全5件 (5件中 1-5件目)
1
☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ありがとうございます。今日もすべてに感謝します。 世界中のすべての方が幸せにありますように!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆2018年 平成30年 6・28(木) なぜときに人生がむなしくなるのか(2) なぜまだ死にたくないのか 姫野です。 今日京都は蒸し暑い晴れの一日でした。 ど~も、いかがお過ごしでしょうか。 いや~、もう蒸し暑くて、 家に帰ってシャワーを浴びて さっぱりして、下着姿でコーヒーを飲んでいると 「ふ~、人間の幸せとはシャワーを浴びる ことかもしれない」などと感じます。 (そんなアホな!) いやまあ、 今日も特にどうということのない人生を 特にどうということもなく過ごして 「やれやれ、1日がとにかく無事に終えてよかった」 などと感じている僕ですが あなたはいかがでしょうか。 さて 幸せのために、前回 なぜ、私たちはときに人生がむなしくなるのだろう。 なぜ、まだ死にたくないと思うのだろう。 という話をしていました。 そして一つの切り口として 何か今の自分の人生が「むなしい」と感じるのは 何かまだ「しっかりとした本物に出会っていない」 深く自分で納得できる満足感を味わっていない。 深い不滅の満足感・安心感が自分にない。 そう感じることが 一つ大きな原因としてあるのではないか。 そうお話をしていました。 私たちは人生を 通常の分別で生きています。 その人やものは自分にとって ・損か得か ・敵か味方か ・勝ちか負けか ・人や物が自分にとって利用価値があるか ・好きか嫌いか・・・などなど こんなことばかりを意識もせずに瞬時に判断し 人生の勝ち組になって、幸せに気分よく暮らそうとして 得意になったり、落ち込んだり、しています。 若いときはそれでも済みます。 しかし、誰もが老いや死をむかえます。 老いや死は勝ち負けで見れば敗北です。 美しさ、体力などもう若い人には負けてしまうのです。 いくら金を積んでアンチェインジングなどと頑張っても もう勝てません。下手に若ぶるともう痛々しくなります。 そう、今の先進国の文化の中では 誰もが、深い満足感などなく老いて むなしく敗北で終わる人生を生きることになります。 なかにはもう若いうちに先が見えて 人生をむなしく生きる人も多くなります。 何がそうさせるのでしょう。 人生を観る視点が不足しているのです。 人生を合理的分別のみで見てしまうのです。 分別の眼だけでなく 人生を仏の智慧の眼で見る 神の眼で見る という視点を持たない限り 人生は今一つ満足感のないまま 「私の人生は何だったんだろう」 という疑問のままで終わることになります。 ですから、前回人生がむなしいと感じるのは 「人が宗教的なものを求める叫びだ」といえる とお話したわけです。 では 自分の人生を、仏の智慧の眼で見るには 「どうすれば」と疑問になります。 ひとつ道元禅師の言葉が参考になります。 仏道をならふというふは、自己をならふなり。 自己をならふといふは、自己を忘るるなり。 自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり。 万法に証せらるるといふは、 自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。 身心脱落 道元 六大は無礙(むげ)にして、常に瑜伽(ゆが)なり 空海 南無阿弥陀仏におまかせする 法然・親鸞 いろいろな道があります。 別に特定の教団の信者になる必要はありません。 その根本の意味を理解し体得すればよいと思うのです。 この意味については 長くなりますのでまた次回に さて あなたはいかがでしょうか。 ではでは 愛を込めて! 姫野 修一郎(Himeno Shuichiro) ana38655@nifty.com 今日も笑顔でニコッとね。 何であれ、そこに愛が流れてこそ はじめてこころから楽しくなります。 幸せはごく自然な あなたの命の本来の属性です。 よろしければ、お参りして一息入れてみて下さい。 (聖心寺・聖心神社) http://seisinji.net/index.html 僕の自費で印刷した本「なぜ生きる」を お読みいただけると嬉しい。 本の少し詳しい内容とお求めは http://himeno3.blog89.fc2.com/ 姫野修一郎のブログ「ただあるがままに」 http://siawase1.at.webry.info/ このメルマガ購読はこちらから⇒ http://melma.com/backnumber_153517/ ご意見・ご感想などはこちら 姫野メルアド ANA38655@nifty.com 生涯かかっても実現できないような 大きな夢を持ちなさい 案ずるな、必ず救うてやる! いつも響く仏の声です。
2018.06.28
☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ありがとうございます。今日もすべてに感謝します。 世界中のすべての方が幸せにありますように!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆2018年 平成30年 6・21(木) なぜときに人生がむなしくなるのか なぜまだ死にたくないのか 姫野です。 今日京都はくもりのち晴れの一日でした。 ど~も、いかがお過ごしでしょうか。 いや~、地震で今倒れ掛かる本棚を 片手で防ぎながら、片手でこれを書いています。 (コラ!嘘つくな!) 先日の地震発生のとき 僕は朝の通勤途中の地下鉄に乗車中でした。 幸い京都の市営地下鉄は止まらず徐行運転に 変わりました。 ただ四条にある会社に着くとエレベーターが止まり 一日7階まで階段で上り下りしました。 これが僕の一番の被害と言えば被害でした。 夜、伏見小栗栖の家に帰ると、 時価数億の「曜変天目茶碗」が粉々に割れて なくなった以外は(もともとなかったじゃないか!) あとガスの安全装置が働いて 止まったくらいで済みました。 地震も自信も過剰にならないようにと 願うところです。 さて 幸せのために、今日は なぜ、私たちはときに人生がむなしくなるのだろう。 なぜ、まだ死にたくないと思うのだろう。 ということについて考えてみましょう。 いかがでしょう。 あなたはなぜだと思いますか? もちろん、いろんな角度から考えることが できます。別に僕に正解があるということでは ありません。 ただ、僕が想うのに 「まだ、本物に出逢っていない!」 そんな漠然とした思いが心の底にあることも ひとつあるのではないか。そう感じます。 何か今の自分の人生が「むなしい」と感じるのは 何かまだ「しっかりとした本物に出逢っていない」 深く自分で納得できる満足感を味わっていない。 深い不滅の満足感・安心感が自分にない。 そう感じることが 一つ大きな原因としてあるのではないか 僕はそう感じるのです。 自分は人生でまだ本物に出逢えていない 今の人生を幸せと思って生きなければ 明るく楽しく生きよう そう願っても 人生がどこか「むなしい」と感じる でもまだ死にたくもない 僕はそれは 人が宗教的なものを求める 心の叫びであるともいえる 少々の面白くないこと、不快なことがあっても 揺らぐことがない精神的な 本物の心のしっかりとした柱が足りない 出逢えていない! そういう叫びである そう思うのです。 でもまた特に既成宗教に入る気もしないし 今一つ、お寺や教会に話を聞きに行く気もしない という方も多いでしょう。 どうすれば? どう考えればよいのでしょう。 長くなります 僕の考えは次回に… あなたはいかがでしょうか。 ではでは 愛を込めて! 姫野 修一郎(Himeno Shuichiro) ana38655@nifty.com 今日も笑顔でニコッとね。 何であれ、そこに愛が流れてこそ はじめてこころから楽しくなります。 幸せはごく自然な あなたの命の本来の属性です。 よろしければ、お参りして一息入れてみて下さい。 (聖心寺・聖心神社) http://seisinji.net/index.html 僕の自費で印刷した本「なぜ生きる」を お読みいただけると嬉しい。 本の少し詳しい内容とお求めは http://himeno3.blog89.fc2.com/ 姫野修一郎のブログ「ただあるがままに」 http://siawase1.at.webry.info/ このメルマガ購読はこちらから⇒ http://melma.com/backnumber_153517/ ご意見・ご感想などはこちら 姫野メルアド ANA38655@nifty.com 生涯かかっても実現できないような 大きな夢を持ちなさい 案ずるな、必ず救うてやる! いつも響く仏の声です。
2018.06.22
☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ありがとうございます。今日もすべてに感謝します。 世界中のすべての方が幸せにありますように!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆2018年 平成30年 6・16(土) あなたが住んでいる世界 近代合理主義思想の限界を考える 姫野です。 今日京都はさわやかな風が流れる 気持ちのよい晴れの一日でした。 ど~も、いかがお過ごしでしょうか。 今日僕は醍醐のスポーツクラブで軽く 汗を流して、帰りにスーパーの平和堂で買った 稲荷寿司と海苔巻き、だし巻き卵のお弁当と 「鱧入りちくわ」を山科川の土手で景色を 眺めながらいただきました。 いやもうその、おいしいの美味しくないの (どっちだ!)。とてもおいしくいただいて 「あ~、しあわせだな~」と感じました。 (安上がりの幸せです) しかし、 誰であれ、人生では悩みはつきものです。 叶ふなら みだる思ひは 山科の 水にながさん 夏草の土手 修一郎 さて 人はつい「自分のこと、この世界や人生」を知っている と思って生きています。 それが幸せにとっては大きな障害です。 法華経に「衣裏宝珠の譬え」(えりほうじゅのたとえ) という有名な話があります。 ごく簡単にアレンジして話しますと ある男が、人生を切り開きたいと理想の地を求め旅に 出ることを決意して、友人の家に挨拶に行きました。 友人と酒を酌み交わして、その男は寝込んでしまいました。 友人はその男に餞別として正面から言うと断られると思い 寝ているすきに、男の着物の裏にひと財産の価値の ある宝石を縫い込んであげました。 男は旅に出ますが、思うような理想的な土地はありません。 やがて生活にも困窮、さらに病気や老いも加わり ボロボロになって、すっかり人生が嫌になって 生まれた土地に戻ってきます。 再会した友人が、男のありさまを観て 「君の衣装の裏に宝石があるじゃないか。どうして 使わなかったんだ」 そう言われて男は、はじめて宝石に気づいたのです。 そう私たちは 自分が知っているだけの世界に生きています。 他の人が知っていることも、自分が知らなければ それはその人の人生に意味を持ちません。 あってもないのと同じなのです。 そうでありながら 「他人から、あなたは知らない」 などと偉そうに言われると、すぐむっとして腹を立てます。 それで私たちは 「近代合理主義思想」と「知」によって、 知識によって幸せになろうとします。 でもこれには大きな欠点と限界があります。 まずどんなに天才でも、この世界のすべてを知ることは 生涯かけて学んでも不可能なことです。 また、人は「知」だけでなく、「感情」もあります。 そして、知によっては知りえない人の広い「無意識領域」 というのも存在しているのです。 次に、合理的理性人と考える私たちの陥りがちな 欠点は、「論理は暴走する」という論理の恐ろしさ をわきまえないことです。 論理をたてそれが正しいと信じると すべてにそれを強制します。 特に宗教などはこの危険性が大きく存在します。 たとえば「偶像崇拝はよくない」 という教えがあると、他の宗教の方が大切にしている 仏像なども、タリバンのように平気で善意で破壊します。 「自分たちは正しいのだから 従わない人間が愚かな奴らなのだ」 などとすぐ暴走するのです。 知っていると言っても 他人の内面の感情や深く広い無意識領域など 何も知らずに ごく浅い知識しかないのに、 得意になって自分は真実を知っていると すぐに思い上がるのです。 仏の眼から見れば 知に片寄った近代的合理的理性人も 救済の必要のある充分に愚かな存在なのです。 ですから 知と近代的合理的思想だけでは 人間と人生のしあわせの解決はできないのです。 ではどうすれば? 何が必要なのだろう 仏教では、それを「仏の智慧の目」が必要だ そう説くわけです。 仏の智慧の光に照らされて 私たちははじめて自分の本当の愚かさ、見苦しさ に気付くのです。 あなたはいかがでしょうか。 ではでは 愛を込めて! 姫野 修一郎(Himeno Shuichiro) ana38655@nifty.com 今日も笑顔でニコッとね。 何であれ、そこに愛が流れてこそ はじめてこころから楽しくなります。 幸せはごく自然な あなたの命の本来の属性です。 よろしければ、お参りして一息入れてみて下さい。 (聖心寺・聖心神社) http://seisinji.net/index.html 僕の自費で印刷した本「なぜ生きる」を お読みいただけると嬉しい。 本の少し詳しい内容とお求めは http://himeno3.blog89.fc2.com/ 姫野修一郎のブログ「ただあるがままに」 http://siawase1.at.webry.info/ このメルマガ購読はこちらから⇒ http://melma.com/backnumber_153517/ ご意見・ご感想などはこちら 姫野メルアド ANA38655@nifty.com 生涯かかっても実現できないような 大きな夢を持ちなさい 案ずるな、必ず救うてやる! いつも響く仏の声です。
2018.06.17
☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ありがとうございます。今日もすべてに感謝します。 世界中のすべての方が幸せにありますように!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆2018年 平成30年 6・10(日) 宗教は必要か? 近代合理主義思想の限界を考える 姫野です。 今日京都はくもりで小雨ぱらつく一日でした。 ど~も、いかがお過ごしでしょうか。 あなたの村の田植えは終わりましたか。 世を旅に しろかく小田の 行き戻り 芭蕉 本当に行きつ戻りつする人生と感じます。 さて 幸せのために、近代合理主義の限界 をどう乗り越えればよいのか。という お話をしています。 中世の宗教のくびきを逃れ、新しい考えとして 啓蒙思想が現れました。 啓蒙思想というのは一言で言えば「人間の理性 を思考の基準として採用するぞ!」という考えです。 真理は教会・神が決めるのではなく (もっとも神に名をかりた、既成カソリック教会の 恣意的な権力行使への反発と言えます。) 人間の理性を基礎に客観的・合理的に判断していこう という新しい流れです。 それは確かに万人に納得がいく道を開きました。 そして現代までつづく財産となりました。 目に見えず、確かめようもないことを 信じ込ませて、妄信して、教会や教祖に 絶対服従させるというような宗教は現代の 合理的な理性人にはなじみません。 これによれば、もう宗教は不要になる。 そう感じさせてくれます。 しかし 本当に私たちに宗教は不要でしょうか。 確かに既成の宗教教団の教えは全面的に納得できない ことが多いとしても、スピリチュアルなことは すべて不要としてよいのだろうかという疑問が 1960年代からアメリカで起こり始めました。 物質的に豊かになり、すべての人は自由で平等だ と言われても、何か物足りないのです。 心から幸せだと感じられないという人々が あらわれました。 成功し社会的な地位も収入もあり、家庭も持ち 余暇・旅行・愛人との関係も楽しんで、貧乏人から見れば 理想的なうらやましい人生に見える生活に、 「幸せが感じられない」 と叫ぶ人々が夢のように豊かになったアメリカで 出始めたのです。 何か欠けているのでしょう。 僕は思うのです。 近代合理主義思想だけでは 「愛や慈悲が出てこない」 そこが欠けているのです。 自分の日々の暮らしに 深い愛や慈悲の感じられない人生 それは生きていても物足りません。 個人の合理主義的考えからすると 愛も慈悲も計算になります。 私を愛してくれたら、その分愛し返してあげる。 ここで愛や慈悲を示すと 自分の得になるから愛を示そう 単なる計算による自分中心のものになります。 そうすると、愛も金や社会的地位・性的魅力な ど総合的判断による計算・取引になります。 それがなくなると、愛も冷めるのです。 人は確かにそんな自己中心の計算から 生離れられない心理の動きを持っています。 でも、そんな愛や慈悲ではしあわせは 長続きしないのです。 深い愛や慈悲を感じられない人生は むなしさが常に残るのです。 なぜ、愛がない人生は どこかむなしいのでしょう。 どこかもの足りないのでしょう。 僕は思うのです 人は本質的・根源的には 誰もが、深い愛、慈悲のこころが奥に流れて います。 そこにふれることがないと、物足りないように 本来的にできているのです。 ですから 私たちは単なる客観的な計算では理解できない 人の愛や慈悲を目にするのです。 人に不滅の愛や慈悲を教えてくれるもの それが真の宗教である。と僕は思います。 合理主義思想だけでは これが伝えられないのです。 宗教。スピリチュアルな教えの 必要性を理解しないと、 老い死んでゆく人の定めの中で 深く幸せな人生を送ることは 難しいと僕は感じます。 あなたはいかがでしょうか。 ではでは 愛を込めて! 姫野 修一郎(Himeno Shuichiro) ana38655@nifty.com 今日も笑顔でニコッとね。 何であれ、そこに愛が流れてこそ はじめてこころから楽しくなります。 幸せはごく自然な あなたの命の本来の属性です。 よろしければ、お参りして一息入れてみて下さい。 (聖心寺・聖心神社) http://seisinji.net/index.html 僕の自費で印刷した本「なぜ生きる」を お読みいただけると嬉しい。 本の少し詳しい内容とお求めは http://himeno3.blog89.fc2.com/ 姫野修一郎のブログ「ただあるがままに」 http://siawase1.at.webry.info/ このメルマガ購読はこちらから⇒ http://melma.com/backnumber_153517/ ご意見・ご感想などはこちら 姫野メルアド ANA38655@nifty.com 生涯かかっても実現できないような 大きな夢を持ちなさい 案ずるな、必ず救うてやる! いつも響く仏の声です。
2018.06.11
☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ありがとうございます。今日もすべてに感謝します。 世界中のすべての方が幸せにありますように!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆2018年 平成30年 6・6(水) 近代合理主義思想の限界 浄土というのはあるのか 姫野です。 今日京都は雨の1日でした。 ど~も、いかがお過ごしでしょうか。 雨はどうしても少しうっとおしいです。 まあしかし つれなさも 愛するゆえの 心にて うらみのこさぬ 雨のささやき 修一郎 (意) まあ何があっても、それは深い仏の愛の はからいなのだ。 そう受けとめて、流して過ごしましょう。 いや~、今僕はいろんなことを同時並行で少し 学んでいて、なかなか頭の整理が難しい けふこの頃、ゴロゴロ(ころがるな!)です。 前回、幸せを考えるうえで 今私たちには 近代合理主義思想の限界の問題がある。 ということを指摘しました。 今の日本のとても多くの方は 近代合理主義を知らず知らずに 思考の軸にしています。 客観的に確認でき、合理的・論理的に処理 し考えていくという態度です。 それはそれでとてもよいのですが それでは処理しきれない問題がでてきます。 特に私たちは、 快適なプラスの価値を自分の周りに集め 不快なマイナスの価値は排除する。 そして、人生の勝ち組になる。 そんな想いを なんとなく身につけて育っています。 しかし、例えば老いや死などは避けられません。 あなたも必ず老いて体力も容色も衰えます。 そして死んでゆきます。 社会の変化も激しく、ビジネスをしていても 一時は羽振りがよくても、いつの間にかもう 儲からなくなってしまって資金繰りにも困るなど はしょっちゅうです。 それは不快なマイナス価値です。 頭ではそれは人の常だと思っていても 自分がそうなると 感情的な不快感は処理できないのです。 内心人生が面白く楽しい場所ではなくなって 来るのです。 単なる近代合理主義思想だけでは 「人生は誰もが敗北で終わる」 という側面があるのです。 さて それで突然ですが、ひとつの例として 「浄土」というものを考えてみましょう。 ブッダは直接に浄土などは説かれませんでした。 しかし、大乗仏教は「浄土」という考えを 創り出しました。 多分、近代合理主義思想を持つあなたは 「浄土などあるわけがない」そう考えられる と思います。 それは、それとして僕はよいと思います。 ただそれで済ませて「あなたは幸せか」 「気持ちよく人生を過ごせるか」というと 別問題です。 例えばですが 愛する親だけでなく 嫌いな親がなくなった。いやな親戚兄弟が亡くなった。 嫌いな人がなくなった。というケースを持つ方も意外に いらっしゃると思うのです。 そんなとき、頭で 「あ~、よかった。邪魔ものがいなくなって スッキリした」というだけでは、 実は多くの人は無意識のうちに それでもどこか心がスッキリしないのです。 こんなときに 「善人だけではなく、たとえどんな悪人でも、 死後は仏さまになり、こころ安らかに暮らせる 世界がある。浄土がある。天国がある。 亡くなるとそんな世界に行くのだ」 「どうか安らかにお休みください」 そう思って、お参り、お祈りするというのは 理性的・合理的ではないかもしれませんが 心の整理・感情の整理にはとても役に立ちます。 頭での論理的な整理だけでなく 心や感情の整理を上手にするというのは 僕は幸せのためには不可欠だと感じます。 ですから ある意味不合理な世界も頭から否定せず よいものは人間の智慧のひとつとして 大切にしていく。それで自分の心や感情を 上手にコントロールしていく ということは、とても大切だと思うのです。 あなたはいかがでしょうか。 ではでは 愛を込めて! 姫野 修一郎(Himeno Shuichiro) ana38655@nifty.com 今日も笑顔でニコッとね。 何であれ、そこに愛が流れてこそ はじめてこころから楽しくなります。 幸せはごく自然な あなたの命の本来の属性です。 よろしければ、お参りして一息入れてみて下さい。 (聖心寺・聖心神社) http://seisinji.net/index.html 僕の自費で印刷した本「なぜ生きる」を お読みいただけると嬉しい。 本の少し詳しい内容とお求めは http://himeno3.blog89.fc2.com/ 姫野修一郎のブログ「ただあるがままに」 http://siawase1.at.webry.info/ このメルマガ購読はこちらから⇒ http://melma.com/backnumber_153517/ ご意見・ご感想などはこちら 姫野メルアド ANA38655@nifty.com 生涯かかっても実現できないような 大きな夢を持ちなさい 案ずるな、必ず救うてやる! いつも響く仏の声です。
2018.06.07
全5件 (5件中 1-5件目)
1

![]()
![]()