シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年04月10日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 以前に述べた方法では、人間存在全体を出発点としたが、今回の精神的な解剖学を通して直接知覚し、理解することによる、個々の人間の器官から出発する道は、自然科学を戯画化した統計的手法による外的な現象の理解である、偽りのアプローチとは対照的に、真の結果へと導くことができる道であるという。

 このことから分かるように、これらの事柄が議論可能になるためには、この道筋に沿って訓練を受けてきた臨床家の協力が必要だったという。更に言えば、この精神的な観点から解剖学を見る人は、このような手法で人間の器官を精神的に理解するとき、目の前のゴールに関して、いかなる疑いも心に抱かなくなることが分かるという。

 そして、精神的な知覚の前に、以前に述べたような内的な人間ではなく、勿論まだ漠然とだが、力強く、巨大な姿をした外的で宇宙的な人間、それは人間全体として知覚されるのではなく、一部の器官の内的で精神的知覚を通して現れる(部分)人間が明らかになり、このとき物理的な人間ではなく、宇宙的な人間が出現するのは、これらの器官が精神的に眺められるからで、丁度、以前に、夜の世界(月の領域)が昼に招き入れられたように、この存在(それは完全な人間ではなく、個々の器官から構成されている存在であるが)の中に招き入れるのは、土星領域の衝動であるという。

 デイダラボッチや巨人伝説は、ここからくるものと思われる。

 丁度、以前の段階において、月の領域が通常の覚醒意識の中に招き寄せられたように、土星の領域が科学的(覚醒的)な意識の中に招き寄せられるという。土星の力があらゆる器官の中で特別な仕方で働いているのに気づくようになり、その働きは肝臓の中では特に強く、肺の中では比較的弱く、頭部においては最も弱くなっているという。

 こうして、至る所で土星の影響を探す、という目標を意識するようになるという。

 丁度、以前の段階において、瞑想を実行することにより、精神的に前進したように、土星の探求、すなわち、個々の器官の内的で精神的な構造の探求と同化することにより、木星領域へと沈潜し、あらゆる器官は、実際、神的-精神的な存在の地上における対応物である、ということに気づくようになるという。

 人間は、自身の内に、神的-精神的な存在のイメージを、器官として担っているという。宇宙全体は、最初、土星領域(地球の太古の状態)の中に巨大な存在として出現したが、巨大な宇宙的存在としての人間全体が、何世代にもわたる神々の内的-有機的な共同作業の総体として現れるのが見られるという。

 ちなみに、アダムというのは、土、つまり土星をも表す。アダムカドモンとは、この巨大な宇宙的存在としての人間全体を意味するようだ。



 それらの(土星)存在に気づくのは実際には容易なことだが、もし、このとき、本質的な危険に屈し、いわゆる、この(土星)領域で生じる、あらゆるものが意識から直ちに消え失せ、そのため、全く、じっくりと考える立場が確保できない、という本質的な危険に屈するならば、土星存在を記述し、その明確な印象を保持し、心的なイメージへと形づくることはできないという。

 さて、近代(20世紀初頭)において、魂の探求に従事する人たちは精神を顧慮することなど、夢にも思わず、彼らは自分たちの手法、つまり、その手の想定の人を実験室に呼んでテストしながら、探求することを好み、精神的現実(神々の存在)は、人間のレベルにまで引き下げられることはなく、このような方法で、それら心霊現象を理解し、徐々に科学的な解釈に到達すると公言する場合は、精神など全く考慮することのない、その典型的な例を示すという。

 以前述べた医学書に可能なのは、遥かな未来において十分に発達した科学になりえるものの最初の基本的導入を提供することだけだが、これらの事柄が、現代の精神的世界にも存在し、地上ではなく、太陽上に生きる存在たちにとって、自然な程度に応じて、ここで述べた手法で、地上的な意識の中にもたらすことができるという。

 実験室における実験手段や教科書の中に見られるような抽象的な解剖学によって、精神的な洞察力を発達できる、と想像すべきではなく、全ての精神的な事柄は人間自身により、直接経験される必要がある、というのが本質的な点であるという。

 では、何故そうなのか?といえば、これらの現実を、光の中にしっかりと保持可能にするのは、それらが人間の共通の努力から生じる力により、つまり、人間が地上における、以前の受肉から導き出す力によって支えられ、保持されるときのみ可能だからだという。

 このことが起こるとき、土星と木星の領域の世界に火星の領域と呼ぶものが入ってくるという。それらはインスピレーションを通して現れ、そして、インスピレーション意識をもって、再び太陽へと戻るという。

 これは今日の自然科学が要求するもう1つの道、前回述べた(月の)秘儀参入者たちが避けたがる道で、この道との接触に出くわすとき、彼らは落ち着きを失うが、にも関わらず、それは従うべき道であるという。

 この議論から気づくが、月領域を通過する道は古い秘儀参入者たちには全く適したものだったという。この月の道に関しては、H.P.ブラバツキーの中に素晴らしい記述があり、もし、真実と作り話とを区別できれば、「シークレットドクトリン」の中には多くの重要な真実を見出すことができるという。

 しかし、この道はH.P.ブラバツキーが密接に関係していた月のアストラル的な光の領域を通過する道で、そこでは気高い水星の使者が、彼女の解釈を方向づけていたという。彼女の論説を追っていくと、いかに彼女が絶えずイマジネーションを正しい源泉へと向かわせていたか、ということに気づき、ブラバツキーの素晴らしいところは、最初に彼女がイマジネーションへと促されるのを感じる瞬間、それが直ちに実現するという点で、彼女は水星の使者によって秘密の図書館へと導かれ、思考が彼女の中で形を取ると、水星の使者が、彼女をバチカンにより厳守されていた本へと導いたという。

 彼女はその本を読み、もし、そうでなければ、バチカンによって何世紀もの間、用心深く厳守されたために、彼女にはアクセスできなかったような様々な情報を、彼女の著書の中に見ることができるという。この道は実際、よく通われた道であり、しっかりとした内的コントロールの下で達成される、あらゆるものとは注意深く区別されるべき道であるという。

 もう1つの道は、ここで述べた経過を辿ることだが、それはH.P.ブラバツキーがペストのように嫌った現代の自然科学の方法に依存しているという。



 現代の科学は、以前、この領域におけるシュタイナーの協力者に言及したときに述べたような人間的な価値に浸透される必要があり、真の道と偽りの道の源泉を、最もよく際立たせるのは、定義を通してではなく、具体的な例を議論することによるものであるという。

 つまり、人間がかつての古代の叡智をオカルトにし、一旦捨て去り、現代科学を発展させ、表舞台に立たせたのは、オカルトを秘教としてワインのように蒸留すること、そして、今度は、現代科学を、オカルトの再認識の道具として役立たせる為であることがわかる。

 ただし、現代科学は、外的な対象物を定義として認識するのではなく、人間の内部の精神的な個々の経験としての認識を、幾重をも積み重ねるようにして、まるで、カルマを紡ぐように、大きく変貌を遂げる必要があるだろう。科学によりオカルトは死に、そして、科学により再び復活するのである。

 そのとき、人類はかつて有していた神の認識、太古の叡智を再び取り戻すのである。それは、キリストの歩んだ茨の道の再現であり、キリストの薔薇十字の道であるといえる。実は、現代科学こそが、キリストの太古の叡智を復活させる道具といえるだろう。そのとき、アーリマンは、キリストの前に跪くといえるだろう。その道を、人類が背負っているといえる。





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Last updated  2007年04月12日 23時18分50秒
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