シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年01月15日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 じっくりと歴史分析をすれば、日本の明治時代以降は、実は、江戸期の貯蓄で食ってきたといえることがわかるだろう。

 それは、勝海舟の「海舟座談」にある、次のやり取りからあきらかである。

 西郷サンの法会のときは、吉井、税所、松方、宮島などで、徹夜の話しでした。

 伏見鳥羽の戦のときの大将は、吉井サンでしたから、先ず、吉井サンからの尋ねに、「アノときの官軍は、極くわずかなことでしたが、ナゼ、あれが破れなかったのです、いかにも幕軍は腰抜けなことでして」と言った所が、

 勝サンの答に、「官軍はただ一列(なら)びでしたろう、破るのに雑作はありませんが、破れた所が、西京へ追い込むだけです。軍艦は幕府にあるのですから、大坂から、打ち込んだら、どうです」と言われました。

 スルト、吉井サンが、「その事です、大坂で色々評定がありました、海江田、広沢、品川、その他は、ミナそれを心配しました。それで、近畿の藩々をかためてから、ゆるゆる江戸へ上ろうという意見で、そのころ、海江田の言うことは、なかなか行われたものですが、西郷サンひとり承知しない。

 『その勝安房守(海舟)があるから、心配はない、ひとり攻め上る』と言って、大津まで出かけたから、先生(西郷)が行ったというので、ワイワイ後から尾(つ)いて来て、それが官軍になったのだ」と言われました。

 それで、ナゼ軍艦で勝サンが打込まなかったと問われましたら、「打ち込んで西京へ追払えば、天子を挟んで九州へ逃げる、スルト、徳川は外債を募ってやりくりをしても、五年より持たぬ。五年で倒れて、沢山の外債を残したら、松方サン、その時、大蔵をやれますか。少しも外債も残さず、コンナに安楽なのは、徳川のおかげだ、お礼を言いなさい」と言うことで、

 松方サンは、ふとんから下りて、礼を言いました。



 それで、「お前方は、倒れる徳川を倒して、伯爵や子爵になってるのは、誰のお蔭だ、全く家康と天海とのお蔭だ」と言うお話しです。

 それはどういうことでと、松方サンからのお尋ねでした。

 それは、大坂落城(豊臣家滅亡)のとき、天海が家康に言いますには、「既に秀頼のモリとなったる人が、これを殺すというは、全く天下の為で、天下の為に殺すべからざる人を殺すに至った以上は、徳川も、他日の用意をせねばならぬ。
 北条でも、その終りに多くの人を殺した、人を殺さぬようにして、他日政を失った時に、権を移すようにせねばならぬ。
 それには島津が八十万石、加賀が百万石としても、その倒れる時には、士(さむらい)より町人に至るまで、守って多く死ぬに違いないから、徳川の所領は、全国に分とう」というので、御承知のごとく、大キナ所でも、十万石以上はない、その外は、所々に分けてありました。

 「その倒れる徳川を倒して、お前方は功をたてたのだ」という話しで。


 この話しからも、勝海舟の説く政治は「正心誠意」で、言行一致という意味がわかるだろう。家康は、幕府を開く以上は、閉じる幕引きも十分に考慮していたのである。つまり、先を見通していたわけで、また、戦場での金策の遣り繰りでも、平和な江戸期の方が、激動の昭和期よりも、現実的であったことがわかる。逆にいえば、明治政府のボンクラ連中の金銭感覚の無さが、明治から昭和までの無謀な戦をしたともいえる。

 孫子の兵法にもあるように、無用な戦は出来るだけ避けよという基本事項も忘れる愚かさといえるだろう。

 勝はまた、政治には、やはり経済が必要だと説く。

 「経済では、己(おれ)の眼中には、細川頼之と太閤秀吉の他はない。細川あって、足利十三代はもった。太閤は一生戦をしながら、それで金があまって、桃山の遊びなどは大したものだ、この二人の外に、日本の経済家はない」という話しで。

 勝が説く経済とは、阿吽の呼吸で、景気を良くするワザなのだという。とても口では語れないが、とにかく、始終歩き廻り、色々研究することだという。勝には、貨幣研究の書があるが、経済だけは、色々独自で勉強したようである。そして、よく勝が言うことは、学者が説くような経済は机上の空論で嘘八百というものである。



 改革に関しても、同じように説いていて、改革というと、お題目を唱えるが、それには全く意味はない、要は倹約なのだから、日頃から、ケチな輩に、ケチをやらせないように、まず、上から倹約を実践するという風をみせ、改革に際しての混乱から、猟官運動はしっかり取り締まることだという。

 この2点を要約すると、民衆への愛情だと思われる。

 国会にも言及していて、あるとき、以下のような話があったという

 伊藤サンが国会を開くという時です。やはり、ココデ、勝サンから、ひどく言われました。

 「お前方は、どこまでうぬぼれているのか。国会は、大久保、木戸、西郷や、私の相談で、三十一年に開くつもりだった。明治政府は、初十年が乱暴で、中十年は利学をすすめ、あと十年に穴を埋めて、それから国会は私らには適さぬから、後の人才にやらせるつもりであった。それにお前方は、今から開いて、穴だらけの不始末を七、八百人に見せて、流言されて善いのか。ふだんオベッカを言うものの言葉ばかり聞いてると、ソウなるものだ」と、ひどく言われました。

 伊藤サンは、「御もっともですが、もうこうしまして、致し方ありませんから」ということで。

 この事は、官僚の穴だらけの不始末と普段からオベッカばかりをいう太鼓持ちのマスコミ連中に完全に骨抜きにされている現在の国会運営のことを既に見通されているといえる。大体、新聞屋と一緒に仲良しクラブの政治の八百長試合をやってどうするのだろう。しかも、これまで、日本は戦争で何度と無く負けてしまったのである。

 全く日本の指導者は阿呆ばかりというしかないだろう。猟官連中の阿呆の連鎖ともいえる。しかも、汚職で、辞める勇気さえもないから、結局のところ、税金で食わせてもらうしか能のない腐った連中なのだろう。国民を騙して、一時期よい思いに浸ったからといって、心底では、軽蔑されるだけだろう。決して褒められたもんでなく、単なる自己満足に過ぎない。

 当時の政府も、勝海舟は酷評しており、松方が、北岡と、国家政治を以下のように議論したという話がある、

 松方サンが、どうも国家の政治をやるには、虎狼の心をもたねばならぬという論でしたから、私(北岡)は反対で、ソンナ虎狼になられるのなら、私は猟師になると言って、議論した所が、マケました。それを勝サンの所へ行って話スト、

 「それは甘(うま)いことを言った、ダガ、こうだ」と言われて、巻紙にサラサラと書かれた、「虎狼の文」という文が出来ました。

 「日本で虎狼というのは、家康、尊氏、信長、など屈指に足らぬほどだが、今の大臣らは、虎狼にあらずして、猫だ、猫だから、鼠輩といって、国の鼠が殖えて、アチラコチラをかじるのだ」という文で、ムイン禅師などに見せたら、大層よく出来たということでした。

 さしずめ、いまの大臣は、鼠も捕らない猫以下の猫で、ついに自分も鼠のように、アチラコチラとかじりだして、国の所々が穴だらけで、外国の猫にビクビク震えてる鼠以下の連中といえるでしょうね。

 選挙運動ばかりの自己保身ばかりしてないで、少しは、勝の書物でも読んで、薫陶を受け、政治の大志を抱けよ! 全く呆れた政治家たちである。

 日露戦争を勝った、山本権兵衛も、初めて書生で出てきたときに、勝の世界の大勢の話を聞いて、それから志を立てて、海軍になったのだという。

 政治家とは、結局、志の大きさだと思う。選挙運動なんてチンケな自己保身なんて、聞いただけで、呆れるな。そんなら、政治家でなく、他で身を立てる職があるだろ?!  





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Last updated  2008年01月15日 23時26分08秒
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