シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年03月29日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 八切止夫作品集を読んでいると、日本は、江戸時代からほとんど変わっていないことがわかり、歴史については、明治時代につくられた出鱈目が罷り通っていることがわかる。

 だから、日本の歴史の真相を知れば知るほど、日本は、中央集権国家とはいえないのではないだろうか?という疑問が沸いてくる。

 政治家や官僚は、昔から嘘つきで、庶民騙しばかりで、最近やっと明るみになったが、特に司法制度は酷いものがある。八切止夫氏によれば、それは江戸時代の制度をそのまま引き継いだ形になっているので、欧米の司法制度とは180度異なるものらしい。

 この点をつかれて、米国はTPPをゴリ押ししていることを見抜かないと、日本は死んでも浮ばれないだろう。そのうち、米国の弁護士が闊歩しだすはずであり、日本の多くの企業は、米国の弁護士に乗っ取られるだろう。

 幕末の南北戦争で使わなくなった廃銃を、高く売りつけた事例をみれば、米国の商売とは、外見を着飾った中身オンボロの詐欺商売が伝統の国であることがわかる。要するにボッタクリである。

 八切止夫氏の考察による、日本の司法制度の酷さは、以下のHPに載っているので、今回は抜粋紹介しないが、その代わりに、日本が江戸時代から代わり映えがしないのは、仏教のせいであることを、最近、播州武侯さまのブログを訪問することで気づいたので、こちらの話を優先したい。

 以前にも紹介したが、現在の日本の葬儀形態については、仏教徒を儲けさせるために、明治政府がきめたらしい。以下に再掲する。

 ☆  ☆  ☆

 (6)[葬儀の歴史と寺院のあこぎ | 2007年04月11日]

 どうしたかといえば、風葬や焼いて適当に丘の上などに埋めたのだ。それでは寺が儲からないと考えたらしく、官憲に葬儀まで干渉させ、葬儀を許可制にしたのである。それ依頼、埋葬には医師の死亡診断書と火葬場の証明、さらに寺の受け入れ証明まで必要にさせられた。
(省略) だから庶民には明治以前は墓などほとんどなかったのである。

 ☆  ☆  ☆

 明治以前は、火葬は、拝火教の信者が行っていたそうで、他はほとんどが土葬だったようだ。だから、海洋民族の末裔の平氏が火葬だったものと思われる。

 その点について、ネットで調べていくと、また別の興味深い話に出くわしたので、土葬、火葬の話の後に抜粋紹介する。

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 というのは、火は清浄なものであると崇拝する拝火教徒は死後は火屋(ほや)に入れて焼く。しかし騎馬民族の元や北鮮からの源氏は、死者の顔に白布を被せ、頭を北枕にして土葬する風習があり、これは幕末まで続いている。

 所が「源」を名のっていても、足利氏は土葬ではなく火葬にし、等持院に葬り木像を飾っている。これは「輪廻」といって、人間は一度死んでも何度も生まれ変わるものだと、信じられていたのが中世期の思想だったためである。

 それゆえ葬いだけは、次ぎに生まれ損なってはいけないから、拝火教徒は神妙に死という汚れをお清めするための火葬は、来世蘇生のため止められなかったらしい。信仰のせいである。

 ☆  ☆  ☆

 だから、仏教徒は、拝火教でもないのに、銭儲けのために、拝火教を利用したのだから、全く罪深く、理念も信仰もない。あるとしたら、守銭奴で、坊主丸儲けの銭儲け教といえる。坊主をみたら詐欺師と思ったほうがマシである。日本人が無宗教といわれるのは、銭儲けしか頭にない仏教徒のせいでもある。



 ☆  ☆  ☆

足利義満と金 (八切史観)

 現在の高校歴史教科書で採用されている『詳説日本史』には「足利義満は尊氏の孫であって、細川、斯波、畠山氏らによって守護領国制も確立し、六十年の長きに及んだ南北朝の対立も合体させ、幕府の全国統一を成した。

 従一位太政大臣となって勢威をふるい、応永十一年には勘合符をもって官船の日明貿易を始めたが、中国の伝統的外交方針である属国の朝貢という形式がとられたゆえ<日本国王臣源>と義満は臣下の礼をとり、その代わり多くの貿易上の利益を収めた。勘合船は中国南支沿岸の寧波で査証を受け、首都北京で交易に当たったが、朝貢形式のため関税も掛らず滞在費、運搬費、帰国費まで明側で負担したので、その貿易の利潤は大きかった」とあり、その後に続いて「1392年の明徳三年ついに李成桂が、明の援助によつて高麗にとって代わって、<李氏朝鮮>が建国された。足利義満は倭寇の禁止を求められ、それに応じて国交を開きその貿易も、中国との勘合貿易と同様の形式で続けられた」の記述である。

 これでは李氏朝鮮に対しても義満はやはり<臣日本国王>として朝貢の形式をとって貿易していたのだろうか?という疑問がどうしてもわいてくる。李氏朝鮮建国から二七年目の応永二六年には、朝鮮海軍は対馬へ攻めてきて無血上陸し、乱暴や略奪をしたあげく住民を奴隷に連れ去る暴挙をあえてしている。だが足利氏は何もせずただ傍観。そしてこの年も勘合符を持った官船が恭しく貿易にいっている。対等の国交ならいくら平和的人間でも抗議ぐらいはするか、その年だけでも貿易停止はすべきなのに、この弱腰は何だろう。






 ☆  ☆  ☆

 字数制限を越えるので次回に譲る。





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Last updated  2013年03月29日 16時10分19秒
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