シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年03月17日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 他方、ベラドンナはその存在を、別世界から導き出すという。植物は、物質体とエーテル体をもち、そして、その花と実は普遍的な宇宙の要素に取り囲まれているということを知覚するとき、通常一般の植物という存在を理解することになる。地球から芽生える植物の有機的な生命、その周囲のエーテル体、そして、一見雲に包まれたようなアストラル的な要素が至るところで見られる。

 スミレのような植物の性質とはそのようなものであるという。ベラドンナのような植物は、スミレとは異なって構成され、その釣り鐘型の花の内部に、実が形成されるが、アストラル的な要素はその実の中へと浸透していくという。スミレが発達させる「萼(?)」は単にエーテル的な要素の中にあり、ベラドンナは、その実がアストラル的な要素を同化しているため、毒を持っているという。大宇宙のアストラル性を、いずれかの部分に同化している植物は全て毒を持っているという。動物の中に入っていく力、動物にアストラル体を付与し、それを感覚的な存在へと内的に形成する力は植物における有毒な要素の源泉でもあるという。

 これは非常に興味深いことだという。我々人間のアストラル体は植物によって同化されるとき、毒性を示す力の担い手になる、ということが分かるからだという。毒に関しては、このように考える必要があり、人間のアストラル体が実際にあらゆる毒の力を含んでいるということに気づくときにのみ、毒に関する内的な理解を獲得することができるが、それは毒の力が人間存在を構成する1つの重要な部分になっているからだという。

 ここでの、この議論の中で、後に、精神的な探求における真実の道と偽りの道を区別するための助けとなるような、明白な観点を提示しているという。スミレとベラドンナの例から何を学ぶことができるかと問うならば、それぞれの植物世界に適した意識を発達させれば、スミレはその本来の世界の内部に留まり、外の見知らぬ世界から何も引き寄せることのない存在である、ということが分かるという。

 他方、ベラドンナの場合、見知らぬ世界から何かを自分に引きつけます。それは、植物の世界ではなく動物の世界の特権であるところの何かを同化しているのです。このことはすべての毒のある植物に当てはまります。彼らは、植物存在には属すべきではないもの、実際には動物界に属すものを同化しているのです。

 さて、宇宙には様々の領域に属す多くの存在たちがいるという。我々人間が死者たちに出会い、死者がそこを離れるまで10年、20年、或いは30年にわたって付き添っていくことができる領域にも、人間に気づかれることなく、我々人間の物理世界に入り込んでいる多くの存在たち、疑いなく現実的存在たちが見出されるという。

 彼らを、ある特別な種類の元素存在として記述するのが最も良いという。我々が、死の門を通過して間もない死者たちの後を追っていくとき、あらゆる種類の形態を付与された元素存在たちが住む世界、彼らが現実にそこに属する世界へと入っていくことになるという。これらの存在たちは、その世界に属している限り、その世界に適した力だけを実際に使用すべきである、と思うかも知れない。

 さて、これらの元素存在の中には、その活動を彼ら自身の世界に限定せず、例えば、人間がモノを書く様子を観察し、人間が生まれてから死ぬまで、(物質)世界の中で行う、あらゆる活動を追跡するものたちがいるという。我々人間は、我々の活動の観察者である、そのような存在たちに常に取り囲まれているという。

 さて、この観察者としての役割自体は害があるものではない。何故なら、今述べている事柄の背後にある全体計画の本質とは、人間が物理的な世界との関わりを通して獲得するあらゆるものが、我々の(物質)世界と境を接するあらゆる世界、死後直ちに入っていく世界、死後何十年も経った死者たちと接触を持つ世界、つまり、これら全ての世界に欠けているものだからだという。この死者の世界には、例えば、書くことや読むこと、我々が既知の飛行機、自動車、或いは電車は存在しないという。



 我々は人間として、自らのカルマや外界の文化によるカルマへの影響を一つの人生から別の人生へと運んでいくことができるという。自動車に関連した経験を一つの地上生から別の地上生へと運んでいくこともできるという、自動車の組立自体を運んでいくことはできないという。地上の力のみに担われたものを、ある人生から別の人生へと運んでいくことは、人間にはできないという。

 なので、人類は文明を通して、何らかの技術の基礎を築いてきたが、それは、もし、別の存在たちが力を貸さなければ、失われていたものであるという。さて、いま述べた存在たちは、人間が一つの地上生から別の地上生へと運んでいくことができないものを未来のために保持する、という任務のために「分遣隊」に分けられるという。

 これまで、これらの存在たちの多くにとって、その任務を成就するのは最も難しいことだったので、太古の時代にみられたものの多くが、再び人類から失われていったという。強調すべき点は、人間が一つの地上生から別の地上生へと自分で運んでいくことができないもの、例えば文献中の抽象的な内容を、宇宙的な計画に従って、未来に運んで行くという使命を負った存在たちに、我々人間は取り囲まれている、ということだという。

 人間と直接的な関係にある精神的な存在たちにはそれは不可能なので、従って、人間自身にも、それは不可能なものだという。これらの(精神的な)存在たちが、彼らの手助けをするものとして、リストアップしなければならないのは、彼らとは長らく疎遠であった別の存在たち、いわゆる人間と(直接)関わってきた精神的な存在たちとは全く異なる進化を経験してきたものたちであるという。

 これらの異なる進化を遂げた存在たちは、シュタイナーが、著書の中でアーリマン的な存在たちと呼んだものであるという。彼らは(精神的な存在たちとは)異なる進化を経てきたにも関らず、ときとして、例えば、人間が自動車を組み立てるとき、彼らが、我々人間自身の進化に関わりを持つことがあるという。

 彼らは、彼らのアーリマン的な宇宙の力によって、自動車の組立のような現代技術を理解することができる存在であり、人間自身が1つの受肉から次の受肉へと運んでいくことができないような文明の技術的な成果を未来の時代へと伝える存在であるという。

 秘儀参入者が手に入れることが可能な、このような情報によって、今、霊媒の真の意味を記述する地点に立つという。勿論、広い意味での霊媒と、文字通りの意味の霊媒とを区別する必要があり、「霊媒」という言葉を広い意味に取ると、基本的には、我々人間全ては霊媒だという。

 我々は皆、誕生から死までの人生を生きるために受肉する以前には、魂と精神からなる存在だったという。我々の精神的な本質が物質体に受肉するという。物質体は精神が活動するための媒体となるものであるという。なので、「霊媒」という言葉を最も広い意味に取ると、あらゆる存在はある程度、霊媒である、と言うことができるという。

 これは通常、秘教でいう「霊媒タイプ」という言葉が与える意味とは異なり、誕生と死の間の(物質)世界で、霊媒的な人とは、脳のある部分を、彼の全体的な存在性から切り離すような方法で発達させた人のことをいうという。なので、ときとして、これらの脳の部分、特に自我の活動を支える部分が、全体的存在性の基盤的な役割を果たさなくなることがあるという。





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Last updated  2007年03月17日 08時06分04秒
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