シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年12月11日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
 更に、過度の骨化、硬化症が、別の組織で癌腫形成を及ぼす事実とは別の事も、同様に観察できる。

 幼年期に、水頭症、脳水腫のなかに出現する力も、この事と同様に観察できる。本来、人間は皆、水頭症の素質をもち、水頭症は必然の存在である。もし水頭症が存在しなければ、脳と神経組織の正常な形成ができない。

 というのも、脳と神経組織は、人間のなかの液体的要素から引き出される存在だからである。従って、幼年期には常に、水頭症と、水頭症を克服する力、水頭症を抑える為に人間の生体組織のなかに現われる作用との間の闘いが見られる。

 実際、水頭症についてだけ語るのではなく、その反対、つまり脳水が減少し過ぎる症状についても話さなくてはならない。この脳水減少の病気は、もしかすると、ほとんど考慮されていないかもしれないが(脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群))、実際考慮すべき、水頭症の対極にある病気である。

 幼児期は、実際、水頭症と、後に起こる、その反対物(脳脊髄液減少症)という、この両極端の間を、常に一方から他方へと揺れ動く。

 さてしかし(臨床上の事に関しては今後更に詳しく入っていく)、このような事実に関して、見落としが起こる可能性もある。つまり、水頭症が、いわば完全に完了する大凡の時期、いわば水頭症が常に存在する正しい時期を見落とし、水頭症への傾向が、教育や、食餌療法により、幼児期に、特に乳児期の治療行為全般によって、あまりに早く取り除かれてしまい、つまり水頭症を、あまりに早く消滅させてしまうような事態が起こり得る。

 水頭症の早期消失を誘導した場合、特に、人間の生の経過(プロセス)全体を見ないことに対する害悪が現われてくる。何故なら、ここでも、また指摘すべき事だが、このような幼児期の水頭症の経過(プロセス)と、梅毒との関係を、もし、後に現われる梅毒になりやすい素質の探究から、探るなら、医学の博士論文を多数提供することも可能だからである。

 この梅毒の場合、微生物を追求することでは、実際、何も得るものはない。いま述べたような事柄を考慮するときだけ、実際、得られる。

 梅毒の予防の為に究めて多くを成せるのは、後になって様々な梅毒の症状のなかに(更に様々な症状がある)出現する可能性に対して、子供の頃に、いわば機敏な対処を試みる場合だろう。



「生体組織のプロセス全体が心臓へと移動するということで、上部人間におけるプロセスも心臓に向かい、下部人間におけるプロセスも下から下腹部を経て、やはり心臓に向かうと言えることである。本来の滞留器官としての心臓に向かって、人間の形成全体が、(上方)からと、もう一方(下方)からも押し寄せていく」 ということである。

 しかし、このような移動は、様々な年齢に生じる症状に肉薄すれば、つまり、特に少年少女期に現われてくる症状、いわゆる、少年少女期における肺炎、或いは胸膜炎に通じる関連疾患全般に出現する症状を見る目を習得し、このような出来事に関与する全てを総合すれば、この肺炎、或いは胸膜炎は、(水頭症が)進行したプロセスであり、まだ比較的早い幼児期に、水頭症として、行われるプロセスと同じプロセスであることがわかる。

 (幼児期の水頭症が、心臓へと移り、少年少女期の肺炎、胸膜炎となる。)

 端的に言って、水頭症が、人間の生体組織を一段下へとずらし、その際、肺炎、或いは胸膜炎的症状になりやすい素質を形成する。少年少女期の肺炎、胸膜炎は、幼児期での水頭症の症状関連になりやすい素質でもある。

 しかし、幼児期における、このような症状の場合でも、これらの症状が後の年齢になって、その反対のプロセスを辿る、つまり、これらの症状は、実際、後になって再度現われるが、今度はその対極のなかに出現することになる。

 そして、次のような問いを立てる人は、例えば、急性も含めた心内膜炎全般に対して、以上の事実からの見解で処置できるだろう。

 その人が、 「患者としての病歴において、肺炎、或いは胸膜炎と関連する病状が、以前の年齢に、どのように現われたのか、知りたい。」 と問う場合である。

 心内膜炎は、結局、子供のとき(14歳前後)に、肺炎や胸膜炎の症状が、早められたり、或いは、あまりに急速に除去されなかったという判明に帰着する。当然、両親や教育者は、これらの症状を、出来るだけ、急いで後退させようと切に望む。

 しかし、人間の、このような状態の場合こそ、これらの症状を、それ自身の運命に委ね、ある有害な作用を生じさせる可能性のある事柄を避ける為に、医師として、その場に居て、病気を、実際にそのまま自然に経過させる事が、究めて重要である。



「一種の自然治癒(療法)、今日、いかに呼ばれているにせよ、自然治癒(療法)を適用する事、すなわち、病気のプロセスに出来るだけ正常な経過を辿らせる事、病気のプロセスを早めたり、あまりに早く短縮させたりしないことが必要である(自然治癒力に委ねること)。」

 この事が重要なのはつまり、病気のプロセスがあまりに早く短縮されると、比較的すぐ、心臓疾患及び、それに関連する全てに罹り易い素質、とりわけ、多発性関節炎他に罹り易い素質を招いてしまうからである。

 従って、特に注意を払うべき事項は、このような領域においては、病気のプロセスを、いわば妨げない、ということである。いわば胸膜炎と肺炎が欲するプロセスを妨げなかったら、後に、心臓の不規則性のなかに放出される、あらゆる疾患の素質が取り除かれる人もいるだろう。

 あらゆるもののなかに、人間の生成プロセス全体の内部に存在している、このような(継続的)関連を見ることができる。このとき、実際次のようなことも思い起こすことができる。

 つまり、 「患者の病気が本当に深刻な状態の極端な場合だけを見るのではなく、病気が比較的軽い場合、つまり、治療も比較的容易で、治療の有無を、明白に区別できない場合もあり、患者に向かい、『あなたが大袈裟に、過度に癒し(病気の除去)を望まなければ、事態はもっと良くなりますよ』と言うような場合にも目を向けなければならない。」



「始終病気に罹るような人物も人生では珍しくない」、ということで、つまり、当人自身の言葉によれば、実際、あらゆる可能な病気を体験し、あらゆる治療法も薬も体験したので、高齢に達したときにはもう(いずれにせよ、このような人物は常に病気である)、健康という状態を、自ら再び見つけ出すのが困難な人物も珍しくない。」

 (若いときから、病気だといっては、早期に取り除いてしまうので、高齢になるにつれ、深刻な慢性的な疾患に罹ってしまう。正常に近い疾患状態が、正常に経過しないため、高齢になるにつれ、正常から程遠い疾患、複雑な病気に罹ってしまうことをいう。)

 このような人たちには、次のような意識を少々呼び起こす必要がある。

「元々、大抵の人は、実際に、当人が信じているほど、病んではいない」 、という意識である。当然、この事は、影の面も持っている。しかし、このような場合、 「本来、それ(若いうちの未病のようなもの)は病気ではない」 と言われてもしかたないだろう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008年12月11日 22時03分56秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: