アルケミストという小説がある。その小説の主人公の、夢を旅する少年は、あるとき、錬金術師(アルケミスト)に悩みをうちあける。
「僕の心は、傷つくのを恐れています」。
そのような少年に、錬金術師は以下のような名言を贈っていた。
「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい。夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ」。
このセリフは、錬金術師が、人生の意味を語っているように私には思える。
生きるのが辛いのは、心が傷つくからである。心が傷つかずして、真に生きることはできないだろう。むしろ、傷ついた心を、夢を追い自ら癒しながら人生を克服し進む能力、これこそが真の錬金術といえるだろう。
なぜなら、傷ついた心を癒す能力が、人生のなかの一瞬一瞬の神との出会いであり、自らの癒しを通して、神の存在を認識できる人生の瞬間だからである。
現代人は、あまりに唯物的思考を過信しているので、錬金術を空想化誇大化して、曲解している。確かに、現代科学から、錬金術を説明することもできる。錬金術師は、アルケミストといわれるが、これは、アルケー(根源の意)とマイスター(導師)からできているのではないかと思っている。根源は、唯物論的にいえば、素粒子のことであるから、素粒子から導いて金をつくりあげるという意味で、錬金術師(アルケミスト)という風に、唯物的に解釈もできる。
錬金術には、エリクサーと呼ばれる不老不死の霊薬と賢者の石が必要だという。これは推測だが、賢者の石は、炭素からなるダイヤモンドの構造のことだと思う、なぜなら、ダイヤモンドは非常に安定なので、永遠の構造と思われるからである。また、之はバックミンスターフラーにより解明されたフラーレン構造C60が、人体の抗酸化作用と関連があり、非常に興味深い。ともかくも、賢者の石とは、唯物論的には、非常に安定な構造の配位を表す総称のようなものだろう。
太古では、賢者の石は、植物の光合成の人間版で、クリスタルとも呼ばれたようである。実際、脳からクリスタル様のものが血液中に流れているといわれている。クリスタルの成分、つまり珪素が結晶化する前段階で、人体により液状の段階で食い止められているという。珪素と炭素は、共に4つの手をもち同じ構造をつくりやすい。ともかくも、いわば人間は炭素の固まりであるわけだ。無機化学と有機化学の違いといえば、炭素構造の違いといえるだろう。植物は光合成を行い、(二酸化)炭素から、酸素をつくる。人間は呼吸により、この逆の酸素から、炭素を火でもやして、(二酸化)炭素を合成する。
だから、呼吸とは、この炭素の合成プロセスを、エネルギーで波動化したものだと思われ、言葉とは、それを音声化したものだと考えられる。
物質をつくる素粒子は、波動からなる空間を固定して閉じ込め、エネルギーの固まりにしたものにすぎないと考えるのが、現代の唯物論的科学であり、これを量子化という。
量子論で、金という金属をつくることは理論の上では容易と思われるかもしれないが、実際は、金の原子核をつくるには、原子核の安定の魔法数との兼ね合いもあり相当困難を伴うだろう。神秘学では錬金術で得られる叡智をもってすれば、金の合成など容易いことだといわれてきた。真の錬金術は金合成が目的ではなく、叡智の獲得が主目的で、あくまでその副産物が、金の合成だという。
私の直観として、金の原子核の合成には、魔方陣が関わっているような気がする。
では、エリクサーとは何だろうか?
神秘学では、人間は植物の逆であるといわれている。かって人間と植物が一体だったときは逆の関係だったからだという。人間と植物が人間の呼吸において共生関係にあるのがその証で、人間の腫瘍は、植物の腫瘍である宿り木で治癒できるとするドルイドの神話伝説は、ここからきている。
植物は、鉱物と異なり、生命を宿している。鉱物体と生命体の違いは、いうまでもなく、その構造であるし、生命体は移り変わるが、鉱物体はある一定の形を堅持する傾向にあるだろう。
唯物的科学論では、生命体を理解することはできない。だから、エリクサーを何らかの物質として考えることは無理であろう。
実際、エリクサーは霊薬という、霊が名前についているように、物質ではないと考えるしかないだろう。そこで、アルケー(根源)を唯物論ではなしに、哲学的に考えてみるべきである。
そうすると、万物の根源(アルケー)は水であるといった有名なタレスの言葉が思い出されるだろう。
太古、水とは、液体のことをいった。水銀は水とは関係ないが、日本語では、水(液体)銀と呼んでいることからイメージできるだろう。だから、万物(物質の全て)は固体を意味し、固体は液体からなるという意味になる。唯物論でいえば、固体は、液体が結晶化したものであるという風に解釈できるが、そんな当たり前のことを、わざわざタレスが言ったのでは無いことは明白である。
水(液体)とは何であろう。ちなみに固体を太古では、土と呼んだ。そして、気体を風、または空気、エネルギーを火と呼んだ。
だから、アリストテレスは、これら水、土、風、火を4大元素霊といったのである。
そのなかの水と土の関係を、タレスは、万物は、水からなるといったわけである。
土、つまり固体は、現在の地球になって、地球が宇宙から冷やされてできたという。液体がエネルギーを失い、安定状態になれば、結晶化し固体になることは唯物論で明らかである。
しかし、タレスがいったことはそれだけではない。水は、火を拒んだ風(空気)からなり、だから、火は上昇し、水は下降するのだという。つまり、エネルギーは、不安定になりやすく、液体は、安定になりやすい。エネルギーは無常で、液体は常である。エネルギーは異なった形態をとりやすく、液体は同じ形態をとどめようとする。
つまり、そこに生と死がある。
だから、エリクサーとは、火から水を生むもの。生から死をとるもの。生命を吹き込む呼吸のことであることがわかる。
賢者の石がハードウェアだとすると、エリクサーが、ソフトウェアだといえる。
賢者の石が安定な状態だとすると、エリクサーが不安定な状態を生むもの。
賢者の石が、拡大していくものだとすると、エリクサーは収縮していくもの。
賢者の石が言葉だとすると、エリクサーは言葉を発しようとする意志であり、伝達内容のもの。
賢者の石が遺伝だとすると、エリクサーはカルマだろう。
賢者の石が唯物論だとすると、エリクサーは唯霊論だろう。
ここに矛盾が表出される。生命のなかに生と死の矛盾が宿っている。
生が能動で、死が受動である。死を能動にすれば、それは再生を意味する。
エリクサーが生命の息吹を与えるもので、賢者の石がそれを受けるものであることがわかる。
エリクサーが霊的に能動性を意味し、賢者の石が、霊的に受動性を意味する。
つまり、エリクサーは、女性的な霊体であり、賢者の石が、男性的な霊体である。
女性的な霊体は、聖書をこの世にもたらした。対して男性的な霊体は、ピラミッドや神殿をもたらした。
二つが融合すると聖杯となるという。聖杯は、逆三角形と三角形をあわせた六ぼう星がその象徴である。
錬金術師は、聖杯(堂)騎士団だったのである。
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