シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年03月07日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 神秘学によると、秘儀参入において、人間が到達するものは、霊眼によってのみ見ることができるものであり、キリスト教的な秘儀参入であるなら、キリスト=イエスのしるしであり、それは、右手に7つの星を持ち、鋭い両刃の剣を口から出す、人の子のしるしだということを、前回までに書き述べた。

 ちなみに両刃の剣とは、自我のことである。古代人は、いまのような個人意識がなかったので、両刃の剣のような自我ではなく、集合自我であったことは、何度となく書いた。なぜに両刃と呼ばれるかというと、エゴが深まると闘争の道具にもなるし、友愛に貫かれれば、他への慈しみ、自己犠牲の愛情表現にもなるからである。

 とくに古代アトランティス期では、このような個人的自我をもつものは皆無で、大半が皆、集合自我だったという。いまでも東洋民族のなかで、このような集合意識があるのは、個人のなかに、悟性が発展していない証拠でもあり、いわば古代アトランティス期への時代回顧主義であるとも、その名残りであるともいえる。

 古代人は、集合自我のなかに、自らがその手足としての存在として、いわば個人を感じていたので、勿論、誕生したときの、その個人の名前などなかったという。個人は、曽祖父時代からの、いわゆる集合自我の記憶を受け継いで生まれてきたので、いわば、その集合自我の名前がつけられているのである。例えば、日本人ならば、いまでいう、姓がその名前の名残りといえるだろう。

 例えば、日本人ならば、家系図の源平藤橘の名前しか存在しないといえるわけである。もっと極端にいえば、源平藤橘自体が、天皇家の何代から出ているという意味だから、天皇家しかないといえるわけなのだ。

 日本人の場合、いわばこの源平藤橘が、4つの集合自我といえるだろう。

 だから、古代人は、皆、長生きだったというわけなのだ!

 姓が存在している間はその個人は、その姓由来の祖父の記憶の手足であるというわけなのであるから。だから、家の存立が、その人間の生死であったわけである。これは西洋では、何々二世、三世という呼び名と同様である。

 だから、聖書に書かれた、アダムやノアは、現代人でいう個人名ではない。個人という認識は、ギリシャ時代からようやくはじまる概念であるといえる。



 人間の集合自我は、ルシフェルという悪魔により、集団から個人へと切り離されたという。悪魔は、早熟な知性、悟性を、人間にもたらしたといえる。それ故に、人間の自我のなかには、エゴを生じる欲望の自我が存在するのである。

 悪魔ルシフェルが、人間の自我に欲望、エゴ性を与えたのに、連動し、物質世界の、錯誤の唯物性を与えたのは、アーリマンという悪魔である。ルシフェルが自我のなかの欲望、衝動を煽り、その報酬として、アーリマンが物質性、物質世界依存的な執着心を与えるのである。

 だから、人間は、これらの悪魔のなかに存在しているといわねばならない。なので、無意識でいると、霊的に盲目なのである。

 さて、秘儀参入の段階で、キリスト=イエスをみたものは、上述のこれらの悪魔の均衡の上にある、高い次元、高い認識を、人類の進化の上に見い出すことができるようだ。そして、現代における人類の進化を洞察するようになるという。 

 「私は何であり、現在、私はどこに向かっていくように定められているのか」という問いが浮かび上がるという。

 すると、神秘学でいう、我々の時代であるポストアトランティス時代の認識が現れてくるという。

 神秘学でいう、我々のポストアトランティス時代は、現在より約1万年前のアトランティスの大洪水(大破局)の後より、はじまり、最後は、人々が利己主義に陥る万人の万人による戦いで終わるとされている。

 それまで善人も悪人も、その万人の万人による戦いを生き残れるが、しかし、悪人は、その後、黙示録でいわれる第5の封印を解き、第5時空という、霊的世界が広がると、もはやそこを生きる霊的資格、霊的資質にないので、動物に降下せざるをえないという。

 なぜなら、その第5時空は、アストラル体の世界であり、アストラル体を純化し、浄化していない者は、霊的観照を得ることができずに、人間のような形態を、アストラル体に有することができないからだという。

 霊視力のない我々は、物質界しかみれないので、物質界での人間の形姿が霊性に基づいたものだと普段は知覚できないが、物質界での動物をみれば、それをイメージできるだろう。物質的肉体を失ってはじめて、いわば、自分の霊的姿をみることができるわけだろう。空けてびっくり玉手箱というわけなのである。

 実際、動物という存在は、動物のアストラル体をみれば、人間のアストラル体の一部が、部分的に過度に発達したものであるという。だから、人間は、あらゆる動物のアストラル体が集合して、図形でいえば円に近い形に、いわば平衡状態にあるから、人間の身体を保っているといえるという。だから、人間の肉体的能力は、動物のものよりも部分的に劣っているが、全体的には、何でも平均してこなすようにできているというわけでもある。



 光は上を伝わり上昇させる。重さは下を伝わり下降させる。」

 だから、外見を金銭や物質で飾り拘っている者こそ、中身が空疎であるだろう。そのとき、自分の本来の姿をみるのである。魂がそれを見て、いわば悔いるから、また再び転生し、綺麗で美しい魂を磨こうという気になるのだろう。角がとれて、円のような丸い魂になろうとするのである。

 地獄というのは、是の円とは逆のいわば、角ばった同士が、相手をせめぎあい、また、お互いを相手に依存し合うような魂であって、そのような依存波長のあった魂の連中同士が、お互いをみて、嘲り罵り合っているのだということが、ここから想像できなくもないだろう。自らが不完全であることに気がつかずに、それを棚に上げて、相手を見下しているわけであろう。これはこの世の世界でも、精神的にいえば、同じであろう。

 黙示録では、角というのは獣性を表す言葉で記述されている。動物は角で格闘することでイメージできるだろう。魂も、角で格闘するのかもしれない。 

 後半は大分話が逸れてしまったので、改めて、元に戻して、ポストアトランティス時代の文化を、次回より、黙示録より続けて書いていきたい。





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Last updated  2006年03月08日 20時01分12秒
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