シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2009年05月27日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 「怖いと思うから怖い」という言葉には真実が隠されているように思える。

 恐怖心ほど、人間の心を縛るものはないだろう。

 死や老い等、お釈迦さまが、遥か昔に、四苦八苦で表現されている通りである。

 お釈迦さまの教えは、八正道で示されているが、私は、単純に、恐怖心を捨てなさいといっているように思える。

 恐怖心を捨てよ、とは、言葉では言い易いが行い難い最たるものである。

 では、生物が恐怖心を捨てるときどうするか?

 例えば、外敵に出くわすと、カメは甲羅に隠れるし、カメレオンは、環境に同化し、存在を隠し、死んだ振りをする生物もいる。

 共通することは、息を殺す。つまり、呼吸を潜めて、隠すことである。

 この生物の営みのなかに、恐怖心を捨てる極意があるのだろうか?



 心頭滅却とは、心と頭を無くすことだから、心と頭をつなぐ呼吸を無くすと考えると、語呂が合う。

 つまり、呼吸を無くすと、火が涼しい、つまり恐怖心が快楽にも変わるのだろうか?

 考えてみると、人間には、進んで恐怖心やスリルを味わおうとする冒険心もある。

 バンジージャンプをしたり、ジェットコースターに乗ったり、安全が保障されているといっても、なかには派手なスタントを試みる人もいる。

 考えてみれば、人生そのものが派手なスタントやバンジージャンプといえるものかもしれない。

 子供のころに、必ず誰しもが、肝試しという遊びをやっただろう。肝試しをやる前は恐怖心だけが起こるが、終わると、なんだか、安心感が訪れ、かえって爽快感さえ沸くものである。

 ダイアンフォーチュンの著書には、お化け屋敷に暮らしても、全く驚きもしない鈍感な人もいるというが、そのような人こそ、肝が据わっているといえるのかもしれない。

 スウェーデンボルグも、はじめは悪霊たちの振る舞いに驚いていたが、それにも慣れると、かえって相手にするのも馬鹿馬鹿しいものだいうようなことを言っている。

 怖がるから、脅かすのであり、相手にしなければ、よいのだろう。

 同じようなことを、漫才コンビのハンニャが、高校時代のいじめの出来事で言っていた。周囲の物体や、環境と同じような、無反応、無表情でいると、相手はいじめをしなくなるらしい。



 当時、同時に、左から右に受け流す、というのも流行った。そして、同時にKYという言葉も流行した。

 KY、つまり空気が読めないから、浮いてしまうわけで、空気が読め、自分も空気の振りでいると、左から右に受け流すことができるだろう。

 しかし、呼吸をしないと人間は死んでしまうわけで、いわば、呼吸をしたままで、死んだ振りを演じるわけだが、死んだ振りをするには、自分の気配を消すわけだから、自分をよく知らないといけないわけである。

 技術的にいえば、自分の固有振動数を知っていて、その振動数を打ち消すように働かせるわけである。

 しかし、固有振動数を消してしまうと、少なくとも物質ではなくなるので、生物はどうしているかというと、より大きな組織体にみせるようにするわけである。つまり、スケール変換を行うのである。



 計るとはスケールの問題だから、スケールが大きいものに、小さいものは歯向かうことはできない。

 キリストが、悪魔に挑発されたとき、主なる神を信じろといったように。悪魔だって、神から生まれたわけで、主である神の方が大きいわけである。

 キリストにとっては、私は神の命令だもんね。あんたは勝手に背いているんだから、私の方が大きいわけだよ。そんな小さいことはおやめなさいって、あんたも仲間に入りなさいよ、といっているわけですよ。

 さて、では人間はどうするか、自然や自然法則と一体化するのが、その極意なのだろう。精神に関して言えば、最も普遍的な道徳心であろう。

 自然の大きな意志や、自然の流れに逆らうことなく、精神の道の流れ、その流れに身を委ねるのが最もよいのである。老子のタオ(道)であろう。

 簡単にいえば、僕が僕であるために、生き続けなきゃならない♪~by尾崎豊になってしまう。

 そう、自分の人生に身を委ねるしかないのである。誰かの人生でもなく、自分の、自分のために予定されている未来の人生、具体的出来事に、身を委ねるしかないのである。

 要するに自主的な諦めの境地に他ならない。

 恐怖心の克服は、いかに苦しくとも、辛くとも、自分の人生を信じるしかないのである。なるべく生きて、自分の人生を大きな糧とするべきなのである。自分の世界を広げるしかない。

 自分の人生を信じる者は、自分によって救われる。

 自分でない、誰かであろうとするから、恐怖心が持ち上がるのであろう。

 自分で自分の体を持ち上げるしかない。自分を信じられないから、誰かに頼ろうとする。すると、その誰かがいないと、自分は存在しないという恐怖心に襲われるのである。

 一つだけ、確かなことは、自分の人生は、いま自分自身で選択しているということである。それに恐怖しても、怒っても、自業自得というものだろう。誰のせいでもなく、自分のせいなのだから。

 神様からいえば、お前が選んだんだから、文句をいうな、だろうね。

 しかし、人間はいつも、こんなはずじゃなかったといって、自分の見込み違い、無知さを呪ってしまうのである。

 本当は、呪うのではなく、自分の選択した通りなのだから、叶えてくれて、感謝すべきなんだろうね。





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Last updated  2009年05月28日 01時08分00秒
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