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TVドラマで、ライアーゲームが最終回を迎えました。何となくみていたのですが、途中は何かいやな感じを持ちつつも、最後まで見てしまいました。結局、最後はホッとできて、作者の意図も素晴らしいもので、よかったですね。話はといいますと、ゲームの中で参加者がお金を奪い合い、負けたらその分負債を背負う。みんなそれぞれが必死で勝ち残ろうとして、色々な駆け引きがあり、疑心暗鬼にも陥りながらも、その中で、主人公が気付くわけです。奪い合わずに分け合えば、誰も得をしない代わりに、損もしない。なら、奪い合うのを止めて、分け合いましょうと・・・。私は人を信じたい・・・、と。その信念を貫き通した結果、みんなの心も溶け、誰も得をしなかった代わり、誰も負債も背負わなかった・・・。そしてみんな笑顔になった・・・。今の世の中と、これから創り上げていく未来の姿を見たきがしました。限られたパイを奪い合い、誰かが得すれば、誰かが損をする。奪い合わずに分け合えば、みんな不足なく生きられる・・・。今の世界の本質を的確に表現しているように思いましたね。教育という名の下に、競争に勝つ事が絶対的価値のように教えられています。確かに、自分を磨く事において競争も必要ですが、思いやりや優しさという本来人間の持つ素晴らしさを磨く教育が、抜けてしまっているような気がします。人と動物の違いは、優しさや思いやりという心の部分に思います。そこが抜けてしまった結果が、今の世相と思うのはわたしだけでしょうか?誰もが、自分だけが得をするように考え動き、負けたものには眼もくれない・・・。ホンの十年ほど前、田舎では車に鍵をつけたまま、家に鍵もかけない、というのが当たり前で・・・。今はというと、そんなの考えられない・・・。それだけ世の中が変わったというより、人の心が変わってしまった。でも、人は気付いた瞬間から変われます。それが人間の素晴らしさでしょう。甘いといわれるかもしれませんが、人間の本質は信じるに価すると思っています。心のあり方を意識する人が増えれば、昔の田舎よりもっと素晴らしい社会にすることも可能と信じています。都会であったとしても、お隣さんやすれ違う人、周りの人々を信じて生活できれば、子供の送り迎えを交代で、何てことも必要ない・・・。そんなこんなも、根本原因は、私たち一人一人の心のあり方・・・。人の才能は諸刃の剣で、創造に使うも破壊に使うも心次第。競争に勝つ事に使ってきた能力を、人を活かし人を喜ばし、人の笑顔が増える方向に使う人が増えれば、きっとあっという間に世の中が変わっていくでしょう。人を疑い、明日に怯えて毎日を過ごすのは、しんどくて疲れるもので・・・。人を信じ、人の優しさを信用できるなら、明日がもっと素晴らしいものになるでしょう。そんな日常なら生きるのももっと楽しい。今の世相は、産みの苦しみの時期かもしれませんね。TVでそんな内容が放送されるということは、今の世の中に何か歪を感じ、その原因に気付いている人が増えてきている!未来を良くするポイントは、人の心の余裕と思いやり、って気がします。
2007年06月24日
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昔、食欲旺盛でお金もなかった学生時代、しかし時間だけはありました。そんな暇を持て余して、腹を減らした友達同士で、安くて量が多くて・・・、そんな飲食店良く行きました。その関係者の皆様、その節はお世話になりました。人数が多くなれば、大抵、割り勘。割り勘なら、より多く食べないと損、なんていうのが一つの基準としてありました。確かに、見ていて気持ちのいい食べっぷりっていうのもあって、それはそれで微笑ましいわけではありますが・・・。で、私もその基準を使っていたときもありましたが、何かしっくりこないっていいますか・・・。食べ放題とか、バイキング形式とかで、日頃食べた事ないものを勢いでここぞとばかりに思いっきり食べるっていうなら、店にしても残ってしまうと勿体無いでしょうから、みんながハッピーエンドでいいのですが、身内の中でその基準でやるっていうのもどうかと・・・、そんな気がしていましたね。今にして思うと、みんなお腹が一杯なら、幸せ度は同じなわけで、誰がどれだけ食べたとか損得ではなく、勝ち負けでもなく、みんな平等にお腹が一杯になった、その幸せの対価として、同じお金を払うと考える方がしっくりきていたんだと思います。それぞれの人が、必要な分だけ、足らないわけでもなく、過ぎたるわけでもなく、みんな同じように、同じだけ幸せ。欲も過ぎると、何かが歪むのかもしれませんね。欲が進歩の原動力の一つではあるでしょうし、実際欲を少なくするっていうのも難しいのも事実で・・・。でも、見栄を張るのも結構疲れるもので・・・、自然にありのまま生きられれば、楽には生きられるわけで・・・。そんなことを考えていると、少し基準を変えて配分方法を工夫すれば、地球環境を戻しながら、みんなが幸せになる方法っていうのもあるのかもしれない・・・、なんてこと、柄にもなくふと思いました。
2007年06月20日
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礼儀や礼節、挨拶というと、暑苦しいと思う人もいるでしょうし、また、当たり前すぎてなかなか、「何故必要なのか」、を教えてくれる人も少ない。そこで、私なりに・・・。何か考え事をしていて、相手に気付かなかったとか、話をしている人の前を横切るのに、邪魔をしたら悪いと思って黙って通るとか、照れくさくって、挨拶しなかったとか・・・、そんなこと、ありますよね。でも、相手の立場で考えてみると、きっと、あまり気分良くはないでしょう。ある意味、「無視された」と感じているかもしれない。無視されて喜ぶ人には会ったことないですから、そんな風に感じたときの人の反応は、怒る、又は、落ち込む、と相場は決まっています。どちらにしても、嫌われる原因になりますから、やらないに越したことはないですね。胡麻をすればバカにされるかもしれないですが、礼を持って人に接すれば、大抵、好かれます。自分を重要視してくれる人には好意をいだきますからね、人間は・・・。それに、人間は感情で動きますから、この「好意」っていうのがデカイ!また、「挨拶しなさい」「しました」なんて事もよくあります。「挨拶しなさい」と言った方は聞こえなかった。「しました」と答えた方は、挨拶をしたわけで・・・。しかし、コミュニケーションとは言葉のキャッチボールですから、相手に聞こえなければ言ってないのと同じ・・・。「独り言」ではありませんからね。せっかく挨拶しても、聞こえなかったのでは、してないのと同じですから、勿体無いですね、その気持ちが・・・。しかし、幾ら気をつけていても、限界があって、ツイ、知らず知らずに忘れがちになるのが困ったもので・・・。当たり前と言われる事ほど、やって普通なわけですが、しかし、当たり前のことほどある意味難しいのも事実で・・・。そんなことで、誰しも、知らず知らずに、相手を傷つけていること、あると思います。そういうことを避けるために、礼儀・礼節や挨拶というのが大系としてあるのでしょう。そして、身に着けられたならば、無用の誤解もある程度は避けられるでしょうし、礼を持って相手に接すれば、自分が重要視されるようにもなるでしょう。相手に対する礼儀は、自分を売り、可愛がられる方法と思っています。
2007年06月06日
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