シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年10月14日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 感覚活動、腺分泌、そして消化活動のなかに遭遇するのは、霊的形態の分解プロセスの特別な表現そのものである。それらは、霊的な形態の破壊プロセス、もしくは、物質として現れる霊的形態の射出として、一般的に記述できる特別なプロセスである。

 ところが、また神経の活動や筋肉の活動、そして骨の強さや働きとなると話は全く異なる。以前、骨格には、物質となったイマジネーション(霊視力)が存在し、筋肉には物質となったインスピレーション(霊聴力)が、そして神経には物質化されたインテュイション(神通力)が存在する事実を示した。

 そして今、更に進んで、一般向けの人智学講演では、一部として記述できる真理について、より完全に記述できる段階にきた。

 人間が、死の門を通過し、荼毘に付し、もしくはその他何らかの方法で徐々に、肉体が朽ち果てるとき、骨格はバラバラに崩壊する。しかし、骨格が物質的な意味で崩れ去るとき、イマジネーション(霊視力)が後に残り、イマジネーション自体は失われない。

 イマジネーション(霊視力)は、人間が、死の門を通過し、カマロカ(欲界)、もしくはデーヴァ界(神界)に入るときにもなお、人間の本質の内にある霊的な実質の中に残る。充分に経験を積んだ秘儀参入者には、イマジネーション(霊視力)は、人間の骨格に似ているようには見えないが、あまり訓練を積んでいない秘儀参入者に作用させると、実際に、骨格と外観上の類似性をもつように見える。

 (骸骨のように死者がみえるのは、低級の霊能者である。)

 人間の死が骸骨のイメージで表現される事実が正当性をもつのは、以上の理由による。本当のイマジネーションのイメージは未体験だが、未体験故に、骸骨のイメージではなく、正しい超感覚的な認識に遡ることができる。

 そして、このイマジネーション(霊視力)に、更に、物質的な意味で、筋肉が朽ち果てるとき後に残るインスピレーション(霊聴力)が結びつけられる。筋肉の後には、インスピレーション(霊聴力)が残る。

 筋肉とは、実際、インスピレーション(霊聴力)の表現にすぎない。筋肉という物質の中に浸されたインスピレーション(霊聴力)なのである。人間が死の門を通過するとき、インスピレーション(霊聴力)が残る。それは大変興味深い事実である。



 人智学では、人間が、エーテル体を完全に放棄しないことが知られている。死の門を通過するとき、エーテル体からのエキス(精髄)を携えていくが、そのエキスが全てではない。エキスとは別のものを発見できる。

 人間は、生涯を通じて、神経を携えていくが、この神経とは、インテュイション(神通力)が崩壊した物質に他ならない。人間が神経を担って、この世を生きるのは、神経が組み込まれている人体の場所において、インテュイション(神通力)が必ず存在し、その精神(霊)性を、外にむかって周囲に、絶えず一種のオーラのように放射するためである。

 従って、死の門を通過するときに携えていくエキス(精髄)だけが問題になるのではなく、神経が崩壊するにつれ、外に向かって送り出されるインテュイション(神通力)についても考察しなければならない。人間の中では、常に崩壊プロセスが進行している。

 人間は絶えず新たに造り直される必要がある。神経の場合は、特に、他のどの場所よりも耐久性を持つように対処されているにも関わらず、つくりなおされる。インテュイション(神通力)により唯一知覚可能な、絶えざる流出が、神経では起こっている。

 従って、物質的な神経が細分化するに従い、精神(霊)的な実質(インテュイションにだけ知覚可能な実質)が、その場所から、絶えず放射されている、と言ってもよい。このことから、人間が、物質的な神経を使用する限り、つまり、神経を使い果たし、破壊する限り、物質現象界にとっても、意味をもつことがわかる。

 人間は、実際、物質界にも大いに意味をもつ存在である。何故なら、人間から、いかなる種類のインテュイション(神通力)的に知覚可能な霊的な実質が流出するかは、どのように神経を使用するか、にかかっているからである。同様に、筋肉を使用するときにも、インスピレーション(霊聴力)によって知覚可能な霊的実質が流出する。

 インスピレーション(霊聴力)により知覚可能な霊的実質の流出は、繊細な差異が無限に広がる運動の経過の中で、人々を絶えず物質界へと定着させる(この言葉では、不明瞭だが、他に適当な言葉がない)ような形で生じる。霊感を受容した霊的実質が、人間から物質界へと流出する。

 そして骨から、イマジネーション(霊視)的に知覚できる霊的実質が流出する。骨には非常に興味深い事実が存在する。超感覚(霊)的な探求の結果を、過剰に供給するためではなく、本当に興味深い事実として、上記の意味をもう少し拡張させると、この骨の崩壊に伴う放出を通じて、人間が行く場所に、イマジネーション(霊視)により知覚可能な精神(霊)の像を後に残す。

 人間が居た場所にはどこでも、非常に繊細な影絵のような像が後に残る。それらは、物質界の一般的なプロセスの中に受け取られるまでの間、霊視により知覚可能な像として、まるで個人の骨格から放たれた繊細な影絵のような像として、霊視的に存在する。

 例えば、自分とは気が合わない人物が以前住んでいた部屋に入ったときに、時として感じる不愉快な気配は、このイマジネーション(霊視)的な像のためである。その気配は、概して、人間が残したイマジネーション(霊視力)による。

 一種の影の像という形でも、人間は、出会う。別の人が部屋に残した影のような像により、落ち着かない気持ちになるほど不安を感じやすい人は、超感覚(霊)的な能力に関して、未開発であるとは言えない。超感覚(霊)的な能力を持つ人が進んでいるのは、他の人が本能的に感じ取るものを、イマジネーション(霊視)的な像として可視化できる点にある。





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Last updated  2011年10月17日 09時11分59秒
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