シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2007年07月30日
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カテゴリ: 神秘体験空間
■相対性理論についての質問

 相対性理論についての議論には際限がない。3次元空間における宇宙的事象に対する観察者としての我々の視点から、この理論に反対することはできない。つまり、知覚される空間に基づいて相対性理論に反対することは不可能であるといえる。

 勿論、我々の知覚に関する限り、球が平面化していたとしても、空間全体が球の平面化の方向に内的に拡張していたとしても同じことである。なので、我々が3次元空間からの見方を扱っている限り、アインシュタインの相対性理論は完全に正しいといえる。

 この理論が現れたのは、人間進化と科学の歴史において、我々が最初に純粋に空間的な意味で考えることができるようになった、つまり、非ユークリッド空間の意味においてであろうが、相対性理論の意味においてであろうが、ユークリッド空間を我々の出発点として捉えながら、何とか考えることができるようになった、正にその瞬間であった。3次元空間の中では、アインシュタインの相対性理論に異を唱えることは不可能といえる。

 この理論に対する反論の可能性を議論し始めることができるのは、いかにしてエーテルの領域へと移行するか(つまり、3次元空間の体からエーテル体への移行だが)を見出すときだけである。エーテル体は遠心的というよりも求心的に形成されるからである。

 エーテル体の中で、空間の全体性において生きている。例えば、AとBの間の距離についての知覚は、あるときは短い線分であり、またあるときは長い線分になる。この現象に気づけば、これらの点の内、どちらかが絶対的な意味で動いている必要があると言うことができるが、それを行うためには、自身が空間の全体性の中に立脚していなければならない。その時点で議論が可能になる。

 このようなわけで、相対性理論に関する現在の概念を巡る、我々の議論の全ては次の質問で終わらざるを得ないと確信している。

「それで、一体どうしてそのこと(光速で動くことで起こる現象)が分かる(実証できる)のですか?」と。

 それとは対照的に、我々が内的な知覚(絶対的なるものが見いだされる領域)へと移行する瞬間、我々は、相対性理論のような問題はニーチェが観察者の立場と呼んだもの(そして、その最も極端な例が相対性理論なのだが)へと行き着いたことを示していることに気づくように強いられる。



 もし、マッチ箱を一方の手に、マッチをもう一方の手に持つならば、マッチをマッチ箱にこすりつけるのも、マッチ箱をマッチにこすりつけるのも結果は同じといえる。勿論、そのような場合には、相対性理論は完全に正しいが、次のように叫びたくなるだろう。「箱を壁に釘付けしてからもう一度やってみてくれ!」と。

 これは相対性理論の価値を打ち消すものでは決してない。それは単に、丁度、2次元空間から深さの次元へと移行できるように、世界のどこからでも精神的要素の中へと移行できるということを示しているに過ぎない。

 そのときのみ、相対性理論は有効であることを止める。相対性理論に関する議論が永遠に続く傾向があるのはそのためだが、それは、観察者の立場からは、それに反論できないという理由による。その理論に反対する、いかなる議論にも反論が可能である。

 観察者としては、観察対象物の外側に立っている。つまり、そのとき、主観と客観を厳密に区別する必要があるが、より高次の認識へと上昇するやいなや、主観も客観もなくなる。

 このテーマに関しては、恐らくQ&Aの文脈から述べる事柄以上の話ができるが、更なる思考へと促すものとして、もう1つのアイデアを述べておく。観察者の世界に、つまり空間の世界に留まる限りにおいて、相対性理論自体に反論の余地はない。

 この世界から逃れ出て初めて、単なる観察者としてではなく、対象を経験する、例えば(精神的な)痛みを共有する世界へと入っていく。他の存在との単なる関係性から(相対性理論がその関係性内部でのみ可能であることは十分理解できる)共有された内的経験としての痛みへと移行を学ぶ瞬間、例えて言うなら、この(痛みの)経験が、相対的なものかどうかに関して、あれこれ考える余地はなくなる。

 こうして矛盾を作り出し、実際、矛盾が存在するので、その状況は現実的ではないと言うことができなくなる。生活の中では、矛盾は現実だが、それは生活を構成する存在たちが、異なってはいるが交差している領域に属しているからといえる。

 現実へと移行するやいなや、存在に対する、いかなる矛盾も解かれるべきであると言うことはもはや許されない。もし、それが現実であるなら、それを解くことはできない。ここで言いたいのは、相対性理論がその関係性の世界において発展するのは自然なことであるということである。

 もし、観察者の立場が、唯一可能な観点ならば、この理論に対する、いかなる反論も不可能である。けれど、我々が存在達の中に、そして、痛みや楽しみの中に巻き込まれるようになる時点で、相対性理論を維持することは、もはや不可能になるだろう(感情の大小は比較できない)。





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Last updated  2007年07月30日 21時57分28秒
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