シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年02月10日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 その活力あるものとして創造的な時代の精神を容易に想像することができるのは、ダンテの「コメディア」における特徴によってで、その素晴らしく絵画的な記述は、カルマ的な出来事のお蔭で秘儀参入していた彼の師、ブルネット・ラティーニによる図式的な記述からインスピレーション(霊感力)を受けたことによるという。そして、シャルトルの学院やその他の学院は、当時授けられていた教育の多くを、フィオーレのヨアキムやその他の秘儀参入者たちに負っていたという。

 「ナチュラ」という言葉は抽象的な意味で使われていたのではないという。それは外的に感覚知覚可能な現象の中において、創造的に働いていたにも関わらず、ヴェールがかけられ、人の目に触れないままに留まっていたものを示していたという。

 つまり、物質的なものの背後にある霊的なもののことであろう。

 或いはまた別の要素も考慮する必要があり、ここでもまた、詩的な想像ではなく、基本的な現実を記述するなら、もし、あなたが古参の学生としてアラヌス・アプ・インスリスの講義に出席し、議論に参加していたと仮定すると、学生たちが去った後、色々な問題について、あなたは議論しながらアラヌス・アプ・インスリスと二人だけで歩いている。

 その会話がある特別な点、つまり、現象世界の中に自らを現すとはいえ、隠されている女神「ナチュラ」に関する話題に及んだとするなら、そのとき、議論に熱中していたアラヌス・アプ・インスリスは次のように語るという。

 「もし、我々が、眠りの生活において、かつて太古人たちが有していた状態に今でも与っていたとすれば、自然の隠された側面と我々との交流は保持されていたであろう。我々の眠りは、忘却へと導くが、古代人たちは正に無意識において、自然の隠された側面と接触していたのだ。もし、我々が、古代人たちの超感覚的な眠りを再び経験することができるならば、我々は女神「ナチュラ」を知ることになるだろう」、と。

 そして、もし、同じような状況下で、フィオーレのヨアキムと親しく話をしていたとすれば、彼は次のように答えたという。「我々の眠りは内容を欠いている。意識が消されているのだ。従って、全ての被造物の中に、織りなし、働く女神「ナチュラ」を知るのは困難である。古代人たちは彼女の隠された側面と、見える側面に気づいていた。彼らは「ナチュラ」という言葉を決して使わなかった。彼らは、我々がボンヤリと感じることができるが、その存在を知ることのない存在が女神「ナチュラ」であるとは主張しなかった。彼らは彼女を別の名前(プロセルピナ、或いはパーセファニー)で呼んだのだ」、と。

 このことは当時よく知られていたことだったという。今書いたことは、現代に至り、抽象的な自然の概念に変化した。ベルナルドゥス・シルベストリやアラヌス・アプ・インスリス、ハンビルのジョン、そして、とりわけ、ブルネット・ラティーニのような人たちの魂の中に生きていたものは、古代人たちがプロセルピナ、すなわちデミーター(全宇宙)の娘として見ていた女神が変化したものだったという。

 プロセルピナ(現代的な用語では在り来りのものに聞こえるが)とは自然であり、その半分の生だけが上方の世界にあって、人間にその物理的、感覚的な面だけを現しながら、その生の別の半分は、人間が眠りの中で滞在するとはいえ、その眠りが真の現実を欠いているために、今日では、もはや活動することのない領域の中で過ごされる自然のことにあたるという。



 悲しみに満ちた表情をした人たちが、このようなことを知っていたという事実、当時はまだそれを知ることができたという事実は、認識の道が時間の経過と共にいかに変化してきたかを示すものだという。以前に書いたが、このような事柄の微妙な違いに対する正しい感情と感覚を発達させることができるのは、かつて存在していた知識の本性を、時代を遡りながら振り返るときだけであるという。これらの例に言及したのは、古代の知の形態を蘇らせるためではなく、かつての時代に卓越的であった、そのような種類の知識に対する注意を喚起するためにある。

 もし、フィオーレのヨアキムやハンビルのジョンらによって語られるような、「我々が今日、自然と考えているもの、或いは、我々が、自然を精神的に理解できないが故に、我々の目から隠されているもの、それはかつてプロセルピナとして知られていた。」という言葉をしっかりと把握するならば、そして、もし、このプロセルピナの神話(何故なら、それは唯一神話として生き残っている)を、新たなものにするならば、この神話によって引き起こされるイメージは更に以前の関係についてのイメージを呼び覚ますことになるという。

 自然の真の本質は、人間が女神「ナチュラ」の抽象的な側面も、悲劇的な側面も知らなかった時代、プロセルピナ-パーセファニー自身を、その輝く美と悲劇的な陰鬱において見ていた時代のイメージにあるという。

 では、彼女は、遥か昔のその最盛期には、どのような側面をもって現れたのだろうか?

 その最盛期とは、プラトン哲学の時代でも、ソクラテスの対話の時代でもなく、もっとずっと昔、知識が、ギリシャ文化の最盛期におけるよりも、遥かに活力的な時代だったという。

 既に現在の立場から議論し、更にこれから詳細に議論する予定の事柄を、正しい観点から眺めることが可能なように、人間進化の過程の中で、知識がまとってきた様々の形態に向き合ってみることにする。

 これらの説明は簡潔で不完全なものにならざるを得ないが、ギリシャの哲学者、ヘラクレイトスが参入した秘儀の本性で、ヘラクレイトスが呼んだ「暗く、陰鬱な」(何故なら、後になって、彼が秘儀参入によって得たもの全ての上に魂的な闇が降りてきたからだという)ものに向き合い、秘儀の発展における当時、ギリシャ人たちがイマジネーション的な視界を獲得し、彼らの神話を創造するために秘儀に頼っていた時代、そして、ヘラクレイトスがそれに参入していたところのエフェソスの秘儀を目の前に思い描いてみる。

 エフェソスには太古の時代からの知識がまだ残存していたが、ホメロスの時代までで、そして、衰弱した形態においては、ヘラクレイトスが秘儀に参入した時代にまで、生き残っていたという。これらの太古の秘儀はまだ活力をもち活動していたという。

 その東側が、至る所で自然豊かな恵みを象徴する女神「ディアナ」すなわち豊穣の女神の彫像によって飾られていた神殿には、窮めて力強い精神的な雰囲気が存在していたという。弟子が秘儀に参入し、エフェソスの神殿における儀式から力強い秘儀の衝動を受け取った直後に会話が持たれるとき、存在の重大な秘密、奥深い精神的な秘密が言葉によって弟子に授けられたという。





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Last updated  2007年02月10日 21時48分36秒
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