お盆(彼岸)とは何だろうかと、あるホームページを探ってみて、以下のようなお彼岸の由来解説に巡りあたった。
http://www.miyagawa.com/syuha/2101-1.html
これら色々と調べると以下のようなことが抜粋できる。
彼岸(ひがん)とは雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のこと。また、この期間に行われる仏事(彼岸会)のこと。彼岸会は『到彼岸』の意味とされる。すなわち現在、我々が住んでいるこの迷妄の世界は此岸(しがん)であり、仏菩薩の悟りの世界である彼岸に渡ることを目的とするのが彼岸会の仏教的な意味です。
●此岸から彼岸へ、すなわち悟りの世界へと入るための六波羅密とは
1.布施 財施(財を施すこと)・法施(真理を教えること)・無畏怖(恐怖を取り除き安心を与えること)の三種
2.持戒 戒律を守ること
3.忍辱 にんにく・苦しさに絶えること
4.精進 常に仏道を修するための努力をすること
5.禅定 心を安定させること
6.智慧 真理を見抜く力を身につけること
以上六つの徳目のことです。
お盆は各地方、宗派によって様々なしきたりや習慣があります。全国的にみれば8月13日から4日間行われるところが多く、陰暦の日取りをそのまま受け継ぐ七日盆の場合は、お盆は七夕の日が盆の始まりであるとされ、7月7日の七夕の日に墓掃除や墓場に行くと道の草を取ったり、仏壇の道具類を磨き清めることも行うようです。
【迎え火】現在では門口の中で苧殻(麻の茎)を焚いて迎え火とするところが多いようです。この場合の火種も寺院や墓場の火であるところが多いようです。
【送り火】16日には送り火で祖霊をあの世に送ります。この時、先祖の霊があの世へ無事に着くようにとの願いをこめて、門前で苧殻を焚きます。京都の夜を美しく彩る大文字焼はこの送り火の名残であるとされます。
【精霊流し】家の中には精霊棚をもうけて祖霊を迎える。精霊棚とは真菰筵(まこもむしろ)の上に先祖の位はいを安置し、水や線香、供物を供えたもので地方によってはナスやキュウリに苧殻(おがら)を突き立てて、牛や馬にみたてたものを供えるところもあり、この牛や馬に乗って先祖の霊が帰ってくるとされます。(精霊棚は仏壇がある場合、特別に設ける必要はありません)
●精霊棚の供物は蓮の葉に包んだり、わらで編んだ入れ物に包んで海や川に流し、このことを精霊流しといいます。打ち上げ花火は元来、精霊送りの行事であったとされています。
以上のように色々と抜粋したのは、これらを神秘学から、考えてみたいからである。
以前に、「キリスト教解釈による地球は生きている」というブログを書いたが、それを再考してみたい(以下にもう一度掲載する。)
地球は生きている-キリスト教解釈による [ 神秘体験空間 ]
地球を水の循環による生命体と捉えると、宇宙との地球の関係が、地球上の生命体に反映していることに気がつかされる。死海にはなぜ生物が棲まないのかも、わかるだろう。塩分により、感覚器官と生殖器官が形成困難となっているからである。
神秘学は、キリスト教の密教からきているので、キリスト教の行事に、宇宙との地球の関係が、表現されている。神秘学では、それを地球の呼吸と表現している。
この地球の呼吸は、植物の繁殖のなかに働く力(易経)に注目すれば、イメージできる。易経は、この生命力を記号に略したものである。春に大地から植物を萌え出させる力、秋に植物をふたたび大地のなかに引き込む力、緑の植物を枯れさせる力の、この植物の生長力のことである。
冬至は、十二月下旬である。この時期の地球は、いわば、人間が空気を吸い込み、空気を自分のなかに摂取するときのような状態にあるという。地球の呼吸は、(地球の)一方の部分が吸っているときは、その反対側は吐いていることをイメージする。
キリスト教では、この地球の呼吸(の基点)を、宇宙の心魂を吸い込む時期とし、クリスマス、つまりキリストの誕生日においている。キリストは、地球が、宇宙から心魂を吸い込んだときに、地球という地において、誕生した救世主だからである。
かって紀元前の古代人は、現代人の昼の活動(覚醒)期がわずかで、ほとんどが、月光による活動(現代人の睡眠)期だったので、日光を、月に反射された月光として、捉え、月光と星々の関係から、宇宙の関係を捉えたという。そして、そのころの秘儀参入者だけが、秘儀参入において、月の開示から、きたるべき太陽の開示に、精神的な人類の活動が移行することを知っていたという。
月から太陽への移行に必要なものが、地球に入り込まなければならない。
これが、いわゆる地球という生命体の、宇宙による受胎であると認識したのだという。そして、それが、ゴルゴダの秘儀の真相だという。太陽からの使者が、地球に誕生する時期、太陽の光を身籠った時期が、クリスマスという冬至なのだという。
春分は、三月末である。このときは、地球は息を吐いている。身籠った太陽の光、宇宙の心魂が、徐々に、地球の外へと表出される。その地球に受胎した太陽の光は地球を照らし、地球から霊的宇宙空間へと浸透すると、宇宙からくる、父なる太陽の光と出合う。地球から発する太陽の光と、宇宙からくる太陽の光が、照応するのが春分であるという。それは、キリストの復活のとき、いわゆる復活祭であるという。
復活祭のこのような理由で、月光ではなく、受胎した太陽の光に関連させる意味で、復活祭は、春分後の満月のあとの日(太陽)曜となっているという。キリストが地に下るまでは、月光を元に、祭を、月光と星々の空間的配位から、定めていたので、復活祭は、春分ののちの満月とされていたという。それが、キリストが下ったことにより、空間から、時間的な、季節の循環における、土、日、月、火、水、木、金の日曜日に移り変わったという(月の暦から日の暦への移動)。ちなみに、この7週の経過は、神秘学でいうエーテル体(いのち)のリズムの(アストラル体への融合作用への)推移を表す。
つまり、祭の期日設定を、月から太陽に移行したことで、行事が、空間的なものから、時間的なものに定められたのである。これは、人間の生活において、いままでの宇宙空間の月光の推移からくる精神的生活から、直接な、太陽光による時間的経過を元にしたものにし、人間の精神性の宇宙空間からの独立を意味したという。
地球の呼吸が更に進み、息を吐き出していくと、6月に、第3の状態となるという。地球は全く心魂を吐き出し、心魂は、太陽の力、星々の力に浸り、結びつく。人間は、宇宙的に生きるために、地球を離れて、この時期に、宇宙のなかにある太陽の力、星々の力と結びつかないといけない。人間は、地球から吐き出される心魂の息に乗り、太陽の力と、星々の力と結びつき、それを、地上の植物、生物のなかに反射させないといけないのだという。それらは、実に多様な色彩で、大地から芽ばえ、生長し、芸術の如く、宇宙に向かって、地から表出される。この期が夏至の祭だとする。ヨハネの祭である。
宇宙の力と地球の力の結合、霊界と物質界の結びつき、ここから、ジューンブライド(6月の結婚)がきたものと思われる。天と地の結婚期なのであろう。
やがて、秋、9月末期には、吐き出した力が、再び戻りはじめる。夏に、地球の呼吸は、宇宙へと心魂を吐き続け、全て吐き出してしまうと、そこに、地に闇が生まれるという。この闇に、アーリマンという唯物的な悪魔が棲息するという。地は、太陽光を吐き出してしまったので、地には、精神的なものがなくなり、物質的な闇だけが跋扈することになる。
人間が、再び、地球に戻るには、アーリマンという悪魔と戦い、勝たないと戻れないという。その不安で恐怖な人間の心魂に、ミカエルという天使が、精神界から助けに現れるという。地球が、再び吐き出した息を吸い、人間が地球に戻るときに、ミカエルが来て、アーリマンという龍の悪魔と戦うという。これが、ミカエルの日であるという。
これらをまとめると以下になる。
12月冬至-クリスマス
3月春分-復活祭
6月夏至-ヨハネ祭
9月秋分-ミカエルの日
これらをみると、人間の生活(生命)は、ほぼ、3ヶ月ごとに、地球の呼吸(生命)に因っているのであり、そこには、エーテル体(生命体:いのち)のリズムが、表現されている。3ヶ月といえば、大体、エーテル体のリズムの3倍である(恐らく、太陽、月、地球の3体の関係からくるのであろう?)。エーテル体は、アストラル体(こころ)に関係している。神秘学では、心魂は、自我が、アストラル体を制御する部分を指すようで、その心魂のなかの悟性魂が、エーテル体制御に関わる部分だとされる。
残念ながら、現代人では、その悟性魂が未発達なので、エーテル体を、心魂が、意識的に、自由に、制御できないようである。将来、人類が発展し、この悟性魂を、ブッテイ(生命霊)に発展させえたならば、制御できるようになるという。その一段階前に、人類は、自我を元に、アストラル内の感受魂を、マナス(霊我)にむかって発展させねばならないという。
感受魂を発展させるには、エーテル体をみる感覚器(蓮華:チャクラ)を、エーテル体内に開発しないといけないという。そのまず、手始めが、人間が、この地球という生命体の呼吸を感じることであるらしい。神秘学による人生の目的や輪廻転生の目的は次回に譲りたい。
以上は、前に述べたものに加筆を加えたものである。
このことから、お盆とは、ヨハネ祭の東洋版のように思える。というか、ヨハネ祭の原型は、太古アトランティス期に、もともと東洋(アジア)にあった風習が、ギリシア経由で、西洋に伝播したと神秘学ではいわれている。
現代では暦が、天体の活動とは独立し、民衆がより自由な生活を志向した結果、行事を実施する月日が、太古とは大分異なるが、本来のヨハネ祭は、春分と秋分の丁度中日であったと考えられる。なにしろ、「日」とは、ギリシア語でデウスの意なので、神秘学では、月日は、神々(天体)から決まるものとされていたというから、真に定義するなら、天体の運行に沿って、昼(日)と夜(月)が同じ長さの日が春分、秋分であり、それは、地球が呼吸していると考えて、丁度、宇宙の空気を吐いた分と吸い込んだ分が同等になる、人間でいういわば肺の状態とでもいえるだろう。
つまり、春分は、吐いた地球の空気が、天である宇宙と出会う平衡状態の境界の意味で、秋分は、吸い込んだ宇宙の空気が、地球に出会った平衡状態の境界の意味と捉えることができる。両方ともに釣合いの静の状態といえる。
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