シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年07月22日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 鉱物の結晶構造が、高次世界への素晴らしい探求の鍵を与えるとき、秘儀参入者が経験するのは、上方から流れくだる宇宙的な植物のエネルギーとは対照的な、下方から流れあがる宇宙のエネルギーである。

 秘儀参入者は、至る所にエネルギーの流れや、それに対抗するエネルギーの流れ、或いはまたあらゆる方向から1点に向かう宇宙的なエネルギーの流れを見る。植物の場合、上から下へと向かう宇宙エネルギーに対する抵抗を提供するために、地球から植物として生えてくる。

 鉱物の場合、全宇宙からやって来る、宇宙エネルギーの流れの自由な相互作用によって創造されたことが分かる。鉱物-結晶世界の場合、植物とは違い、地球からは何も反射されない。全てのエネルギーが鉱物自身の要素のなかで反射される。

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 例えば、山の中で水晶を見つけたとすると、通常、それは垂直に立ち、その元の部分が岩の中に埋め込まれているだろう。水晶が岩の中に埋め込まれるのは、妨害的要素として働く、地球的な、アーリマン的な力の介入によって説明できる。

 実際、水晶は、(宇宙の)あらゆる方向からくる精神的な要素による圧力によって形成される。つまり、宇宙空間の中では、様々な反射から生じる結晶面の自由な相互作用による多様な結晶を見ることができる。

 全ての結晶面が完全な図形として形成された各々の結晶自身は、1つの小さな世界となる。

 さて、多数の結晶型、例えば、立方体、四面体、八面体、斜方晶系、十二面体、単斜晶系、三斜晶系等、実際に考え得るだけの、あらゆる種類の構造がある。

 結晶構造を検証するとき、宇宙エネルギーの流れがいかに1点に集中し、相互作用することで、例えば、先端が六角錘になった六角プリズム形の水晶、または立方体の形をした食塩の結晶、もしくは十二面体の形をした黄鉄鉱の結晶が形成されるかを記録できる。



 結晶構造
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E6%99%B6%E6%A7%8B%E9%80%A0

 (宇宙には、結晶の形の数に相応する数の力があるという。) 

 秘儀参入者は、例えば、食塩の結晶を見るとき、精神的な原則が宇宙の中で働いているのが分かる。食塩の結晶は全宇宙に浸透する精神的な現実の顕現であり、自身で1つの世界なのである。

 食塩
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E5%8C%96%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A0

 (食塩の結晶構造は、面心立方格子で、配位幾何構造は、八面体)

 プラトン立体
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100069765734

 また、十二面体を検証することで、宇宙には、空間に浸透する何かが存在している、ということ、すなわち、結晶とは、ある1つの世界全体が刻印され、顕現したものである、ということが分かる。

 色々な結晶構造をみることで、各々の結晶自身が1つの世界である無数の存在を、人間は見つめている。従って、地上の人間は、自身から、次のように結論づける。

「地球という領域は、多数の世界の活動が、集中する焦点である。」

 実に様々な存在の思考と行為が、地上における人間の思考と行為の中に映し出されている。数学的-空間的な結晶という形態の無限な多様性の表現の中に、多様な存在による活動の複合点が見つけられる。

 秘儀参入者は、結晶の中に神の存在を認識する。この宇宙の崇高な秘密が人間の魂を捉え、宇宙に対する尊敬や崇拝の感情として現れるほうが、理論的知識を、知識的基盤から人為的に集めることよりも遥かに重要である。

 人智学は、人間が、この「宇宙と1つである」という感情に導くものでなければならない。人智学を通して、神的な存在が織りなす働きを、どの結晶の中にも知覚できるようになるだろう。そうなれば、宇宙的な知識とその理解が人間の魂全体に溢れ始める。

 (人間は、幾何学を志向すべきであろう。幾何学を学ぶことで、宇宙の秘密を理解し、尊敬の感情をもつことが必要なのであろう。現代人に欠落している徳性といえる。

 人間のなかに、神性があるのに、それを活用せずに、つまり生きた知性を育成せずに、専門家といわれる死んだ知識を頼みに利用するのは、愚の骨頂といえる。依存心ばかりが膨らむだけである。



 人智学の使命とは、知的能力だけに訴えるのではなく、人間全体を照らし出し、人間が全体として宇宙に包含されている事実を示すと同時に、宇宙に対する尊敬と崇拝の念を、人間の中に呼び起こすことなのである。

 世界の中のいかなる対象やいかなる出来事にも、人間の心と魂から出る無私なる奉仕の精神が向けられるべきである。その無私の奉仕に対しては知識や理解という報償が与えられるだろう。

 秘儀参入者は、全てである宇宙と関わり、結晶-鉱物世界の顕現として個々の結晶を見るとき、満足感に満たされる。しかし、同時に、既に述べた恐怖と不安の状態が、即座に戻ってくる。

 秘儀参入者は、結晶の世界のなかの神的な秩序を見つける前、恐れに満たされていた。

 神的なインスピレーションを受容した世界を理解するとき、恐怖や不安の感情は消滅するが、しばらくすると、再度、不可思議な胸騒ぎが心を捉え、結晶の全形成過程は実体のないもので、ただ部分的支柱を提供するに過ぎない、という恐怖(猜疑)心が再起する。 

 例えば、既に述べた2種類の結晶、つまり食塩と、金属の結晶である黄鉄鉱を取り上げる。黄鉄鉱の結晶は、堅固な支柱を提供でき、耐久性があるような印象を与える。一方、食塩の結晶は、堅固な支柱に見えず、実体がないので、自らを支えるには、食塩の結晶を支柱とするのは不可能で、突き抜け、落下するように感じる。

 要するに、ある種の形態に関して、一度、秘儀参入者を捉えた恐怖、つまり、地球が無になり、深淵の上に吊り下げられているような恐怖は、最終的には克服されていなかったのである。

 この恐怖の感情は明白に道徳性を示唆している。この恐怖が舞い戻ってくるとき、自分が過去に犯した全ての罪ばかりでなく、これから犯す可能性のある罪にも気づかされることになる。

 この恐怖心は、秘儀参入者を引きずり下ろす、いわば鉛の錘として働き、鉱物の結晶が、今にも、自分を飲み込み、眼前に広がる深淵の中へと、投げ込むようなイメージを与える。

 秘儀参入者は、この時点で、更なる経験に備える準備が必要である。様々な経験の総和は、人間に勇気を持つことを要求している、ということが分かる。

 秘儀参入者は、勇気から、確信を持って次のように宣言する。

「私は堅固につなぎ止められている。私は自分が繋留されている場所から漂流しない。私という存在の重心は今や私自身の中にある。」

 人生全体を通して、結晶の世界に直面し、利己主義といういわば鉛の錘が(利己主義とは常に非道徳な罪だが)魂の上にのしかかる瞬間ほど、自信や道徳的な勇気が必要とされるときはない。

 そのとき、自分を吊り下げている、透明な無の空間が、恐ろしい警告を発する。

 そのときもし、しっかりと立ち、自信を保っているなら、次のように言うことができる。

「私の中には神の火がある。私は消えたりしない。何故なら、私は神性な本質に与(あずか)っているのだから。」

 もし、この発言が、単なる理論的な確信からではなく、具体的な経験によるのならば、秘儀参入者は自足し、自身の足で立つ勇気を持つ。そのとき、秘儀参入者は決意し、更に先に進むための準備を整えたことになる。





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Last updated  2010年07月29日 16時53分44秒
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