シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年07月01日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 内的存在の魂が、外界において見い出されるようなものとは極端に異なる性質を有しているという知識へと、神秘家が、自分を上昇させるとき、魂の核と世界の神的、精神的な地盤との調和を、自分の存在の内部で経験するが、そのため、それらを1つの統一体として表現する。

 今述べていることは単なる記述と見なすべきである。というのも、魂により最も親密な関心事として手渡されてきた個々の神秘的経験という形によらなければ、神秘家が明らかにする記述を、現代的な意味で再構成することは不可能だからである。

 だから、神秘家が語る奇妙な事柄を、自身の経験と比べてみることもできるが、もし自分で経験するのではなく、他の人が個人的に経験した事に関する記述に頼らなければならないなら、外面的な批判をすることはできない。

 けれども、神秘家が歩む道についての、はっきりとした像を今回の連続講義の基本的な立場から構成できる。それは本質的に内的生活へと入っていく道であり、人間の進化(発達)の歴史が示す処によると、人間の精神が、その啓発へと向かう探求の中で取る道の1つである。

 どれが正しい道であるかについては様々な意見があるが、もし、「神秘主義とは何か?」という問いに、はっきりとした答えを与えるなら、別の探求の道の上にも、何らかの光を当てなければならない。

 神秘家の歩む道は、彼を統一へと、すなわち1つの神的、精神的存在へと導く。神秘家が、この事を行うのは、自我によって魂経験の統一を与える内的存在へと導く道に従うことによる。

 もう1つの道は人間の精神が、外界のヴェールを貫いて存在の根底に至ろうとするとき、常に取られてきた道である。

 その道においては、特に人間の思考が、その他の多くのものと合同し、感覚により知覚可能で、通常の知性によって把握可能なものを貫いて、表面的な事物の背後に横たわるものへの、より深い理解へと到達しようとしてきた。そのような道は、神秘主義の目標とは対照的に、必然的に、どこへと導くのだろうか?

 その道は、妥当な全ての関連を考慮するなら、多種多様な外界の現象からみて、精神的な根底にも同様の多様性が存在すべきであるという結論に導く。近代において、このような思考方法に従った、ライプニッツやハーバートのような人たちは、豊かな外界の現象を、その根底に横たわっている、いかなる種類の統一性によっても説明できないということを見てきた。



 こうして、17、8世紀における偉大な思索家であるライプニッツは、自らに次のように言った。

「我々が時空の中で出会うものを見て、その全てが1つの統一体から湧き出してくると信じるなら、我々は道に迷う。それは共同して働く、多くのユニット(単子)に由来しているに違いない。そして、この単子の相互作用、つまり単子、もしくは精神的存在の世界が、人間の感覚によって知覚される現象を引き起こす」、と。

 この事について、今日では詳しく述べることはできないが、精神的発達(進化)の深い探求が示すのは、外に向かう道を取りながら統一性を求める人は、誰でも幻覚を免れないということである。

 つまり、彼らは神秘主義において、内的に経験された統一性を一種の影のように外に向かって投影し、この統一性が外的世界の基礎であり、思考によって理解可能なものであると信じた。

 けれども、健全な思考であれば、外界には、いかなる統一性も見い出されることはなく、その多種多様性は様々の存在、もしくは単子相互の働きから生じるということに気づく。神秘主義は統一へと導くが、それは自我が、魂の唯一の中心として、我々人間の内的存在の中で働くからである。

 外界を通る道は、必然的に多様性、多元性、単子論に、すなわち世界についての人間の知識が、器官や観察の多様性を通して達成される一方で、多くの精神的存在たちが、我々の世界を生じさせるために、共に働いているという観点に導く。

 さて、思考の歴史において、遥かに重要性を持っているにも関わらず、あまりにも僅かな注目しか集めていない地点へとやって来た。神秘主義は統一へと導く。けれども、世界の神的基礎を1つの統一体として認識するのは自我の本性、つまり魂の内的な構成に由来する。神秘家が神的、精神的存在を見上げるときには、自我がその統一の印を与える。

 外界についての考察は単子の多様性へと導くが、それは、我々が世界を観察し、世界が我々に遭遇する、その方法が多様性へと導き、そして、ライプニッツやハーバートをして世界の基礎としての多様性を仮定させるように促したからに過ぎない。

 更なる深い探求において、統一性も多様性も世界の神的、精神的基盤に適用できるような概念ではないということを気づかせてくれる。何故なら、我々人間は、神的、精神的基盤を、統一性によっても、多様性によっても性格づけることができないからである。

「神的、精神的なものは、これらの概念を超越し、これらの概念によって推し量ることはできない」、と言わなければならない。

 哲学的論争の中で、しばしば相反するものとして示される一元論と多元論の間の争いに光を当てる原則の1つがこの事である。もし、言い争う人たちが、彼らの概念は、世界の神的基盤に近づくには不十分であるということに、気づきさえすれば、彼らは、何を論争しているかを正しい光の下に見るようになるだろう。



 だから、彼はその統一性を、客観的真実と見なすことにおいて正当化されることはないだろう。しかし、彼は本当に、精神の実体性が、その統一の中に生きるものとして経験すると言うことはできる。





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Last updated  2008年07月01日 19時02分35秒
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