シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年03月13日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回は、討幕が幕末だけでなかったことを、八切止夫作品集から抜粋紹介した。島原の乱が代表的で、いまでも豊臣の反乱説として噂されるのは、討幕だったことを伺わせるのに充分だろう。

 島原の乱を決起に、鎖国といわれる政策がはじまったのだが、それは幕府が硝石を独占して、他勢力の反乱を起こさせないことで、キリシタン追放の真の目的は、朝廷囲い込みであることがわかる。島原の乱を調べると、後の幕末に行われた長州征伐の要因がよくわかる。

 島原の乱からわかることは、徳川草創期には、世良田二郎三郎家康の神道の出自を隠し、仏教勢力を懐柔することが幕府の目的だったわけで、その後の元禄に、神仏習合がなされ、薬師寺系が主流となっていき、吉宗の時代に、大岡の思想弾圧の秘密(宗教)警察が生まれることになる。

 しかし、生類憐れみの令があまりにも悪法だったために、英雄待望論の水戸黄門が一人歩きしはじめ、大岡以来の思想弾圧という建前を重んじることで、幕末に水戸の烈公という私利私欲の如何わしい人物により、かえって幕閣は翻弄され、その子慶喜の野心とともに、公武合体は中途半端に終わり、幕府は自滅する形となる。

 結局、庶民側からみれば、討幕というのは、水戸黄門が、大岡越前に勝ったことになる。

 そこで、庶民側からみた、いまの経済問題にも似た話を、八切止夫作品集から抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

中元は民主主義精神

 「百科事典」の類をみると、正月と暮の中間だから中元で明治以降贈物をする風習が始まって、中元大売りだしなどというのが行われだした、となっているが、はたしてどうであろうか。



 もちろん、これが形式的になりだしたのは江戸時代からのことで、『音物(いんもつ)問答』という文化年間の本では、「武家屋敷入口に敷台があるは、玄関に立つ時の踏台の用の為ではない。もしその用途なれば根太材を組み厳重にするべきだが、四方かまちのみで中央が空になっているのはその上の音をよく反響させる為なのである」としてある。

 つまり、これは挨拶のことを色代とかき、しきだいと訓するごとく、訪問客が手土産持参の節、昔は銭束が多かったので、どさりと敷台に置くと、その目方でおよそどれ位か音で判るゆえ、取次の申次衆は聞き耳をたて、(まだ不足)と思えば知らん顔をしていて、追加して重くなった音がきこえてくると、「‥‥どうれ」と初めて案内に出たもので、今の世に、よく銭を追加するのを、「色をつける」などというのも、色代から始まった言葉なのである。

 「音信不通」などと沙汰のないことを言うのも、その音は銭のことをさして、銭も送ってこねば便りも来ぬというのである。

 さて近頃流行の辻講釈まがいの歴史ものでは、「武人不愛銭(ぜにをあいさず)」などというものがあるが、あれは見てきたような嘘をついているので、江戸時代には七月の声をきくと日本橋本阿弥邸などに行列ができるのは、切紙を求めに諸家の用人などが集まってくる、と『江都歳時記』にも出てくるぐらいである。

 これだけでは今の人には判るまいが、江戸時代に本阿弥家の切紙が中元にもてはやされたというのは、鰹節の切手やデパートの商品券が贈答用になったというのではない。

 武士にとって、槍は攻撃用具だが、刀は「打ち刀」と古来よばれるように自己防衛の用具だったから、この刀を贈答品にするというのが、好適のものとして喜ばれたらしい。

 が、刀には勝手に銘を切りこむ贋刀、つまり盗作も多いので、良いと思って贈っても、それが不良品だったら反って逆効果になる。

 だから本来は、本阿弥のような専門目ききの鑑定書をつけて贈るのが、心得というものだった。しかし、ここが難しい処で、とかく人間はそうした立場になると、悪いことをやりたがるもので、江戸中期の本阿弥の何代目かが、目ききの鑑定師の立場なのに、目がくらんで盗作をやってのけたのがいた。

 刀の銘を切り替えたか、贋と承知で証明書をだしたか判らないが、やってしまったのである。

 こういう事は現代でも文学博士の肩書で、道具類に対してそういう事をして儲けているのもいるし、最近の某新聞の第一面に、八段抜きで、「読者をなめた丸写し、堂々月刊誌に発表。形なしの某は、この盗作に関しては、非常にはずかしい、この問題によって、どんな社会的制裁を受けようとも仕方がないことだ、といっている」と、それまで東京新聞の中間小説時評を担当していた、いわば目きき鑑定役でもある批評家である男が、自分で盗作騒ぎを起こし問題になっているが、江戸時代は社会的制裁を受けるどころか、そうした際は自分で制裁をしなければならなかった。

 幸い刀の手持ちは沢山あったから、何代目の本阿弥さんは、一本を腹へ、一本を咽喉へ、そしてもう一本を心の臓へつき刺し自決してしまったそうである。すると、これが、「一刀でも痛かるべきに三刀も刺すとは、さぞや苦痛であったろう」と同情をひいた。なにしろ日本人は死にさえすれば、その罪を憎んでその人を憎まずといったモラルがあるから、本阿弥家はその儘で続くこととなった。



 そこで、本阿弥家では面倒ゆえ、証明書をつけるのは止めにして、「一金五十両也、右金員引換えに何々銘の刀を引換えまする」といった切紙をだした。

 もちろん、五両、十両の贈答用にもってこいのも、どんどん切紙を作製したから、中元の季節になると門前に行列ができた。

 というのは、なにしろ天下泰平の世では、「貰うのはよいが、だからといってたえず手入れしたり、時々は研ぎに出さねばならぬ実物は厄介千万である」と、その切紙を持って交渉にゆくと、本阿弥家でもなにしろ 実物でなくて紙切れにすぎず、金準備高を無視して乱発している何処かの国の紙幣のようなものだから 、(本物と交換といって来られては困るが、金で引換えるのなら願ったり叶ったり)であるからして、「これは十両の切紙でございますな。当方の手数料を一両二分引かせて頂き、はい八両二分どうぞお納め下さい」と、すぐ現金払いに応じた。

 こうなると刀剣鑑定は看板だけで、手形割引業のようなものだが、贈る方も貰う方も、手数料はとられてもこんな重宝な事はない。



 が、それにしても盗作批評家の本阿弥何代目かは、まこと都合のよい贈答システムを残したものである。

 というのは現在フィリピンの学校用の歴史の本に、「今日のわが国にワイロ、ゾウワイの悪習が、はびこっているのは、アメリカが占領中に、これが民主主義であると教え、おしつけていったプレゼントの慣行から起きたものである」と明記されているけれど、そのワイロを贈るのが民主主義政治のあり方の根元であるなら、これくらい体裁よく格好のよいワイロはないから結構なことである。

 ☆  ☆  ☆

 上の「なにしろ実物でなくて紙切れにすぎず、金準備高を無視して乱発している何処かの国の紙幣のようなものだから」とあるように、どの時代でも、米国政府のドル紙幣乱発の量的緩和政策(QE)のようなことは行われていたのである。

 なにしろ、ワイロを、民主主義と標榜する米国政府が、1%の金持ち(詐欺師)たちに仕切られていることが、その証拠なのだから。





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Last updated  2013年03月13日 14時09分18秒
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