シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年02月26日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 あらゆるものが、証明も反証もできることを感じ、経験する、ある特別な地点まで、魂の進化が到達してはいるが、物質世界に内在する、精神的顕現と呼べる存在を受容するには、まだ十分に成熟していない人間を、知ることは、ある種、理論的に興味深い。

 かつて出会った人物のなかに、上記のような魂の成熟を顕著に示しながら、いまだ、精神科学(人智学)が提供する事柄を把握するまでには至れない人物を、いま思い浮かべる。

 その人物は、哲学が言及する諸事は、証明も、反証もできることを、非常に明確に認識できる領域にまで達していた。実は、その人物とは、数週間前(1920年当時)に亡くなったウィーン大学教授の、類い希な能力と知性を持った男、ローレンツ・ミュルナーである。

 あらゆる可能な哲学体系や思想に関する証明を、大いなる明晰さを持って、引用できる大変な才能を持った、この男はまた、これら全ての矛盾をも指摘できた。そして、彼自らは常に厭世主義者の態度を示した。

 かつて、彼が次のような、かなり恐ろしいことをいうのを聞いたことがある。

「あらゆる哲学は、実際に、よくできたゲームに過ぎない!」、

 そして、その思考ゲームにおいて、彼の心の素早い閃きや活動を目にするとき、そのような場面は度々あったが、同時に、彼が、何1つをも全く認めようとしない為に、何らかの信頼を、彼に寄せることが全くできない、ということを知るのは興味深いことであった。

 何かある観点から、否定的意見を、誰かが述べたりすると、彼は大喜びで、その観点を肯定する為に、あらゆることを持ち出し、2、3日前には、彼自身が無情にも完膚無きまでに、打ち砕いた事実をも、持ち出したのである。

 彼は最も興味深い、心の持ち主の一人であり、実際、ある意味で、最近(1920年)では、生存する最も重要な哲学者の一人であった。彼が、そのような心境へと導かれていったプロセス(過程)もまた大変興味深い。



 そして、この事が、ある宗教的情熱によって、実り豊かになった思考形式に比べて、外(物質)的世界の中に見い出せる、単なる全思考ゲームを、小さなものに見る、というような効果を及ぼした。ただ、これら全ての事実にも関わらず、彼のカトリック主義は、彼をして、懐疑主義的立場を、越えてゆくことを可能にはしなかった。

 彼はあまりに偉大な男であったために、単なる教条主義的なカトリック主義の段階に留まることができなかったが、他方で、彼のカトリック主義は、彼の中では、あまりに大きな位置を占めたが為に、神智学的真実の把握へと上昇することができなかった。

 人間が、もし真実に近づこうとするなら、何が必要かを、実際に研究できる地点までに至った、このような魂を観察するのは、途方もなく興味深いことである。というのも、この有能で、知性的な男が、全くはっきりと、彼の思考をもってしては、真実に近づくことが不可能であるということを、自ら理解し、示していたからである。

 遥か太古のギリシア時代には、人間の健全な精神(心)がもし、いつの日か、真実に到達することを望むなら、何を出発点とすべきかが知られていた。そして当時、次のように言われていたが、そのことは今でも有効である。

「全人間的探求は、驚きから出発すべきである!」

 この事は、完全に前向きな姿勢で受け取る必要がある。実際、真実に到達しようとする魂の中には、この状態が、最初に存在する必要がある。魂は驚きと畏敬の念を持って、宇宙の前に立つ必要がある。

 そして、このギリシア人たちの表現力全体を理解できる人は誰でも、人間が真理の探究へと向かうとき、その出発点が、この驚きの気分、世界の事実に対する、この驚きの感情であれば、その他の条件が何であろうと、それは丁度、地面に種を蒔いて、種から植物が生長する様子との比較を実感できるようになる。

 人間が、驚きからでなく、例えば、若い頃に良い教師がいて、様々の原則を、その人に叩き込んだからとか、或いは、人間が成長する過程で、その種のことを学ぶ慣習になっていた為に、つまり純粋に環境の影響によって、哲学者になったような場合には、全く話が異なる。

 また、哲学の試験はパスするのが最も易しいということも、良く知られているが、要するに、哲学の勉強の出発点として、驚きとは全くの別の理由(出発点)が、年百何千と存在するが、全てそのような出発点から、何らかの真実を知るに至ったとしても、種から植物を育てるのではなく、それは混凝(こんくり)紙で植物を作ることに相当する。

 この比較は、全く適切である! 何故なら、世界の謎に取り組む機会を待ち望む全ての真の知識は、「驚き(驚異、驚嘆)」という種から生長すべきだからである。人間は際限なく賢い思想家になることができ、過剰な知識に苦しむことすらもあるが、もし、驚き(驚異、驚嘆)の段階を、全く通過しなければ、そこからは何も生まれて来ない。

 その哲学者は、巧みに考え出されたアイデアを提供し、そして、それには間違いが何も含まれていなかったとしても、その正しさは必ずしも真実へと導いてはくれない。考え始める前、実際、思考を働かせ始める前に、驚き(驚異、驚嘆)の状態の経験が絶対に必要なのである。






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Last updated  2008年02月26日 21時13分07秒
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