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1964年、この時代は、戦後の「坂の上の雲」の時代だった! 先日、話題の映画、「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を観てきました。初の3Dによる作品、リュウちゃん、3D体験は3年前の「アバター」以来2回目の体験、その時の「3Dメガネ」がありましたので、それを持参しました。(「三丁目の夕日'64」予告編)http://youtu.be/yp3wvXnLo48 映画の冒頭で、夕日町から飛ばされた紙飛行機をずっと追ってカメラが上空に上がる、カメラはそのまま更に上空に上がり、そのまま東京タワーに近づき、どんどん上昇、最後にタワーのてっぺんで停止、3Dのメガネ越しに、東京タワーのてっぺんがつかみ取れそうなところまで接近、これには唖然としました。 この映画のVFX(視覚効果)、凄い! 第1作の公開が2005年11月、時代設定は昭和33年、リュウちゃん小学校6年生、第2作の公開は2007年11月、時代設定は昭和34年、リュウちゃん中学1年生、東京タワーが完成したのが昭和33年12月23日(完工式)、、今回の第3作の時代設定は昭和39年、リュウちゃん高校3年生、 ちょうど、映画の中の「鈴木オート」の息子の一平ちゃんや古行淳之介君とリュウちゃんはほぼ同じ年代です。リュウちゃん、「三丁目の夕日」シリーズは、古行淳之介君と同じ視点で観ました。 今回の「三丁目の夕日'64」では、主役は吉岡秀隆演じる「茶川竜之介」が主役、また、「鈴木オート」の従業員、青森から集団就職で上京してきた「六ちゃん」(堀北真希)」の恋愛・結婚のエピソードが話の中心になります。 「茶川竜之介」は東京帝国大学卒業で万年芥川賞落選のしがない作家、この名前は、勿論、芥川龍之介のモジリです。ちなみに、育て子の古行淳之介は吉行淳之介のモジリ(吉行さんは昭和29年に芥川賞受賞)、古行少年の実の父親は川渕康成(=川端康成)、母親は古行和子(=吉行和子=吉行淳之介の妹・女優)、 堤真一演じる「鈴木オート」の社長の名前は「鈴木則文」、、昭和40年代の東映を代表する映画監督と同姓同名です。 主人公の茶川竜之介は月刊少年雑誌「冒険少年ブック」に絵物語の原作を書いています。リュウちゃんの少年時代は以下のような月刊少年雑誌がありました。★ 「少年」(光文社)→手塚治虫「鉄腕アトム」、横山光輝「鉄人39号」、(読物)江戸川乱歩「怪人二十面相」★ おもしろブック(集英社)→杉浦茂「少年西遊記」、吉田竜夫「プロレス五郎」、(読物)山川惣冶「少年王者」、★ 冒険王(秋田書店)→福井英一「イガグリ君」、石森章太郎「サイボーグ009」、(読物)福島鉄次「砂漠の魔王」★ 少年画報(少年画報社)→竹内つなよし「赤銅鈴之介」、桑田次郎「まぼろし探偵」、(読物)永松健夫「黄金バット」、小松崎茂「地球SOS」 映画でも紹介されるように、この頃の月刊少年雑誌は、漫画と挿絵のついた読物(絵物語)が二つの柱でした。この映画の昭和39年頃は、絵物語が後退し、漫画一色になって来た時代です。リュウちゃんも小学校の頃は、「鉄腕アトム」、「少年西遊記」などの漫画と同じように、「怪人二十面相」や「少年王者」を愛読していたのです。 「三丁目の夕日」はリュウちゃんの大好きな山田洋次監督の「男はつらいよ」とよく似ている! 先ず、話の舞台が東京の下町、次に、人物の設定、勿論、「男はつらいよ」とは少し違いますが、リュウちゃんは以下のように両作の人物を比定しました。 茶川竜之介=車寅次郎(吉岡秀隆のメイク、山田洋次の風貌と酷似しています)鈴木オートの社長=寅のおいちゃん、その妻トモエさん(薬師丸ひろ子)=寅のおばちゃん、宅間先生(三浦友和)=御前様(笠智衆)六ちゃん(堀北真希)=タコ社長の会社の従業員、諏訪博、ヒロミさん(小雪)=寅の妹・さくらさん(倍賞千恵子)古行淳之介=寅の甥っ子の満男君(吉岡秀隆) 「男はつらいよ」は昔風に云えば「下町人情喜劇」ですが、「三丁目の夕日」も正に同じだと思いました。 「三丁目の夕日'64」のストーリーの骨子は六ちゃんの恋物語、リュウちゃん、今作ではこの部分に少し不満を感じました。 堀北真希が美しすぎる。恋人の菊池医師の人物造形が平板、 六ちゃんを演じた堀北真希は第1作の時は16歳、第2作は18歳、今作は23歳です。第2作のあと、「白夜行」で六ちゃんと正反対の美女を演じましたが、第3作の六ちゃんはは、紛れもない美女、今となれば純朴な田舎娘の六ちゃん役は堀北さんには難しい、演技は悪くないのですが容姿が裏切る、映画って、難しいですね。 但し、不満だったのはこの一点のみ、他の点は、「男はつらいよ」と同じ、上質のノスタルジック・エンタテインメント作品に仕上がっていたと思います。 映画の時代背景として出てくる「東京タワー」、「東京オリンピック」、「新幹線」、「カラーテレビ」など、日本の上げ潮の時代を象徴するものが見事に配列されていました。この時代は戦後の「坂の上の雲」の時代だったのですね。 現代は「坂の下の悲惨」の時代、もう、この映画のような上げ潮の時代は二度と戻らないような気がしています。ーーー 「ひょっこりひょうたん島」http://youtu.be/gJlZnlsJGlg 坂本九「明日があるさ」http://youtu.be/0EBFpIuC6Ok 舟木一夫「高校三年生」http://youtu.be/PPcoJofO_-o ペギー葉山「学生時代」http://youtu.be/gqj03qJeFV4
2012年01月26日
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いのちをつなぐ「祝島」の原発建設反対運動は尚も続く・・・・(「祝の島」の監督、纐纈あやさん) リュウちゃん、1月14日に映画「祝(ほうり)の島」を観てきました。こも映画は、山口県熊毛郡上関町(人口3200人余り)に持ち上がった中国電力上関原発の建設に対し同町内にある離島・祝島(いわいじま・人口500人)の人々の反対運動を描いたドキュメンタリー映画です。 「祝の島」予告編http://youtu.be/fn2qN9kp204 当日は映画上映の後、この映画を監督した纐纈(はなぶさ)あやさん、それと、この映画に出演した祝島から来られた3人のゲストさんのトークイベントがありました。 先ず、3人のゲストさんを紹介させて頂きます。 (清水敏保さん,通称「とし坊」)上関町の町会議員で、普段は運搬の仕事をされている、原発建設反対運動のリーダーの一人です。(橋本久男さん、橋本典子さん)纐纈あやさんがこの映画製作のため、長逗留した宿泊先のご夫妻、夫の久男さんは若い頃、福井の原発で働いていました。祝島に戻ってからは漁師、その後、大工さんをされています。奥様の典子さんは腕利きの美容師さんです。 纐纈さんは、上記、橋本夫妻の家に2008年3月から逗留し、この映画を完成させました。映画公開が2010年6月19日ですから、製作開始してから公開まで、2年3ヶ月掛かったことになります。 以下に纐纈さんのブログ「映画「祝の島」製作奮闘日記」を紹介致します。http://holynoshima.blog60.fc2.com/ 以下に、映画のモティーフとなった上関原発反対闘争について、少しまとめてみました。 (1982年6月)上関町長が町議会で原発誘致を表明(83年4月)上関町・祝島漁業組合が原発反対を決議、(85年9月)上関町議会が原発誘致決議、(88年9月)上関町が中国電力に原発誘致を申し入れ、(94年9月)国が上関原発を要対策重要電源に指定、(96年11月)中国電力が正式に上関町、山口県、関係漁港に原発建設申し入れ、(2000年4月)祝島を除く関係7漁協と中国電力が総額135億円の漁業補償契約に調印、=その間、祝島島民は数々の反対訴訟をお起すが、悉く敗訴する) (2009年12月)中国電力は、反対闘争で工事が遅延したとして、島民(「とし坊」さんを含む)ら計4人に総額4970万円の損害賠償を求める訴訟を起す(いわゆるスラップ訴訟)(2011年3月11日)福島第1原発大事故発生以降、山口県知事は用地埋立て中止を要請、上関町の周辺4自治体も原発建設凍結を決議、(2011年9月25日)上関町町長選で、原発推進派の柏原重海氏が大差で3選、現在、上関町の町会議員は12人、内、原発推進派は9人、反対派は「とし坊」さんを含む3人のみである。 祝島の皆様は1982年の原発誘致決定以来、実に30年に渡って、粘り強い反対運動を続けてきたのですね、 上映時間1時間45分の映画は、このような過酷な反対闘争のシーンは、1分くらいしか出て来ません。大部分はこの恵まれた自然環境の中で暮らす人々の淡々とした日常生活を綴っている叙事詩に仕上げられています。 70年間、島の棚田で米作りをしてきた「平萬次さん、米作りの合間に祖父の作った短歌を石に刻み付けます。 今日もまた つもりし雪をかきわけて子孫のためにほるぞうれしき 日曜雑貨店胡ゑびす屋の店主・蛭子聡さん、3人のお子さんは、祝島小学校の全生徒さんなのです。尚、蛭子さんは下記の「山口県上関町祝島のえべすや」ブログを書かれています。http://03ebesuya.urbany.net/2011/12/20111220.html 島唯一の女漁師、竹林民子さん、あなたの宴会での花嫁姿には、腹を抱えて笑わせて頂きました、あの時の「芸者ワルツ」、最高! 纐纈あやさんの島民の皆様に注がれる瑞々しく、暖かいまなざしが、映画を観る者ににジワジワと伝わってきて、笑いの連続の中で涙ウルウルになり、エンドクレジットでは思わず拍手をしてしまいました。 下の写真は、トークが終り、纐纈さんのサイン会の時に買い求めた映画のパンフレットに頂いたサインです。 「いのちをつなぐ」素敵なメッセージでした。
2012年01月20日
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世界一大きな魚ジンベエザメを救え! 昨年末の29日、テレビは既に年末年始のスペシャル番組の時期に入っていまして、各局とも馬鹿騒ぎのスペシャル番組ばかりの編成になっていた時期でした。 アラカンのリュウちゃん、特に見たい番組が見当たらないまま、チャンネルサーフィンをしていましたところ、下記の番組に辿り着きました。 「ぐるナイ最終章ゴチ クビ2名決定で大泣きスペシャル!!」 リュウちゃん、他に見たい番組もない儘、暫くボーと見ていましたが、番組内で、ジンベエザメのフカヒレが提供されたのを見て、ビックリしてしまいました。リュウちゃんの番組を見ての第一感は、 事もあろうに、あの世界一大きな魚、人間に親しく、温厚なジンベエザメを食べてしまうなんて、何だか許せない行為だ!この番組、噂に違わぬ酷い番組だ! 「ぐるナイ」の正式名称は「ぐるぐるナインティナイン Hi-Tension TV」( - ハイ・テンション・ティーヴィー)、、吉本興業所属のお笑いコンビ「ナインティナイン(矢部浩之、岡村隆史)」のレギュラー番組として1994年に開始、食べ物を粗末にする番組として視聴者からのクレームの多い番組ですが、現在も視聴率20%台をキープする人気番組です。 ジンベイサメと云えば、関西人のリュウちゃんのイメージは大阪港にある世界最大級の水族館「海遊館」で飼育されていた「海くん」「遊ちゃん」「大くん」などでお馴染みです。小さな魚に混じって、5メートル近い巨体で悠々と泳ぐ姿は、海遊館を訪れる人の最大のお目当てであり、大きな楽しみでした。昨年11月にオスの「大くん」が高知の海に放流され、現在は「海くん」(推定年齢9~10歳)一頭だけが海遊館で頑張っているようです。 これまで捕獲されたジンベエザメの最大のものは体長14m、海遊館の「海くん」の約3倍の体長ですね、自然界では、体長20mにもなると云われています。まさに「地球最大の魚」です。ジンベエザメが地球最大の魚」だとすれば、シロナガスクジラは「地球最大の哺乳類」かつ「地球の歴史上の最大の動物」です。確認されている最大のシロナガスクジラの体長は35mにも及ぶそうです。 ジンベエザメとシロナガスクジラの「共通点・相違点・捕獲と保護の経緯」を調べて見ましたので、下記に挙げてみます。 (1) 共にオキアミなどのプランクトン(浮遊生物)を食す。(2) シロナガスクジラは高速移動、ジンベエザメは動作緩慢、(3) 天敵は共に鯱(シャチ)、それと人間、(4) 人間、特に我々日本人はシロナガスクジラを肉・脂の他、全ての部位を有効に利用した。他方、ジンベエザメはカツオやイワシなどがその周りに群れている為「大漁の吉兆魚」とされ、漁師から崇められてきた。クジラと違って、漁の対象とはならず、肉を食する習慣もない。 但し、中華料理に於いてはジンベエザメのフカヒレは最上級のものとされ、中国ではフカヒレのみを獲るためにシンベエザメ漁が行われている。 (5) 両方共、絶滅危惧種に指定されている。シロナガスクジラは、1966年頃に全世界で捕獲は完全に停止された。ジンベエザメは2002年にワシントン条約で絶滅危惧種に指定され、2003年にEU(ヨーロッパ連合)、2004年に日米が「フカヒレ目的」の漁を禁止した。(6) 中国では、現在のところ、「フカヒレ目的」のジンベエザメの捕獲は禁止されていないようである。しかし、かなりの部分が「密漁」に頼っている。(7) 過激な海の環境保護団体「シーシェパード」は、日本の調査捕鯨の次のターゲットを、中国の「フカヒレ」の密漁に絞ったようである。 リュウちゃん、上記の「共通点・相違点・捕獲と保護の経緯」を調べて見て、改めて12月29日に放映された「ぐるナイスペシャル」の番組作りの酷さに愕然と致しました。 あの番組で使用された「ジンベエザメのフカヒレ」は、日本やアメリカでは漁が禁止されている食材です。漁が禁止されているなら、密漁で獲られたものか、中国からの輸入品という事になりますが、若し輸入が認められているとすれば、非常におかしな事です。政府は即刻、輸入を禁止すべきだと思います。 例え輸入が認められていて、法的には何の問題がないとしても、そのフカヒレは中国で密漁されたものかも知れません。いわば、「何処の馬の骨」か判らない食材です。このような「疑惑の食材」を使うにあたっては、大マスコミである「日本テレビ」は、この食材の入手ルートを明らかにする必要があると思います。その上で、問題が明らかになれば、番組は打ち切りにするのが相当であると思います。 2007年1月7日に放映された関西テレビ製作の「発掘!あるある大辞典(司会=堺正章)」は「納豆を食べて痩せる」という番組だったのですが、データ捏造が発覚、この番組は間もなく中止され、製作した関西テレビは民放連から約半年間の除名処分を受けました。 今回の「ジジンベエザメのフカヒレ事件」は事の悪質さに於いて、「発掘!あるある大辞典」の比ではない酷い事件だと思います。 政府、農林水産省、消費者庁、総務省、各環境保護団体にこの問題を提起します。また、ブログ・ツィッターなどでこの問題が広く拡散される事を期待します。 高知で放流された「海遊館の大くん」、ひょっとして、密漁船に捕獲され、ヒレを取られて海の底に投棄されてしまったのかも?
2012年01月12日
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千年の巨木の社(やしろ)年新た明けましておめでとう御座います。 皆様、今年の正月は如何お過ごしでしたか?リュウちゃん一家には元旦の夕方から群馬に住んでいる孫ちゃん一家が正月休みで来訪、大晦日とは打って変わって賑やかな正月となりました。2日は孫ちゃん一家と近くの信貴山毘沙門天に初詣、この日は晴れていたかと思うと、急に雨が降るというヘンテコな天気になりましたが、5歳の上の孫ちゃんは元気一杯、しかし、2歳の下の孫ちゃんがご機嫌斜め、参拝の道すがら、終始パパとママに抱っこされての初詣になってしまいました。 下の孫の「みらい」ちゃん、来年の初詣はもう少しお姉さんになっているかな? 3日の朝に孫ちゃん達ご一行は車で群馬にご帰還、孫ちゃんご一行を送り出してから、リュウちゃん夫妻も共通の故郷である伊勢の奥方の実家に車で出掛けました。 リュウちゃんの故郷は夫婦岩で有名な二見が浦、奥方の故郷は伊勢神宮(内宮)の入り口・宇治橋から徒歩10分位のところに在ります。 内宮は奥方の実家の「庭」のようなものなのです(笑) リュウちゃんの実家は既に両親が亡くなり、廃屋になっていますので、故郷への帰郷はいつも奥方の実家、大正7年生まれ、93歳になる奥方の母君が健在なのです。3日は夕方に到着、奥方の兄上、姉上と兄妹3人勢揃い、缶ビール4本+梅酒で楽しい時を過ごしました。 翌日4日は、少し薄雲が掛かっているものの、ほぼ晴天、午前10時頃、「庭」である内宮に初詣を兼ねた散歩に出掛けました。 下の写真は奥方の実家から徒歩1分のところの内宮の裏山の道で撮りました。ここから30秒くらいで内宮境内に入ります。 冒頭の写真は、内宮正宮に行く途中にある境内の別宮の一つであります「風日祈宮(かざひのみのみや)」です。ここの大杉は内宮でも屈指の巨木で、樹齢は多分1000年位、伊勢神宮の大杉は「鉾杉」と呼ばれています。 下の写真は正宮の石段近くの「鉾杉」、鉾杉とは、鉾のように真直ぐに天に向かって伸びている杉の意味で、約50年前の伊勢湾台風以前には、現在よりももっと多くの鉾杉で鬱蒼とした大森林を形成していましたが、伊勢湾台風の烈風でバタバタと倒れてしまいました。往時の鬱蒼とした大森林になるのは、あと数百年掛かりそうです。 下の写真は正宮の前の「鉾杉」です。さしもの内宮の正宮も、千年の鉾杉の前には、少し貫禄負けしていますね。 下の写真は「神馬(しんめ)」です・神馬は皇室から贈られたもので、現在、内宮に2頭、外宮に2頭、計4頭が御仕えしています。 来年は20年に一度行われる式年遷宮の年HP下記)http://www.sengu.info/index.html式年遷宮は持統天皇4年(690年)に始まり、今回で62回目になります。 リュウちゃん、生まれは伊勢神宮の傍、現在は法隆寺の傍に住んでいますが、全く無信心な人間、成人してから神社仏閣に賽銭をあげた事の無い人間です。しかし、伊勢神宮の鉾杉や、法隆寺の楠の老木、映画「殯の森」のラストシーンに出てくる「春日の大杉」などには何やら神々しい畏敬の念を禁じ得ません。リュウちゃんに宗教があるとすれば、それは自然崇拝、アミ二ズムのようなものかも知れません。元旦に関東地方ではいきなりM7の大地震が発生、昨年に続き前途多難を思わせる新年となりました。今年のリュウちゃんのブログは、伊勢神宮の鉾杉のように何者にも捉われず、真直ぐで悠々としたものを目指したいと思いますが、 さて、どうなります事やら?ーーー バッハ:平均律クラヴィア曲集より「プレリュード」http://youtu.be/nZpME3iH2wA バッハ:管弦楽組曲第3番より「アリア」http://youtu.be/8UMCYlVFYWo バーバー:「弦楽器のためのアダージョ」http://youtu.be/ANWqxtlLUVs 中島みゆき「砂の船」http://youtu.be/zg1Lenu87bQ
2012年01月05日
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