シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年10月14日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 近年になって、神智学協会ではなく、自然科学の権威者により扱われてきた心霊分野、すなわち心霊探求の領域が開かれた。これらの自然科学者による心霊探求は、科学的背景から、限定的な潜在性の霊能力を持つ者たちを探求することで遂行され、精神世界の本性を確かめるために統計的手段や霊媒による実験を用いた。

 人間の魂が、別の存在により保有(憑依)されている間、通常の意識状態にはない、完全な無意識状態、もしくは減退した意識状態で、手足を動かしたり、電気信号に反応したりするときに、何が生じているのか、等について、客観的に探求しようとする試みが、あらゆる種類の団体で、様々の観点から行われた。

 上記の実験において、そのような方法で意識を減退させられた人々の反応が記録されてきた。

 (現代でも、似たような実験、つまり、霊能者といわれる人たちの脳の活性化等を調べているが、唯物論である限り、進歩はないだろう。実際、リラックスしたときに出るアルファ波という脳波が多く出る傾向にあるというような結果しかない。

 アルファ波は、覚醒意識と関係しているようで、秘儀参入法は、覚醒意識を促進することに基本があるから、アルファ波を促進することと唯物的には捉えられる。)

 この種の探求に熱心な人が、私(シュタイナー)に勧めたことは、内(精神)的な世界の現象を、客観的に探求するために、私(シュタイナー)と私(シュタイナー)の探求成果を、心霊実験の為に提供すべきである、という主張だった。

 これは、およそ、次のような発言と似た状況である。

 「私は数学のことはわからないので、数学者の言うことが本当かどうかを確かめるため、数学者を実験室に連れていこう。偉大な数学者かどうかを示す実験をやってみるのが一番だ!」

 いま、問題としている探求分野は、人間の内(精神)面に参入しようとする正しい試行ではなく、単なる科学的方法を漫画化し、外(物質的な)面から、夢遊病者や霊媒を探求しようとする現代的試行の分野のことである。



 (霊魂をドライバー、肉体を自動車に喩えるなら、自動車を精密に調べても、ドライバーは理解できないのと同じである。

 霊媒や夢遊病は、自分ではなく、代わりにプロのドライバーを連れてくるようなものである。超能力が発揮されるのは当然だが、本人ではないし、本人の人生が、無意味になる。)

 そのような心霊研究家は、精神世界の精妙な側面を考慮しないで、しばしば内(精神)的な経験だけでなく、見て、知覚できる物質的な形で、精神的存在を感じ取ろうとする。 

 この種のアプローチは、以前、既に正しい精神の探求方法を述べたが、さも、そこから生じたかのように思わせるが、全く別の形をとる。心霊研究家は、肉体の中にあるキリストの精神的な姿を求める振りをしながら、実は、精神(霊)的存在の直接的な顕現を、外界の中に見つけることを欲する。 

 物質世界を、上記のような外界として認め、精神(霊)的存在が、本当に存在する場所、勿論、物質世界にも関わるが、本質的には、物質世界に浸透した精神(霊)的領域の中に求めるべきである。 

 物質世界に浸透した精神(霊)的領域には、更に別の領域がある。健全な状態にある人は、内(精神)的な経験の領域と外(物質)的な知覚との間、また(参入者のみる)混乱した夢の世界と霊媒や夢遊病者の異常な世界との間にある隔たりを結ぶ橋を架けなければならない、という感じを持つが、これら2つの世界の統合から、お互いを実り多いものにすることで、芸術が生まれた。

 つまり、芸術では、外的な形態(姿)に精神が浸透し、精神的な内容が、外的な形態(姿)をまとっている。 

 神智学協会が、通常の人間を、精神的な実存であると喧々諤々な議論に忙しくしている間、人智学協会では、秘教的な流れを「芸術」に向けるような衝動が生じた。そして、神秘劇とオイリュトミーが生まれ、言語造形の芸術が発達した。

オイリュトミー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%BC

 これらは、人智学協会において発展した他のものと同様、精神的存在と物質の間の隔たりに橋を架け、秘儀参入者がみる混乱した夢の世界と霊媒や夢遊病者の異常な世界とを、意識により結びつけようとする衝動が、実りをもたらした。これら2つの世界は芸術において意識的に融合した。 



マリー・シュタイナー
http://homepage.mac.com/satokk/marie/marie.html

 当時の人々にとっては、空虚で抽象的な表現よりも、言葉のリズムと韻がより重要だった。リズムと韻を再生しなければならない。そして、再び、オイリュトミーを、古代のときのように回復させるのは、魂と精神からなる真の人間が、その動作を通じて展開する芸術(ダンス)にある。オイリュトミーから学ぶことができるのは、古代人のリズムと韻のようなことなのである。 

 従って、最初に芸術の中で、参入者が参入する目的もなく彷徨う夢の世界から、霊媒や夢遊病者が盲目的に躓きながら歩き回る世界への橋を架けなければならなかった。今日の唯物的な時代では、混乱した夢の世界を見る参入者は孤独な省察の中に取り残され、精神的存在を表現し、明らかにする実質的な形態や構成については何も知ることがない。



 夢の世界を見る参入者も夢遊病者も、精神的存在(悪魔)に関するほんのわずかな疑いを持つこともなく現代の世界を生きている。

 物質から精神に、そして精神から物質に導く橋を再び見つけ出すことが本質であり、まず芸術の分野において、この橋を見つけ、半分、無意識な状態で躓きながら彷徨うのではなく、通常とは異なる精神状態から、運動を通して芸術に対する感覚を発達させなければならない。

 従って、オイリュトミーは、真なる内(精神)的な源泉を、秘儀参入の中にもち、言語造形という芸術において実践する全ては、その同じ源泉から生じている。そして、人智学徒は、ドルナッハで、予定された舞台芸術が催されるとき、舞台芸術の精神的なイメージを再び回復するように努めることになるだろう。

 長い間、俳優は、どうすれば舞台上で最大限の現実性を表現できるか、という課題に注意が払われてきた。このテーマに関する90年代の議論は全く漫画的だった。

 シラーの劇の登場人物たちが、英雄風な台詞を演説調に話すとき(結局、当時は自然主義が勝ちをおさめたが)、手をズボンのポケットに入れるべきかどうかという問題が(というのも、それが現代的なファッションだったからだが)議論された。

 従って、精神世界の探求の為の正しい方法(道)を見つけだす、ということに関しては色々な理屈があるが、芸術の方法(道)に従うのが健全な基本方針である。 

シラー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%83%BC





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Last updated  2010年10月21日 16時52分30秒
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