シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年01月13日
XML
カテゴリ: 夢日記
 今日の夢は、昨日ほど、はっきりとしていない。ぼんやり、薄ら薄ら覚えているにすぎない。職場の夢だったようで、職場の夢は、なんだかいつも、忘れてしまう(暗黙糧に、結構、ブログに書くと差し障りがあるのではないか?という認識があるのかも…)。だから、今日の夢は忘れてしまった。

 というわけで、例の如く、昨日の寝る前の話を書くことにする。というわけで、やっぱり、三谷幸喜の「総理と呼ばないで」というドラマの感想を、書いてしまうのであった。

 この「総理と呼ばないで」をみると、恐ろしくなるほどにまで、某現総理を表現している。まるで、亡国総理のシュミレーションをみるがごとくの予言ドラマさながらなのである。

 田村正和演じる総理は、ルックスばかりで、中身空っぽで、全く無能で、至上最悪の人物なのであるが、素人起用の官房長官に、少し救われているところが、このドラマ全体の、あまりの下らなさ加減のなかの、唯一の救いである。

 あまりの下らなさに、とことん付き合ってみる自分もアホだが、言い訳をいわせてもらえば、そのあまりの下らなさのなかに、少しでも希望を見い出したいという期待感を生じ、だらだらと、見てしまう寝る前のひとときなのでもある。

 これはやはり三谷幸喜の名声からくるものだろうと思う。この下らなさ、このやりきれなさ、最後になんかどんでん返しがあるのではないか?と、勝手に解釈してしまうのである。ここは最後まで我慢してみようと…。

 それにしても、この下らなさが、あまりに現実と一致しているのには、正直、あきれてしまう。某現総理と違う大きな点は、このドラマの総理が、自分を三流の政治家で、総理に相応しくない人物だと自覚しているところである。

 総理になる有力政治家は、皆汚職で失脚し、まるで、日の目のないだけ、いわば無能政治家のレッテルが貼られた日陰の人物が、クリーンさを求める国民の勢いに乗って、総理になってしまうという皮肉さ。そういう、皮肉さというか、無神経さ、優柔不断さが、反面教師として、このドラマの下らなさから、警告を発している。

 やっぱり、総理大臣は、しっかりした人を選ぼうよ!


 指導者が喜劇の対象となり、馬鹿にされたとき、国の権威は失墜し、他国の信用を失い。亡国の道へと堕落していく。

 日本は明治維新までよかったが、その後は、もはや国家という呈をなしていなかったといえるだろう。だからこそ、幕末の志士たちは、いまでは、考えられないほどの、精神的な危機感、喪失感におそわれたのであろう。

 西郷は晩年、明治政府なんかつくるべきでなかったと愚痴り、勝海舟は、江戸幕府の方が、まだマシだったとボヤいた。大久保は、自ら蒔いた種を一身に背負い、殺された。

 江戸期と現代とは比較はできないが、いまでも、日本人というと、侍は尊敬される対象にもなるが、現代人はエコノミックアニマルという蔑称をも受け、外国の好きなように、外交で、愚弄されるのは、どういうことなのであろうか? 

 人間は、精神性において、一致をみる生命体なのであって、物質的利害では、対立、相対するものなのである。精神性がなければ、もはや人間とはいえない。まして、国の代表者において、その精神性が低俗であれば、モノを扱うように、愚弄されて当然なのである。

 せめて、サラリーマンの精神でも後世に語り継ぐしかないのだろうか? あまりに低俗でもあるが? 

 はっきりいって、国民に選ばせるから低俗な指導者を生んでいるように思えてならない。国より自分たちの利益が大切な、大半の国民に、真剣に考え、立派な人物を選べるのだろうか? 政治がどんどん悪くなるにつれ、まだ、官僚に選ばせる方がマシだったような気がする。そんな考えさせるドラマだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006年01月13日 11時42分34秒
コメント(0) | コメントを書く
[夢日記] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: