シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年05月10日
XML
カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 中村仁一著「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を読んでみて、納得することが非常に多かった。

 この本から、私が受け取った感想は、「世間の連中は、肉体の死ばかり考えているが、精神の死を問題としない」ということに尽きる。

 事実、現代の哲学がもはや死に絶えてしまったことに関係があると思っている。

 現代の腐ってしまった哲学に、その答えを望むのは不可能である。

 現代で、哲学者といえば、一部のホームレスを除いて、金銭や名誉欲を満たすことしか頭にない腐敗の徒ばかりである。命を捨てずに、他全てを捨てることができたホームレスは、哲学者といえるだろう。

 哲学者のなかにも、自分でできることを、自分でできないアホが多く、そのようなアホに付き合わされる位迷惑なことはない。だから、哲学を学ぶのは、無意味なことだと若者は考え、その考えをもつこと自体が、若者を堕落させてしまう要因になっている。

 「我思う、故に我あり」が、「我、無意味に思う、故に我、腐敗す」となっている。

 自分のこともできない哲学者が多い。他人に迷惑がかかることが理解できていない。自分のことを自分でやらずに、本当の自分が探求できるのだろうか、不思議である。

 古代の賢者が述べた名言や思想をかりても、それは他人のものにすぎない。つまり、現代の哲学者は、単なる収集家でしかない。



 このような虫たちに、ソクラテスの「魂の配慮」など理解不能だろう。

 そのようなわけで、知識をいくら収集しても、病気を解明するどころか、病気理論家になるだけで、病気を増やす病気収集家や知識収集病という、本人に自覚なしの「精神疾患」に罹るだけである。

 PhDは、単なる収集家の称号である。所詮、足の先についた米粒と同じということだ!

 現代の哲学を、本筋に戻す、つまり軌道修正するのが、人智学の立場である。

 人智学に出会ってみて、改めて考えることは、病気とは何なのか?にある。

 人智学は明確に、その答えを出している。

 その答えを、自然のなかから導きだしている。

 その回答は、自然の流れに、病気はあるのか?という疑問からはじまる。

 自然のなかに、病気と思われる現象は、個別的にみれば、幾つか挙げられるだろうが、時間が経てば、全体として、自然に治癒してしまう。

 つまり、自然の流れは、個別的で、一時的な病気のようにみえる現象も、全体としては、自然治癒に向かわせている。

 だから、自然全体が、いわば助け合いの精神で築かれていることに気づく。



 パラケルススは、医師は、自然の流れから、自然治癒力を学ぶ必要があると言った。

 老子(タオ)の教えも、同じである。人智学からいえば、老子は、古代アトランティス時代の教訓をまとめたものなので、当然ともいえる。

 逆にいえば、自然のほんの一部の働きでも欠けてしまえば、自然治癒力は万全とはいえない。

 さて、次に人間と自然の関係が問題となる。

 人智学では、人間と自然は相反した関係と説いている。相反といっても1種の鏡と考えるべきである。



 例えば、自然のものを、そのまま食べたら、ほとんどが毒になる。自然を構築しているものが、人体のなかでは、毒となるのだから、アベコベである。

 自然に対抗する免疫力のお陰で、自然のものを消化できる。自然のものを取り入れても、自然治癒力が免疫力となり、消化できるわけである。人間は、自分の免疫力がどれほどなのかわからないので、伝承された文化から、食物を選択する。

 過去の人たちが何度も死に目にあって、免疫を獲得してきたお陰で、食物がある。

 少なくとも、文化のない動物は、経験しなくても、自然治癒力を利用して、食物を選択できている。

 では、人間は、いつから暮らせるようになったのだろうか?

 その答えは聖書にある。

 「ヤハウエ神は、アダムに、生命の樹からとって食べてはよいが、智恵の樹からとって食べてはいけない、と命じた。」

 聖書は隠喩を含んでいる。生命の樹とは、体内にあるもので、智恵の樹とは、体外の自然である。簡単にいえば、精神を潤すものはいくらでも食べていいが、外の物質は、食べてはいけない、ということである。

 つまり、「精神を向上させるものはいくらでもとりなさい。しかし、物質や五感を満足させるものをとると、死ぬよ!」と言った!

 アダムは、外の物質を食べてしまったので、自然の存在となった。正確にいうなら、アダムの霊魂は、自然の一部である肉体に転生してしまったので、この物質界を知り、五感から覚醒意識を産み出し、物質的な神経が生まれた。

 人間の神経組織を図にすれば、蛇の形になることでわかる。

 蛇の形の神経から生まれる覚醒意識により、自分の体内とは全く異なる自然界を人間は認識し、その認識を「生きること」とし、この覚醒意識が消失すると、「死」を意識することになった!

 反面、神の創造世界とは一時離れ、自分だけの仮想世界に遊ぶ自由を手にいれた。人間は、宇宙の腫瘍となった。

 人間が宇宙の腫瘍なのは、自然のものをそのまま食べられないことや、ほとんどの人が腫瘍が悪化したガンで死ぬことでわかる。

 しかしながら、腫瘍は腫瘍同士で助け合わないと生きていけないことが課された。

 腫瘍といっても、宇宙を超えて存在することは不可能だからである。寄生は寄生する本体がいて、はじめて成立する。

 宇宙や地球がなければ、人間は存在できないばかりか、腫瘍として一時も生きられない。 

 だから、人間という宇宙の腫瘍の存在が、病気になったなどとは不思議である。

 この矛盾のなかに、神の深慮が浮かびあがる!

 腫瘍が、病気になることで、腫瘍を克服する自浄作用が働くからである。

 腫瘍が病気に罹るのは、自分を知るよい機会である。宇宙や自然にどれだけ迷惑をかけ、依存しているかがわかる機会である。与えられた自分の本分を尽くさずに、宇宙に適応できていないということである。

 長々と書きすぎた感があるので、結論をいう。

 病気とは、助け合いの精神を忘れた自己愛から生じる。人間同士がお互い助けあうように、身体を含め全てがつくられている。他者を助けることで、自分の能力が開発される。なぜなら、自然は、人間と正反対だからである。いつでも自然は、人類を滅ぼすことができるが、あえて、人類にその意志を委ねている。

 人類を滅ぼすかどうかは人類同士で助け合えるかどうかにかかっているし、私利私欲をなくすことにある。

 人はパンのみに生きるにあらず、神の言葉により生かされる。愛の精神を忘れた者は、精神の死を迎えるであろう。

 安楽死とは、他や宇宙の融合のなかに自主的に生きることである。外見など無関係である。

 死を考えるよりも、よく生きるには他者に何をすべきか、を考えるべきだろう。 





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012年05月10日 13時53分37秒
コメント(2) | コメントを書く
[軟弱日本を斬る!] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: