカードです。デポジットは5ドル(5~6百円)で運賃も割引サービスがあります。 キャッシュレス化が進むシンガポールはチャージもクレジット/デビットカードが主流となり、現金が使えるマシンは5台に1台くらいという感じです。その上、銀行のデビットカードがEZ LINKカードの代わりに使えるので(デポジットは勿論ないですが運賃割引については確認しませんでした)、日本への本帰国の数年前からお財布に現金を入れる必要が無い生活を送っていました。もし現金が必要になってもATMの数は多く24時間手数料無しで利用できます(キャッシュレス化でATMに並ぶ人の数もどんどん少なくなっています) 日本でもキャッシュレス化は確実に定着していて、ダイソーからスーパーや飲食店等などほとんどのお店での支払いがシンガポール発行のデビットカードでも出来るのはとても有難いです。 ただ北海道の公共交通機関のICカードのチャージが未だほぼ現金のみというのには「何故?」という思いです(都心では出来るのかもしれませんが)急に過去にタイムスリップという感じです。 昨年8月にNHKの「チコちゃんに叱られる」で「なんでICカードをピッとするだけでお金が払えるの?」という質問に「お金なんて何でもいいものだから」という答えに目から鱗でした。要は「お金とは約束と信用があって初めて成り立つもので信用があれば問題無し」と補足の説明がありました。 ICカードをピッでゲートを通過できる理由は分かっても、何故そのチャージに銀行(クレジット)カードが使えないのかと疑問が残りJRのホームページを見てみました。 『Kitacaには、クレジットカードを使っての入金(チャージ)はできません。ただし、クレジットカード一体型Kitacaについては、Kitacaエリア内のKitaca発売駅(有人駅)のみどりの窓口および指定席券売機・話せる券売機で、同一カードへのチャージに限りクレジットカード決済での入金(チャージ)が可能です』 因みにシンガポールのEZ LINKカードは2002年にソニーの非接触型ICの技術を導入して使用を開始し、進化しているという感じです。国土の狭さも利用してこのカード1枚あればチャージも含めてストレスーフリーで観光も満喫できます。本帰国後強く思うのは海外から日本へ訪れる観光客(ツアー客ではなく)は公共交通機関を使っての移動に不便を感じないかなぁという心配です。未だにICカードのチャージに現金が主流なのはJRの「約束と信頼の問題?」と勘ぐってしまいます。
2024.03.27
閲覧総数 78
27
今朝のNHK「あさイチ」で「痴漢に遭った時の対処法」を取り上げていて、これって私が日本にいた20年前(以上)と何一つ変わっていないのでは?といきなり過去へタイムスリップした気持ちになりました。運悪く電車内で被害にあった時は「勇気を出して声を上げる」「具合の悪いふりをしてしゃがみ込む」「周りの人にSOSを発信する」等など、結局は「自分で自分を守りましょう」という昔と変わらない内容を敢えて電波を使って伝える事なのかなと憤りを感じました。 番組の最後の方で視聴者から「行政の改革が必要」「法律の改定を」と意見が紹介されたのにはホッとしましたが、これに対してもコメンテーターからは「法律の改定には時間がかかって・・」と憤りを増幅させる回答でした。 シンガポールで痴漢行為がほぼ皆無なのは行政が大きく関わっているからで、「死刑」に相当しない軽犯罪(痴漢、すり等)に関しては「むち打ちの刑」が施行されます。打ち方も4段階に分かれているそうで一番厳しいのは(多分針のような物がムチに付けられていて)気絶するほどだと噂に聞いた事があります。男性だけに課される刑罰と聞いて何だかほっとしたのを覚えています。この刑罰も大きな抑止力になっていると思いますが、もう1点日本と違って「女性を性の対象」として捉える文化や習慣が無いお陰と思っています。具体的には日本で昔はよく見た週刊誌のページに使われた女性のヌード写真は20年前のシンガポールで全く目にする事がなく「女性の地位」について考えさせられました。レディファーストが徹底していて女性の地位や待遇については世界的に見ても高いと思っています。それは建国以来の(僅か59年ですが)国のリーダーや政治家たちの「性に対する平等意識」の賜物だと思います。 ちょうど札幌市の地下鉄にも「女性専用車両」の広告があって「あぁ、まだこんな車両が存在しているんだ」と驚いたばかりでした。「女性が輝ける社会を目指して」と言われて久しいですが、通勤や通学にも神経をとがらせ挙げくに個々の自衛努力や交通機関への対策に依頼するだけというのは行政が全く怠けているとしか考えざるを得ないし、少なくても女性議員から大きく声が上がっていないというのも不思議としか言いようがありません。 因みにもし痴漢を捕まえる事が出来た場合(被害者が声を上げて駅係員が捕まえるというのがベストの方法と思いますが)初犯の場合は罰金刑で済み20万円~30万円と検索で出てきました。痴漢行為に遭って精神的に深い傷を負ったまま数年或いは数十年過ごす女性もいるのかと思うとやり切りれない気持ちになります。
2024.04.11
閲覧総数 183
28
日刊スポーツのネット版に図解でフォースボークの説明がありました。 今週の水曜にエスコンで行われた日ハム対西武の試合は日ハムのホームラン3本もあり12対3と圧勝でしたが、2回裏「新庄トリック」と呼ばれた奇襲「Force Balk(フォースボーク)」を私は初めて見ました。一塁ランナーのスティーブンソン選手が二塁へスタートした時は「無謀な盗塁💦」と思いましたが、一、二塁間で挟まれれいる間に水野選手が生還して1点!その時は運が良かったと思いましたが、後でネットの記事を見るとこの奇襲も選手がキャンプの時から練習をしてきた事と監督のある読みで今季初めて実行し成功したことを知り「監督、いい仕事してるなぁ」と思いました。そもそも初めて聞くフォースボークを調べてみると下記の説明がありました。「野球で、一・三塁にランナーがいる時に一塁走者が敢えて塁から大きく離れ、投手が一塁に牽制球を投げようとした際に三塁走者が本塁に進塁する素振りを見せることで、意図的に投手のボークを誘発させる戦法のこと。投手がプレートを外さずに一塁への牽制を中断し、本塁に送球した場合、ボークと見なされるというルールを利用したものである。フォースボークが成功した場合、一塁走者と三塁走者にそれぞれ安全進塁権が与えられ、1点と二塁への進塁が得られる」 監督の読みは「一塁を守っているのがルーキーの村田選手なのでピッチャーからの牽制球を経験が少ないルーキーであれば間違いなく二塁に投げるだろう」という事でごれがピシャリと当たってしまいました。選手の起用について監督の采配が当たったとか外れたというのはよく聞きますが、数少ない幸運とも言えるシチュエーションでの「監督の読み」には良い仕事してるなぁと。一日空いて昨日のロッテ戦でも何か奇襲が・・と期待しましたがこちらは残念ながらそれはなく延長12回で引き分けでした。令和の怪物と言われる佐々木朗希投手先発の試合での引き分けもやっぱり「アッパレ!」と拍手を送ります(マルティネス選手の足がもうちょっと速かったらなぁと💦)
2024.05.18
閲覧総数 147