シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年05月19日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 今日の人間には、深淵を前にして、その恐怖に打ち克つためには、2つの可能性がある。第1の確立された方法は、福音書の理解、すなわちゴルゴダの秘儀の理解に通じる方法である。

 福音書を真に理解し、福音書に関して、現代の神学者が叙述するような方法ではなく、内面的な経験の最奥にある本質を吸収し、深淵の中に、まるで一点から広がる勇気の感情、すなわちゴルゴダの供儀を完成させた存在と一体となることを通じて、守られるような感情を持つことで、空虚を完全に満たす方法である。以上が第1の方法である。

 もう1つは、福音書ではなく、人智学の真正な理解により精神(霊)界に参入する方法である。勿論、人智学でも可能である。常に強調していることは、人智学徒のゴルゴダの秘儀に関する考察は福音書から始まるのではない、ということである。

 その理由は、たとえ福音書が存在しなかったとしても、人智学徒は、ゴルゴダの秘儀を発見するからである。このことは、ゴルゴダの秘儀が生じる「以前」には不可能だったが、今日可能になったのは、精神(霊)界を、精神(霊)界の象徴から把握可能にするような存在(キリスト)が、ゴルゴダの秘儀を通じて、物質界にやって来たからである。

 この来訪は、宇宙における聖霊の存在、すなわち宇宙的な思考による世界の統治と呼べるような出来事である。とはいえ、人間にも、準備ができていなければならない。

 恐怖を呼び起こすような空虚に直面するときでも、福音書、或いは人智学を携えているなら、道を失ったり、無限の深淵の中に飛び込んだりすることはないだろう。

 もし、著書「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」(また、それに続く著作)の中で紹介した準備を経て、この幽鬼的な空虚に近づき、精神(霊)界に参入するなら、そこで生じる全てが、人間の感情を痙攣させ、思考を飲み込むが、そこで、動物界、植物界、鉱物界の存在たちとは全く異なる存在たちに遭遇するだろう。

 「土星」という存在、そこには雲も、光も、音もないが、その土星に親和し、適応するなら、人間は、土星存在たちを知るようになる。実際、人智学の命名では、「意志霊」、あるいは「トローネ(座)」と呼ばれる存在たちを知るようになる。

 具体的な事象として知るようになる「意志霊」たちは、いわば波打つ勇気の(感情の)海から構成されている。人間には、最初、想像しかできなかった存在が、超感覚的能力(霊能力)によって、具体的な「存在」となる。



 それは、ただの無関心で原始的な感情の海ではない。その海では、勇気の感情として記述できるような、あらゆる可能性と多様性が、その海を泳ぐ人間にやって来る。その海から認識できる存在は勇気から構成された存在たちだが、その海では全く個別化されている。

 意志霊たちは、完全に勇気から成立している。とはいっても、そこで遭遇するのは、勇気だけでなく、具体的な意志霊の存在である。肉体からなる人間と同様に、具体的事象でありながら、肉体ではなく、勇気からなる存在たちに遭遇する、というのは確かに不可思議な現象のように思われるだろうが、実際、そのような体験をもつ。

 「意志霊」のような精神(霊)的存在に遭遇すると同時に、「土星」にも言及できる。というのも、「土星」こそ、勇気から成る「意志霊」により表現される天体だからで、それが「土星」の本性なのである。

 土星は、球形ではなく、6つの角も4つの角も持たない。全く空間的要素にあてはまらない。従って、「土星」には「境界」が見つからない。もし、土星内を「泳ぐ」ようなイメージをもつなら、「土星」は海面のない海といえるだろう。その代わり、土星内のあらゆる場所、あらゆる方向に、「勇気霊」、もしくは「意志霊」に遭遇する。

 上記のような認識には直ぐに到達できないが、土星状態については、後の講義のなかでも説明する。というのも、いまは、「土星」、「太陽」、「月」という順番で説明しているが、本当は、逆の順番、つまり実際の超感覚的な方法で知覚される順番の、「地球」から「土星」に向かう方向に進む説明のほうがわかりやすいからである。

 しかし、今は、順番をそれほど重要とみなさずに、「土星」、「太陽」、「月」の順に特徴づけを行う。

 超感覚的な観点に特徴的なのは、少しずつ、慎重に、その認識に到達するように細心の注意を払わなかったら、究めて想像が困難な事象が生じてくることにある。というのも、その困難な事象とは、「ある存在がなくなる」ことで、同時にその存在は、通常の想像力と密接に結びつくからである。

 つまり、「ある存在がなくなる」とは、「空間という存在がなくなる」ことにある。

 例えば、「~の頂上で」、「~の下で」、「~の前で」、「~の後ろで」、「右へ」、「左へ」と泳ぐ、というような、実際、空間に関連した表現がなくなる。「土星」においては、空間的関連は全く意味をもたない。「至るところで」という表現も「同様」に意味をもたない。

 また、更に重要なことは、「土星」の最初期に参入する際には、「時間もなくなる」ことである。つまり、後も先もなくなる。当然、今日の人間には想像が究めて困難となる。というのも、ある考えは別の考えの前、もしくは後に現れるというように、今日では人間の考えも、時間の中を流れているからである。

 とはいえ、時間の欠如は、感情を通じて把握できるだろうが、この感情は混乱を生じさせる。



 この状態では、「過去」の経験は、時間のある「時点」において生じた、とは言えない。経験は、時間に結びつき、時間とともにあるが、完全に固定され、もはや触れることができない。時間が意味をもたなくなり、全く存在しないからである。

 従って、次のような問いは無意味となる。

 「ところで、地球の過去の「土星」、「太陽」、「月」の状態について記述したが、「土星」の前は何だったのか?」

 土星の「前」の状態を問うことは無意味で、土星を超えては、時間は存在しないので、時間との関連を示す表現なしに参入しなければならない。時間的に超えることのできない「土星」という、まるで閉じた箱の中の世界にいる状況と似ている。

 思考は、土星で終着点となる。超感覚的な能力も同様である。通常の思考は、超感覚的能力よりも前に終着点を迎え、それほど遠くまでは辿れない。イメージで表現するなら、思考する脳が凍りついてしまうようなものだろう。






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Last updated  2011年05月19日 16時57分01秒
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