シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年07月28日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 クリシュナは、ギーターで語られているように、アルジュナに教えを授けた後に、今度は、ルカのイエス少年のなかに受肉するために現れる。従って、12歳のイエス少年のなかで、アジアの究めて重要な[2つの]世界観(宇宙観)、すなわちゾロアスターの自我とクリシュナの霊我が結びつき、完全性が実現する。

 (クリシュナとゾロアスターと仏陀の三位一体の創造行為が、聖杯の伝説だと思われる。)

 そのとき、神殿で導師たちに語りかけているのはゾロアスターだけではない。ゾロアスターは、自我から語り、ゾロアスターは、かつてクリシュナがヨーガを(アルジュナに)告知した手段で、更に一段階高めたヨーガについて語り、30歳にまで成長していくために、クリシュナの力やクリシュナと1つになる。

 ゾロアスターとクリシュナが1つになり初めてキリストにより所有できた完璧な肉体性が得られる。このように人類の様々な霊的な潮流は合流している。ゾロアスターとクリシュナの合一により、ゴルゴタの秘跡が起こるとき、人類の最も重要な師たちの共働、及び霊的な生活の統合がなされる。

 パウロがダマスカスを前に、上記の合流の出現に遭遇するときに現れるのはキリストである。キリストが纏う光輝(エーテル体)はクリシュナのものでもある。キリストが、更に働きかけを続けるため、魂の覆いとして、クリシュナを受け入れたので、輝きを放つエーテル体のキリストのなかに、かつて崇高なギーターの内容であった叡智全ても含まれる。

 キリストが語ったとされる、新約聖書の啓示のなかに、バラバラに散らばっているとは言え、太古のクリシュナの教えに由来する多くの教義も見つけられ、この古いクリシュナの教義は、新約聖書により、全人類の要件となった。なぜなら、キリスト自身は、本質的には、人間の自我や人類には属さず、高次ヒエラルキア(天界)に属するからである。

 しかし、同時にまたキリストは、人間を取り巻く物質的存在や、人間にとっては、ルシファーの誘惑を通じて現れるマーヤー(幻想)のなかの覆いから、まだ分離していない太古の時代にも属している。人間の進化全体を振り返って見れば、太古の時代にあっては、霊と物質の間には厳密な区分がなく、物質が、まだいまよりも霊的で、霊も、まだ外的な顕現を表していた。

 サーンキヤ哲学において現れるプルシャとプラクリティの厳格な区別と排除を退けるような力が、キリスト衝動(意志)のなかで、人類に歩み寄ることで、キリストは人間の自発的なしかも神の創造のための指導者になる。

 更に次の問いが思い浮かぶ。



 否である。なぜなら、魂の罪から生じたマーヤーを、魂自身が切り捨てるなどというのは、宇宙(世界)における霊(神)への冒涜(ぼうとく)に等しいからである。つまり、人間の魂自身が、マーヤーというヴェール(覆い)を、物質の特性に負わせたことに相当するからである。

 (自分が出した糞は、自分で処理すべきである。自分が出した糞が汚いから、誰かに捨てろといっても、宇宙では通用しない。)

 むしろ、物質を、マーヤーとしている認識を、自らのなかで克服し、再び宇宙(世界)との和解を望むべきである。人間を取り巻く宇宙から、人間に向かって響いてくる言葉は、以下のものである。

 「この宇宙は、エロヒム(神々)の創造であり、創造の最後の日に、『見よ、全ては極めて良かった』(7;モーセ創世記1章.31)と、エロヒムはみなした。」という言葉から、エロヒムは、非常に満足した、ということがわかる。


http://www.genji54.com/japanese%20classical%20lit/JapaneseGenesis.htm

 エロヒムのこの満足は、もし、クリシュナの教義だけが存在するなら、この満足は、将来、成就するカルマである。というのも、カルマの成就なしには、宇宙には何も生じないからである。

 もし、クリシュナの教義だけが永遠に存在したなら、地球進化の最初に、エロヒムが、「見よ、全ては極めて良かった」と満足した神々の顕現(開示)である周囲の物質的存在に対して、「それは良くない、そこ(カルマ)から逃げなければならない!」という人間の判断が対立する。

 つまり、これは、人間の判断を、神々の判断よりも上位に置くことになるので、進化の出発点に、秘密として書き置かれた上記の言葉(モーセ創世記1章.31)を理解しなければならない。この秘密の言葉を理解すれば、人間の判断を、神々の判断の上位に据えることはない。

 人間の魂に、付着する罪全て(カルマ)から逃げ回って、自然にいつか消えていくことを待ち望んでも、少なくとも、エロヒムの創造を誹謗するという罪が唯一残るので、結局、地球のカルマは成就すべきもので、未来においては、その全てが、人間の魂に襲いかかってこざるを得ない。とどのつまり、カルマは成就せざるを得ない。

 以上のように、神々と人間との対立が起こらないようにするため、キリストは、この世界(宇宙)に現れた。

 人間が、この世界(宇宙)と和解した結果、人間が、ルシファーに対して誘惑の力を克服する術や、そのヴェール(覆い)を突破していく術や、神々の顕現の真の姿を霊視できるように、人間を神々の顕現の真の姿へと導く調停者キリストを発見し、キリストを通じて「見よ、全ては極めて良かった」という太古のエロヒムの言葉を理解する術を学ぶことができるようになるために、キリストは、この世界(宇宙)に現れた。

 決して、宇宙のせいにすることが許されない罪を、人間自身の責任とすることを学ぶために、人間はキリストを必要としている。キリストに従えば、その他の罪も全て、人間から取り去られる。この罪はキリストを通じて、人間から取り去られなければならない。



 この罪意識が、道徳的な感情に変化すると、更に新たな面からのキリスト衝動(意志)を与える。同時に、この罪意識のキリスト衝動への変化は、人間に、高次の魂であるキリスト衝動(意志)がクリシュナ衝動(意志)に覆われることが不可欠であった理由を示す。

 以上のような議論を、単なる1つの理論として、日常のなかに受容する概念や理念の総計のなかに埋没させることを望まない。以上のような議論を、是非、特別な新年(1913年1月1日、ケルンでの講演)の贈り物とでも思って受け取って欲しい。





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Last updated  2011年07月29日 16時53分02秒
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