一般大衆というのは、大体そうなのですが、特に日本人の一般大衆には、理性が欠落しています。理性が欠落すると、感情が主導権を握りやすいので、感情により操作されてしまうのです。

 日本人のこの傾向は、海外で騙され易く、犯罪に巻き込まれやすい傾向として現れています。感情は容易に操作されるからです。感情が強いのはアジア人の特徴でもあるのですが、それが共感に結びつけばいいのですが、反感に結びつくと、理性によりコントロールできずに、外から利用されるケースが生じてくるわけです。

 欧米人は、感情より理性が優先しているので、日本人からみれば、サバサバして、「冷たく」みえるのは当然ですが、欧米人にしてみれば、それが当然なので、この点を充分に認識しないと、日本人は墓穴というか、過ちに陥るでしょうね。少なくとも、感覚の違いを考慮しないといけません。

 まぁ、理性があったら、官僚やマスコミに踊らされ、菅なんか選ばなかったでしょうね。 (2010年12月24日 09時54分52秒)

シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年12月22日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 サンデルとかいう哲学によりカネをかせぐ人間の講義が話題になり、哲学が巷を賑わせているようであるが、幸いながら、講義を聴いたことはないが、学生と対話する授業が斬新なのかもしれないが、それが哲学だとはどうも思えない。

 そこで、私が現段階で現代人に相応しいものと考える哲学を、サンデルなる者に対するアンチテーゼとして、この際、述べてみたい。

 そもそも哲学でカネを稼ぐことなど、哲学者にあるまじき態度といえるからでもある。

 学問で生計を立てることぐらい疾しいものはないと思う。

 本来、自分に起こる問題は、自分で解決できるように、神様が予め想定し、人生の機会として与えてくださっているのであるから、自分で解決せずに、誰かに解決してもらおうという疾しい精神を誇大させようとする存在は、人生に対して真剣に生きないことを助長し、精神の堕落を増大させる誘因を与えていることを物語るものであるからである。

 自分でない他人、まして専門家などは、所詮他人にすぎず、まるであてにならないではないか?

 権威に媚びるな、なぜ、自力で解決しようとしない。自分故の問題なのだから、解答は自分のなかにある。それを見つけるのが哲学である。哲学者に聴くのは哲学ではなく、猿真似である。

天は自ら助ける者を助ける

 さて、サンデルなる者や、現代の哲学者に近いと常識として思われている学者なる職業に就く人間は、単なる逃げ道や逃げ口上を探しているだけにすぎないと思われる。



 そこで、このような現代人特有の思い上がった堕落精神に対して、その正反対の、対極に存在するのが、哲学者ディオゲネスで、その人生を紹介することで、現代の哲学と呼ばれる猿真似に対する常識を根底から破壊したいように思う。

 ディオゲネスという人物は、以下のホームページをみるとよくわかるだろう。
http://www.owari.ne.jp/~fukuzawa/diogenesu.htm

 『彼はあるとき、「国に広く流通しているものを変えるのがおまえの使命である」という神託を受けた。』

 この情報が本当だとするなら、当初、ディオゲネスは、恐らく裕福な両替商の息子として生まれた自分の境遇を鑑みて、「国に広く流通しているもの」を貨幣と捉え、贋金をつくったようである。

 彼は神託通り、贋金をつくるのが目的ではなく、流通しているものを変えることが目的だったわけで、贋金と断定された時点で、その目的は失敗に終わったといえる。

 この行為のため、両替商という身や財産を没収され、追放されるが、仏教でいういわば出家の身となり、ディオゲネスを哲学に近づけることになる。

金持ちが天国に行くには、駱駝が針の穴を通るより困難である。

 続けて、奴隷商人に、奴隷として売られるが、奴隷商人を驚かせる発言をする。

 『人間はだれも何者かの奴隷になっている。とくに自分の欲望の奴隷になっている。欲望こそが人間の主人なのだ。欲望にあやつられて動く人間は、みんな奴隷である。

 私もまた欲望を持っているが、欲望に支配されることはない。どうしてかといえば、私は欲望よりももっとすばらしいもの、もっと強力でよろこばしいもの、すなわち真理に従って生きる道を知っているからである。真理に従っているかぎり、私は私の主人である。そして私は神々のように幸福である。



 この発言を聞いていたクセニアデスという富豪に身を買われ、家庭教師として活躍し、奴隷の身から解放される。

 自由の身になってアテネに行ったディオゲネスは、そこで、ソクラテスの弟子のアンティステネスという哲学者に遭遇し、弟子になることを希望する。

 アンティステネスは、ディオゲネスを弟子にすることを嫌がり、拒み続け、棒で殴ったという。

 その際、ディオゲネスは、たとえ棒で殴られようとも、弟子になろうとする精神は少しも破壊されないと言ったので、弟子にしたという。



 また、ソクラテスから学んだことは、「幸福になるには徳だけで足りる」ということだった。彼はそのために困苦に堪え、ソクラテス的な克己心を鍛えた。杖と頭陀袋の他は持たず、上着を二重に折って下着の兼用としたという。

 彼自身はあまり弟子をもたなかった。彼の生き方があまりに厳しかったからだ。なぜ弟子に厳しくするのかと聞かれて、「医者だって患者にはそうしているよ」と答えた。彼はデイオゲネスにも下着を許さなかった。

 アンティステネスの偉いところは、ただそう考えただけではなく、そうした生活を自ら実践してみせたことである。彼は財産を捨て、粗末な身なりをして街に現れ、人々にそうした簡素な生き方のすばらしさを説いた。ディオゲネスはアンティステネスのなかに真の哲学者のあるべき姿を見た。そして彼も又アンティステネスのような生活をはじめた。

 ディオゲネスはこうして野良犬のような生活をしながら、アテネの市民たちが所有する奴隷の数で他人を評価し、お互いの富を競い合うのを皮肉な目で見ていた。祭壇に生け贄を捧げ、その後に御馳走をたらふく食べて健康を害しているのを愚かなことだと思った。

 「健康を祈って生け贄をささげておきながら、健康を害するほどの御馳走を食べている。人間が生きていくための糧は神々から容易に授けられているのに、そのことが見えなくなってしまったのは、人々が蜂蜜入りの菓子だとか、香油だとか、その他そういった類のものをほしがるからだ」

 「競争の際には、隣の人を肘で突いたりして互いに競い合うのに、立派な善い人間になることについては、誰ひとり競い合おうとする者はいない」』

 アンティステネスは哲学を以下のように考えていたという。

 「哲学から得られるものは、自分自身と交際する能力だ」

 対して、弟子のディオゲネスは、哲学を以下のように考えていたという。

 「哲学から何が得られたかって。それはたとえどんな運命に対しても心構えができているということだろうね。」

 この2人から哲学とはどういうものかと考えるなら、

 「自分の人生に起こる問題は、自分のなかに解答が隠されている。解答を見つけるのが哲学の役割である。」

 というところだと思う。

 どんな人間もこの宇宙の一つである。宇宙のなかの一つなのだから、宇宙である。つまり、あなたの問題は、宇宙の問題でもあるし、宇宙の問題は、あなたの問題でもある。

 だから、どの段階で、問題の解決を図るのかが、あなたの役割である。

 あなたが生じさせた問題なら、あなたのなかで問題となる段階において解決を図るのがよい。問題を先送りしたり、他人任せにせず、複雑化させないことが重要である。

 問題を速やかに解決するのに必要なのが哲学である。問題を問題としないために哲学はあると思う。

 だから、哲学は、問題を提起することでは断じてない!

 むしろ、問題を議論することは野暮なことで恥じるべきである。人知れず、解決するのが哲学者、すなわち、真なる賢者の態度であろう。ましてや、カネをかせぐなどはもってのほかといえるだろう。

 あなたの常識は、あなたの欲望を表現したものにすぎない!!

 汝を、汝の欲望から解放するのは、汝自身にある。

 だから、「汝自身を知れ!」という主題が、古代ギリシアの学院に掲げられたのである。

 そして、ディオゲネスの神託であるが、すなわち「国に広く流通しているものを変えるのがお前の使命である」というものだが、それはつまり、当時の人間の生活態度であったわけだが、当時の人々を、貧しきなかでも幸いなる犬のような生活へと、結局、変えることはできなかった。

 しかし、現代はどうだろうか?

 現代こそ、ディオゲネスの神託が有効になる時代ではないだろうか?

 「国に広く流通しているもの」とは、人間の常識、つまり意識にある。

 人間の進化は、外の生活態度にあるのではなく、生活態度を通して、徳性を身につけ、魂を磨くことにある。

 つまり、魂の内なる問題にある。

 魂のなかの垢、つまり精神のなかの歪み、欲望を是正することなのではないか?

 つまり、外を通じて、内に反映させることにある。

 ディオゲネスへの神託が有効となる時代は、正に現代だと思われる。意識を変えるべき変革の時代が到来しているように思われる。  





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Last updated  2010年12月22日 22時51分51秒
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Re:現代人はディオゲネスを必要としている(12/22)  
忠武飛龍  さん
ディオゲネスは、老子や荘子に似てますね。

「貴国に大きな亀の甲羅があり、よく占いがあたるとか。でも亀にとっては死んでうやまれるのと、生きて泥の中で生きているのと、どちらがいいかな。私は泥の中で遊びたい。」
とある王の招聘を拒んだとか。

サンデル氏の講義は一度見ましたが、そこそこ・・。

あえていえば、あのような討論する授業をほかに日本人は何故しないのか?のほうが私は深刻に思いました。

あれは哲学というよりも「議論・討論の重要性」ってやつです。「哲学」と言っても多分マルクス・アウレリウス・アントニウスから言ったら、あれはバッタものの「売文屋」と言うでしょう。
真剣に生を・社会を考え悩む人に、哲学が望まれる。
でも、それを徹底的にバカにして回避した近現代の日本で、いったい何でしょう?

多分日本では「無常観」がうせつつあるから過剰にサンデル氏のようなことが尊ばれる。

命を生命を世界を愛することなくして、哲学も糞もない。
自他に慈悲なくして、深遠な真理など見えようか。

サンデル氏は哲学者よりも「論理家」。へたしたら「詭弁家」に思います。

ただあのような「対論・討論型の授業」とかがまったく無い日本も深い無明に思います。

再見! (2010年12月23日 20時41分47秒)

Re[1]:現代人はディオゲネスを必要としている(12/22)  
5dolphin  さん
どうも忠武飛龍さま
>あえていえば、あのような討論する授業をほかに日本人は何故しないのか?のほうが私は深刻に思いました。

 文化の違いでしょうね。討論形式は自由という点では利点ですが、うまくコントロールしないと、収拾がつかなくなり、かえって、課題に対して消化不良を起こすことになります。なかには全く的外れな意見のために、意図的に授業妨害を与えることにもなります。

 討論形式では、討論の主題に対しての予備知識が必須になるので、予習を充分にしないと、単なる感情論のやり取りに終わってしまうでしょうね。

 根本的にいえば、討論いかんではなく、日本では、学生側に受身の教育姿勢が見られますね。勉強は、自分でやるものですし、教育は自己教育しか本質的に有り得ないわけで、討論型ができないのは、学生側に、教えてもらうという受身があるせいに思います。「与えてもらう」という習慣をなくさない限り、討論にしても意味がないです。討論を猿真似するだけになるでしょう。

 つまり、討論形式でなくても、先生は講義で、ああいっているが、自分にはあてはまらないから、自分の問題として、アレンジして解決法を見つければよいのです。口に出さなくても、理解できれば問題はないのです。

>マルクス・アウレリウス・アントニウスから言ったら、あれはバッタものの「売文屋」と言うでしょう。

マルクス・アウレリウス・アントニウスとは、飛龍さまは流石に博学ですね。私はこの人物を知りませんでした。 (2010年12月24日 09時37分47秒)

Re[2]:現代人はディオゲネスを必要としている(12/22)  
5dolphin  さん
>真剣に生を・社会を考え悩む人に、哲学が望まれる。
>でも、それを徹底的にバカにして回避した近現代の日本で、いったい何でしょう?

明治時代からの富国強兵、戦後の富国経済優先のなせるわざでしょうね。日本人は戦前は、軍事力に全てを捧げ、戦後は、経済力に全てを捧げてきたわけです。近視眼的な態度ですから、戦前は文学が馬鹿にされたように、戦後は、哲学を馬鹿にしてきたわけです。つまり、文学で戦争に負け、哲学で経済に負けたわけでしょう。

>多分日本では「無常観」がうせつつあるから過剰にサンデル氏のようなことが尊ばれる。
>
日本人が議論が苦手なのは、TVのコメンテーターをみればわかるように、どうしても情緒的になってしまうからでしょう。欧米人のように、理性と感情を切り離せないのです。切り離そうとすると、たちまち無常観になってしまうわけです。自分たちができないので、尊ばれるのでしょう。

>命を生命を世界を愛することなくして、哲学も糞もない。
>自他に慈悲なくして、深遠な真理など見えようか。

「愛」というのはなかなか困難ですよ。愛の反対にある憎しみや絶望を超えていかないといけないわけですから。イエスは弟子に裏切られ、絶望し、人類全体を敵にまわし、殺されてしまったわけです。信仰心がなければ、できないことでしょう。

>サンデル氏は哲学者よりも「論理家」。へたしたら「詭弁家」に思います。
>ただあのような「対論・討論型の授業」とかがまったく無い日本も深い無明に思います。

日本人は洗脳されやすいので、洗脳されないのを願うばかりです。池上というジャーナリストの言うことが全て正しいと錯覚している一般人が増えているわけですから。英語教育のために、日本語の母国語教育が疎かになり、昔からの伝統的社会がモンスターにより破壊される昨今ですから、危惧せざるを得ないです。 (2010年12月24日 09時41分36秒)

Re[3]:現代人はディオゲネスを必要としている(12/22)  
5dolphin  さん

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