シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年02月13日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 そして、これらの深遠な会話は儀式の参加者が神殿を立ち去った後も続き、自然が瞑想へと誘う黄昏時、彼らは、神殿の参道を通り、エフェソスの神殿から扇状に広がる道が、遥か遠方で徐々に暗い緑の木々の中に消えていく森へと歩いていったという。幾らか不十分だが、このときの会話がどのようなものであったかを示してみる。

 当時の秘儀に部分的にでも参入した人にとって、弟子が男女どちらの性であれ、両性が会話を持つことはあり得ることで、その後、直ちに取り上げられることになるとはいえ、当時、両性の間における権利の平等は、今日よりもずっと生きた現実であったことを認める必要があるという。

 なので、エフェソスでは、男性と女性の弟子について語ることができ、そして、これらの会話の中には、パーセファニーの神話における精神的な側面に関して、活き活きとした興味や関心があったという。では、このような会話はどのようにして持たれたのかというと、第一に教師、秘儀参入者である牧師がいたという。彼は形態の世界における偶然性、その世界に存在するものの間の相互作用について語る力を精神的な衝動から受け取っていたという。

 彼が秘儀参入者としてもつ知識から話すときには、大凡、次のようなことを弟子に語ったという。

 「今は黄昏時、精神的な世界を明らかにする眠りが、まもなく我々を捉えるだろう。お前の人間としての形態をその全体性において見なさい。我々の足下には植物が、我々の周りには黄昏時の伸びゆく影が、神殿の森にはボンヤリとした緑の光があり、空には一番星が輝き始めている。上なる天と下なる地にある生命の多様極まりない偉大さと荘厳さを見なさい。次に、お前自身を見て思い出すのだ。お前の中には全宇宙が生き、活動しているということを、全ての有機的な働きや、お前の内的な生命の変化と偶然が、一日のどの瞬間においても、豊富な事実と、お前という存在の無限の変化を目撃しているということを。お前という小宇宙は、お前が眼で見、知性で理解する大宇宙よりも、空間的に限定されているとはいえ、その神秘と不思議さにおいて、より豊かであることを知りなさい。そして、この世界をお前の中に感じ、認識することを学ぶのだ。お前は、地球から星々に続く大きな世界を、お前の小宇宙的な世界から眺めているのだということに気づきなさい。そして、眠りがお前を捉えるとき、お前はもはやお前自身の体、お前自身の世界の囚人ではなく、今お前が目の前にしているあの世界、地球や星々を包み込む世界の住人になるのだ。お前の魂と精神は肉体を去り、お前は星々の輝きと地球の放射に与ることになるだろう。お前は風に乗り、星の輝きとともに思考しているだろう。お前は今や、精神の世界に住み、お前の小宇宙的な自分を振り返っているのだ、」と。

 太古の時代には、教師はその弟子に向かって、このように話すことが可能だったという。何故なら、地上の外界の知覚は今のように鋭く規定されたものでなく、眠りの生活はまだ完全な空虚ではなかったからだという。眠りの状態は、まだ経験に満ちていたという。この眠りの状態に言及して、教師が次のように言うとき、現実を語っていたという。

 「お前は今、プロセルピナ、パーセフォニー、或いはコウラと共にある。コウラは星々の中に、太陽の輝きの中に、月明かりや成長する植物の中に住んでいる。あらゆる場所で、パーセフォニーの活動を見ることができる。何故なら、彼女は宇宙の衣を織った存在だからだ。そして、その全ての背後にはデミーター、彼女の母親がいる。パーセフォニーは彼女のために、お前が外界に見るこの衣を織ったのだ、」と。

 教師は「自然」という言葉を使わず、パーセフォニー、或いはコウラについて好んで語ったという。

 そして、教師と弟子との会話は続き、「もし、お前よりも長く起きている者がいれば、お前が眠っている間、彼は植物、山々、雲や星、つまり、パーセフォニーの外的な顕現を、丁度今のお前と同じように知覚するだろう。幻覚は我々の見方、視点にある。パーセフォニーが幻覚なのではない。山や植物、雲、そして星々における彼女の創造的な活動が幻覚なのではない。お前が、それらを見るやり方が幻覚なのだ。そして今、眠るときが来た。生命の神秘の器官であるお前の眼を通って、コウラ-パーセフォニーがお前の中に入ってくるだろう。」



 人間は起きている間、上方の世界に生き、眠っている間は、下方の世界に生きるという。眠っている人の目を通って、パーセフォニーが、肉体とエーテル体の中に入ってきたという。彼女は、プルート、眠りの支配者と共に肉体とエーテル体の中に滞在したという。弟子は眠っている間に、パーセフォニーとプルートの活動を経験し、彼は、師より受け取っていた教えによって、コウラが目という通路を通って入ってくるのを知覚するようになったという。このことは弟子にとって生きた現実になったという。そして、弟子は眠っている間のプルートとパーセフォニーの行いを経験し、弟子が経験している間、教師は形態の世界に関係する相応の経験を持ったという。

 そして、教師と弟子が再び出会うとき、各々が自分自身の特別な洞察をもっていたという。そして、彼らが植物や木々について議論するとき、教師は、いかにして、それらの形態が生じるかを記述したという。何故なら、それらは眠りの中で教師に明らかにされていたからで、教師は葉や茎の配置について、自然界の全てに関して、上方から地上に下って働く形成力について詳細に議論したという。

 そして、弟子は、恐らく異なる洞察を経験していたが、教師がクロロフィルや浸透圧の神秘について語ることを追っていくことが可能だったという。このようにして、会話はお互いを補強し合い、つまり、これらの秘密は、女神パーセフォニーの活き活きとした描写の中のものと、下方世界において、眠っている間に明かされる彼女の別の側面において、人間の魂に明らかにされたものと共に、秘教の中に入っていったという。

 このようにして、遥かな太古の時代には、弟子は教師から、教師は弟子から学んだという。その教えは、一方では、精神から魂に関して、他方では、魂から精神に関してのものだったという。この共通のものとなった経験を相互に交換することにより、彼らは知識の最も高度な飛躍に触れたという。彼らがこの最も深い洞察を分かち合い、そして、その荘厳な並木道が遠方で徐々に視界から消え去る暗い緑の森の上に、東の空に輝く夜明けの星が光の矢を投げかけるとき、彼らの心は喜びに満たされたという。

 彼らは、現代人が自然の領域と呼ぶ領域に、短い時間とはいえ、滞在していたという。そして、彼らは、これらの自然の事柄に関して話し合ったときには、確かに、パーセフォニーと会話していたということを知っていたという。そして、彼らはまた、後にパーセフォニーの神話に組み入れられた全てのものが、実際に、人間の自然に関する知識のなかの隠された源泉であることを知っていたという。

 これらパーセフォニーに関する活き活きとした実在の知識に染まっていた、エフェソスの秘儀に関連した会話が、いかに当時の人間の心を強く捕らえるものであったかは、不完全にしか示すことができないという。けれども、時が経つに従い、この知識は今日、我々が、自然として知っているような抽象物へとトーンダウンしていき、フィオーレのヨアキムのような人物は、このような悲劇的な喪失を嘆いたという。

 人間や宇宙の精神的(秘教的)な本性に関する理解を導くには、人間の手が届く範囲にある、別々の意識状態に注意を払い、それを特徴づけるだけでなく、これらの意識状態が人間進化の過程でいかに変化してきたかを示し、エフェソスの神殿における秘儀参入者たちの会話に情報を与えていた知識が、いかに我々現代人の知識とは異なったものであったか、そして、フィオーレのヨアキムやアラヌス・アプ・インスリスのような聖人たちと交わされた会話が、いかに異なった性質のものであったか、また、我々が精神的な訓練を通して、今日再び達成しようと、苦闘する太古の知識、それは外的なものから内的なものへと、上方から下方へと、そしてまた、内的なものから外的なものへと、下方から上方へと導く知識の形態が、いかに異なったものであったかを知るときのみ可能であるという。





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Last updated  2007年02月13日 20時36分48秒
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