シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年03月11日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 「献身」の段階を達成し、更に次の段階へと進んだ人が、例えば人間の喉頭に、注意を向けることを想像する。その人には、喉頭は、その進化(発展)の全く初期段階にある器官のように、前途有望な未来がある器官のように見えるだろう。喉頭自らが、告げることから、その人は、現在の喉頭がまるで、種子であるかのように、果実とか、枯れたものではなく、種子のように感じる。

 その人は全く明瞭に、人間進化の途上で、喉頭自らが表現を与えるものから、喉頭が完全に変容するとき、つまり、今の喉頭の本性は、人間が言葉をしゃべるという事にあるが、いつの日か、この喉頭の本性から、人間が人間を誕生させるときが来ることを知る。

喉頭は未来の誕生のための器官、未来の生殖器官である。

 現在、人間は喉頭によって言葉を発するが、喉頭は、未来には、人間全体を発する(誕生させる)ように発達していく種子である。喉頭が、人間に、自らが何者であるかを告げるとき、究めて直接的に、種子である事を表現する。

 人体のその他の器官は、遥かな昔に、既にその(進化の)絶頂を過ぎたことを示し、未来には、もはや人間の有機体の中には存在しなくなる事を理解するだろう。そのような見方をすれば、人体のあらゆる処に、成長と生成の一方で、他方に衰退と消滅を見るだろう。

 人体の現ある器官の進化度合いの両方を、未来へと続くプロセスとして、みることができる。人間のエーテル体と真実の世界との統合が達成されるとき、我々人間の周囲に、芽生える生命や、死、或いは衰退が互いに絡み合っていることを発見するだろう。この透視力に関して、人間は、この先、非常に厳しい試練に耐える必要があるだろう。

 というのも、人間が出会い、人間に自らの存在を告げる個々の事象について、人間は、いちいち、その事象のある部分を、人間の中に芽吹く生命の感情として、その他の部分やその内容を、人間の中に死の感情を引き起こすものとして、発見することになるからである。

 我々人間が、感覚世界の背後に見る全てが、「自分は、これら2つの基本力の内のどちらか一方からやってきた」、ということを知らせるからである。

 このように、人間が見る世界は、神秘主義の言葉で、「生成し、消滅する世界」と呼ばれる。



意志の背後には叡智がある!

 わざわざ「支配(活動)する叡智」と言ったが、というのも、人間が、アイデアの中に持ち込む叡智とは、大体、全く非活動的なもので、単なる思考としての叡智(死んだ知性)だからである。人間が活動的な意志の背後を見るときに、獲得する叡智は、対象と一つになっている。そして、客観的事物の世界では、叡智は、叡智が支配する処で、真に支配し、その働きの影響は実際、その表現を表出する。

 叡智が、真実から、いわば後退するとき、死のプロセスが始まる。叡智が真実の中に流れ込む処では、生成が、芽吹く生命が表出する。以上述べたことは次のように整理できる(図1参照)。

fig1.jpg

 我々人間は感覚世界を見るが、最初それを曲線Aとして見る。そして、それからその感覚世界の背後にある曲線B、つまり「支配する叡智」の世界を見る。我々自身のエーテル体の実質は、この世界から取ってこられた。なので、我々は、「支配する叡智」として、外に見るものを、我々のエーテル体の中にも見る。そして、我々の肉体の中に、単に感覚的に現れるものだけでなく、「支配する意志」を見る。何故なら、感覚世界の至る処に、「支配する意志」を見るからである。

 不思議なことに、もし我々が「献身」を達成していたなら、別の人間に出会い、その人を見るとき、その人の顔色は、たとえ、それが赤味を帯びていようが黄色、或いは緑がかっていようが、単に赤とか黄色、或いは緑には見えず、例えば、その人の顔の頬のバラ色と、共に成長するエーテルの存在をみるだろう。そして、そこに、「支配する意志」を見るだろう。

 そして、その人の中に生き、織りなす全てが、我々観察者の中に、その人の頬の色を通して、いわば射し込んでくる。バラ色の頬について観察し、気に止めるという自然の傾向を持った人は、バラ色の頬の人だけが健康であるというだろう。我々は、仲間の人間と、その人の中に「支配する意志」を同時に見るような方法で接するだろう。

 さて、図1に戻って、その中の、ある内側の円で表される、我々の肉体は、世界Aから、支配する意志の世界から取ってこられたものといっていい。一方、外側の円で表される我々のエーテル体は、「支配する叡智」の世界から、つまり世界Bから取ってこられた。なので、この図に示すように、我々の周囲に広がる「支配する叡智」の世界と、我々自身のエーテル体、そして我々の周囲に広がる「支配する意志」の世界と我々自身の肉体は結びつきを持っているのである。

 さて、日常生活において、人間はこのような関連について知ることはない。そのための力(霊力)が人間から取り上げられているからである。関連は常にそこに存在するのだが、人間は、それらに影響を及ぼすことができない。それはなぜなのか?

 実際問題として、我々の思考や、判断等、意見の形で展開するものは、それが何であれ、日常生活においては、我々の現実にとっては、それほど有害ではない。通常の日常生活の覚醒状態においては、善き神々によって、我々の思考が、我々の現実にあまり悪い影響を及ぼさないように配慮されている。

 善き神々が、我々人間から、肉体やエーテル体に行使するような有害な思考力を取り上げてくれる。もし、有害な思考を取り上げ無ければ、我々人間にとっては、非常に深刻な事になっていただろう。

 再度、強調すると、もし、神の思考が真実の世界で意味するものを、人間の思考が人間世界で意味していたなら、人は思考において、間違いを犯すたびに、微小な死のプロセスを自らの内に呼び出していただろう。そして、人間の体は少しずつ干からびていっただろう。



 人間の魂から、エーテル体や肉体に働きかける力を取り上げたのは、善き神々なのである。しかし、常に取り上げるわけにはいかない。何故なら、もし、人間が、魂から、肉体やエーテル体に一切影響を及ぼせなければ、肉体やエーテル体の中の力は直ぐに尽きてしまうからである。そうなれば、人間の命は非常に短いものになってしまうだろう!





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Last updated  2008年03月11日 19時23分25秒
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