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自分がより人の役に立つことで、自分を活かすために、色々なスキルを身につけること、大切と思います。でも、身に着けたスキルを使うことを意識しすぎると、大切なことを見失ってしまう・・・かもしれない。スキルという引き出しは、ある程度多い方が良いと思いますが、あくまで道具ですから、必要なときに必要な物だけを使えばよくって、使う必要がなければ、あえて引き出しを開けないことも、大切な選択肢と思います。優秀な営業マンというのは、聞き上手な人、ということはよく言われることですね。話し上手な人もそれ自体は素晴らしい才能と思いますが、やり方を間違うと、軽薄な印象を与えてしまう危険があるのかもしれないですね。この聞き上手ということも、聞くテクニックのようなイメージを受けますが、優秀な営業マンが実践しているのは、本当のところは、テクニックやスキルではなくて、本気で、相手に氣を向けて、相手の話を真剣に聞いているのでしょうね。人は、「自分の話を真剣に聞いてくれる人に好意を持つ」カーネギーの本曰く、そういうことのようです。お世辞やオベンチャラは、分かってしまうものですが、百戦錬磨のつわものでも、自分の話を真剣に聞いてくれた人には、無条件で好意を持つ、という傾向があるそうな。テクニックを身に着ければ使いたいのが人情でしょうが、あくまで道具ですから、使う道具に気を取られて、肝心の話をしている人に氣が向いていなければ、本末転倒かもしれないですね。また、氣が向いていないことって、分かるものですからね。心ここにあらず、って言う具合に。よく私も、やってしまってから反省するのですが、テクニック以前の問題としても、誠実に人に接することは、最低限の礼儀ですから、わきまえていたいと思います。気をつけているつもりでも、そのときの感情で、知らず知らずに外してしまうこと、よくあって、とても、自慢になりませんね。結局のところ、相手の話を真剣に聞くことで、真剣に相手のことをわかろうとする気持ち、態度が、人の心に響く・・・のかもしれないですね。そのポイントを抑えた上で、スキルを使えば、より自分がバージョンアップできるように思います。「仏作って魂入れず」ではないですが、ポイントを外さない自分でいたい、と思います。ここまでのお付き合い、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月31日
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イギリスと日本、騎士道と武士道、精神文化において、一種の共通性を感じるのは私だけでしょうか?ラグビーにおいても、握手で始まり、握手で終わる。試合中、審判に見つからない見えないところでは、結構、汚いことも、えぐいこともやっている。でも、試合が終われば、笑顔で握手。お互い試合に勝つ為には、あらゆる意味で全力を尽くす。見えないところでは、必要と思えば反則もやる。見つからなければ、反則ではない、・・・それもルール。でも、全ては試合上でのこと、決して怨みや遺恨を残さない。そして、笑顔で握手。相手を祝福しあう。自己責任において生きる、自立した人間だけに香る、高貴さ、潔さを感じます。一方、日本の戦国乱世、裏切り、抜け駆け、騙し討ち、ルールのないことがルール。喩え、自分はやらなくても、人がやるのは、自由。それは、その人の問題で、そのことを責めることもなければ、言い訳もしない。 人は人、自分は自分。昨日の友は、今日の敵、友であればなお更のこと、ひとたび、敵となれば、全力で命のやり取りをする。死力を振り絞って戦うことが、相手への礼儀。理想、意地、生き方は、人それぞれ自由。それに従って生きれば、お互い一歩も引けないときもある。そのときは、雌雄を決するのみ、是非もない。善悪、正誤ではなく、勝負は時の運。そんな時代もあったんですね。そこには、恨みも、辛みも、泣き言もない。ルールのないことがルール、の時代にあって、命のやり取りはあくまで、戦場だけのこと、戦が終われば、決して怨みや遺恨を残さない・・・、それがルール。自分は自分の信じる美意識によって生きる、・・・そういう武将が多かったように思います。一個の精神的に成熟した人物だけがもつ、凛とした美しさを感じます。状況的には結構大変でしょうが、自分を磨くための遊びのような余裕が、垣間見えるような気がしてしまいます。ただ、命がけであることが、現代の感覚でいえば、特異に映るだけで。実際がどうであったのか、知るよしもありませんが、こういうことが名を残した武将に流れる、哲学のような気がします。蓮は、水が泥で汚れているほど、美しく大きな花を咲かせる、と聞いたことがあります。武士道・・・、殺伐とした時代だからこそ、大きく咲いた一輪の花のように思います。どんな状況でも、心に余裕を残せれば、・・・と思います。ここまでのお付き合い、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月30日
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「この宇宙は、全て神の一部であり、その中の塵一つに至るまで、神の一部であり、分身である。そして、我々人間もまた神の分身であり、神の子、無限の力を持つ」という話を聞いたことがあります。事実かどうかは横に置くとしても、思ったことが思ったようになるのが、この世の中で、本来、人にはそういう力がある、のかもしれないですね。「ある」と思えば、無限に入ってきて、「ない」と思えば、無くなっていく、そういうことのような氣がします。欲しがれば、欲しがっている状態が、続いていく。当たり前と思っていること、目が見える、耳が聞こえる、普通に歩ける、どこも痛くない、食べ物もいつもある、着る物も十分ある、住むところも快適で凍える心配もない、など、実のところ何の不足もなくて、こういうことが、いざ世界に目を向けてみれば、この状態にする為だけに生きている人も多い。裸で産まれて、裸で死んでいく。座して半畳、寝て一畳。これが、人間の真実のように思います。だから、私達は恵まれていますねとか、質素に生きましょうとか、そういうことを言う気はまったくなくて、今の自分の状態を、「自分には全てある」と思うことで、無限に豊かさが流れ込んでくる、という現実の創造そのものとなる・・・、そういう力が人にはあるように思います。今の世間の常識とはまったく逆のことと思いますが、自分の力で何とかしようと思っていれば、本当に自分の力しか頼れなくなる。自分の力なんて大したことなくて、周りの皆様に支えられることで無事生きられる、と思えば、本当に皆が支えてくれる。不足していると思えば、不足している状態が続いていく。恵まれていると思えば、恵まれた状態が続いていく。私はとても恵まれています、と本気で思っていますから、皆様のお陰で、本当に恵まれています。ここまでのお付き合い、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月29日
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今日は、誕生日でした。私の相棒(嫁)が考えて考えて、プレゼントをくれました。それは、一冊の絵本。「おくりものはナンニモナイ」 パトリック・マクドネル著その内容は、ムーチは かんがえた。うんと かんがえた。なんでももってる ともだちをよろこばせるものってなんだろう?そこで、中身が空っぽの箱をプレゼントするわけです。贈り物が何もない、ということは、「全てある」ということです。何もかもあることを、楽しんで下さい。これが、メッセージかな、と思います。不足を探せば、無限にあります。でも、本当は不足なんて、何もない・・・のかもしれない。ここまでのお付き合い、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月28日
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「夢を持つ」、素晴らしいことですね。役者になることを夢見て、毎日レッスンに励む。プロ野球選手を夢見て、バットを振る。トライアスロンの大会に出ることを夢見て、体を作る。大観衆から大爆笑を取ることを夢見て、漫才師を目指す。人の喜ぶ顔が見たくて、商売を大きくする。人の数だけ、夢もあることでしょう。また、こんな言葉もあります。「叶わなくても、所詮、夢だから」この言葉にどういう感想をもたれますか?私はあえて「たとえ叶わなかったとしても、追いかけている間中、夢は見ていられる」という解釈をしたい。夢を見ている瞬間、輝いている自分がいて、その輝くことに意味があるとするなら、夢が叶うかどうか、ということは問題ではなく、夢を見ていること自体に最大の値打ちがあるのかもしれない、と思います。夢を追いかけているときって、こうなったらいいな、こんなことが出来たら最高、無限に想像が膨らんで、ウキウキ、ワクワク。その一瞬一瞬が、正しく夢・・・かもしれない。夢が叶うということは、現実となるということです。それはそれで十分値打ちのあることと思いますが、ただ、現実になれば、事実となりますから、空想の余地はなくなります。夢が叶うということは、夢から覚めること・・・かもしれない。夢を追いかけ始めたら、その瞬間から、もう叶っている・・・のかもしれない。追いかけているときが、一番楽しんでいる自分がいる・・・のかもしれない。夢が現実となる・・・素晴らしいですね。より一層、可能性が広がっていく。夢を追いかけているとき・・・、それは、最高の夢を見ているとき・・・かもしれない。どちらのときも、素晴らしい光を発している自分がいる・・・と思います。ここまでのお付き合い、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月26日
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「当たり前のことが一番難しい」ケーキ職人、パティシエのドキュメント番組で、その職人の言葉です。ケーキ職人といっても、基本的には、毎日同じことの繰り返しです。ケーキを作る側から見れば、確かにそういうことになります。私達も、日々の仕事で、つい慢心してしまうこと、あると思います。また、体調の悪いとき、心配事が頭から離れないとき、悲しいときなど、生きていれば当然あります。では、お客さんにとってはどうか?週に一度、そのケーキを楽しみにしている人もいるでしょう。片道1時間かけて買いに来てくれる人もいるかもしれない。また、地方から新幹線で遊びに来て、その土産としてわざわざその店を選ぶ人も居るでしょう。そういうお客さんにとっては、いつも同じ味であることに意味がある。喩え美味しいと思ってもらっていても、一生の内にもう二度とそのケーキを口にされる機会はないかもしれない。毎日の繰り返しの中で、つい慢心してしまいそうな自分、自分が出来る最高のケーキを味わってもらいたいと思っている自分、常にそういう葛藤の中で、自分は最高のケーキ職人であり続けたい、そうあり続けようという気持ちが、この言葉になったと思います。一期一会同じ自分と思っていても、また同じ人と思っていても、実は、例外なく確実に歳を重ねている。今と同じ自分、今と同じ人には、二度と会うことはなく、また、会うことは出来ない。一瞬一瞬が、常に新しい自分であり、人である、・・・ということが意味であったように思います。そういうことが、実践的に分かっておられるように思います。「自分を磨く」といえば、技術であり知識を身につけるという意味だけに、使われることが多いように思いますが、「人徳」という意味においては、自分に対して、人に対して謙虚で居続けようとする姿勢が、自分を磨くということかもしれません。商売をしていて、最も基本的で当たり前に思えることが、最も深く難しいと感じるときがあります。理屈ではわかっても、実践するのは一生かけても終りのないことのように思います。いつも謙虚で居続けられること、間違いながらでも、そこに戻れる自分でいたいと願います。ここまでのお付き合い、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月25日
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アメリカの初頭教育において、子供達に必ず自分で、考えさせることがあります。それは、「あなた自身の成功を定義しなさい」です。お金を持ちになること、出世すること、良い会社に入ること、ということを教えられてきたように思いますが、そういうことは、無限にある選択肢のほんの一部に過ぎない、ということがこの一言で分かるような気がします。世界一の漁師になる、日本で一番美味しい米を作る、誰より優しい学校の先生になる、じいちゃんばあちゃんが好きだから介護士になる、力が強いからトラックの運転手になる、よく泣くから役者になる、木が好きだから家具職人になる、野山で遊ぶのが好きだから山の管理人になる、寝るのが好きだからブタになる、そんなことを大真面目にいう子供が増えれば、見ているだけでも毎日楽しめる・・・気もします。「自分自身の成功の定義」それは、「自分にとっての楽しさや喜びの定義」でもあるように思います。自分自身の成功の定義、それによって生きる人が増えれば、成功者ばかりの笑いの絶えることのない世の中になる・・・かもしれないですね。読んでくださって、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月24日
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本に、印象的なイチロー選手のインタビューが載っていました。その抜粋です。大リーグで、「年間最多安打262本」という前人未到の記録を達成したイチロー選手が、インタビュアーから質問を受けました。「イチローさん、次に目指す目標は何ですか?」それに対してイチロー選手は、こう答えました。「もっと野球が、うまくなりたいですね。 でも、それは数字には表れないものであり、きっと、自分にしか分からない世界なのでしょうね」270本打ちたいとか、打率を4割にしたいとか、そういう内容ではなかったことは驚きですが、一番凄いのは、「もっと野球が、うまくなりたい」という言葉だと思います。趣味でやっていたときは、徹夜しようと、食事を抜こうと、全然苦にならなかったことが、商売にしてしまったことで、いきなり辛いものとなる、なんてことあると思います。「自分が本当に好きなことは、仕事にしてはいけない」という意見も有りますが、きっと、そういう経験をお持ちの方の感想なんでしょう。仕事としてやってしまえば、自分の生活、従業員の生活、数々の経費、そして採算分岐点が、借金の返済が、付いてまわるようになります。その中で、商売を長く確実に成立させようとすれば、そういう感想になって当然と思います。状況的には、それはイチロー選手も同じでしょうね、きっと。それどころか、ファンの期待、チームの期待、メディアの注目、または、数字次第では簡単に首になる実力のみが通用するシビアな世界、そういう現実はもっと凄いプレッシャーなのかもしれない。その中で、数々の外野の声、プレッシャー、そういうものは全てシャットアウトして、ただ、「野球がうまくなりたい」という思いだけに焦点を当て続けた凄さ。日々の生活の中で、いつの間にか忘れてしまった大切な何か、その答えがあるように思います。「成功が成長の一つの側面に過ぎない」という事実を、「成功は結果に過ぎない」という事実を・・・、いつの間にか、成功を生きる目的としてしまっているのかもしれない。そして、その過程で、「楽しむ」ことを、どこかに置き忘れてしまっているのかもしれない。真剣に楽しめば、実はもっと楽に生きられるのかもしれない。人は、楽しんでいるときに、最も能力を発揮できるような気がします。ここまでのお付き合い、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月23日
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日本は、国土の90%を緑に覆われていて、先進国でこんな国は世界にないそうですね。エジプトでは、ナイル川の両サイドの僅か500m、合計1,000mが人間の住める地域で、国土の97%は不毛の砂漠です。 その砂漠もナイル川から近いところでは、掘れば水は出る。 でも、植物は育たない。 土から養分の抜け落ちたものが砂ですから、砂では生命の生存が難しい。生活の基礎が経済なら、生命の基礎は環境ですね。生命を育み生かす基本となるもの、それは水です。この日本は、緑と水で溢れている。ヨーロッパにおいても、原生林はなくて、全て人工の森だそうな。(日本の森も、完全な原生林はもう殆どないのが現状で、何らかの形で人が手を入れなければ、森を維持できない・・・とはいっても、人工の森ではないところが救いです)今年は雪が多くて、その対応に苦慮されている地域の方々には怪我の無いことを祈りますが、反面、今年は水の心配はしなくてすみそうです。その雪が、天然の貯水池の役目を果たしてくれていて、もし、雪ではなく雨で、かつ、その量を溜めておこうとすれば、日本最大級のダムが2000個必要になるそうです。また、雪は熱に反応しますから、雪が解ける過程で、急激な気温の上昇を防ぎ、過ごし易い風土となっている。そして、その雪解け水が、半年間、国土を国民を潤す。日本で、これだけ緑や森が残されてきた背景には、神社があります。神社の鎮守の森は、神の住む森として、古来、大切に残されてきました。そして、日本中どこへ行っても、神様が居られて、守られている。日本人は、遠い昔より自然を神と捉えてきた民族で、自然現象から、自然の恵みまで、その働きには神が宿るとして、自然との共存共栄、共生を生きる基本としてきた、柔らかい民族です。欧米は自然を征服できる、という文化で、日本は、自然と共生しようという文化です。どちらが良いかは分かりませんが、この国の自然のバランスを知れば、この国が奇跡の国に見えてくるのは、私だけでしょうか?ここまでのお付き合い、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月22日
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自分の意思ではどうにもならない、自分の周りの大きなエネルギーの流れを運というならば、そのエネルギーの大きな人を運が良いというように思います。歴史に名を残すような人の人生を見ると、人生の要所で、奇跡的な出会いとか、めぐり合わせとか、それこそ、映画や小説のように思うことありませんか?そういう奇跡を見て、そこに大きな意思のようなものを感じることありませんか?ここからは、あくまで私の個人的な意見です。例えば、飛行機事故で奇跡的に助かった人とかは、大きな意思が、その人の運を宣伝する為に、そういう最悪の状況の中で、生き残らした・・・なんていう解釈もできます。運が良いことを、何かで宣伝しなければ、誰にもその人が強運の持ち主であるとは分かりませんからね。また、戦国武将や一流といわれる経営者は、自分のことを冷徹に客観的に見られる人でもありますから、自分の実力も当然あるでしょうが、自分の成功が自分の力だけではなく、眼には見えないし、それが何なのか定かではないが、そういう大きな力の存在を自分の繁栄の裏に感じているのかもしれないですね。古来、そういう眼には見えなくて、なんなのか定かではないが確かに存在すると思える力のことを、神と呼んできたのかもしれませんね。そういう強運の持ち主を自分の側近におくことで、間接的にでもそのパワーが使えるという解釈をする人が、日本の戦国武将や経営者には多いということのように思います。そこまでの強運の持ち主なんて、滅多にいませんが、精子と卵子の関係で言っても、生まれてきただけでもう十分奇跡かもしれないですね。因みに、自然科学の分野においては、確立が100分の1以下なら、そこには何らかの法則、何らかの意志が働いている、と考えようというのが基本と聞いたことがあります。要するに、自然科学の世界においては、100分の1以下の確立なら、偶然という言葉は使えない、ってことになります。何気なく生きている日常もそういう見方をすれば、その大いなる存在によって生かされているのかもしれないですね。また、その大いなる存在は、愚痴や文句のようなマイナスエネルギーを避けるようで、喜びや感謝というプラスエネルギーを出す人にエールを送ってくださるようです。自分の認識力の低さで、幸運を不運と取り違えてしまうこと、私なんか良くありますが、喩え分からなくても、こじつけでも、無理やりでも何でも良いですが、幸運という解釈をしてしまうと、よりその大いなる存在が喜んでくださるようです。長者番付No.1の斉藤一人さんも多くの本を出されていますが、もしかしたらそういうことを伝えたいのかもしれないと思います。ここまでのお付き合い、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月20日
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運が良いか悪いか、って一概に言えないですね。本人が決めることだから。1000人中999人があなたは運が良いといっても、自分がそう思わなければちがうわけで、逆に999人があなたは運が悪いといっても、自分が良いといえば良いわけです。例えば、交通事故で車に6人が乗っていて、自分ひとりだけ助かった、って言う場合、助かったという事実だけを見れば、相当幸運ということになるでしょうが、事故をした車に乗っていたという事実だけを見れば、不運という解釈にもなるでしょう。今日、小林正観さんの講演会に行って来て、大変興味深い話を聞くことが出来ました。その内容は古来、日本人の文化では、運を大切にする。織田信長、上杉謙信、武田信玄、徳川家康などなど、そういう戦国武将は、自分の側近中の側近、要するに常に自分の傍に置く人を選ぶ基準は、運の良い人間ということであったそうな。九死に一生を得た人とか、どんな厳しい環境であっても生き残る人とか、そういう人を側近中の側近にしていたそうです。槍の腕前が凄い人とか、剣の達人とか、そういう人でなかったというのが驚きでしたが・・・。現在の人でも、特に経営者に多いようですが、自分の周りを固める人には、運の良い人を選ぶ傾向があるそうです。松下幸之助さんも創業当時、採用の基準は、「自分は運が良い」と答えた人だったそうです。この基準の根底にある考えは、才能のある俗にいう優秀な人というのは実は結構いて、極論すれば、集めることは可能です。しかし、運の良い人となると、断然難しくなる、ということのようです。それで、自動車事故で一人だけ助かった人とか、飛行機事故で奇跡的な生存者とか、そういう人は、一生生活に困ることはないようです。仕事の能力に関係なく、そういう経営者がほっときませんから。そういう極端な例は、少し横に置くとしても、運の良し悪しなんて、結局のところ自分の決めることでしょうから、「自分は運が良い」とか、「自分は恵まれている」とか、「自分は幸せ者だ」とか、できるだけ口に出して言った方が得ということになりますね。どこで誰が聞いてるか分かりませんから、何かの拍子にでも、縁が広がりやすくはなると思います。また、そういう言葉は全て、陽の言葉でもありますから、周りを明るくする効果もあって、人が集まって来易くなるでしょうしね。どちらにしても、簡単なことですが、相当得する・・・かもしれないと思いますが、いかがでしょう?ここまでお付き合い、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月19日
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私の恩人(といっても勝手に思っているだけですが)の一人、小林正観さんの本から、抜粋です。当時80歳ぐらいで、大笑い協会会長の及川羅漢という人がいた。その人は、頭がつるつるで、上半身裸で、半ズボンで、真冬の1月2月でも、いつでもどこでも裸で歩いていて、体がいつも外に出ていれば、顔と同じようになって、だから無理して服をきる必要がないですよっていって、ワッハッハと笑っているような人だったそうです。その及川さんが、2月にある全国紙の記者からインタビューを受けたと。インタビューした部屋が、及川さんの自宅の道場で、その記者が入ったときには、ストーブがたかれて室温が28度ぐらいあった。そして帰り際にある意地悪な質問をしたくなった。「あなたはいつも裸でいれば服をきる必要は無いといっておられるが、寒い日はこんなに部屋を暖かくしておられるのですか」って。それに対して、ワッハッハと笑って及川さんは、「記者さんは普通の人だから、来られる2時間前に暖めておきました。 普段火の気はまったくありません」と答えたそうな。驚いた記者が、「じゃあ、私がこの質問をしなかったら、誤解して帰ったかもしれないじゃないですか」「別にそんなことかまいません。 誤解されてどのように書かれても一向にかまいません」といわれたそうな。正観さん曰く、「誤解されてもかまわない」という凄さも2割ぐらいはあるけれど、もっとすごいのは「記者さんは普通の人だから、2時間も前から部屋を暖めていました」-この言葉の凄さなんですよ。私達はちょっと勉強すると<生半可の半可通>といって半分だけ通になる。生半可にわかったときは、必ず人に説教しようとする。けれども羅漢さんは、普通の寒がりの記者が外からやってきたら、絶対に部屋が寒いであろう。普段は火の気がまったくないけど、この記者さんのために2時間も前に部屋を暖めていたというんですね。 羅漢さんは本物中の本物ですよ。自分は信念で生きているのだから、どんなに書かれようと誤解されようとかまわない、と思うのは本物だからこそです。そういう人を達人といいます。耳に痛いですね。それも、相当。本物になるのは、その過程においては、自分との戦いですね。学んで感動したら、人に言いたくなるのが人情で・・・。分かったつもりになれば、傲慢さが顔を出す。また、分かったつもりになりたい自分がいるから、始末に悪い。スターウォーズや、マトリックスのように、自分の暗黒面との戦いかもしれない。本物なんてそんな簡単になれるわけないから凄い魅力がある・・・のは分かっちゃいるけど・・・.とにかく、きっちりその醍醐味を味わうことにしましょう。読んでくださって、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月18日
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朝日さんの「氣のネットワーク」のブログで、中村天風さんのことを書いておられますが、その中村天風さんのHPで、いい言葉を見つけました。「体によいからとソバを注文して、できるのが遅いと怒りながら食べてるやつがいる」「口から入れる栄養物ばかり気にしているが、心へは毒物を平気で入れているね」体は勝手に動いているのではなく、心に従っているわけです。風邪のウイルスは一年中存在するわけですが、風邪を引くのは冬がほとんどです。何故か?「風邪は冬に引くもの」と思っているから。夏に風邪を引くことは、滅多に無いのは何故か?夏に風邪を引くなんて、思ってもいないから。別と考えがちですが、体と心は密接に関係しあっていると思います。心へ入れた毒は、体の不調の原因にもなる。心に入れる毒とは、マイナスの感情のことで、不平不満、愚痴、悪口、泣き言、文句、恨み、辛み、怒り、不安、恐怖、などです。心に入れる栄養とは、感謝、感動、喜び、楽しみ、などです。自分の良心に反することをやっていれば、肩も凝って、寝覚めも悪く、体の調子も悪くなる・・・のかもしれない。体に感謝し、人に喜ばれるようなことを笑顔でやり、心から楽しいと思えることで毎日を満たせば、心も体も、絶好調でいられる・・・のかもしれない。日々、これ、楽しくするための精進(笑)かもしれない。読んでくださって、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月16日
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失って初めて分かる、有難みってありますね。亡くして分かる、親の有難み、とか。別れて初めて分かる、愛情の大きさ、とか。病気をして始めて分かる、人の有難み、とか。体が思うように動かない経験をして始めて分かる、健康の素晴らしさ、とか。挙げ出したら、きりが無いぐらいそういうことのオンパレードですね。で、失くしてから、後悔したりするわけですが、本当のところは、失くさなければ分からないことかもしれないですね。経験することでしか、分からないのが人間のような気がします。失くして、後悔するか、失くして、より深く有難みを知るか、どちらの気持ちも当然あるでしょうが、そういう経験が人を磨き、より優しく、より大きくするものかもしれない。それが、いい歳のとり方といわれるものかもしれないですね。辛い経験が、そのまま人間の魅力になるのなら、年をとるのもまた、素晴らしいですね。読んでくださって、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月15日
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滋賀は瀬田川沿いの立木観音の駐車場からの景色です。ここから、心臓破りの階段を約20分ほど上がると、本殿に至ります。写真では映っていませんが、大勢の参拝客で、大変賑わっています。本殿の写真は、人が多くて、遠慮しました。本殿の裏手にも、拝むところがあるのですが、そこと、奥の院で波動を強く感じましたね。寺というより、神社のエネルギーのような感じを受けました。本殿に比べて、極端に人は減りますから、より有難いかもしれないですね。読んでくださって、感謝です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月12日
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今さえ楽しければいい、と言って将来のことを考えようとしない、また、考えられない人が、若年層に増えています。「今が楽しければいい」正しく、おっしゃるとおり!死ぬまで、そう言い続けられたら、人生大成功!!何一つ、思い残すこと、ないでしょう。しかし、実際にこれを実践しようと思えば、悟らなければ不可能かもしれないぐらいに、難しい。それが分かって、やってみようとしているなら、心から応援させてもらいます。でも、分かっていっているというわけではなく、逆に、分からないから、言えるのでしょう。単に、40歳の自分、60歳になった自分を想像したくないから、考えようともしないというのが本当のところのように思います。時間は全ての人に平等です。そんな叔父さんおばさんになる自分を想像したくないといっても、残念ながら、必ずそうなります。40になったから、60になったからといって何かが変わるわけでもなく、単に年齢だけが違う、同じ自分がいるだけです。頭が、10代の思考しかない、40歳の人間がいるだけです。しかし、こんな40歳、誰が雇ってくれるのでしょう?そのときになって、やれ世の中が悪いだの、親が悪いだの、人のせいにするのは自由ですが、しかし、誰もあなたにお金はくれないし、養ってもくれない。そのとき、どれだけ騒いでも、自業自得、どうにもならない。世の大人は、それが分かっているから、そうなりたくないから、一生懸命働いているんです。今、気付いて真剣に生きれば、40になっても60になっても、きっと楽しんでいるあなたがいることでしょう。本気で、死ぬまで、「今が楽しい」といい続けられる生き方を・・・。もっと言えば、与えられる娯楽の楽しさではなく、生まれてきてよかったって言えるような本当の楽しさを、本物の歓喜を・・・。本物の人間ばかりの、世界に誇れる日本に・・・と思います。読んでくださって、有難う御座います。その温かさが、私の元気の素になります。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月11日
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細木数子さんが番組で、ニートの問題について話しておられましたね。ニートの問題の本質は、「精神年齢の低さ」、まったくその通りに思います。私も15年ほど商売をしてきて、20前後の学生を多く使ってきて思うことは、年々精神年齢が下がってきていることを実感します。それも6~7年前ぐらいを境に、いきなり極端に下がりました。その年を境に、古株の学生が、同じ大学の後輩であるにも拘らず、一年下の学生のことは僕達でも理解できなくて人種が違う、と言っていましたからね。要するに、自分のことしか考えていないと同時に、考えられない人が7年前ぐらいを境に増えている。社会は人間で成り立っていて、相手を無視して、自分は無いわけです。相手の立場に立って物事を考えられなければ、社会においてその人の未来はない。仕事と言っても、上司、同僚、取引先、そしてお客さんで成り立っていますから、お客さんのことを考えずに物が売れるわけないですね。そういうことを考える発想がないことで、考えが自分中心で、自分勝手で、誰もそれを矯正しないから、そのまま、その状態で固まってしまっている。でも、彼らが話して分からないというわけでは決してなくて、話し方によっては、十分響く。むしろ問題は、一個の人間としてこの社会で生きていく上での基本的で大切な教育を誰もしていないという我々大人の方にあると思います。私、面接においてまず、会社と従業員の関係と、働くことの意味を坦々と説明して、その後、ここで働きたいですか、どうしますか、って聞くんですが、ほとんどの学生が、「そんな話を聞いたのは初めてです。 是非働かせてください」っていいますから、こんな基本的なことを誰も教えていないことに、愕然としますね。学生に、人としての基本を教えることを通して、私自身も学ばせてもらっていて、有難いわけですが、社長になって、多くの時間をそれに使ってきたように思います。人が成長する姿を見せてもらえることって、嬉しいものです。結局のところ、人を育てることが、そのまま会社の、ひいては社会の発展に繋がりますから、一人でも多くの大人に、諦めずに、若者と真剣に交わることで大切なことを伝えて欲しいと思います。一緒に、素晴らしい未来を創っていきたいものです。読んでくださって、有難う御座います。その温かさが、私の元気の素になります。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月10日
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皆、脳みそを使って生きているわけですが、では、どのぐらい使っていのかっていうと、せいぜい20%程度らしいですね。天才と言われる人でも、25%程度で、残りの70~80%を使うことは無いそうですね。と言って、使っていない脳は死んでいるわけでも、腐っているわけでもなくて、常に血が通って細胞としては、立派に活動している。また、意識には顕在意識と潜在意識があって、自分と思っているのは、意識の中のほんの一部である顕在意識のことで、でも、日頃、意識することも無い潜在意識も、自分なわけです。脳波でいうと、β、α、γ、θとあるわけですが、βが覚醒時の脳波でつまりは顕在意識で、その他は睡眠時の脳波、潜在意識といわれています。寝ているときも、何もしていないわけではなくて、自分が潜在意識の領域にいるわけです。まれに、覚醒時の脳波がα波以下の人もいて、この人は、顕在意識と潜在意識の一部を使えているわけです。この潜在意識は、右脳の領域ともいわれていて、潜在意識が使えると、右脳、つまりは、直感が使えるようになるみたいです。よく天才的なひらめきとかいいますが、それは、この誰もが持っていて、使い方のよく分からない右脳を使っているだけのことかもしれないですね。病気も、この潜在意識の自分からのメッセージの一つかもしれないですね。病という形で、本当の自分が、表面的な自分に、大切な気付きを促そうとしている。病気は辛いことですが、視点によっては、一概に不幸ともいえないものとも思います。辛い現実だからこそ、学べることが詰まっている。病は、魂レベルで自分が成長できる大きなチャンス・・・なのかもしれないですね。「我、幸いにして、病を得たり」とは、賢人が残した言葉ですが、この言葉には、凄いメッセージが詰まっている・・・ように思います。読んでくださって、有難う御座います。その温かさが、私の元気の素になります。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月09日
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目隠しして、像を見たことない人に、鼻や耳という部分だけを触らせて、その全体を想像させる、なんて話ありましたね。そんなもの、判るわけないですね。部分部分の情報が幾ら正確でも、それが全体の正確な把握に繋がるかというと、別問題のように思います。また、部分に拘り過ぎると、本質を見失うかもしれない。TVの番組で、「日本のがん医療を問う」が放送されました。癌になった人が、より適切な医療を受けられるように、情報開示とか、情報の共有とか、寿命に関わることですから、とっても大切なことと思います。この中で、親を癌で亡くされた方が、地域に癌センターが無かったために、適切な治療を受けさせてあげることが出来なかったといっておられました。とても、無念であったことでしょう。そういう想いをする人が出来るだけ少なくなるように、医療を考えること、とっても大切と思います。それと、不治の病が親の場合、もう一つ大切なこと、それは、親孝行と思います。時間が限られていればなおのこと、「安心」して頂くこと、大切と思います。今まで産んで育ててもらった感謝や愛を送るのは基本としても、「自分が居なくても、この子達は大丈夫」という安心の中で心安らかに送ることができたら、きっと、とっても大きな最後の親孝行になると思います。親から見れば幾つになっても子供でしょうが、でも、その子供達の言動、行動、立ち居振る舞いを見て、親は子の成長を感じるのでしょう。人に対する思いやり、他人を尊重する姿、果ては自分の言葉遣いを改めることでも、親孝行になっているものと思います。「自分はいい子供達に恵まれて、幸せ者だ」と思ってもらうことも、大切な親孝行と思います。読んでくださって、有難う御座います。その温かさが、私の元気の素になります。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月08日
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この地域では、滅多に見ることが無くなった、雪景色です。一夜明けたら、モノトーン。時代の変化も、こんな感じで進むものかもしれないですね。明治維新も、当事者達にとっては、案外、坦々としたものだったのかも。今年の一月一日から、清算の時代に入ったと言う話を聞きました。今まで積み重ねた因果を清算させてもらえて、魂をピカピカに磨き上げる。悪行の多かった人(笑)にとっては、相当有難く、清算しがいのあることが起こるかもしれないですね。どちらにしても、清算が済まなければ、次のもっと心地いい店に行けませんから、清算の機会をもらえることが、有難いですね。バージョンアップするための、自分自身の大掃除、感情を味わいながらやっていきましょう。読んでくださって、有難う御座います。その温かさが、私の元気の素になります。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月07日
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ノストラダムスの大予言が流行ったのは、小学生ぐらいのときだったと思いますが、1999年での自分の年齢は30代半ばで、その時点では、30半ばまで生きたら、人類が滅亡して自分も死んでも、まあ仕方がないか、程度に思っていましたね。その後、実際に1999年を迎えて、何も無かってよかったわけですが、小学生のときに考えていたのとは大違いで、30半ばで死ぬなんて考えたくも無いということが本音でした。年齢に関係なく、幾つになっても、やっぱり死ぬと言う現実は辛いことと思います。長く生きただけ、死ぬ恐怖が減る、というものでもないようですね。40歳で死のうと、60歳で死のうと、または100歳まで生きようと、40歳なら40歳の、60歳なら60歳の、100歳なら100歳の時点で、今を生きている自分がいるだけでしょう。しかし、自分の寿命が何歳なのか分かりませんから、長生きだけにこだわると大切な物を見失うかもしれないですね。人生に値打ちがもしあるとしたら、この世を去るときに、「いい人生だった」と思えれば、それが最高なのかもしれないと思います。身内を何人か見送って思うことは、死という現実には本人が向き合うしかないわけですが、周りが出来ることは、今までのその方に対して、感謝を送ることのように思います。その結果、その方が黄泉に帰るときに、「いい人生だった」といってくれれば、その一言で、それに立ち会う回りの人々が、救われるように思います。愛する人の死が避けられないものならば、後で自分が「もっとこうしてあげればよかった」とか思わなくてもいいように、生きておられるうちに、今の自分の精一杯で恩や愛をお返しさせてもらうことが、結局は自分のためにもなると思います。成仏するとは、仏に成る、と書きますから、仏になれるかどうかは、周りの感謝のエネルギーによるところが大きいと思います。読んでくださって、有難う御座います。その温かさが、私の元気の素になります。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月06日
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人から、どう思われてもいいと思うんです。本当にそう思えれば、楽になりますから。恥ずかしながら、一時期、見栄を張っていたときがありました。車を買うにしても、前のより高級なものを・・・なんて基準で選んでいたときもありました。デザインに惚れてとか、音に痺れてとか、内装に感動してとか、機械としての作りこみが気に入ってとか、と言う理由で欲しいと思ったものが、高級品であったというなら、自分の気持ちには正直なわけです。でもね、見栄が基準なら、疲れるんです。自分の人生で、自分が主役ですから、人の目を気にして行動するのは、何かが違うわけです。誤解を恐れずにいえば、人生において、自分以外は皆脇役ですから、そんなこと気にするぐらいなら、主役である自分の心に正直に行動する方が、よほどすっきりするわけです。今では、高級品でも、自分にとって何の値打ちも感じない物もあれば、安い物でも感動するものもあって、視野が広がりましたね。結局のところ、どう楽しむか、と言うことと思えます。何をしていても、手放しで楽しいことなんて、そうそうなくって、自分が楽しく出来るかどうかでしょう。自分にとって楽しいことは、自分の心では分かっているでしょうから、人がどう思おうと、自分の気持ちに正直に行動することが、楽しむことの近道のように思います。それになにより、人の目を必要以上に気にすることをやめれば、楽になりますから。読んでくださって、有難う御座います。その温かさが、私の元気の素になります。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月05日
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色々な資格があって、自分がなりたい自分になる為に、必要なスキルは身につけた方がいい。でも、自分の未来に関係ない資格をとっても、ムダになってしまうかもしれない。あくまで、資格は道具ですから、使い道のない道具は持つ必要も無いように思います。確かに、「自分に何が出来るのか?」と言う質問は、重いです。だから、何か資格をもっていれば、ある意味、安心できることも事実でしょう。ここで、不安を紛らわすために、心のよりどころが欲しくなりがちです。そんなときこそ、まず、足元を固めることが重要に思います。今、自分の出来ること、今、自分が必要とされていることって、回りを冷静に見渡せば思うより多くあるものです。そういう中で、今、自分を活かせることを探すことが、自分の未来にとって、結局、一番重要なポイントとなるように思います。人物の伝記とか、大河ドラマを見ていると、運命が偶然の産物とは思えなくて、自分の過去を振り返っても、スケールの違いはありますが、とても偶然の産物とは思えないと言うことが本音で、全ての人にとっても、人生は偶然の産物ではないように思えます。全ての現実が必然の産物とするなら、「今」を外せば、最良の未来はその分、遠のくのかもしれないと思います。あくまで、個人的な意見ですが、未来の自分にとって重要なことは、「なりたい自分を明確にする」ことと、「今というこの一瞬を大切に生きる」ことと思います。読んでくださって、有難う御座います。その温かさが、私の元気の素になります。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月04日
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つゆと落ち つゆと消えにし我が身かな なにはのことも夢のまた夢水のみ百姓から、天下人までを経験した秀吉公は、人生の終わりに何を見、何を感じていたのでしょうか?「形あるもの必ず崩れて、命あるもの、必ず死ぬ」ことが真理なら、生まれて死ぬまでの時間は、最後に振り返ってみれば、一瞬見た夢のように思えるのかもしれないですね。手ぶらで生まれて、手ぶらで帰るのがあの世なら、持って帰れるのは、感情の記憶だけかもしれない。ならば、今年は、どんな楽しい夢にしましょうか?読んでくださって、有難う御座います。その温かさが、私の元気の素になります。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月03日
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明けましておめでとう御座います。今日、見た虹です。何か、嬉しかったですね。今年は、天命に踏み込めそうな気がして、楽しみです。自分の喜びの為に、人様に喜ばれるように、お役に立てるように。御用の際は、どうぞよろしく!読んでくださって、有難う御座います。その温かさが、私の元気の素になります。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年01月02日
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