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阪神・淡路大震災から17年たち、また1月17日。18年目の1月17日を迎えました。職場のある京都から、夕方やはり神戸、三ノ宮 東遊園地へ。午後5時46分の黙祷に なんとか間に合い。その後、交流テントへ。しばらくぶりにお会いする方々。小生が京都にいることを知っている人もいれば、「やあ東京から、わざわざ。」と3年前の東京での単身赴任以降 お会いしていたはずだが・・、やはりご無沙汰していたのか。岩手県宮古市から来られた遺族を紹介されたましたが・・・ご両親や奥様ほか家族5人をなくされたときかされ こっちは最初その意味 にわかに飲み込めず「みなさんとは長いおつきあいです」と どぎまぎして言うのみ。東遊園地の1.17の灯りこれも存続について色々な話はありましたが今年は東北からも被災した方が来られここに 18年経っても これだけの人が集まることに勇気づけられた いう声があり続いてよかった と つくづく。KOBEの記憶は風化しません東北に引き継がれて 決して 風化しないと。南の慰霊のメモリアルで献花してから、また 1・17の竹筒をめぐり北側の ことし作られた 3.11の灯りへまさか去年は ここに もうひとつの日付の竹が並ぶとだれも想像しなかった3.11の竹灯りの向こうに「夢」の行灯交流テントで会った旧知のかたに 「是非 北側見てください。『夢』がとてもきれいですよ」 と。そのとおりでした。3.11から 夢に向かって・・。その後は 灘区民ホールでの震災の詩の朗読会へ。ずっと行こうと思っていましたが、果たせず 今回をもって神戸での開催は最後になり東北での開催になると知り どうしても行っておこうと。朗読は竹下景子さん。詩は 東北大震災を悼むものでした。ことし3月11日は仙台で行われるそうです。以下に 神戸新聞の記事を<竹下景子さん犠牲者を悼む朗読 最後の神戸開催> 神戸で最後の開催。「特別な思いでこの日を迎えました」と、心を込めて詩を朗読する竹下景子さん。=灘区民ホール(撮影・飯室逸平) 阪神・淡路大震災を題材にした詩を公募し、女優の竹下景子さんが朗読する「1・17メモリアルコンサート」が17日、神戸市灘区の灘区民ホールで開かれた。東日本大震災を受けて来年から舞台を仙台に移すため、神戸開催は最後となった。竹下さんは東日本の犠牲者を悼む詩を朗読、二つの被災地の心をつないだ。 コンサートは市民有志の企画で1999年に始まり、毎年この日に開催して14回を重ねた。今後は仙台に引き継がれる。 神戸最後のステージには約450人が集まった。全国から応募があった158編から選ばれた入賞作5編が、ピアニストの林晶彦さんらの演奏とともに朗読された。 「愛した人のことが忘れられず/この場所に来ては 思い出を語る」「時は流れても 涙が流せても/歌が勇気づけてくれても ただ立ちつくしている」(松本市・伊藤寿彦さん「勇気」)。 子を失った親にも心を寄せた。「母親は小さなシャベルで/瓦礫を掻いた/朝から昼へ 昼から晩へ」(東京都・平石裕一さん「2台の幼稚園バス」) 「言葉には力があり、真の気持ちがある。私はそれを運んできただけ」と竹下さん。 「亡くなった人をしのび、思いを共にして歩んで行こうとの気持ちで朗読してきました。今の気持ちのまま仙台へ行きます。心一つになるステージを応援してくれた人たちに感謝します」と話した。(仲井雅史)さて、うちに帰って 娘たちと 長田、大正筋のお茶屋さんが 南三陸町の商店街復興のため通ってアドバイスしているという「阪神・淡路の後悔をいかして」という番組を見て・・このお茶屋さんと知り合いでもあり「おっちゃんえらいねん。長田から深夜バスか車で通って」というと 娘が「すごい!大変じゃない このお年で」「そうや 半端な気持ちでないよ。いうたら 仇討ちやな・・。阪神・淡路と 南三陸(志津川)で商店街の代表やったかな その人と防災のことで知り合いになてって その人は津波にのまれて・・その友人のひとの」災害の記憶の継承は 悔しさの継承でもあり たしかに 仇討ちだな と。(おもわず仇討ちと言ってしまって 娘にはぴんと来なかったようですが・・・)ことし東遊園地に二つの日付ができてそして 受け継がれていくものが ちゃんとあると 信じているし信じていいようでありなにより 忘れない トモニ
2012.01.17
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明けましておめでとう御座います。京都に来て半年。新年を迎えました。正確には大晦日、元旦は 阪神間の自宅でしたので4日の仕事始めから京都です。みなさん 宜しくい願いします。ヴィッセル応援は勿論ですが、京都も天皇杯準優勝で J2ながら目が離せません。ことしは 西京極へ行ってみようかと。(たしかJ1は日曜日に固定されるということも聞きましたし)さて 京都に来て 下賀茂神社で 方丈記800年関連の催しがあり昨年参加。ことしが 方丈記が書かれて800年の節目と知りました。「行く河の流れ・・」で有名ですが、実は 作者の鴨長明は京都で 大火、大風、地震というすさまじい災害体験をしていて方丈記の前半は そのルポであったということを 知りました。3.11以降 急速に読まれ方が変わってきた書物でもあります。単なる無常感 季節のうつろいを はかなく思うようなものでなく生死をかけた すさまじい体験からのエッセイだと。しかも記載内容が、かなり実録であることも。方丈記800年委員会の試作ポスターが新聞に載っていましたが焼け野原 灰燼に帰した 街に 立ちすくす長明と もう一人の人物(藤原定家らしい。同時代人です)の構図でした。日本文学史上の 重要人物二人が 実は 灰燼に帰した わが街を(ふるさとを)見ていたという単純な事実を いま かみしめています。
2012.01.05
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