シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年03月21日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
 我々が自分に向かって「私」と言うとき、つまり、我々が十分に自我を意識するとき、この意識は脳のある特定の部分に根ざしているという。これらの脳の部分が霊媒(状態)によって切り離されると、上述したような進化段階にある実体が、人間の自我の代わりに、そのような部分に滑り込みたい、という衝動を感じるようになるという。

 そのとき、そのような霊媒は、文明の成果を未来に伝えることが本来の機能である、あの存在たちの乗り物になるという。これらの実体たちは、たまたま自我が不在になった脳に取り憑くとき、この脳の中に自らを確立したいという圧倒的な欲求を感じるという。そして、霊媒がトランス状態にあり、脳が切り離されるとき、アーリマン的な影響を被るこの種の(悪魔的)実体、文明の成果を未来に伝えるのがその機能のこの種の実体が脳の中に滑り込むという。

 そのような霊媒は、一時的に、自我の担い手ではなく、宇宙における自らの義務を怠っている元素存在の乗り物になるという。このとき、この宇宙的な義務を怠る元素存在、という表現を全く文字通りに受け取る必要があるという。

 そのような存在の義務は、人間がどのように書くかを観察することだという。人間は、今述べているように、脳のある部分を基にした力を用いて筆記するが、これらの存在たちは正常な仕事としての、単なる観察だけでなく、(自我が)切り離される可能性のある霊媒的な脳を絶えず探しまわっているという。そして、その中に滑り込み、筆記の技術に関して、彼らの観察から教えるものを同時代の世界に導入するという。

 こうして、彼らは、霊媒の力を借りて、彼らの使命に従うなら、(人類の進化度合いに応じて)未来に伝えるべきもの(技術)を、現代に投影するという。霊媒主義は、(本来)未来の能力となるべきものが混乱し、ボンヤリとした曖昧な方法で、既に現代において発達させられる、という事実に依拠しているという。これが霊媒の予知能力の源泉であり、他の人々を魅了する源ともなっているものだという。実際、その機能は今日の人間の機能よりも、遥かに完璧なものだが、それは既に述べたような方法で導入されるという。

 丁度ベラドンナがアストラル世界を媒介するように、つまり、その実に吸収したある種のアストラル的な力の媒介者として働くように、人間もまたその特別な脳のタイプ(霊媒)を通して、ある未来の時点において我々の文明に参加すべき、これらの元素存在のために、というのも、人間には、ある地上生から別の地上生へと全てのものを運んでいくことが不可能なので、それを媒介するものとなるという。これが霊媒現象(ある種のクラスの存在たちによる憑依)の秘密であるという。

 さて、一方で、これらの存在を実際に創造したのはアーリマン的な存在たちだと結論づけるかも知れない。アーリマン的な存在たちは宇宙にあって人間の知性を遙かに凌駕する知性を有しているという。我々は、我々の(物質)世界と直接境を接する世界において、アーリマン的な存在たちに出会うとき(或いは、洞察力を達成することによって、物理的な世界においても彼らに出会うかも知れないが)、彼らの広大で卓越した知性に驚くという。彼らの知性は人類の知性を遙かに凌駕しているという。

 そして、我々人間は、いかに彼らが無限に知性的存在であるかに気づくとき、初めて彼らを尊敬するようになるという。この知性の何等かが彼らの子孫、霊媒的な脳に滑り込む元素存在たちに伝えられることから、霊媒という手段で重要な情報が明らかにされるようなことが起こり得るという。

 多くの決定的に重要なことを、特に、霊媒たちが十分に発達した意識の中で伝えることに関して、我々は学ぶことができるかも知れないという。我々が精神的な世界の本性と成り立ちを正しく理解するならば、霊媒が多くの権威ある情報を伝えることが可能であることを否定することはできないという。我々は霊媒から多くの重要なことを学ぶ可能性があるが、それは精神的な認識に向かう正しい道ではないという。



 死者たちが死後の生活を送る世界に超感覚的な認識をもって参入すると仮定する。我々がそのようにして死者を追っていくとき、最初に入っていくのは、我々自身の世界とは全く異なる世界で、この世界に関しては既にある程度述べたが、そのときに指摘したのは、その世界は我々が誕生から死までの間を生きる世界よりも遙かに現実的な印象を与えるということだった。

 我々が、この世界に参入するとき、我々は死者たちの魂とは別に、そこに見いだされる特筆すべき存在たちに驚かされるという。最近亡くなった人々の魂が奇妙なそして悪魔的な形態をしたものに取り巻かれているという。死者が入って行くべき、この隣接する世界、我々がある種の超感覚的な視覚によって、死者を追っていくことの可能な、その世界の入り口で、アヒルか野鴨、或いは、その他の水性動物のように、水かきのついた巨大な足(地上的な基準に照らして巨大という意味)、絶えずその形を変える巨大な水かきのついた足を持つ悪魔のような姿をしたもの(河童か?)に出会うという。これらの存在たちはいくぶんカンガルーのような形をしているが、半分鳥のようでもあり、半分哺乳類のようでもあるという。我々が死者に付き添って行くときには、そのような存在たちが住む広大な領域を通過していくことになるという。

 これらの存在たちは一体どこから生じるのかと問いかけるならば、まず、そのような存在たちの在処、彼らの居場所に関する明白な考えを持つ必要があるという。彼らはいつも我々の周りにいるという、何故なら、我々は死者と同じ世界に住んでいるからだという。しかし、彼らを、この物質世界の中に探すべきではなく、真の正当な探求はこの地点から始まるという。

 秋のクロッカスが沢山生えている牧場を歩いていると想像する。秋のクロッカスの真只中で、死者を追っていくことが可能な意識状態を生じるように努めるならば、クロッカスが生えているところであればどこでも、丁度今述べたような存在、水かきのついた足と奇妙なカンガルーのような体を持った存在(河童)を見ることができるという。秋のクロッカスの1つ1つから、そのような存在が現れて来るという。

 物質世界のクロッカスが、死者の世界の河童のような化け物のようである。

 もし、更に移動を続けて、ベラドンナが道ばたに生えている場所に行き、今述べた意識状態に移行させるならば、全く異なる存在、やはり、この世界に属する恐ろしい悪魔のような存在に出会うという。なので、秋のクロッカスとベラドンナは隣接する世界の、元素(悪魔的)存在たちが、その植物存在の中に入ってくるのを許す(一種の)霊媒、別の側面から見ると、実際に死者の世界に属する霊媒であるという。

 このことを心に留めれば、上記の別(死者)の世界は、我々の周囲の至るところにある、ということが分かる。この世界に意識的に参入することが、ただし、通常の意識をもって、秋のクロッカスとベラドンナを知覚するのではなく、死者と関係を保つことが可能な、より高次の意識をもって知覚する、ということが本質的なことであるという。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007年03月21日 14時35分54秒
コメント(4) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: