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先日ネットの記事に「2025年春から札幌市営地下鉄、クレカ / スマホのタッチ乗車に対応」があって、やっと札幌市の交通機関もキャッシュレス化に進んでいるのかとホッとしました。 自動改札機のイメージ写真もあり、青色の所にタッチするカードはクレジット、デビット、プリペイドが使用可能とあります。記事には「タッチ決済によって国内外からの旅行者でも乗車券やICカードを購入することなく乗車出来るようになる」とあります。ここで気になるのが使用出来るカードの種類で、海外からの旅行者は兎も角として在住している者にとって、交通費をクレジット決済で翌月とか翌々月に一括して引き落とされるのはいかがな物かなぁという事です。 今週のNHK「あさイチ」で「あなたは現金派?キャッシュレス派?」というコーナーでキャッシュレス派でクレジットカードを使うという人も実際に普通預金に残る金額の把握が難しく、同じ銀行でメインとサブの2つの口座を持ち実際の残金を把握しているという人を紹介していました(節約術でもあります)シンガポールでは銀行のキャッシュカードはデビットカードのシステムになっていて、交通機関で使用するとすぐ引き落としになるため口座の残高がすぐ分かります。交通機関だけではなくほぼ全てのお店でデビットで支払い可能なので本当の意味のキャッシュレス化となっています。 日本の銀行が発行するキャッシュカードがデビットカードとして使えるのかとふと気になって調べてみるとカードによっては「J-Debit」と呼ばれキャッシュカードで買い物が出来るとあります。ただ銀行のカードにデビットの表示があるものに限られ(因みに私のカードには表示がないので銀行に確認する必要があります)利用出来るお店は「J-Debit」のロゴマークのあるショッピングセンターやレストラン等などで、果たして札幌でどれだけの加盟店があるのかこれもこれから確認すするつもりです。 キャッシュレス化が進む日本と言われながらもお店等が発行するポイント還元のカードには現金でのチャージが必要で、曜日や時間帯によってはATMに並ぶ行列を見ると、本当の意味での日本のキャッシュレス化は政府と銀行の協力でこれからなんだなぁと実感します。
2024.06.08
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通訳の水原一平さんのスポーツ賭博についてネットの記事を拾い読んで、かつてメジャーリーグで活躍し、シンシナティレッズの監督も務めた「ピー十・ローズ」が野球賭博で永久追放された事を初めて知りました。自分のチームを勝利に導くための「自軍への賭け」だったようであまりの「チーム愛」に私には微笑ましいと思うほどです。 時は1989年で1984年にメジャーリーグ史上2人目となる通算4000本安打を記録した5年後です。永久追放のため勿論「殿堂入り」は無く背番号14は永久欠番になっているそうです。 疑問に思ってアメリカのスポーツ賭博について調べてみると2018年(ちょうどコロナ禍が始まった年)が大きな転換期のようで今まで違法であった州でも多くの州が合法と認める動きが加速し(スポーツをゲーム感覚で見る人が増えたという理由もあるようです)現在38州が合法、残り12州が違法となっています。大谷翔平選手が所属するドジャーズはカリフォルニア州で依然として違法ですが、米教授が「起訴の確立はほぼゼロ、事実上同州でのスポーツ賭博は黙認されている」というコメントを米紙「サンフランシスコ・クロニクル」に寄せています。ファンとしては「一縷の望み」というところですが、米連邦捜査局の判断等を待ち、その結果を受け入れるしかないのかなと思います。 突然降って湧いたようなスポーツ賭博の話ですが、少しでもアメリカでの状況が分かっていればただただ不安にならずに済むんだと実感です。 因みにピート・ローズが所属したシンシナティ・レッズはオハイオ州にあって昨年1月にスポーツ賭博が合法となっています。彼の復権は(殿堂入り)?と思いますが。スポーツ賭博には21のルールがあって「自軍への賭け」はやはり永久追放に匹敵するようです💦 やっと開幕戦が始まってのこの騒動で、動揺しているファンや関係者も多いと思うので少なくとも迅速な判断を望むところです。
2024.03.24
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先日のブログでオランジュリー美術館の地下2階にある「ヴァルテール=ギョームコレクション」の現在の相続人は画商の「ポール・ギョーム」と建築家兼実業家の「ジャン・ヴァルテール」の妻であった「ジュリエット・ラカーズ(通称ドメニカ)」であると書きました。オランジュリー美術館の「見学ガイド」を読み直して今になって気付いたことです。 その日記にアストロメリアさんから「調べてみるとポール・ギョームとヴァルテールは早く亡くなったようで何か訳アリという感じでした。絵画に情熱を捧げたこの3人の間にも熱いドラマがあったんでしょうかね」とコメントを頂きました。 気になって検索してみると作詞家「吉元由美」氏のブログにドメニカのことが書かれていました。「悪女か美の探究者か?2人のドメニカ」というタイトルになっています。 「ポール・ギョーム夫人の肖像」マリー・ローランサン 1924年頃「大きな帽子を被ったポール・ギョーム夫人の肖像」 アンドレ・ドラン 1928~1929年頃 吉元氏はこの同一人物とは思えない2枚の絵をオランジュリー美術館で見てからパリに行く度にこの美術館を訪れ、果たしてポール・ギョームは儚げなドメニカを愛したのか、凛としたドメニカを愛したのかと興味を持つようになったと書いています。因みにポール・ギョームは1934年に亡くなっています。 その後のドメニカの人生が正にサスペンス・ドラマのようだと吉元氏のブログで続きます。絵画などの遺産相続のために養子を迎え、当時莫大な財産を築いていたジャン・ヴァルテールと再婚し、高額な作品を購入して現在「ヨーロッパ屈指のコレクション」とする立役者として表舞台に立ちます。 その中でのヴァルテールの不審な交通事故、息子の殺害計画、ドメニカが嫌疑を逃れるためだったのかフランス政府への144点のコレクションの寄贈・・。謎が謎を・・・という感じで真相は未だに一切明かされていないと書かれています。 マリー・ローランサンが描いた肖像画は絵葉書をオランジュリー美術館で購入して、ずっと壁に飾っていましたが、剥がして裏にある説明を読んでみると「Collection Jean Walter et Paul Guillaume(ジャン・ヴァルテール&ポール・ギョームコレクション)と印刷されています。 吉元氏曰く、このコレクションのため甚大な努力を捧げたドメニカの名前が刻まれていないこともまた謎である・・と。「ヴァルテール=ギョームコレクション」から。 「泉のそばの女たち」 ピカソ 「長い髪の浴女」 ルノワール 「灰色のキュロットのオダリスク」 マティス 「草上の昼食」 セザンヌ 見学ガイドの「ヴァルテール=ギョームコレクション」の説明ページの背景に「ドメニカ・ヴァルテールの宅内 書斎の片隅 1965年頃撮影」が使われています。
2021.12.20
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今月10日「ノーベル平和賞」の授賞式がノルウェーのオスロ市庁舎で行われました。今年の受賞者はロシアの人権団体「メモリアル」代表「ヤン・ラチンスキー氏(64歳)」、ベラルーシの人権活動家「アレシ・ビャリャツキ氏(60歳)」、ウクライナの人権団体「市民自由センター」代表の「オレクサンドラ・マトビチュク氏(39歳)」の3人で、侵攻を受けるウクライナからだけでなく侵攻側のロシアやベラルーシからも選ばれていることに侵攻の早期解決に光が見える気がします。 ロシア ラチンスキー氏の言葉:「ロシアでの過去の民間人の殺害など国家の犯罪が処罰されずに済まされ、ウクライナでもそれが繰り返されている。私達にとって最優先なのは個々の人間であり、その生命、自由、尊厳だ」 ウクライナ マトビクチュ氏 の言葉:「国際法廷でプーチン大統領らを裁く必要がある」もし、これが実現されるのであれば楽観的過ぎるかもしれませんが、中国と台湾問題、北朝鮮のミサイル発射問題にも警告を発して、引いては増税に繋がる日本の防衛費増加に少しでも歯止めがかけられればと夢想します。 ベラルーシ「ビャリャツキ氏」 キング牧師 1964年にノーベル平和賞受賞 ネットの記事でビャリャツキ氏が現在収監中である事を知りました。授賞式には妻のナタリア氏が出席し、アメリカで人種差別の解消や反戦を訴えて暗殺されたキング牧師(1968年)に触れ、夫の言葉である「厳しい結末を迎えることになっても自由を目指す戦いで決して後悔しない」というメッセージを伝えたとあります。収監されて授賞式に出席出来なかった人物の1人にミャンマーの民主化指導者の「アウンサンスーチー」氏(1991年受賞)の例があります。 ベラルーシで「欧州最後の独裁者」と呼ばれる「ルカシェンコ大統領(2020年に6選を果たす)」が1994年から権力を握る中、人権団体を設立したビャリャツキ氏は何度逮捕されてもベラルーシが民主国家になる目標が色褪せる事はないと訴え続けているそうです。 NHKのニュースでも「受賞した事ですぐに現在の状況を変えられないとは思うが・・」という受賞者の言葉を伝えていましたが、私にとっては「加害者側の国憎し」の気持ちを宥める受賞や言葉となりました。 改めて「ノーベル賞」についてウィキペディアを読んでみると、創設者「アルフレッド・ノーベル(1833-1896)」はたまたま1888年に兄が亡くなった時、フランスの新聞が間違えてアルフレッドが亡くなったと記事にし、見出しの「死の商人、死す」を自分の目で見たことで死後自分がどのように評価されるのか心配になり遺書を残し、現在に引き継がれる「ノーベル賞」の創設となったそうです。創設の年は亡くなる1895年で、それから6年後の1901年に初めての授賞式が行われています。 ダイナマイト等の爆薬で巨万の富を築いたアルフレッド・ノーベルの財産と利子は「人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」というメッセージは特に今年の平和賞で心に響くものがあります。
2022.12.11
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昨日のドジャーズ対パドレス戦は「大谷翔平VSダルビッシュ有」等など見所満載で最後まで楽しませてもらいました。ドジャースが7回まで劣勢ながら大谷選手がヒットを打つと、まさかの新妻の「真美子」さんの顔がアップで登場(^^♪これにはちょっと驚きましたが、まるで大谷選手の1ファンのような応援振りに爽やかな気持ちになりました。 そして同点に追いついた8回、ドジャーズのラックス選手が放ったヒットをパドレスのクロネンワース選手がボールを後逸・・何回がリプレイが流され何とグローブの紐が切れた(又はボールに破壊された)事が判明しました。こんな珍事を私は初めて見ました。今朝ネットでも「紐切れ」の記事はありましたが、気になるメーカー名は勿論ありません。 こんな色のグローブだったかと・・ やっぱり気になってグローブの人気ブランドを検索すると、1位は「ミズノ」でした。アメリカのブランドではトップ10のうち8位が「ウィルソン」で「ベーブ・ルース」のオリジナル・グローブを作っていたそうです。3位が「ローリングス」で多くのメジャーリーガーが使っていると説明があります。10位までのグローブの写真も載っていてクロネンワース選手のグローブは薄茶色だったと思うので、それならローリングス??と余計な推測をしてしまいます。後逸によって試合の流れが大きく変わった感じもあり、今後「紐切れ」の原因について徹底解明をするのかな?とかもしクロネンワース選手のグローブが日本製でなければ日本製の品質をアピールするいいきっかけになったのかなぁと想像したりします。 大谷選手にホームランは出なかったものの、ヒット、打点、盗塁と最高のスタートを切ってくれて、今年も大谷選手からたくさん元気を貰いたいです🥎
2024.03.21
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昨日のNHK「あさイチ」でダイソーの観葉植物の上手な育て方を紹介していました。本帰国してダイソーに小さい鉢ながらサボテンや観葉植物のコーナーが充実しているのを見て、以前はダイソーに植物は売っていなかったのでは?と思いラベルをじっくり見てみると「水やり」とか「置き場所」とか大体同じ事が書かれていて「上手な育て方は?」と思っていました。 番組ではまず3つの観葉植物「オーガスタ」「サンセベリア」「アスプレニウム」が紹介され、クイズ形式でそれぞれは「明るい所が好き」「乾燥に強い」「暗いところでも耐えられる」のどれでしょうか?の質問にMCの華丸・大吉さんは2回目で正解となります。乾燥については葉を触ると分かるそうです。ちょうど見栄えのする丈が高くて玄関の近くのあまり陽が当たらない所にぴったりの観葉植物はないかなぁと思っていたので「暗い所でも~」の情報はとても重宝です。ダイソーで何種類の植物が売られているのかは分かりませんが、一冊の本に纏めて欲しいぐらいです。 そしてこれらの植物はほぼ海外で育てた物が日本に輸入されているため植物も「旅疲れ」があるそうです。その旅疲れを癒す方法として購入してすぐにプラスチックの箱にコップ一杯の水を置き2週間くらい鉢を入れた後鉢替えをするのが良いそうです。これもためになる情報です。暗い所と言っても「読書できるぐらいの明るさは必要」という事でした。 最初は小さな植物も成長に従って鉢を替えて育てると物によっては1m以上にもなるという朗報です。花屋さんで丈のある観葉植物を見てみましたが思っていた以上に高額で1万円以上の物もざらにあります。早速ダイソーにアスプレニウムを探しに行くと「1鉢300円」で確かにありました。 シンガポールも「DAISO」は大人気で出店数もかなり多いですが、高層住宅が多く日本のようなガーデンニングは各家庭では難しいので当然DAISOでも園芸グッヅは限られています(ドンキで小さい盆栽が売られていてこれには驚きました。シンガポールで盆栽は結構人気です) 先月、札幌で雪解け宣言が出てお向かいさんの庭に綺麗なチューリップが咲き始めた頃夕方に点灯する庭のランタンを見て「お帰りなさい」と言って貰えてているようで温かい気持ちになりました。ランタンは高そうに見えるしどこで買えるのかな?と思っていたらこれもダイソーにありました。200~300円で酒類も結構あってソーラーなので配線の必要も無く電池を装着するだけとは優れ物です。ガーテンニングを愛する人達の間では既に必須アイテムだと思いますが、私も遅まきながら1個買って陽が落ちてから花と同様に灯りの癒しを貰っています。
2024.05.25
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「マリアージュ 神の雫 最終章」26巻目は昨年の12月発行なので、日本より半年ほど遅れて全冊70冊を読み終えました。手元にある「神の雫」の1巻目は2009年の第12冊発行なので、最初の発行から4年後に読み始め約10年間で読み終えたことになります。帰省の時に纏めて買ったり友人や家族にシンガポールまで送ってもらったり、それだけでも思い出があります。 改めてこんな凄いワインの本(教科書以上)をリアルタイムで読むことが出来たことに、原作者の亜樹直さん、作画のオキモト・シュウさん、講談社に感謝します。 神咲雫と遠峰一青との「12使徒対決」を描いた「神の雫(全44冊)」の42巻目から44巻目までを購入し応募した人に「裏使徒12本」について書いた「ライナーノーツ」を差し上げますというのを締め切り後に見つけ、ダメ元で「シンガポールに住んでいるため見るのが遅れて~」と理由を書いて「ライナーノーツ」を実家に送って欲しいとお願いの手紙を講談社に送りました。 諦めかけていたところ実家から届いていると連絡があり、郵便でシンガポールに送ってもらったという思い出もあります。 最終となる26巻目を読み終わった後、どんな気持ちになるだろうと正直ドキドキしながらページをめくっていきました。 一番衝撃だったのはやはり遠峰一青の「死」です。13本目となる「神の雫」をブルゴーニュで見つけ、神咲雫との表現対決で引き分けとなった後、全てを燃やし尽くしてしまったかのように・・・愛するローランが彼の子を宿していたこと、遺骨はブルゴーニュにというメッセージ、遺言として神咲雫に渡された手紙など、決してこれで完結ではなく「新たなワインへの旅」という未来に向けた遠峰一青の熱い熱いワインへの思いが伝わって来て、想像以上の素晴らしいエンディングでした。 しばらくはこの余韻に浸っていたい気持ちです。
2021.07.21
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日本の「キックバック問題」のニュースを見て、やはり考えるのはシンガポールでは政治家への賄賂が皆無である事と政治家はエリートが就ける魅力的な仕事と考えられている事です。その理由の1つに政治家の給与の高さがあります(僅かな賄賂を受けった後の懲罰が半端ではないから) そして大臣級の閣僚には「業績給」が導入されている事にも注目です。民間企業であれば当然のシステムですが政治の世界で業績給というのは珍しいのかと思います。国益を上げたり、公共サービスの施策など国民の利益に繋がる業績を上げた大臣は首相(現在はリー・シェンロン氏)の評価によって給与のアップがあります。 具体的にはシンガポールの政治家の給与は世界的に見ても破格で例えば大臣(M4クラスが最下位)で年収は約9,570万円(日本の大臣クラスは約2,940万円)です。 そしてM4クラスの大臣の給与の2倍相当が首相の給与と言われているので年収は日本円で約1億9,000万円(岸田首相は約4,000万円でその中から東日本大震災の復興財源確保のため約3割を返納)でアメリカのバイデン大統領の約4,760万円も超えてシンガポール首相の給与は世界一になっています(2022年統計) スポーツ界では大谷選手の高額契約は業績給の最たる例ですが、日本の企業でも浸透している業績給が政治の世界(いかに国を富ませて国民に少しでも豊かな生活を提供出来るか)にこそ適用されるべきものかと考えたりします。 日本の優秀な若者達が政治家を目指すためにはこの仕事がいかに魅力的であるかというアピールのためには給与というのも大きな要因になるはずだと思います(少なくても防衛費増額よりも意味があると)「国民の生活が苦しい中、政治家の給与を上げるなんて!」と思うのは当然ですが、国や国民の将来を考えたら日本の政治の世界は根本から考え直す必要があるのかと思います。
2023.12.20
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本帰国して食材の買い出しに行くたびに「この値上げ率は庶民の生活を圧迫!」と思いますが、それでもシンガポールでは「高根の花の海鮮」が日本では手頃な値段と思えて、いろんなスーパー、小売店、デパートに行って種類や値段をチェックする楽しみが出来ました。 そこで目を引かれたのは山口県下関市の「(国産)鯨ユッケ」で、鯨ベーコンはよく見かけても鯨ユッケは初めて見ました。ふと鯨やイルカ等の海洋生物の保護を掲げる国際的非営利組織「シー・シェパード」も頭をよぎりますが、どんな味わいなのか興味深々で早速購入しました。 生卵を真ん中にきざみ海苔をかけ付け合わせのたれをかけてまず一口食べてみると若干甘みのあるたれと新鮮な鯨肉は正に絶品でした。もうこれは赤ワインに限ると思い買い置きのチリ産「Dancing Flame Carmenere 2022(税込みで600円台)」を合わせたところかなりのマリアージュでしたが値段に関係なくどんな赤ワインでもこの鯨ユッケに合うのではと思うほどです。出来れば次回はボルドー左岸のカベルネ・ソーヴィニョン主体のパワフルなワインに合わせてみたいものです。 因みに60gの鯨ユッケは102.6カロリー、タンパク質11.4g、脂質3.7gでタンパク質が多い鳥の胸肉と同じくらいで、カロリーはちょっと低めという感じです。北欧の国々のように日本にも昔からある鯨を食べる食文化は動物を守る工夫をしながら長く続けられたらと思います。
2024.03.09
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原田マハ著「リボルバー」でゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは弟のテオがパリで護身用に所持していた銃という設定です。ゴッホのかねてからのお願いでアルルで共同生活を送ることになった画家ゴーギャンにテオがゴッホと何か諍いが起きた時の護身用として(弾は装填せずに)送ったのが、実はゴッホの依頼で弾を一つだけ装填してゴーギャンに郵便で送られたという流れです。そしてゴーギャンはその銃をアルルを去った後タヒチにも持って行きます。 タヒチから一度フランスに戻って来たゴーギャンはゴッホから自殺をほのめかす手紙を受け取り、1890年7月27日ゴッホの終焉の地「オーヴェール・シュル・オワーズ」にゴッホの身を案じその銃を持って訪れます。リボルバーに弾は装填されていないと信じていたゴーギャンがゴッホとの言い争いで自殺を装うように銃を自らのこめかみに・・。そしてゴッホとの揉み合いからゴッホの脇腹に~というのは説得力がありました。 思い出したのが同著の「たゆたえども沈まず」でその中でもやはりリボルバーはテオがゴッホとの諍いがあった時にと所有していた物で、ゴッホがパリからアルルに移ってしまった後は鞄に入れていたのをすっかり忘れていました。その鞄をたまたまサン・レミからパリに戻りオーヴェール・シュル・オワーズに向かう朝にテオから借りる事になりゴッホはリボルバーの存在を知る事になります。その後鞄だけはパリでテオに返却するもののリボルバーはそのままゴッホが所持し悲劇へと繋がって行きます。 通説はリボルバーはゴッホが終焉の地で寝泊まりしていた「ラヴ―亭」の経営者が所持した物でそれをゴッホが持ち出し、数年経って農婦によって偶然発見され元々の所有者であるラヴ―亭に返却され店に一時展示されていたという事のようです。 原田マハ氏があくまでもリボルバーはテオの物であったという設定は、特にテオがゴッホの死から半年後に衰弱死する事などからも妙に納得させるものがあります。「ヴァエホの肖像」 小説「リボルバー」ではそのリボルバーとゴーギャンのタヒチでの最後の愛人だった「ヴァエホ」の肖像画がヴァエホの娘「エレナ」にそして孫の「サラ」に受け継がれて行くという展開です。ゴッホの死に直接関係する銃なのか確たる証拠がないなか、サラが出品してお金を得たいと思った理由は・・。 『ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは2019年6月19日、パリの競売会社オークション・アートによって競売にかけられ、約16万ユーロ(約2千万円)で落札された』で小説「リボルバー」は締めくくられています。 リボルバーや自殺か他殺かというのはゴッホに纏わる永遠のミステリーとしてもう解明される事はないのではと思いますが、だからこそ一層ゴッホの絵が永遠に輝き続けるのだと思います。
2023.10.16
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11月が近付くと日本では「ボージョレ・ヌーボー解禁日」のニュースが流れます。毎年11月の第3木曜日なので今年は11月18日(木)です。日本にいた時はボージョレと言えば「ヌーボー」しか知らず、ワインの知識もほとんどなかった私は毎年大きなニュースになるくらいだから「最高に美味しいワイン」に違いないと思っていました。 来星して4年後偶然、「Benaton」というワインショップ(残念ながら今は営業していません)で開催される「ワインティスティングの会」に参加することになりました。初回から毎月1回2年間ほぼ休まずに参加したので24回参加したことになります。ブルゴーニュ出身のフランス人オーナーとワインエキスパートの資格を持つ日本人女性のお2人でフランスワインについて様々なテーマで講習、そしてワインティステイングをさせてもらいました。 1年目の10月の会の時「翌月のワイン会でどんなワインが飲みたいですか?」と聞かれ、時期的にそろそろ「ヌーボー」かなと思ったので「ボージョレ・ヌーボー」とお願いしました。その時同時にお2人とも「うーん。。」という表情にあり、それならボージョレ地区の「10の村のワイン会」にしましょうということになりました。 そのワイン会でボージョレ地区ではブルゴーニュのAOC(原産地統制呼称ワイン)ワインで使われるピノ・ノワールではなく「ガメイ種」を使用していること、そしてガメイというのはブルゴーニュAOCでは栽培が禁止されている品種だということを初めて知り、何だかそれまで騙されていたような感じがしたのを今でも覚えています。下記がその時試した10本のワイン「クリュ・デユ・ボージョレ(Crus du Beaujolais)の10本(10の村)」です。ワインリストと当日の販売価格(2007年)で参加者限定の10%引きの価格です。①ブルイィ(Brouilly) S$31.50②シルーブル(Chiroubles) S$26③コート・ドゥ・ブルイィ(Cote de Brouilly) S$26.10④レニエ(Regnie) S$26⑤フルーリー(Fleurie) S$31.50⑥サン・タムール(St. Amour) S$26⑦ジュリエナス(Julienas) S$26.10⑧シエナス(Chenas) S$26⑨モルゴン(Morgon) S$26⑩ムーラン・ナ・ヴァン(Moulin A Vent) S$31.50 最初の一口目が衝撃でした。ワインの色といい、味わいといい「これはピノ・ノワールですよ」と言われたら「あぁ~、そうですか。本当に美味しいですね」と答えていたと思います。フレッシュでフルーテイーな中に魅惑的な香りがありました。 当日は⑩のムーラン・ナ・ヴァンを購入して、後日和食レストランで「鯛の甘味付け煮つけ」に合わせました。ガメイ種は日本食にもよく合うと教えてもらったからです。 当時はワインショップでどこかの村のワインが常時購入できたので、結構自宅でも和食に合わせて飲みましたが、今はスーパーのワインコーナーで常時見かけるのは「モルゴン」と「ムーラン・ナ・ヴァン」で価格はどちらも36ドルなのでテーブルワインにはちょっと高い値段です。 たまに「コート・ドゥ・ブルイィ」も見かけますが、個人的には「モルゴン」に軍配です。「弘兼憲史」氏著の「フランスワイン入門」の中に「あなたに合う10の村名ワインは?」のページもあって、当時はこれを参考にしてワインを選んだりしました。 因みにボージョレ地区の土壌は花崗岩が主でガメイ種の栽培に最適なようです。そして「フランスワイン入門」の中にはボージョレ・ヌーボーを世界的に有名にした醸造家ジョルジュ・デュブッフ氏のことも書かれていました。フランス各地にヌーボー(新酒)がある中、ガメイという2流品種を最高の地位に押し上げた彼のアイデアと情熱はなんと素晴らしいものかと思います。
2021.10.25
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「1個のリンゴでパリを驚かせたい」と言っていた「セザンヌ(1839-1906)」はその言葉通りに「静物画」というジャンルでは「唯一無二」の存在に上り詰めました。当時リンゴは一番安く、そして腐りにくい果物だったそうです。「リンゴとビスケット」 1879-80年 「オランジュリー美術館」蔵 セザンヌの静物画を初めて見たのはいつだったのか覚えていませんが、大げさに言うと胸をギュッと掴まれ涙が出そうになったのを覚えています。実はセザンヌの静物画は画集で見ても、今でもそういう感情になるのが不思議です。 ピカソ(1881-1973)はセザンヌを「私たちみんなの父」と形容するほど尊敬しセザンヌの絵画技法(左右対称な構図)の影響を受けています。 「トランプをする人たち」1890-1895年 「水浴する男たち」1890-1892年頃 「水浴する男たち」を見るとピカソが1907年に描いた「アヴィニョンの娘たち」がセザンヌの影響を受けていることが分かります。ただ人物画だけでなく晩年に多く描いたセザンヌの風景画を見ても涙ぐむような感情が起こることは私にはありません。セザンヌが死の直前に手紙で「私はいつも自然を研究しているが、少しずつ進歩しているようである」と書いていても・・。 故「池田満寿夫」氏がテレビの絵画ドキュメンタリー番組で『マティスの絵を見ると心の平安を、ピカソの絵を見ると闘争心が湧き、セザンヌの絵を見ると尊敬の念が湧く』と言っていたのが印象的でした。「リンゴとオレンジ」1895-1900年頃 「オルセー美術館」蔵 気になってセザンヌの静物画について検索してみると、ピカソは構図という技法だけでなくキュビズム(4次元)に繋がるアイデアをセザンヌの静物画にも見つけていたとありました。 そう言われて絵をよく見てみると中央の果物皿は正面から見ているのに、左下のお皿は上から見ているようにも見えます。 オランジュリー美術館ガイドからの抜粋です。 『セザンヌの絵には人目を引く光ではなく明暗のコントラストがあり、水のきらめくような反射に代わって鋭く強烈なフォルムが支配する。また肖像画は荒々しく官能性が乏しくて、静物画は硬く実存感が希薄である』 「セザンヌ夫人」 1890年頃 「オランジュリー美術館」蔵 確かに肖像画に関しては頷けますが、静物画を見て胸をギュッと掴まれそうになる感情が「実存感の希薄」にあるからなのかどうか、これは興味深々というところです。
2021.12.16
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「冬景色」カンディンスキー 1913年 エルミタージュ美術館蔵 「セルゲイシチューキン・コレクション」 エルミタージュ美術館へ行った第1の目的はロシア人の絵画鬼集家「セルゲイ・シチューキン コレクション」の「ダンス」を含む絵画を見るためでした。「マティスの間」ではないホールに展示されていたのにこの絵を見た時、一瞬「あっ、マティスの絵」と思ったのが今でも印象に残っています。 絵の横に置かれている説明に「カンディンスキー(1866-1944)」の名前があって、あの抽象画を生み出した画家の絵とは俄かには信じられず、シンガポールに戻ってから調べてみると初期の頃はやはりマティスの影響を受けたということでした。マティスのパトロン的存在でもあったロシア人絵画鬼集家の「セルゲイ・シチューキン」の影響もあったのかなと想像します。「Composition Ⅵ」 カンディンスキー 1913年 エルミタージュ美術館蔵 この絵であれば抽象画を確立した「カンディンスキー」の絵だとすぐ分かります。1913年と同じ年に制作されているのが何とも不思議で「どのようにしてカンディンスキーは抽象画を生み出したのだろうと思っていましたが、「モネ」がジヴェルニーで描いた「積藁」シリーズの絵を「フランス印象派展」で見たことがきっかけだったようです。 ネットで30枚ほどの「積藁」の絵を見ましたが、ほぼ同じ構図で描かれていてこの絵から図や直線、四角などを組み合わせた幾何学的な抽象画を生み出すヒントを得たというのは理解できるような気がします。ピカソの「キュビズム」と同じように今まで無かった物を新しく生み出すというのはやはり天才的才能の成せる技なのだと思います。 最近思い出すのはずっと以前に作家の故「渡辺淳一氏」が何かの雑誌に「マティス的不遇な絵」という文を書いていて、日本ではマティスのような色鮮やかな絵が受け入れられるのは難しいという内容でした。その時は確かに「モネ」「ルノワール」や「マリー・ローランサン(1885-1956」のパステル画のような優しい色合いの絵が好まれていたような気もします。 「マドモアゼル・シャネルの肖像」1923年 「ポール・ギョーム婦人の肖像」1924年 オランジュリー美術館所蔵 ふと気になって、マリー・ローランサンを検索すると観客数の減少で2019年に日本の「マリー・ローランサン美術館」が閉館という記事を見ました。 時代は変わって「マティス的不遇」というのは遠い昔の話になっているのかなという気もします。「Artemis(アルテミス)」マリー・ローランサン 1908年 エルミタージュ美術館蔵 「セルゲイシチューキン・コレクション」
2021.11.29
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我が家で愛用していたステンレス・ワインクーラー(脚付き)を飲み友達のK子さんが受け継いでくれる事になり、引き取りのため昨日K子さんと彼女の友達のM子さんが我が家に来てくれて本当に最後の「お家ご飯」となりました。 オリーブオイルはギリシャ旅行で現地購入品💓 ベトナムで食べた生春巻きに劣らぬ逸品 「お家ご飯」で何より嬉しいのは手作りの料理を持参してくれる事で’M子さんは「筍のアヒージョ」K子さんは「生春巻き」と「スコッチエッグ」、私はおつまみに一番好きなチーズ「ブリー・ド・モー」にドンクの「塩パン」と頂き物の「いぶりがっこ&クリームチーズ」を用意しました。アヒージョ(小さなニンニクの意味)はスペイン料理、生春巻きはベトナム、スコッチエッグはイギリス、チーズはフランス、いぶりがっこは日本と料理は国際色豊かなものとなりました。真ん中のボトルが「Biscardo OROPASSO 」アルコール度数13% そして何とそれぞれがワイン・コネクションで購入したのが全てイタリアワインで、本来なら最初にスパークリングのProseccoを開けてというところを「いちご」も持って来てくれたのでデザートと一緒に最後という事になり「Biscardo OROPASSO 2022」から始めました。このワインメーカーの白がワインコネクションの店頭に並ぶのは初めてです。葡萄品種は裏のラベルに「Garganega(ガルガーネガ)とChardoney(シャルドネ)」がメインとあるので何種類かのミックスです。初めての品種ガルガーネガのお陰か酸味はかなり抑えられフレッシュでミネラル感があり国際色豊かな料理とも抜群の相性でした。 次に開けたトスカーナ地方の「CASTELIANI」葡萄品種は「Montepulciano(モンテプルチアーノ)はアルコール度数が13.5%なのに白の後に飲むとちょっとっ気の抜けたような味わいで料理ともまずまずというのがちょっと不思議な感じです。 最後の締めのProseccoで程よい酔い加減になって、K子さんには漫画「神の雫」のあまり汚れがない14冊ほども引き取ってもらいました💦シンガポールでの再会を誓って次回はK子さん宅で引き取ってくれたワインクーラーできりりと冷やした白ワインで乾杯したいものです。
2023.12.18
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もう7年ほど前に本帰国した知人から譲り受けた50冊ほとの本は結局17冊読む事が出来ず、ほとんどがその中の1冊「神の国に殉ず」のように戦争に関する本で、私が本帰国して果たして読むだろうか?と考えて14冊は「シンガポール日本人会」に寄贈する事にしました。 以前に日本人学校へ寄贈した時は郵送出来たのですが、日本人会は直接持ち込みがルールだそうでキャリーバックに入れて日本人会へのシャトルバスの中で知人との思い出を蘇らせながら行ってきました。原田マハ著「楽園のカンヴァス」を頂いたのが始まりでした。「自分は絵には興味はないけれど絵の好きな人だったらきっと嵌ると思う」と言って渡され、その言葉通りにすっかりその後原田マハに嵌ってしまいました。 受付で地下一階の駐車場内に古本コーナーがあるのでそこに置いてくださいと言われ、行ってみると思ったより乱雑に捨てられたように置かれた本が結構あって、ちょっと胸が痛くなりました。棚のような物があると思って紙袋も段ボールも持参しなかったので近くにあった空の段ボールに「誰か読んでくれますように」と思いを込めて入れました。 「本には魂が宿る」というような事を信じていて、調てみると古代ローマの政治家であり哲学者の「キケロ」が「本のない部屋は魂のない肉体のようなものだ」という金言を残しているそうです。 本帰庫後、楽しみにしているのは図書館通いで以前「図書館まで公共の交通機関を使って行き、本を読み、気になった箇所はメモする」のは健康にも脳の活性化にもとても良いというのをNHKの「あさイチ」で放送していました。 2023年は原田マハ著「リボルバー」や的場昭弘著「20歳の自分に教えたい 資本論」等々、興味深い本との出会いがありました。さて来年2024年はどんな本に出会るのか今からとても楽しみです。
2023.12.26
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2002年 紅白歌合戦 黒部ダムからの中継「地上の星」 昨日の「NHK Music Special」は18年振りに復活する「新・プロジェクトX」の主題歌「地上の星」を新たにレコーディングした「中島みゆき」さんの出演でした。45分間懐かしい曲が何曲も流れ、主題歌として使われたドラマの説明もあり懐かしさで一杯になりました。 「空と君のあいだに」は1994年安達祐実さんの出世作となった「家なき子」の主題歌で「同情するなら金をくれ」は今のご時世の方がよりぴったりの名台詞です。私が特に好きな歌「糸」は1998年の「聖者の行進」でした(残念ながらこのドラマを私は見ていまん) そして2014年、12年振りに出場の紅白歌合戦で一面の黄金色の麦畑をバックに歌う「麦の唄」の映像で同年の朝ドラ「まっさん」の感動が蘇りました。初の外国人女性がヒロインにで話題になり、北海道の余市町にウィスキー工場を作り上げた「まっさん(竹鶴政孝)」の挑戦人生は「ぶれない志を持てば・・」と勇気付けられるドラマでした。映像では「まっさん」演じる玉山鉄二さんと妻「エリー」を演じるシャーロット・ケイトさんが手をしっかり握り合って潤んだ目で中島みゆきさんの熱傷を見守る姿がまた印象的でした。 余談ですが個人的には「まっさん」で一番印象に残っているシーンは堤真一さん演じる「鴨居の大将(サントリー創業者の鳥井信治郎氏がモデル)」にまっさんが新しいウィスキー工場の構想を伝えたところ「やってみなはれ!」の言葉が即答で返ってきたシーンです。懐の深さや後押ししてくれる人の助けがあって成し得た事なのだと時々「やってみなはれ!」の名台詞を思い出しています。 「新・プロジェクトX」の初回も楽しみで、何となく男性が主役になる事が多かったかな?という印象の番組に日本を支えた女性たちを主役にした回が多くみられる事も大いに期待しています。
2024.03.29
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昨年の3月25日にゴッホの「モンマルトルの通りの光景」が1300万ユーロ(約17億円)で落札されました。個人蔵で100年以上美術館で公開されなかったこと、ゴッホが2年間弟のテオと共に暮らしたモンマルトルで描いた絵が市場に出ることは珍しいということで話題になりました。 南仏アルルに向かう前年の1887年作で風車が小さく人物に焦点を当てたように描かれていること、その人物からゴッホの一時の幸福感を感じるようです。 この絵の前年の早春にアントワープから弟のテオがいるパリにやって来て描いた「モンマルトルの風車」とは随分違った印象があります。「モンマルトルの風車」 1886年 ブリジストン美術館(現アーティゾン美術館)所蔵 かつてはダンスホールとして現在はレストランとして使用されている「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」に何故風車があるのか「ブリジストン美術館画集」のこの絵のところに「ムーラン(風車)」についての説明があります。 『1860年にパリ市に編入されたモンマルトルにはずっと以前から30余りの風車がありました。そして北に広がる平野で栽培された穀物を風車の動力を利用して製粉し、パリの製パン業者に供給していました』 『時代と共に風車の数も減りゴッホの時代には3つだけ残った風車の所有者はドブレ親子でそれぞれ「ムーラン・ル・ビュルット・ファン」「ムーラン・ル・ラデ」「ル・ムーラン・ア・ポワ―ヴル」と名付けられていました』 『1834年から1895年まで「ラデ」は「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」とも呼ばれ、ドブン親子が同名のダンスホールを開設したのは「ビュルット・ファン」のそばでしたが、ここも1895年頃までには「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」と呼ばれるようになり、通常「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」と言えば「ビュルット・ファン」を指すことになっているから「モンマルトルの風車」の風車も恐らく「ビュルット・ファン」であろう』 因みに検索すると「モンマルトルの通りの光景」の風車は「ムーラン・ア・ポワ―ヴル」を描いたとあります。確かに良く見てみると風車の形が違って見えます。 この風車がパン作り製粉のため・・とあってフランス旅行中に食べた美味しいフランスパンの事を思い出します。 再訪の機会があるならばレストラン「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」で美味しいフランスパンでワインを飲みたいものです。
2022.03.19
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朝ドラ「カムカム~」の最終回まで後2週間ほどとなり、3世代と今までの登場人物の繋がりからますます目が離せなくなっています。「ジョー」はドラマの音楽を担当し実際に病気でサックスが吹けなくなったという経験を持つ「金子隆博」さんと同じようにピアノへと転向したのも感慨深いものがあります。 ドラマで脇を固めた俳優さん達の演技は甲乙つけがたい程素晴らしく、その中でも数分間「The Sunny Side on the Street」を進駐軍のパーティーの舞台で熱唱した「世良公則」さんは一番印象に残っています。 そしてもう一人映画村で「大部屋俳優」の「伴虚無蔵」を演じた「松重豊(1963-)」さんも存在感がありました。名台詞「鍛錬を続け不測の事態に備えよ」も、ひなたの恋人だった文ちゃんを諭した「おひなを泣かすな」にもほろりとなりました。 こちらでは民放のドラマを見ることは稀で松重豊さんと言えば、私にとっては「深夜食堂」の地回りのやくざ役「竜ちゃん」のイメージです。小林薫さんが店主を務める深夜食堂ではお客さんのリクエストによって食材があれば何でも作ってくれ、どこから見ても100%強面の竜ちゃんがリクエストする「たこの形で炒める赤いウインナーソーセージ」というミスマッチが何ともホロリとさせられます。元高校球児という竜ちゃんの儚い恋と赤いウインナー・・。DVDで久々に見てみました。虚無蔵さんと変わらぬ顔の演技が凄すぎです。 因みに松重豊さんをウィキペディアで検索すると座右の銘は「その日ぐらし」だそうです。プライベートも画面のまんまという感じで気持ちが良いです。 今日の回では「映画村にハリウッドから役者たちが~」という内容でしたが、虚無蔵さんには是非ハリウッドスターとの絡み合いを見せて欲しいなぁ~と切望します。
2022.03.23
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昨晩放送のNHKドキュメンタリー「老いる日本の住まい 第2回マンションに迫る2つの老い」は現在マンションに住んでいる人、子育てを終えて一戸建てからマンションに引っ越ししようとしている人に役立つ情報が満載でした。 マンションの設備は築50年以内に修繕が必要である事、コンクリート等は100年の寿命がある事、きちんと管理、修繕されていれば中古マンションの需要が高い事、ただ築40年を超えた物件の中にはそもそも管理組合や修繕積立金がなく、危険な老朽化状態に手つかずというケースもあるようで、実際に自治体が税金から1億円の費用をかけてマンションを解体したシーンも流れ、その費用をいかに回収するか検討中という事でした。 マンション住民の高齢化が進み年金生活者の割合が高くなれば突然管理費や修繕積立金のアップを通告されるのはかなり厳しく、国や自治体と一緒にこの問題を克服していく事の大切さを伝えていました。 日本のマンションと同じような位置付けにあるのがシンガポールでは「コンドミニアム」で通常ジムやプールの設備を備えた住居です。シンガポール人の8割が住んでいると言われる政府系の住居「HDB」は外国人が購入するのはハードルが高く(例えば夫婦2人が永住権(PR)を持っていれば可能性は若干あります)購入という事になればHDBよりずっと高価なコンドミニアムという事になります。 コロナ禍後のコンドミニアムの需要過多で昨年賃貸料が23.9%値上げになっているので、購入価格もこれに合わせて上がっているのかと思い調べてみるとCDB(セントラル・ビジネス・ディストリクト)と呼ばれる中心付近の2ベッドルームで2~3.5億円、チャンギ空港に近いイーストと呼ばれる地区でも最低価格が1.4億円でこの値段には改めて驚きです。国土の狭さが大きな要因ですが、シンガポールの不動産は世界で4番目に高いらしく、ただ売却する時に値段が下がる事はないという神話はまだ続いているようです。 築年数についていえば自然災害はほとんどない国でも暑さや高湿度で日本のような築年数でコンドミニアムの品質を維持するのは難しいらしく、賃貸の場合お薦めの築年数は3年から10年だそうです。新築だと建設技術の問題等で住んでから不具合が出る事があるらしく、3年くらい他の人が住んだ物件の方が安心という事です。 写真は現在賃貸しているコンドミニアムのちょうど真向いのコンドミニアムが昨年解体され、現在新築建設中の一枚です。政府の決まりによって築何年のコンドミニアムは解体という法律のようなものがあるのかもしれません。 余談ですが、知り合いのシンガポール人の会社の同僚が千葉県の一軒家を購入し、値段と品質に満足し2軒目も購入したと話を聞きました。シンガポールに比べると確かに手頃な値段で良い物件が沢山あると思うのですが、購入した家はどのように使われているのか一抹の不安もあります。
2023.10.09
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明治時代にパリで画商として成功した「林忠正(1853-1906)」は、当時日本では全く認められていなかった「浮世絵」の真の価値を理解し、パリで一大ブームを巻き起こしていた「ジャポニスム」の波にも乗り富裕層を中心に浮世絵を売りさばきました。帰国前には同じくパリの美術商の「サミュエル・ビング」に1800点もの浮世絵(写楽24点)を託して売りさばいてもらったそうです。 サミュエル・ビングは原田マハ著の「たゆたえども沈まず」ではドイツ系ユダヤ人画商「フレデリック・ノルデ―ル」で登場し、ゴッホやテオ兄弟に「浮世絵」を通して多大な影響を与えた画商として描かれています。 ただ林忠正自身は本当に価値があると思った浮世絵は決して売らず、帰国の際に印象派のコレクションとともに日本へ持ち帰ったようです。500点にも及ぶ彼のコレクションのための「西洋近代美術館」の建設を夢見るも病に倒れその夢を断念した時に「遺書」を書きその夢を後人に託したようです。 その一人「日本の印象派」の画家「黒田清輝」は林忠正がパリで画家に転向するきっかけを作りましたが、結局彼がその夢に力を貸すことはなかったようです。 売りさばいた「浮世絵」の数に問題があったのか「浮世絵を流出させた国賊」とまで言われたことが影響していたのかは分かりませんが、彼のコレクションの本当の価値を理解できない人達の中でその夢は破れ、多くのコレクションはアメリカで競売にかけられ散逸してしまいました。現在も詳細は分かっていないようです。右上がエドワール・マネの「裸婦像のデッサン」 多くは散逸した林忠正のコレクションで日本に残っている数少ないものの一枚がマネの「裸婦像のデッサン」です。「ブリジストン美術館(現アーティゾン美術館)」ガイドの所蔵品カタログの中にありました。 アメリカでの競売や散逸のことを知るまでは「西洋近代美術館」という名前から、彼のコレクションは東京上野にある「国立西洋美術館」に所蔵されているのかと思っていました。 国立西洋美術館の基礎となる「松方コレクション」を鬼集した「松方幸次郎(1865-1950)もまた興味深い人物です。「林忠正」と「松方幸次郎」のわずかな接点はないのだろうかと・・。 「川崎造船所」の社長という実業家の傍ら1916年に商用で訪れたロンドンで初めて美術品を購入したようです。その後フランスでも印象派の絵画を中心に購入をし、日本で売られた千数百点を含めると一時は二千点以上のコレクションを所蔵したことになります。 彼のコレクションもウィキペディアで見ると戦争などに巻き込まれ「波乱の人生」を送ったようです・・・
2021.02.27
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今日4月7日は「Good Friday(聖金曜日)」でシンガポールは祭日です。毎年4月の第一金曜日がこの祭日でクリスチャンではない私は今までキリストの復活祭「Easter(イースター)」と同じだと思っていました。 改めて調べてみるとキリストが磔になったのが金曜日で「God's Friday(神の金曜日)」とかGoodがHolyの意味で「神聖な金曜日」という事から「Good Friday」と祭日名が付いているようです。 ヨーロッパ、南アメリカ、アフリカの多くの国でこの日を祭日にしているようですが、アメリカは州によって祭日かどうか違うようです。シンガポールは多民族国家で仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教などの宗教の行事は基本的に祭日となっていて、私の印象として宗教心が厚い国だと思っています。 磔の刑で処刑された3日後の日曜日にキリストの復活を祝うのがイースターで、この言葉の語源はゲルマン神話に登場する春の女神「Estore」に由来しているという説もあり春の訪れを祝う日でもあるそうです。 イギリス系の食材店「Marks & Spencer」ではこのイースターのための可愛いグッヅが売られていて、初めてキリストの復活を意味する「卵」の缶入りチョコを買ってみました。普通は絵を描いたりマスキングテープを貼った卵の殻をカゴの中に入れたり部屋に吊るすようですが、私は中がミルクチョコレートの卵を一日一個ずつ食べています。 血の上の救世主教会 ところで池上彰著「世界の大問題13」の中にキリスト教の「3大教派」を説明するページがあってプロテスタントとカトリックの他に「正教会」と呼ばれるギリシャ正教とロシア正教がある事を知りました。現在進行中のロシアのウクライナ侵攻の理由の1つになり得るのがこのロシア正教の原理(ウクライナ正教会はロシア正教会の管理下にあり、ロシア正教会のトップであるキリル総主教が侵攻を後押ししている)に由るものでもあると著書の中に書かれていて、宗教のもつ奥の深さと影響力の大きさを今更ながらに感じます。 2011年ロシアのサンクトペテルブルグを訪れた時は異彩を放つ教会の様子にこの教会がプロテスタントやカトリックと同じルーツを持つ宗教というのを私は全く考えていませんでした。
2023.04.07
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東京大学植物学教室の「田邊教授」が「シダ植物」をこよなく愛する理由を「胞子」で増える事、地球上に生息した初めての植物(台詞がうろ覚えですが)である事を挙げていました。「初めての植物」を検索してみると4~5億年前の「コケ類」だったようで、ただシダ植物はコケ類が地球上に誕生した後5千万年ほどの間に出現しているようです。人類の誕生がおよそ400万年前と考えると植物の歴史の長さには畏敬の念を持ちます。 先週の「らんまん」で寒いなか門前で待っていた妻の聡子に「聡子はシダに似ているかもしれない。花も咲かせず種も作らない」と語りかけます。もし自分が「あなたは植物に例えるならシダ・・」と言われたらどんな気持ちになるか分からないですが、聡子は「子は産めます。前の奥様には敵いませんが、私もきっと・・」と反論します。 それに対して田邊は「いや....得難いと言っているんだよ。私はお前の静けさを愛しているんだ」と妻への愛を植物に例えて伝えます。シダ植物が静けさというのは考えた事もなく今ベランダにある我が家のシダ植物を見てもどちらかというと元気な侵略者という感じになっています。 サボテンの「バニーカクタス」の鉢に或る日舞い降りて来たシダの胞子が3ヶ月ほどでどんどん成長しています。同じ時期にどこかから舞い降りて来た種が発芽して今回で7枚目の双葉が赤色で出て来てこれがもう少しすると他の葉と同じ綺麗な緑色になります。もう1つ右側の葉は不思議で普通の形のものと最初からさやえんどうのように閉じた形の葉が1本の枝から出ています。 日本でも外に鉢を置いておいたらどこからか胞子や種が飛んできて、しっかり成長していくというのは普通の事かと思うのですが、シンガポールでは現在の住居になってミニトマトの種に始まっての経験で何とも不思議な気持ちながら毎日緑色から癒しをもらっています。 余談ですが、スーパーで買った大阪産の「豆苗」を食べた後に「再収穫チャレンジ!」の説明を読んで食卓テーブルの上に置いていますが、これも中々の癒しと、少しずつ切ってお皿に沿えたりしています。個人的には飾り付けのためだけでなく食欲増進のために緑色と赤色(紅ショウガを愛用)が最近必須になっています。
2023.07.20
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NHK札幌で9日まで開催の大河「光る君へ 全国巡回展」に昨日行って来ました。まひろ(紫式部)の実物の衣装(白地に鳳凰のデザイン)や鳳凰が描かれた扇の展示、撮影現場をVR体験できるコーナー等、興味深い物が多々ある中で特に目を引いたのはドラマの衣装デザイナー「諌山恵実」さんの紹介パネルや登場人物の衣装の画像コーナーでした。ブログにコメントを寄せてくれるアストロメリアさんが「十二単」が好きで人形用に手作りの十二単を作っているという事もあります。 清少納言 20歳 春 倫子 21歳 初夏定子 14歳 普段着 諌山恵美さんについてのパネルには「実際の仕事はカラーコーディネートで色目などを提案させて頂く仕事です。探り探りですが提案した色を衣装に反映して下さっているのを目の当たりにしてこの作品に関わらせて貰っていると実感し始めています」と試行錯誤の様子が伝わります。 そして「平安時代の色使いは果てしないというイメージがあります。ただ勉強していくと季節感を出す色合いとか決まり琴も結構ある事が分かり、それでは色が限られてしまうのでスタッフと相談の結果季節感は一旦忘れ、人物ごとにテーマカラーを決めるという方針になり自由度が増し助かっています」と続きます。 画像で説明のあった清少納言、倫子、定子の衣装をじっくり見てみると、袴の赤色は共通なので表着(うわぎ)や唐衣(からぎぬ)に人物のイメージを反映させているのだと思います。 色合いについては大体6色ほどで詳細に「極薄紅」「極々薄紅」「やや濃紅」など細かい色分けに色目に対する思い入れが伝わります。今まではストーリーを追う事や表情などの演技を見る事に夢中になっていて衣装をじっくり見る余裕が無かったので、これからは道長の娘「彰子中宮」の衣装も勿論しっかり目を凝らして見ようと思います。 ところでパネルの1枚「知っていますか?紫式部」に「百人一首」に選ばれた紫式部の和歌が紹介されtていました。紫式部と言えば「源氏物語」で、この和歌は見覚えがあっても紫式部の作とは知りませんでした。「めぐりあひて 見しやそれとも わからぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな(久しぶりに会ったのに、本当にあなたかどうかも見分けられないうちに、雲に隠れるよ夜更けの月のように去ってしまいましたね」「あなた」はやっぱり道長なのかなぁ・・。そうそう清少納言の和歌は百人一首にはないですよね?
2024.06.04
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「国立西洋美術館」の礎を作った松方幸次郎が「モネ」の絵画を購入するために「ジヴェルニーの森」のモネの家を訪ねた際にモネが愛飲するワイン「ナポレオン」を手土産にしたという記事を見つけました。 松方幸次郎の心遣いに飛び上がるようにして喜んだモネはコレクターには売らないと決めていた何点かの絵を快く譲ったようです。ワインだけでなく私利私欲ではない絵画を愛する心と後進のためにという思いがモネの心を動かした大きな要因とは思ってもワイン好きには嬉しいエピソードです。 ただワイン「ナポレオン」は私には馴染みがなく、ナポレオンとワインではブルゴーニュ地方の「ジュヴレ・シャンベルタン村」のワインが有名で、戦いの時はいつも持参したというエピソードが強く印象に残っています。面白いのは「弘兼憲史」著「フランスワイン入門」には実際にはナポレオンはワインを飲まなかったという説が書かれてあり、ブルゴーニュが「神に祝福されたワインの王様」と古くから呼ばれていることに縁起担ぎのように闘いの場に携えたのかなとも思います。 ネットで調べるとイタリアの高級葡萄品種「ネッビオーロ」100%で造るドナス地方の「NAPOLEON(ナポレオン)」が出て来ました。 1800年ナポレオンがイタリアに遠征した時にドナスに滞在しこの地方のワインを飲んで非常に気に入ったという史実に基づき、その200年目を祝うために2000年に造られたワインなので、これはモネが愛したワインとは時代的にも違います。そして史実の中でナポレオンがワインを飲んだと書かれていることも興味深いです。 もう一つ喜劇王「チャップリン(1889-1977)」のエピソードも「フランスワイン入門」で紹介されています。ボルドーの「シャトー・マルゴー」をこよなく愛していたチャップリンは77歳の時、ビンテージ1893年のマルゴーを飲んで「私より少し若いところが良い(チャップリン生誕4年後の葡萄)」と言ったそうです。実際に愛娘に「マルゴー」という名前を付けるほど愛していたシャトーで、こういういうエピソードを聞くと「たかがワイン、されどワイン」と嬉しくなります。 余談ですが、チャップリンの映画「モダン・タイムズ」で流れた曲「SMILE」がチャップリンの作曲と知ってからこの歌がもっと好きになりました。後に「ジョン・ターナー」と「ジェフリー・パーソンズ」によって詩が作られました。 コロナ禍に始まってロシアのウクライナ侵攻など暗いニュースの多い中、この歌を聴く機会が増えた気がします。『笑顔さ。泣いてたって仕方がない。きっと分かるさ人生まだ捨てた物じゃない。ただ笑顔でいれば』
2022.07.26
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毎年この時期友人が日本から送ってくれる「サプライズプレゼント(お中元)」が昨日郵便で届き、私の好物の食材の中に何と「熱田神宮の勝守 勝紐」が同封されていました。 熱田神宮の名前は知っていても訪れた事がなく、果たしてどこだったかな?と調べて見ると愛知県名古屋市で「織田信長」とも深い縁があり「信長伝説」が残る神社でした。ちょうど先々週の大河「どうする家康」の「本能寺の変」の回で亡くなったばかりで凄いタイミングと思いました。 勝守と勝紐は戦勝の舞「陵王」の舞装束の柄で作られている事、勝紐は左手への巻き方も丁寧に説明があります。同封の「信長伝説」に「織田信長が桶狭間の戦いの前に戦勝を祈り、見事に今川義元を討つ事が出来た事から開運・金運・成就運・勝運・仕事運などと共に男らしさにあやかりたいと願う方々が多く参拝している」と書かれています。 熱田神宮を改めて調べてみると創建は第12代「景行天皇(71-130)」の時代で1900年以上の歴史がある神社でした。学校の日本史の教科書でおなじみの「仁徳天皇」は第16代なので、その4代も前の天皇の時代です。そして景行天皇の皇子が有名な「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」で天皇継承時には必須の「3種の神器」の1つ「草薙剣」で命を救われながらも剣をそのまま現在の名古屋市に置いたま三重県で没した事からこの剣と熱田神宮は深い繋がりがあるそうです。 そして草薙剣と言えば平安時代末期の源平合戦の最終戦「壇ノ浦」で入水した安徳天皇ともに海の底に沈み「八咫鏡(やたのかがみ)」と「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」は後に発見されたものの剣だけは見つけられず現在、代用品が使われているという興味深い歴史ミステリーの1つです。朝ドラ「らんまん」の中で高知県の越知町の横倉山が映し出されて「平氏残党と共に安徳天皇は生き延びて余生をこの地で過ごしお墓が残っている・・」というエピソードが紹介され、私は初めて聞く話に驚きましたが、もし剣だけを安徳天皇が持参していたらと想像が膨らんでしまいます。 熱田神宮を調べ日本の悠久の歴史にも触れているうちに「勝守、勝紐」のご利益がありそうな気になって来て、今年残り5ヶ月何か1つでも「勝」が得られればなぁと・・。
2023.08.02
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昨年の自分へのクリスマスプレゼントの1つはラッフルズホテルの「ソムリエナイフ」だったので、今年は何にしようかとギフトショップに下見に行きました。昨年は目にしなかったクリスマス用のオルゴール等のグッヅがいくつかのコーナーにディスプレイされていて、すぐ側に南国ならではの「蘭」も飾られていました。 帰国して使えそうな物としてはテーブルクロス、室内履き、タオル、トートバック、エプロンなどで昨年とほぼ同じ品揃えです。どの品もホテルのネームバリューで高い(ちょっとした物でも2千以上です)ので今年はどこか他のお店でと思いながらも店内を物色していて「カヤジャム」を見つけました。そう言えば帰国を伝えた知り合いの方から日本でカヤジャムを探して何種類か試したけれどシンガポールのカヤジャムに勝る物は見つけられず、必ず買って来てとお願いされた事を思い出しました。 昨年の5月の日記にカヤジャムの詳細を書きましたが、ほんのり甘いトースト用のこのジャムは嵌る人は本当に嵌ってしまうようです(私も来星した当初は嵌りました) 老舗店の「Yakun(ヤクン)」の方が値段も手頃で美味だと思うのですが、やっぱりラッフルズホテルのカヤジャムは麻袋に入って高級感があります。2個購入して大きな紙袋に入れてもらい、今朝紙袋を開けてみるとラッフルズホテルのグリ―ティングカードが入っていて粋な計らいに得をした気持ちになりました。シンガポールの誇りでもあるラッフルズホテル、最後の友人達とのランチはこのホテルのレストランと考えていますが、帰国まで後1週間ほどで果たして実現できるでしょうか?シンガポールの朝ごはんの定番「カヤトーストセット」たっぷりめのバターとカヤジャムです。
2023.12.22
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今朝のNHK「あさイチ」で「痴漢に遭った時の対処法」を取り上げていて、これって私が日本にいた20年前(以上)と何一つ変わっていないのでは?といきなり過去へタイムスリップした気持ちになりました。運悪く電車内で被害にあった時は「勇気を出して声を上げる」「具合の悪いふりをしてしゃがみ込む」「周りの人にSOSを発信する」等など、結局は「自分で自分を守りましょう」という昔と変わらない内容を敢えて電波を使って伝える事なのかなと憤りを感じました。 番組の最後の方で視聴者から「行政の改革が必要」「法律の改定を」と意見が紹介されたのにはホッとしましたが、これに対してもコメンテーターからは「法律の改定には時間がかかって・・」と憤りを増幅させる回答でした。 シンガポールで痴漢行為がほぼ皆無なのは行政が大きく関わっているからで、「死刑」に相当しない軽犯罪(痴漢、すり等)に関しては「むち打ちの刑」が施行されます。打ち方も4段階に分かれているそうで一番厳しいのは(多分針のような物がムチに付けられていて)気絶するほどだと噂に聞いた事があります。男性だけに課される刑罰と聞いて何だかほっとしたのを覚えています。この刑罰も大きな抑止力になっていると思いますが、もう1点日本と違って「女性を性の対象」として捉える文化や習慣が無いお陰と思っています。具体的には日本で昔はよく見た週刊誌のページに使われた女性のヌード写真は20年前のシンガポールで全く目にする事がなく「女性の地位」について考えさせられました。レディファーストが徹底していて女性の地位や待遇については世界的に見ても高いと思っています。それは建国以来の(僅か59年ですが)国のリーダーや政治家たちの「性に対する平等意識」の賜物だと思います。 ちょうど札幌市の地下鉄にも「女性専用車両」の広告があって「あぁ、まだこんな車両が存在しているんだ」と驚いたばかりでした。「女性が輝ける社会を目指して」と言われて久しいですが、通勤や通学にも神経をとがらせ挙げくに個々の自衛努力や交通機関への対策に依頼するだけというのは行政が全く怠けているとしか考えざるを得ないし、少なくても女性議員から大きく声が上がっていないというのも不思議としか言いようがありません。 因みにもし痴漢を捕まえる事が出来た場合(被害者が声を上げて駅係員が捕まえるというのがベストの方法と思いますが)初犯の場合は罰金刑で済み20万円~30万円と検索で出てきました。痴漢行為に遭って精神的に深い傷を負ったまま数年或いは数十年過ごす女性もいるのかと思うとやり切りれない気持ちになります。
2024.04.11
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シンガポールの伝統的な朝食に「カヤトーストセット」があります。「Kaya(カヤ)」は卵、ココナッツミルク、砂糖とパダンリーフを原料にしたジャムで結構甘味があります。因みにカヤはマレー語で「豊か」という意味です。 トーストしたパンにカヤジャムと厚めに切ったバターをのせ、半熟ゆで卵2個(お好みで濃口醤油と白コショウをかけて)に「Kopi(コピ)」と呼ばれる甘い味のコーヒーで1セットです。家庭でというより老舗店の「Yak Kun Kaya Toast」や「Killiney Kopitian」やホーカー、フードコートのショップで食べるのが定番です。 特に朝ごはんに甘い物はちょっと・・という私でも来星当時はカヤジャムの絶妙な甘さに虜になり出勤途中のホーカーのショップで一ヶ月ぐらい食べ続けました。ただ要注意はココナッツミルクのためカロリーが高いことです。 このカヤジャムは少数派ですが、日本からの出張者で(そのご家族も含めて)虜になる人がいて、いろんなカヤジャムを探してお土産に手渡した時期がありました。 「Yak~」店の瓶入りカヤジャムは小さいサイズもあってお土産にはぴったりですが、やはりゴージャス感ではラッフルズホテルのカヤジャムには適わないです。値段は「Yak~」の2倍ほど(それでも10ドルぐらい)ですが、ホテルのロゴ入りの麻袋も素敵なお土産になります。 コロナ禍になって来星出来ないため、郵便で送ろうとしましたが郵便ではジャムやクリームは送れないと言われてしまいました。 そこでふと「Yak~」の「ハンドメイド・カヤバタークッキー(写真左)」はどうだろうと思い、送ってみたところ予想以上に好評でした。シンプルなチョコも付いていないクッキーですが、カヤジャムの豊かさが十分味わえる一品です。そして最近「カヤピスタチオクッキー(写真右)」を見つけて、試しに買ってみました。私にはピスタチオの味が際立っているとは思えずほぼ同じ味わいですが、やはり豊かさを味わえる極上のスイーツです。 調べてみるとこのクッキーは値段の手頃さもあってシンガポールのお土産の第2位でした!日本製の品質が素晴らし過ぎることもあってシンガポールのお土産というと「悩む」ことが多いのですが、これはちょっと力強い味方をつけた感じです。
2022.05.26
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日本の美術館が所蔵するゴッホの絵で1番有名なのは1987年に53憶円で落札し現在はSOMPO美術館に展示されている「ひまわり」だと思いますが、原田マハ著「たゆたえども沈まず」の最初の章「1962年7月29日(ゴッホの命日) オーヴェール・シュル・オワーズ」の中にゴッホの甥の「フィンセント」と出会ったゴッホ研究家の「シキバ」がフィンセントから「日本の美術館にはゴッホの絵はないのですか?」と聞かれ「国立西洋美術館でゴッホの薔薇(1889年)は見たことがあります」と答える箇所がありますす。「ひまわり」落札の20年以上前になります。 この絵は同氏著「常設展示室」の第4篇「薔薇色の人生 La Vie En Rose」にも取り上げられています。フィクションとして「ゴッホの薔薇」はフランスから持ち帰った祖父の死後は主人公「御手洗由智」の父が譲り受け、それがどんな絵なのか全く知らなかった主人公が父のアルツハイマー症の治療費のため絵を古物商に持ち込んだ事でゴッホの絵だという事を知るという展開です。祖母がフランス人(小説では藤田嗣治のかつての恋人)でフランス語が堪能ながらフランスへは一度も行った事がなくやっとフランスへ旅行できる時間の余裕が出来てパスポートを申請に行った御手洗がパスポート発行のアルバイト職員の多恵子と職場の壁に掛けられた「La Vie En Rose」と書かれた色紙について会話を始めたところから話は始まっています。最後は一体御手洗とはどんな人物なのかという謎を残しながら、御手洗が残した国立西洋美術館のチケットで多恵子がゴッホの薔薇と対面するところで小説は終わっています。 「薔薇」国立西洋美術館・松方コレクション ガシェ家遺族が「オルセー美術館蔵」に寄贈 気になってこの絵の検索を続けていると興味深い記事に出会いました。『(アルルでの耳切り事件の後)サン・レミの精神療養院入院中に描いたとされる作品。オーヴェールでゴッホの最期を看取った医師ガシェ家旧蔵。1922年、パリのローゼンベール画廊で松方幸次郎(国立西洋美術館の松方コレクションの基礎を築く)が購入。1944年(第二次世界大戦終戦の前年)にフランス政府に接収、1959年に寄贈返還により国立西洋美術館所蔵に』 今年3月~6月までシンガポールで開催された「ゴッホ没入型体験展示会」でゴッホの絵で一番高額で売買されたのはもう一枚ある油彩の「医師ガシェの肖像」だと知りました(82,500,000USドル)この絵はゴッホの弟テオの妻ヨーが個人コレクターに300フランで売ったのが始まりのようですが、現在所有者も含めて情報は開示されていないようです。ゴッホの絵は背景を知れば知るほど無尽蔵のように興味が湧いてきます。個人的には国立西洋美術館は2度行きましたが「ゴッホの薔薇」を見た記憶は無く機会があればじっくりと時間をかけて観賞したい絵の一枚です。
2023.07.04
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昨日の徳永教授と万太郎の別れを奈良時代の公暁・歌人である「大伴家持」の和歌を引用して締めくくった情感たっぷりのシーンから一転、今朝は1923年(大正12年)に東京・横浜を中心に甚大な被害をもたらした「関東大震災」の凄絶なシーンの連続でした。 隅田川界隈や深川の被害が最も大きかったようですが調べてみると東京帝国大学に与えた打撃も深刻だったようで医学部医化学教室からの火災が生理学教室や薬物学教室を焼き払ったようです。 昨日の流れから徳永教授の安否が気になってモデルである「松村任三(1856-1928)」氏をウィキペデイアで調べてみると関東大震災が起こった年に32年間勤め上げた教授職を退官し、その5年後に亡くなっています。 昨日が徳永教授最後の出演かなと思わせる余韻を残す「和歌」での締めくくりは、元々万太郎とのぎくしゃくした関係に終止符を打ったのが「和歌」の存在で徳永教授が上の句を詠み、万太郎が即座に下の句で応えるシーンだったので、この自然体のような脚本には感服です。「この雪の 消(け)残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む」を同じように上の句、下の句を2人が披露するシーンには徳永教授の万太郎への変わらぬ評価(魅惑の人)がしっかり込められているのだと思います。 山橘は夏に花は開くもののその花は小さく俯き加減であるのに、冬になると真っ赤な実がなるという植物である事を初めて知りました。雪に覆われてもなお美しい実を見せる丈の低い小さな常緑樹の山橘は万太郎そのものなのかもしれません。「らんまん」も残すところ後7回となりました。昨日の「神回」を超えるシーンがいくつ見られるかまだまだ楽しみは続きます。
2023.09.20
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今年6月のシンガポールの「アリアンス・フランセーズ」でのイベントは絵画についてのドキュメンタリー映画3本の上映でした。そのうちの1つイギリスのドキュメンタリー映画「The Impressionists and the man who made them(印象派画家達と彼らを世に知らしめた男)」を見ました。 タイトルが興味深く映画を見る前に簡単な映画紹介を読むと「Paul Durand -Ruel(ポール・デユラン・ルエル)1831-1922」という初めて聞くフランス人画商の名前が紹介されていました。 「Paul Durand -Ruel's brave decision to exhibit the Impressionists in New York in1886 introduced enlightened, wealthy Americans to modern French painting.」 「1886年啓蒙された豊かなアメリカのニューヨークでモダンアート(印象派絵画)の展覧会を開催することを決意したポール・デユラン・ルエルの勇気ある決断」とあります。 パリではポール・デユラン・ルエルが生まれた時代は「サロン」が認めた「官展」が’美術界を牛耳っていた時代で、やっと多数派を占める官展に落選した画家達のクレームを受けて「ナポレオン3世」の計らいで「落選展」の一回目が開催されたのが1863年です。ニューヨークでの展覧会の僅か23年前です。 そして一回目の落選展では「マネ」が描いた「草上の昼食」が堕落した絵画とまた酷評となり、落選展から名前を変えて印象派展としてある程度評価を得始めたのは1870年以降のことです。 映画の中ではポール・デユラン・ルエルが家業である画商を引き継いだ時はあまり絵画には興味がなかったこと、早くに妻を亡くし3人の子供を育てるために堅実な生活を心掛けながらも絵画の購入に関してはある意味博打のような投資をしたことが紹介されていました。 そのきっかけは落選展で酷評を得たマネの絵との出会いだったらしく、何度もマネのアトリエに足を運び「あなたが描いた作品はすべて購入する」と伝え、画廊の経営が危ぶまれるほどマネの絵を購入し、またルノワールやドガ等の印象派画家達から購入した絵画と売った時の値段を記した膨大なメモも映し出されました。 アメリカでの展覧会を決意したのは一枚の手紙をアメリカの美術協会から受け取ったのがきっかけでした。ニューヨークを皮切りにボストンや西海岸でも開催さた展覧会は反響を呼び、アメリカで印象派絵画人気の火付け役になりました。ニューヨークの展覧会は「メトロポリタン美術館」で開催されたのだろうかと期待してそのシーンをじっくり見ましたがたが、名前は出ず実際は小さな会場だったようです。 彼が残した言葉「アメリカはフランスと違って、彼らは絵画を見て嘲笑したりはしない。ただ買ってくれるのだ」というのは正に印象的な言葉です。 映画のポスターに使われた絵は「ルノワール」が1883年に描いた「ブージヴァルのダンス」です。「都会のダンス」「田舎のダンス」と共に「ダンス3部作」と呼ばれています。モデルをつとめたのは自身も画家であり「ユトリロ」の母でもある「シュザンヌ・ヴァラドン」です。 ポール・デュランが特に愛した絵なのか、この3部作は亡くなるまで彼の手元に置かれ、ヨーロッパ各地で展示されたようです。 日本で2足3文で売られていた浮世絵が19世紀フランスで大きな反響を呼んで一大ブームになったように、新天地でその本来の価値が見出されることがあるのだなぁと絵画の運命についてちょっと考えさせられた貴重な映画でした。
2021.10.09
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シンガポールに20年間住んで住みやすさを実感する1番目が「安全性」です。政府が「犯罪が少ないというのは決して犯罪がゼロではない」とビルや住居のセキュリテイの質を年々向上させています。そして2番目は「ゴミの分別がなくいつでも捨てられる快適さ」です。 12月に入り本帰国を控えて処分する大型の家具の事で不動産屋さんに確認すると4人掛けの食卓テーブル(椅子4脚)、ソファ、机はコンドミニアムの1階にあるごみ置き場には捨てられないので業者にお願いするしかないということで3つ合わせて100ドル~300ドル(1万円~3万円)くらいと言う事でした。不動産屋さんが業者を手配してくれるので問題ないのですが、政府系の住宅(HDB)に住む友人からHDBではどんな大型の家具でもゴミ置き場に捨てたり無料で回収をお願い出来ると聞き驚きました。住宅の種類によって粗大ごみの扱いが違うようですが、それでも日本に比べると手軽に捨てられるという感じです。 シンガポールのフリーペーパー「SingaLife」に「コンドミニアムの場合テーブル、椅子、戸棚などの粗大ごみは粗大ゴミ置き場に置いておくと契約している収集業者が回収してくれます」とあるのでもし費用が発生しても貸主の負担かなと思い、不動産屋さんに相談する前にこの記事を見ていたら無駄な出費が無かったのかなと後悔です。 粗大ごみは別として普段家庭で出るごみに関してはシンガポールは全く分別せずに各階にある「ダストシュート」にポンと捨てるだけでこの生活を20年間続けると帰国してからの事が大袈裟ではなくかなり心配になります。 検索すると日本では各地方自治体によって違いがあり、またダイオキシンを発生させない高額な焼却炉がある自治体はそんなに分別のルールが厳しくないというのもあり統一できないものなのかなぁと考えます。別の記事には分別が嫌であれば直接ゴミ焼却炉へ持って行く手もある等と書かれていますが、車が無い場合まさか地下鉄やバスに乗ってというのはあり得ないだろうなぁとか・・。各自がゴミを増やさない工夫をしながらも少しでも分別の負担を軽くするある程度国内で統一した方法を政府には是非検討してもらいたいです。 「追記」2024年2月28日 本帰国してほぼ2ヵ月が過ぎゴミの分別やごみ捨てのルールを少しずつ学んでいるという感じです。最初はきちんと出来るのだろうかという不安ばかりが大きかったのですが、意外に何だか人間らしい生活をしているような感じです。ゴミを減らすために極力食べ残しや捨てる食材を減らす事、不必要な包装はしてもらわない琴など考えさせらる事が多いです。 何でも楽しんだ者勝ちかなと思ってニトリの「分別ゴミ袋スタンド」をネットで見つけて購入しました。550円という安さも人気の秘密で品切れがで数日待って今日受け取りました。早速3種類のポリ袋をかけてみましたが、なかなかお洒落でこれからの分別も楽しくなりそうです(^^♪
2023.12.19
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先日NHKホールで開催の「光る君へ 全国巡回展」を見に行った時、奥のコーナーに大型スクリーンが設置され「8K画像で見る伊藤若冲」が放映されていました。江戸中期の天才絵師「伊藤若冲(1716-1800)」と聞いた事はあっても若冲の絵をじっくりと見たのは初めてでした。 映像では「花の若冲」というタイトルで香川県にある「金刀比羅宮 奥書院 上段の間」の襖絵として描かれた「百花図」の中から何点か選んで絵の解説をしています。この奥書院は一般には公開されていないらしく、しかも植物学者と言っても過言ではない若冲が描いた花を拡大画面でというのはかなりインパクトがありました。 尾形光琳作 伊藤若冲作 そして若冲の生まれた年に亡くなった江戸時代の「琳派」の旗手「尾形光琳(1658-1716」の描いた「燕子花(かきつばた)と伊藤若冲の「燕子花」が映し出され、見る人の目を引く美しさを追求した琳派と対照的に伊藤若冲は仏教に深く帰依していたため仏教の【死生観」に基づいて美しく咲き誇る花だけでなく枯れゆく葉や花を描き入れているとの解説が心に沁みました。そう言われると絵の中に「もののあわれ」を感じる気がします。伊藤若冲作「朝顔」 朝顔もやはり絵の左下部には枯れた葉が描かれています。そして絵を拡大して見る事の利点は実物の絵を美術館で見ても気が付かないであろう細部が見られる事で、伊藤若冲が植物学者と言われる所以の花の作り(雄蕊や雌蕊など具体的な数も含めて)や花の進化の過程が見られるという事でした。このような知識を持って実際に伊藤若冲の絵を見るともっとその真髄に近づけるのではと思わせてくれる映像の数々でした。
2024.06.07
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「原田マハの印象派物語」副題は「(美しき)愚かものたちのセブン・ストーリーズ」を図書館から借りて読み始めました。エピソード1の「モネの物語」で始まり、エピソード7の「ゴッホの物語」まで7人の男性画家、2人の女性画家が登場します(7人がフランス人画家)どのエピソードも興味津々ですが、モネの物語の最初の1行目にまず驚きました。「その日の夕刻、クロード・モネはセーヌ川に身を投げた」・・1868年初夏、セーヌ川のほとりで絵を描いている最中に絵を描き続ける事がこんなに苦しいならいっそセーヌに抱かれて死んでしまおうと発作的に身を投げたとあります。 自殺未遂の1年前27歳のモネが渾身の力を込めて描き上げた大作「庭の女たち」が官展(サロン)に落選し、しかも選考委員たちから「絵筆の跡があらわであまりにも嫌だ」「未完成じゃないか」とこき下ろされ事がそれ以前にサロンに入選した経験のあるモネには耐え難い屈辱だったのかと思います。「庭の女たち」の落選の後、絵が売れずパンも買えないほどの極貧生活と自殺未遂は何となく私が抱いていたモネの印象とは違っていました。 その後、サロンの入選、落選が続き1874年の第1回印象派展で「印象 日の出」を出品します。この絵も当初はかなりの酷評を受けたようで古い絵画の伝統を守ろうとするサロンとの戦いがいかに大変だったのかと想像します。やっと作品が売れるようになったのは自殺未遂から12年後(この年にサロンに入選)の40歳になってからです。 画家の自殺と言えばやはりゴッホの拳銃自殺ですが、同氏の著書「リボルバー」でゴーギャンも愛娘が亡くなった知らせをタヒチで受け、自殺を図った事を知りました。モネもゴーギャンも共に未遂で済んだので、結局は現代に残る名画を多く残していますが、もし未遂で済まなかったらと考えると・・やはりゴッホが37歳以降にどんな絵を描いただろうという思いに駆られます。
2024.03.10
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昨日放送のNHK「歴史探偵」の「清少納言と枕草子」は楽しみにしていましたが、期待以上の内容でした。まず形容詞が多く使われている枕草子の中でも特に登場頻度の高い言葉を大きな文字で、そしてポジティブな意味合いが赤色、ネガティブが青色として表示がありました。 特に「をかし」については中宮定子が宮中にいた時には「優れている」「素晴らしい」であった意味が宮中を去ってからは「趣がある」と変わって行った事に触れていました。そう言えば「紫だちたる雲」って見た事がないと気付きました💦 枕草子冒頭の「春は、あけぼの」についてそれまでは春と言えば「桜」や「梅」「ウグイス」等と結び付けられていたのに対して「あけぼの」と結びつけるところに清少納言の「センスの良さ」が光っているという解説に納得です。 続く「やうやう白くなりゆく山ぎわは、すこしあかりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる」の中の「紫だちたる雲(紫がかった横雲)」について、もともと「紫雲」というのは目出度い印とされ念仏行者の臨終などにあたって阿弥陀仏がこの雲に乗って御来迎するという事から紫雲を「中宮定子」と重ね合わせ「定子絶賛」から随筆が始まっているのではという事でした。 随分前に田辺聖子著の「むかし・あけぼの」を読んだ時は「随分自我自賛の人だなぁ」という感想でしたが、番組内で中宮定子の人柄、漢文や万葉集などの優れた知識を絶賛するために書かれた随筆という事に改めて納得でした。 大河「光る君へ」では「ファーストサマーウイカ」さんがイメージ通りの機転が利く清少納言を好演していて今後が益々楽しみです。最後に番組内で清少納言と紫式部が直接言葉を交わす事は無かったと推測する理由の一つに「紫式部日記」を挙げていました。その日記に書かれた清少納言への痛烈な批判「大した漢文の知識も無いのに(自分に比べて)素敵とか立派とかただ浮かれて書いている・・」は中宮定子が父道隆の死後、道長の娘彰子に追い立てられるように宮中を去った後も依然として宮中にあった「中宮定子への称賛」に激しく嫉妬したためではないかという推測は説得力があります。 もし2人がお互いの作品を読んだ上で言葉を交わしていたら「あなたの才能って、いとをかし」と絶賛し合ったのかもしれません。 ずっと気になっていた清少納言のその後については定子が住まいを構えた近くに定子の死後も住み続け穏やかな生涯だったと番組で結んでいて紫式部日記での予測とは違っていて何だかほっとしました。
2024.05.16
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初めて東京の「国立西洋美術館」に行った時に一番印象に残った絵が「Kees Van Dongen(キース・ヴァン・ドンゲン 1877-1968)」の「カジノのホール」でした。 「カジノのホール」1920年 松方コレクション 「並木道」アーティゾン美術館蔵(旧ブリジストン美術館) どうして一目見て惹きつけられたのか今ではあまり覚えていませんが、それから数年して東京のブリジストン美術館(現アーティゾン美術館)に行った時に興味を惹かれたのが同じくヴァン・ドンゲンの絵だったのに驚きました。 その時買った画集には「第一次世界大戦後、社交界の肖像画家として成功を収め、一躍画壇の寵児となった。ドンゲンが一貫して好んだ主題はパリの洗練された女性たちであり色彩画家としての資質を生かしながら都会生活の華やかな側面を官能的に描き出した」と書かれています。 その後「パリ市立近代美術館」で「スフィンクス(菊の女)」や「エルミタージュ美術館」で「黒い帽子をかぶった女性」を見ましたが、この2枚の絵ほど惹きつけられる物はありませんでした。 オランダの酒醸造業の家に生まれオランダで絵を学んだ後、1899年にパリに転居し1910年頃にピカソに誘われて家族(妻と娘)と共にピカソが恋人のフェルナンド・オリビエと住んでいた集合アトリエ兼住宅の「洗濯船」で一緒に暮らしています。 その時描いたピカソの恋人「フェルナンド・オリビエ」の肖像画です。1905年頃から「フォービズム(野獣派)」へ傾向していった様子がマティスの「緑の筋のある女」とよく似た緑色の絵の具の使い方からもよく分かります。目の周りの官能的なピンク色や赤い唇はピカソの影響もあるのかと想像します。 晩年は「駄作」しか描けなくなったと何かの記事で読んだことがあります。作家にしても画家にしても才能の枯渇というものはあるのかと思いますが、晩年も含めて私には依然興味を惹かれる画家の一人です。アーティゾン美術館を検索するとオンラインショップで来年のカレンダーがまだ販売中でその中の6月がヴァン・ドンゲンの「シャンゼリゼ大通り」でした。 ワインショップ「ワインコネクション」のオランダ人スタッフにゴッホだけでばなくヴァン・ドンゲンの事も話したところ「ふっ・・」と謎の微笑みを返されてしまって今でも気になっています。次回ワインを買いに行った時に、微笑みの意味を確認したいなぁと思っています。
2021.10.26
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今週の月曜に朝ドラ好きのK子さんとワールドカップのクロアチア戦を見に行った時、ハーフタイムに「舞い上がれ」の話になり「吉川晃司良いよね~」と言われて、個人的にお薦めのドラマを彼女にメールで伝えようと思っていたら、今朝の「あさイチのプレミアムトーク」が吉川晃司さんでした。 ロックンローラーの吉川晃司さんを忘れかけていましたがコンサートの映像も流れ、今も変わらぬパワフルなパフォーマンスに圧倒されました。ファンの間では有名なようですが「シンバルキック」は私は今朝初めて見て、その後ネットの映像もチェックしました。蹴った後、床の上に倒れすぐ起き上がるスゴ技に唸りました。 グレイヘアも素敵で若く見せようとは全く思っていない事、一日5~8km走ったり、泳いだりの運動は若さを保つという目的ではない事、そして料理をする様子も映され「良い物を体に与えることがいかに大切か」と説得力がある言葉がいくつもありました。 クールで笑わない「鬼・大河内教官」がすっかりはまり役になっていますが、今朝は自然体で笑顔も一杯で飾らない人柄に「素敵な人だなぁ」と改めて思いました。 個人的には2016年から2年間放送されたNHK「大河ファンタジー・精霊の守り人」で主演の綾瀬はるかさん(女用心棒・バルサ役)に短槍の使い方を教える「ジグロ」を演じた吉川晃司さんの印象が強く残っています。2人の短槍で激突するシーンは迫力満点以上で、こういう演技が出来るということが日々の積み重ねの賜物なんだと今日改めて思いました。 余談ですが「鬼・教官」として今でも印象に残っている映画は1982年公開のアメリカ映画「愛と青春の旅たち(An Officer and a Gentleman)」です。 主演の貧しく荒んだ家庭から逃れるために「航空士官候補生学校」に入学を果たした「リチャード・ギア」と共に冷酷なほど厳しい「鬼・教官 フォーリー海兵隊軍曹」の演技が秀逸でした。厳しい訓練を無事終え士官になったリチャード・ギア達に最後に見せる敬意の態度や表情が鮮やかに残っています。こう考えると教官と言う仕事は思った以上に大変な仕事なのかもしれません。舞ちゃん達を無事送り出す時の大河内教官の演技に期待大です! 『追記』12月12日 先週の金曜の吉川晃司のシンバルキックの残像が残っている中、今朝の舞い上がれの大河内教官が舞ちゃんを釧路空港へと導くシーンにはグッときました。恒例「あさイチ」の朝ドラ受けで大吉さんは「マーベリック(映画トップガン)でしたね。曲まで聞こえましたよ(曲は私には聞こえませんでした💦)釧路空港でのシンバルキックまで見えてます」とコメント。華丸さんは「いやぁ~、すごかった。止まらないよ。恋は止まらないよ。恋は止めないで」とコメントを。うん?ちょっと意味不明だけど兎に角大河内教官の名シーンの中では今までのところアイスを超えて一位!明日からの展開に超期待です。
2022.12.09
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今日これからシンガポール動物園での「オランウータンとの朝食」に出かけますが、よく考えるとオランウータンの姿以外はよく分かっていない事に気付き、予習のためウィキペディアを見てみました。 オランウータンは「ヒト科オランウータン属(Pongo)に分類される総称で語源はマレー語の「orang(人)」と「hutan(森)」で「森の人」という意味で、これはどこかで聞いた記憶があります。 属名の「Pongo」は16世紀にアフリカ大陸で発見された人のような怪物(ゴリラもしくは原住民と考えられている)に由来するそうです。 インドネシアのスマトラ島北部とボルネオ島、マレーシアのブルネオ島にのみ生息するという事は初めて知りました。東南アジアに住んでいるのであれば必見の動物でした。 左からボルネオオランウータン、スマトラオランウータン、タバヌリという3種類に大きく分類されるようで、顔の表情や色も随分違います。 シンガポール動物園のホームページにある写真から顔つきが判明出来ませんが、何種類のオランウータンに会えるのか楽しみです。 オランウータンの体長は雄で97センチ、体重60~90㎏、雌が78センチで40~50㎏で人間より結構小さめです。そして興味深い食性は雑食で「イチジク、ドリアン、マンゴスティン、ライチ等の果実や植物の芽や葉、昆虫、鳥類の卵、小型哺乳類」等を食べるようです。独特の匂いがあるけれど果物の王様と言われるドリアンも食べるとは驚きでオランウータンに用意される朝食がどんな物なのか一層興味が湧きます。因みに私たちに準備される朝食はバイキングケ形式でローカル食や洋食など種類も豊富なようでこれもまたとても楽しみです。 朝食の後は久し振りの動物園を堪能して、写真もたくさん撮って明日日記にアップ予定です。
2022.12.26
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昨日の「チコちゃんに叱られる」の2問目は「彫刻はなぜ裸?」で答えは「今からおよそ3000年前に古代ギリシャで初めて彫刻が作られた当時人間の裸が一番美しいと思っていたから」でした。より美しい人体の研究も行われゼウスに代表されるギリシャ神話に登場する神々も確かに人間と同じ姿をしています。そして古代ギリシャ起源の古代オリンピックでも選手達は全員裸で参加していたそうです。日本でもお馴染みの「考える人」のロダン(1840-1917)も古代ギリシャ彫刻の影響を受けほとんどの作品が裸だそうです。 訪れた美術館で彫刻の展示が多かったのはアメリカだったら「メトロポリタン美術館」フランスだったら「ルーブル美術館」のような大きな美術館という印象ですが、撮った写真を探してみるとルーブル美術館の2枚だけが残っていました。 「蛇と戦うヘラクレス」 「ペルセウスとアンドロメダ」 検索して調べてみると写真左はモナコの彫刻家「フランシス・ジョゼフ・ポジオ(1768-1845)」作で恋敵の河神で大蛇に化けた「アケローオス」を退治している場面だそうです。右はフランスの画家/彫刻家「ピエール・ピュジェ(1620-1694)」作で美貌を自慢したアンドロメダが生贄にされそうになったところをそこを通りかかったペルセウスによって助けられた場面ということです。 ヘラクレスやアンドロメダは名前は知っていても「さてどんな人(神)?」と今更ながらに疑問に思い一昨年読んだ小学生向けの「ギリシャ神話」をもう一度見てみるとヘラクレスは全知全能の神「ゼウス」と人間の女性の間に生まれた「半神半人」でアンドロメダはエチオピア王と王妃の間に生まれた人間です。アンドロメダを救ったペルセウスはヘラクレスと同じゼウスと人間の子なので「半神半人」です。因みに古代ギリシャで彫刻が作られた当初は女性の裸はタブー視されていて、男性の裸の彫刻から300年後ぐらいに女性の裸の彫刻が作られ始めたとそうで、そういう知識があるとアンドロメダの裸の彫刻も価値が増すような気がします。 番組内で東京23区の街中にある180体の女性の裸の彫刻についても解説があり、海外では美術館以外の場所で女性の裸の彫刻はほとんどないという理由もあり、最近は撤去されたり別のモニュメントのような物に替えられたりしているそうです。日本で何故街中にというのも明治時代になって、古代ギリシャ彫刻の本来の意味を理解せずに西洋化を急いだ結果なのではと説明もあって、今までちょっと関心が薄かった彫刻もじっくり観賞してみたいという気持ちにさせてくれた「チコちゃん~」に感謝です。修学旅行で見た十和田湖の「乙女の像」は今でも良い思い出ですが・・。
2023.07.22
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元オリックスの山本由伸選手のメジャー移籍先が昨日「ドジャーズ」と決まり、個人的には大谷選手とチームメイトになる事はないんじゃないかと思っていたので意外でしたが、山本選手も契約内容は12年3憶2500万ドルで、現在25歳のため「25歳ルール(ポスティングシステム)」を使っての移籍にしては契約金の多さに驚きました。因みに大谷選手が2017年23歳でポスティングシステムでアメリカに渡った時は年俸54万5千ドルでエンゼルスと6年契約でした。 そして大谷選手の愛犬「デコピン」同様に山本選手の愛犬「みかん」も話題になっていてネットにオリックスの元同僚のワゲスパックが「そのふわふわした毛の色が日本のみかんの皮に似ていたために名付けた。山本がその小さくてふわふわの愛犬を連れずに旅行することはめったにない」と話していたという記事がありました。 まだお披露目がないのでみかんの皮から推測の記事もあって「トイプードル」が有力のようです。大谷選手のデコピンとのツーショット(みかんが雌ならデート?)ももうじきかなと楽しみです。 話は変わって今一番モヤモヤしている選手はロッテの佐々木朗希選手かなと勝手に想像します。メジャー挑戦を表明していた現在22歳の佐々木選手の去就は?と調べてみると12月15日の締め切りまでポスティングされなかったとあり、来季の大谷選手や山本選手の活躍次第では海を渡るのかなと佐々木選手の去就からも目が離せません。
2023.12.23
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昨日北海道の札幌と函館で桜の開花宣言がありました。ちょうどジムへ向かう途中にある「倉式珈琲店(今年2月末で閉店)」のほぼ敷地内にある樹木に咲き始めた花があまりに可憐で写真に撮りました。 4月18日 3月28日(閉店から1か月後) 北海道では梅と桜が同時期に咲くため見分けるのが難しく検索して調べてみましたが白とピンクの花は多分桜かなと思います。ふと菅原道真の「東風(こち)吹かば にほひ おこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」が浮かびました。菅原道真が左大臣の圧力によって京の都から大宰府に左遷させらた時(901年)に詠んだ歌で、大河「光る君へ」と同じ平安時代ですが1100年以上の時を経ても花に対する愛情がひしと伝わる名句だなぁと思います。 本帰国して1か月後ぐらいに倉式珈琲店を見た時は何て大きな看板と建物と広い敷地だろうと思っただけですが、その後2月末に閉店と分かり、閉店間際に滑り込みで行って来ました。 運よく窓際の席が空いていて珈琲とお勧めのスイーツを注文してからゆっくりと店内を見渡したり、窓外の樹木や雪景色を眺めました。徐々に外も暗くなって来て全くライトアップされていない外の景色は却って神秘的な感じがしました。珈琲の味わいも店内の落ち着いた雰囲気も申し分なく、このお店が閉店するのは何とももったいないなぁと思いました。 ところで樹木の花はここ数日立ち止まって写真を撮る人達を見かけるようになり、すぐ隣の敷地にあった「ベーカリー レストラン サンマルク」も昨年2月に閉店の張り紙をドアにしたままの寂しい状態になっています。主(お店やお客さん)がいなくなっても春を忘れないでこれから更に花々が咲き乱れるのかなぁと思いますが、この景色に見合うような素敵なカフェがまた誕生して呉れる事を切に願います。
2024.04.19
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今朝起きてカーテンを開けて空を見上げるとここ2~3日の曇り空から一転、青空が広がっていました。やはり天気が良いと気持ちも良いものです。そして朝のNHKのニュースで「140年前(1884年 明治17年)の6月1日に日本全国の予想をたった1つの文で表現した日本初の天気予報が掲示された日」と情報があり「どの観測所による情報なのか気になる人はネットで調べてみて下さい」との事でした。 画面に映し出されたたった1つの文は「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ(全国的に風向きは特に決まらず、天気は変わりやすいですが雨になりがちでしょう」で東京の派出所等に掲示されたそうです。 調べてみるとこのざっくりとした天気予報の原因は当時全国に22(現在は約1300ヶ所)の観測所があったものの海上などのデータも無く、得られるデータがかなり少なかった事にあるようです。そしてざっくりながらこの天気予報が可能になったのは1800年代にイギリスで「電報」が開発され情報伝達がほぼリアルタイムになり、その技術が日本に伝わったためという事です。 確かにそれ以前は「ツバメが低く飛ぶと雨になる」のような信憑性はあるけれど「言い伝え」が庶民の間に浸透していた事を思い出します。 天気の事を考えていてふと「テルテル坊主」の事を思い出しその起源は?と調べると発祥は中国という記事がありました。中国の「掃腫娘(そうせいじょ)」という少女が晴れを祈る中国の伝説とあり、日本には江戸時代に伝わったようですが、何故女の子から坊主になったのかは髪が無くお坊さんのようだからなのでしょうか?今の時代「明日は楽しみな行事があるから」と言ってテルテル坊主を吊るす子供がどれだけいるかなぁと思いながらシンガポールに20年住んで「天気の事をあまり気にしない(雨が降るか降らないかだけで一年中日中の気温は30度ぐらい)」生活から天気予報の情報が頻繁に流れる国に戻って来て情報は有難いとは思いながら時々情報過多かなぁ・・とも思ったりします。
2024.06.01
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2014年に訪問したランスの町ではバカラ工房までは足を伸ばせず、バカラのグラスを売っているお店は見つけたもののやはり高価なのと飛行機で持って帰ってくるのに若干不安もあり購入は諦めました。その後、運良くシンガポールのフリーマーケット「お役たちサイト」で2客で2千円ほどでバカラのワイングラスを手に入れました。 国土の狭いシンガポールでは大きな家具や電気製品以外はほとんど受け取りは直接会って品物をチェックしてその場で現金で支払いをします。受け取り当日、実物を見るとサイトの写真で見たよりも小ぶりでしたが「未使用なんです」と説明があり、即購入しました。多分気の持ちようなのか最初にこのグラスでワインを飲んだ時ワインが普段以上に美味しく感じました。「Baccarat」の刻印があって流石高級感があります。 電球タイプのアロマポットです。購入した時は普通の電球が入っていたのですが、LEDライトしか購入できなくなり、明るさや蒸発量に多少不満はありますが問題なく使えています。こちらは通常の1/3ぐらいの値段で購入しました。 シンガポールでカラフルな鉄瓶を見たのは日本から出店している「カフェ・マ・メゾン」でした。ケーキとコーヒーを頼んだところコーヒーが鉄瓶で出されて、意外な取り合わせに驚きましたが、もともと鉄瓶には興味があったので素敵だと思っていました。その後フランスに旅行した際に何軒かお店でカラフルな鉄瓶が部屋のディスプレー用としてだと思うのですが、売られているのを見てずっと気になっていました。 運良くお役たちサイトで鉄瓶を見つけ、MRT(地下鉄)の駅で受けった際、出品者の方から六本木ヒルズ内のお店で購入してシンガポールに持って来たこと、本帰国になったので日本でまた新しいのを購入予定であると説明がありました。こちらも破格の値段で譲ってくれました。 日本茶だけでなく、中国茶、紅茶、コーヒーを飲む時にも使っていて「お家ご飯」の時この鉄瓶で飲み物を出すとかなり受けます。 国土の小さい国ならではのちょっとした楽しみ&息抜きです。
2020.06.20
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漫画「神の雫」と「マリアージュ 神の雫 最終章」の中に登場した絵画の中で印象深いのはレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」、ブラマンクの「赤い木のある風景」そしてミレーの「晩鐘」です。 「オルセー見学ガイド」の画像から。 ミレーの「晩鐘」は「マリアージュ~」25巻目で神咲雫が「シャトー・ムートン・ロートシルド(メドック格付け1級) 1982年」の表現のために使っています。この絵から実際に聞こえてきそうな「鐘の音」も漫画の中に描かれていて「キー・ワード」のようになっています。 2006年にボーヌで「冬の葡萄畑を見るツアー」に参加し「ロマネ・コンティ」「コルトン・シャルルマーニュ」や「エショゾー」の畑の前で車から降り人影もない畑をずっと眺めていたのを思い出します(勿論試飲はありません・・💦) 因みにフランスを代表する偉大な白ワイン「コルトン・シャルルマーニュ」は西暦800年に西ローマ帝国の皇帝になったシャルルマーニュ(英語読みはカール)大帝がこの畑を所有していたことに由来しているようです。 そしてある日大帝が赤ワインを飲んでいると髭が赤く染まってしまい怒った大帝が「私の葡萄畑から赤ワインを造ることは一切許さない」と命令を下し、それが現在に引き継がれているという歴史の長さには驚きます。 ボーヌからパリに戻り美術館通いを再開させ、まずは「オルセー美術館」に行きました。お目当ての「印象派絵画」へと急ぎ足状態でしたが、途中のミレーの「晩鐘」の前で釘付けになりました。ボーヌで葡萄畑を見ていなければ「あぁ~、あの有名な絵画」とちょっと見るだけに終わっていたと思います。 「土地の恵み」「天気」「一日の労働を無事終えられたこと」などなど様々な感謝の気持ちを教会の鐘の音に合わせて祈る「真摯」で「敬虔」な姿は本当に美しいと思いました。 ミレーの絵に描かれているのはジャガイモ畑ということですが、作物が何であれワイン造りにも使われる言葉「天・地・人」への感謝をこんなに的確に描いた絵というのは数少ないのではと勝手に思っています。そして見れば見るほどこの絵の奥深さを知りたくなります。 偶然の出会いから貴重な一枚になる絵は結構あると思います。「晩鐘」や「原田マハ」氏著の「楽園のキャンヴァス」で知ったアンリ・ルソーの「夢」という一枚も今は私にとっては貴重な一枚です。
2021.07.27
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1990年代の「イギリス映画」と言ってすぐ思い浮かぶのは1996年公開の「Train Spotting(トレイン・スポッティング)」で主役を演じた「ユアン・マクレガー」のジーンズ姿のポスターからして衝撃的でした。このポスターに刺激を受けてしばらく履いていなかったジーンズを買いに行ったほどです。 トレイン・スポッティングが「鉄道マニア=オタク(この映画の中ではドラッグ中毒)」という意味だと映画を見た後に知って、うまいタイトルを付けるなぁと感心しました。スコットランドを舞台にドラッグ中毒の若者達をユーモアを交えて描き、また映像が当時としては斬新過ぎました。 その翌年の1997年に公開になった「The Full Monty(フル・モンティ)」は失業した6人のちょっと情けない「おやじたち」6人が男性版「ストリッパー」として成功する物語で、これは元気をもらいました。 当時ハリウッド映画に代表されるアメリカ映画に何となく物足りなさを感じて、映画通の友人から薦めてもらったイギリス映画に嵌っている時期がありました。 そして友人の一押しでビデオで見たのが1992年公開の「The Crying Game(クライング・ゲーム)」でした。舞台は20世紀初頭のアイルランドでイギリスからの独立をかけた戦いのため過激なIRA(独立軍)のシーンもあります。血を流しながら独立を勝ち取ろうという「政治」が根幹にある映画ですが、映画の根底にあるテーマは「人間の本能や性」です。 映画の中で有名な「サソリと蛙」の逸話が出てきて、このシーンは今でも私の中では一番印象的です。サソリが川を渡るために蛙に背中に乗せてくれと頼みます。蛙はサソリの説得に負けて乗せますが、サソリのどうしようもない「性」で結局蛙を刺し殺してしまいます。 4年ほど前に東京でワインバーを経営する同郷の知人から「いろいろ考えるところがあり、先日大昔に勧めてもらったクライング・ゲームをまた見てみました」とメールがきて本当に驚きました。勧めたことも全く覚えていませんでした。 そして今年、今度は彼のお店のニューズ・レターにこの映画の中の「人生の中で究極の場面に迫られた時、人はどちらかに進むしかない」という台詞が引用されていました。コロナ禍の中、究極の場面は山ほどあったのだと思います。 イギリス映画が良いなぁと思うのはアメリカ映画と違ってお金をかけていないと思わせるところ、緑の景色が日本と同じように美しいこと、ストーリ―重視の作品が多く深く心に残るところかなと思います。 その中でも私の一押しは2000年公開の「Billy Elliot(リトル・ダンサー)」で、少年がクラシックバレーに目覚め、当時イギリスの片田舎では「バレーは女がやるもの」と大反対をする昔気質の父親と徐々に親子の絆を築き、最後にはビリーが大きな夢を叶えるというストーリーです。「何故、夢を持ってはいけないんだ」勇気をもらえる一言です。
2021.11.30
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パリのオペラ座ガルニエの「天井画」を描いたのは「シャガール」というのは有名ですが、以前にひょんな事から天井画を描くことになったと聞いて、改めて調べてみました。 歴史的にはオペラ座建設は19世紀半ば「ナポレオン3世」による計画で、匿名によるコンペを制した「シャルル・ガルニエ」の名前を取ってオペラ座ガルニエとなったようです。当時の天井画は「ジュール・ウジェーヌ・ルヌヴー」による「昼と夜のミューズの時間」でこの絵は1872年から1964年までオペラ座の天井を飾りました。 およそ90年後の1960年に当時の大統領「シャルル・ド・ゴール」と文化大臣「アンドレ・マルロー」がオペラ座で海外からの代表団とバレーを鑑賞していた時、退屈したマルローが天井画を見上げ「なんて時代遅れの絵・・」と思ったのがきっかけのようです。 バレーの舞台美術の監督を任されていたシャガールはマルローとは長い付き合いの友人で、すぐに彼に新たな天井画の依頼をしたようです。ただこのアイデアが公表されると批判が殺到して隠れるようにして7ヵ月で絵を完成させたそうです。 そして1964年無事オペラ座にシャガールの天井画が登場します。 2014年に初めてオペラ座ガルニエでバレー「Orfeo ed Euridice(オルフェオとエルリディ―チェ)」を見た時は天井画の歴史を全く知りませんでした。 開演前に最初に見上げた時はまず想像以上に雄大な絵に圧倒されるという一言でした。その後もバレーを見つつも何度も見上げました。 バレー鑑賞後、オペラ座の中を散策しましたが荘厳としか言いようがありません。 オランジュリー美術館蔵「ルノワール」の「(Bouquet dans une loge(桟敷席の花束」は私の特に好きな絵の1枚で、1878年~1880年の間に描かれた作品です。 深紅の椅子を見るとオペラ座を思い出します。実際に自分が座った席のことはよく覚えていないのですが(汗)
2022.02.12
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ワールドカップのベスト8も出そろい今週末からの優勝争いに興味深々ですが、もう一つの「侍ジャパン WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)」のニュースで昨日「ダルビッシュ」選手が2023年 WBC 東京に「SNSで栗山元監督から出なさいと言われたので、はい出ますと答えました」とコメントが流れ「こんなにあっさり快諾?」とちょっと驚きましたが、元監督の威力炸裂ということなのでしょうか?早々に出場を決めている大谷選手と2人を東京で見られるなんて想像するだけで野球ファンとしては興奮します。そして元監督は2人に来年2月に宮崎県内で行う強化合宿からの参加を要請しているようで、これが実現すれば東京ドームだけではなく練習中の2人の姿も直に・・と想像するとこれはちょっと凄いニュースです。 今までそれほどWBCには興味が無かったけれども、改めて調べてみると2006年に第一回が始まり、2回目の2009年以降は4年毎の開催となりコロナ禍を含めて、来年3月の開催で5回目というまだまだ新しい大会で日本は2回優勝していました。 今回の3月8日から21日までの予定を見てみると、POOL AからPOOL Dに分けて5ヶ国ずつで計20ヶ国日本はPOOL Bで韓国、オーストラリア、中国、チェコとの対戦で、アメリカはPOOL Cです。 ネット検索をしていると「里崎智也氏が選ぶ最強オーダー」があって、このメンバーを見るだけでもう優勝の期待が沸き上がります。他の方の予想もあるのですが、個人的には日ハムの松本選手が入っているのを選びました。1番 指 大谷翔平(エンゼルス)2番 二 菊池涼介(広島)3番 左 吉田正尚(オリックス)4番 三 村上宗隆(ヤクルト)5番 一 牧秀悟(DeNA)6番 遊 坂本勇人(巨人)7番 右 松本剛(日本ハム)8番 中 塩見泰隆(ヤクルト)9番 捕 甲斐拓也(ソフトバンク)先発投手 ダルビッシュ有(パドレス) ワールドカップカタール大会での日本チームの善戦に大きな元気をもらいましたが、来期のプロ野球オープン戦の前にまた大きな元気をWBCからもらいたいです。『追記 12月8日』今日カブスの鈴木誠也選手もWBC参加の意向を表明!
2022.12.07
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先週のNHK「歴史探偵」は坂本龍馬の「龍馬の本当のスゴさとは」を3つのテーマを基に今までの龍馬像や歴史を少し覆すような内容でした。先日の日記で1つ目のテーマ「薩長同盟と寺田屋事件」を書いたので今日は2つ目のテーマ「いろは丸事件」です。 いろは丸事件については龍馬の商船と紀州藩の藩船の衝突事故が瀬戸内海上であり紀州藩から多額の賠償金を得たという事ぐらいしか知りませんでした。 左の小さな船が龍馬の商船 左下から上がっています。 番組の中では紀州藩と龍馬の主張が航海図を基に説明があり、船の先端の左右にある赤と緑のランプのうち相手側の赤のランプを先に見た方が衝突を避けるよう進路を変えるというルールがあったようで、紀州藩の主張では左下から進んで来た龍馬の船が進路を変更する義務があったという主張です。左上から下がっています。 一方、龍馬の主張は左上から進んでいるので赤のランプを先に見たのは紀州藩という事になります。これについては航海日誌を検証した結果後に紀州藩の主張が正しい事が立証されているようです。 そして紀州藩からの賠償金7万両(現代のお金で約30億円)の内訳として龍馬が船に積んでいた400挺の「ミニエー銃(フランス陸軍が開発)」の損失がその半分を占めているそうですが、実は銃は船に積んでいなかった事が実証されているようです(穏やかな瀬戸内海の海底からも未だ発見されず) 更に、賠償金の支払いを渋る紀州藩にとどめを刺すように龍馬がよさこい節に合わせて作った紀州藩を揶揄する歌を長崎で広め世論をしっかり味方に付け「金勘定に疎い武士」を逆手に取るように賠償金の支払いさせたようです(龍馬の実家は豪商で武士に多額のお金を貸していた実体験を生かして)『船を沈めたその償いは、金を盗らずに国を盗る♪よさこい よさこい♪国を盗って、蜜柑を食らう♪よさこい よさこい♪晩に来い♪(いろは丸を沈めた賠償金を紀州藩が払わないのなら、戦さをする) 白を黒と言い含め、無い物を有ると良い、現代のSNS以上の情報網で世論を味方に付けるその「策士振り」に龍馬の今までのイメージが崩れるという事は私には全く無く、嘘はいけないという事は百も承知でこれぐらいの交渉術を持つ策士が1人でも現代の日本にいたらいくつか解決出来る難問があるのではと思わされます。 因みに一昨年シンガポールで開催された「Life in EDO 浮世絵展」で江戸時代のお金(両)が現在の円でいくらぐらい?という展示もあって見直してみると馬一頭と刀一鞘が同じ25両(165万円)なので7万両という金額がいかに凄いものであるか実感します(注:馬と刀の円への換算だと7万両は46億円になります)
2023.04.25
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今朝の「あさイチ」で「オリーブオイル」を取り上げていました。来星してスーパーで売られているオリーブオイルの種類の多さや当時はサラダ油よりカロリーが低いという情報を信じて揚げ物や炒め物以外はあまり効能も考えずにオリーブオイルを愛用していました。 値段は少し高めだけれど「エキストラ・ヴァージン・オリーブオイル」の方が体に良いに違いないと数年前から買い始め、特に刺身に多めにかけて塩を振るだけのカルパッチョ風がお気に入りです。この一品以外はサラダが主でオリーブオイルをかけるメニューは我が家では限られていました。 改めてオリーブオイルとサラダ油について検索すると、実はカロリーは同じですが、悪玉コレストロールを抑える働きがある「オレイン酸」の含有量がサラダ油が41gに対してオリーブオイルは74gと多めです。視力の維持に効果があるβカロチン(人参にもこの効果が)はオリーブオイルだけに含まれています。 そしてエキストラ・ヴァージン・オリーブオイルの優れている点が熱処理をせず自然な油として抽出している事というのを今日初めて知りました。今のところ一番気に入っているギリシャ産のエキストラ・ヴァージン・オリーブオイル ちょっと驚きの番組お薦めの一品は「納豆にオリーブオイル」で、共に主な成分の1つであるビタミンK2がカルシウムが骨になるのを助ける働きをするそうです。キッコーマンのホームページに白米に納豆を載せオリーブオイルをかけている画像がありましたが、残念ながら私は「試してみたい!」という気にならないので何かワインにも合う一品を考えてみたいものです。すぐ浮かぶのは納豆オムレツですが、出来れば熱を通さない物の方がいいかなぁと・・。 余談ですが番組を見て気になったのが保存場所で冷蔵庫に入れると固まるのでNGというのは知っていますが、酸化を防ぐため出来れば25度~30度以下の場所でと説明があり、今までコンロの横に置いていて料理をしている時は30度を軽く超えていたはずです💦早速今日から温度計を使って30度以下の場所をチェックするつもりです。それでも今まで酸化で味が劣化したとか感じた事がないので、今までのままでいいのかなとか単に私の味覚が劣化しているだけなのかなとか色々考えます。
2023.10.17
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昨日のNHK「チコちゃんに叱られる」の野球のユニフォームネタの第二弾「野球のユニフォームに横じまが無いのは囚人のイメージが強かったから」には目から鱗でした。このイメージを作り上げた旧約聖書(紀元前4~5世紀に成立)「レビ記19章」の中の「2色のしま模様(縦・横両方法だと思います)の服を着てはならない」という箇所も紹介され、しま模様は「悪魔の衣服」で「異端のシンボル」であった事には驚きました。確かに欧米のコミックで登場する囚人達はこの教えを受け継ぎ横じまの服を着ている事を思い出しました。 そして、しま模様のイメージアップに貢献した人物として2千年以上の時を経てフランス革命(1789年)を指導した革命家「マクシミリアン・ロベスピエール」の登場です。しま模様にここまで宗教や歴史上の出来事が関係しているのには驚きです。アメリカで野球が競技となったのはフランス革命から56年後の1845年でその時にはしま模様の悪いイメージは過去の遺物になっていたと思うのですが、それでも流石に囚人服のイメージが強い横じまのデザインをユニフォームにとは考えなかったのだと思います。 そして最後に「横じまのユニフォームが無い理由」を納得させる実証実験で「ストライクゾーンが分かりやすくピッチャーに有利」という事でした。捨て身作戦で「ストライクゾーンに投げて」という横じまユニフォーム採用もありかなとか考えてしまいました💦ところで番組で「横じまを着ているとよこしまな人と思われるから」とゲスト回答者が言っていて、妙に気になって調べてみると「邪しま」という漢字で心が正しくないという意味でした。そう思ってみると赤白の横のしま模様はちょっと怪しい感じです。
2024.04.13
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