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楽しい高校生活を満喫して、卒業し、私は職業訓練校のようなところに入った。全寮制で、5年間で国家資格を取るというところ先生たちが居て、1年生から5年生までが全ての生活を共にするというところ。1年生の間はほぼ雑用と食事当番などなど・・・1年生は最初数十名入所するが、5年生になると、一人か二人・・・それ程厳しい所・・・それぞれ個性が違うが、ここで大きく分かれる先輩たちに上手に甘えられる子や色々な問題をするりとすり抜けられる子私はそうではなかった(>_<)生真面目に先輩たちの言葉を真に受けすぎて精神的に緊張するタイプ・・・丁寧にやりすぎて、時間がかかってしまうタイプ・・・先輩たちによく言われた言葉が、「 もっと上手に手を抜くことを覚えなさい 」と言う言葉!!あの頃の私はそれが全くできなくて・・・緊張して、焦って失敗をしてしまう。。。そんな日々の中、何と身体を壊してしまい食事も喉を通らなくなり、点滴の日々・・・病院の先生に、今は体を元に戻すことを優先したほうがいいと言われ何と、9か月で辞めることに手に職を付けて、自立する女性になると思っていたのに生まれた時から、お金の問題で苦労してきたからそんな思いをすることのないように、手に職を付けて、自立する女性になると思っていたのにこんなに早くその夢を挫折してしまった私が情けなくて・・・凄く落ち込んだけど、落ち込んでばかりいられない。。。実家に戻り、体調を戻し、求人広告を見て面接に営業の会社だったけど、教えてもらったことをそのままトークしたら、売れるわ、売れる完全歩合制だったけど、気が付けばトップセールスマンに次から次へと入ってくる人達も、完全歩合制だし続かなくて辞めてしまって支社長と、幹部男性2人と私、最終的にはいつも4人でした。だから、いつも最後は4人で会社閉めて食事に行ったり、飲みに行ったりしてた。私は3人に可愛がられてすごく楽しかった3人は、酔うといつも「 ○○(私の名前)みたいな子と結婚すると幸せになれると思う 」と言うそんなことをずっと真横で言われる支社長に妙にドキドキしたりして私は20歳になったばかり、支社長は8歳年上まともに男性とお付き合いをしたことのなかった私は、恋に恋する乙女それから色々、色々あって、この支社長と数年後に結婚する事になる。その後、会社は扱う商品が全く違うものとなりその商品に代わっても私は、トップセールスマンであり続けたそのころにお世話になった方々に未だに可愛がっていただけているほど自分には自覚がないほど売り上げを上げていたらしい。。。この頃の私はセールスマンと言う自覚がなく人とお話しすることが楽しくて、お客様とすぐに友達になれて仕事しているという感覚はあまりなかった。。。ただ一生懸命にその場を楽しんでいた感じだったそれが良かったのかも給料も割とよかったし、社長に別荘に招待して頂いたり良い所にお食事に連れて行っていただけたり楽しい思い出がいっぱいできた高校を卒業する時に思い描いた自分の夢はあっさり挫折してしまったけど今思えば、数十年続くご縁に巡り合えたり、色々な経験が出来た事は今の私にとって大きな財産になっている私が最初に描いた夢は私には向いていないものだったのかもしれないと今はそう思っています。【 人生に無駄なことなど一つもない 】これ、本当にそうだと痛感しています。
2020年04月28日
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高校生の時に大好きだったミュージシャンのラジオ番組が始まりそのミュージシャンの事が好きすぎる私はクラスメートに○○(ミュージシャンの名前)妻と呼ばれておりました(笑)で、私はそのミュージシャンの事をダーリンと呼んでおりある時、私はクラスメートに「 ダーリンがラジオ番組始めるから私に電話かけてくるよ 」と言っていたら本当にかかってきたもう、心臓が飛び出しそうなほどドキドキして、最初「 はい 」としか言えなくてそしたらそのダーリンから「 そんなに上がってないで!! 」と言われたことは覚えてるそして、電話を切った後、あまりにも感激したのと緊張しすぎたのもあり号泣したことも覚えてる。。。それから高校2年の時修学旅行で新幹線で東京まで行きその後バスで周ることになったときもクラスメートに「 ダーリンに何時何分何番ホームって伝えるから迎えに来てくれるよ 」と言っていたら、本当に新幹線降りたらホームにダーリンたちが居たこの事が切っ掛けで、私はみんなが認める○○妻となった(笑)その後も、ライブ帰りに、信号待ちをしていてふと横を見るとダーリンが立っていたり色々な軌跡が重なって二人でお話したり、一緒に写真を撮っていただけたりダーリンとは信じられない奇跡が起こり続けた。そんなダーリンのライブにも2度目の離婚してから全く行けていないけど未だに、ダーリンがテレビに出てたり、ライブ情報があると私に知らせてくれる人たちがいる。今でも大好きだから、またライブ行きたいなぁ。。。でもね、本当に沢山のありえない奇跡を体験した私はその体験だけで充分満たされているというかどれも鮮明に思い出せる奇跡たちをこうして思い出すだけで幸せでいっぱいになれるそんな奇跡を体験させてくださった神様に感謝の気持ちでいっぱいです
2020年04月26日
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中3の春に家出騒動を起こしてしまった私。。。勉強も得意な方では無かったし・・・第一志望は見事に滑り、滑り止めに受けた高校へ進学することに!!私は将来手に職をつけて自分で稼げるようになりたいと思っていたのでそちらの道に進めるように、その専門のコースがある高校に通いました。女子高だったのですが、家出を機に私は考え方や感じ方が変わったようで中学まで成績も下の方だったのが、成績もぐんぐん上がり学級委員長に指名されたり、担任の先生に重要な役割を与えられたりするようになり職員室にいる事が多くなりました。見た目は最悪、丸々太っていたし、ニキビも花盛りだったし・・・でも、なぜか、職員室のアイドルと言われていました。クラスメートにも、職員室に呼び出されると私に一緒に行ってと誘われる。私が一緒に行くと怒られるのが軽減されると言うのです・・・まぁ、友達のお役に立てるのならとついて行ってましたが。。。職員室のアイドルの名残としてあの頃、卒業式の時に書いてもらう【 サイン帳 】というものがあり私は先生達だけでサイン帳一冊がいっぱいになっていました。この先生誰?!私習ってないけど?!という先生まで私に卒業のお祝いメッセージを書いてくださいました。今でもそのサイン帳は大切にとってあります☆先生方が私に向けて書いてくださったメッセージの中には共通の言葉がありました。それは【 笑顔美人 】という言葉♪それぞれの先生方がそれぞれの表現方法で私の笑顔をほめてくださいました。そうです、私には笑顔しかない(笑)今まで生きてきて、確かに笑顔と愛嬌だけで乗り切って来ました!!なので、あまり容姿などに自信がないという方がいらしてもどうか、安心してください!!笑顔さえあれば、大丈夫です!!ありとあらゆる困難を乗り越えてきた私が言うから間違いないです!!【 笑門来福 】これは正真正銘事実です!!騙されたと思ってやってみてくださいね♪それでは、今回も最後まで読んでくださってありがとうございます!!
2020年04月24日
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あれだけ費やしていた陸上の練習もほぼ出来なくなり病院に通ったりする時間が増え何だかぽっかり穴が開いたような感じになりました。。。家の中では相変わらず父の借金問題などで楽しいとは言えないことが多く思春期でもあり、色んなことに不満が溜まりまくっていました。。。そんなある日、友達の一人が私に色んなことがあって数日後に家出しようと思うと秘密を打ち明けてきたのです。私はびっくりしましたが、いろいろ話を聞いているうちに一緒に行ってくれない?!と言われ私も一緒に行こうと決心し二人でこっそり計画を立てて行動に移したのです。決行日の朝、家出の荷物をこっそり持ち出し学校に行くふりをして友達と落ち合いました。私は母に一週間で帰りますと置手紙をして家を出ていたので直ぐに学校に連絡がいったようで二人でホームに居る時、担任の先生が来るのが見え二人で荷物を置いたまま飛んで逃げました。先生には気づかれる事無く、ホームが見える女子トイレに逃げ込み先生がいなくなるのをずっと待っていました。しばらくして、先生がいなくなったのを確認して荷物を取り、二人で電車に飛び乗りました!!二人には共通の大好きなミュージシャンがいたので行先はそのミュージシャンが大学の時、住んでいた場所にしました。雑誌に載っていた下宿先の写真などを頼りにその場所の近くで降りました。色々街を散策し、夕方ミスタードーナツで食事をとり夜どうしようかと相談しているとき近くにいたおばさんが声をかけてきてくれました。小さな町?!だったので?!見慣れない中学生が二人、夕暮れ時にいるのが不思議がられたのでしょうか?!今から泊まるところを探さないといけないと話すとじっくり話を聞くからうちに来なさいと連れていかれ私はどうしようと心臓が飛び出そうなほどドキドキしていました。。。もう一人の友達がとっさに、私たち二人は異母兄弟で一緒に暮らしていた両親が突然亡くなり、叔母を訪ねて来たけど叔母のいる場所が分からなくなった的な作り話をしたのです。私もその場で話を合わせ、その事に罪悪感と恐怖?!で号泣しながら話したのが真実味が出た?!のか、そのおばさんは話を信じてくれて・・・それが何と、そのおばさんは不動産屋さんだったのです!!で、そのおばさんの持っている4畳半のアパートに布団などを持ってきてくれておばさんが見つかるまで居ていいと言ってくれたのです。何という流れなんでしょう!!これは神様が私たち二人に下さったご褒美だと思ってしまったのです!!それから数日間、二人で色々なことをしました。好きなミュージシャンが通っていた大学に行ったり雑誌に載っていた場所などを訪ね歩き嫌なことはすべて忘れて、好きな時に好きなところに行き好きなことをして過ごす♪何気ない会話や見た景色、本当に楽しかった!!そんな日々を数日過ごし、よくしてくださるおばさんにも申し訳ない気持ちが高まり家で心配しているだろう母たちの事も頭がいっぱいになりはじめたので二人で家に帰る事にしました。不動産屋さんのおばさんには、訪ねるはずのおばの居場所を思い出したので行ってみます。と話し、お礼を言い、改めてご報告に来ますと告げ別れ二人でお互いの家に今から帰りますと電話をかけ、電車に乗りました。駅に着くとお互いのお母さんが待っていてくれました。母は怒ることなくただ「 おかえり、一週間で帰るとあったから信じて待っていたよ 」と言ってくれました。その言葉に、私はただただ大泣きしてしまいました。。。家に帰ると妹も担任の先生も、近所のおばちゃんたちもそして、父も居て「 本当に無事でよかった!!本当にどれだけ心配したか・・・ 」と私はこんなにも周りに心配かけてしまったんだという後悔とこんなにも愛されていたんだと痛感したのであります。。。それからしばらくは、学校の色々な先生達や友達そして、警察などなどお詫びの日々が続いたのであります。。。
2020年04月22日
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小学校の頃に仲良しで、お互いに物語を書いては交換して見せ合ったりしている子がいましたあの当時、体操選手で、白い妖精と呼ばれていたコマネチが流行っていたのでその子と二人で「 中学生になったら一緒に体操部に入ろうね!! 」と約束していたのに、私は気が付けば陸上部に、その子はテニス部に入部していました(笑)二人とも町内の先輩に誘われて断り切れなかったのです。。。中学の想い出は?!と聞かれるとひたすら部活の練習に費やした事かなぁ。。。私は中距離800専攻だったので、女子は先輩と私と二人だけ・・・後はみんな単距離でした。なので、男子の先輩たちと練習することも多く学校が終わってから家に帰り、自転車で陸上競技場に行って練習する日々昔は先輩後輩の上下関係がすごかったので、今でも先輩に会うと直立不動で挨拶してしまうほど(笑)毎日毎日本当によく練習していました。練習にレモンの砂糖漬けをよく作って持って行った事とか夏休みの合宿の事とか、元旦ロードレースに出た事とか本当にいっぱい、色々な思い出が詰まっています!!ですが、2年生の夏ごろ足を壊してしまい砲丸投げや、円盤投げなどをしたりほぼマネジャー的なことをするようになりました。。。砲丸投げや円盤投げも、ホームはすごくきれいと褒められておりましたが、結果は伴わず(^_^;)そんなこんなで、あれだけハードな練習をしていたのがぴたっと走れなくなってしまったので私はみるみるまん丸に太っていったのであります。。。
2020年04月19日
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小学校の頃は学校で遊ぶのが大好きでした♪鉄棒やシーソーが大好きで、うんていも大好きでした。運動神経は良かったので跳び箱の時は見本を見せたりしていたこともあったし、特に足が速かったので、クラス別や町別対抗リレーではいつも選手に選ばれていました。休み時間や、体育の時は楽しかったのですが授業中に間違えて笑われたのがきっかけで発表したり、当てられると笑われる(>_<)と思うようになり、声も小さくなり授業中はいつもびくびくするようになりました。。。それから赤面症にもなりいろんなことに自信が持てなくなりました。いつしか、私は空想の世界に逃げ込むことが多くなりました。色々物語を書いたり、詩を書いたりそれを先生が読んでほめてくださったり感想を下さったりするようになり少しずつ自信が戻ってきました。小学校の卒業文集には将来の夢として【 童話作家になること 】と書いていました。最近、その夢がまたむくむくと湧き上がってきています。今はまだ叶っていないけれど、頭に中ではだいたい出来ています。それをどうやって発信するのかを少しずつ考えたりしています。私の頭に中にあるものをどうやって表現すればいいのかなぁ?!こんな風に表現できたらいいなぁ。。。。そんなことを色々想像してワクワクしています♪
2020年04月17日
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我が家に伝わるリアル『 日本昔話 』その1を読んでいただいた方はお分かりだとおもいますが母の子供の頃はお稲荷さんを大事にしていたそうです。お稲荷さんの日という日があったそうでその日には沢山のいなり寿司を作って、拝みに来る女性の方が来て、家族の健康などを祈ってくださっていたそうです。その最中にも女性はびっくりするほど、いなり寿司を食べながら拝んでいてお祈りの儀式?!が終わってからも、その女性も一緒にまたいなり寿司を食べていたそうで子供心に母はびっくりして、「 今まであんなに沢山のいなり寿司を食べたのにまだ食べれるの?! 」と聞いたそうです(笑)すると、その女性は「 今までは私ではなく、お稲荷様が食べていらしたのよ 」と言われたそうでその後、その女性は本当に普通にみんなとまたいなり寿司を食べていかれたそうです。。。そんなお稲荷さんの日には他にも色々と不思議なことが起こったそうで拝んでいた女性が急にお稲荷さんをくわえたかと思うと突然、びっくりするぐらい高く飛び跳ねたことがあったそうで母は怖いぐらいにびっくりした記憶があると言っていましたし、初めての不思議体験 で私に会いに来てくれた祖母は33歳の若さで病気で亡くなったのですがその直後にあったお稲荷さんの日に、いつもの女性が拝みだしてしばらくすると、突然「 おかあさん、○○さんは元気?!(祖父のこと) 」と亡くなった祖母の声で拝んでいた女性が話し始めたそうですその当時、亡くなった祖母の母親である私のひいおばあちゃんが母達を育てていたのですが、その祖母が「 ここは○○(祖母の名前)が来るところじゃないから帰りなさい!!○○(祖父のこと)は大丈夫だから心配しなくていいからね 」と言うと「 子供たちの事頼むね 」と言ってしばらくするとその女性が正気に戻り、「 あら?!私今何か言いました?! 」と聞いたそうです今あったことを話すと「 私は全くその瞬間の記憶がないから分からないけどよっぽど、心配で出てきたんでしょうね。。。 」と言ったそうです。そうですよね。。。33歳で幼い子供を4人も残してこの世を去るなんて・・・しかも、夫は戦争に行っている。私には想像もつかないほどの思いだっただろうと思います。そんな思いをして今に命をつないでくださったご先祖さま達に特に祖母に感謝したいと思います!!
2020年04月15日
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我が家に伝わるリアル『 日本昔話 』その2母がある親戚のおばあちゃんの夢を数日続けてみたそうです。その内容はというと・・・母の夢の中でおばあちゃんが、『 みんながお供えしてくれるお菓子を食べようとするとすっと目の前から消えて無くなってしまうんだよ 』と言うのだそうです。母は気になってその親戚に電話して母が見た夢のことを話したそうです。すると数日後にその親戚から電話があり仏壇を確認したところ、ネズミが仏壇をかじって穴をあけお供え物を引いて行っていたことが分かったそうです。その後すぐに仏壇を新しいものにしたそうでそれからはもうその夢は見なくなったそうです。。。私はこの話を聞いてからお供え物は本当にご先祖様も喜んでくださってそして食べてらっしゃるんだと思ったものです。同時に仏様達も同じくお供え物を食べてくださるしお願い事もちゃんと聞いてくださるし届いてるんだと思っています♪これが我が家に伝わるリアル『 日本昔話 』その2です。。。
2020年04月13日
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我が家に伝わるリアル『 日本昔話 』その1昔、昔、私のひいおじいちゃんが村の寄り合いに行くのにいつもの道をいくら歩いて行っても全く進まなかったそうです。ひいおじいちゃんは狐にでもつままれているのかと思いそこにあった木の切り株に腰かけて休むことにしたそうです。そこでうとうとしていると『おい、〇〇(ひいおじいちゃんの名前)わしは伏見稲荷○○の○○だが、足が欠けてそこに捨てられておるお前わしを連れて帰って祭ってくれ!!連れて帰ってくれたら、末代までわしが守る』と言う夢を見たそうです。不思議な夢を見たなと思ってふと足元を見ると白いきつねの足が欠けた置物が落ちていたそうです。ひいおじいちゃんはその置物を持って帰り伏見稲荷に持って行って、お祓いをしてもらって新しい狐さんの置物を授かってそれをお祭するようになったそうです。それから色々と不思議な事が起こっていたようですがひいおじいちゃんが亡くなって、戦争が起こり祖父が兵隊さんで戦地に行くことになったときお稲荷さんでお守りをもらい、祖父はそのお守りを胸に入れていたそうです。その時、祖父は鉄砲で撃たれ、弾がお守りで止まり死なずに済んだそうです。ですが、その時、破片が目に当たり、祖父は目に包帯を巻いていたためくの字型の防空壕の一番奥に座らされていたそうですすると、その防空壕の前に爆弾が落ちて祖父と数名以外全員亡くなられたそうです。そして、そのあと、母達が住んでいた家の近くにも爆弾が落ち下の家が燃え、だんだん母達の家にも火が迫ってきていましたが母の家の隣まで来た時に風向きが変わって母達の家は燃えずに済んだそうです。これらは全てあのお稲荷様が守ってくださったのだと私達は小さい頃から聞いて育ったのですこれが、我が家に伝わるリアル『 日本昔話 』その1です。。。
2020年04月11日
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小学校の低学年の頃だったと思います。夏休みに祖父のところで夜縁側を網戸にして寝ていました。夜中にふと目を覚ますと縁側に着物を着た女性が立っていました。ずっと私を見ているようでした。私は怖いという感情もなくぼんやりその女性を見つめていました。その女性の帯や着物を今でもはっきりと覚えています。朝起きて祖父に夜の出来事を話しその女性の着物や帯など詳しく話すと祖父はそれは、昔亡くなった私の祖母だと教えてくれました。私が覚えていた着物や帯は祖母が大好きだった着物だそうです。祖母は母が小さいとき、33歳の若さで病気で亡くなっています。そんな祖母が私に会いに来てくれたようです。実は母も私も妹も結構霊感が強い方で特に母は親戚が亡くなったとき母によく会いに来ます。あるとき夜中に母が玄関に行ったり、裏のドアを開けたりしているので何をしているのかと聞くと、おじさんが呼んでる声が聞こえるからと言うのです。気のせいだよ、だって今夜中だよという会話をして翌日親戚からその時間に亡くなりましたと連絡が来るとかお通夜の夜、ぼんやり庭を見つめるとそこに亡くなった人が立っているのを見るとか夢で何日も同じ夢を見て何かを知らせてくるとか私が小さい頃からそういうことをよく見たり聞いたりしていたのでそういう世界は普通だと思っています。
2020年04月09日
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前回は蝶々のお話をしましたが私は幼稚園の頃から夏休みになると一人で新幹線に乗って大好きな祖父のところへ行き親戚の家を泊まり歩いておりました。もちろん、ホームまで母が送ってくれて車掌さんなどに一言声をかけてくれて向こうに着くと、祖父や親せきが迎えに来てくれていたのですが。。。叔母の家に泊まりに行ったとき大きな木があり、木で出来た塀である時、セミの羽化する瞬間に出くわしたことがありました。従妹のお姉ちゃんたちとじっくり観察しながらスローで優美な動きと、あまりにも美しくとても感動したことを今でも鮮明に覚えておりますこの感動が大きくてセミの抜け殻をブローチ代わりに付けたりして気持ち悪いと言われたこともしばしば・・・小学校の頃には、年下の従兄弟達と蝉取りに良く行きましたし椿の種のかたいしと呼んでいたものを使い従兄弟の夏休みの宿題工作を手伝いセミなどを作り、それが優秀賞に選ばれると言う事もありました(^_^;)自然の中にいるときの私は昔から唯一生き生きできる場所だったように思います。。。
2020年04月05日
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集金の続きです。。。今日は私について書きます。私は小さい頃から自然が大好きで昆虫や虫なども大好きでした♪人が嫌がる虫達も私は平気でした。小学生の頃、私はアゲハチョウの幼虫が大好きでした!!(毛虫は苦手ですが(;^_^A)皆は気持ち悪いというけれど私にはとても可愛くて、不思議な模様や動きが面白くてたまりませんでした。なので見つけては自分の部屋に持って帰る。そのことはご近所でも有名で、ご近所さんのお庭に幼虫がいれば私が呼ばれるそして、その枝だったり、葉っぱ達と共にもらって帰り自分の部屋で育てる?!そんなことをしておりました。私の部屋はおんぼろアパートで、当時壁が土壁チックなものでして箱などに入れていた幼虫たちは箱から出て思い思いのところでサナギになっていました。そうです。私の部屋の壁に沢山のアゲハチョウのサナギがいる。今思い出してもワクワクします(笑)そんなある日、学校から帰って来ると部屋中に色々な種類のアゲハチョウが舞っていたのですとても綺麗で不思議な光景でした感動しながらしばらく見つめていた私は窓を開け、蝶々を外に逃がしながら、そのまま去っていく蝶々を見送ったのであります。。。今思えば?!私はきっと蝶々のように自由に優雅に飛んでいきたかったんだろうなと思っています。
2020年04月04日
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