シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年08月02日
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カテゴリ: 神秘体験空間

秘儀における意識の変容による別世界への探求


 人間の様々な意識レベルに関係する、鉱物界の形態、実質、金属性に関して述べてきたが、ある金属まで意識を拡大する前に、人智学の立場を完全に明確にしておく必要がある。

 これまで述べたことから安易に想像されるのは、通常の覚醒意識とは異なる意識状態を引き起こす方法として、意識に関係する金属を、栄養摂取することを推奨していると思われることである。

 精神的な訓練や鍛錬により、精神的な洞察を達成する方法に関して議論するときに、次のような発言をよく耳にする。

 「別世界の事物や他の意識状態を知るのは大変結構だが、推奨されているような訓練の実行は、あまりに困難で、時間がかかりすぎる。」

 恐らく、このような発言をする人は、訓練を始め、しばらくすると、生活上の直接的な要求が介入し、自身に染み込んだ習慣を犠牲にしたくないので、次第に情熱を失い、訓練を何時の間にかやめてしまうのだろう。

 このような人が、何も達成できないのは当然である。精神的な訓練が、あまりにも無価値な退屈のものに思うのだろう。

 例えば、ある金属の性質が、高次の意識レベルに関係している、というようなことを聞くと安心する。死者との精神的な絆を保つために、銅を若干摂取すればよいなら、その方が容易で、銅の摂取から高レベルの意識を発達させることを考えるのである。



 このような事実を聞くと、どうして、金属摂取による古代の訓練を復活させないのか、と不思議に思うわけである。けれども、古代人の肉体的組織全体が、現代とは異なって構成されていた、という事実を見落としている。

 当時のいわゆる古代カルディア時代の人間は、現代のような知性(悟性)を欠いていた。今日のように自ずと考えが浮かぶのではなく、古代人は、インスピレーションを通して、考えがやってきた。

 (シュタイナーは、現代人は、悟性による概念思考で、古代人は、霊性によるイメージ思考と呼んで、分類している。仏教の説く、分別知と英知の違いと同じである。

 分別知は、基準となる概念を定義して、同じものと異なるものを区別する分類的で、抽象的なもので、英知は、概念による思考ではなく、全てが異なりながら、そっくりそのまま対象に同化でき、そのものになりきる包括的で、具体的なものである。知というよりも、情に近い。

 つまり同化というか、同情や共感で、いわば演技力にも近いようにみえる。シュタイナーは、英知は、中国人と古代日本人の知性に近いもので、例えば、遠近法を使わずに、光と影を書かない絵の描き方にあるという。

 幼児が描く絵は、イメージ思考によるものに近いのだろう。浮世絵や水墨画などは、遠近法がなく、光と影というよりも、琳派といわれる秩序と混沌を主題にしている。要するに物質空間の視覚ではなく、精神の心眼から描いているのである。)

 例えば、現代人が、赤い薔薇を、自分で創造し、みているのではなく、赤い薔薇のイメージを外界から受容してみえているという事実に気づいているのと同様に、古代人は、外界の対象物を通して、思考が伝達されている事実、つまり、思考が人間に吹き込まれ(インスパイアされ)ている、という事実に気づいていた。

 このことに関しては、古代人の肉体組織、特に血液の組成もが、現代とは異なって構成されていた、という事実の中に、その根拠を見つけることもできる。

 そのため、古代の秘儀参入者が、精神的訓練の遂行を助けるために、以前述べた金属を高度に効能化した形で、今日、ホメオパシーと呼ぶ処方に従って服用することができた。

 例えば、古代カルディア時代の人間が、高度に効能化された銅を処方された場合を想定する。服用前に(当時、よくやられたことだが)ある特別な精神的訓練を遂行するように指導された。高度に効能化された銅の摂取前、何日間というより、何年にもわたるトレーニングが要求されたのである。

 古代人の肉体的な構成が、現代人とは異なっていた為に、その訓練を通して、血流に乗って循環する、高度に効能化された銅が細かく分散し、秘儀参入者の上半身に及ぼす効果を前もって辿ることを学んだ。



 さて、古代人は肉体的な構成が異なっていた為に、自身の中で生起しているプロセスに対して、非常な感受性を持って反応できた。もし、今日、現代人が、高度に効能化された銅を、古代人と同条件下で服用しても、勿論、効果はあるが、喉頭への作用以上のものは生じないだろう。

 このように、当時の人間の肉体的な構成は、現代人のとは異なっていた、という事実の理解が重要である。そうすれば、古代では日常的に行われ、中世でもなお、よく行われた処方であっても、薬剤の服用により、別の意識状態を生じさせようなどとは思わなくなるだろう。

 現時点での唯一有効な方法は、以前述べた銅の(霊的)本性を、いわゆる本質的な霊的存在を、内(精神)的に感じ取り、その感性により、銅の磨かれた色や硫酸銅溶液中の銅の挙動に対する敏感な反応を発達させることなのである。このような反応に意識集中し、瞑想することで、この銅の精神的反応が正しく行われている事実を確認できる。

 (錬金術師というのは、金属の精神的本性に、意識集中できる者ともいえる。つまり、秘儀参入者のことでもある。古代では、現代人が普通にもつ覚醒意識、つまり金の意識をもたなかったので、金の意識に到達できる者は、高度な錬金術師でもあろう。

 古代当時は、金の意識をもてるものは少数で、しかも秘儀参入により獲得したものだけが、金の意識を元にした悟性を発揮でき、悟性による知識を習得できた。悟性による知識といえば、概念を基にした思考が挙げられる。



 古代人は、このような思考ではなく、例えば、地面を流れる細い水や太い水から、同じものという概念を確立せずに、そのままのイメージを認識し、記憶し、展開する、シュタイナー曰く「イメージ思考」を用いたようである。現代人でいうなら、さしずめスポーツ選手が行うイメージトレーニングに近いものといえる。

 話は逸れるが、プロ野球のかつての長嶋選手のような感覚派と野村選手のような理論派の違いともいえる。つまり、イメージ思考では、概念がないので、説明できない。ただ、きた球をバッと打つとしか擬音で表現するしかないわけで、感覚派は、イメージ思考といえる。概念思考は、概念で伝えることができるので、理論派になるわけである。

 イメージ思考と概念思考の違いからくる野球の打者の違いは、例えば、イメージ思考はストライクとかボール、或いはカウントとかに拘らず、自分が打てる球を打つ傾向にあり、概念思考は、逆に、ストライクとかボール、或いはカウント等を考えて打つ傾向にあることが考えられる。

 法律や国家は、概念思考の産物なので、古代人には、なかった。シュタイナーにいわせると、中国人と古代日本人は、古い民族の末裔だという。日本は欧米化してしまい、概念思考が強いが、中国はいまだにイメージ思考が強いように思える。

 イメージ思考とは、感情移入に近い。つまり、対象に感情移入し、思いやりを育てることなのである。日本人は、欧米化のために、この精神を忘れてしまったのは非常に残念である。

 欧米が宗教が必要なのは、元々、この意識に乏しいからで、日本人が「無宗教」といわれるのは、相手がどう思うか、相手ならどうなのか、というような感情移入からくる思いやりを大切にしてきたからである。

 日本は、「恥」の文化だと欧米人は評するが、恥ではなく、イメージ思考の文化だったからである「過去形」。)





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Last updated  2010年08月09日 10時33分19秒
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