シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2009年11月18日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 これまで述べてきた秘教学的な記号や象徴を解説する際には、記号や象徴の意味や意義を、知性に浸透させるだけでなく、感情や心情と親密になるようにするのがよい。

 秘教学では、様々な記号や象徴が使用されるが、その記号や象徴の解釈の為に、世間では、機知と思弁が多大に費やされているが、このような機知や思弁の多くが不適切で、機知や思弁では、秘教学的な記号や象徴の真の意味に近づく力が全くないことがわかる。

 秘教学徒にとって、一般的な手引き書や著作で言及されるような解釈が、記号や象徴の意味では全くなく、通常ほとんど予期しない処に、非常によく秘教的な記号や象徴の意味が見つけられる。やはり、民族に根ざした神話や伝説の中に、深い秘密をもった秘教的真理が隠されている。

 このような神話や伝説を解釈する際、通常犯される過ちを、端的に言えば、機知や思弁を多大に費やしているところにある。あまりにも分別的、理性的に、深い意味を追求し過ぎている。

 このような主題を汲み尽くすことはできず、警句的に扱えるだけだが、それでも高次の世界、つまりアストラル界や神界、もしくは霊界に対する、秘教学的な記号や象徴の関係について、イメージを形成できるように、記述できる。

 日常の言語においても、何か高次の存在を解釈するとき、非常によく特定の具象的な比喩が用いられる。例えば、ある認識や洞察に、比喩を用いようとする時、「光」、もしくは「認識の光」という言い方を用いる。このような簡略化した言語表現の背後に、時折、何か途方もなく深い存在が潜んでいる。

 このような簡略化した表現を用いる人間は、その起源を全く意識せずに、例えば、光という比喩がどの様に認識や洞察と関係するのか、というような考えを全くもっていない。今日の詩人が比喩を用いるように、このような表現を比喩とみなしている。

 しかし、もし秘教学においても、このような比喩的表現を想定するなら、全く道を誤ることになる。事実は更にもっと意味深いからである。

 今日の言語において、象徴的、或いは比喩的、またはアレゴリー(寓意)という表現で示されている、多くの解釈は、間違った道に導くもので、ある記号は恣意的に選ばれたという風に安易に考えられている(例えば、ヨハネの黙示録の666が、ローマ皇帝のネロの象徴という解釈)。



 しかし、世間では、インチキ自称学者が思うにまかせ、蔓延り、ここでシュタイナーが述べているように、機知や思弁が駆使されるわけである。新興宗教と同じ構図ともいえる。

 また、真の占い師は占わないともいえる。占う時点で、当たり外れが生じるから、偽者なのである。真の占い師は、努力で解決できないことはないことを知っている。その努力が、全体の為になるのなら、神のためにもなり、神が支援しないはずがない。)

 秘教学において、記号は決して恣意的に選ばれることはなく、秘教学においては、ある記号がある事柄に用いられるとき、常に必ず深い関連がそこに見つけられる。

 けれども、人間が神秘学の観点から見て、自らの環境に対してどのように位置づけられているかについて、少し立ち入ってみければ、神秘学の記号や形象と高次の世界とのこのような関連について真に明確にすることはできないという。神秘学、或いは神秘学の基礎的な部分が、いつかより深い意味で、世にその使命を果たすときには、人間の生活と文化のあらゆる支脈が、神秘学の真理と衝動に貫かれるようになった時には、人間の感情、感覚生活全体、過度な排泄行為への位置づけ全体が本質的に変化しているという。

 今日の人間の、外界に対する姿勢を示すなら、この数世紀以来、人間は一層益々、外界に対して非常に抽象的で、合理的、もしくは唯物的な関係をつくりあげてきた。今日、野原を歩く人間は、春、夏、秋という季節の相違に関わらず、大抵、眼の前に出現する事象そのもの、いわゆる感覚のみが受容できる印象、つまり、感覚知覚から、知性が結合統合できる存在だけを見ている(要するに事象の表面だけしかみていない)。

 例えば、その人間に、美術的な才能、もしくは何か詩的な感受性があれば、自然から受ける知覚や感覚を、感情で満たし、ある自然の出来事に対しては、悲しみや苦しみを、また別の出来事には、高揚感や喜び、また楽しみを感ずるだろう。

 しかし、今日の人間の場合、無味乾燥な感覚的な知覚が、詩的で、芸術的な感情に転ずるときでも、本来、秘教学においては、理性や知性、いわゆる頭脳だけでなく、魂と心にも与えられる必要があるとされる栄養分の切れ端(端緒)にすぎないものしか受容できなくなった。

 (現代人は、益々、事象の表面しかみなくなり、真実や真相を掴む能力が衰えてきた)

 秘教学の基礎事項が、物質界、アストラル界、神界のあらゆる出来事の哲学的な要約を与えるだけでなく、自ら、魂に深く親和的になり、魂が前とは違った様を受け入れ、感じ、学ぼうとするようになれば、人生における重要な要因(切欠)となる。

 特に明確にすべきことは、秘教学を通じて、強調してきた事実が、益々現実に生じてくることにある。つまり、人類が、感覚で捉えている外界に、啓示(表現)される事物の背後に、魂的、霊的な存在が自らを表す顔貌、身ぶり、表情を見てとれるようになる。地球の外界で生じている出来事や、星々の運動の中にも、霊的、魂的な存在の表現を見つけることを学んでいく。

 例えば、ある人間の手の動作や眼差しの中に、魂的存在が見つけられるように、外界の自然や宇宙のなかに、魂的な存在を見つけられるようになる。このようにして、人間は、例えば晴れていく大気中の、空気、水、土に浸透している様々な霊的存在の内的な経過による外界への啓示(顕現)を見つけることを学んでいく。





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Last updated  2009年11月18日 16時58分27秒
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