シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年05月18日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 もし、「自我」を真の意味において把握し、肉体を、まるで目の前に置くような形で、自らの魂の前に置くことができたら、或いはまた、視覚により感覚を通して知覚できる外的世界、すなわち雲や山等の周囲の物質世界の中に、肉体が依存し、栄養を必要とし、養分を見つけるのと同様の意味で、自我が依存する環境を発見するのに努めるなら、あるいは、もし、肉体に関する内容を知るのと同じ意味で、「自我」に関する本質的内容を発見するのに努めるなら、今日においても、人間の周囲に、不可視的に浸透する宇宙のイメージ、もしくは記録媒体へと到達できるが、それは、「土星」紀の宇宙と同じ状態の存在である。

 言い換えれば、「自我」を、自身の世界として知ろうとするなら、「土星」紀の世界に似た世界を想像できなければならない。この世界は魂のなかに隠れている。つまり、その世界は人間にとっては感覚を超えた世界なのである。

 実際、現在の人間の進化段階においては、「自我」に対する知覚を担うことは不可能である。それは境域の守護霊によりヴェール(覆い)がかけられていることで、隠された状態になっているが、それは、そのようなイメージに曝されることに耐えるためには、ある一定の段階までの精神(霊)的な進化を必要とするからである。

 実際、現代人が最初に獲得すべき能力は、土星紀が提示するようなイメージを霊視できることにある。何にもまして、どうすれば一体、土星紀のような宇宙を現実として経験できるのか、という主題に対してのイマジネーション(霊視能力)を形成しなければならない。

 すなわち、感覚から知覚できる全てを、思考から取り除く必要がある。同様に、人間の内面(精神)の世界は、魂の内部のいわば潮の満ち引きからつくられるので、感覚による外力の作用を捨て去らなければならない。

 外界に存在する対象に対する思考を消し去り、思考自体も全て解消する他はない。感覚を通じての知覚全てを外界から取り除かなければならない。つまり、内面の世界に影響する魂や思考活動を消去しなければならない。

 (要するに、魂の表層の感情のやりとりを除くことか?)

 以上の瞑想を行った後、もし、思考の根本を把握するときに到達すべき魂の状態、魂の表層意識を完全に取り除き、本体の人間だけが残るイメージを形成できたなら、今度は、周囲に口を開けている底なしの空虚、すなわち無限に続く無の恐怖に耐えることができなければならない。

 周囲を完全に恐怖で満たすような環境を経験できなければならないが、同時に、自身の存在に対する内面的な堅固さや確立により、恐怖の感情を克服できなければならない。



 以上に性格づけた2つの経験を自身で発達させることは滅多にない。また、このような状態に関して記述された書物等を発見することもほとんどない。勿論、何年にもわたって超感覚力を用いて探求してきた者は、この2つの無限の深淵を前にしたときの恐怖やその克服の経験については知っているが、書物や出版物の中に、その内容を示唆するものはほとんどない。

 私(シュタイナー)は、上記に関して、ある洞察力を得る目的で、図りがたい空虚を前にしたときの恐怖が表現されている最近の文献を調査してみた。一般に哲学者は究めて賢いので、物知り顔で、概念に関しては述べても、恐怖を抱かせるイメージについては触れるのを完全に避けている。

 従って、哲学の文献の中に、この問題に関して記録されている内容を見つけるのは容易ではない。発見できなかった文献について話すつもりはないが、ヘーゲル派の哲学者カール・ローゼンクランツの雑誌の中に、このような経験の残響のようなものを発見できた。

カール・ローゼンクランツ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84

 この雑誌の中で、ローゼンクランツが、ヘーゲルの哲学に没頭しているときに経験した非常に親密な感情を記述している。彼自身では、全くそのような体験とは知らずに、雑誌の中に載せている、ある注目すべき文章に遭遇した。

 ローゼンクランツにとって明白だったのは、ヘーゲルの哲学はヘーゲルによる「純粋存在」の理解に基づいている、ということである。ヘーゲルの原則である「純粋存在」については、19世紀の哲学の文献の中では、非常に皮相的な概念が多く語られてきたが、実際、それは究めて貧弱にしか理解されていない。

 19世紀後半の哲学が、ヘーゲルの「純粋存在」に対して理解していることは、牛が1週間ずっと飼い葉を食べ続けてきたときの日曜日について理解しているのと同程度である、と言ってもいいくらいである! 

 「純粋存在」というヘーゲルの概念やその思考プロセスではなく、「純粋存在」という状態そのものは、上記で定義づけたような恐怖が流れ込むような恐ろしい空虚と全く同じではない。空虚と同じではないが、ヘーゲルの「純粋存在」の全空間は、人間が経験できない特質、つまり、「純粋存在」に満たされた無限の色彩をもっている。

 カール・ローゼンクランツは、かつて、この状態を、存在以外の内容を全くもたない宇宙的な空間の広がり、という恐ろしく、気を滅入らせる冷酷な状態として経験した。

 宇宙の根底にある存在を把握するには、その存在を、概念で述べたり、思想をつくりだすだけでは不十分である。魂のなかで、土星紀を特徴づける無限の空虚に直面したときに経験するイメージを呼び起こすことの方が遙かに重要である。



 以上のような感情が、最初の段階、すなわち第1の感情である。次に、足下の大地だけでなく、視覚、聴覚、触角等の周囲の空間中に存在する全てが失われる。そして、不可避的に、あらゆる思考を失い、一種の朦朧、或いは睡眠状態に沈み込むが、そこでは何も認識できない。

 あるいはまた、あらゆる感情の中に浸り、しばしば克服できない眩暈の状態に捉えられ、死の状態に落ち込むことしかできなくなる。





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Last updated  2011年05月18日 16時48分56秒
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