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やっと楽天ブログのトラブルが解消されてほっと安堵した。何ケ月も投稿しないで放置することもあるのに、いざブログが不安定になるとこちらの気持ちまで不安定になる。いやはやなんとも。書きたいことはあるのだけど、どう文章にすれば良いのかわからない。こんなこと。NHKEテレで再放送された寂聴さんと梅原猛さんの対談のなかで寂聴さんが言った「サイの角」のこと。梅原さんが言った「アリストテレスとイエスと釈迦」のこと。藤原章生さんの「不思議なムトゥワ」のこと。ヘルマン・ヘッセの「ゴータマシッダールタ」のこと。友達のこと。青年のこと。これらの一連が繋がったこと。文章に出来ない。文章にできないけど、文章にできないから、ここに置いておこう。
2025年11月10日
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6日から続いている楽天ブログのトラブル。現在、10日午後2時すぎ。アクセスしてみたら入れたのだが、はたして解決されたのだろうか?この日記の投稿が出来れば解決したということだろう。トラブル解決にあたったスタッフさん達に感謝である。解決していたらの話だけど。とりあえず送信してみよう。
2025年11月10日
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昨夜から楽天ブログにアクセスできない状況になっていた。今朝もアクセスできない。接続を確認するようにとかプロシキとファイアウオールの確認をするようにとか表示される。ほかのプラットフォームは問題なく見れるのだけど楽天ブログだけがアクセスできない。初歩的な再設定をしたら開けた。原因は分からないのでこれから先アクセスできるかどうか分からない。楽天ブログを利用してから20年ほど経つのだから生活の一部になっているわけでブログがなくなるのは生活の一部を失ってしまうように思う。他のプラットフォームにブログを作るのは気が重い。このままこのブログが使えるようにしたい。とりあえず送信してみる。
2025年11月07日
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日記が続かないなぁ、、、、。カタカナの森に迷い込んでいるようなキュウヤクセイショ。カタカナを振りはらい振り払い読んでも意味をつかみ取れないキュウヤクセイショ。だったけど、ぱっと視界がひらけたようにおもった今日。レキダイエズネヘイザヤエレエゼダニル。塊で掴めばいいんだな。新聞のコラムに載っていたことば。「日本にこんなに美しい心あります。なぜ、西洋のまねをしますか」小泉八雲の言葉。
2025年11月03日
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久しぶりに友人とカフェでお茶した。ほぼ彼女が話してて私は聞くだけなんだけど。なんてことない雑談で楽しかった。会って話すってことは大切なんだなって思う。ニュースを見る。自民と維新で落ち着くとは思えない。まだ一波乱ふた波乱ありそう。はやく落ち着いた政治が行われるのを願う。テレビやネットで様々なコメントを見てみた。明るい話題は野球だけ。母が坂を転がるように落ちていく、、、、のではなく崖からストンと落ちたように物事が分からなくなってしまっている。姉がいつまで介護できるか。私が帰って姉と二人が看るか。老々介護のむつかしさ。
2025年10月20日
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やっと体調不良から抜け出せたような気がする。耳の塞がりからくる頭のボンヤリ感がなくなった。体の調子が悪いと生活全般が不調になる。精神にもダメージを及ぼす。体の痛みのある人の大変さを思う。9月7日に石破茂首相の辞任表明があった。どうすれば良かったのか と言う言葉が耳に残っている。10月10日に戦後80年の所感発表があった。 国民一人一人が能動的に平和について考えていきましょうとの言葉が残っている。どちらの表明も素晴らしいと思った。アンチ石破さんもいるだろうけど。私は石破さんの誠実さが好きだった。80年所感の報道は総裁選挙でかき消された感じだったのが残念だった。総裁選挙から以降は見るに堪えない騒動で、ありえない日本の政治状況が続いている。どうなっていくのだろう日本は。などと私が嘆いてもどうしようもないのだけど。久しぶりに礼拝に行けて感謝だった。家から外へ出よう。
2025年10月19日
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風邪をひいて2週間余り経つ。病院に行く前に市販薬を3日間飲んだ。医師に処方してもらった咳止めと痰を切る薬は3日分。解熱剤(カロナール)10日分。NHKの「みみより解説」で風邪には抗生剤は効きませんと言っていた。症状を和らげるが治すことは出来ないらしい。熱が下がって体が楽にはなるが風邪そのものが治るにはそれなりの日数がかかる。体温を測っていて気付いたのは自分の平熱を知らないということだった。そこでこの数日、一日に数回測ってみたところ36.3度から36.4度が平熱である。熱があると出来ることと出来ない事があると分かった。36.8度 朝昼夜の食事作りと後片付け 洗濯物を干す クイックルワイパーで床を拭く37度 朝昼夜の食事作りと後片付け 洗濯物を干す 床掃除はやる気がない37.5度 朝夜は作るが昼食は作りたくない。洗濯は出来るが干したくない 床はやらない37.8度 頑張れば簡単な食事作りは出来る。洗濯機は回せる。干したくない38度 頑張ればご飯を研いでレトルトで済ます38.8度 何も出来ない夫は、ご飯はどうする? ご飯、作ろうか? と言う。私はイラっとする。そこは「ご飯を作るよ。ゆっくり休んでいていいよ」でしょう!!結局、夫はスーパーのお弁当を数日。私はレトルトのお粥。レトルトのお粥を温めるのは私。コロナでもインフルエンザでもなかったんだ。ただの風邪だねー。じゃぁ、たいしたことないねーと言う夫の心の声が私には聞こえる。イラッとする私なのだった。愚痴った。
2025年10月09日
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やっと風邪から回復しつつある。まだ咳がつづいているが体が楽になった。38.8度の熱が続いたときは体中が痛み寝ているのも辛かった。病院で検査したがコロナもインフルエンザも陰性であった。喉が変だし体も怠いと思ったら休むこと。これを肝に銘じよう。ふつうに動けることの有難さをしみじみ感謝する。まだ何もやる気がでないので今週は外に出るのはやめてしっかりと治そう。だけど過去の経験から咳がおさまるのは一か月はかかると思う日本はこれからどうなっていくのだろうかと不安ばかりが広がる。
2025年10月07日
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この本の中の一章を印しておこう。フランスのマチルド・ロウという小さな女の子の詩。 わたしの咽喉が痛いとき あの子の咽喉も痛み わたしが夜 咳をする時 あの子も眼をさまして咳をする わたしがママから叱られて泣く時 あの子もわたしと一緒に泣いている 夕陽にうつるわたしの影法師のように あの子はいつもわたしと一緒だこの「あの子」というのが少女にとってキリストをさしていることは言うまでもない。ちなみにマチルドは子供の時から病身で11歳で死んでしまわねばならかなった。この幼々した詩をたんに病身で一人ぽちの子供が友だちを求めた可憐な詩として片づけられないものがある。この詩のなかには幼い心に既に生まれた苦しみの連帯への欲求と孤独からの解放とが素直に歌われているからだ。それはあの聖書のなかの女たちの叫びにも代えられるだろう。それらはもっと悲痛でもっと慟哭的であるが。 ---------------------------------------------------------------------これが書かれたとき遠藤さんは30歳前後。あの「海と毒薬」を執筆中だった。昨日から風邪気味。寒暖の差に気をつけなくては。
2025年09月29日
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さて、午前中は何をしていたっけ? すぐに思い出せない。夫がバイトの有給休暇をとって休んだので朝はゆっくりと起きたのだった。7時に朝食、洗濯、ベランダの掃除。録画してあった「魔改造の夜」を夫が視ていたので一緒に見たのだった。昼食後、ワンピースの型紙を出して洋裁の下準備をしたのだった。それから教会の掃除に出かけたのだった。行く道すがら公園の隅っこに彼岸花が咲いていた。 夜は夫が出かけたのでNHKで放送されたテレビドラマを録画していた浅田次郎さんの「母の待つ里」を見た。第二回目は録画を忘れていたので一回から三回と四回まで三時間を一気に見た。目がショボショボしている。浅田次郎さんの作品を読んたのは少ないけどどれも幸せを与えてくれる。穏やかに一日が過ぎた。
2025年09月27日
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秋晴れで過ごしやすい一日だった。ベランダに置いている植木鉢の土の入れ替えを夫にしてもらった。春先に入れ替えをしたかったのだが忙しくて出来なかった。カポック、風知草、アガパンサス、アマリリス、砂漠のバラ、オリズルラン、これらは友人たちの庭に咲いていたものを株分けしてもらった。アジサイ、ゼラニウムは実家から持ってきたもの。大きくならないように鉢は小ぶりにしている。どれも思い入れのある鉢植え。母と電話する。携帯をかけるのは姉が手助けしてくれている。何もかも忘れてしまって、話すこともなくなったと母が言う。かなしくなる。午後、教会のグルーブラインに動画が送られてきた。その動画の内容に不安を感じる。怖れさえも。信仰的ではあるが政治的背景もしらなければならないのではないかと。この動画が流されていることを牧師は知っているのだろうか。教会はどう捉えているのだろうか。
2025年09月25日
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歯医者に行く道すがら彼岸花が咲いているのを見つけた。20数年間、通っていた歯医者さんが閉院してしまってから3年になる。歯医者にかかりたいが家の近所には歯科医院はたくさんあってどこの歯科医院にかかればいいのか迷った。歯科は行ってみなければ腕の良しあしは分らない。医師との相性もあるし。迷っても仕方ないから最近できた歯科に行くことにした。最新の検査機器が整っており丁寧な説明なのだが治療に関しては、うーーーん??という感じである。上手な医師にあたるか否かは運である。歴代誌下を読む。刺繍を少しする。本を少し読む
2025年09月24日
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お彼岸である。まだ彼岸花を見かけない。暑さがつづいていたからだろうか。一日中家の中で過ごす。10時から自民党総裁候補者の共同記者会見を見た。実家の姉に電話して母に代わってもらったが母は「元気にしているの?」と言ったきり電話を切ってしまった。つい最近までお箸でご飯を食べていた。昨日から姉がスプーンで食べさせているという。私のことを忘れてしまうかもしれない。そう思うと気持ちが沈む。私自身も物忘れが多くなっている。認知症関連の記事などを読んでは不安になる。新聞に鎌田實医師による記事があった。「主観的認知機能低下」という段階があるらしい。どうも私はその段階にあるのかもしれない。では、どうすればいいのかという本を出版されているので図書館にリクエストしよう。日記を書くのも予防になるかもしれない。私のことだから三日坊主になるかもしれないが。
2025年09月23日
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朝、洗濯物を干す手の先に秋の空が広がって気持ち良い。母は毎日携帯から電話をかけてくれていた。電話がないときは私からかけると母は携帯にでて話すことができた。ほんの一週間ほど前に携帯の操作が出来なくなった。少しの変調の兆しはあった。一ケ月ほど前までは電話をかけてきては昔話を長々と話した。その時間は少しづつ短くなってこの頃は話す内容も「元気にしてますか? ご飯はちゃんと食べてますか? そちらの天気はどう? こちらは暑くてね」という内容で10分ほどで「またね、元気でね」と言って切るようになっていた。同居している姉から母が物忘れがひどくなっているが生活には変わりはないから心配しないようにとのことだった。暑い夏を乗り切ったのだから、また気力を取り戻してほしい。そして携帯の2番は私に繋がることを思い出して私に電話してほしい。姉から年賀はがきで使う住所と氏名の印鑑が欲しいのでネットで注文してほしいと頼まれた。沢山のサイトがあってとこの会社に頼むか迷ってやっと注文した。手数料はかかるがコンビニ支払いで人はクレジット払いにすれば簡単だと言うが心配で
2025年09月22日
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久しぶりにハンバーガーを食べた。テレビで流れている○ックの月見バーガーを友人が食べたと聞いていて私も食べてみたかったのだが、新しくできた店舗は注文がタッチパネルなので操作が出来るのか心配で入るのをためらっていたのだが,しょっちゅう○ックに行っているという孫たちが来たので誘って行った。美味しかった。扇風機が壊れたので買った。いつのころからか紙の聖書よりスマホやタブレットを見ながら説教を聞く人が増えてきた。
2025年09月21日
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8月20日から22日にかけてTICAD9(アフリカ開発会議)が横浜で開かれた。その時期はアフリカの関連のニュースがテレビなどで多かった。そのなかの一つの番組で、アフリカ大陸は中国、アメリカ、インド、ヨーロッパ、ブラジルなどを合わせたより大きく、平均年齢は20歳ぐらい。2050年には世界人口の四分の一はアフリカ人になると言っていた。これは面白いことを知ったと思い、誰彼に、こんな事を知っているよーって自慢しようと考えた。そこで子供たちが来た時に「知ってる? アフリカ大陸はねーー云々カンヌン」と話したら「ふーん、そうなんだ。地図だと、そう大きくもないけどね」の一言で、ちっとも興味を示さないでスルーされてしまった。ちっとも自慢にはならなかった。残念。だけど、それからアフリカのことが気になっていて。地図を調べる。日本が使っている地図は主にメルカトル図法。最近は面積が正しく表される「イコールアース図法」が奨励されているらしい。さまざまな地図を見比べると面白い。アメリカが中心の地図、中国が中心の地図、ブラジルが中心の地図。などなど。知らないことだらけだ。アフリカ大陸の54の国はこれから世界を圧巻していくのだろうな。一日中、紙類の整理をした。やっと涼しくなった。
2025年09月20日
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先日のニュースを見て思ったこと。先月末、アフガニスタン東部でマグニチュード6.0の大地震が起きた。壊滅的な街中で瓦礫になってしまった自宅の前で男性が天を見上げて嘆いている姿がテレビ画面に映し出された。手を天に挙げた男性が言っている言葉が字幕に流れた。その言葉は「これは私に与えられた神の思し召しだ」だった。この字幕の言葉がずっと心に残っている。もし私が同じ状況に置かれたら私はこのようには言えない。どんな言葉を発するのか?おそらく「神も仏もあるものか」などと怒るかもしれない。この男の人と私との違いはどこにあるのだろう。これを書きながら、他人事のように思っている自分に気づかされる。今現在被災されたアフガニスタンの方々に支援物資が届くように、支援しなさいと促された。郵便局で振り込みが出来る。日本赤十字社 アフガニスタン地震救援金たくさんは出来ないがあした振り込むことにする。
2025年09月15日
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義母が亡くなって半年近くになる。転倒して座骨骨折。入院して二か月後に亡くなった。あっと言う間だった。義母は骨折し入院したことが理解が出来なかった。突然、知らない場所知らない部屋に独りでいる事はただただ恐怖だったのだろう。ナースステーションの隣の部屋で一人で叫んでいると看護師から聞いた。担当医師の許可が出て個室に入りいつでも面会できるようになってから、出来る限り義母に付き添った。できることは声掛けと足をさすることだった。皮膚が薄くなった足をそっとさすった。甘く煮てペーストにしたカボチャをスプーンで口に持っていくと半分ほど舌で舐めた。それが最後の食事だった。ときどき意識が正常になることもあった。聞こえますか?聞こえたら手を握ってください!!と声をかけると握り返してくれた。思いのほか強く握り返しくれた。入院して二か月ののち明けがた亡くなった。プネウマの風に吞み込まれていった。義母に優しくできなかったと自責の念にかられきた。だけどもう区切りをつけよう。半分の自責と半分の良くやったという思いと。私はそれしかできなかった。ごめんなさい。もう、ここで区切りをつけようと思う
2025年09月11日
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介護は気力も体力も心までも削られていく、、、、ような気がする。義母の日々の言動には距離感をもって対応したい、都度に反応していては身がもたないと思っている頭ではそう思っている。だが、体が反応する。義母の発する声に心臓がドキッと反応する。義母の部屋の襖がスーと開くと体がビクっと反応する。呼吸が浅くなっている。深呼吸を忘れている。心が削られていくようだ。
2024年11月09日
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楽天ブログの嫌なところ品のない広告がベタベタ出てくること。気分が悪くなるほど気持ち悪い広告が表示されるのはどうしてなんだろう。今はいろいろなブログのプラットフォームがあるから。ほとんど広告などないものもあるから。楽天ブログを利用する人は少なくなっていると思う。ただ、ここから新しいプラットフォームに移るのはシンドイな。このままで続けよう。公民館で刺繍の無料講座があったので参加した。実家の母からもらった刺繍糸と布がたくさんあって、いつか刺繍を習いたいと思っていた。楽しかった。5人集まればグループを作って講師を呼んでひと月に一回やりませんか?と公民館主事から説明があった。参加者たちは「やります!!」と返事をしていた。私も参加したい。ほんとに参加したい。だけど今は出来ない。いいなぁ、やれる人たち。ちょっと悲しくなった。いつか参加したい。
2024年11月01日
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図書館で借りた本村井さんの本二冊目を読む 先日の朝はやく起きて一気読みした。あした図書館に返却しようとおもって、もういちどパラパラと目をとおしたいたら再読したくなった。小学生の良一君のことがいちばん気になっている。表紙の裏にはこう書いてある「警察署からの電話で兄の死を知った。体を壊し、困窮し、這い上がることもなく。」内容は、ほぼ疎遠になっていた遠方に住むお兄さんのこと。小学生の息子さんと二人暮らしで。ある日アパートで倒れて亡くなった。第一発見者は小学生の息子さん。警察署から村井さんにご遺体を引き取ってくださいと電話があった。それからの日々が綴られている。もう一度じっくりと読んでみたいが読む時間が取れるかな、、、。
2024年11月01日
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先日、もずさんがご自身のブログ「祈りと幸福と文学と」を閉じる(消してしまおう)と投稿されていて何とも言えない気持ちになった。この何とも言えない気持ちってなんだろうかとこの数日考えていた。もちろん寂しさなのだけど。それは楽天ブログで繋がっていた方々を懐かしく思い出していたからだと思う。veronicaさん、ねこ背のたぬきさん、いうさん、コスモスさん、さるすべりさん、ceciさん、そして、もずさん。いろんな方々と出会えた。20年も経つのだなぁと感慨深い。いまは、やまひで先生がいらっしゃる。どうぞ長く続けてくださいと思う。当初、ネットについて全くの無知であった。閉ざされた仲間内だけの交流サイトだと思っていた。匿名で書いていたので思い出すだけで顔から火が出るほど恥ずかしい投稿をしていた。いまでも身がすくむほどである。ネットの交流を大切にしてこなかった。誰に向かって書いているのか何に向かって書いているのか何のために書いているのか不安定なまま書き続けていた。しかし、こうしてブログを続けているのは私にとって心の安定のためであるのだと思うようになっている。ときどき、もう投稿されなくなった方々のブログを見に行く。懐かしくてありがたくて。たくさんの豊かな話題を提供してくださって沢山のことを学ぶことが出来た。ほんとに感謝しかない。 いつの日か書店に「瀬崎峰永」のお名前を見つけたら嬉しい。神さまに感謝して。
2024年10月18日
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ジル・ボルト・テイラーの右脳のこと。tedを見ること。本を買う又は図書館で借りること。なぜか、ふいに思い出したのだ。ジル・ボルト・テイラーのことを。P371ゾシマ長老が8歳のとき母親に連れられて行った教会でヨブ記を聞く。そのときゾシマ少年はラクダたちであり、神と話しをする悪魔であり、自分の僕を破滅させてしまう神であり、神をほめたたえる僕のことであった。しかし。長い時をへてゾシマ長老は命が尽きようとしているいま、ヨブ記の真理がわかると言う。亀山郁夫さんの訳で読む。1メートル四方の断崖絶壁の上で千年も万年も生きていたいかと問われたらそれでも生きていたいと。ドフトエフスキーはメモかなにかに書いていたそうだ。それで頭木さんはドフトエフスキーの言葉は信じられると思ったそうだ。「絶望名言」から。あやふやにしか覚えていないけど。 本を読むのがすきだ。深読みするとか熟読玩味とかできないけど。読んだはしから忘れていまうけど。介護の何とも言えない自分の不甲斐なさや虚しさや哀しさを一時でも忘れることが出来る。ちなみに熟読玩味という言葉は今日知ったんだけども。
2024年10月13日
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知人から紫蘇をたくさんもらった。シソの実の佃煮のレシピも添えて。シソの実 100グラム酒 大さじ1砂糖 大さじ1みりん 大さじ1/2醤油 大さじ2 写真の倍の量があったが穂先は茶色くなって枯れているものが多かったので出来たものほんの少しだけ。美味しくできた。 子どものころ実家の庭には紫蘇がたくさん出ていて母は紫蘇の葉を摘んで梅干しの色付けにしていた。しばらく経ってから穂先を指でツーとしごいて実をとって佃煮にしてたけれど私はあまり食べなかったことを思い出した。懐かしい昔を思い出した。娘から出張のお土産だと鱒ずしをもらった。娘と娘の夫と出張がかぶってしまったので私が孫のお世話に行った。そのお礼にと。色がきれいに出てない写真だけど。 書きたいことが沢山ある。ラジオの聞き逃し配信をアトランダムに選んで聴いていたら頭木弘樹さんという方が「絶望名人」という本を出版されていてその本からドフトエフスキーのことを語っておられた。今年中に「カラマーゾフの兄弟」を読み終えたいと思っていてまだ第二部なんだけど。ゾシマ長老の生涯における聖書の意味についての部分まで読んだのだけど。まだアリーシャの二日目の朝のことなんだけど。なんというタイムリーというか偶然というか嬉しかった。感想文はほんとにニガテだけど書きたい。
2024年10月10日
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今年の春まで娘一家は東京に住んでいたときどき娘の家に泊まりに行っていた娘の家から電車で数駅のところに「ポレポレ東中野」という名前の映画館があって。なんか、いい名前だな。ポレポレは「ゆっくり、ゆっくり」という意味らしい。 座席数100席に満たない小さな映画館で商業ベースにのらないドキュメンタリー作品などを上映している。昨年はこの映画を観た。「NO 選挙 NO LIFE」フリーライターの畠山理仁さんが全候補者の選挙活動を取材する現場を前田亜紀さんが撮影するというドキュメンタリー。いやー凄かった。知らなかった世界を知った。このなかに畠山さんのご家族がほんの少し出てくるのだが奥さんと息子さんたちの穏やかでゆったりした雰囲気と品性がほんとに良かった。早朝の上映だったが若者や中高年の方々で座席は半分ほど埋まっていた。いいな!! 今月上映される「あなたのおみとり」を観たいが、もう「ポレポレ東中野」に行くことはない。未明から起きだして騒いでいた義母が眠った。しばらく家事はしないで静かにパソコンなどしている
2024年09月11日
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実家の母が買っていてそのままになっていた布地が沢山あって実家から我が家に持ってきて。簡単ワンピースなどを作った。そのあまりの生地で作った牛乳パックの椅子。プチプチを貼り付けてその上から布を巻いたけど薄い綿生地だから凸凹が目立つ。キルティングだと目立たないのだけど。ちょっと雑な作りになった。ちょっと小さかったなぁ。 義母のことが分からない。すっかり元気でデイサービスで運動などする日とデイサービスに行けない日と。日替わりで体調も気分も変わる。どう対応すればいいのか悩む。元気な時は百歳まで生きるかもと思ったり、食事もおやつも食べたくないと言う日はもうすぐ終わってしまうのではないかと心配になったり。 アジアンダムが好き。もっと大きくなれ!!
2024年09月07日
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3日間かけて一気に読んだ二冊。購読している新聞の土曜日は本の書評のページがある。気になった本をメモして図書館で借りるようにしている。「いのちの終いかた」は図書館にあったけど「義父母の介護」はなかったので買った。そして一気に読んだので目がショボショボしてる。 住民のお宅でひと騒動あってお巡りさんが来た。どのお家にもいろんな事情があるんだなと気持ちが重くなる。わたしには信仰のひとかけらもない。だけどイエスがわたしを引き寄せてくださったのだからそれにお任せしていればいいのだと思う。スマホケースの中にメモを入れている。「イエスが実在した。ただそれだれていい」と。ある信仰者が辿りついた言葉である。
2024年09月05日
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台風10号がやっと過ぎさって久しぶりの青空 今朝は穏やかな義母。珈琲を淹れる。久しぶりに穏やかに淹れる。美味しい。 先日、娘が私を心配して会いに来てくれた。娘が私に言う「移ろう気持ちを日記に書いておいて。後から読むから。」日記を書くことは認知症予防にもなるらしい。ただ、私には日記を書く気力も無くなっている。誰かと話したい、何かを書いておきたい、と思うのだけど気力がない。娘一家は今年4月、孫が一年生になるので広いマンションに引っ越しをした(賃貸)。孫が新しく通い始めたピアノ教室の先生のブログが面白いから見てみたら!と私のパソコンのお気に入りに入れてくれた。この先生のブログが面白い。ピアノ教室の生徒の写真は顔を隠しているけどご自分の写真は顔出しで。何が面白いかといえば誤字脱字と誤変換。文脈から何を書いているか読み取るのも楽しい。一人暮らしの70代でそれはもうアクティブに毎日を過ごしていて。この先生のブログを読んでいたら私も書いてみようかなと言う気持ちになってきた。 先日の公園 義母が起きてきた、、、、、、。
2024年09月04日
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介護保険制度の成立に尽力してくださった樋口恵子さんはじめ沢山の方々に感謝する日々である。実家の母は樋口恵子さんと佐藤愛子さんの本の愛読者で新刊が出るのを楽しみにしている。百歳の今でも目が見えなくなったと言いながら2行ぐらいは読めると言っている。母と私は佐藤愛子さんの話をしては大笑いし樋口恵子さんの話をしてはありがたいねぇと言い合う。お義母さんの訪問診療をしてくださる先生も看護師さんもケアマネージャーさんも親切でありがたい。この制度がなければ右往左往していた。はじめて先生が来てくださった時はホッとして泣きそうになった。泣かなかったけど。なにやかにやと悩む日々だけど看とるという役目を与えられてありがたい。看取ることはまだまだずっと先のことかもしれないけど。これまでの人も今の人もこれからの人も介護と看とりとを経験していくわけで。介護保険の制度を作ってくれてありがとう。熟睡したい。
2024年05月08日
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おゆき18歳の冬鷺は首をたたんで飛び真鶴は首を長くのばして飛ぶんだと知ります古四郎とお雪の夕餉のひととき、おゆきが背中が痒いと言う。古四郎がおゆきの背中を掻く。おゆきと古四郎との情景は奥ゆかしく微笑ましく過ぎていくように思えます。ですが読みすすめるほどにおゆきは父と母を亡くし古四郎は小倉藩の剣術師範という緊張の日々を過ごしていることを知ります。読み始めは軽やかに読めますが読み進めるほどにおゆきと古四郎の穏やかな日々は緊張の日々になっていきます。古四郎は自ら負けを選んだのではないかと思います。小倉藩は熱心なキリシタンが二千人ほどもいて小倉藩主細川忠興公の庇護を受けていました。彼らは熱心に「こんてんむつす・むん地」を語り合い宣教していましたがキリシタン禁止令がでると激しい迫害を受けます。古四郎を失ったおゆきは古四郎の遺髪とロザリオだけを持ち萩に落ちのびます。おゆきは剃髪し廃寺に1人住みます。最終章は胸が痛くなります。原城の襲撃はマサダを思います。これまでも現在もこれからも世界中のいたるところでマサダが起こっています。おゆきがあべまりあを小さく唱えてこの小説はおわります。おゆき45歳。ふくやま文学35号の「寒いのはニガテ」は読んでいて大人の無責任さに腹が立ってニガテでしたが、「狼の女房」は不思議な題名も良かったで。深い深い小説でした。ありがとうございました。文章の見直しもせず投稿します
2024年04月16日
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義母の後始末をしていたら夫が「大変だね」と言った。その言葉にありがとうの意味がこめられているのは分かっていた。だけどね、それって、ちょっとちがうと思ったの。シモの世話をするのは(女)の私がするのは当たり前だと私自身が思っていた。トイレの掃除も(女の)私がするのが当たり前だと。でも、ちょっと違う。夫がしてもいいではないか。だけどやっぱり女の私がするのが普通だとも思う。夫が汚れた床やトイレの掃除をしたら違和感があるよね。などなどモヤモヤをかかえながら一日を終える。体も疲れるが気持ちがもたない・・・・かも。実家の姉が入院することになった。母はレスパイトしてもらえるのだが母は不安で心配で私に帰ってきてほしいと言う。実母と義母の二人の介護がはじまった。
2024年04月09日
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もずさん、ふくやま文学第36号が届いています。早々に送って頂いたのに返事が遅くなってごめんなさい。 河内きみ子さんの「坂の上の家」と木村かつとしさんの「もう松明はいらない」ともろひろしさんの「非日常の空間で」は読みました。家事の合間にササッと読みました。面白かったです。語彙不足です(嘆)もずさんのははじめのページだけしか読んでいません。なんか、ちょっと、ササッとは読めない感じがして。掌握小説の特集なんですね。掌握小説という言葉ははじめて知りました。もう少し生活が落ち着いたらゆっくり読みます
2024年03月21日
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これから九州の実家に帰省する。出かけるまでの時間に書いておこう。ラジオで聴いたこと。志樹逸馬さんの「土壌」という詩。「こころの時代」で若松英輔さんが紹介し朗読された。声にだして読むことをしてみようと思った。 栗原康さんの「超人ナイチンゲール」「飛ぶ教室」で高橋さんが紹介された一節 神の声を聞いたというナイチンゲールに神秘主義というのは、もうそれだけで怪しく思ってしまうのだが高橋さんは言う。著者の栗原さんがサミット反対集会に参加するためにヨーロッパに行ったとき集会場所が分からずに歩き回ったすえ疲れ果てて道に倒れてしまった。目を上にあげるときれいな空が見えた。そして、反対闘争なんて、なんでもよくなった。そうか永遠とはこういうことなんだ。と思ってしまった。これは神秘主義を超えたもの。理論的に考えても分かるものではない。映画「perfect days」もそうだが平山も毎朝「空」を見上げている。わたしも「空」を見上げよう。映画の最後の曲は「feeling good」志樹逸馬さんの詩集と「超人ナイチンゲール」読んでみたい。小澤征爾さん指揮のベートーベンを聞いて感動してる。カッコイイ。「カラマーゾフの兄弟」を読みながらグルシェーニカが初めて登場するのはどこなの分からなくなった。なので最初から読み始めることになった。アリョーシャが僧院に入った理由も。そろそろ昼ご飯の準備、そして実家に向かう。
2024年03月07日
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一月のはじめ用事があり関西方面に行くことになった。夫と義母と私。気が重い用事だった。夕飯は宿の外ですることになっていたが夕飯にはまだ早い。私は時間つぶしに散歩に出かけた。寒い曇天の夕暮れ。海沿いの公園を歩いていると不思議な洋館があった。孫文記念館。中学か高校の授業で習ったことがあったが何をした人なのか覚えていない。閉館間際だったので急ぎ足で観た。写真を撮っても大丈夫だとのこと。 孫文から蒋介石そして毛沢東へと。孫文はいまの中国をどう見ているのだろう。明石海峡。対岸は淡路島だとのこと。 お正月は賑わっていたであろう宿はその日の宿泊客は数組だけのようで、フロントに2人のスタッフとレストランに1人のスタッフだけで閑散としていた。広い館内で迷った。煌々とした中にシーンと静まり返った館内は不気味で怖かった。翌日の気の重い話し合いは終わったが用件は持ち越されたままになった。
2024年03月05日
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毎日新聞に「日本フィルハーモニー楽団」の記事が載っていた。読みながら涙ぐむ。このごろ涙もろくなって仕方ない。この記事を書いた記者さんは誰なんだろう。いい人だ。新日本フィルは知っていたが「日本フィル」は知らなかった。音楽の世界もいろんな歴史があるんだね。震災など大変なときに音楽など聴く余裕などないたろうなと思っていたのだけど、大変なときこそ音楽は必要なんだなと思えるようになってきた。 クラシックはいいなぁーとユーチューブでベートーベンの交響曲第7番イ長調作品92番というのを聴いていたら、CMで聴いたことがあるフレーズ?が流れてきた。なんと、なんと。ジャーンボ ジャーンボ宝くじの曲ではないか。やめてほしい!!名曲をCMに使うのはやめてほしい!!知人からフキノトウをもらった。フキ味噌にした。 介護穏やかな一日だった。
2024年02月25日
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私にとってクラシックは敷居の高い音楽だった。高尚でどう鑑賞してよいか分からないし退屈だし私の暮らしに縁のないものだった。だが、なんとクラシックは楽しいものだと知ったこの2月。 新日本フィルハーモニー交響楽団と3000円の席があったことが聴きにいくきっかけであった。曲が作られた時代背景や楽しみ方など音楽アンバサダーの方と指揮者の方が楽しく面白く説明してくださった。いまも興奮の余韻に浸リっている。シベリウス フィンランディアチャイコフスキー 弦楽セレナードより第一楽章スメタナ 「我が祖国」より モルダウシベリウス 悲しきワルツフィンジ 前奏曲チャイコフスキー 荘厳序曲「1812年」いっぱい書きたいことがあるのだが時間がない。壮大な長編小説を読んだ気分だった。この歳になってクラシックの入口に立っている。とりあえず書いた。
2024年02月14日
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映画「PERFECT DAYS」を観た。忘れないうちに感想。モノトーンで低いアングルから空に向かって一直線の伸びる木々と風に揺れる葉の音ではじまる。眠っている平山の横顔。落ち葉を掃く箒の音で目覚める平山。布団をたたむ。昨夜読みかけた本に目をサッと通す。本を台に置く。一階に降りる。流しで歯を磨く。霧吹きをもって二階に上がる。部屋に並べた植物に霧吹きをする。作業服を着る。タオルを首に掛ける。霧吹きをもって一階に降りていく。玄関に並べた鍵とカメラと小銭をポケットに入れる。ドアを開ける。空を見上げて笑みを浮かべる。空地の自販機で缶コーヒーを買う。軽車に乗る。缶コーヒーを一口飲む。車を走らせる。カセットテープで音楽を流す。仕事場のトイレに着く。トイレを磨く。鏡でトイレの裏まで確認して拭き上げる。昼サンドイッチと牛乳をもって神社の階段を上り椅子に座る。空を見上げる。ポケットからカメラを取り出す。空と木々を移す。フィルムカメラである。カメラで撮った写真はすべてモノクロというかモノトーン仕事を終える。銭湯に行く。夜駅の地下道に並ぶ一杯飲み屋で焼酎とつまみ。布団に入る。本を読む。眠りに入る。平山の夢なのか深層なのかモノトーンで木々と葉の音と不思議な世界。朝落ち葉を掃く箒の音で目覚める。布団をたたむ。一階に降りて歯をみがく。霧吹きをもって二階の部屋の植物に霧を吹きかける。作業着を着てタオルを首にかけ霧吹きを持って一階に降りる。ドアを開けて空を見上げる。平山は笑みを浮かべる。その繰り返しの日々のなかにエピソードがそっと入りこみ、平山という人物を浮かび上がらせる。平山が読んでいた最初の本は翻訳本だった。タイトルが読み取れなかったが、映し出されたページに「影」というフレーズがあった。この「影」がこの映画のキーポイントなのだろう。光と影。そして、確かではないのだが、最初の画面では本は一冊しかなかったような気がするが、途中から文庫本が部屋の一面に並んでいた。時が流れているということだと。そして70年代の音楽。英語は分からないのだが最後の流れた曲の中にフリーダムというフレーズは聞き取れた。平山は自由ってこと。清々しいほどに自由。平山は写真を現像しにお店に行く。フィルムってかなり古い時代のカメラ。その帰りに駅の地下道の飲み屋ではなく、ママのいる飲み屋に行く。そのママの分かれた夫と隅田川の堤防で影踏み鬼ごっこをするシーンは良かった。そして古本屋で一冊100円の文庫本を買う。買ったのは幸田文の「木」。これらは、おそらく一ケ月に一回だけの楽しみとして。こういう映画が好きだ。平山の表情。胸がつまってきて、目じりから涙が流れる。目頭からじゃなくて目じりから涙が流れるのって可笑しい。とりあえず忘れないうちに書いた。他の人のレビューとか見ないで。日本では木漏れ日という言葉があるのだとエンディングで流れた。とりあえず書いた。昨年観た映画もこうやって書いておけば良かったのだが、、、、。追記一日たって思い出した場面がある。フィルムを店で現像しプリントした写真を部屋に持ち帰ってセレクトする平山。ネガと選んだ写真を缶の箱に入れて押し入れにしまうのだが、押し入れの中は整然と同じ缶が並んでいる。撮った年月を書いたシールが貼ってある。たくさんの缶が並んでいるという事は、平山のこのアパートでの暮らしは長いということ。いっけん淡々と見える平山の生活が俄然豊かな色彩を帯びてくる。自然を撮る。本を読む。彼の内面は豊かさで満ちている。しかし、あのスカイツリーの見えるオンボロアパートをロケ地として見つけたものだ。
2024年01月29日
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寒中お見舞い申し上げます遅くなりましたが今年もよろしくお願いします2024年元旦の富士山と海 風が強くサーファーが大勢。晴天。写真は相変わらずへたくそ。いいスマホが欲しいな。 能登大地震。羽田空港接触事故。北九州での火事。哀しくやり切れないことが続いている。ウクライナもイスラエルもガザも。世界中の紛争にやり切れない。日本の政治の哀しいほどの腐敗。春になればいい。早く春になればいい。
2024年01月20日
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夫に突然の連絡がきた。疎遠だった故人の息子から。相続放棄の手続きが終わりました。と。夫は「ほっておく」と言う。嫌な予感がする。相続放棄とは。ネットで検索。とんでもないことが起こっているのだと知る。3ケ月以内に手続きしなければ。夫は「なんでそんなことをしなければならないのか」と腹を立てて私に八つ当たりするだけだ。わたしが動かねば。ネットで調べる。かなり大変な作業をしなければならない。故人の生まれたときから亡くなるまでの戸籍謄本やらなんやら。しかし、ほとんど疎遠の間柄。頭をかかえる家庭裁判所に電話する。面倒くさそうに早口で申述書を提出してくださいと言うだけだ。今朝の新聞に宅配購読者向けの無料電話相談「ライフコンシェルジュ 生活の窓口」という記事を見つけた。相続に関しても相談が出来ると書いてある。明日、電話してみよう。とっかかりが見つかるといい。弁護士とか司法書士に頼むのがいいのだろうが、費用がかかる。なんとか自力で解決したい。出来るだろうか。こんなこと、ネットに書くもんじゃないよなぁ・・・・と思うが。吐き出すところがない。八つ当たりしてきた夫は、ごめん! と謝ってきたが、わたしは口をきいていない。
2023年12月19日
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12月になった。師走なんだ。師走という言葉もだんだんと使わなくなっていくのだろうか。絶不調というわけでもないが、心身ともにシンドイ日々がつづいている。世界中が痛んでいるのだから人の気持ちが沈むのは自然ななりゆきなんだけど。だけどシンドイ。シンドイ時ほどシンドイ本が読みたくなる。「海と毒薬」の戸田の言葉を拾い読みする。『言いようのない幻滅とけだるさとを戸田は感じた。昨日まで彼がこの瞬間に期待していたものは、もっと生々しい恐怖、心の痛み、烈しい自責だった。』『今、戸田のほしいものは苛責だった。胸の烈しい痛みだった。心を引き裂くような後悔の念だった・・・・』『俺には良心がないのだろうか。俺だけではなくほかの連中もみな、このように自分の犯した行為に無感動なのだろうか』『堕ちる所まで堕ちたという気持ちだけが彼の胸をしめつけた。』拾い読みしながら思うのだ。烈しい悔い改めがなければイエスの贖いが分からないのだと聞いている。烈しい悔い改めが起きない私はいつまでもイエスを知ることができないのだろうか。そう思うときに、いつも戸田を思い出すのだ。 「人間がこんなに哀しいのに 主よ海があまりに碧いのです」と長崎の遠藤周作文学館の海を見渡す場所にある碑にこの言葉が刻まれているそうで。いつか行ってみたい。 散歩道の山茶花。きれい。朝陽をあびてきれい。だから元気をだそう。素直に主イエスを信じる心と。逆らう心と。人は多重人格なんだから。それでいいではないか。さて、いい一日を過ごそう。
2023年12月01日
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実家に帰った。 網戸と窓ガラスとサッシと3日かかって洗った。ブラシで溜まったほこりを掻きだしスポンジで洗い雑巾で拭く。右肩がこった。透き通る網戸と窓ガラス。庭がきれいにみえる。姉の辞書には「掃除と片付け」という言葉がない。日曜日、ずっと行ってみたかったカトリック教会のミサに行った。 ミサは10時前に終わったので駅の近くのプロテスタント教会の礼拝に行きたいと思ったが、駅までかなりの道のり、急ぎ足でも間に合わない。礼拝は諦めるしかないと歩きながら道路の後ろを見ると空のタクシーが信号待ちをしているではないか。運転手さんの目を見て手をあげて止まってもらったが、教会の名前が分からない。駅の近くには教会が沢山ある。どこでもいいので教会に行ってくださいとお願いした。着いた教会で礼拝に預かった。単立の教会だった。老々介護で姉が頑張っている。我が家に向かう飛行機の中。 高血圧と腎臓病の義母のためラーメンなどは食べられない。この時とばかりにラーメンを食べた。鶏だしラーメン、美味しかった! 羽田空港で。 義母との生活をがんばる。
2023年11月11日
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海だよ 空だよ 道だよ 秋晴れの朝。空が高い。気持ちいい朝。世界中のこどもたちが いちどに笑ったら空も笑うだろう ラララ 海も笑うだろう「せかいじゅうの こどもたちが」の歌を世界中のおとなたちが歌えばいい
2023年10月23日
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なにかに追われているように生きているなんに追われているのかわからないけど 朝の光がやさしいけど 教会がしずかに建っているけどなにかに追われているように生きているさて、元気だして寝よう。寝るんかい??なんか書かんかい!!と突っ込みをいれつつ。明日を迎えよう。
2023年05月25日
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矢車草が好き 雪柳もすき スノードロップもすき 桜もすき ベンチもすき もうみんな萎んでうなだれてしまっているけど。さて、夕飯のしたくをしよう。今夜は大根とこんにゃくとツナ缶の煮物。あと何にしよう。スーパーで買い物するのが怖いぐらい値上がりしてる品々。節約
2023年04月21日
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なんというか、自分の気持ちがわからん。わからんと言うより自分の気持ちを持て余す。なんなんだ。あぁぁぁぁぁぁイヤだーーーー自分。なんなんだ自分。グワッジ まことちゃん。グジャグジャな気持ちで思い出した文章があったので本を引っ張り出して書いてみる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「わかりやすさの罪」129頁理解が浸透していない不自然な状況に身を置きたい。すぐに使ってしまう便利な言葉=「生きづらさ」、今の世の中に生きづらさを感じることが多いのは、よくわからない状況にいる人をみつけて未成熟だと片付ける人があまりに多いからではないのか。そんな人に指を差されるとしんどい。生きづらい。「なんだかよくわからない」を、むしろ、生きる上でのベースにしてしまうことはできないのだろうか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーよく分からないをベースにしてしまえばいいじゃん!って思っていたんだけど、でも、なんだかよくわからないをベースにしてるとつらいんだよね。つらいんだよね自分。
2023年04月21日
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「ふくやま文学」第35号をもずさんが送ってくださった 「寒いのはニガテ」なんというか、文体がやわらかい感じになっているように感じた。こんなことを書くのは生意気だよなぁと思いながら。さっと読んだだけだから。生活が落ち着いたらゆっくり読んでみる。
2023年03月23日
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ちょっと前のみぞれの降る寒い日に講演会に行った雪やみぞれや強風で外出のときは十分に気を付けてとテレビで注意を呼び掛けていた。車内には私ともう一人しかいない。なんだか心細い。 冷たい雨のなか鳥が。たぶん鴨だね。 シニア向けのセミナーと講演会。おもしろかったけど、つまり高齢になっても老後のために働けってことで。もう、働きたくないなぁ。電車にのって遠くの街にいくのは久しぶり。こんどは晴れた日に電車に乗って遠くに出かけたい。
2023年03月04日
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やっと読み終えた本 読みはじめて半分まではさっぱり分からなかった。この文章は肯定しているんだろうか?否定しているんだろうか?さっぱり分からないから頭が混乱するばかりで。半ばあたりから分からないけどなんだか読んでるのが楽しい気分になって。楽しい気分になったのは、きっと話し言葉で話しかけられているように気分になったからのようで。そんな楽しい気分は最終節になりはじめてから、これってもしかするとかなり深刻なものかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。やっぱり分からない気分になった。私には4.5回読み直さないと分からない本である。お嫁さんが勧めてくれた二冊目の本。さてつさんすきだなぁ。
2023年03月02日
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2月のおわりの空 人の腸内環境はそれぞれで、いつも便秘気味の人もいればいつも下痢気味の人もいる。わが義母は便秘症である。義母の口癖は「痛いところもわるいところも何もない。便秘さえなければ。これさえなければ」と。同居して4年ちかく、くりかえされる義母の便秘のくるしみはわたしの苦しみでもある。死にそうだどうにかなりそうだと泣いて訴える。診療所にかけこんでは下におりてないから浣腸しても無駄だねーと言われて頓服的な下剤を一日分処方されるだけである。背中やお腹をさするのはもう嫌だ。もうなだめるのも嫌だ。腹立たしくなる感情を抑えるのに顔が能面のようになっていると思う。看護師さんが介護サービスを受けてデイサービスに行くように勧めてくれたが便秘がおさまるととても元気になるわけで介護サービスはうけられないだろう。この10日ほどは義母にかかりきりで何もする気が起きなかった。たぶん、明日は気分よく起きてくれるはず。そうであってほしい。 今朝の空
2023年03月01日
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先日、お嫁さんとおしゃべりをしていたら好きなラジオ番組が一緒だった。その番組にゲスト出演していた小説家さんの話が面白くて買った本があるので読んでみませんか!と貸してくれたので読んでみた。面白くて楽しくて笑いがこみあげてきて小説家さんのやさしさに涙も出てきた。 雑誌に連載していたエッセイに後日談を加筆してまとめた本。2018年の出産からコロナが始まってからの4年間の記録。小説家さんは肺疾患の持病があり2歳の男の子を保育園に通わすことが出来ず(子供が保育園で感染し子供から親が感染することが多かったため)夫とも別部屋で生活していた。コロナ禍の中この雑誌の連載を読むママさん達がエッセイを読んで少しでも楽になってほしいと面白く可笑しく楽しく書いていて。ほんとーにゆずきあさこさんはやさしい。とくに「家出」「一番の好きな料理はなんですか?」は笑いで涙し、「子連れで、恐怖しない世の中を」には小説家さんのやさしさに涙した。
2023年02月09日
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