シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2009年11月20日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 人間の周囲の自然の内部に、動物の集合自我の啓示(顕現)をどのように感じとるべきか?を深く知ろうとするなら、周囲の全てが、霊的な秘密に溢れ、様々な霊的存在の啓示(顕現)であることを知る必要がある。霊能力を身に着けていない人間は、勿論、アストラル界での「散歩」を行うことはできない。

 アストラル界では、この地球上で物質的な人間-自我に出会うように、そこに住む動物の集合自我と出会う。

 しかし、霊視をできない人間でも、この集合自我の行為や作用を、物質界で知覚できる。毎年、秋が近づくと、鳥たちが北東から南西の暖かい地方へ向かって飛翔し、夏が近づくと再び全く決まった進路を通って帰ってくるのが認められ、各々の鳥の属に対してその進路の1つ1つを高度と方角に従って比較してみると、その飛翔行為全ての中に、深い叡智が存在することを予感できる。

 この全体を導いているのが動物の集合自我である。様々な動物の種が、地球上で行う全ては、動物の集合自我の行為であり、作用である。動物の集合自我の行為を追求すると、本質的に、動物の集合自我は地球の周囲に広がり、地球の周囲で力となって展開していることがわかる。このような多種多様な力が、様々にうねり、直線や曲線の蛇行線をなして、地球を取り巻いている。

 このような力を、地球のなかの作用や顕現(啓示)の中に見ることができる。人間がこのような顕現(啓示)を実感すると、霊視したとき、動物の集合自我へと導くものを予感できる。このように、動物界で生じている叡智に満ちた事実へと参入する全てを学ぶことができる。動物の属や種の行為は、動物の集合自我の行為の片鱗を垣間みせてくれる。

 植物界では事情は異なる。植物界にも(動物界と同様な)一連の自我が現れてくる。この植物界に現れる自我は動物界のものよりもずっと少数で、その数は限られ、植物のグループ全体が1つの共通の自我に属し、この集合自我を探すなら、動物界の集合自我よりも、もっと高次の世界に至る。

 動物の集合自我がアストラル界にあり、地球を取り巻き流れるアストラル界の中で生きているのに対し、植物の集合自我は低次神界の色界と呼ばれている場所に見つけられる。その神界では、これらの植物の集合自我は完結した個性として生きている。物質界での人間のように、そこでは植物の集合-自我が逍遥している。物質体をもっていない他の存在たちと共に植物の集合-自我は低次神界に住んでいる。

 植物の集合自我を知覚する術を得るには、知覚自体を、霊視能力の発達と結びつけ、低次レベルから高次レベルへと進める必要がある。そもそも、この能力を獲得するために、最初に発達させるべきことは、物事に対する感情と感受性である。実際、霊視能力は、常に第一に感情と感受性の養成に基づいているが、ただし、浅薄な利己的な感情ではなく、深く敬虔的な感情である。

 植物を観照すると、植物がその根を地中に生育させ、茎を上方へ伸ばし、葉を上へ向けて広げ、次第に萼葉、花冠へと形を変え、その内部で実を結ぶというプロセスが思い浮かぶ。植物の構造を、人間と比較すると、人間の頭部を植物の花冠と、人間の足を植物の根と同じにみなすことはできない。



人間の頭部→植物の根 人間の下腹部→植物の花冠

 (人智学では、植物と人間は逆の形になる。それは太古、太陽と地球が一体だった古太陽紀に、人間は植物状態で、日光を取り入れるために、頭を太陽に向けていたので、現在の植物の根のように、当時の太陽のある地中に頭を向けていたという。

 やがて、古月紀に、太陽と地球が分離すると、人間は動物の存在となり、人間から植物が新たに分かれ地球に誕生し、人間は頭を太陽、つまり天に向けるようになったという。)


 植物が根を地球の中心に向けているように、人間は頭を宇宙(天)へ向けている。そして、植物がその花と実を控えめに太陽に向けているように、人間は生殖器官を控えめに恥じらいつつ、植物が根を向けている方向、つまり下部へと向けている。

 従って、秘教学では、「人間は逆立ちした植物である」と言われる。植物は、逆立ちした人間のように見える。動物はこの両者の中間にいる存在として表記される。

 通常、植物と呼ばれる存在の中には、植物の物質体とエーテル体があるだけだが、本来、植物もアストラル体と自我をもち、以前に植物の集合-自我が低次神界にあると言ったのは、一般的な定義で、植物のアストラル体と自我が、実際は、どこにあるのかを正確に示すなら、植物のアストラル体、この地球上にあり、全植物のアストラル体は、地球のアストラル体と同じものである。

 つまり、植物は地球のアストラル体の中に浸されていて、地球を元にした場所からいえば、植物の自我は地球の中心にあることになる。このような秘教学的観点から、地球を1つの大いなる有機体として、アストラル体をもつ生きた存在として捉えることができる。そして、この地球上にある個々の植物はその一部である。

 (シュタイナーは植物をよく人間の髪の毛に喩えることがある。植物の不毛地帯は、人間でいえば、禿頭になる。)

 植物は、個々に独立した存在としては、物質体とエーテル体だけを養成し、個々の植物、例えばユリやチューリップ等の一本一本は意識をもたない。その代わり、地球が植物の意識、つまりアストラル体や自我を担っている。

 だが、地球の中心には植物の自我だけが存在するのではなく、まだその他に別の霊的存在がいる。けれども、その存在たち全てに、特に個別的な場所があるのかという問いは無意味で、それらの自我たちは混じり合い、非常に仲良く暮らしている。このように個々の植物を観察すると、植物には物質体としての特性が認められるが、個々の存在としての意識があるとはいえない。

 植物は全体として意識を持ち、その意識は地球の意識と結びつき、地球の意識の一部である。人間が喜びと悲しみを感じ、仲間と互いに浸透させあう意識をもっているように、植物の個々のアストラル体が地球のアストラル体に浸透し、植物の自我は地球の中心点を貫いている。生きている植物は、動物の有機体組織の中で、成長の糧であるミルクが占めるのと同じ立場を、この地球の有機体組織の中に占めている。



 地面から生えている植物の一部を途中から切り離しても、個々に生きる生命体ではないので、地球は快さを感じるが、植物を根から引き抜くと、地球(自我)にとっては、動物の肉を切り取るのと同じように、地球は一種の痛みを感じる。

 (人間の髪の毛と同じと考えたらよい。髪の毛を切っても、痛くはなく、一種、爽快感があり、また生えるが、毛根から引き抜くと、痛い思いをし、生えてこなくなる。)





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Last updated  2009年11月20日 16時54分46秒
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