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毎年1月17日には震災について、阪神・淡路大震災について書いてきたが、今年は書かずにいた。朝から、近くの公園の慰霊碑、復活した市民追悼式、メモリアルウォーク、HAT神戸、三宮センター街の絵画展、東遊園地などを巡った。そして ヴィッセル神戸の『25周年特設サイト』で小川慶治朗選手のコメントが。ツイッターでリツイートしましたが、2月になってどうやら特設サイトの掲載がなくなったようで・・・ここに記録のために再掲します。(このブログは2月9日、記です)「1995年1月17日、僕は2歳でした。・・ヴィッセル神戸に加入してからは毎年震災とヴィッセルの繋がりを映像で観せてもらってヴィッセルとはどういったチームかを毎年心に刻んでいました。」・・・の部分は ツイッター掲載のため短文化し割愛したのだが 両親からその時の様子、避難の大変だったこと、みなが助け合ったことなど、さまざま折に触れ聞いてきたし、小学校では道徳の授業などでも知った という要旨でした。慶治朗くんは やはり ウチの子、KOBEの子!だと。そして こうして、よき選手を育てたよきチームが「俺たちのこの街」に生まれたことに感謝。その「あの日」を・・・。
2020.01.17
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震災25年の年頭に。そして、あの日、1月17日には わがヴィッセルは25歳。初タイトルの喜びよりも、なんか 肩の荷が半分おりた・・・?いや むしろ 仇討ち、敵討ちの ひとつが出来た様な。何の仇討だろうかと 自分でも不思議だが、そう思っている。震災相手に敵討ちしてとしても、亡くなった方や 地震で、震災で人生が変わってしまった多くの人たちが救われるわけでない。気休め?かもだが、私にとっては なんか ザマーミロ、地震なんかで 人間を 俺たちを やっつけられると思ったら大間違いだ。地震なんか ナマズの寝返りだ!この大地は、この街は ここに住み続ける者たち(動植物含め)のものだから。神戸讃歌にあるように「俺たちの この街」「俺たちは守りたい」「命ある限り」やっぱり・・敵討ち 少しできたかも。そして 初タイトルを胸に 開幕戦を迎える ヴィッセル神戸に こころから感謝をしたい。
2020.01.06
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元旦 天皇杯決勝に勝利でした!言葉ありません・・。ずっと 節目節目で、震災〇〇年で優勝、タイトルを!と望んでいた。ヴィッセルは1995年1月17日「あの日」生まれたチームゆえ。しかし震災10年の節目に降格、しかし そこで 神戸讃歌が生まれ・・・あの時の「もう一度 あの場所へ」「よみがえれKOBE」の標語には 震災復興とのダブルイメージ、ダブルミーニングが込められていたと思う。アツが 三浦選手がJ1昇格を決めたとき「神戸の街のように 蘇りました!復活しました!」と喜びの声を上げたのも まちがいなく復興とJ1復帰のダブルイメージの意味がこめられていた。20歳のヴィッセルには 初タイトル獲得はなかったが、25歳になる今年の ヴィッセルくんはついに!ついに!テレビ参戦で、勝利の瞬間 『やったーあああああ』と絶叫するかと(フラッグも手元に持って応援していたから、準備万全)思っていたのだが、我ながら 不思議に 泣けて泣けて・・・ただ 泣けた。そして ふと 震災のなかで知り合った方の息子さん 当時大学生・・が 何もなければ息子さんつれて 国立に行っていたかも いや おじいちゃん、息子さん、お孫さんで観戦?と、ふと思って また泣けていた。ヴィッセル おめでとう! そして ありがとな!KOBEのために。(記 2020.1.5.)
2020.01.01
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