シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年03月05日
XML
カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 武侯仁従さまのブログで、名前は聞いたことがあるが、その実情は知らない「辻政信」という人物を、ネットで改めて検索して、調べてみると、太平洋戦争の敗因の元凶とでもいえる人物ということがわかった。
 このような人物が、独断で専横可能な組織というのは、まるでシロアリに食われた大木のような、いかに内面が脆弱化していたかを物語っているといえる。

 以下を参照のこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%94%BF%E4%BF%A1

 太平洋戦争のような同じ過ちを二度と繰り返さないためにも、或いはまた、とりあえずは、日本の文化の象徴である天皇制を存続させていくためにも、しっかりとした組織づくり、いわゆる自浄作用が行える組織が、いま問われるところで、改めて、太平洋戦争の悪しき点を挙げて、改善すべきときにきているように思われる。

 これは私の日頃の日本的風土の個人的実感なのだが、決めた本人が規則を厳守しない場合が多々みられる。その多くが、自分の地位が上位なので、許されるといった感覚があるらしい。この背景に、規則は庶民が守るもので、自分は庶民ではないというような、どこか不平等な感覚をもっている、お上根性というべき体質があり、いまだに、どこか士農工商のような身分制度を引きづった感覚をもっているのである。

 その延長上にいまの議員があるようにしか思えない節がある。だから特権階級といわれても、その上に胡坐をかいているのだろう。

 その元凶が、他人がやっているから許されるという感覚である。どうやら、この感覚の精神性は、日本人の没個人主義、転じて組織主義にあるような気がしてならない。このような価値観をムラ意識と呼んで久しい。いまでは、セレブと名を変えているが、セレブ村と同じである。

 さて、以下のことは、あらゆるところでいわれている日本軍の特徴である。あるHPから抜粋。


 このようなかつての超大国の米ソの類似した意見から、単純に考えると、日本軍の組織の昇進制度が、かなり異常だということがわかる。これは現代社会にもよくみられるが、位が上に行くに従い、現場から離れ、その実感がなくなり、ある意味怠惰になり、命じるだけで、命令の意味をよくよく吟味して、その真意やその実際を考えようともしない態度になるのだろう。

 早い話、昇進するたびに真実への探求心がなくなっていくのである。

 辻政信の場合は、特異的で、彼はかなりの自信家だったらしく、自分で現場視察を行い、全て自分の決断しか信じなかったようである。この人物は、確かに現場視察を行い、実際の現場の人間関係や、実情を熟知してはいるが、恐らく、上層部への一種の当てつけといった感があり、つまりは、自分のシンパをつくるための、ある意味、穿った見方をすれば、他国のスパイとも思わせるような結果を生じさせている。

 辻に限らず、当時の上層部が、現場視察もろくにしない位、堕落したもので、辻は、自分がその見本をみせていたつもりのようでもあるが、その後の作戦指揮の失敗をみても、実際に現場や実情を理解していたとは言いがたいのである。このような現状を想像する限り、当時の陸軍は、まるで組織とはいえない、一種の自分たちの利権や権益を守るための互助会のようであったのだろう。

 辻政信でなくても、それは陸軍の誰もが感じたところなのであろう。暗黙の了解事項という、日本のムラ組織によくある恥知らずというものであろう。恐らく辻のような思い上がりの強い人物が、自分が改革者となって、軍組織を変えてやるとでも思ったのだろうが、かえって返り討ちにあったような感じでもある。石原莞爾あたりは、そこいらを一種諦めというか、陰険風に乗り切ったのだろう。

 このような組織内対立の逸話は枚挙に暇が無く、日露戦争時の児玉大将も、煙草の火すらも自分でつけない怠惰な風潮の蔓延の弊害を愚痴っているほどで、更に、堕落した太平洋戦争時には、東条英機のような恐怖政治の典型の権威主義者でも、だからこそかもしれないが、一兵卒と陰口で頻繁に罵られていたという事情を考えれば、軍部指導者の多くは、口には出ないが、部下から心底馬鹿にされていたものと思われる。捕虜となった日本兵の多くが、日本軍の愚痴を聞かれもしないのに、よくしゃべったという記録さえも残っているという。

 このような例を考えると、恐らく、日本軍は、中世以来の農民中心の兵力頼みが抜け切れなかったものと思われる。明治維新とはいいながら、その実、武家という統治階級の入れ替えにすぎなかったのではないか?と思えるのである。

 つまり、明治政府といいながらも、その内実は徳川幕府から、毛利島津幕府に、転換しただけではないのか?と思うのである。ただし、将軍継承制度を廃して、中老級から、将軍を縁故により選出するような形にしたような感じである。これは現状も似たりよったりで、東大官僚幕府とでもいうような、武家が、東大閥に受け継がれたような感じなのである。

 これは恐らく、陸軍の旧陸軍大学が、軍閥化して、旧帝大から東大閥に受け継がれ、武家が官僚に移った感じである。

 このような現場とは無関係な縁故昇進主義を採用している限り、いかなる組織をつくろうとも、人格を磨くどころか、縁故や派閥に頼り、要は、組織が個人の出世の為だけに機能するような形骸化したものとなるだろう。

 組織の目的は、歴史の無常への対応であり、年代を継続して、民族を生きながらせる為の新陳代謝にあるので、それは国家の自浄にあり、秩序と均衡にある。個人がそれぞれ自由を発揮するために、その背景として、その土台として、秩序と均衡、更には統御がもたらされる。統御が先にあるのではなく、個人の自由が先にある。個人を路頭に迷わせないように、自らの位置を自覚させるために、なんらかの組織に所属させておくのである。



 組織が個人の野望の道具であってはならない。人間は、組織を通して理解し合わなければならず、そこには、いかなる強制力も働くべきでなく、もし働くとするなら、人間の自由の意志の下に、組織は解散すべきなのである。

 基本的に個人は、自由意志により何を行ってもよいが、その行いを他の人と分かち合うために、組織を土台とするのである。そこにおいて自己反省が生じ、他との共通理解が生じる。

 このような自浄作用のある生き生きとした組織に比べ、一権力者が、自らの好み趣向により、命令を下し、硬直化した組織を利用するのは、将来に大きな災いをもたらすだろう。

 戦後処理というと、必ず、靖国問題が挙がるが、霊の何たるかを研究もせずに、英霊等といったまるで新興宗教のような議論をおこなったり、日頃、科学的といいながら、このような問題に対しては、霊頼みなのは、全くもって、その精神性の未発達さこそを問題としなければならないだろう。 

 これでは、靖国参拝が祟りか祟りでないかを議論するのと同じで、戦後処理がいつまでたっても、英霊の祟りを怖れているかのごとき振る舞いと代わりがない。



 靖国参拝を神格化するのをやめなければならない。信教の自由であるならば、政治利用や主義主張等の、いわゆる票稼ぎや人気に利用する行為こそを慎むべきで、それこそ、政教分離の原則をまずはじめに貫くべきである。

 靖国参拝ではなく、広島原爆慰霊碑こそ、神格化すべきである。米国人がリメンバーパールハーバーを唱えるならば、広島、長崎を決して忘れないというべきである。そして、自衛隊員全てに、この広島、長崎だけでなく、悲惨な爆撃や空爆を、戦場の痛みを知ってもらうべきである。

 軍閥による弊害により、日本に原爆がもたらされたこの教訓や、国として、いかなる戦力保持も放棄させられた屈辱を胸に秘め、日本国憲法第9条を死守していくべきである。

 そして、ブッシュやチェイニーのような戦場利益の犬たちには、「いかなる理由があるとしても、我々は決してあなた方の行為、広島や長崎に原爆を落とした決断を忘れはしない」というべきである。「あなたがたが、その決断の子孫である限り、命を賭けて、訴え続けていくのは、日本人の子孫の平和への願いの役割である」というべきなのである。

 軍隊のみならず、民間人まで、犠牲が及ぶかどうかの決断こそが、今求められる最上のものなのである。残念ながら、日本は、原爆を落とされ、何十万人という死傷者を失ってみてはじめてわかった。冷静さや理性を失った人類とは、それほど愚かな知性体なのである。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007年03月05日 18時42分02秒
コメント(5) | コメントを書く
[軟弱日本を斬る!] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: