シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年11月01日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 今日の自然科学は、ダーウィンの衝動に従って、ある重要な結論を(感覚世界の観察だけから)引き出した。いわゆる、ダーウィンの自然科学は、「自然淘汰」の原則について語る。外の感覚世界が提供する認識だけを考慮する限り、周囲のいたるところに、この自然淘汰を見ないことなど有り得ない。

 当然、至るところで、自然淘汰に遭遇する。海の生き物が産む無数の卵について、その内のどれほど多くが破壊され、消え去るか、そして、ほんのわずかの卵が実際に成長し、新しい生物になることを考察してみる。そこには明らかに恐ろしい自然淘汰がある。

 もし、感覚世界にだけ耳を傾けるなら、確かに自然淘汰について嘆き悲しみ、「何億もの卵の中で、何と多くが自然淘汰に屈し、ほんのわずかしか生き残らないことか!」と感傷に浸ることもあるかもしれない。しかし、そもそも、この自然淘汰というのは、人間の思考の一端にすぎない。

 今、それとは別の思考の一端を提示する!

 海の生態とは別の観点から、同様の思考経路を辿って、別の思考を提示する。この別の思考についても、自然淘汰として同じように嘆き悲しむこともできる。では、視線を、海の生態から、陸のトウモロコシ畑にうつす。

 トウモロコシ畑には、沢山の穂が立ち並び、それぞれの穂が、多くの実をつけているのを見て、「この多くのトウモロコシの粒のうち、どれだけ多くが失われ、真の目的を成就することなく終わるのか、そして、そのうちどれだけが、再び地中に植えられ、再びトウモロコシになれるのか?」というような自然淘汰の疑問が生じる。

 上記の疑問から、実り豊かな収穫を約束するトウモロコシ畑を眺め、「この世に発芽する生命のうちのほとんどが、その目的を達することなく消え去る!」ということがわかる。

 (人間の人生も同じようなものかもしれない。)

 ただ、ごく僅かの穀粒だけが、新しい同種の植物を生じるために地中に埋められるが、やはり、ごく僅かしか、その目的に達しない例の1つとして、上記のトウモロコシ畑のような、海の生物とは異なる領域でも観察できる。



 「もし、トウモロコシの粒が1つも残らず、再び地中に埋められるなら、トウモロコシを食する人間はどうなるのか?」という疑問である。

 いま、トウモロコシの粒が1つ残らず成長するような豊かな栽培が可能である、と想像してみる(理論的には、何でも想像できる)。

 しかし、同時にトウモロコシから栄養を取る必要のある存在たちはどうなるのか、という疑問も考慮しなければならない。この疑問から、感覚界だけを眺める際には正当化できる信念を揺さぶるような奇妙な概念に辿りつく。

 トウモロコシ畑を、物質としての存在でみる場合、1つ1つの粒がトウモロコシという植物体へと成長すべきである、という結論は正当化できる。しかしながら、その結論を採用するなら間違いとなる。

 上記の目的や目標を、つまり、植物体へと成長することを、1つ1つのトウモロコシの粒に帰属させるなら、その結論は、恐らく、宇宙における事物の全体的な関連性においては正しい思考とはならない。他の存在のための食物となったトウモロコシの粒は、宇宙的な目的を果たすことに失敗した、という発言を正当化する根拠は恐らく何もない。

 「海の生物の卵は、魚にまで成長しないなら、その目的を達成できなかった」、と主張する理由は、恐らく何もない。実際、全ての卵や種子が、再び同じ存在になるべきと考えるなら、それは人間の偏見である。

 何故なら、人間の眼差しを宇宙全体へと向けるときにだけ、個々の存在の使命を推し量ることができるからである。そして、魚へと成長することなく、毎年、海の中で消え去る何百万もの卵全ては、人間の視界に入らない別の存在の食料になったのである。

 本当の存在(本性)に向けて、邁進するなかの道の途上で、明らかに海の中で失われる無数の卵のなかの精神(霊)的な実質は、人間の偏見からみた目標(目的)に到達できなかったからといって嘆いたりはしない。何故なら、本来の目的とは、その他の存在たちの栄養になること、その他の存在に受け取られ、その存在の中に入っていくことだからである。

 人間は、自らの知性で、事物の傍らに立ち、その事物を、何か究極の目標に向けて、つまり、人間の感覚を通じて見たときの観点から考えるような究極の目標に向けて努力することだけが意義をもつように想像する。

 しかし、もし偏見なく、広い心をもって、自然を見るなら、個々の存在が、個々の段階において、一定の完成と充足の状態にあるのが発見できる。そのような完成とは、個々の存在が、最終的に到達する目的にだけあるのではなく、個々の存在の中に既に含まれている。

 以上が、人智学により獲得され、人間の心と心情の中に根を張るべき、自然淘汰とは別の観点からなる思考である。そして、もし、外界から目を逸らし、自身の魂の中を覗きみるなら、魂の中の豊かな思考の蓄積から、その別の観点が生じることが観察できる。






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Last updated  2011年11月02日 08時35分44秒
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