シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年03月30日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 もし、秘儀参入者として、夢(精神)の世界に更に深く沈潜するなら、日頃の知覚可能な世界での日常の存在と同様に、夢(精神)の世界でも分別をもち、かつ知的に前進していく必要がある。秘儀参入者は、通常の人生を生きるのと同様、精神的世界においても完全に意識的な生活を送るという事実に背くべきではないという。

 というのも、もし、ほんの一瞬でも物理世界から離れたと自負するなら、忽ち、勿体ぶった態度を取り始め、仲間から、むしろ変人と思われるからだという。そして、彼らは、「こいつはとうとう気が狂った!」と言うだろう。

 丁度、感覚の世界が周囲の至るところに存在するように、至るところに存在する精神的な世界を通過するとき、完全な意識を保つために、自分自身を堅固と支え続けなければ、上記のようなことが起こり得るという。

 ここに至り、神智学協会ではなく、大自然科学者たちにより、取り扱われてきた世界、すなわち心霊的な探求の領域が開かれるという。これらの探求は科学的な背景や限定された潜在能力を持つ人たちによって遂行されてきたが、彼らは精神的な世界の本性を確かめるために統計的な手段と霊媒による実験を用いたという。

 人間の魂が、本人ではなく、別の存在により保有されている間、通常の意識状態にはなく、完全な無意識状態、或いは減退した意識状態で、手足を動かしたり、反応したりするときに、一体、何が生じているのかに関して、客観的に探求しようとする試みが、あらゆる種類の団体で、様々な観点からなされたという。このような方法で、意識が減退させられた人々の反応が記録されてきたという。 

 この種の探求に熱心な人が、内的(精神的)な世界の現象を、客観的に探求したいために、シュタイナーの探求の成果を、彼らの実験のために提供しろと言ったという。これは、誰かが来て、およそ次のような無意味なことを言うのと同じものであるという、「私は数学のことは分からないので、数学者の言うことが本当かどうかを確かめるため、彼を実験室に連れていき、彼が偉大な数学者かどうかを示す実験をやってみるのが一番だ、」と。

 ここで述べているのは、人間の内面に沈潜する真の取り組みではなく、科学的な方法を、いわば漫画チックに仕立てることにより、外側から、夢遊病者や霊媒を探求しようとする、近代的な科学的試行分野に関するものであり、もし、本当に人間の内面(精神)に沈潜するならば、霊媒や夢遊病の現象の中に見られるのは、肉体とエーテル体からなる外的な乗り物のことで、それはいわば自動人形であり、つまり、彼らが探求しているのは精神的な現実ではなく、彼らが本来探求すべき(精神的な)対象が、置き去りにした、外的な乗り物である、という間違いに気がつくはずだろう。

 彼らは精神世界のより精妙な側面を覗き見ようとはせず、しばしば内的な経験を通して行うのではなく、知覚可能な(外見の)形において、精神的なものを感知しようとする物質的な手法を用いるという。



 我々は、物理世界をそのような外界のものとして認め、精神的なものを、それが真に存在するものとして、勿論、物理的な世界にも関わるとはいえ、本質的には、物理世界に浸透した精神的な領域の中に求めるべきであるという。 

 ここには、更に別の領域があり、健全な状態にある人は、内的な経験の領域と外的な知覚との間や、混乱した夢の世界と霊媒や夢遊病者の異常な世界との間にあるギャップに橋を架ける必要があるという感じを持つが、芸術は、これら2つの世界の統合によって、そして、それらがお互いを実り多いものにすることによって生まれたという。

 つまり、芸術においては、外的な形態が精神によって浸透され、精神的な内容が外的な形態を身にまとっているという。 

 神智学協会が、一般人を、精神的な実存であると騒ぎ立てるのに忙しい間、シュタイナーは人智学協会において、秘教的な流れを「芸術」に向けるように駆り立てられたという。神秘劇とオイリュトミーが生まれ、言語造形の芸術が発達させられたという。

 これらは人智学協会において発展させられた他のものと同様、精神的なものと物理的なものの間のギャップに橋を架け、混乱した夢の世界と霊媒や夢遊病者の混乱した異常な世界とを、意識によって結びつけようとする衝動が実りをもたらしたものだという。これら2つの世界は芸術において意識的に融合させられるという。 

 いつかは、このことが理解され、マリー・シュタイナー婦人が実践する言語造形が、かつての人間がまだ本能的に精神的であった時代に、享受していたレベルを回復するとき、人々は、上述した芸術運動の努力の目的を理解するようになるという。

 当時の人々にとっては、空虚で抽象的な言い回しよりも、言葉のリズムと韻の方がもっと重要だったという。これらのことを再び蘇らせる必要があるという。そして、オイリュトミー(シュタイナーの説く一種の芸術的な踊り)が再び、回復させるのは、眼前の運動を通して展開する人間、魂と精神からなる真の人間の存在であるという。オイリュトミーから学べるのは、このようなことであるという。 

 なので、最初に芸術の中で、夢を見る人が目的もなく彷徨う世界から、霊媒や夢遊病者が躓きながら盲目的に歩き回る世界への橋を架ける必要があったという。今日の唯物的な時代にあっては、夢を見る人は孤独な省察の中に取り残され、その精神性を表現し、明らかにする実質的な形態や構成に関しては何も知ることがない。

 そして、現代人は、夢遊病者たちは霊媒としての名声を享受するかどうかということや、共産主義者や資本主義者たちが理想的な国家理論を発見しているかどうか等を、気にすることもなく自分の人生を生き、そして、霊媒もそうだが、あらゆる種類の顕現を周囲の世界に、撒き散らしながら、夢を見る人も夢遊病者も、精神性の存在に関して、偽の探求に対する、ほんの僅かな疑いをも持つことなく、現代世界を生きている。

 物質から精神に、そして精神から物質に導く橋を再び見出すことが本質的なことで、まず芸術の分野において、この橋を見出し、もはや半意識的な状態で躓きながら彷徨うのではなく、普通とは異なる種類の精神運動を通して、芸術に対する感覚を発達させるべきであるという。

 なので、オイリュトミーは、その真の内的な源泉を、秘儀参入の中にもち、言語造形という芸術において実践する全てのものは、その同じ源泉から生じてくるという。





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Last updated  2007年03月30日 19時25分53秒
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