シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年08月10日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、個々人がお互いに及ぼしあう印象についてはこれくらいにして、人々が周囲の環境から受け取る印象に移る。また、ここでも、ポジティブ、ネガティブという文脈の中で、重要な結果が得られる。

 例えば、ある特定のテーマについて、非常に実り多い働きを行い、それに関連する多数の事実を集積した探求者について考えてみる。この事で、彼は人類にとって何か有益なことを成し遂げた。今、彼がこれらの事実を、受けてきた教育やそれまでの人生から得られた考え、或いは、その事実に関する非常に一面的な見方を提示するような、ある特定の理論や哲学的な観点から得られた考えに、その事実を結びつける場合を想像してみる。

 彼がその事実から推量した概念や考えは、自身の内省的思考の結果なので、魂に対して健全な影響を及ぼす。何故なら、彼は、自身の哲学を苦心して作り上げることにより、彼の魂にポジティブな感情を吹き込んでいるからである。しかし、今、彼の追従者がいることを想像してみる。彼らはその事実について自分でよく調べたのではなく、その事について聞いたり読んだりしただけの人たちである。

 追従者たちは、その探求者が、研究室での仕事や勉強によって、自身の中に引き起こした感情に欠ける。そして、追従者たちの気分は完全にネガティブなものだろう。こうして、全く同じ教義が、たとえ、それが一面的であるにしても、その一団の指導者を、彼の魂においてポジティブにする一方で、単にその教義を繰り返すために、そこに群れ集まった追従者たちに対しては、不健全でネガティブな影響を及ぼし、追従者たち(の魂)を益々弱めるだろう。

 この事は何か人類の文化史全体を通して流れているものである。今日でも、完全に唯物的な世界観をもった人たちが、そして、彼らは自身の発見に基づいて、その世界観を発展させようと精力的に働いているが、生き生きとして、ポジティブな性格で、人との出会いが楽しみであるような人たちであるのが分かる。

 しかし、彼らの追従者達の場合、同じ基本的な考えを頭に入れて持ち運んでいるとはいっても、自身の努力によって、それらを獲得したわけではない為に、それらの考えには不健康で、ネガティブで、弱体化させるような効果がある。

 このように、人間が、自身で哲学上の観点を達成するか、或いは単純に、他の人から取り入れるかでは大きな違いがある。前者はポジティブな性質を、後者はネガティブな性質を獲得する。

 このように、我々の世界に対する態度は、ポジティブにもネガティブにもすることができる、ということが分かる。

 例えば、自然に対する純粋に理論的なアプローチは、実際に、特に自分の目で見れる、あらゆるものを見落とすなら、その人をネガティブにするだろう。自然に関する理論的な認識は、存在すべきだが、この認識(動物、植物、鉱物の系統的な研究から得られ、自然法則として概念や思考形態の中に体現した認識)は、人間のネガティブな性質に働きかけ、このような思考の中に、人間を閉じこめる、という事実に対して盲目であってはならない。



 そのとき、人間の魂は、世界に関する理論的概念を通して受け入れる、いかなるものにも巻き込まれることはない。そのとき、人間は、他の人たちが、それを口述させるままにする。しかし、人間が自然の現象に快や不快を感じるとき、その魂全体は、その事に生き生きと関わる。自然の真実が自我に左右されることはないが、人間を喜ばし、不愉快にするものは違う。何故なら、人間が自然に対し、どのように反応するかは、自我の性格にかかっているからである。

 このようなことから、次のように言える。

 「自然への生き生きとした参加はポジティブな性質を、自然の理論化はネガティブな性質を発達させる」、と。

 ただ、この事は、繰り返しになるが、一連の自然現象を最初に分析する研究者が、その発見を受け入れ、その発見等から学ぶ人よりも、遥かにポジティブであるという事実によって修正されなければならない。

 このような発見者とその追随者との違いは、教育の幅広い分野において注意を払うべきものである。この事に関連し、いま述べてきたような事柄に関する意識が存在していた場(古代)では、人間の魂のネガティブな性格が、ネガティブであるように養成されることは決してなかった、という事実がある。

 プラトンは、彼の哲学のための学院への入り口に、何故、「幾何の知識をもつ者だけが入ることを許される。」という言葉を刻んでいたのか?

 それは幾何と数学が、他の権威によっては受け入れることのできないものだからである。自身の内なる努力により、幾何をやり通さなければならず、ただ、魂のポジティブな活動によってのみ、幾何を修得できる。

 (幾何学、数学に関しては、権威主義の入る余地が最も少ない。数学ができるかできないかは、教えられた知識とはあまり関係がなく、自らで発見した知識による。)

 今日、この事に注意が払われていたなら、周囲を五月蝿く飛び回る哲学大系の多くは存在していなかっただろう。というのも、幾何学のような思考体系が打ち立てられるには、非常に多くのポジティブな働きがつぎ込まれたということに気づく人は、人間精神の創造的活動に対して敬意を払うということを学ぶからである。

 ところが、例えば、ヘッケルの著書「世界の謎」を、それがどれほど苦心して作り出されたものかに思いを馳せることなく、読む人は、全く容易に新しい世界観へと至るが、魂の純粋にネガティブな状態から、知識を獲得することになる。

 (主体的な知識獲得、或いは独自の発見がなければ、魂の向上には役に立たない。やらされるか、試験の為の勉強が、身に付かないのと同じことなのであろう。なぜなら、魂のなかに、発見に対する喜びがないからである。)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008年08月13日 11時39分30秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: