シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年12月22日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 サンデルとかいう哲学によりカネをかせぐ人間の講義が話題になり、哲学が巷を賑わせているようであるが、幸いながら、講義を聴いたことはないが、学生と対話する授業が斬新なのかもしれないが、それが哲学だとはどうも思えない。

 そこで、私が現段階で現代人に相応しいものと考える哲学を、サンデルなる者に対するアンチテーゼとして、この際、述べてみたい。

 そもそも哲学でカネを稼ぐことなど、哲学者にあるまじき態度といえるからでもある。

 学問で生計を立てることぐらい疾しいものはないと思う。

 本来、自分に起こる問題は、自分で解決できるように、神様が予め想定し、人生の機会として与えてくださっているのであるから、自分で解決せずに、誰かに解決してもらおうという疾しい精神を誇大させようとする存在は、人生に対して真剣に生きないことを助長し、精神の堕落を増大させる誘因を与えていることを物語るものであるからである。

 自分でない他人、まして専門家などは、所詮他人にすぎず、まるであてにならないではないか?

 権威に媚びるな、なぜ、自力で解決しようとしない。自分故の問題なのだから、解答は自分のなかにある。それを見つけるのが哲学である。哲学者に聴くのは哲学ではなく、猿真似である。

天は自ら助ける者を助ける

 さて、サンデルなる者や、現代の哲学者に近いと常識として思われている学者なる職業に就く人間は、単なる逃げ道や逃げ口上を探しているだけにすぎないと思われる。



 そこで、このような現代人特有の思い上がった堕落精神に対して、その正反対の、対極に存在するのが、哲学者ディオゲネスで、その人生を紹介することで、現代の哲学と呼ばれる猿真似に対する常識を根底から破壊したいように思う。

 ディオゲネスという人物は、以下のホームページをみるとよくわかるだろう。
http://www.owari.ne.jp/~fukuzawa/diogenesu.htm

 『彼はあるとき、「国に広く流通しているものを変えるのがおまえの使命である」という神託を受けた。』

 この情報が本当だとするなら、当初、ディオゲネスは、恐らく裕福な両替商の息子として生まれた自分の境遇を鑑みて、「国に広く流通しているもの」を貨幣と捉え、贋金をつくったようである。

 彼は神託通り、贋金をつくるのが目的ではなく、流通しているものを変えることが目的だったわけで、贋金と断定された時点で、その目的は失敗に終わったといえる。

 この行為のため、両替商という身や財産を没収され、追放されるが、仏教でいういわば出家の身となり、ディオゲネスを哲学に近づけることになる。

金持ちが天国に行くには、駱駝が針の穴を通るより困難である。

 続けて、奴隷商人に、奴隷として売られるが、奴隷商人を驚かせる発言をする。

 『人間はだれも何者かの奴隷になっている。とくに自分の欲望の奴隷になっている。欲望こそが人間の主人なのだ。欲望にあやつられて動く人間は、みんな奴隷である。

 私もまた欲望を持っているが、欲望に支配されることはない。どうしてかといえば、私は欲望よりももっとすばらしいもの、もっと強力でよろこばしいもの、すなわち真理に従って生きる道を知っているからである。真理に従っているかぎり、私は私の主人である。そして私は神々のように幸福である。



 この発言を聞いていたクセニアデスという富豪に身を買われ、家庭教師として活躍し、奴隷の身から解放される。

 自由の身になってアテネに行ったディオゲネスは、そこで、ソクラテスの弟子のアンティステネスという哲学者に遭遇し、弟子になることを希望する。

 アンティステネスは、ディオゲネスを弟子にすることを嫌がり、拒み続け、棒で殴ったという。

 その際、ディオゲネスは、たとえ棒で殴られようとも、弟子になろうとする精神は少しも破壊されないと言ったので、弟子にしたという。



 また、ソクラテスから学んだことは、「幸福になるには徳だけで足りる」ということだった。彼はそのために困苦に堪え、ソクラテス的な克己心を鍛えた。杖と頭陀袋の他は持たず、上着を二重に折って下着の兼用としたという。

 彼自身はあまり弟子をもたなかった。彼の生き方があまりに厳しかったからだ。なぜ弟子に厳しくするのかと聞かれて、「医者だって患者にはそうしているよ」と答えた。彼はデイオゲネスにも下着を許さなかった。

 アンティステネスの偉いところは、ただそう考えただけではなく、そうした生活を自ら実践してみせたことである。彼は財産を捨て、粗末な身なりをして街に現れ、人々にそうした簡素な生き方のすばらしさを説いた。ディオゲネスはアンティステネスのなかに真の哲学者のあるべき姿を見た。そして彼も又アンティステネスのような生活をはじめた。

 ディオゲネスはこうして野良犬のような生活をしながら、アテネの市民たちが所有する奴隷の数で他人を評価し、お互いの富を競い合うのを皮肉な目で見ていた。祭壇に生け贄を捧げ、その後に御馳走をたらふく食べて健康を害しているのを愚かなことだと思った。

 「健康を祈って生け贄をささげておきながら、健康を害するほどの御馳走を食べている。人間が生きていくための糧は神々から容易に授けられているのに、そのことが見えなくなってしまったのは、人々が蜂蜜入りの菓子だとか、香油だとか、その他そういった類のものをほしがるからだ」

 「競争の際には、隣の人を肘で突いたりして互いに競い合うのに、立派な善い人間になることについては、誰ひとり競い合おうとする者はいない」』

 アンティステネスは哲学を以下のように考えていたという。

 「哲学から得られるものは、自分自身と交際する能力だ」

 対して、弟子のディオゲネスは、哲学を以下のように考えていたという。

 「哲学から何が得られたかって。それはたとえどんな運命に対しても心構えができているということだろうね。」

 この2人から哲学とはどういうものかと考えるなら、

 「自分の人生に起こる問題は、自分のなかに解答が隠されている。解答を見つけるのが哲学の役割である。」

 というところだと思う。

 どんな人間もこの宇宙の一つである。宇宙のなかの一つなのだから、宇宙である。つまり、あなたの問題は、宇宙の問題でもあるし、宇宙の問題は、あなたの問題でもある。

 だから、どの段階で、問題の解決を図るのかが、あなたの役割である。

 あなたが生じさせた問題なら、あなたのなかで問題となる段階において解決を図るのがよい。問題を先送りしたり、他人任せにせず、複雑化させないことが重要である。

 問題を速やかに解決するのに必要なのが哲学である。問題を問題としないために哲学はあると思う。

 だから、哲学は、問題を提起することでは断じてない!

 むしろ、問題を議論することは野暮なことで恥じるべきである。人知れず、解決するのが哲学者、すなわち、真なる賢者の態度であろう。ましてや、カネをかせぐなどはもってのほかといえるだろう。

 あなたの常識は、あなたの欲望を表現したものにすぎない!!

 汝を、汝の欲望から解放するのは、汝自身にある。

 だから、「汝自身を知れ!」という主題が、古代ギリシアの学院に掲げられたのである。

 そして、ディオゲネスの神託であるが、すなわち「国に広く流通しているものを変えるのがお前の使命である」というものだが、それはつまり、当時の人間の生活態度であったわけだが、当時の人々を、貧しきなかでも幸いなる犬のような生活へと、結局、変えることはできなかった。

 しかし、現代はどうだろうか?

 現代こそ、ディオゲネスの神託が有効になる時代ではないだろうか?

 「国に広く流通しているもの」とは、人間の常識、つまり意識にある。

 人間の進化は、外の生活態度にあるのではなく、生活態度を通して、徳性を身につけ、魂を磨くことにある。

 つまり、魂の内なる問題にある。

 魂のなかの垢、つまり精神のなかの歪み、欲望を是正することなのではないか?

 つまり、外を通じて、内に反映させることにある。

 ディオゲネスへの神託が有効となる時代は、正に現代だと思われる。意識を変えるべき変革の時代が到来しているように思われる。  





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Last updated  2010年12月22日 22時51分51秒
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