シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2009年12月28日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、人智学徒が知っているのは「太陽」から「月」への移行に際して、「空気」の状態が「水」の状態に濃縮した、ということである。

 「水」が最初に存在するようになったのは「月」上であり「太陽」紀には「水」はなかった。古「太陽」進化紀の間に集積する雲の塊の中に見える存在が圧縮されるに従い「水」となり、「月」進化紀の間に「月」の海として現れた。

 この事実を考慮するとき、ここに提示される疑問を解くことができる。「水」は「諦め」から生じる。実際、水は「諦め」そのものである。このように、「水」とは本当は何なのか、という疑問に対して、非常に特別な精神的概念を獲得する。

 しかし、次のような問いが生まれる。この「諦め」をケルビムが達成しなかったら、生じた状態と、ケルビムに提供された「犠牲」から自由になったときに生じた状態との間には相違があるのではないか? と。

 この違いは何らかの方法で表現され、それは「諦め」の結果が「月」の状態の間に生じた、という事実により現される。

 もし、この「諦め」が生じなかったら、もし、「拒絶」するケルビムが、犠牲を受け取っていたら、ケルビムは、自身の実質の中に犠牲の煙をもつことになっただろう。つまり、犠牲の受容は犠牲の煙の中に表現されることになっただろう。

 もし、これらのケルビムが犠牲を受け取り、様々な行為を遂行することを仮定してみる。

 その時、その行為は、外的に表現すれば、自己変容する「空気」の雲を通して現れただろう。捧げられる実質を受け取ることで、ケルビムの行為は外的な「空気」の形態の中に表現されるだろう。しかし、ケルビムは捧げられる実質を拒絶し、そのことで、死ぬ運命から退き、「不死」の中に入っていった。

 ケルビムは、一時的な存在から退き、永遠の存在へと入っていった。犠牲の実質は拒絶され、まだそこに止まり、それを吸収する予定だった力から、いわば解放される。犠牲として捧げられる実質は、もはやケルビムの傾向や衝動に従う必要はない。何故なら、それらは、ケルビムによって解放され差し戻されたからである。



 また別の存在たちが独立できるようになる。

 これらの存在たちは、ケルビムの近くに見つけられるが、もし、ケルビムが犠牲の実質を受け取ったら、それらの存在たちは、ケルビムの指導下にあっただろう。けれども、拒絶されたその犠牲の実質は、もはやケルビムの内部にはなく、外に、独立した存在となっている。

 そのことで、「諦め」とは正反対のことが起こる可能性が生じる。つまり、別の存在が注ぎ出された「犠牲」の実質を自身へと引き寄せ、その内部で活動するようになる。これらは、以前指摘した、後に取り残された存在たち(ルシファー的存在)である。だから、後に取り残された存在はケルビムによる拒絶行為の結果で生まれる。

 後に取り残された存在たちを生み出したのはケルビムである。調和霊(ケルビム)はそのように「後に取り残される」可能性を生じさせた。

 この進化から遅れた存在たちが、ケルビムによる「犠牲の拒絶」を通して、諦めず、自身の欲望や望みに身を任せながら、その「犠牲」を表現へともたらし、供犠とその実質を自分のものにする可能性と、そして、進化に従う存在たちと並んで独立した存在になる可能性を得た。

 このように、「太陽」進化から「月」への移行に際して、ケルビムが不死になるとともに、ケルビムの永遠なる進化から、進化から遅れた存在たちが、自身の実質の中で、自身を分離する可能性を得て、実際、不死なる永遠の存在から自身を完全に引き離す可能性が生じた。

 後に取り残され、進化から遅れる深い理由を見つければ、ルシファー的存在たちを、後に引き止め、遅らせた責任は(もし、この原因の究極的な要因について語りたければ)、ルシファー的存在たち自身にはない、ということもまた理解できる。

 この真実は最も把握すべき重要な点である。もし、ケルビムが犠牲を受け取っていたら、ルシファー的な存在たちが後に取り残される可能性はなかった。何故なら、そもそも、ルシファー的存在たちが、この犠牲実質の中に体現するようになる機会がなかったからである。

 「諦め」こそ、ルシファー的な存在たちが独立するための前提条件だった。賢明なる宇宙の導きは神々自身が、その反対者を呼び出すように命じる。

 (賢明なる統治者は諫言をする重臣を近くに置く。徳川幕府では、諫言者が尊ばれたという。大久保彦左衛門が天下の御意見番として君臨したのも、この風習の御蔭ともいわれている。)

 もし、神々が自身から自由にならなかったら、ルシファー的存在たちが、敵対することは不可能だっただろう。



 自由な存在が創造されるためには、敵対者たちが全宇宙の中で神々に反抗し、時間に左右される事象の中で、敵対者らが抵抗する機会に遭遇する可能性が与えられなければならない、ということに神々は気づいていた。

 神々は、全てを支配する者が自身だけであったら、上記のような反対を見つけることが不可能である、ということを知っていた。もし、神々が全ての犠牲を受け入れていたら、事実は、非常に容易となったはずである(何故なら、その場合、全ての進化は、神々の思い通りになっていたはずだからだが)。

 しかし、神々は、その容易な選択をしないことに決めた。神々は、神々から自由な存在たち、反抗できる存在たちを望んだ。そのため、神々は犠牲全てを受け取らず、それによって存在たちが神々自身の「諦め」を通して、進化から遅れた存在たちがその犠牲を受け取るという事実を通して、神々の反対者になるように定めた。

 (ヘーゲルの正反合の弁証法でいえば、正が合になるために、反を求めたという感じにとれる。)

 だから、悪の起源は、いわゆる悪の存在たちの中ではなく、いわゆる善なる存在たちの中に、つまり、犠牲の拒絶によって、世界の中に悪をもたらせる存在たちを通じて悪が生じる可能性を初めて与えた存在たち(トローネの自己犠牲を拒絶したケルビム)の中に探さなければならない。





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Last updated  2010年01月07日 17時00分06秒
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