シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年04月22日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 隠れた魂の領域に関する事実を明らかにするために、いま、子供を例として挙げる。7、8歳辺りの年代の子供の経験を仮定してみる。例えば、実際には、やっていないのに、やったと責められ、なんらかの不条理を経験する。

 子供は、不条理な出来事に対して特別に敏感である。子供がやったことにし、子供を責めることで、事を収めるのが、周囲の大人たちにとっては都合がよかったとする。実際、子供は、このようなやり方や不条理に苦しめられることに対して非常に敏感である。

 しかし、若い生命のなかに、過去の不条理な経験が、深く食い込んだ後、年を経るに従い、その魂の経験に、更に上層が付け加わることで、少なくとも日常生活の意味では、人生とは、過去の不条理な出来事などは忘れてしまうものである。

 恐らく、上記のような出来事は、二度と生じないだろう。しかし、その子供が若者となって、例えば15、16歳のときに、学校で、新たな不条理を経験する場合を仮定すると、幼い頃に経験しなければ、魂の奥底に眠っていたはずの波打つ苦悩が目覚め始める。

 問題の若者は、子供の頃に経験した思い出が作用している事実も知らず、実際、その思い出とは全く別の考えや概念を形成する。もし、子供の頃の出来事が起こっていなかったら、例えば、家に帰って、涙を流し、幾らかの不満を言ってから、やがて立ち直るだろう。

 ところが、子供の頃の出来事のために、魂のなかで何が起きているかについては、その若者が知っている必要はないことを特に強調したいが、まるで静かに見える海面下に、絶えず底から波動が打ち寄せている現象と同じように、子供の頃の出来事が、その若者の魂の表面下に働きかける。

 もし、子供の頃の出来事がなければ、多少の涙や不平や愚痴で終わったはずの出来事が、若者の自殺という結果をもたらす!

 以上のように、魂の隠れた深みにある精神的存在(苦悩)は、最深のレベルから表面へと上昇し、その役割を果たす。魂の深みのなかに支配する重要な力は、本来の姿で表面へと上昇する際に、「憧れ」という意義深い表出となるが、それでも、精神的存在(苦悩)の本質に対しては、無意識のままに留まる。

 人智学徒は、上述の力が、外界の中でもつ名前を知っているが、漠然としていて比喩的な表現である。何故なら、その命名は上辺だけの複雑な関係を意味する表現で、意識の中までは考慮していないからである。そこで、有名な現象を挙げてみる。



 ホームシックとは、ある人にとっては、特定の苦悩で、別の人にとっては、また別の特定の苦悩である。例えば、家で聴いた親しみ深い物語に憧れる人もいるが、本当は家を恋しがっているだけかもしれない。個人の中に生きている「憧れ」は、取り留めの無く儚いもので、 何の方向性もない望みである。

 また、別の人は、故郷の山や、漣を見るときには、よく遊んだ川に憧れる。以上全ての異なる性質は、魂の中で、しばしば無意識に働いているが、「ホームシック」という言葉で括れる。そして、ホームシックは、何千もの異なった形で演じられるが、一種の「憧れ」として記述される精神的現象を表現している。

 更に漠然しているのが「切望」だが、それは恐らく、人生においては、最も人を苦しめる感情として生じる。通常、「切望」と、「憧れ」との関連に気づかない。

 では、 この「憧れ」とは何なのか?

 以前、「犠牲」を捧げることを望みながら、諦めなければならなかった精神的存在たちの気分に、「憧れ」を関連づけることで、「憧れ」が一種の意志であることを示唆した。そして、この「憧れ」を検証するときには常に、それが、「ある種の意志である」、ということが分かる。

 しかし、それはどのようなタイプの意志なのか?

 「憧れ」とは、決して成就され得ない意志、もしくは意図なのである。というのも、もし、成就されたなら、「憧れ」でなくなってしまうからである。つまり、「憧れ」とは、実現され得ない意志で、「憧れ」を、「決して成就されない意志」というように定義する必要がある。

 従って、「犠牲」が拒絶された精神的存在たちの気分に関して、次のようにすれば、幾分特徴づけられる。

 人間の魂の隠れた深みにおいて、「憧れ」として感じ取れる「苦悩」は、これまで述べてきた太古の時代から受け継がれてきた叡智として、自身の中に留まっている精神である。人間が、別の性質を、別の太古の進化段階からの遺産として受け取ったのと同じように、「月」の進化段階から受容するのは、魂の深みに見つけられる「憧れ」の精神的形態、すなわち決して成就されない意志の精神的形態、いわゆる未完の意志である。

 月紀と呼ばれる進化期の間に、捧げられた「犠牲」が差し返されることで、 抑制され、阻止された意志を持つ精神的な存在たちが創造された。その精神的存在たちは、意志を抑制し、自身で保持しなければならなかったために、非常に特別な状況に置かれた。

 もし、以上の出来事を感じ取り、経験したいなら、自身の魂の状態の中に参入する必要がある。というのも、思考だけでは、以上の状態に到達するには、全く充分ではないからである。



 (恋の成就に近いニュアンスか?)

 しかし、いま述べている出来事は、宇宙的な存在を含む高次の存在たちへの犠牲である。高次の存在たちに犠牲を捧げる存在たちは、喜びの中で上方を見上げるが、そのため、高次の存在たちにより差し返された「拒絶された意志」、すなわち「憧れ」は、もし「犠牲」が完遂できたら、叶っていた結果とは、内的な気分、すなわち内的な魂の内容において、決して同じではない。

 なぜなら、もし、犠牲を捧げる存在たちが、捧げられた高次の存在たちから、犠牲行為を許されていたら、その行為は、高次の存在たちの一部になっていたはずだからである。従って、比喩表現を用いるなら、もし、地球やその他の惑星が太陽への供儀を許されていたら、太陽と1つに結ばれていただろう。

 しかしまた、もし、地球他の惑星が、太陽への供儀を許されなかったなら、太陽と、地球他の惑星は、分離したままで、捧げた犠牲を返され、自身の中に保持し続けることになる。

 もし、以上に述べたことを一言で把握するなら、宇宙という総体の中に、何か新しい存在が導入されている、という事実に気づく。その新しい存在は、何か別の方法では表現できない、ということを明確に理解すべきである。



 以上の新しい存在が、「エゴ」、もしくは「自我」と呼ぶような存在で、それは後に「エゴイズム」として、あらゆる形態において現れるが、そのようなエゴが煌くのを恐らく感じるだろう。

 (漢字の「私」の、「禾」とは穀物の穂先で、「ム」は、抱え込む、という意味で、「私」とは、穀物の穂先を抱え込んだ、という意味になる。カインは、穀物を神に捧げたが、拒否されたという、聖書の俗説を連想させ、カインの血族が、エゴをもつ人類の祖であることを示しているようでもある。ちなみに、カインの血族は、後のフリーメーソンにつながる。)

 以上のように、進化の中に流れ込んだ新しい存在が、犠牲を拒否された存在たちのなかで、遺産として生き続けるのを感じ取れる。「憧れ」の内に、たとえ最弱の形であるとはいえ、エゴイズムが稲妻のように光り、また、「憧れ」が、宇宙の進化の中に忍び込んで来るのが霊視できる。

 以上、「憧れ」に身を任せる存在たち、つまり、自身のエゴイズムに屈服する存在たちが、もし、何か別の存在が介入しなければ、その存在が、ある意味、一面性の中へと、いかに突き落とされ、埋没するかを、すなわち、自身の中だけに生きるように仕向けられるかを、霊視できる。

 (いわば、失恋状態の欝のなかに埋没するようなニュアンスか?)

 では、供儀を許された存在について考察する。この存在は別の存在の中に生きる。すなわち、犠牲を捧げた存在の中に永久に生きる。供儀を許されなかった存在は、自身という存在の中に生きるしかない。従って、そのような存在は、他の存在の中で、この場合、高次の存在だが、経験できた体験全てから排除される。

 実際、その問題の存在たちは、進化の過程から排除され、一面性へと突き落とされ、消えてしまうだろう。もし、一面性を取り除くために、進化の過程に介入するような存在が生じなかったら、消滅する。この「存在」とは、一面性への宣告や追放を、阻止し、介入する新しい(救いの)存在である。

 「土星」紀での意志霊や、「太陽」紀での叡智霊と同じように、「月」紀では、上記の新しい存在の、運動霊が出現するのが霊視できる。いま、「運動」という言葉により、空間中での運動をイメージし、表現するわけではなく、思考過程や精神に関連した「運動」に言及する。

 「思考(精神)の運動」という表現を、自身の「思考の流れ(移り変わり)や流動性(心)」で表すなら、誰でも知るが、この表現からでも、「運動」を、もし包括的に把握するなら、空間中の位置の変化という、物質的な「運動」は、本来の精神的な「運動」、つまり「心」の1つの側面に過ぎない。

 運動霊が、心の存在である事実を理解する必要がある。もし、高次の存在に対して、多数の人間たちが自らを捧げ受容されるなら、その高次の存在は、多数の人間たちの中にある全てを表現するが、それは、高次の存在が、差し出された犠牲全てを受け入れるからで、その1つの高次の存在の中に生き、その中で多数の人間は満たされる。

 しかし、もし、多数の人間の犠牲が拒絶されたなら、拒絶された人間たちは 自身の中で生きざるを得ずに、決して満たされない。

 (永遠の鬱状態といえる。)

 満たされないとき、運動霊が来て、自身に依存するしかなかった存在たちを、他の全ての存在との関係へと導く。このとき、運動霊を単なる位置の変化を生じさせる存在として考えるべきではなく、運動霊は、ある存在を別の存在との新しい関係に絶えず導く運動を生じさせる存在である。

 (喩えるなら、失恋し鬱状態に埋没し自殺しかねないところに、慰め役がやってくるようなニュアンスだろう。)





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Last updated  2011年04月23日 09時21分40秒
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