シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年10月26日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 オカルト(秘教)を学んでいると、現代に伝わっている聖書の解釈には誤訳が多いことがよくわかる。スウェーデンボルグ、シュタイナー、そしてドリールの書が、誤訳を明らかにしている。

 特にドリールは、太古より言い伝えられてきたカバラ(生命の樹)を知らなければ、聖書の本当の意味は理解できないと、「カバラの真義」で述べている。カバラの真義から抜粋し要約する。

  ☆  ☆  ☆

 原初には、「ホア(Hoa)」という「原始の一者」、「秘密のなかの秘密」、「神々の神」、「アイン(Ain)」と呼ばれる存在のみがあった。宇宙は、ホアが、様々な側面をもって表現したもので、それは、宇宙根源「生命の樹」が存在する領域のことを云う。

 (ホアは、宇宙の映写機のような存在か? 聖書は、「神は言葉とともにあった」と表現している。アインは、お笑い好みなら、志村けん氏のギャグを思い浮かべる人もいるだろう。ホアの逆読みは、アホなので、これまた、坂田氏のギャグを思い浮かべる人もいるだろう。)

 アイン(ホア)は、総ての存在の根源であり、大なり小なり総てのものに浸透している。だからアインは、総ての創造と非創造の両者なのである。

 実質、本質、知性は、アインの非創造からの顕現で、純粋な本質のアインは、創造も非創造もどちらも持たず、ただ、法則そのものを体現している。

 総てのものは、アインから生まれ、最後にはアインへと帰る。「アイン」とは、宇宙根源の「生命の樹」が誕生した場所で、地球物質(3次元)界は、非創造から顕現した世界である。

 アインとはまた、あらゆる側面の中立的な状態を保ち、どちらか一方に偏ることはない。



 生命体の原初の姿は、宇宙根源の「生命の樹」が誕生した場所に、大きな水辺があり、魚型生命体として生息していた。それは、今現在(西暦2012年)から遡ること、3191億9998万2366年前である。

 (キリストは魚に喩えられることもある。)

 宇宙根源の「生命の樹」が誕生してから、正確に、7年後のこと。アインは、「古代のなかの古代」であり、古代の象徴では、「閉じた目」として象徴化されていた。

 アインが、創造、顕現した時には「開いた目」で象徴された。

 既存の地球物質(3次元)界では、「ひとつ目」とは、闇の勢力により悪用されて来たので、「邪悪な(ルシファーの)目」の象徴となっているが、本来の意味においては、「創造の目」である。

 アインはまた、永遠のシンボルたる円によって象徴され、それは単に宇宙の中心だけでなく、その領域をも象徴する。

 (岡本天明著『日月神示』に出て来る、「丸の中に点」は、カバラで云うところの「アイン」を指しているようである。)

 アインの中に形成された総てのものは、結局は、分解崩壊して「第一原理」たるアインに帰属してしまうのだから有限なのである。

 既存の地球物質(3次元)界は、有限の代表的な世界である。

 だが、アインそのものは、総ての原初と究極の双方であるから、無限なのである。

 アインの外側には何もない。真空さえもない。だから、総てのものは、アインのシンボルたる円の円周内にある。円の内部で総ての創造と分解とが起こる。



 アインは、あらゆるものから、究極の結界によって守護され、全宇宙の何者であろうとも、結界を破ることは出来ない。つまり、この結界と、また、アインの外側については、究極の秘密がある。

 この秘密について、どうしても知りたいのなら、地球の「内部世界」に入るしかない。

 アインとは、「一なる存在のいる場所」である。

 「一なる存在のいる場所」が、宇宙根源の「生命の樹」が存在する場所である。

 アインは、第1の三光球(ケテル、コクマー、ビナー)を顕現させた。この三光球もまた、


 (「アイン」を繰り返して、反対に読むと、「イア、ニア」もしくは「エア」となるので、「アイン・アイン」から、「エア神」、もしくは、光に浸透された「空気」を連想させる。)

 ケテルは、陰も陽も統合する両性をもち、ケテルから、外面的に男性で、内面的に女性を秘めるコクマーが生まれるので、父性、もしくはヤーと呼ばれる。更にコクマーから、外面的に女性、内面的に男性を秘めるビナーが生まれ、母性、もしくはヤハウエと呼ばれる。

 第2の三光球(ケセド、ゲブラー、ティファレト)を生じることで、アインは無限になり、無限の根源という概念をアインに与えるので、それらは「アイン・ソフ」と呼ばれ、低位への発生を伝える。

 (「ソフ」とは、「浸透する」という意味をもつから、アインが浸透する、という意味になり、「アイン・ソフ」は、逆さ読みすると、ソフィエアー、つまり、「ソフィア」の意味の「神の愛」、もしくは「叡智」を連想させる。)

 そして、第3の三光球(ネツァク、ホド、イエソド)を生じることで、アインは無限光になるので、それらはアイン・ソフ・アウルと呼ばれ、物質界のすぐ上の形成(4次元アストラル)界を生じさせる。

 (光球群の全体でもって、聖なる人、アダムカドモンの体を形成し、第1の光球が頭部、第2の光球が両手と胸部、第3の光球が両脚と腹部、残った光球のマルクトは、物質界に立つ両足となり、この体は、10の光球(セフィロト)より成る。

 物質界では、マルクトは、陰陽(正負)に分かれ、2つの黒光球となるので、物質的な数え方だと、12の光球となる。だから、霊(意識)的には、10次元だが、物質的には、12次元となる。

 恐らく、超弦理論のM理論で、Dブレインを相対論的に扱うことで、10次元の意識論から、12次元の物質論に展開できるものと思われる。)

 アイン・アイン(Ain Ain)とは、均衡(バランス)の中心であり、ポジティヴ(光)とネガティヴ(闇)との均衡の中心でもあり、これは、「真ん中の人」を指す。

 聖なる人「アダムカドモン」とは、10の光球=10のセフィロト=宇宙根源の「生命の樹」のことである。従って、宇宙根源の「生命の樹」は、アインの中に存在し、アインは、ホアの中に存在することになる。

 三光球(三つ組)が、常に、1セットであることが、宇宙の真なる教えが三位一体であることを告げている。

 人類が、当面、向かってゆく場所とは、「アイン・ソフ・アウル(Ain Soph Aur)の形成(4次元アストラル)界」であり、弥勒の世=地上天国=約束の地といった場所が、その入り口となっている。

 (4次元アストラル界は、金星ともいうようだ。)

 「アイン・ソフ(Ain Soph)の世界」へ向かうのは、約束の地の3036年間を通り抜けた後の、更に先の段階となる。

  ☆  ☆  ☆

 以上のような内容だが、以前にも述べたように、生命の樹とは、神の創造を説く書物でもある。例えば、聖書の創世記を細かく説明する書なのである。例えば、以下のウイキにある「生命の樹」と、「形成の書」を組み合わせると、カバラの奥義が明らかになる。

生命の樹
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E6%A8%B9

形成の書
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E6%88%90%E3%81%AE%E6%9B%B8
 以上のサイトのなかの

 『10の「数」(によって象徴される4つの根源的元素と6つの方位)と22の「文字」(によって象徴される元素)を用いた、神による世界の創造を描く。また、この「数」と「文字」を合わせて「33の智恵の経路」とも総称する。』

 を解説する。

 4つの根源的元素とは、テトラグラマトン(YHVH)のことである。ドリールによると、唯一神ホアが、6つの方位、つまり、六芒星形に、テトラグラマトン(YHVH)を発(表現)した。テトラグラマトン(YHVH)は、4つの世界を意味する。

 ドリール風にいえば、テトラグラマトン(YHVH)は、1.霊(スピリチュアル)界 2.心(メンタル)界 3.形成(アストラル)界 4.物質界となる。だから、Yは霊界、Hは心界、Vは形成界、Hは物質界となる。

 それぞれの世界が、陰陽とその融合の三位一体の3組からなるので、4つの言葉の3つの表現から、4×3=12に分かれることがわかる。この12が、10の光球(セフィラー)にあたることは上に紹介した。マルクトが、陰陽を含め3つの光球になる。

 この10の光球(セフィラー)と22の文字を現す小経(パス)から、生命の樹が成り立つことが再確認できる。ホアを含めるかで、合計32か、33の叡智の経路が成立する。この32、もしくは33の数は、生命体の基本数といわれ、例えば、人間の脊柱骨の数を現していることは、以前述べた。

 そして、カバラの概略は下図からわかる。

seimeinoki1image.jpg

 上図のイソッドはイエソド、ゼブラーはゲブラー、チョクマーはコクマー、ニトザクはネツァク、ティペレトはティファレト、マルキュトはマルクトであるが、唯一神ホアが、三母字の三つの言葉:アレフ(空気)、メム(水)、シン(火)から、スピリチュアル界(霊界)を顕現させることがわかる。

 テトラグラマトン(YHVH)のYのヨッド、Hのヘー、Vのヴァヴ、Hのヘィは、それぞれ、Yは霊界、Hは心界、Vは形成界、Hは物質界を形成するが、Yのヨッドは、三母字の霊界を現し、Hのヘーは、七複字の心界を現し、Vのヴァヴは、十二単字の形成界を現すようである。

 またHのヘィは、物質界のことで、Hを、現代の聖書解釈者は、He(彼)と取り違えて訳したために、「物質界の克服が、魂を磨く(意識を高める)唯一の道」という意味を失ってしまったという。

 また、有名な「エヘイエ アシェル エヘイエ」とは、「我は存在するところの存在なり」と現代の聖書解釈者は、誤訳しているが、本当は、「バランス(均衡)によりバランス(均衡)をもたらす存在なり」というのが本当の意味であるという。

 つまり、老子風にいえば、「陰に対しては陽を、陽に対しては陰をもたらす存在なり」ということになる。だから、中庸による中庸をもたらす存在が、唯一神ということになる。全ての存在は、総てにバランスをもたらす唯一神から出て、唯一神に還る、ということなのである。

 「エヘイエ アシェル エヘイエ」が、三種の神器の八咫鏡(やたのかがみ)に書かれているというのは、非常に興味深く、鏡は、左右(カイラル)対称性をもたらす存在なので、つまり、神は、この世に対称性をもたらす法を与える存在であることを意味している。

 だから、宇宙の総ての存在は、自らがなしたことが、自らにかえることになるわけだ!

 このようなことを、老子は、第81章で説いているが、その紹介は次回に譲る。





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Last updated  2012年10月30日 16時08分49秒
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