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2代目タイガース非公式サイトです
オールスター休みに入って公式戦がないので 「背番号史」や「猛虎異人伝」を少し進めるね 箸休めって感じで読んでね
背番号42(その7)
みなさんこんにちは 背番号42の第7回目です
前回の最期のコンラッド選手は練習熱心で炎天下の鳴尾浜で8月まで頑張ってたけど結果が出なかったね
今回は3名とも日本人選手の紹介になるよ でも多分みなさんの記憶に残るほどの活躍はしてないとおもう 2人目に出てくるのは藤原正典投手ですが じつは2代目の地元に近い出身なのね 高校は県立岐阜商業 2代目の知り合いには少年野球時代に教えたという指導者もいるけど プロでは故障が多くて大成できなかった
ちょっと前置きの段階でネタばらししちゃったのであとは本文を読み進めてね では第7回目を始めます
吉見 祐治 投手
この投手がタイガースにいたことを記憶している人が果たして何人いるのか?他球団である程度の実績を残し終着がタイガースという、いままでにもよくあるパターンの選手である。
吉見は高知県生まれだが和歌山県和歌山市で育った。和歌山県立星林高校では甲子園出場はなく、卒業後は東北福祉大学へ進んでいる。
左本格派で三振が取れる投手として頭角を現し、4年時の春のリーグ戦では先発した5試合すべてで完封、1試合17奪三振を記録するなど無敵状態で、最優秀選手となりベストナインにも選ばれている。
さらに全日本大学選手権に優勝、日米大学野球や、シドニーオリンピックの代表入りも経験した。
2000(平成12)年のドラフト会議では希望球団枠(いわゆる逆指名)で横浜ベイスターズへ入団。ちょうど佐々木主浩のマリナーズ移籍で空いた背番号「22」が与えられるほど期待されての入団だった。

1年目の2001(平成13)年は7試合しか一軍登板がなく0勝1敗で防御率も9 . 58の数字しか残せなかった。
しかし、2年目の2002(平成14)年から2006平成18)年までは先発ローテーションの一角で活躍し、この5年で計27勝をマークしている。確かに三振を取る力はかなりあるが、その一方で34敗を喫しているのは一発を浴びる率も高いという性質があったからだ。使う側からしたら厄介なタイプだ。
2007(平成19)年からはおもに中継ぎに転じているが、防御率が4点を切ったことがなく、2010(平成22)年の5月9日に、ロッテ・オリオンズへ金銭トレードにより放出されてしまった。

ロッテ移籍後は先発に戻り2010年には6勝を挙げて貢献したが、翌年以降は先発もやり中継ぎもやるという不規則な使われ方となり信頼を失っていく。2013(平成25)年には登板がわずか5試合、オフに戦力外通告を受けてしまう。
自由契約となって2013年11月14日に阪神タイガースが手を差し伸べて契約したが、移籍1年目の2014(平成26)年は結局一軍で投げる機会もないまま、10月1日に戦力外となった。


2015(平成17)年はベイスターズに打撃投手として戻り、現在はフロントに入ってスカウトとなっている。
プロでの通算成績は267試合(先発152)、44勝62敗12ホールドで、1007回を投げて342四球717奪三振、自責点542防御率4 .
84である。
藤原 (
ふじはら )
正典 投手(再掲)
藤原投手については2023年11月23日に背番号15-6で紹介済みなのよ 覚えてました? 2年半以上経ってるから微修正して再掲しますね
岐阜県揖斐郡揖斐川町の出身。ボーイズ時代は同年代で一番速い球を投げる投手として注目され県立岐阜商業高校へ進む。2年時の夏にチームは甲子園に出場したが、まだ控え投手だった藤原の登板機会はなかった。3年時はエースとなって予選上位までは進むが全国大会への出場までには至っていない。
卒業後は立命館大学へ進学し、3年になって急激に実力が開花して春のリーグ戦では3試合連続完封勝利、防御率トップ。秋には6勝を挙げてMVPと防御率1位と素晴らしい成績を挙げている。大学時代の通算では、32試合16勝4敗、198奪三振、防御率1.48で、かなり三振が取れるタイプだったが、肩を壊したりもあってドラフト時には評価が分かれていたようだ。もとはオーバーハンドだったフォームが腕が「横振り」になってスリークォーター気味になってしまっていた。

2009(平成21)年のドラフト会議ではタイガースが2位で指名しており、入団時の背番号は藤田太陽~水田圭介が着けていた「15」に決まる。
1年目の2010(平成22)年から一軍に抜擢され24試合すべてリリーフで登板して1勝0敗1ホールド、防御率3 . 60の数字を残しており、次シーズンへの期待が持てる内容ではあった。
しかし2010(平成22)年のキャンプでは「左足内転筋挫傷」で離脱するなど故障の多い選手。投球フォームも本格派のような始動から腕はやや横から出てくるような変則的なものだったが、これも大学時代に肩を壊したことに遠因があるのではないかと想像できる。
2年目の2011(平成23)年にも19試合投げているが、2012(平成14)年になると5試合に減っている。
筆者(
先代
)は入団以来ずっと見てきたが、肘の位置が年々下がってきていることに気が付いていた。おそらく肩に何らかの違和感がありながら投げていたのだろう。高校時代と比較すると全然フォームが悪くなったと感じる。
少年時代の指導関係者に聞いても、「ボーイズのころはもっと好い投手になると思っていたので残念」と言っており、大学時代に肩を壊したことを引退まで引きずっていたのかもしれない。
4年目の2014(平成26)年には一軍登録してもらえず、翌2015(平成27)年には背番号を「42」に変えたが、一軍登板が無いまま、契約更改時に育成選手枠での契約を打診されてしまう。

これを拒否した藤原はタイガースを退団して12球団合同トライアウトに挑む。しかし獲得に手を挙げる球団はなく現役を退くことになった。
プロ通算では58試合にすべてリリーフで登板、1勝0敗4ホールド、60回2 / 3を投げて40奪三振、26四球、自責点21、防御率3 . 12という寂しい成績に終わっている。背番号「42」を着けたのは現役最終の1年間だけだった。
竹安 大知(だいち) 投手
静岡県伊東市の出身だが、東京の二松學舍大学附属高等学校に進んでいる。ところが同期に鈴木誠也(広島~カブス)が当時投手として入学してきた。
当時から鈴木は投打にずば抜けており、竹安は「ここに3年いても自分の出番はない」と考えたのか1年の1学期が終わると中退し、地元静岡に帰って県立伊東商業高校へ転入している。
しかし同校は強豪校というわけではなくチームとしての力は弱かったため甲子園大会などとは縁がなく、卒業後は社会人野球の熊本ゴールデンラークス(九州で食品スーパーを展開する会社)へ入部している。
2014年(平成26)にはHONDA熊本の補強選手として都市対抗本戦に出場して活躍。2015(平成27)年のドラフト会議で阪神タイガースから3位指名を受けるまでになった。入団時にもらった背番号が「42」である。
1年目の2016(平成28)年は二軍で過ごし、2017(平成29)年に初めて一軍で投げるがわずか1試合だが1イニングを無失点に抑えて勝利投手になっている。
しかし続く2018(平成30)年は2試合に終わり、シーズン終了後にFAでタイガース入りした西勇輝投手の人的補償としてオリックス・バファローズへ移籍することになった。

オリックスでは主に先発として起用され、移籍1年目の2019(令和元)年には10試合3勝2敗の成績を残す。しかし翌年から1勝0敗、3勝2敗、2勝0敗と勝ち星は伸びず、2023(令和5)年には2試合で0勝2敗に終わって戦力外となった。
プロ通算記録は40試合(先発19)で10勝6敗、151回を投げ90奪三振、55四球、自責点72で防御率は4 .
29に終わっている。
まとめ
今回は3人とも大きく伸びることができなかった選手たちだったね
吉見さんはアマチュア時代は好成績だしベイスターズでは大魔神の背番号を引き継いで10年いたんだよ でも最後タイガースに来て一軍に上がることなく1年で辞めちゃったから タイガースファンには「誰だ?」という感じかもしれない
藤原投手は2代目の地元に近いから名前は知ってるよ 子供のころを知る人には「惜しい」とか「この程度で終わる子じゃなかった」とか言う人が多いから 好い素質はあったんだろうね
竹安さんは鈴木誠也さんと同時に二松学舎へ入学したのね 当時の鈴木さんは投手でなおかつ強打者 レベルが違うって誰の眼にもわかるほどの選手だったんだろうね 竹安さんはそれを見てしまって早めに転校して地元に帰り プロへの道を拓いたけど 結局大成するには至らなかったんだよなあ・・・
背番号42-7へつづく
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